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ななしのワーズワード  作者: 奈久遠
Ep.7 黒い瞳のジュリエット
84/143

Jet-black Juliette 15

「ちょっと待て、今アイツ、なんつった。ジャンジャックって言わなかったか!?」


 駄犬は日本語についてそれほど堪能ではないのだろう。だが、その特徴的な識別名コードネームを聞き漏らしはしない。


「言ったぞ。あの方がジャンジャックだそうだ。世界の敵といってもその中身は俺やお前のような普通の人間が大半だと思うのだが……ジャンジャックは格が違う。いや、住む世界が違うというべきか」

「なに感心してやがんだ!」

「落ち着くでござる。冷静さを欠いた『エネミーズ』など、幻滅ものにござるよ」

「なッ」

「かっか。拙者も『エネミーズ16』パレイドパグが、『べぇた・ねっと』の印象そのままの娘子であることには大層驚いてござる。その上ワーズワードと共におるなど、想定もしておらなんだでござるに」


 俺たちの会話に口を差し挟んでくるジャンジャック。……こっちの世界の言語で返答してきたな。一度ござる語を聞いてしまった後なので、俺の脳はどうやってもそれを同じござる語に翻訳デコードしてしまうが、発音自体はパレイドパグよりもよっぽど完璧だった。


「何が娘子だ、テメェの方がよっぽどガキじゃねーか。おかしな格好でちっとばかし驚かされたが、テメェみたいなガキがジャンジャックだってんなら、コイツどころかアタシの相手にもならねェよ。いつもみたいに部屋の隅っこでちっちゃくなってやがれ!」


 言葉が通じたということで、駄犬が話しかけるターゲットをジャンジャックに変えた。

 しかし、地球の言語ニホンゴより、覚えたてほやほやの異世界語の方で会話するというのはどうなんだ。ドイツ人的には日本語の方が異世界語より難しいという判断なのか。


「威勢のよいことでござる。相手にならぬか否か、では一手、試してみようではござらんか」


 影が動く。無造作な一歩。自然すぎて、何をしようとしているのか判断できない。

 少しでもジャンジャックの行動を予測しようと、その瞳に浮かぶ感情を読み解こうとした瞬間、背筋にぞくりと悪寒が走り、俺の脳内に警告音が鳴り響いた。

 ジャンジャックの瞳。黒い――昏い――深淵。たとえるならば、両目の位置にぽっかり空いた暗黒の奈落。


 ランク5・『最大危険アラーム・レッド』。


 危険。それも論理的に計測されたリスク値ではなく、本能的に感じ取れるタイプの危険――すなわち、恐怖だ。

 恐怖の圧力に抗わずそれを受け流すように、本能で感じたままに上身体を逸らして左に身を捩った。それは目の前で振り上げられた拳に対し、思わず頭をかばってしまうくらいの反射的行動。

 

 ヂン――ッ

 

 と、俺が今しがた立っていた場所を飛燕の如き影が通り過ぎた。

 影、すなわちジャンジャックである。

 その勢いに押されるように、思わず尻餅をつく。

 チクリとする痛みの感覚に首筋に手をやる。戻した手には薄い朱の線が引かれていた。

 刃物による軽度の裂傷。首の皮……薄皮一枚といったところか。もし俺が動かなければ、今頃どうなっていたかは考えたくない。

 

「おろ。この距離で拙者の一刀が躱されるとは。やるでござるなあ」


 声は後方から。

 ドッドッドッと鼓動を強くする心音を押さえつける。コイツは……マズイ。


「わかっているだろうが今のはただの偶然だ。運が良かったというだけだということは自分で判然わかっているから、油断などしないぞ」

「そんなつもりで言ったわけではないのでござるよ。純粋な感心にござる」


 ここでいう運とは俺のとった反射的行動のことではなく、近距離の間合いの維持を嫌ったジャンジャックの警戒心の方だ。逆にもっと速度がなく、それこそ普通に歩いてきて首を刈られていたら、それで俺は死んでいただろう。十メートル近い距離があったのに、それだけの距離を無造作な一歩から二歩目にはゼロにまで縮めてきた。魔法だとしか思えない動き。逆にそれが俺を救ったのだ。

