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ななしのワーズワード  作者: 奈久遠
Ep.7 黒い瞳のジュリエット
82/143

Jet-black Juliette 13

 『アルトハイデルベルヒの王城』・地下階段前

 

「私に案内できるのはここまでだ」

「かまいません。ありがとうございます、フィリーナさん」

「王が私のことをそう呼ぶのは仕方ないが、そなたのような年上の男性に名を呼ばれるのは、あまり慣れていないんだ。すまないが、私の事はアグリアス執務官と呼んでほしい」

「わかりました、フィリーナさん」

「……」


 ここまで案内する会話の中で、フィリーナは目の前の男性が王と同質の人間なのだと理解していた。

 

「先ほどお願いした件、どうか王へ伝えてくれるよう頼む」

「ええ。それはボクが直接伝えますので、神官さんへはまだ返答してはいけませんよ。これは絶対です」

「わかった」


 地下へ続く螺旋階段の前で別れる。それ以上先へ進むことはフィリーナには許可されていなかった。

 王城の地下へと続く螺旋階段には鉄格子が降ろされ、自由に行き来できない。数年前、先王の時代には地下牢として利用されていたはずの場所だが――

 螺旋階段の奥へと消えてゆくリズロットの背中を見送るフィリーナ。

 

「そういえば、王の言葉の中に『レニ』の名を聞いた気がしたけれど」


 法国での『レニ』の名は聖国での『アラナクア』のそれに近い。

 違いがあるとすれば、アラナクアが畏怖の対象であるのに対して、レニの名は敵意の対象だという点か。

 濬獣ルーヴァが提示する不可侵条約は、当然のことだがその濬獣自治区と境を接する個別の人間国家との間で取り交わされる条約であり、それを受け入れるか否かは人間国家側の意志が大きく影響する。法国国内に存在する三つの濬獣自治区――レニ治窟、パルメラ治丘、リーリン治礁――その中でも毒ガス吹き出すパルメラ治丘や絶海のリーリン治礁はそもそも人の住める場所ではないので、そんな魔境を濬獣なる獣人が支配していても法国にとっては痛くも痒くもない。だが王都に近く、広大な地上の森と広大な地下の坑道という多くの天然資源を抱えるレニ治窟はそうではなかった。

 歴代の王は皆その地を欲し、レニの提示する相互不可侵条約を受け入れることなく兵を動かし、時には四神殿の力を借りてでもその存在を排除しようとした。だがどれだけの大軍を送ってもレニ治窟を人間の支配下に置くことはできなかった。

 狐族のニアヴが宿動魔法を得意とし、兎族のアラナクアが跳躍魔法を得意とするように、レニもまた他に比類ない独自の魔法を習得している。そして、それは一対多の戦場で最大の効果を発揮する魔法であるため、数百、あるいは千を超える兵士を揃えたところで、たった一人の濬獣を斃すことができないでいたのだ。

 自然、その不満と苛立ちは同じ獣人種族に向けられ、月日が進み各国で獣人の地位が向上していっても、ここ法国だけは獣人が奴隸の身分から解放されることはなかった。

 となれば、パレイドパグが感情を爆発させ、セスリナが間違っていると断罪した今の法国の現状について、その原因の一端はレニと法国の関係の中に求めることができるかもしれなかった。


 フィリーナは考える。

 聞いたことはないが、もしや王はレニなる濬獣を既に王城の地下牢に囚えているのか?

