Jet-black Juliette 14
北辺衛星都市『サイラス』・土の市開催場内
人数にすれば百に届かない程度の囚われの獣人たち。
土の地面に杭が打たれ、その杭につながる鉄の足枷がはめられている。その代わりに、彼らを間仕切る鉄製の柵には人が通れるすき間もたくさん開いているし、天井も取り付けられていない。
つまりこの檻は逃亡防止というより客の安全のためにあるのだろう。
倉庫内をざっと見渡した限りでは猫耳をつけた男女が多い。そう言うとまるでオンリーイベントの会場のようではあるが、現実はそのようなメルヘン☆ニャンダーランドではなく、どこまでも辛辣な人権侵害の光景である。
空いている檻はないので、凱旋行進で見かけた獣人たちはこれで全員なのだろう。
それぞれの檻には金額と名前の書かれた木板が結ばれているため、入札形式で値段をつけて、最後に最高値の客に引き渡す方式なのではなかろうか。
獣人たちの扱いには多少の差がある。
土の地面の上で泥にまみれて座り込む年少及び中年の獣人たちと、すのこの敷かれた檻の中でやや高級な衣服を着せられている若い女性たち。
二分すればそんな感じだ。
その中でも更に別格の扱いを受けている者が二名いる。
一人は遠目にも目立つ皚い髪を持つ女性で、特徴的なお耳のかたちは豹……それも雪豹の獣人だろうか。柵に結ばれた札の数は二十を超えている。
もう一人はライオンっぽい立派な鬣を生やした屈強な壮年の男性である。
こっちは両足の足枷に加え手枷もつけられ、更に一人だけ天井付きの頑丈な檻の中に捕らえられている。
鞭で打たれた跡があり、雪豹子さんとは別の意味での特別扱いだ。
それぞれの檻の中で雄叫びを上げている獣人たちの中で、ライオン氏だけは声もあげず、微動だにしない憎しみの瞳でこちらを睨んでいる状況だった。
そのライオン氏が唸るように口を開いた。
「……我らの目には人族の驕慢と暴力のみが映る。村を焼き、生命を奪い、手足を縛ったのはお前たち人族だ。そのお前たちが、今度は我らを助けるだと? そのような言葉、信じるに値しない」
憎しみ……は俺個人ではなく人間全員に向けられた感情だな。
ここにいる獣人集団を一つの紗群と見れば、その群兜は間違いなく彼だろう。
ライオン氏の流す血はここにいる全員の血である。
故に軽々にセスリナの言葉にも感化されないし、俺の言葉も信用しない。
彼を動かすことがまずは行動開始の第一歩か。
「突然現れた俺に疑いを持って当然だ。本当にそんなことができるのか。どんな方法でそれが可能なのか。そもそも俺という人間が信用に足るのかと。
故に、この俺――『ワーズワード』がお前たちに力を貸す、その価値はお前たち自身の目で判断してくれ」
「貴様にはなにもできはせん!」
「そうかもしれない。言っても今できるのはこんなことくらいだしな。解放せよ――」
皆の見守る中、舞台上の俺は大きく腕を振り上げる。
そこに集めているのは四つの白源素と一つの黄源素。源素図形は正方形を底面にもつ四角錐。
「――【コール・ジマズ・アイアンシャックル・リベレイション/地神鉄枷解放】」
魔法発動の【コール/詠唱】(不要)と共に、皆を拘束する鉄の枷が水銀の如くドロリと流動し、地面に流れる。
土壌成分から鉄塊を生み出す【ジマズ・アイアン・ベリー/地神鉄果実】の魔法に黄源素を追加して金属の制御効果を向上させるオリジナルマジック――発生させる効果ごとに適当な魔法名称をつけているが、俺以外に同じ魔法を使う奴がいるわけではないので、そこはどうでもいいだろう。
枷から解放され、身体の自由を取り戻した獣人たちが、大きく目を見開いて地面を流れる鈍色の流れを凝視する。その視線はそのまま俺に向けられ、一拍の無音の空隙の後、
「「うおおおおおおおおお!!?」」
と再びの雄叫びが大気を震わせた。
さっきのは喜びの雄叫び、そしてこれは驚きの雄叫びだろうか。
こういう獣チックな叫び声に、俺としてはまずウルクウットを思い浮かべてしまうだけだが、狼族に限らず、獣人さんというのは基本うるさい生き物なのだろうか。
太陽のような大火球魔法を使うパレイドパグの存在だけでも驚きであろうに、駄犬とは別に、この俺が全員の手枷足枷を一度に解放する広範囲魔法を使うだなんて、彼らにしてみれば想定の範囲外に違いない。
