表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ななしのワーズワード  作者: 奈久遠
Ep.8 狐の嫁入り
91/143

Lycanthropes Liberation 01

 法国北方樹村・ニルべの村


 『南の法国イ・ヴァンス』には人口の少ない樹村が多数存在する。ニルべの村もその一つだ。

 聖国ウルターヴ国境にも近いニルべはサイラス伯爵領に属しており、先の竜国ガーディア討伐軍にも村から一〇名の兵士徴用を命じられた。

 村に残された者達は皆軍女神・熙鑈碎カグナに祈りを捧げる日々を送っていたが、凱旋行進の日から二日、いくさに出かけた者が一人も欠けずに村に戻ったときには、皆大いに喜びの声を上げたものだ。

 今から始まるのはもちろん、帰還祝いの宴である。

 

「やはり今の法国は最強だ。法王様がでてくるような大きないくさじゃなかったが、こうして誰一人怪我すらしなかったんだ」

「それもみな法王様のご威光だね。大紗国ルーワスすら退けた我が国に、小紗国リント・アルスが表立って歯向かうことなどできないだろうからね。しかし、戦争は貴族様と騎士様の仕事なのだよ。お前たちは決して無理をしてはいけない。怪我をしないことが一番だ。儂はお前たちが無事に帰ってきてくれたことがなにより嬉しいのだよ」


 ニルべの村長は楽しそうに話す若者に同意を示しつつも、その若さのまま蛮勇に走らないよう窘めることも忘れなかった。


「シ-バ、お前もこっちに来なさい」

「いいえ、私はここで結構です」

「お前はいつもそうだ。なにも遠慮しなくてよいというのに」

「ありがとうございます、ご主人マータ様」


 シ-バは犬族の青年である。ここ法国では、獣人は奴隸として売り買いされる身分であるが小さなニルべの村でシ-バは村人から家族と同じように扱われていた。

 シ-バはそれがどれほど幸運なことであるかを自覚しており、村長にも他の村人にも大きな感謝をもって接していた。

 酒に酔った若者の一人が笑いながらシーバに話しかける。


「そうだ、シーバ。サイラスであった面白い話を教えてやるよ。この国で獣人の地位を変えてやるんだって、皆の前で演説をした獣人がいたんだ」

「獣人が演説を?」

「今回のいくさで一番暴れまわってた獅族の獣人がいたんだけど、それを伯爵様が許したって話でさ。そいつが『獣人族は誇り高い種族だ。自分たちは友好で平和な世界を望んでいる』ってさ」

「おや、そんなことがあったのかい。あの伯爵様がそのようなことをお許しになるとはねぇ」

「すげぇのはここからだぜ、村長。そいつと一緒に舞台に上がってきた奴が『春を見せてやる』とかいってさ。その獣人がナイフを振るったんだ。そしたら――」

「そしたら、広場中にぱーーって花が咲いたんだ! 魔法の花だよ、足下からこう、一気に咲いてさ。すごかったんだぜ」

「おい、先に言うのはずるいぞっ、俺が言おうとしてたのに」

「早い者勝ちだろ、あっはっは」


 掴み合いになる若者を周囲の者が引き離す。村人はそんな二人に大きな笑い声を上げる。

 ドクン、と大きく跳ね上がる鼓動をシーバは必死に抑えた。誰かに聞かれなかっただろうかと。

 聞きたい。どのような演説だったのか。知りたい。誰がそんな勇気ある行動に出ることができたのか。

 そんなシーバの様子を優しい視線で見つめる者がいた。


「シーバよ。お前には興味のある話だったのではないかね」

「いッ、いいえ。私はこの村で働かせていただいていることになんの不満もございません」


 それは反射的にでた反応だった。確かにシーバはこの村で迫害をいうものを受けていない。それには理由があるとシーバは考えている。

 牙を向かず、尾を振って。誰にも従順で決して反抗しないから――奴隸であることを受け入れているから許されているのだと、そう考えている。それはどこまで行っても埋まらない、我と彼の距離である。

