Jet-black Juliette 10
兵士の帰還を祝う凱旋行進は、突発的に発生するものではない。
魔法的な通信手段を平民が利用しようとすればその対価は高額になるが、ヒト・モノ・カネを自由にできる王族や上級貴族にとってはそうではないからだ。軍が戦場に【パルミスズ・マインド・ネイ/風神伝声】に代表される遠隔通信の魔法を扱う伝声官を従えるのは当然であり、さらに言えば、戦場こそが魔法的通信手段が最も重要視される局面でもある。
作戦行動指示や部隊命令はもちろんのこと、本国への戦況報告も重要な伝声官の仕事だ。となれば戦争の終結は比較的早い段階で本国中央に知らされ、そして、中央に伝わった情報はそこからまた国中に広がってゆく。
諸侯直轄でない町や村であっても、四神殿がその任を果たすため、世界各地の全く関係ない国や地域の戦争状況について、自分の村から出たことのない平民でもある程度の情報を得ることができていた。
広範な情報の伝達。それは風神神殿が担う役割の一つである。
そう言った理由があり、凱旋行進の予定は何日も前から――それこそ一月以上前から――街に知らされるため、迎える人々も事前に様々な出迎えの準備を整えることができるのだ。
周辺の村々から人が集まり、娘たちが着飾りはじめれば、皆の気分も自然盛り上がってきて財布の紐も緩んでくる。金の匂いを嗅ぎつけた商人たちが街に現れ、市が立ち、日頃目にできない珍しい品々が店先に並ぶ。そうすると、それを目的にまた別の人間が集まってくる。
人が集まり、金が動く。需要と供給の好循環。これが景気を動かすのだ。
そして、ついに迎える目的の日。
その勢いはまさに気炎の立つが如しである。
「ふぉぉぉぉぉ」
そんな街の様子を、キラキラとした見つめる一対の瞳があった。
場所は火の市の全てを視界に収められる、高い街路樹の上。
太い幹を持つ樹木で葉が厚く重なりあっているため、真下から見上げたところでそこに誰かがいることはわからないだろう。
頭の上からぴょこんと呼び出した耳と左右にふられる太い尾。獣人であることは間違いない。
そしてその人物はキツネを模した木彫の面をつけていた。
狐面の人物が立つ幹の反対側の枝に、もう一人の背の高い――こちらはウサギの面をつけた――人物が立っていた。
「――――」
「――! ――!」
葉のさざめきが二人の会話をかき消す。雰囲気だけ見れば、兎面の人物が発した言葉に、狐面の人物が激しく反論しているといったところだろうか。
きゅっと身を竦める兎面の人物。狐面の人物がもう用はないとばかりにひらひらと手を振って、追い払う様な仕草を見せた。
兎面の人物は逡巡の仕草を見せたのち、諦めたように背中から枝からぴょんと飛び降りた。
「――――」
枝の高さは地上10メートルを超えており、自殺志願者でなければ、猫の獣人でもない限り生きて地上には降りられない高さである。兎・即・死である。
あわやという状況。だがガサリと葉と鳴らした後、地上に落ちてきたのは数枚の木の葉だけであった。
兎面の人物の姿は何処へ消え去ったものか。
一人残った狐面の人物が、遠く高い位置から火の市を眺める。
と、そこに何かを見つけたらしく、獣の耳がピコリと動いた。
誰から見えるわけはないのに、さっと幹の裏に身を隠す。そっと覗く狐面の瞳に、また一つ、別の輝きが灯った。
◇◇◇
ふと、背中に視線を感じて振り返る。しかしそこには誰もおらず、感じた違和感もすぐに消え去る。
誰かに見られていると思ったが……まあ、これだけの人が溢れる市の中である。パッシブスキルとして、背中の気配に敏感な俺であるが、かわりにどうでもよい視線まで拾ってしまう『自意識過剰』の状態異常にかかりやすい。
このバッドステータスはあたかも自分が誰かに注目されているかのような錯覚を俺にもたらす。
確かにこの世界では殆ど見ない黒髪だったり、耳短か族出身だったりと、大多数を占める耳長族のみなさんからすれば、すれ違いざまに目を向ける程度特異な特徴は備えているとは思うが、それは単にもの珍しいから、というだけの話であり、俺個人に興味を持ってのことではない。
孤絶主義者とはそういうものだ。
つまり、この俺が世界に名だたる魔人どもからアルカンエイク並の評価を得ていたなどと、そんなのは駄犬の精神攻撃でしかない。そんな自意識過剰はありえないのだ。
「――その乱戦の中で、俺の槍がバキンと折れちまったわけだ。でも俺は慌てなかったね。鳥の様にさっと飛び退くと、そこに落ちていた別の槍を拾い上げたんだ。こいつは負傷した隊長が捨てていったもんでそこに落ちていることを俺は知っていたんだ」
