Packdog's Paradox 09
白金の輝きと共に、銅塊が急速にその質量を減らして行く。
揺らめく炎を反射する――それは貴金属のみが持つ美しい輝きだ。これは間違いなく銀だろう。
100キロ程度生成しておいた銅塊からの生成量は重量換算で2キロもない程度だろうか。周期表を縦に変化させる地神魔法は恐ろしく効率が悪いな。元手がかかっているものでもないので別にかまわないが。
黄源素の効力で俺の制御を受け入れ、粘土の如く形状を自由に変えられる点は、素材がなんであれ変わらない。
必要な食器はカップとソーサー、それに蓋とスプーンでワンセットである。
やや深めに作ったカップは陶器であれば和風にデザインするところだが、銀器であればやはり洋風に合わせる方が王道であろう。全体は王室御用達品をモチーフに、細部は我流で特徴付ける。取っ手はない。
かの国の王族が好む百合やギジタリスの代わりに、こちらの世界の花であるレネシスをイメージして浮き彫り風に仕上げてみた。
そうして生成された銀食器が15セット。
「うまくいったようだな」
そこには複雑な思いもある。
これで『銀を作るには白銀長方形が必要である』という俺の想定は完全に外れたわけだ。
同様に銀から金への組成変化は黄金長方形でいけるのではないかという想定も崩れたのだから、なんの手掛かりも得られていないままで次なる金の生成を検証してみようという気にはならないな。
どうやら黄金の卵を産むガチョウの貴重さは、こちらの世界でも変わらないらしい。
俺の銀生成検証実験を息を飲んで見守る一同。風も凪ぎ、炎だけがパチパチと燃焼音を立てる。
そこに一つの拍手が響いた。
「おー、成功したのか? ほらみろ、アタシの言った通りだったじゃねーか」
「そのようだな。魔法のなんたるかを知らず、それでいて説明も少ない俺の理論の抜けを指摘し、更には唯一解を提示した。見事だ、パレイドパグ」
俺の素直な称賛に、パレイドパグの拍手がピタリと止まった。
「なにいきなり真面目なこと言ってやがんだ! ばかじゃねーの!?」
「罵倒されるような言葉は口にしていないはずだが……俺はそれで喜ぶバイゼルバンクス(B.B.)のような性癖は持ちあわせていないぞ?」
俺が口にした一人の『世界の敵』の名に、パレイドパグがわかりやすい拒絶を示す。
「ゲー、良い気分の時にヤな名前出すんじゃねーよ。あのヘンタイヤローこそ絶対ジャパニーズだと思ってたのに、テメェの方がジャパニーズだったなんてな。笑えない冗談だぜ」
「……お前は日本人を何だと思っているのだ? さすがの俺もアレと一緒にされるのは心外だ」
とかく世界とつながらない孤絶主義者と呼ばれる俺たちだが、その中でもバイゼルバンクスの在り方は心の底から言って、頭がおかしい。もちろん褒め言葉だ。
世界の人間がみなバイゼルバンクスのように生きることができれば、それは幸せな世界になるだろう。俺はその世界には住みたくないが。
そんな誰にも意味不明な俺たちのやり取りが呼び水になったのか、静まり返っていた村人たちの間にざわめきが広がり、そんな中で法国の騎士たちの会話がぽつりぽつりと聞こえてくる。
「銀……銀って言ったよな、しかもそれを成功させたって」
「あの食器の輝き、確かに銀色だけど……けど……」
「銀を生み出せる高位魔法使いは、南の法国でも大神殿を除けば10人もいないよな」
「ええ、全員旛貨鋳造局にいるはずです」
「旛貨鋳造局って……そりゃ国の最高機関じゃないか!」
「それを今目の前で? ありえないだろーよー?」
段々と大きくなる、そんな声。
目をぱちくりさせたセスリナがおそるおそる銀の食器を手に取った。
自分の顔がそのまま映る鏡面率100%の銀食器。その手触りと金属光沢を見て声を上げる。
「わわ、本当に銀の食器だ! ウチにあるのよりずっとかわいいっ、これ欲しいっ!」
女性があるものに高い評価を下すときの『かわいい』はおそろしく万能な言い回しだな。
樹村で暮らす村人たちにとって、貴族のセスリナは天上の存在だ。そして銀食器の存在もまた、貴族のセスリナと同じく天上の存在である。
そのセスリナがお墨付きが出したということは――
「おい、本当に銀なんだとよ!」
「私、銀の食器なんて見たことがないわ、近くで見てもいいのかしら!?」
「それじゃあ私も」
「おらも!」
「お、おおおおおおおお!!!」
一気にボルテージを上げて、作り出した銀食器に集まってくる村人。
はい、どうぞご自由にご鑑賞ください。
そこで俺はニアヴに向き直る。