 村長はそれを少し寂しげに見つめた後、もう一度声を掛けた。


「行きなさい、シーバ。この国の全てがこの村のようであればよいが、そうもいかない世の中だ。お前たちの中には他所で不憫な目に遭っている者もいよう。様々な経緯がある。儂らの問題もあり、お前たちの問題もある。じゃが、儂らは本当にお前を奴隸アルマではなく家族アルマだと考えておる。仲間のために頑張っている者がいるのであれば、それを助けたいとお前が考えることくらいはわかるつもりだ」


 はっと頭をあげるシーバ。我と彼の距離――ココロの距離。それはたしかにある。だが、それを作り出しているのは本当に法国の奴隷制度だけの問題であろうか。それを仕方ないと受け入れていた自分側の問題はないだろうか。

 殴られるのが怖いから。そういって近づくことをしなかった。しっぽを丸めて、ただ従順に。はじまりがどうであれ、自分に一歩を踏み出す勇気さえあれば、この村に住まう優しい皆々ともっと良い関係を築けていたのではないか。


 その勇気を、今――

 

 シーバの表情から卑屈な笑みが消える。まっすぐに村長を見つめる。


「……ご主人様、本当によいのですか」

「良いのだ。お前は長く村のために働いてくれた。そのかわり約束しておくれ。全てが終わったらまたこの村に戻ってくれると」


 そして、その時にはご主人様マータ様ではなく、村長マータと呼んでおくれ、と村長は続けた。

 熱いものがこみ上げてきて、それはシーバの頬を濡らした。

 それを見た若者たちがからかうようにシーバに話しかけてくる。


「やめとけよ、シーバ。言っちゃなんだがこの村の外はお前にゃ厳しいぜ」

「いいじゃねえか。獣人の中にはシーバみたいなイイヤツもいるんだって知れば、みんなもうちょっと変わるんじゃないか。それは別に悪いことじゃないだろ」

「そうかもしれんが、シーバがいなくなったら、朝の水汲みはどうすんだ」

「そりゃ、前まで俺たちでやってたことだろ」


 言葉はいろいろだが、みなシーバのことを考えてくれているのがわかる。

 彼らと本当の友人になりたいと思う。

 村の小さな娘がトコトコと駆け寄ってきた。

 この娘が生まれたときにはシーバはすでに村にいた。お上の制度など知る由もない娘にとって、シーバは同じ村に住む優しいお兄さんでしかない。


「シーバ、どこかいっちゃうの?」


 涙を拭い去り、娘の頭を撫でながらシーバが答える。


「うん。でも必ず帰ってくる。僕はこの村が大好きだから」


 風が吹く。それは優しく暖かく。

 ニルべの村に吹く風は柔らかな風であった。



 ◇◇◇



 法国西辺衛星都市・アストン


 闇夜の中、強風がガタガタと重い窓ガラスを鳴らした。

 アストンの街に大きな館を持つ法国貴族ベルゼス・ラック・ライドーは苛立ちを抑えることができなかった。

 苛立ちのまま、手の持っていた果実酒ピエリのグラスを壁に叩きつける。


「またドレイが逃げ出しただと。お前の管理は一体どうなっておるのだ」

「は。まことに申し訳ございません、ベルゼス様」

「申し訳ないで済むかバカモノ。アレらが一匹いくらすると思っておる。逃げたものは必ず追って捕まえるのだぞ」

「もちろんでございます。アストン公爵にもお許しいただき、近隣の街々には逃げた獣人の特徴も伝えております」


 ライドー子爵家はここ最近力をつけてきている貴族である。力をつけたと言っても、それは戦場での武勲によるものではなく、財力によるものだ。

 新王が立ってより法国が得られる獣人奴隸の数は増加の一途を辿っている。そこにいち早く目をつけたベルゼス・ラック・ライドーは多くの獣人奴隸の確保に成功し、己の領地で過酷な労働を課すことでそこいらの中央貴族よりもよほど莫大な財力を手に入れたのだ。

