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ななしのワーズワード  作者: 奈久遠
Ep.7 黒い瞳のジュリエット
78/143

Jet-black Juliette 09

 二つの月が輝く夜の下で眠りにつき、また日が昇った。

 ゴワゴワした寝具から抜け出して、月が一つうっすら残る朝の空を見上げる。

 早朝の空は白く澄んで、そして高い。こうして空を見上げただけで爽快な気分になれるのだから、人間とは安い生き物である。

 明るい太陽。陽光を連ねたヘキサゴン・チェインの眩しさに思わず目を細める。俺の目覚めに続くようにフェルナと御者くんが立ち上がる気配をみせていた。

 

 軽い朝食の後は、すぐに馬車での移動が始まる。

 夜の明かりの貴重な世界では一日の始まりは早いのだ。

 俺は夜に強く朝に強い体質なので、夜明けと共に行動を開始することに苦痛はないが、駄犬はそうでもないようで朝食をパスして馬車の中で眠り続けていた。

 やっと目覚めたのは、馬車が動き出してからである。

 

「眠そうだな」

「あんまり寝れてねぇんだよ」


 昨日の話が尾を引いているのだろうか。退路が断たれたくらいでそんなに動揺するとは、実はとてもセンチメンタルな心を持っているのかもしれない。


「同じ服を三日連続とかありえねェ。しかもこんな狭い馬車の中で……ハッ、テメェ、こっちの匂い嗅ぐんじゃねーぞ!」


 などとイミノワカラナイことを申す駄犬。


「訂正。お前の精神はダイヤモンドだ」

「何の話だよ」

「そもそも、お前の服装は浮きすぎだ。そんなんじゃ、街についたら注目を集めるぞ」

「それだったらテメェも同じだろうが」

「俺のは無地の黒シャツだしな。よほど近くで見ない限りそれほど違和感はない。だがお前の場合は原色ストライプのハイソックスの時点で明らかにおかしい」

「いいじゃねーか別に」

「まあそうなんだが」


 俺も浮いているかどうかを指摘しているだけであり、別に誰がどう思おうと構わなければ良い話ではある。


「あの、街についたら、服屋さんにご案内します。私の替え着ではパレイドパグさんには少し小さいでしょうし」

「へー、この世界の服屋か。期待はしてねぇけど、興味はあんな。そうだシャル、おめェの服もアタシが見繕ってやんよ」

「ふぇぇ!? 私はパレイドパグさんみたいにお洒落なのは似合わないのでっ」

「遠慮すんなって。キャハハハ!」


 あのパレイドパグにこれほど気に入られるとは、改めてシャルはすごいな。

 そこでセスリナがはいはーいと手を挙げて話に加わってきた。


「それだったら私も行きたーい。私だっていきなり馬車に乗せられて、なんにも着替え持ってないんだもん」

「はいっ、セルリナさま。ぜひご一緒しましょう」

「そいや、そのローブどういう作りになってんだ。下には何着てんだ?」

「きょわー、めくらないでー!」


 遠慮もなくローブの裾を持ち上げる駄犬。その下がどうなってるのか、そういえば俺も知らないな。

 情報収集に励む俺の視界が暗転する。

 

「ワーズワードさんは見ちゃダメですっ」

「はい」


 シャルさん、ナイスカバーです。

 どんな感じだったかはあとでフェルナに聞くことにしよう。


「まあ、あれだな。三日間馬車の旅をして、必要なものもいくつか出てきたところだ。街で買い物をする時間を作ろうか。王都まではあと二十日近くかかるという話だし、急いでも仕方ない」

「ありがとうございます、ワーズワードさん」

「次の街の名はサイラスだったな」

「正式には『北辺衛星都市・サイラス』といいます。ユーリカ・ソイルに比べれば規模は小さいですが、それでも活気のある街です」

「北辺衛星ねぇ。なんというか堅い名前だ」

法国ヴァンスは魔法を司る四神殿の聖都を中心に置く国です。聖都は法国だけでなく、マルセイオ大陸の中枢都市。魔『法』の王『国』の名が示す通り、法国は四神殿の影響力が強い国なのです」

