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ななしのワーズワード  作者: 奈久遠
Ep.7 黒い瞳のジュリエット
86/143

Jet-black Juliette 17

 ユーリカ・ソイルの本家『アンク・サンブルス』はもともと七色七つの源素を利用したアーティファクトである。


 七色七つ――すなわち、赤・青・黄・緑・白・黒・紫の七源素だ。


 赤から白までの五色の源素はそこら中に浮いているので困らないが残りの二つ、黒と紫の源素については、一切見かけることがなかった。

 それは自由源素だけに限った話ではなく、特定個人にまとわりつく従源素の中にも存在しない。ミゴットやサリンジという人間の魔法使い、ニアヴやアラナクアという濬獣ルーヴァ、もちろんこの俺も同様である。

 とはいえ、魔法という超事象について、全くの白紙の状態から考察・検証を進めていた俺にとって、それは特段注意深く検討すべき問題ではなかった。どちらも『今は手元に存在しない源素』程度に認識であり、存在する五つの源素を使った源素図形や魔法効果についての研究だけでも時間がいくらあっても足りない状況にあったからだ。しかし、パレイドパグの激しい感情が嵐となって黒源素を合成した事象を目にしたことで、そんな重要性の低い認識に再びスポットライトが当てられた。

 黒。それは厳密には『色』を示す言葉ではない。一切の光を反射しない可視領域外領域の全てを指す言葉である。『色がない』状態が『黒』なのだ。

 逆に『白』とは可視領域内のすべての色が均等に内包された色彩を指す言葉であり、俺の使う【アンク・サンブルス・ライト/孵らぬ卵・機能制限版】で存在しない色の源素を白源素で代用できるのも、そのあたりの概念が関係しているのかもしれない。

 とはいえ、色彩の概念が実際の源素の特性と関連があるとは思っていないので、それ以上の理論構築をするつもりはない。そうではなく、折角存在が確認できた黒源素なのだから、それを有効に活用する方法を考える事こそが『生きた知識』の使い方というものだろう。


 黒源素がどのように効果を発揮してどのように使えるものなのか。

 効果の判然らない源素の挙動を検証していくにはリスクが伴うが、唯一リスクを負わない利用法がある。

 それは実際に見知った、実例に沿った利用法である。


 

 ◇◇◇


 

 まず感じたのはまばゆい光。そして、髪をなでつける柔らかい風だ。

 閉ざされた室内から、一気に四方が大きく開かれる強烈な開放感。暗褐色の景色が一変し、足首までの高さの草原はひたすらに緑である。前方には集まって生える高木の林とその中に続いてゆく街道がある。

 街道を進んだ先はサイラスの街がある。となれば、ここはサイラスの街の囲う外周林の更にその外側にあたる外部草原である。

 大地と風と緑。太陽がいっぱいだった。

 ロケーションが一変したといっても、人の位置は変わらない。

 へばりついていた柱が消失し、空中に投げ出されるジャンジャック。その手が一瞬空中を掻き、次にはピンと手足を伸ばして、落下の衝撃を殺した着地を見せる。猫のような衝撃吸収法だな。


 『大脱出エクソダス』による転移対象者は虹の輪の中に含まれる全員だ。壁もあったし、敵味方識別をかける理由もなかったしな。

 シャルたち、獣人、突入してきた騎士・兵士たち。壁を隔てた向こう側にいたのであろう兵士の姿も見えるので、実質包囲が二重に増えたといった状況だ。ざっと測量した感じでは、虹の輪は半径一〇〇メートルくらいに拡がったようだな。


 今まさに突撃の号令をかけんと口を開いていたサイラス伯が、あんぐりと口を開けたそのままの状態で固まる。

 その瞳はただただの驚きに――混乱に、狼狽に、畏れに、恐怖に見開かれる。

 そして、絶叫。


「バ、バカなああああああ!!!?」


 指揮官の混乱はそのまま部隊の混乱へとつながり、俺たちを囲む輪が乱れて、槍の穂先も数メートル遠ざかった。距離を取るだけで立ち止まる者はまだましで、腰を落としたまま立ち上がれない者や周りのものを押しのけて遠く後方へと逃れてゆくものの姿もみえる。よほどの統率スキルを持つ者でなければ、この混乱を収拾させることはできまい。


