表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ななしのワーズワード  作者: 奈久遠
Ep.8 狐の嫁入り
92/143

Lycanthropes Liberation 02

 『南の法国イ・ヴァンス』王都・アルトハイデルベルヒの王城内

 

 アルトハイデルベルヒの王城は樹翅キラの巣を突いたかのような大混乱に陥っていた。


「アルムトスフィリアを名乗る一団は西辺衛星都市アストンを超え、じき南方・カルナロッカにも到達する勢いであるとのことです!」

「報告は正確にせよ。アルムトスフィリアは一個の集団ではない。その先々で分裂し、勢力をましてゆく菌類のような存在だ。点ではなく面の広がり。超えていったのではない、アストンは飲み込まれたのだ」

「失礼いたしました!」

「ローアン男爵領の件はどうする」

「先手を取られたと考えるべきだろう。しょせんはたわごとと高をくくっておったが。まさか本当に獣人どもに同情して権利を与える貴族が実際に出るなど、誰が想像できようか」

「それに封地における自治権は領主にある。今更口出しするわけにもいくまい。これ以上はそれこそ王の勅命が必要だ」

「……それができれば、このように我らが頭を悩ます必要はあるまい。ローアンは小さい町だ。それ自体は捨て置けばよい。それより今は他に同調する者が出ぬか、そしてアルムトスフィリアがどこまでの広がりをみせるのか。その対策を考えねばならぬ」

「それだ。東辺衛星都市シュルツの状況はどうだ」

「シュルツは問題ない。だが、シュルツ以東の旧皇国ルーワス領はだめだ。あそこの民はもともと獣人をドレイとして扱う常識を知らぬ。獣人と一緒になって春を叫んでおるわ」

「それが分かっているならなぜもっと兵を回さん。もしこの騒ぎに乗じて魔皇が動けば、国境線を押し返されることになるぞ!」

「バカを言うでない。シュルツに問題ないとはいったが、今はまだ姿を見せておらぬだけで、奴らがいつ現れるとも限らん。東方の要はあくまでシュルツだ。回せる兵などあるものか」

「確か北へ出ていた神紅騎士の一隊が都に戻っておろう。聖都から守りに長けた上級神官ジグラットを呼び、五〇〇、いや一〇〇〇の兵をつけて送り出してはどうか」

「それはお待ちいただきたい、彼らにはまだ聞かねばならぬ話が残っている。それに中央の騎士を動かすには王のご許可が必要でしょう」

「そのような余裕がないと言っておるのだ!」


 確かに東への備えは重要だ。だが、中央の騎士を動かそうという案は法国東方に位置する己の領地を守りたいがためであろうと一部の者は冷めた目を注ぐ。

 一時ざわめきが消えた室内。その時、議長席で皆の意見を黙して聞き入っていた一人の男が動いた。


「ティーダ公の意見には価値がある。派兵を許可する。その任は神蒼騎士の三隊に命じよ」

「おお……」

「神紅ではなく神蒼騎士隊を動かされるか」

「宰相閣下がそういわれるのであれば間違いない!」


 議長席に座る男――ゼリドの決定に再び室内にざわめきが戻ってくる。

 先ほどティーダ公に冷めた目を注いた者ですら、考えを改めて己の不明を恥じた。


 オーギュスト・エイレン・ゼリド。

 

 彼を議長とするこの会議を『宣託会議』といった。

 

 アルトハイデルベルヒの王城には毎日国中の情報が集められる。そして、三日に一度開かれる『宣託会議』が法国の全てを決める政治の中枢にして、法国の最高行政機関なのである。

 付け加えるならば、同室内に法王アルカンエイクの姿を見つけることはできない。アルカンエイクがこの会議に参加したことは登極以来一度もないのだ。国政に興味のない王――それが法国国内におけるアルカンエイクの評価である。

 反面、戦場においては最強の王だというのもまた確かな評価である。

 アルカンエイク王の元、最大繁栄の時機にある法国。そこに突如発生した獣人解放の運動、それが春を呼ぶ革命――アルムトスフィリア――と呼ばれ、既に国内の四分の一の地域を巻き込み、さらなる拡大を続けており、ついにはこの宣託会議でこれだけの紛糾を呼ぶ事案にまで発展していたのだ。

