Jet-black Juliette 18
「待っていたつもりはござらん。ただ、純粋に感心しておったのでござる。ただ一人の人間がこれだけの群衆を動かし、一瞬のうちに形勢を逆転させる。この目で見てなお驚嘆の一言にござった。世が世なれば、後世に名を残す名軍師になれたでござろう」
「賞賛はありがたく受け取るが、現代人の知識を持って戦国時代に生まれれば誰だって官兵衛だ。お前の方こそ完全に生まれる時代を間違えてしまったようだが」
「言われると思ったでござるよ。生まれた時代が今であるからこそ主君に出会えた。これ以上の喜びはござらん」
「主君ね……俺が言うのもアレだが、過去『王子様』と呼ばれる人物は多かれど、お前のご主人様はいっとう最悪の王子様だぞ」
「さもありなん。唯一無二の主君にござる」
嬉々と答えるジャンジャックはまったくもって理解不能だ。
「して、これが第二幕にござるか」
「支配する側とされる側の真正面からの激突。堰は切られた。一度流れ始めた潮流は、この国の全てを巻き込むまでもう誰にも止められない。結局、長年に渡る力づくの支配の限界点が『今日、ここ』なのだ」
「潮流――時代の流れだと言うつもりでござるか。歴史とは過去検証の結果論。当代、同じ時間の流れの中から観測できるものではござるまい」
「その認識は正しい。だが、前提が違う。この世界とは異なる時間の流れの中からやってきた俺たちには当てはまらない。お前にも見えるはずだ。彼らを突き動かしている根源の力――歴史の必然が」
「見えないでござる」
「アタシにも見えないな」
などと同調する二人のエネミーズ。パレイドパグ、お前は黙っておけ。
「正直に申せば、アルカンエイクが拙者らに声を掛けるほどにワーズワードを危険視するは、あまりに馬鹿げていると思ったものでござる」
「それに関しては俺も同意見だ」
「否、それこそ拙者の不明でござった。アルカンエイクは理解していたのでござろう。ワーズワードの潜在能力が己に並ぶと」
『ルート・ナンバー』――すなわち世界の敵の中でも始まり三人『アルカンエイク(A.A.)』、『バイゼルバンクス(B.B.)』、『コメットクール-(C.C.)』を指す言葉だ。
例えば俺であれば『エネミーズ23』というナンバリングでの呼び方もされるが、ルート・ナンバーはそれぞれが『ファーストエネミー』『セカンドエネミー』『サードエネミー』という個別の呼び名を持っている。
新たなネット犯罪時代の始まり。ルート・ナンバーこそが真の『世界の敵』であり、それ以降にナンバリングされたサイバーテロリストはその派生でしかないという考え方だ。
アルカンエイクもバイゼルバンクスもそんな考えは持っていないだろうし、四番以降のエネミーズも自分が彼らの派生だとは思っていないだろうが一般の評価としてそう言われている事実がある。
つまりだ。
並ぶわけないだろう、アホか!