「魔法の王国……そう言う意味で法国なのか。一つ勉強になったな。しかし、王都か聖都か呼び名は統一した方がいいだろうに」

「それは違うよ。法国の王都・アルトハイデルベルヒと聖都・シジマは別の街だよ」

「おっと、そうなのか。であればそこは俺の勘違いだな」


 完全に同じものだと思っていたわ。


「ただ、王都と聖都――アルトハイデルベルヒとシジマは連絡馬車で二時間程度の近い距離にありますので、観光や巡礼目的で法国を訪れる場合は、両方の街を見て回るのが一般的です」

「結構詳しいんだな」

「色々と調べましたから」


 それにはやや苦笑を見せるフェルナだった。


「サイラスはフェルニの村から歩いて丸二日ほどの距離です。昨日の移動で既に半分以上を進んでいますから、街にはすぐに着けるでしょう」


 ユーイカ・ソイルとフェルニの村が40~50km程度だったはずなので、フェルニの村からサイラスまではおよそ100kmというところか。

 大湿原を越えてからは、たまに草食獣の群れが遠くに見えるくらいで、あとは見晴らしの良い草原が広がっていた。土地が余っているというよりは、空いた土地を埋めるほど人口がいないんだろうな。

 戦争を行うよりも内政を充実させたほうが、国力の伸び代は大きそうだ。侵略は国内に開発できる場所がなくなってからでも遅くないと思われる。

 まあ、そんなのは俺が考える必要のない話ではあるが。法国には法国の、アルカンエイクのやり方があるのだろう。

 何にしても俺もユーリカ・ソイルしか知らないのだ。今しばらくは情報収集という名の異世界観光を楽しませてもらおう。



 ◇◇◇



 景気の良い破裂音が間断なく鳴り響いていた。

 大きな歓声は兵士の帰還を喜ぶ声である。

 道の両脇を埋める娘たちが花びらを撒き、サイラス伯の乗る戦車の進む道を文字通りの花道に変える。四台の戦車の後に続くのは一五〇騎からなる騎士の一団。出発したときから一騎たりとも欠けていない。その後ろに徒歩の兵士が従う。各々が槍の穂先まで磨き上げ、誇らしい笑顔で沿道の娘たちに手を振っている。

 列の最後尾には生きた戦利品、縄をかけられた獣人奴隷が従う。希少種や若い娘は価値を下げぬよう檻車に入れられているがそれ以外はみな徒歩である。

 その数たるや行進する行列の約半分。大成果である。

 住人たちは常勝無敗の王の名を唱えて、法国の繁栄を喜んだ。

 

 戦争、それも大国同士が争う戦争ともなれば、強大な魔法が応酬する生者必滅の戦場いくさばだ。訓練を受けていない兵士の生死を別けるものは、単純に運。それが全てではないが運の要素が非常に大きい。

 出征――戦争への参加――は国民の義務である。王より領土を賜る貴族は己の領内で精強な騎士を育て、戸籍に応じた人数を徴兵する。

 戦場の花形といえば、機動力を生かした騎士と大規模破壊を引き起こす王直属の魔法軍だ。たとえば聖国の朱軍ラス・ケイオンは世界最強の一角を担い、赤に統一された軍装は立ちはだかる者全ての命を刈り取る恐怖の象徴である。

 単純な魔法使いの質だけであれば、四大紗国の間に大きな差はないだろう。個々の質なら法国の方が上であるとも言える。

 だが、聖国には『名も伝えられぬ古の王国』の遺跡が多く存在する。そこから発掘される生きたアーティファクトの保持数は列強の中で随一であるのだ。

 たった一つのアーティファクトが戦況を一変させる。数あるアーティファクトの中には現代に伝えられない魔法効果を発するものも存在するので、画一的な対策が講じられないのだ。

 それは聖国での話であるが、そうでなくとも真っ当な戦闘訓練を受け、圧倒的な機動力を誇る騎士と、神の偉大な力を操る魔法使いの力、それが無数にぶつかり合うのが大国同士の戦争である。そして、そんな彼らの華々しい活躍もその裏で戦線を押し上げ、数的優位を維持する兵士の存在があってこそ。