しかし演出は大事である。目に見える信用のカタチとしてのだから、それを助けようという俺がライオン氏にも及ばない能力しかもっていないのであればそもそもが問題外だ。
でもって、どれだけ強力な魔法が使えても、それがパレイドパのような子供と言って過言ではない未成熟な外見では、ライオン氏的に微妙な気持ちにならざるを得ないだろうが、その点俺は外見的にも内面も完全完璧な大人の男性なので大丈夫だ。『行動なき言葉は無力であり、言葉なき行動は無価値である』。言行一致を示してこそ、この俺が口だけではないことの証明となる。まずは一つ、こんなものだろう。
「うにゃああ、姉ちゃぁぁん!」
「ああっ、よかった、本当によかったッ」
解放された獣人たちが己の家族、友人、あるいは恋人の元に駆け寄い、抱き合って無事を喜ぶ。
さて、足枷やら鉄格子やらを流体化させて皆を拘束の軛から解放したわけだが、魔法効果から言えば、今の状態は魔法発動途中というステータスである。
そもそもこのオリジナルマジックは、俺の想像したとおりの造形を金属でつくり上げる魔法なわけなので。
地面を流れる流体金属の川は倉庫中央、俺のもとまで集まってきており、それを一つのカタチにするところまでがこの魔法の効果である。
ただの鉄塊でもいいが、折角なのでなにか考えるか。
そうだな、ぶっちゃけなんでもいいんだが……こんなのはどうだろうか。
一つ一つは小さな枷も全員分を集めれば、二トンを超える質量となる。それが噴水の如く立ち上がり、見る見るうちに頭、腕、胴体と、人の形を成していった。
はじめにそれと気づいたのはもちろんパレイドパグだ。というか、パレイドパグ以外には伝わらないネタだしな。
「あ? ここでコレとか、誰もわからねェだろ。ほんとテメェは悪ふざけばっかだな」
「だから面白いんじゃないか」
「女の人ですね。なのに勇敢なお顔で……なんだか不思議な感じがします」
「なになに。これって、誰の像?」
感想を言い合うシャルとセスリナにはまだしも余裕がある。
獣人さんたちは驚きの連続で、もはやそれを凝視するしかできない。
高さはやや見上げる程度の縮尺1/20スケール。右手に松明を掲げ、左手に独立宣言書を抱え持つ像。
「これは『自由の女神像』という」
「女神……」
「自由を司る女神さみゃ?」
神の名を出した途端、皆の瞳に敬虔さが宿った。
『自由の女神』というのは、像の名称でしかないのだが、もしかしたら本当にそういう女神がいるのだと誤解させてしまっただろうか。
「聞いたことはないが、熙鑈碎様の眷属だろうかおおお……なんと神々しい」
「ありがたや、ありがたや」
「女神さまが導いてくださるにゃ!」
うん、完全に誤解しているな。そのようなつもりで申し上げたのではない。
「もしかして、ワーズワードさんの世界の……ですか?」
「ああいや、概念的な意味での神ではないんだ。だが、象徴的な意味なら神といってもいいかもしれないな」
「がいねん。しょうちょう」
シャルの口から、音だけをひろった単語が繰り返される。
「……つまりは自由と独立の意味を持つ像だということだ。『自由』とはなにか。
『すべての生命は平等につくられている。生存と自由、そして幸福を追求する何者にも侵されざる権利を与えられている』。
それが像が持つ独立宣言書に記載された最も有名な一節だ」
「生存……自由……幸福……」
「幸福を追求する、権利――ッ」
「それって、わたしたちにもあるのにゃ?」
生存。自由。幸福。権利。そのための闘争。そんな、どこにでもある言葉を、まるで初めて与えられた真新しい言葉であるかのように心のなかに収めていく獣人たち。膝を折り、頭を垂れ、それをそのまま祈りのカタチに昇華する。
「像が枷を踏みつけているだろう。加えて説明するなら、この像は自由を得るための闘いの先頭に立ち、皆を導く者の姿を象っている。『自由』とはただ与えられるものではない。その権利を害するものがあれば、闘い、抗い、そして己の力で勝ち取るものでもある」
「やっぱり神様にゃ!」
「ああっ、女神さま」
「気高き自由の女神よ!」
パレイドパグの登場からセスリナの宣言、そして俺の魔法行使までこれまでたくさんの驚きがあったはずだが、それら全てがこの祈りに還元されているようだった。
しかしこれは……ちょっと悪ノリがすぎただろうか?