「派生のお前に押されっぱなしの現状では嫌味以外の何ものでもないな」
「かっか。……おしゃべりが過ぎたでござるな。拙者はただ主命を果たすのみ」
話はここまでだと言わんばかりにジャンジャックが一つ深呼吸を落とした。
ふっとジャンジャックの全身から力が抜ける。自然体。一瞬でも目を離せば、どこかに消えてしまいそうな透明さ。周囲の騒乱の音が遠くなる感覚。この恐ろしさはジャンジャックの目の前に立たねば判然らないだろう。
再び最大級のアラートが鳴り響こうかという状況の中、だが俺の脳内はクリアブルーの冷静さを保っていた。
『遊ぶだけなら相手はいくらでもいる。でもワーズワードくん。キミも遊び相手は選びたいだろう? ここではそれを提供する。エネミーズ同士でなければ実現不可能なレベルの高い、ね』
それはいつかバイゼルバンクスが俺に言った言葉だ。
今ならそれに頷ける。『ベータ・ネット』にいたときには全く意識していなかった相手がこれほどのものとは。
『ベータ・ネット』――なんと懐の深い犯罪者コミュニティなのだろう。
認めよう、ジャンジャック。お前は俺の『遊び相手』だ。
ドMだろうが忍者だろうが、俺は遊び相手と認めた相手に手加減は一切しない。
白源素x四、黄源素x一――
組み上げた源素図形は、土壌から生み出した鋼鉄の形状を自由に変化させることのできる【ジマズ・アイアンケージ/地神鉄籠】の魔法だ。
鉄柵を作り相手を閉じ込めることを得意とするが、それ以外の使い方ができないわけじゃない。
鋼鉄の蔦が地中から飛び出してくる。そこに殺傷力UPのトゲトゲ成分を追加してあげれば、イバラの鉄鞭の完成だ。それが三十二本。
成長や創生を得意とする全体的に白魔法属性な地神魔法を俺流にカスタマイズして、凶悪な黒魔法として撃ち放つ。
「先手はいただこう」
ギュルルル――ッッッ
弧を描くように、予測不能の動きで前後左右からジャンジャックを包み込むように襲いかかるイバラの鞭。
「やっかいな魔法でござるな」
だが体術において超級を誇るジャンジャックは、その判断力も並ではない。
左右を一瞥した後、ゆらりと揺れたかと思えば、寸前の見切りでその初撃を回避する。
五本……十本。いやそれを想定した上での多段包囲攻撃を仕掛けたわけだが、視界外であるはずの後方から打ちつけるイバラの鞭まで避けるのはちょっとどうかしている。
まあいい。それとて計算内だ。
ジャンジャックを狙うイバラの鞭は、外れた後には脈打ち蠢く檻となって、確実にその行動範囲を狭めてゆく。
もはや身体をよじるすき間もないところへ三十本目の鞭が襲いかかった。
「ふッ」
そこでジャンジャックが初めて動きを止めた。回避を捨て、襲いかかるイバラに狙いをつけ、手にした二本のナイフを交差させたのだ。
ゴキンと重い音を立てて分断される鋼鉄のイバラ。その先端が制御を失い地面に落ちる。
鋼鉄製であるとはいえ魔法の発動途中の流動している状態であれば、刃物で断つことが不可能ではない硬度しかなかったのだろう。そら恐ろしい判断力である。
だがまだ終わりではない。
ジャキン――ッ!
次なる命令の念を魔法に込める。またもジャンジャックを取り逃した【地神鉄籠】ではあるが、もとよりそれで仕留められるとは思っていないので、不都合はない。
その状態から全方位に向かいトゲを鋭く伸ばした。
「なんと」
うまく閉じ込められれば、このトゲトゲ攻撃で彼女の身体に一〇〇個くらいの穴を開けてあげられるだろう。そこまで数を求めなくても当たるところに当たれば、一箇所だけで致命傷である。ハリネズミの如く無数無差別な刺突攻撃に対し予測は不可能。先読みできたはずはない。
ゆえに、それはとっさの瞬発力なのだろう。手にしたナイフを身体と並行に構え、ナイフの腹で伸びてきたトゲの一端を受け止めると、そこを支点に身体を浮かせ、刺突の勢いを利用して後方へ飛んだのだ。