それはそれとして、今俺は簡易露店の一角、話したがり屋な兵士の店の前にいた。
「で、その武勇談はこのナイフの由来とどう関係するんだ」
「別に関係はしないが俺の話を聞いて行ってくれよ」
火の市に並ぶ品々は戦勝品と言えば聞こえはよいが、平たく言えば略奪品である。
価値のある宝飾品や美術品などがターゲットになるなら判然るが、この兵士が売りに出しているものは木のコップや皿、それに瓶に入った調味料など、ごく普通の家庭で使われていたのであろう品ばかりである。他と比べてもガラクタ度合いが酷いので、この兵士は現地での略奪順が最後尾に回される程度には役立たずだったのではなかろうか。今必死にアピールしている彼の武勇伝も話半分、いや二割である。
こんな日常雑貨まで略奪対象にする法国軍はまっことオニチクであるが、そういうの、別に嫌いじゃないので非難はしない。
やりたいようにやればいい。その後ゆっくりと時間をかけて育まれる深い怨恨まで含め、ワンセットで自己責任である。
自己の主体が国家である場合、自国責任とでもいうのだろうか。
奪われたくなければ、奪われないだけの力を自分で手に入れるべきだろう。弱さを罪だとは言わないが、自分のことは自分で解決するのが筋である。
そんなことを考えながら、俺は手に取ったナイフをそのまま元の位置に戻した。
「待ってくれ、兄ちゃん。話を聞くのはまた今度でいいからそいつを買ってってくれよ。安くするからさ」
「いくらだ?」
「五……いや、三旛でいい」
「お前の目にはこれが三ジットの価値に見えるのか」
「ううっ」
言葉に詰まる兵士。まあ見えないのだろう。
というかそんな値段でいいのか。彼にはこれがガラクタにしか見えないのだから仕方ないが――俺としてはもとより購入予定で、財布を出すのに一時的に元の位置に戻しただけである。
「もらおうか」
「おお、買ってくれるのか! かっこいい兄ちゃん、ありがとうよっ」
本当に口だけ達者である。しかしこれは大変だ。
俺は多くの人たちで溢れかえる市を振り返る。人が多いということは源素の数も多いということである。遠目で得られる情報はない。
「このレベルの掘り出し物があるなら、できるだけ多くの店を見て回りたいが、さすがに時間が足りないな」
「あら、そんな錆びたナイフが掘り出しものなの? 刃も先のほうが欠けているじゃない」
「別に刃の部分は重要ではないからな。このナイフの価値は柄にある」
「柄? 私によく見せて。……柄に穴が三つ空いていて、そこにガラス玉が嵌っているのね。でも表面は疵だらけだし、色も濁っているわ。とても価値のあるものには見えないわね」
「投げて寄越すな。というか、誰だお前は?」
「まあ!」
なぜここで吃驚した顔が出る。
一人の女が俺の背中側から、購入したナイフを覗き込んできたのだ。思わずノリツッコミで会話をしてしまったが、正体不明な女に突然声をかけられた俺の方がよほど驚きだわ。
もしかしてさっき感じた視線はコイツのものだったのか?
年頃的には十代後半。身なりはそこそこ良い物を身につけている。そして源素光量は100ミリカンデラ以下。
本当に何者だ?
「そうね、初めて会ったんですもの。私のこと知らなくて当然だわ」
その顔には何かを思いついた表情。
嫌な予感しかしないな。
「私は……そう、『リゼル』なんていいわね。いい名前でしょ?」
リゼルと名乗った女が俺に小悪魔なウインクを投げかけてくる。
完全に偽名です。本当に。
「悪くない名前だ」
「ありがとう。それであなたはなんというのかしら?」
「俺か。俺はワーズワードだ」
「ワーズワード……外見だけじゃなく名前も面白いのね」
そういえば、俺の識別名も偽名といえば偽名なので、それで彼女を責めることはできないな。
まあ本名を名乗れない理由があるのだろう。女の本名に興味はないので別にいいな。
「外見は別に面白くはないと思うが……」
「あら、気に障ったのならごめんなさい。別に悪く言ったつもりではないのよ? その黒い髪と瞳が私の目を引いたということ」
裏表のないカラっとした口調。悪気や計算などといったものは持っていなさそうだ。警戒の必要な相手ではないな。
今の街の浮かれた雰囲気であれば、男が女に、女が男に声をかけることに大きな壁はないのだろう。
「さて、自己紹介も終わったところで教えて欲しいわ。そのナイフにどんな価値があるのかしら」
「変なところに興味を持つ女だな。教えてやってもいいが、ここでは場所が悪い。もしそれを知りたいのなら、もう少し人のいないところまで着いてきてもらう必要があるな」
