Jet-black Juliette 20
「レオニード、ちょっと来てくれ」
「はッ」
俺は歩きながらレオニードを呼び寄せた。
と、そこにもう一人、声を掛けたわけでないが、一緒に歩み寄ってくる者がいた。
「君は?」
「ワーズワードサンだっけ。挨拶が遅れたね、ボクはリスト・ナラヘール。リストって呼んでほしいな」
「ボク……」
フランクな口調で自己紹介してきたのは、件の雪豹子さんである。
身体特徴的にどう見ても男性ではないが、ボクという一人称といい湿り気のない表情といい、まるで好奇心旺盛な少年のような印象を受けた。
雪原に融けるような肌の皚さの第一印象から良い所のお嬢様的な印象を持っていたが……まあ第一印象なんて思い込みと同等のものだしな。リストの華麗な足技の方を思い出し、俺は納得することにした。
リストがもこもこのしっぽを左右に遊ばせながら話しかけてくる。
「ねえワーズワードサン、あなたって何者なのかな?」
「特に何者でもない。ただのワーズワードだ」
「うーん。こんなすごい転移魔法が使えて、凄腕の暗殺者に命を狙われていて、その上ニアヴ治林の濬獣様とあんなに親しげ話せる人が何者でもないなんて信じられないケド」
「そこだけ聞くとすごい人のようだな。まあ素性が知れない俺のことを信用できない気持ちもわかるが、そういう話は後にしてくれ。今はまだやることが残っている」
「ワーズワード様のおっしゃるとおり。今はそのような時ではないのですぞ、リスト様。大体、戦場に出てくるなどなんという危険な行為を」
「もう、ボーレフはうるさいなあ」
手を使わずに器用に耳をくるりと丸めて、反抗の意志を示すリスト。
レオニードが俺に向かい深く頭を下げる。
「失礼いたした。何を隠そう、リスト様は『竜国』諸王家の一つである豹王家の血を引くお方なのです。我らの解放などより、まずリスト様のことを感謝せねばならぬところ。豹王家に生まれた者は一定の年齢になると諸国遍歴の旅にでます。その途中、無法なる法国軍が猫族の村を襲っているところに遭遇し――」
隣でリストが「助けるつもりがこっちも捕まっちゃったんだよね」というツッコミを加えた。
二人の掛け合いを聞く限りでは主家の娘と目付けの従者といった関係なのだろうか。レオニードの苦労は多そうだ。
先にリストが捕らえられたのだとすれば、レオニードほどの実力者が拿捕された経緯もなんとなく判然るな。レオニード単独であれば、どんな状況からでも逃げられるだろうしな。
だがすまん。俺はお前ら個別の事情に興味はないのだ。『竜国』という国の話は聞きたいが、それは落ち着いてからでいい。
「気にするな。このボクっ娘が王族の関係者だと聞かされたところで俺がなにか特別な配慮をするわけでもないしな」
「うん、そうだよねっ。そうでなきゃ!」
何が嬉しいのかぴょんぴょんと飛び跳ねるリスト。
ぐっと身を乗り出して、下から俺の目を覗きこんでくる。なんなんだ。
「ね、ボクをワーズワードサンの紗群にしてよ!」
は?
