Packdog's Paradox 13
「――ようこそ、ワーズワードくん。『ベータ・ネット』はキミを歓迎するよ」
「ID『B.B.』……では、貴方があの『ワールド・サスペンド』を引き起こした大犯罪者か。お会いできて光栄というべきかな」
「こちらこそ(イッツ マイ ダイアログ)。私はキミのCOINサーバーハッキングの成果にこそ敬意を表するよ。ミーム認証のセキュリティ防壁を破った手法などはぜひ私と議論を戦わせて頂きたい」
「貴方が話せる人物でよかった。それも面白そうだが、今はまだ俺の得たミーム認証のブラックボックステクノロジーについて、情報を公開するつもりはないぞ」
「当然だろうね。技術の独占こそが我々サイバーテロリストの生命線だ。必要であれば、ハックさせてもらうだけだよ」
「いいんじゃないか? だが、それを事前に通告するなど、二流に過ぎるのではないか」
「全ては公平でなければならない。これが私の信条だ。それに、これは遊びだよ。『トリック・オア・トリート』――我々はそう呼んでいる」
「『お菓子をくれなきゃ、イタズラするぞ(トリック・オア・トリート)!』ね……世界の敵は遊び相手に困っているのか?」
「遊ぶだけなら相手はいくらでもいる。でもワーズワードくん。キミも遊び相手は選びたいだろう? ここではそれを提供する。エネミーズ同士でなければ実現不可能なレベルの高い、ね」
「……つまり俺は貴方たちの遊び相手として認められたわけか」
「そう。そして、その資格があるものだけがこの『ベータ・ネット』へと到達できる――ワーズワードくん、キミにとって世界は公平かい?」
「それは意味が判然らないが」
「水は高きから低きへ流れ、そこで淀み停滞していないだろうか。誰かが世界に蓋をして、未来の光を閉ざしてしまっていると感じたことはないだろうか」
「……」
「私はただ公平な場を提供する。ここでは誰もが公平だ。なに、皆個性的だがきっとキミの興味を引く人物も見つかるだろう」
「犯罪者なのにか」
「犯罪者だからだよ」
それがベータ・ネットの管理者にして、世界の二人目の敵『バイゼルバンクス』との初めての会話である。
フェアを口にする奴の活動の成果は戦乱の拡大と格差の助長であり、完成の最終段階を迎えていた『月面エネルギープラント計画』の裏で地球上の全ての電源を24時間の長きに渡って消失させるという、大変に迷惑なテロをやってのけた人物である。おまけにその一件があり、危機回避設備として再評価された月面基地は、その完成時点で別のテロリストに乗っ取られてしまったわけだから泣きっ面に蜂である。
バイゼルバンクスとコメットクールーが世界を混乱させたあの年は、電気の存在で進歩してきた人間社会の綻びを感じさせる象徴的な一年となった。
フェアであることに全ての価値を置くバイゼルバンクスは『ベータ・ネット』では誰よりも紳士である。
だが、残念なことにバイゼルバンクスの前では、全ての結果が反転するのだ。
「ヌイグルミのアバターとはまた、ファンシーだな。貴方が『パレイドパグ』か」
「……ああ? テメェもコンピューターウイルスなんざ、テロとしちゃ下の下だって言う口か?」
「まさか。ありふれたものの中で最凶だということが最上である証だ。DoS攻撃にしても情報の盗聴、改竄、拡散といったあらゆるサイバーテロはおおよそ誰でも実行可能なことがらの精度と規模を拡大しただけだろう。パグウイルスが情報流出型である点も俺にしてみれば評価が高い。実際、俺のお遊び……COIN口座の削除対象リストには、貴方の作ったパグウイルスが流出させた裏社会のブラックリストを使わせて頂いた。その点は感謝しなければな」
「おお? わかってンじゃねーか! そうだ、このパレイドパグ様の手にかかりゃ、そんなの朝飯前だってんだ、キャハハハハ!」
「……テンションの高い人物だったのか」
「なんか言ったか?」
「いやなにも。興味深いと思っただけだ」
「アタシに興味があんのか!? ……そっか、このアタシに。そうだルーキー、特別に新作の更新バージョンを見せてやろうか? へへ、これでてめェだけは被害が押さえられるかもしれねぇぜ」
「いえ、ウイルスの被害に遭うようなセキュリティは構築していないのでそれは不要だが。それよりルーキー?」
「遠慮すんなって、ルーキーは古参のこのアタシの言うことを聞いときゃいいんだよ、キャハハハハ!」
「おや、パレイドパグくん。ワーズワードくんだけを新人扱いするのは公平ではないよ。この私も同じく扱いたまえ」
「ウゼェ……てめェみたいな変態が『セカンドエネミー』ってだけでもエネミーズの価値はダダ下がりだってんだ! ここに集まる奴らはどいつもこいつもクソ以下だが、その中でも一等てめェはゲロ以下だぜ!」
「もっとだ、もっと私を罵りたまえ」