 しかし、それももう無理だな。このヘタれた動きを見たれたあとで、二度はない。


「ワーズワード!」

「ワ、ワーズワードさんっ!」

「ひゃわわっ!?」


 パレイドパグの怒声に、泣きそうな表情で駆け寄ってこようとするシャル。セスリナはいつも通り。

 俺の近くは危険なのでシャルを手で制しながら、注意深く立ち上がった。

 振り向いた先。倉庫を支える一本の太い柱の側面に黒い影がへばりついていた。重力を無視するかのように柱の側面に両足をついて、座り込んでいるような姿。


「魔法……じゃないんだよな、それは。それにさっきの弾丸のような速度も」

「でござるな」

「だとすれば、それは一体どんなトリック、いや忍法だ。忍者という職業があってもいいが、重力を無視する忍法があるのはおかしいだろう」

「同じ日本人だというのに拙者の存在が信じられぬでござるか? 若者に一つ教訓でござる。忍びとはその名の通り、忍ぶがゆえ『忍び』でござる。ネットにない世界から隠された存在はいくらでもござる。己が目で見た真実こそを現実と受け止める視野を持つべきでござるな」

「ご高説痛み入る。その現実が貴方なのだとすると『現実はネットより奇なり』としか言い様がないな。大体ネット否定とか、『エネミーズ』に名を連ねる人間の言っていいセリフではないぞ」

「それはどちらかというと本業ではござらんしなあ。拙者はこれこの通り、要人暗殺と破壊工作を得意とする『その道』のプロでござれば」


 ジャンジャックの漆黒の瞳が俺を見る。


「通常の『トリック・オア・トリート』であれば、拙者に勝ち目はないでござろう。23人しかおらぬ『エネミーズ』、その半数を相手にして互角を演じるワーズワードは脅威の一言にござる」


 ジャンジャックもまた、俺に対する高い評価を口にする。『本物』に認められる。俺はそれを純粋に嬉しいと思ってしまう。今しがた殺されかけたところだというのに、俺はアホなのか。

 

「――然れどもネットを離れた現実の場であれば……どうでござろうか」

 

 ベータ・ネットで日々繰り返されていた『トリック・オア・トリート』では、ジャンジャックは常に傍観者であり主体的に参加することはなかった。ゆえにその能力も、思考も行動動機も全てが未知数。

 おまけにまともに会話もしない人物だったので、情報がほとんどない。ゆえに今、ここで得られたジャンジャックの情報が全てだといっても過言ではなかった。

 小柄な女性でリアル忍者。魔法と見紛うほどの身体能力と忍法というユニークスキル。漆黒の瞳に宿るものは交渉の余地のない動かぬ意志。更には同じ日本人だとか。

 それは情報の洪水だ。ありえなすぎて溢れてしまっている。

 思考が読めない。行動を予測できない。やりにくい。それを見越した上で、彼女を俺にぶつけて来たのであれば――

 柱のジャンジャックが一瞬空を見上げる。

 

「――全ては、我が主君の心のままに」

 

 彼女の背後に、柔らかな笑みを湛える誰かの姿が見える。アルカンエイク? いや違うな。『ファースト・エネミー』アルカンエイクこそはジャンジャック以上の化け物。理解できないものに寄り添うことなど何人にも不可能だ。となれば、彼女の背後に立つ者は一人しかありえない。


 ……やってくれるじゃないか、王子様(C.C.)。

 

 背後関係は想定できたが、謎は一層深まるばかりである。確かに俺と王子様とはソリが合わないところはあるが、自分の手駒を送り込んで俺を潰しに来るまでの敵対関係など形成されていただろうか。

 俺が『ベータ・ネット』に顔を出し始めた最初の頃にはまだしも交流があった。

 『宇宙チェスゲーム』という遊びに参加させてもらった際、エネミーズ始まりの三人、その内一人が初めて相手側に回るということで、同じエネミーズの名を恥じぬよう俺も本気を出した結果、王子様の所在地情報アドレスのハッキングに成功してしまった。

 ゲーム自体は互角に進み、最後にはチェック手前での軍事衛星キングの爆発オチで終わった。衛星自爆は俺たちのお遊びハッキングに気づいた米軍地上管制室による遠隔命令によるもので、水をさされたかたちである。なにか都合が悪かったらしい。