唐突な宣言に思わず俺はリストを見つめ返した。
レオニードも俺と同じく思考を停止させている。と、次の瞬間、百獣の王の号砲がリストに落ちた。
「リスト様!!!」
「聞こえなーい」
声でかすぎるわ。
しかしそこは無用の心配なので安心してほしい。
「それは断る」
「ええー、なんでさ!」
即答で丁重なお断りを入れた俺に、驚きの反応を見せるリスト。よくわからんが自分の申し出は断られないという謎の自信でも持っていたのだろうか。
左右に遊ばせていたもこもこのしっぽがピンと立っている。
「ボク役に立つよ? 身体だって健康だし、武術の腕前もまだまだ伸びる。そりゃ胸は発展途上かもしれないけど」
「胸の話はしてない」
「それじゃ、やっぱりボクが……獣人種族だから? にゃいた!」
リストの脳天に無言のチョップが入る。
「そんな話はもっとしてない。獣人種族だからとか皮肉でも言うんじゃない。お前らが自分でそれを言っては、俺が今やっていることの意味がないだろ」
「……あう。ごめんなさい」
さすがに自覚があったのか、素直な反省を見せるリスト。
まあ反省したからといって、答えがかわるわけではないが。
「話は終わりだ。行くぞ、レオニード」
俯いたままのリストをその場に放置し、俺はレオニードを従えてサイラス伯の元へと向かう。
足早に追い付いてきたレオニードは、リストを紗群に加えることを一顧だにしない俺の態度にこそ、心から安堵しているようにみえた。
打合せは歩きながら行う。
「今からやることを話すのでよく聞いてくれ。お前の役割は重要だ。俺の指示通り動いてくれ」
「私にできることならば、なんなりと」
サイラス伯には興味がないらしい駄犬がそこで足を止め、俺を見送った。
そのまま後に残されたリストに向かい何かを話しかけている。ついてきてもらっても困るので、丁度良かった。
――と、ここで駄犬を放置してしまったことが、俺の最大の油断だったといわざるを得ない。
「オイ白いの、今言ってた紗群ってなんだ?」
◇◇◇
「ええい! なぜだ、なぜ獣人があのような高等な魔法を使える!?」
「なんじゃ、そこの丸い神官から聞いておらんのか。妾は獣人ではない、濬獣じゃ。『ニアヴ治林』のニアヴの名を知らぬわけではあるまい」
「な…………ル、ルーヴァだとおおおお!!? どういうことだッ、ダートーン卿! 貴卿、知っておったのか!」
「ンーー! ンンン――ッ!」
両手で口を塞いだ状態で、油を汗のように、違った、汗を油のように流して必死の否定をみせるサリンジ。俺の言いつけをちゃんと守る、大変に誠実な男である。
俺はニアヴの肩を叩いて到着を知らせる。
「待たせたな。あとは俺が引き継ごう」
「ふん、あの黒い小娘の件は片付いたようじゃな」
「小娘か。アレはジャンジャックという生き物だ。子供の外見はしていても俺より年上なんだぞ」
「だとしても、妾から見れば小娘じゃな」
「ああ、そうだったな」
長生きなお狐さまの前では全ての人類はすべからく子供扱いだ。
最後の砦であるサイラス伯の一隊を後方から威嚇していた飛虎がニアヴの許に戻ってくる。
その背にひらりと飛び上がるニアヴ。虎上の狐がサイラス伯に向けて言葉を放つ。
「人族の群兜よ、本来であれば濬獣がこのように人族に干渉することなどありえぬ。其は何故か。濬獣が動く意味、妾がここにおる事実、ゆめ軽んじるでないぞ」
濬獣だけが持ちえる威厳とでもいうのだろうか。さすがのサイラス伯も何一つ言い返すことができず、ただごくりと喉を鳴らすだけだった。
濬獣にそこまで言われては、ここから状況を逆転できる一手はないに等しい。
かといって、はいそうですかとは答えられない貴族としての自尊心が彼にはある。これまで奴隸として扱っていた獣人相手に命乞いをするなどたとえ死んでもできやしないだろう。
己の生命との天秤にかけてでも曲げられない一線、人類皆平等ワールド出身の俺としては自尊心という名の見栄のために命を落とすのは非生産的ではないかとも思うだが、生産的ではないからこそ『貴族』なのだという理解もある。
そこが地位はあっても神官でしかないサリンジと領土領民を持つサイラス伯との差だ。