自分もそれらの食器をじっくり見たいところをぐっと我慢、そんな悔しそうな顔をしている。
「そっちの食器は足りているのか? ないなら追加で作るぞ」
「いらぬ情けじゃ! 料理の味が器で変わるわけではなかろう!」
「確かに料理の『味』は変わらない。だが、食事の『味わい』は変わってくるぞ」
「む、それはどういう意味じゃ」
言葉の中に自分の判然らないことがあれば、そこで思考を切り替えて意味を確認しようとするその姿勢は褒められる資質である。
「食事というものは料理の味が全てではないと言うことだ。味を愉しむのは当然として、目で楽しみ、人と楽しむことも重要な要素だ。味だけでない、食材の質、料理人の技と心遣い、器の良し悪し、友との歓談、より美味しく食べられる環境作り。俺の国ではそれらが妙味に組み合わされた『味わい』こそが評価される」
俺自身は独り身の食事に慣れ親しんできたので、食材の安全性以外にはあまり価値を見出してはいないが、一般的な話としてはそうであるらしいので説得力はあるだろう。
「ふおおおおおお……」
まるで雷の直撃を受けたようにピンと尻尾を立て、衝撃の大きさを表すニアヴ。
「毎度お主の言は難解じゃが、今の言には感じ入るものがあった。味の他に目に見える器や目に見えぬ心の『聲』にも意味を求める。一人で食べる食事よりも大勢で囲む食事のほうが美味い、そういうことじゃろう」
「聲? それは知らないが大体そんなようなものだ。さすが理解が早いな」
「まさかお主にそこまでの食へのこだわりがあったとは……妾は今、猛烈に感動しておる!」
いや、感動はいいんだが俺を自分のお仲間みたいな目で見てくるのはよせ。
俺は別に、お肉大好きはらぺこ時空の住人ではないぞ。
「で、器はどうする?」
「そうとわかれば、もちろん用意してもらおうかや。シャルよ、どのような器が必要じゃ?」
ニアヴの振り返る先には、周りの声が一切聞こえていないかのように料理を続けるシャルの姿がある。
村人たちのどよめきにも顔を上げず、サチアロを捌き分けるシャルの手が止まることはなかった。
それは俺の魔法に興味がないというのではなく、今はなによりも自分のできる精一杯で美味しい料理を作ろうという気持ちが先行しているためだろう。
だが、それは集中を示すものであって、他を無視するものではない。ニアヴの声は確かにシャルに届いている。その証拠に、長い耳がピコピコと動く。
「大きなお皿がいいです。これからお肉を順に焼いていきますので、一頭丸ごと乗せられるくらいのをください」
その瞳には絶対の意志がある。
いつもの遠慮がちなシャルではない。必要なものを必要だというその躊躇ない言い切りは気持ちいいな。
「よろこんで」
そう、銀だろうが魔法道具だろうが関係ない。これは無料の技術なのだから遠慮など、するだけ無駄なのだ。
再び源素に精神を集中する俺の姿に、皆の期待の視線が集まる。
だが、劇場型の演出はもう十分だろう。銀に関する長口上が見当外れだったのも恥ずかしいことではあるので、ここは粛々と作業をさせてもらおう。
銀生成の図形は判明したので、事前に銅塊を準備しておく必要もない。土中の鉄分からの連鎖生成で一気に銀まで作り上げることにする。
ここまででも広場の片隅に結構大きめの穴をあけてしまっているわけだが、質量の激減する銀を大皿の質量分用意するには、さらに倍する深さまで掘り進める必要がある。
後で穴の内壁を適度な金属に組成変化させて、地下貯蔵庫風にでも仕上げておくか。なんにせよ、落ちたら骨折必至の大穴はそのままにしておけない。
その辺はあとでティルに相談することにしよう。
今はまず――俺の正面に魔法の発動光が連続して弾ける。
一度成功した魔法が失敗するはずもない。長辺が一メートルを超える角を丸めた長方形の形状を持った銀の大皿、それは瞬く間にできあがった。
だが、細部の仕上げはさすがに瞬時というわけにはいかない。
黄源素を頂点とした四角錐、【ジマズ・シルバーウェア/地神銀食器】の発動図形を維持しつつ、先に作った銀食器と統一デザインに仕上げて行く。シャルから直々のオーダーなのだ、俺も気合を入れなければならない。皿の縁にぐるりとつながったレネシスの花冠の意匠には特に力を入れ、実に30秒以上の時間がかかってしまった。
「こんなものか」
「あれ、今【コール/詠唱】もなかったような」
「必要ないからな」
「そうなんだ。それにこっちもすっごいかわいい!」
案外すんなりと納得するセスリナだが、判然って言ってるのだろうか。
「わー、こんなに大きいのに、本当に全部銀なんだ」