「えっ」
そう、全ての結果が反転する。すなわち、奴にとって罵倒はご褒美だ。
性癖ではなく信条としてそうなのだから救いがない。まごうことなきヘンタイである。
一時でも奴の人格を評価した自分に反省文を書かせたい。
――そしてそれが、パレイドパグとの出会いでもあった。
◇◇◇
意識を再起動させる。
未だ24人目の世界の敵は誕生しておらず、パレイドパグの言うとおり、ベータ・ネットにおいては俺は一番の新顔、ルーキーである。
駄犬とのつき合いも半年に満たない程度の時間しかない。
脳内記憶領域に蓄えられた、駄犬とのやり取りのバックログを漁ってみても、やはり俺がパレイドパグに好意を表した履歴は見つからない。
だが、事実この駄犬は確かに俺によくよく絡んでくる節があったので、どこかの時点から、俺が自分に惚れているという謎の感情を持って俺に接していたのだろう。
全く意味がわからないが。
気持ちを切り替えていこう。別に気絶していたわけではないが、心ここにあらずな醜態を見せてしまったな。
とりあえずパレイドパグの腕をタップし、問題ないことを伝える。
びっくりしたように手を離すパレイドパグ。
俺の頭を固定していた拘束も解かれたことなので、軽く頭を振って体勢を整える。
魔法の明かりは健在だ。
俺の意識が一時那辺へフェードアウトしていたにも関わらず、【フォックスファイア/狐火】が消えていないということは、一度発動した魔法は発動者が途中で倒れても源素が消散するまで魔法効果を持続できるということだろう。
発動者が意識して停止命令を出せば、そこで止められるのは当然だが発動の意識の持続自体は必要ではないらしい。
「よかったの、ワーズワーの」
「お主、大丈夫なのかや」
すぐ目の前にいるパレイドパグではなく、俺を噛み殺しに来た化生軍団から先に俺の身を心配する呼びかけがされる。
俺が狐を心配する状況はあっても、俺が心配される状況があるなど、これもまた想像の埒外だな。
というか、パレイドパグの思考が一番埒外なわけだが。
「ああ、問題ない。ただ、話は少し後にしてくれ」
さてと。
目下の問題はこの駄犬の処理だ。
今はこれまで通りのふてぶてしい半眼でこちらを睨み付けている。
「へっ、てめぇも所詮、頭だけのサイバーテロリストか? 自分の足で立てねェなんて情けねェな。キャハハハハ!」
『大丈夫かな? 立ちくらみかな? もしワーズワードが死んじゃったらどうしよう!? 落ち着けって、顔色も別に悪くないじゃん、心配ないだって。でも、万が一ってコトも。ここ地球じゃないんだよ、未知のウイルスとか。さっき食べたのとか! その時はあの化け物どもゼッテー許さないんだからッ』
……口とは裏腹に俺の身を案じてくれているようだ。
もし俺が死ぬとしたら、それは食事のせいではなく、駄犬の精神攻撃によってだろう。
【狐火】が消えていないのだから【パルミスズ・マインド・ネイ/風神伝声】の効果が途切れていないのもまた当然。
これ以上の攻撃を受けると本当に回復不可能なダメージを負いそうなので、これも消しておくか。
パレイドパグを指す緑の三角形がその繋がりを失い、源素が拡散する。
しかしなんだな。ブサイクなパグ犬アバター利用時と変わらぬ下品な笑い声だが、こうして聞こえる心の声から分析するとこいつがこの下品な笑い方をするときは、裏で何かしら並列思考を利用している場面だったのかも知れないな。
また一つパレイドパグを理解したところで、俺は彼女に声をかけた。
「俺は本当に大丈夫なので、心配は要らないぞ」
「誰がてめェの心配なんかしてっかよ、バッカじゃねーの」
はいはい。
もうどうすんだこれ。
魔法を解いたというのに、聞こえていないはずの駄犬の声が聞こえてしまうわ。
通常の人間は、心の中でどれだけ黒いことを考えていようとも、それを表に出さない社会性を獲得して生活している。それとは真逆に真っ黒い部分を表に出して、心の中で通常の乙女チックな思考を巡らせているパレイドパグである。
いや、それはそれで構わないのだが――
俺はポムとパレイドパグの頭に手を置いた。
「あ?」
駄犬の懐疑の視線は無視。手の位置を顔の方にずらしつつ、そのまま指を開いてガッと力を込めた。
小柄なパレイドパグの頭の大きさは俺の手の大きさにジャストフィットし、最大握力のアイアンクローが駄犬を襲う。
「俺ではなく、お前のそういう思考と行動の二律背反こそをツンデレというのだ。ついでにいえば正しい発声はツンデレだ。ツァンディレではない。日本語は確かに難しいがここで一つ勉強してほしい」
「んぎゃあ!」
コインも林檎もつぶすことのできない俺の握力であるが、食パン程度であれば握りつぶす事が可能である。
頭がスポンジの駄犬であれば、それだけの握力があれば十分だろう。