「なんにゃー!」

「まぶしい、光が――」

「ぐおおおおッッ、まさか、ここは街の外であるか!? 何が起きたのだ。まさか転移魔法? いやだが、【プレイル/祈祷】の声はどこにも――」

「何を言っている。枷を解いてやった時も別に【祈祷】なんてしてなかっただろうが」

「ではやはり、これはワーズワード様の!」

「そういうことだ」

「おおおおッ」

「すっごいにゃー!」


 尻尾をブワッとふくらませた猫族の子供が飛び上がって興奮の声を上げた。


「待て待て待てぃ!」


 そこに同じく興奮した様子のニアヴが声を張り上げる。


「お主もしやこれは、アンク・サンブルスの『大脱出』の転移効果かや!」

「そうだぞ。さっき、そう言っただろう」

「あれはお主の身の回り数歩の範囲を転移させる効果であったではないか! そもそも、幻虹も出ておらなんだ。どうやったのじゃ!」

「【孵らぬ卵・機能制限版】の魔法を改良した。いや、本物に一歩近づけたというべきか。ユーリカ・ソイルの『アンク・サンブルス』は黒源素の動きに不調和があった。その動きを正してやったら、半径二メートル程度だった虹の輪が半径二キロを超えて街全体を覆う天蓋と化したのを覚えているだろう」

「忘れられるものかや」

「一方そこから俺が創りだした【孵らぬ卵・機能制限版】の魔法にはもともと黒源素と紫源素は使われていなかった。その二つの源素が存在しなかったからだ。逆に言えば、それが足りないからこそ【機能制限版ライト】と呼んでいたわけだ。

 が、駄犬の持つ特殊な力のお陰で、黒源素を組み入れることに成功した。それにより、【孵らぬ卵・機能制限版】では制限されていた機能が一つ解放された。魔法名はそうだな――


 【アンク・サンブルス・アンリミテッド/孵らぬ卵・限定解除版】


 とでも名付けようか」

「アンク・サンブルス・あんりみてっど――ふおおおお、言葉の意味はわからぬがとにかくすごい魔法じゃ!!」


 実際にできることはそう変わっておらず、効果範囲が拡大しただけなんだがな。

 しかし十分。ただ、他に比類ない魔法を使えると敵味方を問わず印象づけられればそれでよい。

 転移魔法は最難度に分類される魔法らしいので、十分な効果が見込めるだろう。

 俺が『土の市』――奴隷市場の倉庫――に足を踏みいれて、まずはじめに見たものは感情の乱流の中にいるパレイドパグの姿であり、その周囲で合成されたいくつかの黒源素の存在だった。

 行動方針が決定した後もお遊びで自由の女神像を造ってみたりして、グダグダと倉庫の中から移動しなかったのは、兵士突入という舞台効果が最大限に発揮されるであろうタイミングを待っていたという理由もある。

 それが、ジャックジャックの介入という最悪の状況を招いてしまったのだとすれば、現場の判断ミスを疑わなければならないが、絶対の危機は既に回避された後なので結果オーライである。


「だから、この駄犬がいれば大丈夫だと言ったんだ」

「だとしてもこんな魔法アタシには使えねぇ。結局テメェの力じゃねーか。テメェがすげェってのは、知ってたってーか、わかったけどよ。にしても毎度駄犬駄犬と……これがアタシのおかげだってンなら、もうちぃっと敬意ってのを持って呼びやがれ!」

「おっとすまない。ということで、全てこの駄犬様のおかげだ」

「変わってねェだろ!? 駄犬じゃなくパレイドパグ様って呼べってんだッ!」

「おいおい、それはいくらなんでも高望みしすぎじゃないか。お前の頭の中はどうなっているんだ?」

「テメェの頭の中の方がよっぽどどうなってんだッ!?」


 ガルルと牙を剥く駄犬から離れる。

 まあそれはパレイドパグなりの強がりかもしれないな。こと魔法の扱いについては俺に一日の長がある。そうと理解した上で、それでも容易に弱みを見せられないのも孤絶主義者の特徴だろう。

