Jet-black Juliette 08
「……次に、この硬くて食べられないパンを砕いて粉にします」
「これ、村で普通に食べているパンの硬さなんですけど」
「訂正します。この硬いけど普通に食べられるパンを砕いて粉にします」
「はいっ」
シャルが鉄剣の腹でパン鉱石(モース硬度3)を押しつぶす。パン鉱石は押される度に細かく砕け、粗いパン屑になってゆく。
「下拵え最後の工程です。均等に切ったサチアロの肉を謎麦粉、溶き卵、パン粉の順につけていきます」
謎麦粉は謎麦を石臼で挽くことで得られる白い粉だ。硬いパン鉱石の素材にもなる用途の広い粉で、パンになるのだから『麦』と言いたいところだが厳密には麦ではないと思われるので謎麦という呼称で落ち着いている。
旅糧としてのパンは保存食として焼かれているので、水気がない。故に硬い。俺では文字通り歯が立たない。
となればあとはもう砕いてしまうくらいしか方法がないじゃないか。つまりはそういうことである。
暇を持て余した騎士たちが料理風景を眺めにきていた。
近くに集まってきていない騎士たちも倒木を椅子代わりに、鎧兜を磨きながら流れるバックグラウンド・ミュージックに耳を傾けている。
「ストップ、半音低い。もっと弦を押さえる指に意識を向けて、音を聞き分ける。そこはミではなくファだ。最初は目で覚え、次に指で覚える。今はまず目で見て確実に位置を覚えること」
「ご指導ありがとうございます」
流れるBGMはフェルナの奏でる『きらきら星』である。
おフランス生まれのこの曲はバイオリン入門曲としても有名であり、弦楽を志すものであれば避けては通れない道である。
俺は遊びにも趣味にも手を抜かない性質である。手を抜かない以上、フェルナにもそれ相応の努力を要求する。
どこかの酒場や街角で聞いた曲の音だけを記憶して、同じように再現することがフェルナにとっての音楽だった。楽譜を読んだことはないという話で、それでいてそこそこ弾けるというのは、さすが長耳の絶対音感である。が、基本なくして発展はない。学習してもらおう。
そんな、やや厳し目の指導に、演奏を誰からも習ったことのないフェルナは瞳を輝かせて従っていた。本人は趣味の音楽を知識として学べることが本当に嬉しいようだった。
こちらの世界の音楽の基礎を知らないことが逆に良かったのかもしれない。フェルナは俺の教える地球の音階で楽器を弾くことに抵抗を感じてはいない。これならば上達は速いだろう。
そんなフェルナの弾く覚えたての旋律に高い女性の声が重なる。
「♪キラキラひかる お空の星よ」
「樹翅が光ってどうする。擬態語だといってもそのままでは意味が通じないだろう」
聖国語に翻訳した歌詞を歌うセスリナにコメントを入れる。
「うーん、難しいよ。じゃあこんなのはどうかな。煌々と輝く』とか」
歌詞の翻訳には言語の直訳だけでなく、リズムを崩さない言葉選びのセンスが必要だ。
ふむ、
「歌詞に深みがあり、韻も悪くない。……いいんじゃないか」
作詞の経験などないはずのセスリナである。となればこのセンスは貴族としての教養の賜物か、はたまた天然の才能か。
「やった! フェルナくん、もう一回最初からおねがい」
「はい、セスリナ様」
「♪きらきらひかる お空の星よ」
うん、悪くない。
セスリナもこの素朴な童謡が気に入ったらしい。
フェルナにしても、自分の奏でる楽器に声を乗せてくれる相手がいるというのは、練習だとしてもやる気の出ることだろう。
火のついた竈。手順を確かめながら丁寧な作業で料理を行う少女に、優しいメロディを歌う声。
ゆったりと、それでいて柔らかく流れる時間だった。
であるのに、なぜに俺だけがこんなに忙しいのか。
右往左往と……いやそれではやや表現がおかしいな、右に左にと、忙しく向きを変えては助言と指導、そして騎士たちの動向チェックも忘れない。
そんな俺の背中をさっきからちくちくと針のように突き刺してくる視線が一つあった。
「笑いたければ、笑えばいいだろう……逃亡に失敗した男の哀れな背中を」
「なんも言ってねェだろうが。大体テメェも口じゃ面倒面倒言いながら、結局断らねぇし。お人好しつーか、面倒見がいいっつーか」
「いや、そんなことはないぞ。機会さえあれば今すぐにでも逃げ出す準備はできている」
「ワーズワードさん、下拵えが終わりましたっ」
「あ、はい。では次は鍋の油を熱します。パレイドパグさん、温度調整をお願いします」
「つか、なんでシャル相手のときだけ言葉遣い変えてんだ」
「そういう仕様なのです。お前もいちいち無駄口を叩いていないで動け。源素の制御と魔法効果の維持は魔法を使う上では重要な要素だ。新しい魔法を覚える前にまずは一つを使いこなせるように。これも全て魔法訓練の一環、お前のためだ」
「わかってっよ。だからこうして文句も言わずやってやってんだろ」
文句も言わず?