顔を見合わせる俺とパレイドパグ。
集めた枷(=不自由の象徴)で自由の女神像(=自由の象徴)を作るというアイロニカルでシニカルな俺の小ネタを一笑に付したパレイドパグの反応が実は一番正しかっただなんて、さすがの俺でも今からは言いづらい。
『どうすんだ、これ?』という駄犬の視線の動きに、俺は『しらん』のジェスチャーを送る。
音のない静寂に――歌声が聞こえてきた。
自由を得る たった一つの方法を教えてあげる
君を騙して権利を奪おうとする人がいる 力づくで枷に嵌めようとする人がいる
そんな人たちと 友だちになろうとがんばることに意味はない
彼らは君の友だちではない それどころか敵なんだ
敵ならば敵らしく対決しよう
闘おう 立ち向かおう
そうしてはじめて 得られるものがある
自由を得る たった一つの方法を教えてあげる
自由を得るためなら何でもやるぞと そう敵に知らしめてやることだ
命が奪われる暴力を 許さないで
檻に捕われる支配を 打ち壊して
君が自由を手にすれば 多くの仲間が君を尊敬するだろう
敵が君を認めるだろう 世界が君を見つけるだろう
そうしてはじめて 自由を叫ぶことができる
闘おう 命のために
闘おう 未来のために
闘おう 誰かのために
それができることが 本当の自由なのだから
音のない震撼、というのだろうか。
静謐でありながら倉庫内はエネルギーに満ちていた。
原曲名は『自由への代償』。声の主はセスリナ・アル・マーズリー。そのアカペラ。ほぼ完璧な翻訳だった。
歌詞については文章として意味が通るように一度教えてやっただけなのだが、それを完全に曲として成り立つレベルで歌いきりやがった。
これが才能というやつだろうか。今日のセスリナには驚かされてばかりだな。
「これって、自由の女神さまを讃えるおうただったんだね!」
歌い終え、興奮に意気込んだセスリナが鼻息も荒く、俺に迫ってくる。
えっ、ちがうよ?
「ぐおおおおおおお!!!」
と、そこで巨大な咆哮が倉庫内の空気を震わせた。
震源はライオン氏だ。
濡れた頬。滂沱の涙は滝となって流れ落ち、その表情から不信と警戒の色を洗い流していた。
その身を突き動かす衝動を抑えきれないといったように、額をゴンゴンと何度も地面に打ち付ける。
心の叫びが慟哭となって涙とともに溢れしているのだ。
「我は獅族のレオニード・ボーレフ! ワーズワードといったか。貴様……いや、貴殿に我はこれまでの全てを詫び、贖わねばならない! 貴殿は我らを枷より解き放ち、女神の威光にて、進むべき道を指し示した。自由を得るための闘い。抑圧への抵抗。それこそ我らの求めしもの! 貴殿は我らの闘争を祝福する者か!」
レオニードという名のライオン氏だけではない。見ると倉庫内の獣人たちはみな、その瞳に力を漲らせていた。
自由の女神像とセスリナの歌は、俺が想像する以上の何らを彼らに与えたらしい。自由を得るための闘い。それは彼らにとっての正義だが、獣人奴隸を合法とするここ法国では反逆行為である。それを行うには勇気がいる。その勇気が、今の彼らの瞳には宿っているのだ。
そう、人には承認欲求がある。承認欲求とは他者から認められたいと思う感情であり、何らかのハンデキャップを抱える社会的弱者や己に劣等感を持つ者ほど、より強くそれを求める傾向がある。
数として少数である獣人は種それ自体が社会的弱者だ。彼らにとって承認欲求は常に満たされぬものの一つである。
そんなとき、自由を司る神の言葉と、自由のための闘争を承認する賛美歌を聞いたことで――神の承認を得たことで――大きな精神的後ろ盾を得たのだろう。その経緯にはやや誤解があるが。
なんにしても、己の行動を誰かに承認してもらうこと。他者承認。それが彼らの勇気につながったのだ。
一方、他者承認ではなく自己承認のみで承認欲求を完結させられる者もいる。その多くは孤絶主義者の資格を持つ者であり、誰の承認も必要とせず、ただ一人で世界を敵に回したところで小揺るぎもしない。
どちらも強い力を発揮するものだが、孤絶主義者のそれは、少なくとも『勇気』と呼ばれる類の力でないことは確かだ。
俺は冷静にライオン氏に答える。
「祝福するのは俺の役目ではない。俺はお前たちと対等な関係の中で手を貸してやろうというだけだ」
「獣人でもなく、それだけの強大な魔法を使う貴殿が、我らと対等だと?」
レオニードが問い返す。
「できることの差でいうなら、俺はお前ほどの筋力はないし、それだけ血を流したら俺なら死んでいる。まずその考えかたを改めるんだ。個人の能力などただの個性にすぎない。俺もお前も、ちょっと耳の形が違うだけの――同じ『人間』なのだと」