 俺たちの余裕とは正反対に必勝の陣形で俺たちを取り囲んでいたはずのあちらさんは崩壊の兆しをみせていた。


「なああああああ!??」

「うそだろ……これだけの人数を転移させる魔法なんて聞いたことがない」

「これは神の力だ! 神の力を使う魔法使いに勝てるわけない!」

「俺は逃げる! やっとの思いで生きて戻ってきたんだ、こんなところで死ねるかッ」

「そうだ、俺はもう十分に戦った。今日稼いだ金をもって家に帰るんだ!」

「待てッ、待たんか、貴様ら! 包囲が崩れるッ」


 その程度の呼びかけでは一度決壊した勢いはもう元には戻らない。一部の動きが全体に伝播する。

 今日は折しも運良く――もしくは運悪く――戦場からの帰還を祝う凱旋行進の日である。国仕えの騎士はともかく、徴兵されただけの一般兵にとってはやっと戦場から解放された、日常に戻ってきた、まさにその日だ。

 戦場という非日常の世界から日常に戻ってきた人間の精神が、号令一つで再び同じ場所に戻れるだろうか?


 それが大変に難しいという結論は、統計学によりすでに証明されている。


 兵役は果たした。家はすぐそこだ。家族に、愛する人にもうすぐ会える。生きてこそ――ちょっとド派手な魔法を威嚇的に見せつけてやれば、彼らの行動が逃亡に向かうであろうことは容易に想像できた。

 現代の『行動心理学』は人の行動心理を分析する学問であると同時に、群衆を思いのまま動かす扇動の技術に応用できる『生きた』学問である。


「レオニード」

「ここに」

「お膳立ては整った。次はお前たちの番だ。やれるか?」

「否もなし」


 簡潔で良い返事である。

 傷跡も痛々しい四肢。自身の血で染まった鬣。だが、瞳に燃える炎――戦意は失われていない。


「ならば今がその時だ。お前たちの決意をこのヴァンスに見せつけるときだ。深追いはするな。だが、立ち塞がる者は打ち倒せ。自由とは誰かに与えられるものではない。自らの力で闘いそして勝ち取れ。自由を得るためなら何でもやるぞと、そう叩き込んでやれ」

「「オオオオオオオオッ!!」」


 自由を得るただ一つの方法――それはつまり『立ち向かう覚悟』である。

 もとより自由の中にある世界で歌われたそれは、立ち向かう覚悟を持つという精神の大切さについて歌ったものかもしれない。だが、実際に自由が侵害されているこの世界の獣人たちにとっては、まさしく行動の指針。彼らに求められる覚悟は、精神的なものではなく現実の行動に反映される真なる覚悟である。

 俺の指示に続く大音量のウォークライ。獣人というだけあって、まさに獣の咆哮である。

 声を上げることにより、戦意が生まれ、士気は上昇する。対称的に敵の士気は下落する。


「ガアァァァ! 全ては皆の自由のために!」

「自由のために!」

「闘おう!」

「闘おう!」

「うわっ、来たぞっ!」

「サイラス様、ご命令を! ダートーン上級神官様はなぜ動かれないのだ!?」

「あああ、うわああああッ!」

「くそっ、獣人どもめ……しかし、後ろにはあの魔法使いがいる、どうせ勝てやしない、ここは引くしかない!」


 これまで後ずさり程度で堪えてきた兵士の心もついに折れ、雪崩れるような敗走が始まった。

 獣人相手だけなら頑張れるかもしれないが、その後ろにこの俺がいるという状況にあっては、戦線を維持することに希望は見いだせないだろう。

 しかし、油断は大敵である。


「セスリナ、お前は魔法で援護。弓は危険なので、適当に蹴散らすんだ」

「えぇぇ、わたしぃ!?」

「お前がみんなを助けたいと言ったんだろ。助けるというお前の覚悟。言葉だけじゃないことを証明してみせろ」

「うう~、わ、わかった。でも危なくなったら私のことも守ってね」

「当たり前だ。フェルナはセスリナの護衛を」

「お任せください、群兜マータ

「シャルは万が一に備えて、子供らの傍にいてやってくれ」

「わかりましたっ」

「面白くなってきたじゃねェか。アタシはなにをすりゃいいんだ?」


 フリスビーを投げてもらえるのを待つわんこのように、俺の指示を待つパレイドパグ。


「お前は何もするな」

「ハァ!? なんでだよ、アタシの使えるあの火の魔法だけでもそこいらの奴らよりよっぽどスゲーんだろ!」

「だからだ。俺たちの魔法は強すぎる。俺やお前の影響力は限定的なものでいい」


 『大脱出』はまだしも非破壊の魔法効果だが、【フォックスファイア/狐火】による大規模破壊はまずいだろう。

 不満げだったパレイドパグの瞳に理性が宿る。


「差別の重圧に耐えかねたこいつらが自分たちの力で立ち上がったっていうシナリオが必要ってことか……そりゃ今じゃなくてこの騒動のことを想定した話だな。ったく、テメェの目はどこについてんだ。見てる相手と場所が違いすぎる」

