Jet-black Juliette 07
『開闢の書』。
全12章825節。この書物に関しては七つの至宝の一つ『知識を与える書』の名の方が有名だろうか。
そこには世界の全ての知識が書き記されているという。
実際に開いてみれば、文字で記述されているのは世界の始まりに関する物語だけなのだが。
まずありき蕩揺の海。次なる神々の誕生。天地の創造。ヒトの歴史のはじまり。繁栄の時代。滅びの時代。そして再びの繁栄の時代――
それは軍女神・熙鑈碎がヒトに語った物語であると伝えられる。しかし、どのような方法で神との交信が可能であったかなどは一切わかっていない。
そもそも魔法付与の技術すら現代には残っていないのだ。人はただ名も伝えられぬ古の王国の遺産を利用できるだけで、誰がどのようにそれを作ったのかなど知り得ようはずもなかった。
この重厚な書物は魔法の効果により、経年による紙質の劣化などは一切なく、火や水にも強い。表紙には破壊不能の留め具がかけられており、開封令呪がなければ、表紙を開くことすらできない。
もしその言葉が伝えられていなければ、ただの開くことのできない書物として、宝物庫の肥やしとして腐っていたことだろう。
実際、死んだ――使い方や魔法発動の方法が判然らない――アーティファクトはいくつもあるのだ。
「王はご無事か」
と、そこに一つの声が追加された。突然後方から声をかけられた衛兵が驚き振り返り、その人物の姿にもう一つ驚きを重ねた。
「これはフィリーナ様!」
肩口で揃えられた明るい陽緑の髪。男物の衛士服。そこに立っていたのはやや息の上がったフィリーナ・アルマイト・アグリアスだった。少女の高い悲鳴も遠い彼女の執務室まではさすがに届かないはずなので、偶々近くを通りかかっていたのだろう。
国のために自らを捨てられるフィリーナである。王の身に危険があれば、我が身を挺して命を守る覚悟はできている。
だが、彼女の危惧した状況は既に過ぎ去っていた。
仮にアルカンエイクの死の瞬間に彼女が立ち会っていたとすれば、反射的にジャンジャックに斬りかかり、その場で返り討ちにあっていた可能性が高いので、この到着のタイムラグは彼女にとってだけでなく、この国の未来にとっても幸運だったといえるだろう。
フィリーナの登場は第七文節の読み上げとほぼ同時。呆然と見開かれるフィリーナの瞳に『開闢の書』から放たれる魔法発動光が反射した。
魔法効果の発動により、開かれた頁の黒い文字が光波干渉のホログラムのように空中に浮かび上がった。
「むう」
「なんだ、これは――」
空中に漂う不可思議な源素の存在にそろそろ慣れてきたディールダームをも唸らせる圧倒的な神秘の儀式。源素の見えないフィリーナにもこの文字の乱舞は見えるため、その驚きの質は同じである。
むしろ、他の多くの魔法を知るフィリーナの方が驚きは大きいかも知れない。書物から文字が浮かび上がる――このように発動する魔法は他に見たことはないのだから。
至宝の一つに数えられるだけあって、『開闢の書』はもちろんただの書物ではない。
そこに記述された文字の繋がりを読み上げることで、知識に関するさまざまな魔法効果を発動するのである。
例えば、二章二四節。
これを読み上げれば、物語の中に記述のない様々な従神のエピソードを知ることができる。
大陸に変じた世界魚・靜爛裳漉を海中で支え続ける支柱魚・苑稟の海溝よりも深い忠愛が胸を打つ。
六足天馬・卷躊寧に従う三眼天狼・剔猖俚は、もっとも信頼する金鼠・瑟奧啾に第三の目を潰され、その怒りの大きさから嵐を司る神となった。
軍女神・カグナはあるとき白美神・鄙熄晨に嫉妬し、その美しい髪を燃やしてしまった。それから、短い髪が美しいとされるようになった。
天まで届く宝樹・ヰから生まれた生命果・丁は実った枝があまりに高く、大地に落ちると同時に死んでしまった。
どこかユーモラスでどこか人間くさい神々の物語。そんないくつものエピソードが頭の中に直接伝えられる。もちろん、伝えられるのは神々にまつわる説話だけではない。四章六節はジマの生んだ全ての生命の名前を伝え、一二章四一節からは歴史に名を残す偉大な王たちの伝説を知ることができる。
なによりも重要なのは八章一節である。