「なんと……我らを人と呼んでくれるというのか……ッ」
「ワーズワードさんっ」
「わお、いいこと言うじゃない」
キラキラと瞳を輝かせるシャル。セスリナの場合は、自分が貴族出身なのだという危機感をもうちょっと持った方が良いな。人類皆平等の思想があんまり広がるとそれはそれで貴族制度の崩壊に繋がるわけなので。
この世界の常識から見れば、聖人君子のようないいコトを口にした俺に、尊敬の視線が集まる。
そんな中、ただ一人駄犬だけが疑いの眼差しで俺を見ていた。
そして小声で問いかけてくる。
「何企んでやがる、ルーキー。テメェにゃそこまでコイツらに肩入れするような理由はねェはずだろ」
「なんてことを言うんだい、パレイドパグくん。獣人の獣人による獣人の解放。なあんて素晴らしいことじゃあないかい」
「……それで確信したぜ。聞かせろよ。あんだろ、テメェが動く理由をよ」
「なんだ、本当にわからないのか。『|おかしをくれなきゃ、イタズラしちゃうぞ(トリック・オア・トリート)!』。そういうことだ」
「なッ!」
全てを説明する必要はない。その一言でパレイドパグには全てが伝わる。
見開いても小さな三白眼が目一杯見開かれた後、全てを理解した駄犬が悪い笑みをその口元に浮かべた。凶悪な瞳を輝かせ、なにかを口にしかけたとき、
『かっかっかっかっかっ!』
それは全く意識していなかった場所から聞こえてきた。
女の笑い声? 誰だ。
倉庫内にいる獣人の位置はさっき【地神鉄枷解放】の魔法を使う時に、全員分取得済みだ。倉庫内には俺たち以外誰もいないはずである。
「誰かいるのか」
信じられない思いで声の主を探した俺は、更に信じられないものを見、信じられない声を聞いた。
影が沸き立つ、というのだろうか。死角で見えなかったという距離ではない。背中の気配に敏感な俺であれば、絶対に気づいていなければおかしい近い距離。そこに黒一色の人物が立ち上がったのだ。
どうやって隠れていた。いや魔法で今現れたのか。それにしては周囲に浮かぶ源素図形もなく、魔法を行使した形跡もない。
漆黒の衣服を着込んだ小柄な女が口を開く。
『ワーズワード、まさしく想像を超えた若者にござるな。あまりに雲の上をゆく発想を聞き、思わず隠形が解けてしまったでござる。リズロットめが余計なことを言わねば、無様を晒す前に全てが終わっていたでござろうに、これではプロ失格。拙者もまだまだ未熟にござる』
漆黒の姿に似合わぬ、あっけらかんとした声。それはこちらの言葉ではなかった。
地球上の、それも俺の最もよく知る言語である。そしてその漆黒の衣服は――やはり何度見ても忍者ルックの黒装束である。
『日本語。日本人、なのか?』
『このような異邦の地にて、同郷同士他人行儀になることもあるまい。先に名乗り申す。拙者はジャンジャックにござる。本名は必要あるまい』
ジャンジャック。ジャンジャックと名乗ったか。
というか、ござるとか。
『……あ、アーアー。ご丁寧にどうも。俺はワーズワードだ。本当に貴方があのジャンジャックだと? そのネイティブな発音は間違いなく同郷なのだろうが、俺に貴方を同郷と思える要素は全くないぞ。まるでまた別の異世界に飛ばされた気分だ』
『かっか。無理なきことにござる。拙者でもそう思うでござろう』
闊達な笑い声がさらに俺を混乱させる。ディールダーム・リズロット・ジャンジャック――どこかの時点で彼ら、いや彼女らとの接触は想定していた。だが、その人物像があまりに想像を超えている。さすがの俺もこれがコスプレでないことは見てわかる。
あの名状しがたいジャンジャックの中身がマジモンの忍者さんだとは。その事実は異世界の不思議を一通り体験した俺から見てもファンタジーだった。
こんな人材を抱えていたなんて、『ベータ・ネット』って実はすごい人間の集まりだったのだろうか。リズロットの名が出たが、ジャンジャックがこの姿を見せたのであれば、ヤツなら絶対大興奮しただろ。
多くの驚きの中、ジャンジャックが人好きのする笑みを見せた。
その笑みがやっと俺に危機感を取り戻させた。
日本人にしか判然らない、日本人だから判然る、そのこわい笑みに。
『トリック・オア・トリートと申したな。そのお遊び、主君に代わり拙者が受けるでござる。と申しても拙者、身も心も主君に捧げし乙女。いたずらされるのは困るゆえ、代わりに――拙者の『甘き死』を受け取ってくだされ』