それはちょっと意味が判然らないが。
【フォックスファイア/狐火】の焚き火を制御するパレイドパグ。石で囲った即席の竃の上には同じく即席で作った大きな中華鍋。俺のオーダー通り火力を調整し、フライに適した温度まで鍋の油を熱していく。
「ハッ、この程度余裕だぜ」
という横顔の頬がヒクヒクと痙攣している。ある意味で最もキツイのはパレイドパグである。源素の維持、というよりBPMの――はじめて扱う受動型擬似人格の――維持に苦労しているのだろう。そこに全精神力そして全体力を注ぎ込んでいる。強がりを見せているつもりがバレバレだ。
まあ、嫌いじゃないけどな。そういうの。
無理をするなとは言わない。無理が必要なときもある。無理を通して、初めて得られるものがある。
インブランツエイジズ――特にこいつの場合は、無理なくしては生きていけない理由があったのだろうしな。
そんなことを考えてしまったせいか、俺はなんとなく、本当に自分でも意識しないままパレイドパグの頭ナデナデしてしまっていた。
駄犬がビクリと不可視の尻尾を逆立たせる。
「にゃあ!? イキナリなんだよ!」
「うお、俺もびっくりした。なんでこんなことを。もしかして疲れているのか?」
「意味がわからねェよ!?」
といいつつも振り払ったりはしないパレイドパグ。ナデナデをやめない俺。
灰褐色の髪は主人の性格に似たツンツンの感触で、跳ねた横髪は撫でつけても直後にすぐにピンと跳ね上がる。
炎の照り返りが駄犬の横顔を赤く染めていた。
と、そこに油の温度上昇を待っていたシャルがトトトトと近寄ってきた。
そのまま俺に背を向けて、パレイドパグの隣に腰掛ける。
「……なんでしょうか、シャルさん」
それには答えず、首だけで振り返って、期待に満ちた瞳を俺の空いた左手に注いでくる。
その所作でシャルさんのいわんとするところが何となく判然ったが、イヤ、仮にそうだとすると、そんな状況はおかしかろう。
とはいえ、相手は現地時間で一週間以上を俺と過ごした経験値を持つシャルである。多少なりとはいえ、俺の弱点を理解している。
「……」(チラリ)
「……」(気付かない振り)
「……」(チラリチラリ)
無言の圧力。それは抗いがたい俺の弱点の一つである。
くおおお……どうなってもしらんぞ。
……ナデリ。ナデリ。
右手でパレイドパグを、左手でシャルをナデナデする。
シャルの透き通るように青い、絹にも似た滑らかな髪。いやそうではなく、こんなダブルナデナデな状況は圧倒的におかしいだろうと言っているのだ。
免許持ちの保父職であっても預かり子をナデナデなんかしようものなら、即通報されるご時世だ。それがダブルとなれば、顔出し実名報道で人生終了待ったなしである。
「えへへ……」
まあ、嬉しそうだしいいか。時間よ過ぎろ、疾く過ぎろ。
そして、そんな苦悩を滲ませる俺に生暖かい視線を注いでくる騎士どもとは視線を合わせない。
「これが我らを圧倒した魔法使いの姿か」
「然り。なんとも気の抜ける御仁であるのだな」
「気が抜けているのはお前たちだろう。なぜこっちのキャンプに集まってくるんだ。自分たちの陣地に戻れ」
「固いことは言いっこなしだろーよー?」
「向こうは男むさい上に神官があれこれ指示してくるんだぞ、やっていられるか」
「それに引き換えこっちは歌に音楽の楽しそうな雰囲気、なにより女がいる」
「それは仕方ない」
「ああ、仕方ないとも」
「あのな……だったらだったでいいが、多少は神妙にしておけ。お前たちにはシャルを拉致しに来たのだという立場があるだろう」