濬獣は敵に回せない。だが獣人相手に妥協はできない。
行くに行けない。引くに引けない。
だからこそ、そこに俺の出番がある。
俺はレオニードにその場で待つよう指示し、サイラス伯と対峙した。
「サイラス伯爵、ニアヴを相手によくここまで陣を保てたものだ。まずは素直に賞賛させていただこう」
怒りの向け先を見つけたサイラス伯が俺を睨みつけてくる。
「ワーズワードといったか……何をぬけぬけと。そもそも貴様こそが首謀者であろうが」
「だとしても根本の原因はあなた方にある。法国に対する獣人たちの恨みは大変に深いということを理解しなければならない」
ぐっと架空の苦虫を噛むサイラス伯。言葉の理解とだからなんだという気持ちのせめぎあいだな。
「もし俺がいなかったとすれば、彼らの暴動はもっと無差別なものになっていただろう。その時犠牲になるのは騎士でも兵士でもない街の人々だ。俺は彼らの手助けをしてはいるが、見ての通り俺自身はただの人間だ。無関係な人々が犠牲になる状況になっていたとしたら、それは悲しいことだと思う」
「なに。それではまさか、貴様は我が領民のために――」
頷く。
「おお……」
周囲を固める騎士たちからどよめきが上がる。
確かにこの場所への転移は確かに街の被害を出さないための措置だ。最大の理由は彼らが感心を示したような恤民のためではないが、結論としては同じだ。
「そうであれば、なぜそもそも獣人に味方し、我が軍に被害を出す。理屈が合わぬであろう」
「あなた方に関してはそうではないということだ。サイラス伯爵、あなたは軍を率いて獣人の村を襲い、こうして彼らを捕らえてきた。いや、別にそこを責めるつもりはない。法国には法国のやり方があるのだろうしな。そこは理解している」
獣人奴隷制度を持つ、人権的にも文明的に大変に未開な国であるという理解だ。それだけ未開であれば侵略戦争もするだろうし、獣人奴隸の獲得を喜びもするだろう。別に自由にやればよいと思う。俺は基本的には他者の行動には非干渉である。
一方で俺もまた自由にやる。それでこそフェアというものだ。もっとも、これはバイゼルバンクスのいう『フェア』の概念に属するだろうが。
今回はたまたま俺に関わったという偶然のめぐり合わせがあっただけ。単純に運が悪かったと言ってもいい。
あくまで静かに俺は言葉を落す。
「しかし、彼らにも抑えられぬ恨みがある。強者が弱者を食う。あなたが彼らの村でやったことだ。今ここでは、その立場が変わっただけ。まさか異論などなかろう」
そういって俺はゆっくりレオニードを振り返る。それは視線の誘導でもある。
サイラス伯の、騎士たちの視線がレオニードに集まる。
「グオオオオオオオオオ!!」
そこでレオニードが最大級の雄叫びを上げた。
裂けた衣服。傷を負った肉体。新鮮な流血。その偉容。空気をビリビリと震わせる叫びが見るものの魂を握り潰す。
自分が獣人相手に何をしたのか。自分がしたことをそのままやり返される。
レオニードの存在の全てが、彼らにとっての『恐怖』だった。
ごくりと、誰かがつばを飲み込む音が聞こえた。
そんな音が聞こえる程の沈黙。
カウントダウン、四、三、二――
ドンッッ
視線を集めたまま、レオニードが全身の筋力を込めて大地を踏み鳴らした。その反動で全員が草原から飛び上がってしまう、そんな空想が幻視される。
弾かれたように武器を構えなおす騎士たち。が、腰が引けている。完全に飲まれているな。
「ま、待て!」
思わず声を出し制止を呼びかけたのはサイラス伯だ。
良い反応である。ここまでは打合せ通り。さて、ここからだな。
「何を待つというのだ。状況は決した。あなた方はここで全員死ぬ。いいや、獣人種族の持つ恨みはここの全員を殺し尽くしてもなお晴れまい。勝利の勢いに乗ったまま街に乗り込み、破壊の限りを尽くす。サイラス伯爵、街にある城にはあなたの家族が住んでいて、多数の財貨が蓄えられているだろうか? それらは彼らの国で開かれる『火の市』『土の市』の人気商品になるだろうな。今日のこの街の賑わいのように」
横目に見えるレオニードが眉をひそめ心外だという表情を見せる。バカ、まだ終わってないんだからちゃんと演技を続けろ。