俺の腕を掴んで必至の抵抗を見せるパレイドパグ。ちゃんと痛いらしく、目尻に涙が浮かんでいる。
「な、なにすんだッ!」
「それはこちらのセリフだ。お前は一体何を考えている。何をどう誤解したら俺がお前を愛しているなどという結論になる」
「……あ?」
「だから、そう言う風に心の中で考えただろう」
一瞬の思考の空白の後、
「…………あああッ!?」
絶叫に近い声が放たれた。
大きく見開かれた瞳でまさしく瞠目と表現するにふさわしい表情を作るパレイドパグ。
三角い三白眼でも見開くと丸くなるんだな。
駄犬がボッと耳まで赤く染まる。西欧人の色白な肌故に、その変化はわかりやすい。
わかってもらえたようなので、万力の力を多少ゆるめる。
「な……なんで」
「お前の心の声を聞いた。運用の観点から言わせてもらえば、並列思考は理解深長、視点拡大、論理分析などといった脳内処理量の拡大にこそ利用すべきだ。人格拡張による自己理論補強の手法も否定しないが、お前のそれは脳内友人を創りだして会話を楽しんでいるだけだろう」
「ありえねぇ!!」
「ありえるんのだ、これが。正確に言えば、心の声を聞く魔法を使うことが出来るわけだが。瞬間移動に虎を出したり、炎を出したり。銀の器も作り出せる魔法だ。それくらい出来て当然だと思わないか、パレイドパグ。――それともブリュンヒルデ・ラッヘとでも呼べば、認めることができるか」
さすがに名前まで言い当てられては、愕然とするしかないパレイドパグである。
「じゃ、じゃあ、テメェ、まさか、アタシが今考えてたこと……」
「全て盗聴させてもらった。ちなみにそうすることで俺のダメージの方が大きかったので、今はもう魔法を解除しているぞ」
「…………」
俺は冷厳に事実を宣言する。
「なので、言っておく。俺はお前に惚れていないし、キスもしない」
「…………ッ!」
それをどう受け取ったものか、焦点も合わぬ様子で瞳を潤ませ、プルプルと小刻みの震えを見せはじめるパレイドパグ。脳内ガールズトークも盛り上がっていることだろう。
「何の話をしておるのじゃ」
「おるのじゃー」
ただならぬ俺と駄犬の様子に、ニアヴとアラナクアも興味本位で覗き込んでくる。
なぜニアヴの真似をした。
ほら、ニアヴもちょっとムッとしている。
それはそれとして、パレイドパグである。何かしらの結論を得られたのか、その目に焦点が戻ってきた。そして、そのピントが完全に戻ってきたところで俺の姿を見とめると、
「……ふぎゃーーーー!!」
そこで耳をつんざかんばかりの、今度は本物の絶叫が放たれた。
◇◇◇
「よっと」
【アンク・サンブルス・ライト/孵らぬ卵・機能制限版】の大脱出の効果を発動し、再び村の中へ戻ってきた。この魔法は短距離を移動するには大変便利である。
ちなみに転移は村の入り口まで。
そこからは歩いて村に入る。これは人の居る場所に転移した場合にあまりよろしくないので、安全策としてだ。
転移先に無機物がある場合に問題ないことは検証済だが、生きた人間がいる場合にどうなるかはまだ別の話である。
ちなみに、魔法による空間転移は、転移先に透明な風船を膨らませていくイメージを持って貰えるとわかりやすい。
転記先に机がある場合、風船が膨らむに従って机は外側に押し出され、その空いた空間に転移するといった具合だ。
地面の下を指定するような条件だと魔法効果自体が発動しない。転移先の空間が確保できた場合にだけ発動できることを確認している。
「いしのなかにいる」が出来ないあたりゆとり仕様な魔法である。それが出来れば、口に出すのが憚られるような広域殺傷能力を持たせることができるのだけどな。
まあそこは元の魔法が守護・防衛に特化した魔法なので仕方ない。悪さがしたければ魔法増幅を利用しろと言うことだろう。
パソコン上のシステムやアプリケーションだけでなく、あらゆる事柄について抜け道、弱点、裏口がないかを探してしまうのもハッカーとしての性である。
俺たちの帰還を村人たちが迎える。
言ったところで、村を出て15分も経っていないので、宴会自体はまだまだ継続中だ。
残しておいた【孵らぬ卵・機能制限版】の虹の周りが一番盛況であり、それ以外は【フォックスライト/狐光灯】を眺めてみたり、茶碗蒸しの順番待ちをしたりと楽しみは尽きない。
娯楽の少ない辺境の村にとって見れば、酒と料理が振る舞われる宴会だけでも楽しめる所に、味わったことのない新しい料理に色とりどりの魔法、それに希少度星五つの六足馬までいるのだ。巡回サーカスとてこれだけ多彩な娯楽は提供できまい。イヤ、別に娯楽を提供しているつもりはないのだが。
「あー、帰ってきたー」
「おかえりなさい」
俺たちの姿を見つけたセスリナとそれに楽器を手にしたフェルナが駆け寄ってくる。