「拉致などと。それこそ認識の違いではないのか。法王は偉大な王だ。辺境の樹村に住む娘には想像できぬだろうが、王城の暮らしは決して悪いものではないはずだ」
「仮にその反証を成り立たせたいなら、礼をもって迎えるべきだった。槍をもって迎えに来た時点でその反証は破綻している」
「それは――」
「やめておけ、ワーズワード様の仰るとおりだ。私もこのような任務、不本意ではあったのだ。フェルニ殿、どうか許して頂きたい」
慌ててシャルが立ち上がる。
「あの、私は大丈夫ですからっ。私も法王様のところにいくのは納得していたんです。でもそれは納得じゃなくて諦めだったんだってワーズワードさんに気付かせてもらって……だから私はもう諦めません。逃げたりもしません。法王様にちゃんと説明して、私の気持ちをわかってもらいたいんです。ですから、どうか私を王都まで連れて行ってください」
「フェルニ殿」
攫いに来たはずの相手にこんなことを言われては、誇りを重んじる騎士の立場がない。過去の恨みを持たない――未来だけを見つめるシャルの高潔な精神に感化されるように、騎士隊長のバミューズは深く頭を下げた。俺が言ったからということでもないだろうが、今こそ彼らは槍ではなく礼をもってシャルに接したのだ。
実直なバミューズの在り方を知れば、村での蛮行はサリンジが強制してやらせたものだということも判然ってくる。自国民でないとはいえ、無辜の民相手に槍を振るうなど本来騎士のやるべきことではない。
力こそ正義な文明レベルの世界ではあるが、ますますサリンジの……というか四神殿の評価が下がる話でもあるな。
「さて、鍋の加熱も十分です。次は衣を付けたサチアロ肉をゆっくりと油の中に沈めます。油跳ねにご注意を」
「はい」
自分たちのキャンプに戻るつもりのない騎士たちはとりあえず放っておいて、料理の指導を継続する。
大量の油をつかうはじめての料理に、耳をピンと尖らせて慎重な作業を継続するシャル。
ジュっという豪快な音に、周りからは歓声すらあがる。
「不思議な料理法だ」
「俺も料理については詳しい方だが、あのようにパン屑をつけた肉を油に通すなど聞いたことのない」
「しかし、昨晩の例がある。きっと美味い食い物になるのだろう」
「違いあるまい」
「あのな。楽しみにするのは良いが、それならお前たちも食材は提供しろよ。さすがに20人を越える人数は賄いきれないぞ」
「おお、それならば!」
「にッ」
集まっていた八人の騎士たちがそれぞれ持ち運んできていたカゴの中身を取り出して、力強い笑顔を見せた。
屈強な男たちの手には長いパンに酒瓶、ハムの塊、それに野菜や赤い果物などが握られている。なんだそのノリ。ジ○リか。
「準備のよいことで」
「ワーズワード様、フェルニ殿。食材は我らが揃えるので、その料理の腕を遺憾なく発揮して頂きたい」
「待て。俺は料理人ではない。そんな期待に応えるつもりはない」
「ちなみに俺は肉が好きだ」
「魚か肉かと聞かれれば肉だな」
「どちらかといえば肉か?」
「ああ、肉だ」
聞いてもいない食の好みを口々にしゃべり出す騎士たち。肉一色とか、お前らの脳内はどんだけピンクのお肉畑なんだ。ピンクはピンクでも嫌ピンクすぎる。
もはや立場とか立ち位置とかは関係なく、単純に食い物で餌付けされているだけのような気もするな。昨日の宴席で確かに敵対関係解消の禊ぎはすませたわけだが、それにしても砕けすぎだわ。
「わ、ロッシの実もありますね。ラーナちゃん元気にしてるかなあ」
果実の名に由来する友人の顔を思い出し、思わず綻ぶシャル。