 そしてアルカンエイクにかわり、国政の全てを取り仕切るのが今年で齢七〇を数える老荘のオーギュスト・エイレン・ゼリド宰相なのだ。

 ゴールナード前王から王位簒奪者アルカンエイクの世へと。国が一つ潰えるほどの混乱があったにも関わらず、その政治的影響をこの王城の中だけに押さえ込んだ手腕は、四大紗国の中でも他に比肩するものはいない。


 ゆえにゼリド宰相の政治手腕を伝える逸話は多い。

 たとえば、「全ての魔法使いは四神殿が管理する。各国家は四神殿より魔法使いを借り受けその対価を支払う」というのは世界の常識であるが、ここ法国では「四神殿の上級神官を将軍待遇で国軍に借り受ける」という他国では見られない逆転の発想の軍備システムが存在する。

 上級神官ともなれば、強大な魔法を行使できるのは当然だが、四神殿の内側にいるかぎりそのような魔法を使うシーンは殆どない。地神や風神の上級神官はまだしも、水神、火神に属する上級神官の持つ大規模破壊魔法はまさしく宝の持ち腐れである。

 

 自分には能力がある。地位もある。そのような人間が己に見合った金と名声を手に入れたい、圧倒的な力を見せつけたい、ただ単純に己の持てる最強の魔法を実際に人間相手に向けて使ってみたいと考えるのは、当然のことだろう。

 金銭の問題や最強魔法を少数に向けて使ってみる程度の欲望であれば、四神殿内部にいても満たすことができるが、世界中で讃えられるような名声を欲するのであれば、それはさすがに難しい。

 神官の身分は捨てたくない。だが四神殿の外で活躍したいという俗な望みを、法国の国力に取り込むことに成功したのだ。

 

 上級神官が法国の要請に応じる場合、最低でも少将・中将相当の待遇となる。

 火神神殿上級神官ジグラット・カグナルサリンジ・ダートーンは神紅騎士一六騎を従えていたが、通常一人の騎士には一〇の兵士がつく。つまり、それを指揮するサリンジは二〇〇兵程度であれば自由に動かすことができるだけ権限を与えられているということだ。

 四神殿という特殊な組織の内部だけで生きてきた人間が一般の兵を率いれば、色々と厄介な問題も引き起こすわけだが、その分を差っ引いても対外的にはこれ以上ない効果がある。多少の扱いにくさはあれど、四神殿という最強の槍と盾が手に入るのだから。

 かくしてアルカンエイク出現以前の世界では、法国が抑止力として機能する大きな戦争のない平和な時代を生み出し、アルカンエイク出現後には積極的な国土拡大を成功させている。

 

 卓越した政治手腕とバランス感覚。

 『法国にゼリドあり』とは、決して過ぎた評価ではなかった。


「ゼリド宰相。そう言われるからにはルーワスが動くというなんらかの根拠をお持ちなのでしょうな」

「しばし前、魔皇の姿を光国アロニアで見たという報告がある」

「なんですと」

「ルーワスの魔皇が光国に!?」

 

 それは思いもよらぬ情報である。

 

「更には同時期聖国のルルシス・トリエ・ルアンとウォルレイン・ストラウフトの動向がつかめておらぬ」

「なっ、聖国の『姫将軍』が動いたといわれるのかっ」


 それらはどれも大紗国の、それも国の頂点に位置する人物の動きである。

 そのような要人たちの情報をどのように手にいれたのか。ゼリドの持つ情報網は同じ法国貴族であっても畏怖を覚えざるを得ない。


「その情報が確かであれば、聖国が何かしらの行動を起こしているということになる。それは脅威にほかならない!」

「我が国内の混乱。そして魔皇の光国訪問。それに聖国にも動きがあると」

「待たれよ。もしその全てがつながっているのだとすれば――」


 たったの二言。ゼリドのたった二言で、ばらばらであった個別の情報が一本の糸につながってゆく。

 誰かが呟いた。


「アルムトスフィリアの裏に皇国と光国、そして聖国がいるとすれば――これは法国を全方位から囲む……対ヴァンス『三国同盟』」


 ピンと耳を伸ばす緊張が室内に沈黙を落とす。それは誰かがゴクリとつばを飲む音さえも響き渡らせるような濃密な沈黙だった。

 ゼリドがゆっくりと立ち上がる。

 室内の全ての目がゼリドに向い、全ての長耳が向きを整えた。

 ゼリドが宣託を下す。

 