 そして今では田舎臭い己の領地で過ごすことも少なく、ここ大都市アストンで優雅な生活を楽しんでいる。

 しかし最近になり、自分の持ち物である獣人奴隸が度々逃げ出しているという報告が入ってきており、今日もまた同じ話を聞かされたところだった。

 床に飛び散ったガラスの破片が燭台の明かりを反射し、果実酒が分厚い絨毯を赤く染めてゆく。


「クノ! リナ! とっとと掃除せぬか、このノロマが」

「は、はい……っ」


 部屋の中には四つの人影がある。うちの二つはベルゼスと報告に来た家宰であり、残りの二つがベルゼスにクノ・リナと呼ばれた獣人奴隸のものである。

 貴族家に仕える家宰とは、家の中の事務・会計の管理、使用人の監督の仕事だけでなく、主人に代わり、その仕事を取り仕切る権限まで与えられた者のことをいう。

 つまり、アストンで遊び暮らす主人に代わりに、ライド―子爵領で実際に獣人奴隷を管理しているのはこの家宰なのである。

 少女のクノがすぐさま床に這いつくばり、素手で割れたガラスを拾い集める。少年のリナは手にした雑巾を絨毯に押し当て、こぼれた果実酒を吸い上げる。

 二人ともに腕に幼毛の残る年若い獣人であり、この館でまさしく奴隸として扱われていた。


「クズが。まるで使えぬ。顔だけは選んではいかんということだな」


 年若い主人の癇性を理解している家宰はことさら気にすることなく、報告を続ける。


「この件に関しまして、一つ報告がございますベルゼス様」

「なんだ、申せ」

「実は最近国内で獣人の人権保護を求める集団――いえ、勢力と申しましょうか。そのようなものが生まれてきており、今回の件もその者どもが裏で手引をしている可能性がございます」

「なんだと? そのような集団、見つけ次第潰してしまえばよいだろう」

「それが難しいようで。これがなんと北辺のサイラス伯爵に認められた行為だという話でございます。伯爵が認められたものを我らが取り締まれば、お顔を潰すことになってしまいます。たとえアストン公爵であろうと難しいことでございましょう」

「むう、それならば仕方ない。だが、わからぬな。サイラス伯は中央にも力を持つ大貴族であろう。最近では竜国への奴隷狩りに出たとも聞く。獣人の人権? そのようなもの伯が認めるはずあるまい」

「ですがそれは風神神殿も伝える事実のようでございまして。半月ほど前からでございましょうか――『アルムトスフィリア』という言葉を聞いたことはございませんか」

春を呼ぶ革命アルムト・ス・フィーリア? 聞いたことないな」

「人権保護を求める訴えのあと、街中に花をまくのだそうです。この国に春を呼ぶのだと。これが好評のようで、街によっては実際に市民同等の権利を与えたという話も聞きます」

「獣人に権利を、だと。どこのバカがそのような越権を許しておるのだ!」

「例えばローアン男爵領でございましょうか」

「それは我が領地の隣ではないか! なんと愚かな……待て、その集団よもや我が街にもやってきたのではあるまいな」

「そのまさかでございます。ライドー子爵領の獣人酷使は法国内でも特に有名でございますからな。訴えについてはベルゼス様のご裁可を頂くまでもないことでございますので、私の方で対処いたしました。もちろん追い返してございます」

「当然だ。しかし、そんなに有名であるのか、我が街は」

「はい。それはもう」

「そうなのか。それは気分がよいな。はっはっは」


 なにかおかしいのか、ベルゼスが笑い声を上げた。

 家宰が続ける。


「この獣人勢力はここ西方だけでなく、法国の各地にあらわれております。このようなことは国内の獣人だけでは決してできぬこと。もっと別の力が働いておるとように思われます」

「なんだ。サイラス伯が力を貸しているとでも?」

「それはございませんしょう。ですがベルゼス様もお気をつけを」

「お前は心配性だな。ここアストンでその訴えとやらが見られるなら、見てやってもよい。その後は捕らえて我が街に送ってやるがな。あっはっはっはっは」


 主人の哄笑にも表情を変えず、家宰が頭を下げる。

 これ以上付け加える情報もないため、家宰はそのまま部屋から出て行った。

 一人減った室内で、ベルゼスが独りごちる。


「獣人の人権だと? 奴らに対する締め付けが甘いからそのような世迷い言を口にするのだ。俺のように正しい管理をしておれば間違いも起こるまいに――おい、掃除はまだ終わらぬのか」