 戦闘力は弱くとも数で圧すのだ。

 とはいえ、やっぱり弱いので騎士と魔法使い、そのどちらとぶつかっても兵士は死ぬ。

 運が良ければ死ぬほど痛い思いをする程度で生き残れるだろうが、痛いのはいやだし、それで戦闘不能になって戦功を挙げられなければ、その痛みに釣り合わない僅かな給料しか支払われない。

 戦争に負ければ更に悲惨で一ジットすら支払われないこともある。そこが国民の義務のつらいところだ。


「おー、なにか知らないが、ものすごい盛り上がっているな」

「凱旋行進ですね。法国は今アルカンエイク王という最強の王のもと、常勝無敗の国となっています。北辺のサイラスから遠い戦場に兵士を出しても採算が取れるほどに、法国貴族は皆戦争をしたがっています」


 それ故に、戦争に勝つ――勝利の凱旋はどこの街でも市民総出での盛大なお祭り騒ぎになるのだ。



 ◇◇◇



 法国北辺衛星都市『サイラス』・宿場街。

 

 サイラスは広い草原の中のポツリとある街だった。街の周囲は壁ではなく、木々の茂る林で区切られている。人口が増えれば、少し林を伐採すればその分街を拡張できるな。街には一部石造りの建物も見受けられるが、殆どは木造建築の街だった。シャルの村のように木をくり抜いて住んでいるわけでもない。こうして比較すれば、やはりユーリカ・ソイルが特殊な街なのだということが判然る。

 豊富な材木資源が手に入りやすい以上、やはり加工のしやすさで木造建築こそが主流なのだ。

 外見的には牧歌的な街なのだが、中に入ってしまえばそこそこ商店も充実しており、なによりも活気に満ちた元気の良い街だった。

 ユーリカ・ソイルの半分ほどの広さ――というのがフェルナ情報だ。

 でもってこの凱旋行進。街は帰還パレードの真っ最中だった。

 

「これは良いタイミングと言っていいのだろうか?」

「どうでしょう。例えばダート-ン卿が心変わりをしてサイラスの領主様に私たちの捕縛を要請したならば、今列をなしている全ての騎士と兵士がこちらに向かってくるかも知れません」

「なんだその感想は。お前は心配症だな、フェルナ」

「そうでしょうか」

「そうだぞ。丸々と太っているが上級神官ジグラットといえば、四神殿でも特級の魔法のエキスパートだ。そのエキスパートが俺の魔法能力を知った上で、そんな選択肢をするかどうか」

「太っているかどうかは関係ないと思いますが……」

「それにだな。もしそうなったらそうなったで良いこともある」

「は……街の全ての兵士が敵になって『良いこと』ですか?」

「いや、それはどうとでもなることなので良いも悪いもない。もしそうなれば、俺は裏切り者のダートーン卿にお仕置きをしなくてはいけなくなる」


 村での突発的な戦闘状況では、ちょっと威嚇しただけで誰一人傷つけなかった俺であるが、その後サリンジと俺は一対一の交渉を行い、王都まで同行するという合意、約定を結んだ今の状況で同じことが再び起れば、同じ結果にはならないということだ。

 思想と表現は自由であるので、サリンジがその丸々した腹の中で何を考えていても別にいいが、もしそれを実行に移すようであれば、それはサリンジ本人の意志の発露である。

 であれば、俺もそれ相応の本気度を持ってサリンジにお仕置きをすることになる。

 

「【フォックスファイア/狐火】は夜の明かりや熱源として有用だが、その効果で人体を焼却する場合どの程度の火力が必要か。【マルセイオズ・フローズン・アックス/水神氷斧】の魔法は大規模破壊をもたらすが極小で発動すれば、腕を一本だけ切り落とす程度の小さな斧を作ることができるのか。また、その場合の威力は。【ジマズ・アイアン・ベリー/地神鉄果実】の魔法は土壌の成分から鉄塊を生み出す魔法だが、鉄分ならば人体にも僅かばかり存在している。それをベースに魔法を発動した場合、どうなるか」


 そんな、別にどうしても検証したいわけではないが試せるならば試してみよっかという検証的科学の精神。『好奇心で猫を殺す』は俺一押しの格言である。


「本人意志による裏切りがあれば、俺も一切の自重なく本気を出す。人間たまには本気を出しておかないと、心の刃がさび付いてしまうものだ」

「プひー、プひー、プひー! そんなことは軍女神・熙鑈碎カグナに誓ってせぬ!」


 後方から過呼吸を起こしながらの必死の否定が返ってきた。

 いや、俺は別に否定は求めていないのだが。

 

「お、いたのか。いいんだぞ、無理しなくても」

「無理などと。ワーズワード様はアルカンエイク王のご友人にして、同格の魔法使い。賓客、それも国賓にございますれば」


 神官の礼儀なのか、サリンジは左手を右胸に沿えて深々と頭を下げた。その襟首がしっとりと汗に濡れている。汗っかきな体質なのかな?