「当たり前だろう。それに土中の銀鉱脈からの採掘と異なり、魔法により生み出された銀は間違いなく純度100%だな」
「何言ってるの? 銀と金って魔法でしか作れないじゃない。土の中にあったら、みんなお金持ちだよ。ワーズワースさんって魔法はすごいのに、知らないこと多いんだあ」
誰が黄金に輝く水仙と風に揺られて踊る花々だ。
限りなく惜しいがそれは別人である。
そしてその実在の詩人の名であれば、ネット上では数多く間違ってそう呼ばれていたので、許容できる。誤記しやすい識別名を付けた『STARS』が悪い。
しかし、妙なタイミングで新しい情報を聞けたな。
金と銀が魔法でしか生み出せないということは、それにより金貨、銀貨の鋳造量を調整しやすく、偽造も難しいということになる。
貴金属を生み出せる高位魔法使いは国の管理下にいるわけなので、管理外の貴金属が発見されれば、それは一様に違法として摘発できる。俺ならそうするだろう。
「そうすると、今作ったこれらは違法製造銀になるのか? 逮捕か?」
「なにがそうするとなのか知らないけど……逮捕じゃなくて、皇帝陛下勅令でのお召し抱え状が来るんじゃないかな。銀と金を魔法で作れる人ってすっごく少ないはずだから」
「なるほど。摘発するのではなく取り込むわけだな。それはとても実利的だ。まあそれはそれで良い。シャル、皿はこれくらいの大きさで大丈夫だろうか」
「はい、大丈夫です」
言いながらもシャルは、料理をする手を止めていない。
その一生懸命さ、何かにひたむきな姿というのは必ず共感を得られるものである。
「これもまた見事な出来じゃな。ではこれは妾が運んでおこう」
「ああ、頼む」
銀の大皿ひとしきり興味深く眺め、早速ぺたぺたと触って指紋だらけにするニアヴ。
やっぱり、触りたかったんだな。
おおだのうむだのを言いながら、シャルの傍へ戻って行くが、はやりどう見てもニアヴが料理を手伝う気配は微塵もない。一体どこで本気を出すつもりなのだろうか。
だが、これでこちらもやっと料理開始だ。
「さて、では始めようか」
「はーい」
◇◇◇
炎を照り返し、キラキラと輝く調理器具。
この世界の誰も見たことのない形状の器具もあるが、セスリナはそもそも調理器具自体を見たことがないので、その点だけはチャラである。
つまり全てが初めての状態からのクッキングスタートだった。
「まずは鍋の中に湯を沸かす。魚の干物を入れて煮込み、出汁を作る」
「どばば~」
「次に山菜、キノコを良く洗って、細かく刻む」
「んきゃああ! 指きったぁ!」
「サチアロ肉を細かく刻み、少し炙っておく」
「炙るってどうやるの?」
「そして、卵を溶いて出汁と合わせる。泡立たせないようにゆっくりと」
「あわわわわ」
「これで下ごしらえは完了だ」
「やった、できたー!」
全くできていなかった。
出汁の味付けは俺が調整し、山菜もキノコも結局ほとんど俺が切った。
炙るの意味を教えるところから始まって、泡立った溶き卵は一度捨てて作り直した。
「でで、これで何が作れるの?」
「俺の国にある茶碗蒸しという一風変わったスープ料理だ」
「これだけでスープができちゃうんだぁ、すごいすごいっ」
「すごくはないんだけどな」
「でも、ちゃわんむして、聞いたことないかも」
「ならばひとつ勉強になったな。作り方もちゃんと覚えておけよ」
「うんっ」
階級制度というのは、身分以上に得られる知識の範囲を限定するものだ。平民は平民の知識しか得られず、貴族は貴族の知識の中でだけ生きる。
セスリナは料理の方法など知らなくても、一生困ることなく生きて行ける。
だが、それは今の話だ。現在の階級制度が崩壊し、身分の上下の壁がなくなった時、人は己の力を頼って生きて行かなければならなくなる。たかが料理でも今まで自分になかった知識を得ることはやがて来る未来に向けての肥やしとなる。
セスリナに限っては魔法が使えるので、俺が心配はする必要はないだろうが、アルカンエイクが王になれるような世界なのであれば、革命の訪れる日は早そうである。
「茶碗蒸し……魚の味のスープなんだわ。でも、生の卵をあんなふう混ぜて美味しいのかしら?」
村で料理番を担当しているのであろう年頃の娘が俺たちの料理手順を興味深そうに追っているが、ここまでの手順ではまるで特別なことをしていない。
出汁と溶き卵を合わせるところで、少し驚いては居たようだが、どんな料理になるのかこの時点ではまだ彼女には想像しにくいだろう。
「では、次のステップだ。銀のカップに切った具材を並べる」