 そんな思いとともに再び地下へと伸びる螺旋階段へ視線を移す。


「……よそう、それは私の職分ではない。私には私の仕事がある」


 頭を振って、考えを切り替える。

 アルカンエイクは他者に無関心な王だ。質問したところで答えてはくれないだろう。

 無関心な分、国の運営は先王の時代から変わらずゼリド宰相を筆頭とする優秀な文官たちに任せられており、それが昨今の法国繁栄の要因でもあるので一概に悪いとも言えないのだが。

 今は無理でもいずれ国政に興味をもってくれればいい。より良い王に。そう導いてゆくのが紗群アルマである自分の役目なのだと。


 今のフィリーナはアルカンエイク不在時の王権代行者という高い地位にある。

 実際には国の運営に影響をあたえるほどの役職ではなく、ゼリド宰相の裁可の下りた書類に玉璽ハンコを押すだけの執務であるが、それでも自分には不相応な地位だとフィリーナは考えていた。ただ王族の生き残りだという理由で据えられた地位だと。

 それでも、自分が国のためにできることがある。それがフィリーナには嬉しかった。そしていつか、今の地位に見合う自分になりたいと思う。自分の全ては法国のためにあるのだと。


 スッと背筋の伸びた美しい姿勢でフィリーナが踵を返す。

 しかしその足取りにいつもの軽快さはなかった。思考を切り替えたとはいえ、自身の心のなかに漠と残る不安までは消すことができないでいたのだ。

 上級神官が危機を持って伝えてきた謎の男の存在。それに呼応するように帰還した王、一緒に現れた異質な雰囲気を持つ数人の男女……アルカンエイクという王自体がそもそも謎の多い人物だが、その関係者も謎ばかりだ。

 彼らの間にはフィリーナにはわからないつながりがある。そこまではわかるが、どのようなつながりなのかはわからない。故に不安が生じるのだ。


 足を止め、胸元でぎゅっと拳を握る。フィリーナは窓越しに空を見上げた。

 主神・靜爛裳漉マルセイオの瞳の色に例えられる、青く澄み切った高い空だ。

 だというのに。

 

「嵐がくる――」

 

 フィリーナの唇からこぼれた言葉は、それとは全く別のものだった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「うーん、何が悪かったんですかね。ちょっと服を脱いでほしいと頼んだだけなのに逃げられてしまいました。全く、あんな魔法があるなんて詐欺もいいところです」

「地下にいるのは鷺の獣人でござったか」

「ええ、詐欺でした。これはジャンジャック。ボクを待っていてくれたのですか」


 一時間とかからず、地下からアルカンエイクの私室まで戻ってきたリズロットである。

 地下でなにがあったのかはわからないが、興味本位な目的は果たせなかったようだ。

 今、室内にはジャンジャックの姿だけがある。


「アルカンエイクは?」

「消えたでござる。文字通りの意味にて」


 つまりは、転移魔法をつかったということだろう。

 

「それは好都合。丁度アナタと二人きりで話がしたかったのです。おっと、言葉はわかりますか? 言語習得のため、こちらの世界の言葉を使うようにしているのですが」

「言語にかけては拙者の方がプロにござるよ。今はでござるが、いざ任務となれば、拙者どのような国のどの地方にも入り込めるでござる。人間じんかんに紛れる言語技能もまた忍びの術の一つでござれば」

「それはすごい。さすがニンジャ、奥ゆかしい」

「その表現は間違ってござるよ。もっと勉強するでござる」


 ジャンジャックはそう指摘するが、もしかしたら確信犯かもしれない。

 どちらにせよ、ジャンジャックがリズロットに一欠片の興味も持っていないことは明らかだった。


「拙者に話すことはないでござる」

「そういわず。ボクから一つ提案があるのですが、聞きませんか」

「主君以外の命は受けぬでござる」

「命令なんてしませんよ。例えばそう、ワーズワードの居場所がわかった、なんて話はどうでしょう」


 どこからか見つけてきた盥で黒衣の血を落としていたジャンジャックの手が止まった。

 立ち上がり振り返るジャンジャック。薄く膨らんだ胸にはさらしが巻かれているだけだ。

とはいえ、地球からの転移者同士が近くにいると視界が眩しすぎる。邪魔な光の粒――源素――のせいでその姿が明瞭ハッキリ見えない。

 さらしだから恥ずかしくないのか、源素があるから恥ずかしくないのか、リズロットを前に、特に己の身体を隠すことなくジャンジャックが人好きのする笑みを浮かべた。

 