「なッ……そのようなことは絶対に許されぬ! 我は広大なサイラス伯領を治める大貴族! ここは我が領地にして、法国北方の要サイラスであるぞ!」
「だから、それを獣人の村で先に行ったのはあなただろう。文句を言う資格はないというに」
「ぐッ………」
激高するサイラス伯に対し、俺の言葉はどこまでの低温だ。
どうしようもない状況での絶望と怒り。脳内に渦巻く出口のない嵐は、いつ無軌道に暴発してもおかしくない。
つまり、頃合いだということ。三、二――
「……だが、それでは血が流れすぎる」
そこまでサイラス伯の精神を追い詰めた後、さらにたっぷり三拍子の時間を置いてから俺はそう口にした。やや大げさに物憂げな表情を作る。こういうのは得意である。
「そもそもで言えば、獣人奴隸は法国では許さえた制度であり、あなた一人に責任があるわけではない。貴族として国を支えるあなたの立場というものもある。そうだろう、平和裏に解決できる手段があるといったら、話を聞いてくれるか?」
サイラス伯が目を見開き、何事かと俺を見つめる。この緩急が大事なのだ。
「……聞くだけは聞いてやる。なんだ、それは」
まあ食いつきはするだろう。
「『彼ら』の要求はただひとつ。それは『街の住人全てに自分たちの主張を言葉で伝えること』。街で彼らの主張を言葉にすることに許可を頂きたい」
「……」
「すぐに奴隷制度を撤廃しろなどとは言わないし、街の人間が今のままでよいと判断するのなら、それでもいい。ただ、自分たちの言葉を聞いてほしいだけだ。その望みが叶えられるなら、『彼ら』がこれ以上あなた方を攻撃するのを、やめさせることができる。血に飢えた凶暴な獅子の獣人も俺の言葉であれば聞いてくれるだろう」
だから、その目で俺を見るな。サイラス伯が感の鋭い人間であったなら、違和感をもたれるところだぞ。
長い耳をピコピコ動かし、最大の警戒心をもって要求の真意を探るサイラス伯。だが、そう容易く正答に到達することはできないだろう。単純に考えれば、ただ言葉で主張をすることを許すだけ。逆にあまりに要求が軽すぎて、迷っているのかもな。
騎士の間にざわめきが広がる。
「どうなのだろう、それだけでよいなら」
「ああ、獣人にいいようにやられたとなれば家名の恥。それに比べれば」
「そうだ、あの魔法使いであれば同じ人間同士。濬獣まで出てきた今、誇りを保つためにはいい話ではないか」
ここで俺が街の人々のことを考えて『大脱出』したことの意味が生きている。
俺が完全に獣人の側ではなく街への被害を考えるような人間であるという誤解、おっと、理解がここでの判断に影響する。
獣人相手には一欠片も譲歩できない話でも、間に俺が立つならば……となるわけだ。
それもまたレオニードという暴力装置を前面に立たせた上での思考誘導ではあるが、今の時点で既にサイラス伯の頭の中では、俺の立ち位置に関する理解が変質していることだろう。すなわち、反乱の首謀者から争いの調停者へと。
まあ、『獣人の要求』などと第三者気取りで平和的解決の提案ができるのも、ここまでに暴力的手段で相手の抵抗力を極限まで削ぎとったからなんだがな。
永世中立国にも徴兵制はあるし、戦争放棄国だって自衛の軍を持っている。
『平和は暴力の上に成り立つ』。言葉の中に大きな矛盾を孕んだそれは、だが絶対の真理なのである。
周囲の全員が不安と期待の視線で主君の回答を待つ。その答えに己の生命がかかっているのだから、騎士たちも心穏やかではないだろう。
自分で言うのもなんだが、俺の提案は大変に平和的なものだ。話し合いでの解決となれば、自尊心に対する致命傷は避けられるし、一歩引くことで濬獣に対する言い訳も立つ。それで自分と部下の生命が助かるというおまけ付き。サイラス伯が己の自治能力に自信をもっているとすればなおのこと。獣人の主張がいくら民衆の哀れみを誘おうとも、そんなもので民衆が自分に反抗するわけはないという想定を持つはずだ。
理あり損なし。しかし、すぐに食いつくことはしない。貴族の矜持――という名の見栄を発露だ。
たっぷりと時間をかけて、相手をじらす。待たせることで相対的に己の価値が上がる……とでも考えているのだろう。