 ついやりすぎちゃったアドレスハックの件は、あとで王子様に謝っておいたのだがそれ以降なんとなく王子様に避けられるようになってしまった。

 ちゃんと謝った以上、それが禍根になったとは思えない。つまりは理由不明である。

 こういう嫌がらせを受ける筋合いは一切ない。許せない。あのスペースヒッキー、次会ったら絶対泣かす。

 

 そう息巻いたところで、現状を打破できるわけではない。さしあたっての問題は目の前にあるのだ。忍びな彼女とハッカーな俺では、どうやっても相性が悪すぎる。いや、俺に限らず概ねハッカーという人種は皆そうだと思うのだが、この貧弱な身体は、肉体言語での会話に向いていないのだ。

 

 ジャンジャックこそはまさに俺にとっての『最悪の一枚ジョーカー』だった。



 ◇◇◇



 ゴッ――ヒュォォォン!

 

 空中に浮かぶ巨大な火球。それがなんらの前触れもなく揺らぎ、渦巻く一本の槍となって、ジャンジャックを襲った。

 例の【フォックスファイア/狐火】の大火球である。それは俺にだけ向いていたジャンジャックの意識の空隙をつく、不意打ちである。

 柱は瞬く間に炎に包まれ、煙を上げながら黒炭へと化す。

 近くにいた獣人たちが悲鳴を上げて、四散した。

 

「やったか!?」


 あ、駄犬さん、そのセリフは。

 

「くわばらくわばら、でござる」


 ほら、やってない。

 戦場で絶対口にしてはいけないセリフを口にした駄犬が悪い。


 だが、駄犬のお蔭で一つ、彼女の忍法の正体がしれた。

 柱に突き立てられていたものは小型のナイフ、その柄を足の指で挟み込むことで、まるで重力を無視したような、垂直張り付きを見せていたのだ。指力。確かにそれは魔法などではなく、肉体の力だ。

 ……そうとわかったところで、ジャンジャック以外に同じことができるわけもなく、改めてその化け物じみた身体能力を思い知らされただけだ。

 パレイドパグが俺を庇うように立ち、ジャンジャックに指を突きつける。


「避けやがったか。でもまあ、だからどうだって話だぜ。テメェがニンジャだろうが、コスプレイヤーだろうがアタシには関係ねェ。源素も持ってねぇんじゃ、テメェみたいなチビはアタシの相手にはならねェ。怪我する前にとっと尻尾巻いてアルカンエイクのとこに帰んな。ついでにあの外道に伝えとけ。今からテメェに『トリック・オア・トリート』を仕掛ける。でもって、このパレイドパグ様はワーズワードの側につくってな。キャハハハハハ!」

「いやはや。お手前もアルカンエイクの手引を受けてこの異世界に来たのであろうに。なんとも鮮やかな裏切り報告にござるなあ」


 ですね。俺も駄犬のこういうところはものすごく尊敬しています。

 だが、よく見れば、その頬は引きつり、脚は小刻みに震えている。最大の勇気を振り絞って、気丈に振舞っているのだ。

 それはそうだ。強がっては見せても、パレイドパグは年若い女の子。男の俺以上に暴力への耐性はないはずである。


『アタシの勘違いは勘違いでいいぜ。ここがゼロだ。ゼロからアタシはてめェを助ける。てめェに味方する。それでてめェはアタシに――』


 ……やれやれ、こんな女の子に無理をさせて、俺は何をやっているだ。

 俺はパレイドパグの肩に手をかける。

 

「済まなかった、俺は大丈夫だ」

「……ハッ、死にそうな青いツラしてた癖に。元気になったじゃねぇか」

「そんな顔してたか?」

「ああ、真っ青だったぜ」

「だとしたら、忘却系で忘れてくれ。『トリック・オア・トリート』は、誰の参入も拒まない。ジャンジャックの初参戦となれば、いつも以上に盛り上がることだろう」

「ハハッ、キャハハハッ、いいぜ、いつもの調子が戻ってきたじゃねぇか! 相手は所詮ガキだ、どうにでもなンだろ」


 これを勇気というのかどうかは知らないが、駄犬の震えは止まっていた。

 それはそれとして、


「ちょっと待てパレイドパグ。やる気を出すのはいいが、その言葉遣いはだめだろう。こんな年上の女性を捕まえて」

「……はあ? なに言ってんだ、コイツはどう見てもアタシより下だろ。ヘタすりゃ十もいってないくらいの」

「かっかっか」


 嗤うジャンジャック。俺とパレイドパグは顔を見合わせる。

 