ヒトの繁栄と破滅は魔法発展の歴史そのものでもある。そこから伝えられる神の加護を直接に受けとるための祝詞――【プレイル/祈祷】――とそれを発動するための魔法名称――【コール/詠唱】――を知ることができるのである。
それこそ『開闢の書』が至宝と呼ばれる理由だ。
そもそも『開闢の書』は四神殿の所持物であり、聖都で厳重に保管されているはずである。
それがここにある不思議さをまず指摘しなければならないのだが、それを手にするのが魔法万能のアルカンエイクなのであれば、なぜか納得できてしまう。
話を戻せば、今アルカンエイクが読み上げた三章九節は語り手のイメージを聞き手に伝える魔法効果を発動する。
神々がヒトを生み出す物語。文字だけでは伝わりづらい世界の始まりの姿を雄大なイメージで聞き手に伝えることができるのだ。
『イメージ』。ゆえに、アルカンエイクはこれが使えると考えた。
浮かび上がっていた文字がフワと空中に拡散して消える。と、同時にいくつもの苦痛の悲鳴が廊下にこだました。それは、部屋の入り口からである。
「ぐぎゃあああああッ!!」
「頭が、頭が割れる!!」
「くっ、なんだこれは。無数の文字・光・図形……意識が保てな――」
槍を放り投げ、頭を抱えてのたうち回る衛兵。フィリーナもまた廊下に膝をついて、苦痛に顔を歪める。ゆらりと傾く背中をティンカーベルの少女が支えた。
室内の魔人たちにも苦痛が見える。
「かっ、これは、面白く、ござる」
「くぅ、厳しい」
「……」
大小はあれ、ジャンジャックとリズロットも等しく苦悶を見せる。それでも動かぬディールダームはまこと人の形をした岩石だ。
『開闢の書』が伝えるもの。それはあくまで語り手が描き出すイメージであり、書物に書かれた一シーンという制限はない。語り手が想像するものをそのまま聞き手に伝えるのだ。
口頭での説明も目の前での実演も、心を伝える【パルミスズ・マインド・ネイ/風神伝声】の魔法でさえも効率で落ちる。
アルカンエイクが提供する最大の武器――それは『情報』である。言語、地理、生態系、風俗、政治経済。そんな、妖精の住まうこの世界で行動するために必要な基礎的な知識。魔法についてはより詰め込むものが多い。妖精の粉の特性に魔法発動の図形とその効果。それらを映像化された知識に変換して伝達しているのだ。
『開闢の書』の知識を与えるのではなく、『開闢の書』を媒介して、アルカンエイクの知識を与える。このような使われ方をするなど、この至宝の作成者ですら、思いつかなかったに違いない。
また、最大効率でそれを行うために、アルカンエイクは思考系を多重化している。となれば、当然受け取り側にも同等の受け取り経路が求められる。それがなければ、押し寄せる知識の波を受け止めきれず、あふれた情報が脳内をかき回す。
魔法効果により強制的に与えられる知識の過負荷。一方的なその乱流は聞き流すことも押しとどめることもできない。
脳への負荷は大きな苦痛を伴う拒絶反応となり、最後には絶叫に変わり体外に排出される。
ゴッゴッと鈍い音を立てて、二人の衛兵が立て続けにその場に倒れた。脳を守るブレイカーの働きにより気絶したのだ。
もちろんそんなことはアルカンエイクにとってはなんら気にするところではなく、儀式は続けられる。
「サテ、こんなものでしょう」
片手で器用に本を閉じるアルカンエイク。表紙の宝珠から輝きが消え、磁力に引き寄せられるかのような動きで、再び留め具が嵌められた。
「あとはこの武器をどう扱おうとご自由に」
「ふいー、まずは一時脳内の記憶領域に格納し申したが、全てを整理するまで三日はかかるろうか。まさに防御の術なき一方的な精神の蹂躙にござった」
と口では言いつつ、なぜか嬉しそうなジャンジャックである。
「その程度で済んだのなら優秀だ。ボクは不要な情報はそのまま捨ててしまいましたよ。食べられるキノコの情報などさすがに要りませんから」
「オヤそれは残念。私だって、初めから王様なんてやっていませんからねぇ。初めてこの楽園に足を踏み入れた時には、洞窟のキノコを食べて命を繋いだものですよ。あの番人には手を焼かされました」