「そこまで理解しているなら十分だ。その理解の範囲で行動してくれ」

「そりゃ、なんにもすンなってのと同じ意味だぜ」


 事実そうして欲しいので否定はしない。


「では妾も何もせぬ方がよいのじゃな」

「いや、お前に関しては全く逆だ。この解放運動を濬獣も支援しているという事実が欲しい。正々堂々と名乗りを上げて、そこいらの騎士を適当にぶちのめしてきてくれ。正規騎士の相手は衰弱している獣人くんたちには厳しいだろうしな」

「なぁ!? 待て待て。確かに妾はお主の行動を好ましく思うておるが、濬獣の名を前面に出すわけには――」

「判然っている。お前の考えも濬獣の掟も知った上で、だが、そうすべきだと俺は考える」


 反射的に反駁したニアヴも、俺の冷静な言葉にふむと思考を挟んだ。


「考えがあるのじゃな。一応は聞こうではないか」

「濬獣だけが持つ永い生命と強力な魔法。お前たち濬獣は大きな役割を持って生まれてきた存在だ。だが、その力は決してお前たちの行動を狭めるために与えられたものではないと俺は考える。逆だ。それはお前たちが自由に行動するために与えられた力なのではないか」

「それは――」


 まばたきを忘れたかのようにニアヴの黄金の瞳が見開かれる。

 ちなみに木製の狐面は、子供がつける縁日の仮面のように頭部側面に固定してある。


「人間社会に干渉しない。お仲間の獣人を奴隸にする世界をも無言で見守る。それはお前の望みか? そうではないはずだ。そうでないならば、そうでないと言っていい。いや、言うべきなんだ。お前の判断を――『世界の判断』を示すこと。それが俺の考える、お前たち濬獣が持つ真の役割だ。そのためにお前たちに与えられた力をここで使わなくて、どこで使うというんだ」


 濬獣の持つ役割。存在意義。全ては仮定であり推論だ。確証もなければ、真偽も定かではない。

 だが俺はそう言い切る。


 世界と世界が接続される特異点を守護する存在、ルーヴァ。

 人を濬獣自治区に近づけさせないルーヴァの掟については、全ての人間の知るところであり、そこからアルカンエイクはルーヴァを『門番』と定義したのだろう。確かにそんな側面もあろう。だが、俺はもっと別の役割があるのではないかと考えた。

 俺は『濬獣』というではなく『ニアヴ』という個を知っている。

 ニアヴの思慮深さ。快活さ。善性。そして面白い全てに興味を持ち、天衣無縫の無邪気さで世界を俯瞰する若い精神。

 それは腰を落ち着かせるべき『門番』の性質ではない。

 門が開いたとき、一番早くその場所に立ち会うこと。もし濬獣に課せられた使命があるというなら、それくらいなものだろう。

 それ以上の拘束はない。必要ない。

 なぜならば――


「何百年も昔に作られた、自分でも意味を自覚していない掟など時効で無効だ。過去に囚われて生きる濬獣に未来はない。今という時代だけでなく、これからの未来を誰よりも長く生きていくお前は、誰よりも未来志向でなければならない。だからお前の判断でいい。お前の生きる未来のために、お前にとって正しいと思う行動を『自重』するな」