 俺はフェルナに向き直り、


「だそうだ。やはり心配のしすぎなんじゃないかな?」

「そういうことをされるので、私は警戒するのです……」

「お待たせしました」


 と、そこでシャルたち女性陣が宿から出てきた。

 火神神殿上級神官ジグラット・カグナルと法国精鋭騎士隊がご宿泊する宿である。街の中央通りに近い好立地で高グレードの宿なのは当たり前だ。宿は敷地内に馬車を二〇台止めてもまだ余る広い厩も備えていた。

 その全てが埋まっているあたり、馬車を持つほどの金を持った上客が多く宿泊しているようだ。まだ日は高いことを考えると昨日からの連泊だろうか。

 

「私どもはサイラス伯への戦勝労いがありますので、出て参ります。今日は戻らぬやもしれませぬが、どうかご心配なさらず」

「好きにするといい。俺たちはこのまま街に繰り出す」

 

 宿の前でサリンジと別れる。

 宿の正面入り口は馬車のロータリーを兼ねた庭園となっており、一つ柵を越えた先が中央通りである。今日は中央通りが使えないという話を街に入るときに聞いていたので、宿には裏通り側の門から入り、こうして正面側に出てきたわけだ。ちなみに、街に入る足税そくぜいも宿の支払いも全てサリンジ持ちである。ビバ権力。

 色々と準備のある女性陣を待つ間、俺とフェルナはここから柵越しに凱旋行進を眺めつつ、サリンジで遊んでいたのだ。

 なんだかんだで兵士の列が全て通り過ぎるまで待たされたことを考えると、女性の行動準備時間の長さは今も昔も、地球も異世界もそんなに変わりはしないらしい。

 そのお陰でもう中央通りに出て歩ける程度には人が減ってきていた。

 

「聖都には行ったことあるけど、この街ははじめて。ユーリカ・ソイルに負けないくらい活気のある街なんだねー」


 セスリナがぴょこぴょことはしゃぎながら、柵越しに通りを窺う。

 

「その中でも今日は特別らしいぞ。凱旋行進というのがあったようだ」

「そうなんだ」


 行列の過ぎ去った中央通りを、街の住人が皆同じ向きに歩いてゆく。

 

「すげーな。青い髪がこんなにいっぱいいるのかよ。さすがにもう妖精フェアリーなんて呼んでられねぇな。妖精がこんなにいるんじゃ、ありがたみがねぇ。どっちかってーと、サイバーパンクだぜ」

 

 異世界のファースト・タウンということで、パレイドパグも好奇心を覗かせる。シャルの村は残念ながら文明的な香りがしなかったしな。パレイドパグは今やっと異世界の文化に接したのだ。

 ド田舎な背景と素朴な服装込みで人々を見ればサイバーパンクとは言いがたいが、地球では染めない限り発色しない髪の色がこれだけいるのは、やはり現実離れしたイメージがある。

 

「法国の人々は、なんというか目に優しい感じがするな。暖色系だ」


 間違いなく青い髪の耳長さんが一番多いのだが、聖国に比べて、緑色の割合が多い。

 青一色で石造りの街並みのユーリカ・ソイルより、木造の街で住人も緑髪のサイラスの方が断然目に優しい。


「大陸南方は昔から六足天馬・卷躊寧パルミスの加護が強く、緑の髪が多いのです」


 髪の色や肌の色は優性遺伝が大きく関わる以上、この世界では青い髪色が優性なのは明白だが、青と緑以外にも赤や紫といった髪色の人がいる以上、遺伝結合による色素の混合や発色度合いの強弱など、そこには多様なパターンがあるのだろう。