シャルはアラナクアの連れてきたジータという名の少女と手を繋ぎ、仲良さそうに駆けてくる。
「アラナクア様もおかえりなさいっ!」
「ジーた、ただいまなの」
一緒に転移してきたニアヴとアラナクアが二人の元へ先行し、その後ろ姿を見送る形で俺と駄犬の二人が取り残される。
と、そこで再びパレイドパグが牙を剥いてきた。
「死ね、女の敵!」
「知っている。そして同時に全ての男の敵でもある。俺もお前もな」
故のエネミーズ、故の世界の敵である。
それを再認識するだけで、なんら痛痒を感じない批判である。
やや涙目でキッと睨み付けてくるパレイドパグの視線を深と受け止める。
二人の視線がぶつかり、駄犬の頬がボッと色付く。
……何がしたいんだ、この発情犬は。
俺の表情の変化に気付き、悔しそうに視線を外したパレイドパグがう~と一度唸ると、バチンと自らの頬を叩いた。
そして、今度こそ思考を切り換えたのか、スッと瞳に理性を宿して口を開いた。
「本当にてめェはワーズワードだな、全ッ然かわらねぇ! ……アタシの知ってる通りのワーズワードだ」
「俺は俺だ。あまりネット上の人格をベースに同じだと言われても嬉しくないが」
「でもよ、さっきの件は許しやしねェけど……これでアタシのことをまずは信用したってコトだよな。てめェの危機管理からいやァ、この古参パレイドパグ様のことをしらなけりゃ、まず敵か味方かを疑うのは当然だ。こっちの言葉を簡単に教えたのも魔法なんてのの情報をまるで無警戒に提供したのも、最後の最後……心の声を聞けるっていう一点。その情報をブラインドするためのモンだったんだろ」
「……『8割の真実と2割の嘘』か、それは詐欺師の基本だな。だが俺はハッカーであって、詐欺師ではない。故に『9割の真実』。あらゆる情報に嘘はつかない。ただ、残りの1割を伝えていないだけだ」
「それをしたって、最後のその1割をここでアタシに伝える必要はねェな。……今でもアタシを信用してねェなら」
「……」
まあ、それはそうだろう。
心が読まれるとわかっていれば、人は心の中でさえ嘘をつくことができる。だが、完全無防備な100%真実の心の声を聞いてしまったあとではな。
愛だ恋だの認識違いはあれど、パレイドパグはあらゆる危険を顧みず俺のためにこんな異境の地にまでくれたのだ。
今の俺は確かにこの目つきの悪い少女に対する警戒を解いている。
そういうことだ。
言葉にしない俺の沈黙を肯定と受け取ったパレイドパグがその瞳に光を宿し強い意志を表す。
「アルカンエイクがてめェの命を狙っている」
「らしいな」
「それに手を貸す奴らがいる――4、10、12」
4、10、12。すなわち、ディールダーム(D.D.)、ジャンジャック(J.J.)、それにリズロット(L.L,)か。
それはパレイドパグが誤解を解いた上で、今の俺を信用したための情報開示だろう。
俺は多少の驚きと共にパレイドパグの言葉を受け取る。
「冗談……ではないようだな。俺一人のためにご大層なことだ」
「その一人がてめェじゃなきゃ、アルカンエイクもアタシたちに協力を求めなかったろうぜ」
「なんだそれは。ベータ・ネットは暇人の巣窟か」
「実際そうなんじゃねェの? アタシら孤絶主義者は世間の常識なんてェのには左右されねぇ。だけどよ、興味のあるものはある。自分と同じ『エネミーズ』の奴らだ」
頷き、それには同意する。
善悪の価値観は世間のものだ。それらを排除してなお高い技術力、広範な影響力をもつ存在は強い引力を持っている。アルカンエイクにバイゼルバンクス。影響力だけなら星の王子様も入れてやってもいいが、俺もまた彼らの持つ強い引力に引かれてベータ・ネットに参加したわけだしな。
満足度に関する一つの検証実験がある。
全く同じ仕事をした三人の人間に、それぞれがいくらもらったかわかるように給料を手渡す。
そして、その内の一人だけ二倍の給料を渡すのである。
当然、他の二人は不満を持つ。だが、同時に一人だけ多くもらった人間の満足度も高くはならないのだ。
次の日、今度は三人に全く同額の給料を手渡す。
そうすると、昨日一人だけ高額をもらった人間は給料が半分になったはずなのに、満足度はより高くなるのである。
これにより「人は他人より上であることよりも、皆と一緒であることに満足感を覚える」という検証結果が得られる。
給料が自分にしか見えなければ、そんな結果にはならない。多ければ多いほど満足度は高まる。だが、皆に給料が見えている場合、一人だけ高額をもらうと、自分に利が多くてもそれは不公平だという認識を持ってしまうのだ。
そして、自分が皆と同じになったとき、そこに公平感を感じて安堵し、満足感を得るのである。
だから俺たちも同じなのだろう。
『全ては公平でなければならない』