「洞窟の番人ですか。妖精とは別に、人に似た獣まで存在するとは、アルティメットにアメージングです。しかし、頂いた知識にはやや思想の偏りがありますね。人に似た獣……普通に『獣人』、いやこちらの呼び方の通り『濬獣』でよいのではないですか?」
「呼び方はご随意に、強制はしません」
「で、このハネの生えた濬獣にはお会いできるのですか?」
アルカンエイクに与えられた知識の中にある濬獣の姿。リズロットは既にレニの姿を見知っている。イメージを伝えるからこそ可能な視覚情報の伝達。これが至宝『開闢の書』の力だ。
「別に構いませんが、どうなさるので?」
「ただの興味です。主にハネの付け根など。骨格を無視してアタッチメントを追加できるアバターとはやはり違うのでしょうね。おっと、そう言えば、ネコ耳メイドもいないじゃないですか」
「おりませんね」
「ホワイ、なぜ? ネコ耳の獣人はいるのでしょう。だというのに城の中にネコ耳メイドがいないなんて、ボクにはとても理解できません」
「同感です」
本当に疑問であるかのように言うリズロットをアルカンエイクは理解できない。するつもりもない。
理解できないからこその孤絶主義者である。
「飼いたいのであれば市場に行けばいくらでもおりましょう」
「それは是非見に行かなければいけませんね。ですが、今は先にハネの付け根の確認です。城の中にはいるのですか?」
「エエ」
「それはどこに?」
アルカンエイクが、スッと指を伸ばし、その向きを示した。
「地下です」
◇◇◇
「もう大丈夫だ」
自分の背を支える少女に礼をし、フィリーナが立ち上がった。
この世界の人間があの情報の奔流に巻き込まれ、気を保っていられただけでも十分に称賛に値する。
「誕生式で赤子が泣き叫ぶ理由がわかった。赤子もこのような激しい知識の流入を感じているんだな。もっとも今のは全く理解できなかったけれど」
神へ感謝を捧げ、生まれた子に四神の祝福を授ける儀式を誕生式という。これだけは腐敗の進む四神殿にあって唯一といってよい全体奉仕に関わる祭事であり、そこで火神神殿が赤子に対して与えるものが【カグナズ・ブレッシング/火神見聞息】の魔法である。
軍女神・カグナは戦いと同時に命の誕生を司る神でもある。生まれたての大地に炎と言葉を授けたという神話の通り、獣人であろうが、貧民であろうが、全ての子にはカグナの祝福が与えられるのだ。
そして、この祝福の魔法を受けた子は誰に教わらずとも、その後読み書きで困ることはない。ワーズワードは異世界転移初日に文明レベルと一致しないこの世界の識字率の高さに驚きを表したが、そこにはやはり魔法の存在が一役買っていたのである。
室内を覗き見るフィリーナ。
そこには黒い装束を着こんだ見知らぬ子供……女性の姿が増えているが、その女性に何事かを語りかけているアルカンエイクの姿を見て、過剰な反応は必要ないと判断する。
自分は玉座の間で王の不興を買ったばかりなのだ。もとより謎の多い王である。その行いに無用に踏み込むという同じ失敗をするわけにはいかない。
「そこのアナタ、フィリーナ王女ですね」
突然に声をかけられ、耳がビクリと反応する。
「そなたは王の客人の」
「リズロットとお呼びください、王女様」
玉座の間では笑いを誘うカタコトを披露したリズロットだったが、今は誰が聞いても違和感のないレベルで喋ることができている。
もう一人、フィリーナは室内に残る巨岩の如き背に語りかけた。
「王への取成しの件、まずは礼を言っておきたい。そなたたちに感謝を」
「…………」
「ははは。『ボクたち』にそのようなものは不要です。ディールダームもあなたの感謝が欲しくてそうしたわけではありませんでしょう」
「そうなのだろうか」
いや、そうなのだろう。事実、あの場でフィリーナもそれを感じていたのだ。
「それでですね、フィリーナ王女」
フィリーナは小さく首を振って、リズロットに答えた。
「今の私は王女ではない。王の臣下の一人だ。王女と呼ぶのはやめて欲しい」
未だ疼痛の残る頭を上げ、背筋を伸ばすフィリーナ。
「わかりました。ではフィリーナさん、すみませんが城の地下への道案内を一人呼んで頂きたい」
「地下へ?」
そこにアルカンエイクが声をかけた。
「フィリーナ王女。彼らには最大限の便宜を図ってさしあげてください」