 ――なぜならば、濬獣は必ず『世界』にとって正しい判断を下すのであろうから。


「…………」


 自重とは自分自身の言動を慎むことを指す言葉だ。

 慎みは美徳であるが時と場合、それに相手を選ばなければ、ただの消極主義でしかない。

 今が自重すべき状況かどうか。自分で判断して欲しい。お前ならば判断できるだろう。そんな思いを込める。

 見るとキツネが腹を抱えて身を震わせていた。


「くふ――くふふふっ! この妾に自重するなじゃと? たわけッ、小僧のような年で妾に説教など、一〇〇年早いわ!」

「それは申し訳ない」

「……じゃが、不思議にお主の言葉は妾のこころに響く。世界が広がる。――お主の語る言葉の中に、想像だにせんかった真新しい未来の風景が見える!」


 現れたのは明るい笑顔だった。

 やはりニアヴには涙の雨曇は似合わない。太陽を宿した瞳こそがふさわしい。


「良かろう。お主には色々と言いたいことがあるがそれは一時置き、少しばかりの憂さ晴らしをさせてもらおうではないかや」

「なんだ憂さ晴らしって。鬱憤でも溜まってたのか」

「誰に原因があると思おておる!」

「想像もつかないな。そもそも自分の問題に対して他人に責任を求める姿勢は感心しないぞ」

「それが全ての答えじゃろうが!」


 この異世界に放り出されたばかりの時は、言語解析のために必要だった狐との不毛な会話。

 今はそんな目的を必要としないが、こんな会話もまあ、無駄じゃないと思える。

 一通り喚いた後、ニアヴが横目である方向を見ながら声をかけてきた。


「それはそうと、アレはよいのかや?」

「よくはないが、アレは俺の相手だ。大丈夫だ、同じ轍は踏まない」

「ふむ。お主がそう言うなら、これ以上は聞くまい」


 単なる確認なのか、信頼の証であるのか判断しづらい答えだな。

 まあどっちにしてもアレの相手ができるのは俺だけなのだから、他の誰かに割り振ることもできるない。


 行動目的が定まったことで、皆の中に行動意識が芽生える。

 全ての獣人族の解放という大きな目的のため、我が身が傷つくことも恐れず、勇敢に爪をふるう獣人たち。敵兵から奪い取った武器を手にしたレオニードは小さな台風だ。

 そして想定していなかったもう一つの台風、いや暴風雪ブリザードが戦場に発生していた。

 草原に踊るしろい暴風――雪豹子さんである。ニアヴにも似た俊敏な身のこなし。一人の兵士の前にスルリと飛び込んだかと思えば、次の瞬間には、そのつま先が半月を描く軌道で兵士の顎を跳ね上げていた。大きく仰け反った兵士はそのまま昏倒する。まっすぐに伸びた靱やかな太ももと太陽がまぶしい。俺の視線に気づいた雪豹子さんがにこりを微笑む。むう、余裕があるな。獣人特有の優れた身体能力という言葉だけでは説明できない技のキレだ。おそらく、なんらかの武術の心得があるのだろう。

 敵味方が入り乱れ、元々崩れかかっていた包囲の陣は今や完全に崩壊し、乱戦へと移行していた。サリンジを揺さぶることを諦めたサイラス伯が急いで陣形維持の命令を飛ばすが遅きに失した行動だ。維持すべき陣形は既に崩壊している。全軍撤退以外の命令は混乱を増幅させるだけである。

 唯一まともな陣形を保っていた重騎士隊の前にニアヴが踊ったかと思えば狐中雷鳴こちゅうらいめい。ニアヴの身中より発せられた音と光が重騎士隊を貫き、一瞬の内に部隊を壊滅させた。雷撃範囲魔法だと……あの狐、俺の前ではどれだけ魔法を出し惜しみしていたんだ。


「――燃えて【コール・カグナズ・ファイア/火神火球】!」


 外れた。

 だが、問題ない。セスリナもちゃんと役にたっている。

 俺以外にも魔法使いがいるという事実。それだけで十分なプレッシャーをかけることができる。あの大規模転移魔法を見せた後では、バレーボールサイズしかないセスリナの火球も全てを焼きつくす大火球に見えることだろう。

 ぽやぽやした外見から与し易しと考えて貰えれば、デコイとしての役割も期待できる。セスリナが餌となって敵を集めてフェルナが護る。それにより、最も無防備な女子供たちへの被害が低減できる。

 もっとも向こうには元から女子供を狙う余裕はないようで、首飾りをぎゅっと握りしめ、緊張した面持ちでコマンドワードを唱えるタイミングを見計らっているシャルではあるが、今の状況なら『隠れんぼ』はしなくてすみそうだ。

 コンディション・グリーン。状況に問題はない。となれば、残る問題はたった一つだ。

 ここまで意図的にその存在を無視していたわけが、向こうは向こうでどのような意図か、全く動きがなかったことが不気味である。


「どうした、やけにおとなしくしていたじゃないか。もしかして、待っていてくれたのか?」


 緑の草原の中に浮かび上がるような異質さ。わだかまる漆黒の影。『エネミーズ10』ジャンジャックは、現実の世界でもやはり名状しがたい存在であった。

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