ナイフの腹なんて数センチの幅しかないのに、なんという反射神経だろうか。
なんにしてもかのニンジャは俺の三段構えの魔法攻撃を全て凌ぎ切った。
「良い攻撃でござる。もっと激しく来てもよいのでござるよ」
「お前の場合はそれが余裕の言葉なのかドMの願望なのか判然りにくくて困る」
言われるまでもなく、攻撃の手は緩めるつもりはない。
次なる魔法は既に俺の掌中にある。
青源素x五、白源素x一――
発動。青い六角柱の中に白源素を一つ閉じ込めた【マルセイオズ・フロスト・ボウ/水神霜弓】の魔法。現れたのは青い燐光を放つ氷の矢だ。
弓の弦を引き絞る射出様式は省略して投擲する。
「むっ」
氷の矢を弾き落とそうとナイフを構えていたジャンジャックの動きがピタリと止まった。
一転、回避に転じたジャンジャックが草原に転がった。
やはりそうか――まあ、それで避けられるかは別問題なんだがな。
解放。
魔法効果発動の念により、飛翔を続けていた矢が空中でパキンと二つに折れる。
【水神霜弓】の魔法は氷の矢がどこかに突き立たないと発動しないなどという特性はない。その本質は『矢の形状をした魔法発動体』でしかないのだから。魔法を見た目で判断してはいけない。
そして生まれた絶対の冷気がジャンジャックを襲う。
勿論今回は蜂の動きを止めたときのような手加減発動ではない。本気で発動する【水神霜弓】の凍結効果は液体窒素のそれとほぼ同等。
もしナイフで弾き落とす選択をしていたならば、その瞬間ナイフを構えた忍者氷像が完成していたはずである。やや狙いを外したとしても、その冷気を完全に防ぐ手立てはない。
超冷温による生体組織の凍傷、体温低下による活動不全。今すぐの結果は出なくとも、継続型のフィールド効果は無視できない。
その場から少しでも離れるべく大地を蹴って疾走するジャンジャック。
「期待にたがわずワーズワード侮りがたし」
黒影が疾る。
離れると言っても、その向かう先はこちらだ。俺の目では追うことも難しいジャンジャックの俊足。近距離の攻防になれば、ジャンジャックの独壇場だ。
だからこそ、その行動が読めるのである。
更にもう一つ、事前に準備の完了していた魔法図形に発動の念を送る。
白源素x七、黄源素x一――
逆回転の二重円が生み出す魔法は狐秘伝の【バニシングバード・エア/溌空鳳】である。
ジャンジャックの取りうる行動の選択肢を狭め、ある一点に追い込む。先の魔法はこの一瞬のための布石。
「それを待っていた。人間の限界を超えた高速移動。それがお前の最大の武器であり、そして急所。詰みだ、ジャンジャック」
魔法の烈風が吹き荒れる。
俺の狙いに気づいたジャンジャックが急ぎ、身体を地面に固定しようと動きを変えるがもう遅い。
【溌空鳳】の魔法で生み出された烈風は垂直に昇る上昇気流。自然科学の法則を公然と無視して、大地から直接生まれる風力だ。
「きょわわっ、ローブがめくれちゃう!」
爆発的な風力が周囲にも被害も撒き散らすが、それによる味方への影響は限定的だ。やや距離が離れれば、ローブをはためかせる程度の力しかない。
だが、この程度の風力で十分なのだ。
「これは――これが狙いにござったか」
己の身体を押し上げる風力に抵抗できず、高く巻き上げられていくジャンジャック。
ジャンジャックの持つ走行術、回避術は倉庫の中で散々見せてもらった。
小学生並の小柄さにアスリート顔負けの筋力。俊足を指して『飛ぶように』とはよく聞く言葉で、実際マラソンランナーはその走行時間の七十%を宙に浮いて移動している。
速度に特化したジャンジャックであれば本当に飛んでいると言っても過言ではない。
宙に浮いている状態では自分の肉体であっても制動をかけることはできない。それができるのは地面に足をつける一瞬だけだ。
それを狙った面での制圧力。風の力でジャンジャックを捕らえ、空中に押し上げることで、体の自由を完全に奪ったのだ。