それがバイゼルバンクスの管理するアンダーグラウンドのサイバースペース――『ベータ・ネット』だ。
ベータ・ネットで初めて、自分と同じ者に出会った。やりたいことをやればよい。そこにストップをかける者はいない。互い不干渉でありながら、同じ場所にいる。それは他に行き場のない者同士の吹き溜まりだとしても、公平と呼べるものだった。
実際にはベータ・ネットは世界の敵が一点集中する情報交換の場となり、そこで繰り広げられるエネミーズ同士のお遊びは世界に更なる混乱を生み出しているわけなので、最悪だが。
1の公平のために、99が大迷惑。何をどうしたところで、バイゼルバンクスの前では、全ての結果は反転してしまうのだ。
「同じエネミーズが、アタシらの敵だ」
「……いいのか、誤解が解けた今、お前にそうするメリットはないはずだが」
「ああ? そんなのもわかんねぇのかよ、ルーキー」
もはやあらゆる全てに吹っ切れたという表情でパレイドパグが俺を指差す。
「アタシの勘違いは勘違いでいいぜ。ここがゼロだ。ゼロからアタシはてめェを助ける。てめェに味方する。それでてめェはアタシに惚れる。これからゆっくりとこのパレイドパグ様の存在をてめェの中に感染させてやればいいだけの話じェねーか――キャハハハハッ!!」
いつもの下品な笑い声。その笑いの端で頬がピクピクとひきつっている所を見ると、さすがにちょっと無理しているのだろうか。
現状把握と認識是正。そして、そこからの迷いなき行動方針策定。
やはり、パレイドパグはただの少女では有り得ない。
世界に感染する凶悪なパグウイルスの作成者。
誰がどう思おうと。それこそ俺がどう思おうと、己を貫くパレイドパグ。
その曲がらぬ意志は嫌いではない。
パレイドパグのその存在感は確かに俺の中に感染しつつあるようだった。
◇◇◇
「なんじゃ、騒々しい。やはりこやつのことは好きになれぬの」
村の入り口で止まってしまっていた俺を呼び戻しに来たニアヴが、駄犬の高笑いに不快感を示しつつ、声をかけてきた。
パレイドパグからの新しい情報提供により、得られたものは多い。
アルカンエイクが俺の存在に気付いており、その排除を目的としているらしいこと。
そこに力を貸す三人のエネミーズ。
存在自体が謎なジャンジャックはアルカンエイクに力を貸す義理は持って居なさそうだが、その飼い主である星の王子様との相性は悪い。
リズロットはある意味でベータ・ネットで一番多く会話を交わした相手である。奴のアニメ会話についていける相手が俺だけだっただけかもしれないが。
その裏で俺のことを殺したいと考えていたのだとすると、それはとても素晴らしい。リズロットに対する評価を上げる必要がある。どちらにしてもその目的は読めないが。
そう言う意味ではディールダームが一番判然らない。同じテロでも彼と俺とでは、その目的も方式も全く異なる。接点がないと言ってもいい。互い干渉せず、情報交換により利を得るのみ。ベータ・ネットでの理想的な関わり合い方だったと思っている。
であれば、今回のアルカンエイクへの協力――俺との敵対――によほどの利を見たのだろうか。
ディールダームほどの男を引き入れることが出来たというのであれば、そこはアルカンエイクの交渉方法の見事さがあったのかもしれないな。
駄犬をそこに加えるという失点さえなければ完璧だぞ、アルカンエイク。
お前の送り込んだ駄犬のお陰で俺は地球からのこの異世界への転移の法則。その一部分を理解しつつある。
今は貴方に感謝を述べよう、アルカンエイク。実際に出会うことがあれば、そのときには口に出来ないだろうからな。
俺はニアヴに応える。
「そろそろ頃合いだとは思っていた。俺の話を聞いてくれるか。ここからの話はお前たちにも関係がある話だ」
「妾たちにも? ふむ……聞かせてもらおうかや」
村人に聞かせる話でもないので、宴会場から少し離れた馬車の位置まで移動する。
馬車のステップに腰掛ける俺を囲むように皆が集まる。
右からニアヴとアラナクア、その隣にシャルとジータ、フェルナ、セスリナ、最後にシーズといった順で輪を描く。
馬車には【狐光灯】が吊してあるので光量は十分。シーズのハーネス――馬と馬車を繋ぐ馬車具――は外されており、自由になった状態で六本の足を折りたたんで身体を休めている。
その大きな青い瞳は温厚というよりは静謐の印象であり、村の子供が無遠慮に頭を撫でても暴れることもない。ますます主人に似ていると言わざるを得ない。
ちなみに、パレイドパグは輪からはずれた、それでいて遠くない場所に陣取っている。
俺は一同を見回した後、おもむろに口を開いた。
「今から話すのは俺のことだ。いずれ話すつもりだったが、アルカンエイクの存在を聞き、その上パレイドパグまで現れたとなれば、今がそのタイミングだろう」