「まあ。私のウインクに顔色一つ変えないから、奥手なヒトなのかと思ったけれど、いきなり暗がりに誘うなんて、積極的なのね。私襲われちゃう?」
驚きの表情、そしてわざとらしく身体をくねられるリゼル。
「よし、この話はなかったということで。機会があればまた会おう。さらばだ、リゼル」
「あん、ウソよウソ。怒らないで。かわいい私のかわいいお茶目じゃない」
そう言って、縋ってくるリゼルの姿には女性としての愛嬌がある。
実際、男の視線を集めるだけの容姿を持っている。触れることを躊躇われるシャルの可憐さや、美しさを論じる前にその御前にひれ伏してしまうルルシスの高潔さとも違う。仕草や行動の積極性で男性を魅了することに特化しているのだろう。意識してかせずか、一つ一つの動きが男の目を惹きつける。
そんな女性である。
「しかし、なんでそんなにこのナイフに興味を持つんだ」
「別にそんなに気にしているわけではないわ。でもあなたの姿はもう少し前から見ていたのよ。他の露店には目もくれず、一直線にあの店まで……そこで買うものが欠けたナイフで、それに私にわからない価値があるだなんて、ちょっとミステリアスじゃない?」
「そんな理由で声をかけてきたのか。つまりは好奇心だな」
「もう、どうして男の人ってそう言葉を短くしたがるのかしら!」
「そこで怒られてもな。それこそが男女の感覚の違いというのだろう」
「そうね。あなたと私は違う生き物、お互いわからないからこそ話していて面白いんですもの。そういう意味ではあなたは合格よ、ワーズワード」
「……評価痛み入る」
全く不要な評価だわ。
しかし、感情が後を引かない、本当に嫌みのない性格だ。頭も良いようなので、教育を受けた人物なのだろうな。
「場所を変えるというのなら、ご一緒させていただくわ。そのナイフだけでなくあなたにも興味が出てきたのですもの」
曇りのない笑みと共に俺に腕を絡めようとしてくるリゼル。
「それは回避」
「きゃ」
そんな意味不明な行為を諾と受け入れる俺ではないので、絡み取られる寸前で腕を抜いて体をそらす。最低限の接触で相手をいなす体捌きは合気道の真髄ともいわれるが、かなしかるらん、この奥義は現代日本人なら全員が会得しており、日本列島一億総マスターである(避けの技術のみ)
「普通そこで避ける? 信じられない」
「余計なことをせずについてこい。教えてくれと言うから教えてやろうというだけなのだから、腕を組む必要はないだろう」
「あら。もしかして恥ずかしかった? 純情さんなのね?」
「話を聞け。今そう言う話はしてない」
「ふふ、あなたのこと、一つわかったわね」
そうして、それがリゼルの必殺技なのだろう――俺に向かい、小悪魔なウインクを飛ばすのだった。
◇◇◇
サイラス『中央区画』・裏路地
中央広場を抜けて一本通りを越えたとたん、いきなり人が減って、朽ちた看板が並ぶ裏路地へと変わった。衛生的ではないすえた匂いが立ちこめ、思わず足を進めるのを躊躇する。
ユーリカ・ソイルだけしか知らなければあの街が国の副都と言われても、首をかしげるばかりだったが、こうして普通の街を見る機会があれば、あの街がどれだけ衛生的で機能的であったかがわかるな。
左右を板塀で囲われた細い裏筋。どこぞの店舗の裏手なのだろうが、やや奥まったその場所にはさすがに誰の姿も見えなかった。
「このあたりなら良いだろう」
俺は先ほど購入したナイフを改めて取り出す。
「どうするの。試し斬りをするのかしら?」
リゼルが疑問というよりも、不可解さを表現するようにそう口にする。
刃物を購入して人気のないところでその価値を確認するとなれば、まあそういう発想になるだろう。
「そうではない。あの場では人の耳が多かったので、説明しなかったがこのナイフには魔法の力が込められているのだ。そして、ここでこのナイフに付与されている魔法の効果を確認する」
「魔法の? それって、そのナイフがアーティファクトだってこと!?」
「イエス、ガール」
そう、ナイフの柄にはめ込まれた三つのガラス玉は単なる飾りではなく、その内部には源素図形が閉じこめられているのだ。
「戦利品としてナイフを持ち帰った兵士も、このナイフの元の持ち主もおそらくそんなことは知らなかったのだろう。そうでなければ、こんな粗末な扱いはされていないはずだ」
「だとしたら本当に掘り出し物よ! ねぇ、どんな魔法が使えるのかしら。見てみたいわ!」
「魔法の発動には作成者が定めたなにかしらのコマンドが必要だ。通常アーティファクトにはスイッチング機構――魔法効果を発動するための起動条件が設定されており、それが不明なままでは魔法は発動できない」
「えー、ダメなの」