「若く見られるは乙女としては嬉しい限りでござる。が、誤解もよくないでござるな。しからば、主命を果たす前に一つ教えてしんぜよう。拙者これでも由緒正しき忍びの一族の末裔でござってな」


 忍びの一族……科学万能の現代地球にそんなのが残ってたなんて、同じ日本人として保護したいわ。

 

「『縮体の術』というものがござる。これは七つの頃から成長期が過ぎるまで、木箱の中で眠る忍びのギョウにござれば、結果はこれこの通り、肉体の成長をとどめ、乙女のままの背格好にて人の目を欺くことが可能になるのでござる」

「マジかよ。忍者ってすげー」


 あっけらかんとした説明だが、言葉の意味を正しく受け取るならば、それはなんともおぞましい、非人道的な話である。

 肉体の成長を止める? 人が人である限り、そんなことは不可能だ。身体は成長する。それを木箱に押しこむことで、無理やりに押し曲げるというだけだ。

 伸びる先がなく、ひしゃげ、砕ける骨格。圧迫される頭蓋と脊椎。そこにあるのはただひたすらの痛みだけだろう。想像を絶する、拷問にも匹敵するほどの苦痛を十にも満たない歳の子供に与え、それを十年以上も?

 それに耐えられる人間はいない。いればそれは既に人間をやめた者。化け物である。

 

「んじゃ結局いくつなんだ。もしかして二十くらいいってるのか?」

「俺よりは下ということないんじゃないか。お前の倍はいってると思うぞ」

「はぁ!? 三十ってことかよ、あのナリで!」

「~~♪」


 あれ……ひょっとして、もっと上なのか?

 『ベータ・ネット』における最大の謎の人物、『エネミーズ10』ジャンジャック(J.J.)。こうして生身で対面してなお、正体不明で厚貌深情。謎は深まるばかりだった。

 そのジャンジャックが俺の作成した自由の女神像を見る。感慨深げに……というのだろうか。

 そういえば、ニューヨークのアレはジャンジャックが壊したんだっけか。なんという、気まずさ。

 

「自由。解放。そんなに良いものでござるか?」


 それは俺に対する質問ではない。己に向けた、そしてその回答もすでに自分の中に存在した上での呟きだろう。

 俺は敢えて答える。


「……一般的な価値観としては良いものだろう。行動の自由、思想の自由、恋愛の自由。それらは全て肯定的概念であり、否定する要素にはなりえない」

「若者は暴走し、それを諌める大人はおらず、世のニュースは頭のおかしい話ばかり。男同士、女同士の婚姻を法律で認める世界など、拙者から見れば気持ち悪いだけでござるがな」

「良い面も悪い面もある。全ては自己責任。それが自由というものだろう」

「拙者は自由などいらぬでござる。これも自由でござるか?」

「禅問答だな。自由の原則に従えば、貴方のその価値観もまた否定すべきものではない。好きにしろとしか言い様がない」

「らしい回答でござるな。話が合わぬ。なればこそ、拙者も気兼ねることなく『忍務』を果たせるでござる。主君に仇なす有能なる若者――拙者の手にて、死に候え」


 雑談は終わったとばかりにジャンジャックが低く構える。もともと小柄であるため、地を這うような低さを感じる。

 俺の脳内に鳴り響く警報音はもはや意味を持たない。

 だが、ジャンジャックの気まぐれで生まれた僅かな時間を無駄にする俺ではない。三角錐。四角錐。俺の周辺には既に幾つかの源素図形が形作られている。

 俺の目では捉えられない飛燕の動き。だが、目では捉えられないのだという情報があれば、それを前提とした対策が立てられる。

 魚も鳥も獣も、それこそ蚊やトンボといった羽虫に至るまで、一対一での追いかけっこで人間が捕らえられる相手は少ない。だが、それら全てを人間は捕獲できる。

 人間だけが使う道具ツールという名の叡智。魔法の存在が俺にとってのツールだ。地球には存在しないこの謎パワーは、ジャンジャックに対抗する十分な武器になる。

 いつでも来るといい。できれば来てほしくないが、来るというなら準備はできている。

 