 金糸があしらわれた豪華な椅子の上からベルゼスが声を落す。

 

「も、申し訳ありませんにゃ」


 ビクリと身を震わせたクノは、床の上に額をこすりつけて許しを請う。


「ふん、全く使えぬ奴め」


 苛立ちとともに、少女の肩を蹴りつけるベルゼス。


「にゃッ」


 蹴られたクノが床に転がる。

 こうしてやれば、どんな獣人も尻尾を丸めて命令に従う。そのはずだった。少なくともこれまでは。


「やめろッ」


 そこでもう一人の獣人の少年が声を上げて立ち上がった。

 想定外の反応だと言って良いだろう。主人に逆らうドレイは厳罰に処せられる。法国の法は獣人にはやさしくない。

 ベルゼスのこめかみがピクリと動いた。

 

「俺の耳はおかしくなってしまったのかな。おい、今この俺に対してなんと言った。やめろといったのか、リナ」

「違う」


 獣人の少年の瞳には強い意志――怒りがあった。

 

「違う……僕らは『五号クノ』『六号リナ』なんて名前じゃない!」


 ベルゼスの身の回りの世話をする獣人奴隸の入れ替わりは激しい。少しでも気に入らなければすぐに捨て、気に入ってもすぐに新しいものが欲しくなる。ベルゼス・ラック・ライドー子爵とはそのような人物である。

 やがて名前を覚えるのも面倒になり、いつからかベルゼスは彼らを番号で呼ぶようになっていた。

 

「僕の名前はルシアンだッ!」

「きさま――ッ」


 立ち上がったリナ――いや、ルシアンの手にはペーパーナイフがあった。

 封蝋を割るためのナイフであるので刃は潰してあるが、それでも柔らかい肉体を傷つける程度の鋭さは持っているだろう。

 驚いたベルゼスが慌てて椅子から立ち上がろうとするが、獣人ルシアンの俊敏さはその上をゆく。

 体ごとぶつかってゆくルシアンをベルゼスがまるで抱きかかえるような格好で、二人が椅子ごと後ろに倒れこんだ。

 倒れた椅子がガタタンと大きな音を響かせた。

 もつれ合った状態から、ルシアンがすぐさま飛び退ずさる。

 その手にペーパーナイフはない。かわりにベルゼスの腹部に銀色の金属が突き立っていた。

 そこで、激しい苦痛を伴う高い声が上がった。声の発信源は勿論ベルゼスである。


「ぎゃあああっ、い、痛い! 痛たあいィィィ! 貴様、このゴミども、俺様にこのような、ぐあああ、誰か! 誰か早く俺を助けろ! いぎィいいいいい!」

「ハァ、ハァ、ハァ……」

「お兄ちゃん!」

「ミィ!」


 しっかと抱きあう二人。痛みにのたうち回るベルゼスには目もくれず、そのまま窓際へ走る。

 廊下からは激しい物音とベルゼスの悲鳴を聞いた誰だかが駆けてくる足音が聞こえてくる。

 二人は力を合わせて、硬い窓を押し開けた。

 途端、窓を鳴らしていた強風が室内に吹き込みテーブルの上にあった燭台の火を吹き消した。

 漆黒に染まった室内にベルゼスの悲鳴だけが虚ろに響く。

 

「行こう、ミィ。僕らも参加するんだ。『アルムトスフィリア』に!」

「うんっ」


 窓から飛び出した二人の姿は、すぐに夜の闇の中に溶けて消えた。


 風が吹く。それは強く激しく。

 アストンの街に吹く風は逆巻く烈風であった。

これまでと違って、前章から少し時間が経過した時点からえぴ8スタートですっ

新章もご試読よろしくお願いいたしますっ


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