「真実でござれば……他の者が特異すぎるゆえ、見劣ってござるが、リズロットもなかなかに優秀ではござらんか」

「本物のニンジャに名前を呼んでいただけるだけでボクは興奮を抑えきれません。できればもっとニンジャアニメのような良い関係を築きたいものです。そうだ、ボクを呼ぶときはエルの字なんてどうですか、ニホン人は打ち解けた相手をそんな風にイニシャルで呼ぶのでしょう。ボクもアナタのことをジェイの」

「却下でござる」


 とことん相性の悪い二人ではある。もっともジャンジャックと相性の良い人間など地球人口九十億の中を探しても、一人見つかれば良い方であろうが。


「早く言うでござる」

「おっと、手を振りかぶるのはやめてください。ボクの場合は普通に死んでしまいます」

「死なぬ主君がおかしいのでござるよ」

「そうですね。では、提案です。アルカンエイクの依頼は別にして、ボクにはボクの『目的』があります。アナタにもアナタの『目的』ある。そうでしょう」

「……」


 ジャンジャックは答えない。

 黒衣がなくとも漆黒の瞳と黒壇の黒髪まで脱ぎ捨てられるわけではない。ジャンジャックを包むのはこれまでとなんら変わらぬ漆黒のイメージだ。

 対するリズロットは金髪碧眼。ややくすんだ髪はウェーブがかかって縮れている。人目を引く美男子でもない。中肉中背で歳相応。どこにでもいそうな三十台半ばの男性であり、ジャンジャックとは別の意味でどのような国のどの地方にも溶けこむことができるだろう。

 地元民か観光客か。そんな相手を注目する人間はいないのだから。

 

「アナタの『目的』はボクのそれと合致する。求める結果の違いはあるでしょうが、過程においては間違いなく」

「……何が言いたいでござる?」


 笑顔の中に初めて警戒心を覗かせたジャンジャックに、リズロットは両手もろてをあげて、先制降参の意志を表示する。

 

「ボクに同行しませんか? アルカンエイクには内緒で」

「主君の目を盗んででぇとのお誘いでござると?」

「ええ、そのデートです。ワーズワードが今向かっているのはこの国の地方都市の一つだそうです。今なら先回りが可能です」

「……良いのでござるか? 拙者プロにござれば、主君の時と同じ失敗は犯さぬでござるぞ」


 自らの任務遂行能力に一辺の疑いも持っていないジャンジャックが冷静に告げる。

 『アルカンエイクの依頼とは別』と言う以上、リズロットの目的はワーズワードの死ではないはずだ。

 ワーズワードの居場所がわかったのであれば、一人で行けばいい。リズロットも孤絶主義者の一人である以上、誰の力を借りずとも己の目的を達成できるだろう。ジャンジャックに同行を申し込む理由がない。

 故にジャンジャックは問い返したのだ。

 

「言ったでしょう。それでこそボクの目的と合致するのです」


 相反すると思われる状況。だが、それはリズロットの中では整合性を保っているということか。

 ジャンジャックの静思は数秒。

 