 最も恐ろしいのは彼女が未知の魔法を使ってくることであるが、幸いジャンジャックは一粒の源素も纏っていない。そもそも、ジャンジャックが俺たちと同じ大光量の源素を身に纏っていれば、こんな状況に陥る前にその存在に気付けたはずである。闇に紛れる黒装束を着込んでいても、自分自身が光り輝いていては存在をごまかすことなどできないのだから。

 ……待て、本当にそうなのか。俺とパレイドパグ、それにおそらくアルカンエイクも。地球からの転移者に確認されるこの発光現象。ジャンジャックだけがそうでないということがありえるのか?

 

「ぐおおおォォォォ!!」


 俺の脳内にそんな疑問を浮かんだところで、事態は別の場所から動き始めた。

 ジャンジャックに向かい、側面から突っ込んでゆく者があった。例のライオン氏、レオニード・ボーレフだ。

 未だ傷の癒えぬ肉体でありながら、大きな拳を握りしめて、ジャックジャックに殴りかかって行ったのである。

 だが、その拳がジャンジャックに触れることはかなわない。

 瞬間的に身体の向きを変えたジャンジャックは、レオニードの拳の下をするりとくぐり抜けると、全身を撥条にした強烈な掌底をその顎に叩き込んだのだ。

 

 ゴガッ!


「ウゴォ!?」


 小柄なジャンジャックが自分の三倍はありそうな巨体の男を吹き飛ばす。悪い冗談以外の何者でもなかった。

 俺であれば脳を揺らされ一発で失神していたであろうが、さすが屈強なレオニードは、肩で息をしながらも気を失うことなく、ジャンジャックを睨みつける。

 

「無粋。これは拙者とワーズワードとの『遊び』でござる。部外者の横槍は迷惑でござるよ」

「部外者は、貴様の方であろう、暗殺者。ワーズワード様は、我らに希望を与える、お方。一身を賭して、必ず護り通してみせる! ガーディアの勇士同胞よ、立ち上がる時は今! 我に、続けェ!」

 

 流れる血は未だ胸板を濡らし、声はきれぎれになりながらも、レオニードは誇り高く立ち上がった。

 その叫びに、その姿に。感化されぬものはいないだろう。

 

「「おおおォォォ――ッ!!!」」

 

 めまぐるしい状況の変化を見守るしかなかった獣人たちが動き出す。牙をむき、爪を尖らせてジャンジャックを囲うように、そして俺を護るように輪を作る。

 状況は一気に一対多。個VS群へと変わっていった。

 この状況変化はさすがに想定外だったのか、ジャンジャックも即座に動くことはできない。四方に視線を投げ掛けつつ、何事かを思案する様子を見せる。


「おいおい、こりゃ、どうなってんだ?」


 パレイドパグが声を上げる。

 もちろん想定外だったのは俺も同じだ。俺は彼らに手を貸すといったが、今のような、俺が彼らの力を借りる状況など想定もしていなかった。

 獣人解放は、それが俺に可能であり、かつ国家規模の革命を呼びこむ行為は法国に――アルカンエイクに対する効果的なイヤガラセとして、大変に有効だと考えたからである。

 だが今、ジャンジャックという想定外の相手が現れ、窮地に陥った俺を彼らが想定外に護ってくれる。

 予想だにしない状況。こんなことは、信じられない。地球にいたころには本当に、想像できない事態だった。


 これだけの人数に囲まれながら、だがジャンジャックは冷静を失うことはない。

 

「かような状況もやむなし。死地こそ忍びの喜びにござる」

 