 と、その知識をもって、神や魔法に関するこの世界の常識を否定するわけではない。たかだか百数十キロの距離なのに、国が違えば人も文化も大きく変わるものだと、そう感じただけの話なのだ。

 

「それはそうと、皆が向かう方向にはなにかあるのか」

「凱旋行進があったということは、火のいちが立つのでしょう」

「火の市?」

「兵士が戦地より持ち帰った戦勝品を売る市です。戦勝の女神に感謝を捧げる式典から始まったということで、火のいちと呼ばれます」

「そう言えば皆パンパンに膨らんだずた袋を槍に提げていたな。なるほど、戦地から持ち帰った品々も金に変えなきゃただの荷物か」

「言っててもしゃーねぇ。行ってみようぜ」

「そうしよう」


 納得して、俺たちはお祭り気分な人波に混ざり込み、流れのままに歩みを進めた。



 ◇◇◇



 幾つかの路地を通り過ぎた先に、大きく開けた広場があった。

 石畳や日干し煉瓦など皆無のただの土の地面なので、ちゃんと設計された広場というより、空き地、公園の類だろう。

 そこに、ゴザや布を敷いただけの小さな露店が所狭しと広がっていた。

 店主の多くは男性で、身につけた粗末な革鎧から先ほど行進していた兵士がそのまま店を出しているのだと判断できた。

 オロオロとするばかりでものの売り方を知らない青年もいれば、複数人で店を出し、威勢の良い声で客引きを行っている者もいる。

 そんな簡易露店の数は二〇〇を数えるだろうか。即売会バザールでござーる。

 勿論、店を出しているのは兵士ばかりではない。右手にサチアロ串を売る店があれば、左手は果実水ピリア果実酒ピエリを売る店だ。帽子を売る店、細工箱を売る店、靴を直す店、パンを焼く店、はては不埒な賭け事で客から金子を巻き上げる店まで、どこまでも雑多な露店が軒を並べる。

 それらは街の商人がこの市に便乗して出した出張店なのだろう。

 

 帰還兵の中に目的の相手を見つけた女性が、男の名を呼びながら駆け寄ってゆく。黄色い花の髪留めは、この日のためにあつらえた新品か。

 普段は薄い藍染めの粗衣と前掛けのみで農耕に従事しているのであろう娘たちも、今日ばかりは胸元が大きく空いた艶やかな服を身に纏い、こぞって市を歩いては男たちに声を掛けられることを楽しんでいるようにみえる。

 戦争の終了。凱旋の行進。それは街への男性の帰還でもある。今日の日を待ち望んでいたのは男ばかりではないのだ。

 

「すっごい人~!」

「へー。うまそうな匂いがすんな。ちょっとアレ食ってみようぜ」

「はいはい。金を渡すので、とりあえず人数分買ってきてくれ」

「あのお店見てみたい!」

「行ってくるといい。俺はこの辺で場所を確保しておく」


 お祭り気分? いや、これは完全完璧にお祭りだ。

 一通りの食べ物に満足すれば、次はさまざまな芸人が俺たちの目を楽しませる。

 力自慢がハンマーコックで鐘を鳴らせば、火吹き男は天を焦がし、青岐鳥スイートリのハネを挿した吟遊詩人は即興恋歌で人を集める。集まっているのは若い娘の嬌声と男たちからは妬みの視線。足して割れば、その評判は半々と言ったところか。

 活気と熱気と陽気なダンス。戦争に勝利しての凱旋とは、人はこれだけの活力を与えてくれるものなのか。

 

「ワーズワード様。申し訳ありませんが私はこの後、別行動を取らせて頂きます。街に住む同業者を当たって少しでも先の情報を得たいと思います」

「ああ、街の中なら危険もないだろうしな。情報収集よろしくたのむ」


 そういうお役立ちは俺としても大変助かる。良い情報は同じ重さの金塊と等しい価値をもつ。


「それじゃ私たちは衣服屋さんだね」

「はいっ、パレイドパグさんの着るものなので、市ではなくて、ちゃんとしたお店の方に行きましょう」


 兵士の出す簡易露店の中には女物の衣服を売る店もあるが、そういうのはスカートの破れを修繕し、胸元に跳ねる赤黒い染みの跡を落としてから並べるべきだろう。血なまぐさいわ。