サイラス伯がやっと重い口を開いた。
「良かろう。その要望を聞き届けよう。しかし勘違いするではないぞ。この判断はそこなニアヴ治林の濬獣に敬意を示した超法規措置である。法国は濬獣との争いは望まない。それだけである。忘れるではないぞ」
威厳だけは過大に示しつつ、だがそれを許諾した。
許可、しちゃったか。じゃあ詰みだな。
目的を達したからといって、すぐさま笑顔を漏らすような杜撰さは俺にはない。観客が目の前にいる間は演じ続ける。家につくまでが遠足だ。
「感謝する」
「お主のことじゃ、どうせまた突飛もないことを画策しておるのであろうが……よかろう、このニアヴが証人じゃ。双方槍を収めよ。以降争いを起こす者は、人族であっても獣人族であっても妾が許さぬ!」
「「おお……っ」」
ニアヴの宣言に、騎士たちが安堵の吐息を落とした。そして、それは獣人たちも同じ。これ以上の争いを回避したい気持ちは皆同じなのだ。
だというのにただ一人、さらに顔色を悪くする者がいた。
「プひー! お待ちくださいサイラス伯ッ、それを受ける前にどのような意図であるのかの確認を」
『シャベルナッテバ』
「ひぃぃぃぃぃ!!」
サリンジのくせに、なかなか良い気付きをするじゃないか。だが、余計な入れ知恵は許可しない。あとで宿に監禁だな。
停戦の合意が成ったことで、落ち着きを取り戻したサイラス伯がサリンジに不快の視線を投げかけた。
「……ダートーン卿よ、本日の貴卿の様子はただごとではないぞ。上級神官ともあろうものがなんという醜態か。停戦の合意の成った今では言っても詮無きことであるがな」
「さて、四神殿の神官様にも事情があるのだろう。これはそちらも同じ意見を持ってくれると思うが、まずは負傷した者の手当を行いたい。双方兵を引くようにお願いしたい」
「よかろう」
「こちらの要求を実現する準備も早急に願いたい。明日まで街の不安を引き伸ばすこともないだろうしな。難しければ明日でもよいが」
「みくびるでない。このロディアス・アルム・サイラスは法国北方守護の大貴族であるぞ」
「それは失礼した」
北方守護ねぇ。それなら獣人の村など襲わず、専守防衛であってくれ。そうしていたなら、『世界の敵』が関わる不幸も回避できただろうに。
◇◇◇
負傷した兵士を拾い集めながら、サイラス伯爵軍が街へと帰還していった。
あの華やかな凱旋行進と同じルートを通りながら、今のサイラス伯の軍にあるのは満身創痍の苦痛のみ。帰還の列を見守る民衆たちは全く状況を理解できていない。ただ、通りに出てきて不安な視線を投げかけていた。
ちなみに、伯爵の命令で駆りだされたというフェルナ顔見知りの冒険者たちは全員無傷でこの帰還の隊列に加わっていた。無傷な分、負傷兵に肩を貸している姿が見受けられる。
あいつらがどこにいたのかとフェルナに確認したところ、集団の最外縁で参加の格好だけを見せていたらしい。逃亡しないまでも積極的に参加もしない。でもって、最後に少し働いて報酬だけはきっちり受け取ろうということか。なんというか、したたかだな。
そんなサイラス伯爵軍のあとに続くのは獣人たちの行進。
その手に縄はなく、追い立てる槍兵もいない。なにより異なるのはその表情で、誰も彼もが明るい表情で声を掛け合って歩いていた。それがなお一層民衆の混乱を深める。
到着した街の中央広場では、既に舞台の準備が始められている。中央広場というのは、火の市が開かれていた場所のことだな。広場奥に一段高い壇を作り、敷布を敷いたり簡易な机を運び込んだりしている。
火の市は伯爵命令で中止されたようだが、かわりに何が行われるのかと人の集まりは段々と増えてきている。
そんな広場の一角に、そこだけ周囲とはまるで空気の違う集団がいた。それはつまり俺たちだ。
サイラス伯にしてみれば、メンツを守っての痛み分け。だが獣人たちにとっては完全勝利である。喜びは咆哮となり、俺たちを包む。
子供たちに取り囲まれたシャルはもらい涙で一緒になって泣いているし、若い女性陣はフェルナを取り囲み、感謝の言葉と自己アピールで逆にフェルナを困らせている。
……あいつ、最後に偶然合流しただけだよな?