「皆、備えよ。これは我が国に仕掛けられた戦争である」



 ◇◇◇



 時間は少し前後する。


 『西の光国ロス・アロニア』王都・イアンテール


 その日、イアンテールは雲ひとつない晴天に恵まれた。

 そもそもアロニアでは雨の日が極端に少ない。そして降るときには一気に降る。そんなサバンナ型気候に属する国なのである。

 乾燥した平地の多いアロニアは元々多数の小国家が横並びに存在する一つの国家としては成り立たない地域であったが、一人の英雄たる大群兜ドルク・マータが現れたことでそれらの小国家群が統一され、当時の『西の火国ロス・カラカス』から四方位名を奪い『西の光国』として、大紗国の仲間入りを果たしたのだ。

 そういう意味でアロニアは四大紗国の中でも最も若い国であるといえる。

 ちなみに、『火国』はそこで滅びたわけではなく、国土が縮小したが今も西の最果ての小紗国として残っている。

 

 イアンテールは大草原の中に人間の手で一から造られた都だ。一部が砂漠と化したどこまでも平坦な草原のまぶしい日差しの中、それは幻のように現れる。 やっと都についたのだと急ぎ馬車を走らせるのに、走らせれば走らせた分だけ都は逃げてゆく。実際にその方向に都はあるのだが、ここ『エール大草原』に住まういたずら好きな火神カグナの従神が都市を遠くに運んでしまうのだと言われている。

 そのためイアンテールは『陽炎の都』とも呼ばれる。

 そんな苦労を乗り越えて、やっと辿り着いた旅人はまずイアンテールの高い城壁を見上げてため息を落す。

 都市そのものをこのように高い壁で囲った都市は他にない。その高さたるや、空を飛ぶものでなければ決して超えることはできないだろう。レンガを積み、城壁を高め、近づくもの全てに対する拒絶の意志すら感じさせる巨大な城塞都市、それがアロニアの王都・イアンテールなのだ。

 

 上空から見れば正八角形のイアンテールの城壁はそのまま都市中央の王宮までつながっており、高い城壁の上を歩けばそこはまるで天空の回廊である。城壁の下の王都内はその頑強な骨格で区画区画が仕切られている格好だ。そして、区画同士は壁を貫通する大きな門でつながっている。中には一般に開放されていない区画もあり、ずっと王都に暮らしている者でも壁の向こうには何があるのか知らないのだ。なかなかに不思議な造りの都だといえるだろう。

 巨視の視点でイアンテールを横から見れば都市全体の勾配は外縁部から中央に向かい緩やかに登っている。王都中央に位置する王宮は、高い城壁の更にその上に浮かぶように見える天空の宮だ。

 快晴の空の下、『黄金きんの王冠』と呼ばれる王宮の丸い屋根がまばゆい光を反射していた。

 

 そんな天空の宮を、パタパタと走る一人の女性の姿があった。

 ターバンを巻いた文官がそれに気づき、道を開け軽い会釈を行う。

 

「ごめんなさい、急いでるの」

「ほっ」


 スカートの裾を持ち上げて走る姿は、見るものが見ればはしたないと咎められそうである。

 文官はやや驚きの声を上げたが、すぐに目を細めて女性を見送った。

 女性の向かう先、回廊の奥には要人を迎える『パルミスの間』がある。風神系最難度に位置する転移魔法【パルミスズ・エアセイル/風神天翔】の使い手は少ない。

 神官であれば聖都務めか大都市の風神神殿に限られ、国家に属する魔法使いであれば王宮や有力貴族に高給で召し抱えられることになる。

 逆に言えば、大紗国の王宮には転移魔法の使い手の一人や二人は最低限存在するということだ。

 転移魔法による訪問にも礼儀があり、一般的な城門をくぐらない代わりに、各王宮の指定された場所に転移することが求められる。その場所を『パルミスの間』と呼ぶ。

 一般的にパルミスの間というが、それは閉ざされた個室であるわけではない。むしろ、大人数を迎えられるよう開放された空間や庭園に作られる場合が多い。

 ただし、ここ光国の天空宮では王宮の外はすなわち空中であるため、どうしても王宮内部にしか用意できない。天空宮第三層最奥の一室、そこが光国王宮の『パルミスの間』であり、別名『吹風閣』と呼ばれていた。

 今、吹風閣から淡い緑の光が溢れ、そして消えた。


 部屋の外では本日この天空宮を訪れる貴人を迎えるべく、光国王族の青年が控えている。

 そこに先ほどの女性が駆けてくる。

 青年はその姿を認めると、一瞬やれやれといった風な表情を見せたが、すぐに居住まいを正して、吹風閣に向かいなおる。

 吹風閣から本日迎える貴人が姿を現したのだ。

 スラリとした長身。くびれた腰と豊満な胸の膨らみ。蒼炎を宿した美しい髪は肩口から身体の前に回され、前髪が片目を隠している。隠されていない方は見るものを魅了する赤紫色ワインレッドの瞳だ。