「パレイドパグ、二人は任せたぞ。もしなにか危険があったらその辺の家か木を燃やしてくれ。それで俺も気付くだろう」

「そんときゃ、家だ木だのケチくせェこといわねぇで、テメェごとこの街全部派手に燃やしてやんぜ。キャハハハ!」

「ああ、その方が俺も気付きやすいな。ではそれで頼む。フェルナは氷の剣を持っているし、巻き込まれても最悪なんとかなるだろ」

「はわわわわ」


 俺と駄犬の会話に青ざめるシャル。こればっかりは慣れてもらうしかない。

 そもそも駄犬の魔法力では街の半分くらいしか焼くことができないだろうから、そこまでの心配は無用だしな。

 

「あなたは来ないの?」

「女同士、俺のことは気にせず買い物を楽しんでくると良い」

「おー。大人の気遣いだ」


 感心を見せるセスリナだが、すまない……俺は女性陣の買い物に付き合いたくないだけである。それも服選びとか100%鬼門です。一対一ならともかく、女三人集まればなんとやら。無限に流れる時間も今このときを切り取ればそれは有限である。俺は俺でこの時間に効率的な情報収集を行いたい。

 

「わかりました。では行きましょうか、セスリナさま、パレイドパグさん。すぐそこに見えているお店です」

「あっこか。んじゃ、先に行っててくれ。アタシもこれ飲み終わったら行くからよ」

「あ、すみません。待ちましょうか?」

「気にすんなって。待たせるようなモンじゃねーよ」

「それじゃ先にいってようか、シャルちゃん」

「はい……ではお店でお待ちしていますね」

「ああ」


 そこだけを聞いていると、まるで駄犬が普通の女の子のようにも思えてしまうな。不思議!

 皆がそれぞれ離れていき、二人きりになったとたん、駄犬がキッと俺を睨み付けてきた。


「テメェ、今なんか失礼なこと考えたろう!」

「えっ、ゼンゼンナニモ」


 なにこの超直感、野生のわんここわいわ。


「しかし、アルカンエイクが王をやっている国というのは、もっと荒んでいるものかと思っていたのだが、これは評価を改めなければならないな」

「ハッ、あの外道が人の生活なんて考えて動くわけねー。大方、こいつらの生活なんかにゃ興味がないだけだろうぜ」

「そうも思うが断定はできないだろう」

「いいや、できるね」


 自信を持って言い切るパレイドパグ。その言い切りは根拠のない推論とも思えないが……


「生身のアルカンエイクが『ベータ・ネット』で見せる人格の通りである保証はないだろ。それともお前はなにかアルカンエイクの情報を持っているのか?」


 もし、パレイドパグがアルカンエイクの情報を持っているのであれば、それは大変にありがたい。


「んなもんねェよ。けど、テメェは『ベータ・ネット』でも生身でもそんなに変わらねェじゃねぇか」

「俺はな」

「なら、ヤツも一緒だ」


 屋台のテーブルを挟んだ向こう側から、人差し指で俺のことを指しつつ、そんなことを言う。

 

「なんだそれは」

「テメェとアルカンエイクは似てる。テメェがそうなんだから、あの外道もやっぱり生身でも外道なんだろうさ。これ以上ない根拠だろ」


 俺とヤツが似ている? それはない。


「相手はあの『世界の初めての敵ファーストエネミー』だぞ。革新的な発想、底の見えない人格に天才的な技術力。表面こそ道化の面を被っているが、それでいて全てのエネミーズがヤツには一目を置いている。たった一人で世界を相手にする孤絶主義者アイソレーショニストがその能力を認めている。それがアルカンエイクだ」

「その言葉をそっくりそのままテメェに返すぜ。アタシらはテメェにもアルカンエイクと同じソレを感じてんだよ」


 即座に反論しようとした俺だが、パレイドパグの思わぬ真剣さを秘めた瞳に何も言えなくなる。そんな俺の様子にクックと忍び笑いを見せる駄犬。してやったぜ、というような笑みだ。