元より断ることは考えていなかったが、王命とあればその優先度は一気に跳ね上がる。
「了解した。地下へは私が案内しよう。ついてくるがよい」
「お願いします」
フィリーナが先に立ち、リズロットが後に続く。
頭を下げて二人を見送ったティンカーベルの少女が視線を室内に戻した。
室内に残るのは三つの姿だ。
「サテ、お二人はどうなされますか? お渡しした武器を整理する時間が必要なのであれば、部屋を用意いたしますよ」
「不要」
答えたのはディールダームだ。
ぶんと振る腕に源素の光が追随する。それは、魔法を扱うために必要な源素操作の第一歩である。
知識があっても、実際に源素を操作することは難しい。それはパレイドパグが証明している。
パレイドパグは、源素操作の更に前段の知識、BPM(ブレイン・パーソナライゼーション・メソッド)の方法論まで巻き戻ってやっとその技術を修得できたのである。
それをこともなく動かしてみせるディールダーム。アルカンエイクのアシストがあったとしても、その潜在能力の高さには目を見張るものがあった。
「貴様はこの地への案内という明確な協力を示した。ならばこれ以上の馴れ合いは不要。あとは俺自身の闘い。貴様は貴様の道を進むべし」
「よろしいですとも。大変に理想的なお答えです。それでこそお声をかけた意味がある」
アルカンエイクの喜びのポーズはやや大仰にすぎる。
「ゆく」
そして、当然のようにその反応を黙殺したディールダームが部屋から出てゆく。
ティンカーベルの少女を一瞥し、本当に一瞥しただけで声もかけずにその前を通り過ぎる。
少女は遠ざかってゆく背中と王の残る室内の間で何度も視線を往復させた。そして意を決したように室内に向け深く頭を下げ、巨岩を追って急ぎ駆け出した。
それを見送ったアルカンエイクがこれまた大仰に呟く。
「どのような目的をお持ちかは知りませんが、アレに縄をかける必要はないでしょう。しかしまあ、皆さん好き勝手に動かれる。これほど虚しい同盟関係もありません」
「拙者はアルカンエイクの命に従うでござるよ。縄をかけられるのも嫌いではござらん」
嬉々と差し出すその荒縄は一体どこから持ち出したものだろうか。
それを渡されたアルカンエイクは無言のまま『開闢の書』を手のひらの上から消した時同様の魔法を発動させ、荒縄を虚空の彼方に送り届ける。
失望の表情で肩を落とすジャンジャックはやはり名状し難きクリーチャーだ。
「アナタはアナタで、私とは相性が悪いのですよねぇ」
かのファーストエネミーにこのような言葉を吐かせることができるのはジャンジャックくらいであろう。
そのジャンジャックはアルカンエイクの顔をマジマジと見つめていたのだが、あるところで何かに気づいたようにポンと手を打った。
「そういえば、主君の顔はどこかで見た記憶がござるな。もしかして、ネットに顔が載ったことはござらんか?」
「ありますよ」
「やはりそうでござるか! しからば一曲歌ってみてはくださらんか? 曲を聞けば思い出せると思うでござる」
「……歌手ではないですねぇ」
顔を知っている有名人=歌手という発想は、日本人特有のものかもしれない。アルカンエイクは自分の顔を知らない人間がいたことにややプライドを傷つけられたようだった。
「アナタにご協力いただきたいことはピーターパン氏の排除のみです。支援が必要であれば、お声かけください。妖精たちに協力させますよ。それ以外はお好きに行動なさってください」
「かっか。それはワーズワードの相手は拙者にまかせると、ご自身は動かれぬという意味でよいのでござるな」
「そうなります。あの若者とはできれば直接には会いたくはないですし」
「なぜにござるか?」
自身が発見し科学的に完成させたミーム認証という世界最高峰の技術。それがあっさりと破られた時の衝撃は天才アルカンエイクであっても忘れられない。確率論的に、己に届きうる才能は自分が生きている間には誕生しないと考えていたからだ。
だがそれは現実に出現し、なおかつこの楽園に紛れ込んでいる可能性が高い。いや、確実にいるだろう。アルカンエイクはある意味で、誰よりもワーズワードを評価している。
能力に大きな差がなければ、あとは互いに持つ情報量の差が勝敗を決する。