「ワーズワードさんのこと……知りたいです。聞かせてください」
「あのう……私たちは一緒にお聞きして大丈夫なのでしょうか」
「君も関係のある話だ。今は意味が判然らないかも知れないが聞いていてくれ」
「はい。わかりました」
「まず、そこに居るパレイドパグが俺と同じ世界から来たというのはいいな」
「セカイ? お主と同じニホンという国から来たということであろう」
「そう、まさにそこがはじめに伝えるべき点だ。俺とパレイドパグはそもそもこの世界の人間ではないんだ。魔法というものがない世界。『地球』という名の世界からやってきた。お前たちから見れば異国ではなく、異世界の住人だということになるか」
言葉を切る。
きょとんと、あるいは衝撃をもって俺の言葉を受け取る皆が作り出すそれぞれの沈黙の中、遠い宴会の騒がしさが場違いなほどに大きく聞こえる。
「……ブルルッ」
最初に声を発したのはシーズだった。
だからといって、意味はないが。
唐突すぎて、皆声が出せないのだろう。俺は各自の反応を待つことなく、話を続ける。
「俺は自分の世界で一つの計画を実行したが、その計画は失敗した。その結果、こちらの世界にやってきたんだ。どうやってこの世界にこられたのかについて。これはまだ推測の範疇だが、それにはアルカンエイクが『ティンカーベル』と呼ぶ存在が関係していると考えられる。アルカンエイクがシャルを求める理由もそこにある」
「私ですかっ……」
ここで自分の名が呼ばれるとは思わなかったのだろう、シャルが耳をピンと立ててびっくり顔を作る。
「言っていなかったが、シャルが身に纏う源素の光量は他の人間に比べて格段に多いんだ。ニアヴには及ばないにしても、その光量だけならセスリナよりも、さらに言えばミゴットよりも多い。もしシャルが魔法を覚えたら、二人以上の使い手になれるだろう。そしてジータ、君もまたその『ティンカーベル』だ」
「……はい?」
「妹にそんな素質が」
ジータが小首をかしげ、フェルナは驚きと共にシャルを見つめる。
「そしてもう一つ――」
俺はそこでニアヴに向き直る。
ニアヴの瞳は真剣さを宿して俺の言葉の続きを待っている。ここまでの話の中でも多く俺に問い質したいことがあるはずだが、それらを全て後に置いて、俺の話が一通り終わるのを待っていてくれているのだろう。
それが己に重く関わる話であるという、予感めいたものを感じているのかもしれない。
俺はゆっくりと、そして静かに口を開く。
「――世界を渡るには『ティンカーベル』以外にもう一つの条件が必要なのだと考えられる。それがお前たちの護る『濬獣自治区』という土地だ。そこが、世界と世界を繋ぐ特異点。
『深き山林は人の地ではない、故に侵すべからず』。
それがお前たち濬獣の使命だったな。考えるならば、人それ自体の排除が目的ではなく、人の中に少数存在する『ティンカーベル』を特異点へ近づけさせないことがお前たちの使命なのではないのか。すなわち、俺同様の異世界からの転移者を生み出さないための。
さらに想像をたくましくするならば、その使命をお前たちに与えたのは俺同様、過去にこの世界にやってきた地球出身の人間なのではないかと言うところまで俺の想定は進んでいる。土地を護る者……統治者のことを俺の世界では『ルーラー』と呼ぶ。それがお前たち『濬獣』の語源なのではないのかと。
いずれにしろ、お前たち自身はその真の目的を知らないか、長い時間の間に忘れているのではないだろうか。
故に、お前は治林において人の交通を許し、そこに偶然『ティンカーベル』であるシャルが通りかかった。そして、その偶然が俺をこの世界へ導いた」
故に、こう結論づけることができる。
「『ティンカーベル』と『濬獣自治区』。この二つが揃ったとき、世界の門は開かれる」
と。
◇◇◇
『南の法国』・アルトハイデルベルヒの王城
フィリーナの一件、それは丁度ワーズワードがパレイドパグに現地語を教育するため室内に篭っていた時間帯の話である。そして、パレイドパグから『番人』『ティンカーベル』『楽園』といった幻想単語の散りばめられた『アルカンエイク・レポート』の話を聞き、部屋から飛び出す、その直前に――世界を渡る源素の波紋の揺らめきが再び発生していた。
室内にいたワーズワードはそれには気づかなかった。さらに言えばパレイドパグはその時、『アルカンエイク・レポート』の意味について沈思黙考するワーズワードの真剣な表情以外何も見えない盲目状態であった。
アルカンエイクの自室――王の部屋は、一流ホテルの最高級スイートルームを超える華やかであり、デザインも宝飾細工も最上級の調度品が揃えられている。
それらよりもさらに目を奪われるのは、展示会場のように集められた美しい装飾品、工芸品の数々だろう。