「まことにワーズワード様には全身全霊の感謝を!」
「……ああ、うん。その気持ちだけで十分だ」
フェルナがああで、一番頑張ったはずの俺の傍にいるのはレオニードだけであるという現実。いや、決して不満があるわけではない。ただ少し、ほんの少し納得行かないだけだ。
「全く、こういう時ばかりはお主の口のうまさに感心するの」
「今回の殊勲賞はレオニードだろう。血まみれの猛獣が目の前に立っていたら、誰だって怖い」
「……あのおっしゃりよう。私はそこまで血に飢えてはおりませんぞ」
「でも恨みはあるだろ?」
「恨みのために彼らと同じ過ちを繰り返すなど、それこそ獣の所業でありましょう」
「ほう。なんかお前らの方がこの国の奴らよりよっぽど文明的な生き物に見えるな」
「阿呆! そもそも全ての獣人は平和を愛する種族じゃ、その爪も牙も全ては仲間を護るためにある!」
「ありがとうございます。ニアヴ様」
頭を下げるレオニードに、ひらひらと手を振るニアヴ。
濬獣は獣人ではないといいつつ、やっぱり肩入れしている感じはあるな。どういう立場なのだろうか。
「ワーズワードサン」
と、そこに元気な声が割り込んできた。
白いもこもこの尻尾を持つ、雪豹娘のリストである。
「やっぱり諦められない。なんでボクを紗群にしてくれないのさ!」
「紗群じゃと? お主、また新しい女子の紗群を増やそうというのや!」
「なんでお前がそんな声を荒立てるんだ。そのつもりはない。その話はさっき断った」
「な、なんじゃ。それならば良いのじゃ」
ほっと息を吐くニアヴ。
何が良いんだ。
「だから、諦めてないんだってば」
一方、全く引く気配を見せないリストである。
「ちゃんと理由を教えてよ!」
「理由か……例えばそうだな、お前たちの解放を手助けしている俺が、解放されたばかりのお前を紗群にしたら、それは外からはどう見える」
「どうって、どういう意味?」
「そうなれば、結局人間の――人族の男が獣人族の娘を支配している構図は解放の前後で何一つ変わらない。そういう風には見えないか?」
「力で支配することと紗群になることは全然違う! これはボクの意志なんだからっ」
「そこに問題があるんだ。紗群と奴隸は内面的な関係性では全く別だが、外から見ただけではその差は大変見つけにくい。同じものに見える。これはお前の意志の問題ではなく世間がどう見るかの問題だ。俺がお前を受け入れた瞬間、お前の飼い主が法国から俺に変わる。事実はそうでないとしても、そうとしか見えなくなる」
「そんな!」
「なんと、そんな深いお考えが――が、がお……」
この世界にある群兜という制度を悪用すれば、それは事実上の奴隷制度になりえる。ルルシスを紗群する際、俺が考察した通りの問題がまさにここにあった。
「『獣人の人権』について俺はサイラス伯に問いかけたわけだが、その実、真に回答を得るべき相手はサイラス伯の向こう側にいる普通に暮らす法国の人々なんだ。紗群か奴隸か。どちらにしても人族に使われることを可しとするならば、制度に問題はなく今のままでもよいではないかという結論に行き着く。それでは、民衆の賛同は得られない。なんであれ誤解される状況はよろしくない。それがお前を紗群にしない理由だ」
古来より民衆を味方に付けた革命だけが成功する。この解放運動の最終的な成否には、俺の持つ魔法の力も濬獣のような判然りやすい旗印も、実は必要ない。必要なのはただ一つ、民衆の理解のみ。それが倉庫からの『大脱出』を選択した最大の理由だ。
「なんとのう……相変わらず、どこまでも未来を先読みしておるのかわからぬ男じゃな。それを最初から説明してやらればよかったのではないかや」
「わざわざ言わなくても、少し考えれば誰にだって判然る話だろ」
「うーん、逆に誰もわからないんじゃないかな」
聞いてもいない答えをありがとう、セスリナ。