「ぽいぽいぽいー」
「あ、そこのカップに山菜が入ってないので、入れておきますね」
「そして、卵汁を流し込み、この柔らかい葉を挟んで蓋をする」
「わわ、こぼれたぁ!」
「私が代わります」
いつのまにか見かねた村娘さんが、手伝ってくれている。
「次はどうしましょう。ワーズワード様」
「よし、ではそのカップを蒸し器の中に並べてくれるか」
「この不思議な形の入れ物ですね……一段に5つ入るようですね。三段にわけて入れればよいでしょうか?」
「ああ、それで頼む」
そして、使えないセスリナは徐々に端へ追いやられ、村娘さんが俺の指示でてきぱきと働いてくる。
「蒸し器を火にかけて蒸すのだが、その蒸し時間がこの料理の最大の押さえどころだ。ここは俺がやるので、君は火の大きさと時間を見て覚えてくれ」
「わかりました。一生懸命、勉強させて頂きます。これは……湯気が出てきました。中はどうなっているのでしょうか」
「蒸気が充満した高温状態になっている。ポイントは蒸し器内部が常に湯が蒸気に変わるときの一定の温度に保たれる点だ」
「それに何の意味があるのですか?」
敬意を持って、そして謙虚な姿勢で。
わからないことはすぐに聞いてくる。とても教えがいのある生徒である。
「うう、私が手伝ってたのに……」
「お前も後ろでちゃんと聞いておけよ。とはいえ、あとはできあがりを待つだけだがな」
「そうなの? えへへ、自分でお料理したの初めてだから、おいしくできるといいな」
とことん貴族的な威厳のないセスリナである。
料理のできあがりを待っているところに大きな歓声が聞こえた。
見ると、シャルの切った骨付き肉をニアヴが【フォックスファイア/狐火】の魔法で一気に焼き上げている所だった。
それを実況するのは主審のティルである。
「ニアヴ様の魔法の炎の中で私の娘が捌いたサチアロが、おいしそうな香りをこの貴賓席にまで伝えてきます。いかがでしょうか?」
「あ? まあ炎のショーで面白いんじゃねぇの。肉なんて焼いとけばとりあえず失敗しねぇしな」
「娘の料理に失敗はない。ありがとうございます、最大の評価を頂きました」
確かにこちらの料理風景は地味なので実況には値しないだろうが、それにしても何かしら個人的な思いというか、偏向的ニュアンスの混じった実況である。
「くふふ、どうじゃ、妾の料理は」
「魔法の炎を使ったわけか。お前はそういう魔法の安売りはしないんじゃなかったのか」
「ことが勝負となれば話は別じゃ。妾の舌はサチアロの最高の焼き加減を覚えておるからの」
味の経験値というわけか。俺よりずっと永く生きているニアヴ。その中でもサチアロが一番の好物となれば、それは素晴らしい焼き加減になりそうだ。
確かに本気といえば本気と言えそうだ。そこにシャルの料理の腕前が加わるわけで。
何を焦ったのか、村娘が語気を強める。
「ワーズワード様。こちらもワーズワード様の魔法の炎で一気に」
「いや、さっきも言ったとおり、そういう火力の調整を不要にするのがこの蒸し器という調理器具だ。温度は常に一定になるので、あとは調理時間だけ覚えれば料理が完成する。魔法を使った料理では、次に同じものが作れないだろう」
「あっ、その通りです。すみません、私が浅はかでした」
「気にすることはない。だが、見た目に惑わされずものの本質を目を養って欲しい。君にはその素質がある」
「私に……はいっ、がんばりますっ」
ぽうと頬を染める村娘さん。
「ワーズワードさん……」
「てめぇ、ルーキー! なに勝負中に女口説いてんだ、マジメにやれ!」
手空きになったシャルと貴賓席上のパレイドパグから意味不明な非難を受けた。
身に覚えがないので多分冤罪だろう。
「……もういい頃だな。完成だ」
「こちらも完成じゃ!」
蓋の隙間から温かい湯気を立てる銀の器と、香ばしい香りを漂う銀の大皿。
ただそれだけで、蛮族の集会にも似た野天の宴会場は一気に華やかさを増して、この一角だけは貴族邸宅でもそうは見られないであろう気品を漂わせる。
料理における器の良し悪しの大事さがニアヴでなくとも理解できたのではなかろうか。
「やっとか。待たせすぎだってーの」
「お前のためでもないがな」
「へへ、なんとでも言えばいいさ。てめぇが素直じゃねぇのはアタシが一番良く知ってンだ」
何を言ってるんだ、こいつは?
まるで油断しきった駄犬の振る舞い。とりあえず計算通りの状況は出来つつあるようなので、よしとしよう。
であればまずは、据え膳食わぬはなんとやら、目の前のご馳走をやっつけるところから始めようか。