絵画のような美術品がないかわりに金属細工の装飾品の種類は多様である。ガラスケースに展示された飴色に輝く真珠の王笏とエメラルドが飾り付けられた宝冠。その横には数々の宝石埋められた指輪が、つや消しの黒い台座の上で世空に瞬く星々の如く光を放つ。その中でも特に目を引くのは中央に位置する巨大なルビーの指輪だろう。輝きを生み出すカッティングの技術がない変わりに炎のような原石の形状を活かした野性の美がそこにある。
いかにも高級な白い刀身の剣と鞘、そして装飾盾が壁に掛けられており、それらはそのまま後世に伝えられれば、天空の~や七曜の~といったレジェンダリーな接頭語がつけられてしかるべき逸品である。
この世界の耳の長い現地人を妖精と呼び、そこに人権を認めていないようなアルカンエイクだが、その妖精の生み出した工芸品には価値を感じている。
その価値観は、かつて覇権を握った際に、世界中の宝という宝を自国の蔵に蒐集した英国人の血が、アルカンエイクにも流れているためであろう。
それら陳列された品々の中には魔法の力を付与された品――アーティファクト――も当然存在しているが、それはアーティファクトのもつ魔法の力ではなく、その形状、源素の美しさに価値を感じていた。
古の王国で作られたというアーティファクトは、例え魔法が発動させられなくとも、見た目の美しいものが多い。
今リズロットの興味を引いた品は、メイプルリーフのような形状の葉の形をした台座の上に乗った果実型の宝玉であり、その宝玉は薄桃色の燐光を発していた。
宝玉内部には低速で回転する大きなトラペゾヘドロンがある。12の点で組み上げられた偏四面立方体がその形だ。10面サイコロを思い浮かべて、それを上下に引っ張って伸ばした形と言えばわかりやすかろうか。
それは、『宝樹の心果実』といわれる銘を持つ『森珠国』の――今は亡き国の至宝だった。
「あげませんよ?」
「いりませんよ。ただ、この柔らかい光に照らされると、どうも落ち着かない気持ちになります」
リズロットの答えに、アルカンエイクが答える。
「これは『宝樹の心果実』と言われる代物ですな。どんな怪我や悪疫も癒す魔法の力が込められております」
「悪疫を癒す。そんなものが近くにあっては、貴方が死んでしまいませんか」
「ええ、ええ。『ミーム』に作用するようでしたら、危険だったかもしれません」
勿論ここにあるのは彼の集めたもののほんの一部であり、更に莫大な金銀宝石、装飾品の類が王城の宝物庫には収められている。
部屋の中央には絹を引いた晩餐会にも利用できそうな長方形の長机とその左右に十二脚ずつ計二十四脚の椅子が置かれている。
部屋を一周してそれらの美術品を見て回った後、みな自然に適当な席についた。
ディールダームの連れてきたティンカーベルの少女は、部屋の中を歩きまわるだけの神経はさすがに持ちあわせていないようで、部屋の入口で足を止めて、中から自分が見える位置で立ち止まっている。
「良い趣味ですね」
「これでも王様をやっていますからねぇ」
「その割には家臣の皆さんには興味がないようで――」
と、そこでリズロットは言葉を切った。
アルカンエイクが片手を上げて、続きを制したからである。
「なんですか」
「妖精の粉の波紋現象です。パレイドパグさんかジャンジャックさん、どちらかが時間差でティンカーベル・プログラムを利用したようですな」
「なるほど。人間が次元を超える事象は世界に伝わるのですか」
「マァ、この世界の住人たちの目には妖精の粉は見えませんので、それと気付けるのは我々だけでしょうが」
「目に見えない?」
「そうです。この妖精の粉は我々の目にしか見えません」
「行動を開始する前に知るべきことは多そうですね」
「マァ、少しばかりはお教えしましょう。人のみが持つ『ミーム』。ミームは、次元・空間という物理の壁を超えて伝播可能である性質を持ちます。このミーム理論により楽園の存在を確率論的に発見した私ですが、どうしてもそこへ行き着くことはできませんでした。肉体という物理存在は、次元を超える事はできないからです。同じ次元内であれば質量は移動できます。ですが、異なる次元からの質量の転移はゼロをイチにする行為」
リズロットは頷き、当然のようにその言葉を理解する。
「発生するのは極小のビックバンですね。それが、この波紋現象につながるのですか。ですが、それでは転移と同時に質量――肉体ははじけ飛んでしまうことになりませんか」
「それこそが発見なのですよ。幾度もの検証実験を経て、ついに私は発見しました。楽園の門という特異点まで誘導された『ミーム』は、『ティンカーベル』のみが持つ特異な粉と反応し、その器たる肉体を次元を超えて一意に特定し呼び寄せることを可能にすることを」
「まさに世紀の発見と言うべきですね」