「お前に問題があるわけじゃない。そして、俺の意志の問題でもない。もっと大きな理由がある。そういうことで納得してくれ」
「……そんなの、納得できないよ!」
あ、逃げた。行動が若いな。豹王家だかの生まれであるというのなら、己の感情に整理がつけば、他者のために己の感情を抑えることを受け入れることだろう。
同じくリストを見送ったニアヴが話を戻す。
「して、民衆に獣人種族の主張を語りかけたいといっておったが、どうじゃろう。いくら言葉を尽くしたところで、お主のような考えを皆が持つのは難しいのではないかや」
「獣人に対する差別意識の話か」
さすが聡いお狐様だけあって、憂慮すべきポイントが大変正しい。
だが、そこまで思いつくのなら、この俺も同じ想定をもった上でこの要求を行ったのだというところまで想像すべきだ。
「今回はそれは目的ではないから構わない」
「なんじゃと? では何のための会場じゃ」
「それを先に聞いてどうするんだ?」
「むう。まあよいじゃろう。それもまた楽しみの一つじゃ」
「こんなところでまで楽しみを覚えなくてもよいだろうに。まあいい、行くぞレオニード」
「はっ」
サイラス伯の側近の一人がやってきてきた。準備が整ったようだ。
と、その前に。
「これを持っていてくれ」
無造作に放り投げた刃の欠けたナイフを危なげもなく受け取るレオニード。
「これは?」
「俺は火の市で購入したものだ。お前が捕まった村の誰かの持ち物だろうな」
そう言うとレオニードはとても微妙な表情を見せた。
「あとで使い方を説明する。それまではポケットにでも入れておいてくれ」
「わかりました」
案内されるまま、舞台袖に向かう。
集まった人数は三千程度。祭りの日なので、近隣の村々からやってきた人間も含んでの数だろう。
先に壇上に立っていたサイラス伯爵が獣人の反乱は自分が解決したので、皆は安心してよいという内容を語る。うーん、まあいいか。
拍手と歓声を受けて一歩を引いたサイラス伯のかわりに、ニコニコと笑顔を見せる文官らしき男が壇上に立った。
「ほっほう。では次である。寛容であられる伯爵様は、暴動を起こした獣人にも釈明の機会を与えられた。人に足りぬ獣人の言葉など聞くに耐えぬであろうが、皆には我慢してほしい。なに、聞く振りでよい。話が終われば、すぐさま伯爵様より無料の酒が振る舞われるでな。ただの余興である」
そして、これ見よがしに運び込まれる酒樽の数々。
一際高い歓声があがり、ここまで不安をはらんでいた会場の空気が一掃された。お祭りモードの復活である。
「これは、どうすれば……」
「伯爵側にも頭のキレるヤツがいるものだな。酒というキーワードが出た後では、このあとお前の主張が真面目であれば真面目であるほど、場を白けさせる効果しかなくなってしまう。仮に心に届く言葉があっても、翌朝目覚めた時には頭の中からアルコールと一緒に綺麗さっぱり消え失せていることだろう」
「……が、がお」
二人が舞台から降りてくる。
そしてすれ違いざまに、先手を打ってやったぞといわんばかりの不敵な笑みを見せてきた。
「ほっほう。さあ、存分に主張するとよい。はじめに伯爵様への感謝を口にするのを忘れるでないぞ」
「そうしよう。全てサイラス伯爵のおかげなのは間違いないしな」
ギロリとと睨み返される。おおこわい。
「では行こうか」
壇上に上がるのは俺とレオニードの二名だ。
「やはり、武人である私の言葉では――」
「今更怖気づくな。倉庫の中で俺に見せた気概はどうした」
レオニードはすぐに軽く首を振って、視線を前方に向け直した。
「いえ、ここはワーズワード様を信じましょう。ワーズワード様がおらねば元よりなかった舞台です」
「そんな神妙にならなくてもいい。さっき言われたとおり、これは余興のようなものだ。これから法国の全てを巻き込んでいく大きな嵐の、な」