ワーズワードの情報については出身国、本名、姿形、経歴、血液型、行きつけのパスタ屋の情報まで知り得ている。一方のワーズワードはアルカンエイクが何者であるかも知ってはいまい。それは大きなアドバンテージである。
だがもし顔を突き合わせて対峙することがあれば、ワーズワードはアルカンエイクの中身がエクシルト・ロンドベルであると知ることになるだろう。エクシルト・ロンドベルについては、多くの情報が世界に公開されている。
「私もそこそこは有名人だということです」
本名……プライベート情報だけであれば、知られたところで困りはしないのですが、もしそれ以上――私の推進する『プロジェクト』にまで辿り着くことがあれば、それはアルカンエイクにとって大きなディスアドバンテージになる。
『プロジェクト』の推進こそこそが、アルカンエイクの目的であり、他のエネミーズを巻き込んでもワーズワードを近づけたくない理由。
一の情報から、千を察知してしまう聡明さがかの若者にはあります。情報を与えることは極力控えなければなりません。
思考するアルカンエイク。その横でジャンジャックは既に興味を別のものに向けている。
妖精の粉――源素の輝き。
目の前に漂う源素の一つをちょんちょんと指でつっつく。それが何であるかの知識は先ほどの情報提供により、既に知り得ている。
「ふうむ。魔法なる術を引き起こす妖精の粉も拙者にとっては影を照らす灯火にて、あまり都合の良いものではござらんな。対策を考える必要がござる」
「それはこの世界の妖精には見えないものですが」
「ワーズワードには見えるのでござろう」
「なるほど。人間と妖精を見分けるものは耳や髪色ではなく妖精の粉を見る目ということになりますか。その通りですが、そのように考えたことはありませんでした。イヤハヤ、異分子一人が楽園に紛れ込むという状況だけで、新しい気づきがあるものですねぇ」
「かっか。早速主君に褒められたでござる」
「褒めてはいません。ただの感想です」
アルカンエイクとジャンジャックが主従コントを繰り広げている頃、フィリーナとリズロットは王城の廊下を並び歩いていた。
衛兵や使用人は皆長く続く廊下のはるか前方で深く頭を下げ、二人が行き過ぎてからやっと頭をあげる。
「英国……聞いたことのない国名だ。王はそのような遠い島国の出身なのか」
「そうなりますね。おっと、ボクがこれを教えたことは内緒にしてください。後で怒られたくないですから」
「それだけで済むのであれば、やはりそなたらは特別なのであろう」
「確かにディールダームは特別製です。ジャンジャックも特別で格別だ。とすれば、ボク一人が一般人だということになりますか」
「そなたも十分……いや、よそう。それより、私からも一つ頼みがあるんだ」
足は止めて、フィリーナが隣を歩くリズロットを見上げた。自然、一歩分の間を空けて、向き合う形になる。
ピンと伸ばされた背筋に形の良い長い耳。やや凹凸の少ない体つきだが、女性らしさがないわけではなく、カモシカのような脚はスラリと伸びて、健全な精神の宿りを感じる健康的な少女である。
法国の血筋を色濃く伝える明るい緑の髪が陽の光に透けて、輝きを反射した。
「なんでしょう」
「滞っている国務についてだ。お忙しいのは承知の上で、それでもいくつかは王自身の裁可が必要なんだ。私の言葉では王に届かない。だが、そなたの言葉であれば――」
「無理ですね」
リズロットは一刀のもとにフィリーナの頼みを切り捨てた。
エネミーズ同士の関わりあいはそういうものではない。
「では、一つだけ。一つだけ、王の耳に伝えてほしい」
必死に食い下がるフィリーナ。初めてあう、それも王の客人相手にこのような懇願の無礼は本来許されないことはわかっている。
だが、無力な自分の言葉は王に届かない。それでも、自分にできることから逃げない。国のために働く神官の命がかかっている事案となれば、なりふりなどかまっていられなかった。
肩をすくませて、両の手のひらを上下に動かすフィリーナには意味のわからない謎の仕草。
「聞くだけはお聞きしましょう」
「すまない。ほんとうに一言でいいんだ。聞いてさえ貰えれば、王は理解されると聞いている――『ワーズワードが面会を希望している』と」