「話は最後まで聞くものだ。通常はそうだが、俺はそれを解除して魔法の発動ができる。やってみよう」
店頭ですでに確認済みだったがもう一度ナイフの柄を、そこにはめ込まれた三つのガラス玉を観察する。
ガラス玉の中にはそれぞれ、色の違う三つの平面三角形が回転している。
一つ目は青源素x二、白源素x一の三角形、
二つ目は赤源素x二、白源素x一の三角形、
三つ目は緑源素x二、白源素x一の三角形。
一つ一つは源素数も少ない単純な魔法図形だ。だが、三つの魔法図形は連動した回転を見せていた。
つまり、これは静的図形を動的に組み合わせた、世にも珍しい合成魔法図形なのだ。
さて、どのような魔法が発動するのだろうな。
ガラス玉の中で回転する図形の動きを覚えたのち、停止の念を送り、その機能を一時停止する。その後再び動かすときに新しい条件を設定すれば、魔法発動の条件は上書きされる。
どのような魔法が発動するのか事前にわかっていれば更に細かい発動イメージを指定できるのだが、初めて見る魔法図形なので、とりあえずこの図形でどんな魔法効果が発動するのかだけを考える。
発動範囲は極小に。ナイフ形状のアーティファクトであれば、切断や破壊に類する魔法効果の発生が想定される。お試し発動とはいえ、人がいないところで行う必要があった。
そして魔法図形に使われる源素の色にも注目する。そうすることで、おおまかにどんな効果が発動しそうか魔法の属性を推定できる。
青源素が水属性、赤源素が火属性、白源素が土属性、緑源素が風属性――などというゲーム定番の属性などはないぞ?
確かに青源素は氷や水に関する魔法効果を発動するわけだが、それではさまざまな魔法図形に含まれる白源素はどうなる。
全部土属性魔法だとでもいうのか。
そうではない。そうではないが、敢えてこの源素色を属性として説明するならば、青は『弱い力』属性であると言える。低下、停滞、下降。あるいは固定、安定、均衡。この属性効果が温度に働けば水や氷となり、認識に働けば【マルセイオズ・アフォーティック・ゾーン/水神黒水盾】のような認識阻害の魔法になる。
同じく赤源素について考察すれば『強い力』属性だということになる。上昇、強化、増加。そして破壊、変化、波動。そのため赤源素を含めた魔法図形は炎になり、熱線になる。本家【アンク・サンブルス/孵らぬ卵】の魔法効果の一つ『魔法増幅』の効果が発動するときに、虹の円環がうっすら赤いシャボンの膜へと姿を変えるのも、そこに赤源素のもつ属性効果が現れているためだろう。
そして、あらゆる魔法の根幹に含まれる白源素は『物理』属性を持っていることになる。『弱い力』『強い力』といった実体のない魔法効果を現実世界に物理の存在として出現させる。故に様々な魔法図形に含まれ、その効果の根幹を為すのだ。
白源素四つで構成される【ジマズ・アルケミック・ベリー/地神創成果実】の魔法がそのものズバリ金属塊を生み出す魔法なのも納得だろう。
ここまで言えば全部説明する必要はないだろうが、緑源素は『空間』属性。黄源素は『制御』属性という理解を行っている。
それは発動される個別の魔法についての知識ではなく、その魔法を生み出す源素についての知識。
語る相手がいないので誰に話す機会もなかったのだが、この異世界で一〇日もの長き日数を過ごしてきた俺である。全くの無手からの魔法研究でも、これくらいの属性分類はできて当然だろう。
と、今は研究成果を脳内で取りまとめている場合ではなかったか。
リゼルには十分安全な距離を取らせ、俺は無造作にナイフを突き出す。
空間を袈裟懸けに切る動きに合わせ、新たな魔法発動のコマンドワードを設定する。
三つの三角形。そして、ナイフの形状。
そうだな、発動のコマンドワードは――
「トリニティ・スライド」
とかどうだろうか。
キカカカ――ッ
三連の発光が一瞬視界を奪い、その後目の前に日本円換算三〇〇円で購入したアーティファクトの魔法効果が現れた。
「おおお……」
「わ、わわわ。なにこれ――ッ」
俺とリゼルは想定外のその光景に思わずため息を漏らした。
俺の源素理論に従えば、これら白源素を含んだ二色の平面三角形が発動する魔法効果の傾向は見えてくる。
物理的な効果をもつ『弱い力』
物理的な効果をもつ『強い力』
物理的な効果をもつ『空間的な力』
源素数をみれば、氷や火や風を起こす程度の弱い魔法であることが想定される。
――だが、それら三つが合成されて発動した場合、それは思いもかけない強力な属性変異を引き起こすようだった。やはり初見の魔法図形は実際に発動させてみなければその効果はわからないものだな。