そういえばラーナに店を任せてきたわけだが、通信魔法を覚えたことで細やかな連絡が取れるようになっている。たった二日でどうともなっていないと思うが、あとで一度連絡を入れてみるか。
逆にこっちはたった二日で色々とありすぎたので、話が長くならないか心配だ。
それはさておき。
「ひとまず話はわかった。六人分作るのも二十人分作るのもそんなに手間は変わらないのでそこはいい。が、食事の準備は、全員参加がアウドドアの基本だ。こっちのキャンプで食事をするというのならお前たちにも働いてもらうぞ。オルソンとコッホは平坦な場所に敷物を準備しろ。ジョエルとスルトーは飲み物の準備だ。こちらは未成年も多い、酒以外も準備すること。ハウゼンとベイリィスはそこの野菜を川で洗ってくる。籠ごともっていけ」
「な、俺たちも!?」
「私はこれでも子爵位を持つ貴族なのだが」
「はッ、すぐに洗ってまいりますッ」
なんだかんだと口では言いながらも俺の号令に従い四散する男たち。割り振り順は適当に敬称略の五十音順である。一人残った痩身のサリエルがいつもの特徴的な喋りで俺に問い掛けてきた。
「んで、俺っちは何をすればいいんだぃ?」
「今のところ手は足りている。手伝えるところを自分で適当に探してくれ」
「なら俺っちは皆を心から応援する係でもしようかねぃ」
「別にそれでもいいが、本当に心から応援しているか確認するぞ」
「おおっと、心を読める魔法使い様はこれだからこわいねぃ」
「そう言うセリフはせめてこわがっているフリを織り交ぜて使え」
「んー、それが通じる相手なら検討もするさね」
柳のような受け答え。話の内容とは裏腹に湿り気のない笑みを浮かべるサリエルは今の状況を楽しんでいる風でもある。
うん、コイツはダメだな。
「好きにしろ。……但し、他のヤツには言うなよ」
「そこは大丈夫さねぃ」
サリエル・キーラ。
コイツには俺が口で言うほど苛烈な行動を取るつもりがないことを見切られているな。
それを『舐められた』と考える性格の人間もいるだろうが、俺はそうではない。人にどう思われようが、どう見られようが知ったことではない。でなければ『世界の敵』などやっていられない。
が、あまりそれを他に吹聴されるのも面倒だということで一応釘は刺しておく。
「でもよ、テメェが楽園で生きてるってのは聞いてすぐに納得できたけど、こんな状況は想定外だぜ」
パチパチと油の跳ねる、食欲を刺激する音に重なって駄犬が口を開いた。
「この世界については、俺としては現実を受け入れているだけで未だ納得には届いていないがな。しかし一応聞いておこう、どうだったら想定内なんだ?」
「んー。次元を超えた先の異世界ってのが本当にあってよ、しかも剣だ魔法だなんて中世な世界で。そこに地球人が入り込んだとしたら、そいつは何をするかって話だよ」
「そんなファンタジーを真面目に考えたことはないな」
「少なくともこんな風に歌だ料理だなんて、アウトドアを楽しむ気楽な旅はしてねェんじゃねぇか」
「気楽でもないのだが……お前だったらどうしていたと思うんだ」
「ヘヘ、やっぱ世界征服か!」
「してどうするんだ。パソコン一台もないだだっ広いだけの世界と、アイシールドのある空調完備の個室、俺だったら後者の方がいいぞ」
「そのアイシールドがないからこそ、原始的欲求に回帰すんじゃねェの。地球じゃできねェ極悪非道もやり放題だろ」
「発想が終わっているが理解はできる。だが、殺しや犯しか? そんな極悪非道で『エネミーズ』を語ってはレベル感が合わないな。超えてはいけない一線を既に超えているからこその『世界の敵』だ。俺たちサイバーテロリストの行動原理は、殺しや犯しの七欲の大罪にはないはずだ。あるとすれば、己を満たしてくれる八つ目の大罪たる『情報欲』といったところか」