「可し。その提案、乗ったでござる。拙者もワーズワードをこの目で見たいでござるし」

「同郷として気になりますか?」

「そんな良いものではござらんが、彼の者の報道が流れた時、日本の若者の中にも気骨のある者がおったのだと、拙者は驚きと同時に喜びもしたのでござるよ」


 求められた時代は遠く過ぎ去り、今では息絶えた忍びの世界。誰もいない世界にただ一人生きるラスト・ニンジャ、ジャンジャック。

 彼女の生き方の肯定は、今の世界の否定と同義である。

 彼女に自由になれということは、死の宣告と同義である。

 存在自体が相容れない。受け入れる術がない。


 ――ジャンジャックもまた孤絶主義者アイソレーショニストである。


「ワーズワードは自重しない自由の徒であり、ジャンジャックは命令を欲する。同じ国の生まれだというのに、アナタとワーズワードはまるで正反対だ」

「さもありなん。ベータ・ネットに集う犯罪者は皆個性的でござるが、その中でも拙者とワーズワードは対極にござろうなあ」


 ワーズワードは自己責任の自由に価値を見、ジャンジャックは使命の遂行に価値を見る。共通する価値観はそのどちらもが『善悪問わず』行動するという一点だけだろうか。

 それはワーズワードがワーズワードである限り、ジャンジャックがジャンジャックである限り変えられぬ絶対の因果にして、二人の道が交わらないことは必然の運命。

 リズロットはそれをとある戯曲に準えた。


「まるでモンタギュー家とキャピュレット家の悲劇のようです」


 それを聞いたジャンジャックは、ややの驚きを浮かべた後、腹を抱えるほどの大笑を見せた。

 

「かっか。その突飛な発想はまさに孤絶主義者でござるな」

「それほど外してはいないと思いますよ」

「かっかっかっ、さりとて拙者、毒を呷る側ではなく、毒を盛る側にござれば」


 戯言を切り裂くようにジャンジャックが高く掲げた腕を一本の刀に変えて振り下ろした。


「ひゃあ」


 二人の間には距離がある。届くはずもない手刀であるがリズロットは思わず身を竦める。

 元よりリズロットを狙った行動ではなかったのだが、アルカンエイクの一件を間近に見たリズロットが思わず目を閉じてしまうのは仕方のないことだろう。

 

 恐る恐る目を開くリズロット。

 と、今度はリズロットがジャンジャックに驚かされる番だった。


「なんと。ジャンジャック、それは」

「簡単にネタを明かしては、面白くござるまい。忍びの流儀に従い『粉隠しの術』とでも名付けようか」

 

 目を閉じた一瞬の間に何が起こったのか、リズロットにはわからない。だが、その変化は劇的だった。

 ジャンジャックが身に纏うまばゆい源素が綺麗さっぱり消失したのだ。

 地球からの転移者が皆持つらしい特別な源素の明るさは、忍びであるジャンジャックには邪魔なものだ。

 例えば、ワーズワードはジャンジャックがこのような黒髪の少女であることは知らないはずだが、身に纏う源素光量のせいでその存在が知られてしまうかもしれない。

 そんなこの異世界でしか起こりえない問題に対し、ジャンジャックはほんの小一時間で、新たな忍術を組み上げて解決してしまったのだ。事あるごとに口にする、自分はプロという宣言に嘘はないのであろう。


 もっとも、リズロットの驚きはそれとはやや方向が違っていたのだが。

 リズロットが感嘆をもって見るもの。それは今まで源素でモザイク処理されていた――上半身をはだけた黒髪クノイチの姿である。

 

「ワオ! イッツ、ホクベーガシツ!」

「何を言ってござる?」


 ジャパニメーションに魂まで毒されているニンジャ大好きリズロットである。鮮明な視界の中に見るジャンジャックの姿によくないハッスルをしてしまったとしても、それは無理からぬことであろう。

 ジャンジャックはリズロットの視線を追い、少し考え、リズロットの異次元語の意味するところをやっと理解し、得心を持ち、微笑んで、

 

 パン――ッッッッ

 

 首から上が消失する勢いで、その頬を張った。









 リズロットが死の淵から生還したとき、出発の準備は整っていた。


「かっか、転移魔法とは便利なものでござるな」

「……行きましょうか。行く先は『サイラス』という街です」


 アルトハイデルベルヒの王城から二人の姿が掻き消える。

 アルカンエイクには知らせず、それでいてジャンジャックを誘うリズロットの意図はどこにあるのか。

 そして、相容れぬジャンジャックとワーズワードの邂逅がどのような結果を引き起こすのか。

 

 これは、ワーズワード一行がサイラスの街に到着する以前の一コマである。

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