小柄なジャンジャックであれば体重も軽いだろうしな。
「うおおおお! やるじゃねェか、ルーキー!」
興奮した駄犬の声が聞こえるが、まだ終わっていない。
「さすがの忍者も足場のない空中で自由には動けまい。常人であればそこからの自由落下で足の一本くらい骨折してくれるだろうが、お前にそれは期待しない」
十数メートルまで上空に巻き上げたところで上昇が止まる。
あとは【溌空鳳】を切れば、落下に転じるだろう。
と、そこでジャンジャックの漆黒の瞳が大きく瞬いた。
「見事でござる、ワーズワード。されど、『詰み』はまだ早いでござろう。死地こそ拙者の本領。忍びの極意をお見せしんぜる――忍法『粉現しの術』」
「今度はなんだってンだ!?」
空中で器用に印を結ぶジャンジャック。変化は劇的だった。ジャンジャックの『体内』から発光する色とりどりの光が溢れだしたのだ。
ジャンジャックが九字を切るような指の動きで、空中に幾つかの源素を固定してゆく。
そして発動。
途端、ジャンジャックが肉体の制動を取り戻した。いや取り戻したどころではない。空中で足を付くようにビタリと停止したのだ。
「忍法『空渡りの術』……では少々我が張りすぎてござるな。確か【風神天駆】といったでござるか」
「ちょっと待て!? テメェ、魔法使えないんじゃなかったのかよ!」
「そのようなこと一言も言っておらぬでござろうに。忍びなれば、常に奥の手の一つは忍ばせているものでござるよ」
絶句したパレイドパグが、思わず一歩下がる。
なるほど、そういうからくりか。源素は非物質。図形化前の状態であれば物体も人体も透過する。俺はまとわりついてくる従源素の明かりが眩しくないよう、それらを自分の背中側に集める制御を行っている。ジャンジャックは俺と同じ発想を更に一歩進め、己の体内を絶対位置とした源素の配置制御して行っていたのだ。全ての源素を一点に集めてしまうとその状態から魔法を使うことができないが、そのかわり源素を他の人の目から隠すことができる。
その発想はなかったわ。
今その制御の枷を解いた。すなわち魔法の使用を解禁したということだ。
「三百年の血の中で練り上げられた忍びの奥義とて人の理は超えぬものでござる。それゆえ理を超えたワーズワードの奇想天外な戦術に遅れをとり申したが、これで互角の立場に戻ったでござるかな」
今後は絶対的な身体能力の上に、俺も知らない魔法を使用すると。
いやいや、互角とは二者が対等である場合に使う言葉であって、この場合は誤用にあたるのではないだろうか。
俺は頭上のジャンジャックを見上げる。その指の動きを。
こうかな? 白白青青青青青緑緑緑緑緑。源素をつなぎ図形を構築。なんだかわからんが発動。
一閃。俺の発動させた名前も知らぬ魔法が蒼空を切り裂き、空中のジャンジャックを貫いた。
「魔法を使えばどうにかなると思ったか。お前が魔法を使えることなど最初から想定済みだ。空中に吹き飛ばしお前の身体の自由を奪う? そうじゃない。何らかの手段で秘匿している魔法を出さざるをえないところまで追い詰めること。俺の狙いははじめからその一点だけだ」
魔法が使えることと使いこなせることとは別のものだ。
ジャンジャックが構築しようとしていた魔法図形を視認して複製し、一方のジャンジャックには魔法妨害をかける。
この異世界に来て日の浅いお前の魔法知識は、おそらくはアルカンエイクに与えられたものなんだろう。そんな付け焼き刃とゼロから魔法を習得し、検証し、実唱してきた俺の魔法技術が互角なわけがない。魔法を主体に置いた戦いとなれば、お前と俺の能力の差は小さくない――
「互角ではない。言ったはずだ、これで『詰み』だと」
最後に見えたのは喜悦の表情か。
直後、黒い影はぐらり傾き、地上へと落下した。
エネミーズ対決、決着の刻。
えぴ7はもうちょっとだけ続くんじゃ(あと二話くらい)