 それどころか、これまでよりもなお一層の生き生きした表情を見せる。そのメンタリティは、俺には全く理解できない。

 焦げた柱に突き立っているものとは別のナイフを眼前で横一文字に構える。まだ持っていたのか。

 ジャンジャックの瞳が漆黒に沈むと同時に、凶刃が冷気を帯びてゆく。


「元より目的は一つにござれば、持ち帰る手土産も一つで十分にござる」


 地面を蹴って、矢のように飛び出すジャンジャック。獣人の囲いなど、彼女にとってはザルの如しだ。

 狙いは、当然この俺――俺も最速の並列思考を用いて、立て続けに源素図形を構築する。

 まず目の前に【フォックスファイア/狐火】の魔法を発動させ、高熱の炎でジャックジャックの接近を妨害する。だが、それはあくまでフェイク。本命は地下から彼女を狙う【ジマズ・アイアンケージ/地神鉄籠】の魔法だ。いかなジャンジャックとて、鋼鉄の檻に捕らえてしまえば、素手での脱出は不可能。

 

 無詠唱での魔法発動――ジャンジャックの進路上に、ゴウと立ち上がる【狐火】の火炎の柱。さあ、右と左、どちらに避ける?

 火炎の柱の前で、トンと一拍子の足踏みをするジャンジャック。

 

 ここだ。

 

 完璧なタイミングで俺は本命の【地神鉄籠】の魔法を発動させた。

 右か左か――もちろん、どちらに避けても二重に発動する【地神鉄籠】がジャンジャックを捕らえるわけなんだがな。

 一度に発動できる魔法が一つだけなどという制限は俺にはない。炎を避けるならば必ず通る左右の空間、その両方で【地神鉄籠】を発動すれば、回避は不可能。


 直後、俺は自身の失策を思い知らされた。

 一歩の足踏み。ジャンジャックはその着地を更なる加速に変えて、炎の中に飛び込んだのだ。

 

 ガシャシャーーン!

 

 十文字の腕で顔をかばって炎を突っ切るジャンジャック。その左右で、地中から伸びる鋼鉄の蔦が虚空を檻に閉じ込める。

 一つはフェイク想定で火力を抑えてしまったということがあるだろう。もちろん、それでも人ひとりが焼け死ぬには十分な熱量があるはずだが。

 そして、もう一つ、最大の失策はジャンジャックが死地を恐れない人物だったということだ。恐れないどころか、自ら望んで死地を選択している可能性もある。

 俺は確かに見た。炎に飛び込む寸前、ジャンジャックが恍惚の笑みを浮かべたのを。


 炎を抜けたジャンジャックがどれだけの火傷を負ったかは判然らない。だが、その速度に衰えがないということは、大きなダメージはないのだろう。

 源素操作、回避行動……いや、今からでは何をしても間に合わない。やられた。俺はただ、自らの致命的な失敗を眺めるしかなかった。

 だが、それでもこれくらいは、

 

 ドンッ


「お前は邪魔だ」

「なっ――」


 俺を守るように立っていたパレイドパグを押し退ける。駄犬の軽いからだが一瞬宙に浮き、俺とジャンジャックを結ぶ線上からはじき出される。

 倒れこんでいく駄犬の驚きの表情がスローに見える。悪いな、守られてやれなくて。


「良い覚悟でござる」


 炎を抜けたジャンジャックがナイフを突き出してくる。

 

 

「ワーズワードさ――んっ」

 

 

 ゆっくり進む時間の中で、シャルの声が聞こえた。

 人生の最後に聞く声がシャルのものであるならば上出来だった。

 それを思えばもう一人、会っておきたかった相手がいるが、この場にいないものは仕方ない。目の前に迫る黒き死オカシこそが現実である。

 二度はない。自分自身でそう評したとおり、回避不可のその一刀が俺の喉を掻き切るべく、目前に迫っていた。

 忍者的な汚い不意打ちでもなく、俺も今できる全てを出しきった。それでもなお上を行かれたのであれば、俺に言い訳はない。

 誰でもなく、誰にもなれず。本名すら捨てた識別名ワーズワードの俺には似合いの最期だ。

 大口を叩いておきながら、ここでいなくなることに多少の罪悪感があるが、死とはそういうものである。ルルシスに話を通しておいてよかった。あとのことは彼女がうまくやってくれるだろう。


 受け入れる――できれば痛くなければいいんだが。

 

 ナイフが俺に届く寸前、声が聞こえた。

 やや懐かしい、その声――

 

「たわけめがッ! ――受け止めよ【コール・シルバーシープ・シールド/銀羊盾】!」


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