「『情報欲』? なんだそりゃ、まだテメェお得意の勝手な造語かよ」
そんなものを得意にしたつもりはない。名誉毀損はやめていただきたい。
「俺の例を言えば『COINサーバーハッキング事件』はCOIN口座のハッキングが目的ではなく、ブラックボックステクノロジーである『ミーム認証技術』の解析という情報収集を目的としていた。お前のパグウイルスにしてもネットを汚染する行為それ自体より、パグウイルスに踊らされた連中の反応を見る楽しみの方が勝っているのではないか」
「冷静に分析されンのは気に食わねぇが、そういう面があんのは否定できねぇな。……へへ、アタシのこと、よくわかってンじゃねーか」
なんで少し嬉しそうなんだこの駄犬は。
なんにせよ、それらは己の興味のためにできることをやっただけ。それだけで世界が大迷惑。だからこその極悪非道『エネミーズ』である。
「んじゃ、その情報欲っての満たすのに、全部の世界を巡ってみるとか」
「冒険者か。冒険や探求などという己の成長を目的とした行為は、若者に譲るものだろう。少なくとも俺のようないい大人は冒険とか恥ずかしくて口にできないものだ」
「てめェ、別に大人って顔はしてねェだろ」
「やめろ。顔のことは言うな。歳相応に見られない屈辱は税関だけで十分だ」
そこで少し考える。
まるで『ベータ・ネット』と変わらぬ、駄犬とのバカ話であるが、この話はアルカンエイクの行動目的を考える役に立つかもしれないな。
外見が中年男性だというアルカンエイクも俺同様、冒険などというものには興味を示さないはずだ。
ではこの異世界の何に興味を持つ?
「ってことはやっぱ、この魔法ってやつか」
「それは間違いないな。魔法技術でどこまで何ができるのか、個人的な興味も含めて十分研究の対象になる」
そう、この世界のことを知りたいならばまずこの魔法というものを極めるべきだ。転移に遠視に心話に物質創生という、地球の万能科学でも実現不可な超事象を操る魔法を極めることで、冒険などすることなく世界の全てを知ることができるだろう。
安楽椅子探偵が現場を見ずとも事件を解決するように、最強の魔法使いは自室に引き籠もったまま世界の全てを把握する。
そしておそらく、アルカンエイクは魔法を極めている。
「しかし、それはあくまで入り口だろうな。そうして得た魔法の技術や知識で何を為すのか。そこが重要だ。アルカンエイクの場合は国を一つ手に入れたようだが、それはなんのためだ?」
「しらねェよ。この魔法ってのもそんなに楽に使えるできるなわけじゃねぇしな。魔法があってもココでガキを二万人も誘拐できるかってーてと、まあしんどいだろうな。それよか、いっそ国ごと支配しちまった方が効率よかったんじゃねーの?」
ほう。
「その発想はなかなか良い線かもしれないぞ。沢山の人間が必要な大規模プロジェクトの推進――それは俺の持つアルカンエイクのイメージにも合致する。断定は避けるべきだが、想定は残しておくべきだろう」
しかしまだ足りない。
少なくとも俺のような小物の発想では測れないなにかがあるはずだ。
「今のところはそんなものか。異世界に飛ばされた者がまず考えること。アルカンエイクはすでにそれを完成させているのだから、その次を読むのは難しい」
「なんだ、それ?」
「そんなもの決まっているだろう。地球への帰還方法だ」
アルカンエイクは既にそれを手に入れている。
そんな、通常であれば絶対考えるはずの話が頭にない駄犬は油断しすぎである。