「同じ『エネミーズ』でも能力差ッてのはある。あんま言いたかねェが、アタシ程度はどいつにも認められてねぇだろうよ。『ベータ・ネット』で、アタシに話しかけてくれたのはテメェくらいだ。『トリック・オア・トリート』だってテメェが入ってくるまでは、そりゃあ殺伐としたモンだったぜ。それこそ、周りは全員『敵』だってな。その中で実力を認めた同士、話の合う同士が不気味につるんで世界に害悪をばらまく。クソどもにお似合いの肥溜めだ。でもよ、ワーズワード……テメェが来てから、ベータ・ネットは明らかに変わった。変わっていった」

「……」


 まるで俺に言い聞かせるかのような口ぶりで言う。

 俺が居なかったときの『ベータ・ネット』の話か。そんなものを聞いたのは初めてだな。


「対等とは言いつつ、他の誰も遠慮のあった『三人』を皆と同じ所まで引き下ろした。あのディールダームがいくらかでも喋る様になった。ガチでぶつかって叩きつぶしたヘイズホロウのプライベートを抜いてばらまくのを、テメェはやろうと思えばできたはずだ。だがテメェは何事もなかったかの様にヘイズホロウを『許した』。……そう言うのはアタシらには衝撃だったんだよ。なんでもアリのベータ・ネットで本気でぶつかって、でも許す――最終最後の致死傷までは与えないって不文律はテメェが作ったモンなんだ。誰でもを相手に、自分の全ての本気を出して『遊ぶ』。それができる様になったのは、テメェが入ってきてから。『トリック・オア・トリート』は本当の遊びに変わった。だからワーズワード――『エネミーズ』の全員がテメェのことを認めてる」


 この俺が認められている? あの魔人・怪人の跳梁跋扈するベータ・ネットで?

 俺は沢山の否定の言葉を用意する。俺はどこにでもいる普通のハッカーなだけで、それ以上でもそれ以下でもない。世界の敵同士、互いの能力はもちろん認め合っている。しかし、パレイドパグが今言ったことはそれとは少し違う。能力ではなく、人格――俺という存在を認めるという話である。


「聞いたことのない話ばかりだ。そもそもヘイズホロウとガチでぶつかったという記憶がない」

「ハッ、そう言うのを上からってんだ。あれだけ派手にやって、どうせテメェっは、自分はどこにでも居る普通の人間だ、とでも思ってんだろ」


 ぐむむ。だからなんなのだ、その無駄に高性能な直感力は。


「もっと自分を客観視しろよ、世界最高賞金首ッてのがテメェの絶対評価なんだよ。それを何事もないように振る舞ってんのが、テメェ自身の実力で、んでもってテメェが孤絶主義者だっていう理由だろうぜ。そんだけの技術力を持ってンのに、そのなんでもねーって態度の方がアタシにゃ理解できねーぜ」


 パレイドパグが言う。


「だから、アルカンエイクがテメェの排除に動いたのも、ディールダームやリズロットがその話に乗った理由もアタシにはなんとなくわかるぜ。ジャンジャックの野郎はしらねェがそのご主人様の方は間違いなく――みんな、テメェを認めている。だからこそ、テメェに関わる理由があるんだ。アルカンエイクの見つけたこの世界に紛れ込んだのがテメェ以外の誰かだったらアルカンエイクは絶対にアタシらに声なんてかけなかったろうよ。テメェがワーズワードだから。それだから、あのアルカンエイクは動いたんだ」


 本当に俺がみんなに認められていた? あのアルカンエイクと同等の評価を得て?

 敵味方の違いはあれど、アルカンエイクとディールダーム、それにリズロットやパレイドパグのような『本物』を本気にさせるだけの価値が俺にあると、そう駄犬はいうのだ。

 俺はグッと拳を握りしめる。男であるが故に、大人であるが故に強く握る。


 でなければ、俺の身を包むこの喜びが弾けてしまいそうだった。


 そんな恥ずかしい行為をこのような天下の往来で見せるわけにはいかない。子供ではないのだ。

 そんな俺の姿を、駄犬がにやにやと見つめる。

 これはいけない。

 だから俺はちゃんと言い返す。


「俺がそれだけ認められていたらルーキーとは呼ばれないだろう」

「それを認めねェから、てめぇはルーキーだってんだよ」

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