 そこに現れたのは聖国のルルシス・トリエ・ルアン公爵であった。

 青年が歓迎の口上を述べる前に、まるでこのタイミングを狙っていたかのように到着した女性がその胸元に飛び込んだ。

 

「いらっしゃいませ、姉さまっ」

「久しいな、妹よ」


 女性の名はシノン・リース・アロニア。

 聖国アルテネギス皇帝の三女にして、アロニアのミハイル王子――出迎えの王族青年――の妃として、ここ光国に嫁いだルルシスの実妹である。


「姉さまが来られるって聞いて、わたし昨夜はとても眠れませんでしたわ。だって突然なんですもの。そうだわ、姉さま。この後ご用事がお済みになられましたら、わたしの花園にまいりませんか? スィーピアの咲き誇る花園なんてユーリカ・ソイルにはございませんでしょう?」

「時間がとれればそうしよう」


 姉の持つ妖艶な美と妹のひまわりのような純真な美。それが同じ一枚の絵の中に収まる姿は、シノンを見慣れたミハイルにとっても、息を呑むほどの感動があった。

 しかし、と気を引き締める。

 

「そのくらいにしておけ、シノン。本日の『ルアン公』のご来国は非公式。極秘のものだ。せっかく私だけで出迎えたというのに、お前が騒いでは意味がなかろう」

「わかってる。でもひどいわ、ミーシャ。もっと早く教えてくだされば、わたしももっとおめかしして姉さまを迎えられましたのに」

「お前なあ。失礼いたしました……我が国アロニアへようこそお越しくださいました『ルアン公』。この先は私、ミハイル・セドル・アロニアがご案内いたします」


 ミハイルは次代の光王が約束された皇太子だ。

 その后がシノンであるわけだから、光国と聖国は国策として将来的な深い結びつきを選択したということだろう。そう聞くとまるで政略結婚で結ばれた二人のようにも聞こえるが、若い二人は互い初対面で一目惚れした同士であったため、その結婚を誰より喜んだのは当人同士だった。

 そして、ミハイル王子が直接迎えに出るという点で、今回のルアン公の訪問がどれだけの重要なものであるかを窺い知ることができた。


「頼む」


 ルアン公の鋭く視線と短い返答に、ミハイルは引きつった笑顔を見せた。

 ミハイルとシノンを先頭にルアン公を含む三名の訪問者が回廊を進む。

 聖国からやってきた三名は顔を見られぬよう、厚いローブを頭からかぶっていた。

 その姿を後ろ目に捉えながら、隣を歩く上機嫌のシノンに小声で声をかける。

 

「シノン、やはり私はお前のことで義姉ルルシス様に嫌われているのではないだろうか」

「なぜそんなことを思うの? 姉さまはわたしたちのことは祝ってくださっているわ。それに、今日の姉さまはあんなに機嫌がよさそうですのに」

「ご機嫌……なのか? 私は先ほどの義姉様の視線を思い出して、雪原を歩いている心持ちになっているよ」


 私がどれだけシノンを愛し大切に想っているかを知っていただく機会がないだろうかと考えるミハイルであるが、もしそれに失敗すれば逆に『姫将軍』とも謳われるルアン公の逆鱗に触れてしまうかもしれない。

 シノンは自分の妻だが、義姉の『ルアン公』は聖国の最重要人物の一人であり、たとえここが光国で、自分がその皇太子であっても失礼のできない相手である。

 どうすればルアン公に自分を理解してもらえるか。それはミハイルにとって、大変に頭を悩ませる問題であった。


「私のお話にあんなに楽しげに頷かれていたじゃない」

「どこがだ? 久しぶりの姉妹の会話であっただろうに、親しげに話しかけるお前に対しなんとも素っ気ない様子にみえたが」

「それはミーシャの目が悪いのよ。それともお耳かしら」

「私は、私のせいでお前にも義姉様にも居心地の悪い思いをさせているのではないかと心配してだな」

「そんな心配はご無用ですよーだ」

「お前なあ」


 目の前で繰り広げされる妹と義弟の微笑ましいやりとりに、フードの下に見えるルルシスの口元が0.1ミリ綻んでいた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