感心しているのだろうが、まるで感情の感じられないリズロットの称賛の声である。
ディールダームに至っては、身じろぎすらしない。
「マァ、それはそれとして、新たな協力者ですな。洞窟には一つ仕掛を入れております。何者かが侵入すれば、私の許へ転送されてくるように」
「抜かりないことです」
シュン――
三人が思い思いの位置に座る長机の上、そこに源素で描かれた半球体が出現した。
それはアラナクアの使った【ホワイトホール/兎穴】の魔法を完全な球面上下に断ち切った形である。
皆の視線を集める中、その面の部分から一つの黒い影が転がり落ちてきた。
「さてジャンジャックさんとパレイドパグさん。どちらの登場でしょうかねぇ」
ウキウキとしたアルカンエイクの呟きである。
人であるならばかなり小柄である。そして黒い影と言ったが、それは形容の意図ではなく、掛け値なしに真っ黒い姿だった。一メートル弱の高さから机の上に落ちたというのに、音もない。想像するならば、それは猫のような柔らかい着地であり、そこで身体ごとの一回転を加えることで、さらに衝撃を吸収したのであろう。
その人物は膝を折り、片手をテーブルに付けた状態で素早い目の動きだけで周囲を確認した。
勿論それはパレイドパグでは有り得ない。今初めて姿を見せる最後の一人――
「むぅ」
ディールダームですら、小さく声を発する。
「なんと――」
アルカンエイクですら、それは想定していなかったもの。
そして、これまでまるで感情を見せなかったリズロットの瞳が、キラキラと――キラッキラッと輝きはじめる。
ガタンとイスを蹴って立ち上がり、歓喜の声を上げる。
黒い姿――黒い頭巾とマスクで頭と口元を覆い、目元だけを出している。その瞳の色も漆黒だ。
全身を覆う黒い布地の東洋風の民族衣装で、足元まで真っ黒な布で覆っている。
性別は女性。小学生かと見まごう程の小柄であるが、その冷たい瞳は子供のそれではない。
その姿は、なんというか有名だ。世界中の人間が知っている。たとえ仮想空間内でしか見たことがないとしてもこう呼ばれるものだろう――
輝く瞳のまま、身体中から満面の喜びを表現するリズロット。
「――ワオ! イッツ、ニンジャ!?」
◇◇◇
『北の聖国』・フェルニ村。
俺がニアヴ治林でシャルと出会い、そしてニアヴと出会ったのは偶然であり、そして必然でもあった。
俺がそうであるのだから、アルカンエイクもまた同様に別の濬獣自治区に現れたことも想像に難くない。そうであれば、それはアルトハイデルベルヒの街に最も近いレニ治窟だ。
レニとの不通こそが想定外だが、だからこそアルカンエイクの関わりを一層濃く感じられる。
俺が何者であるか。それを伝えることは、ニアヴにお前は何者であるのかを問うことも意味していた。
ポツリとニアヴが呟く。
「……妾たち濬獣も死なぬわけではない。生きとし生けるものには皆死は訪れる。それでも『ニアヴ』は滅びぬ。妾が死すれば次なる者が『ニアヴ』となり治地を護る役を引き継ぐ」
「なるほど、それでレニの死亡について確認したとき、それはないと断言したのか。たとえ今の代のレニが死んだとしても、代変わりするだけだという意味で」
「……じゃが、そのような話は知らぬ。妾は己が使命と力を受け継いだ『ニアヴ』じゃ。世界の門? 特異点? 何のために、誰が命じたじゃと? そのような話は全く知らぬッ!」
ニアヴの動揺は震える声となり、誰も声をかけることができない。
同じ濬獣であるアラナクアですら、ただオロオロと成り行きを見守るばかりである。
俺が考えていた以上に、それはニアヴにとっては衝撃を伴う内容であったらしい。
喜怒哀楽はあれど、話の理解に関しては冷静なニアヴがこのように動揺する姿は予想していなかった。
「落ちつけ」
伸ばした俺の手を払いのけて、ニアヴが顔を上げた。
その顔は涙に歪み、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちている。
「お主が異世界人じゃと言うなら……では、妾は一体なんなのじゃ!?」
「ニアヴさまっ!」
シャルの声もアラナクアの手も振り切って高く跳ね上がったニアヴが、馬車の屋根を蹴って夜の森に姿を消した。
そして、夜が明けてもニアヴが帰ってくることはなかった――
ネットという匿名の世界を超えて、転移者たちが姿を現す。
ある者は協力者となり、ある者は敵対者となる。皆、己の思惑で行動する小さな嵐ともいうべき存在だった。
今、また一つ、世界の仕組みを解き明かすワーズワードだが、それは旧習の中に在るニアヴに大きな混乱をもたらすものであった。
次なる舞台には一体何が待ちかまえるのか。
そして、ワーズワードの冒険は続く。
少し長めの最終話でえぴ6おわりです。
それではまた、忍殺語不可避の新章でお会いしましょう。