「ああ、そういやこの服も一日着替えてねェな。なァ、一回ウチに帰りたいんだけど、どうすればいいんだ?」
でもって気軽にそんなことを口にする。
「しらん」
「あ?」
一瞬の思考の空白がそこに差し挟まれる。
「………はああ!?」
「きゃ!」
動揺が竃の炎を大きく揺るがせ、シャルが小さな悲鳴をあげる。
「大丈夫か、シャル」
「はい。大丈夫です」
「そうか。なら良かった」
「ちょっと待て、帰れないってなんだよ! テメェもこの世界のこと全部知った上で来たんじゃねーのかよ!」
「それだったら、次元転移に濬獣自治区とティンカーベルが関係しているどうこうなんて話をわざわざしたりしないだろ」
「だって、アルカンエイクは――」
「そうだな。アルカンエイクはその術を知っているはずだ。その上でこの世界でなにかをしでかそうとしている。一方の俺は、何も知らないというのが現状だ」
「…………」
駄犬のプルプルとわななく口元に、鋭い犬歯が見え隠れする。
地球への帰還方法に関するなにかしらの情報をアルカンエイクから得ている可能性もあったわけだが、その線はなさそうだ。
もともと期待はしていなかったので落胆はない。
駄犬自身、自ら口にしたように彼女は俺の側に立ち、アルカンエイクに協力はしないつもりであるらしい。となれば自ら誘いをかけたとはいえ、協力関係にない相手に色々教えてくれるアルカンエイクではないだろう。
現時点では駄犬も俺同様、地球に還ることはできないわけである。
というか、コイツは異世界に飽きたらとっとと地球に帰る――還れるつもりだったのだろうか。
いやいや、現実は非情なのだ。還るか還らないかという判断はさておき、お前も俺も今ココにしかいられない。地球には還れない。
「ウソだろ――ッ!!」
昨日今日と、よく叫ぶわんこである。
◇◇◇
パン粉を衣にしたサチアロの肉を油に通した料理をカツレツという。
油の中で水分を飛ばしてカラリと揚げたカツレツはサクリとした食感でありながら歯ごたえは柔らかく、衣の中に閉じこめられたジューシーな肉汁には肉本来の旨みが凝縮されている。
酸味のきいた果汁を絞れば、くどくなりがちな後味をスッキリ爽快感で打ち消し、胃を重くすることはない。砕いたパンの粉で肉をくるんで油で揚げるこの料理はありそうでなかった発想の食べ物だと、そんなフェルナの絶賛を受けた。
二つに切ったパンの間に、野菜とカツレツを挟み込んだ食べ物をサンドイッチというのだが、パンの衣をまとったカツレツを更にパンで挟むということはすなわち、パン+パン、ダブルパン構造になってしまう。そんな奇妙な食べ物は理解し難かったようで、初めは皆から疑いの視線を受けた。
しかし、それは自分で試してみればすぐに解消する疑念であり、実際に食せばパンにカツレツの味がしみて、これがなんともうまいのだ。加熱殺菌もされるしな。
騎士たちはサチアロだけでは満足できず、干し肉や湯で戻した魚の身などを持ち込んではそれを揚げて欲しいとシャルに懇願した。
結果、ロッシの実は失敗で魚の方は成功だったようだ。
魚を持ち込んだ騎士は、自分が発見したこの料理に『ベイリィス風パン屑の衣を付けた魚の油揚げ』という名をつけていたか。フィッシュフライでいいだろ。長いわ。
お、今喉を鳴らしたか。……っと、おお、こわい。
それは仕方ないだろう、居ないのだから。それこそまさかだ。冷めても不味くなるだけなので残しても置かない。
……そう思うなら、とっとと戻ってこい。
明日には法国最初の街に着くらしい。
街の名は『サイラス』というそうだ。さて、どんな街なのだろうな。