Packdog's Paradox 07
「うげ、まっじィ! こんなもん飲めねェぞ!」
いちいち声の大きいやつである。
やっと和んできた空気は瞬時に凍り付き、上がりかけの歓声もピタリと止んでしまった。
森の日没は早い。街であれば、まだ西日は円を保ったままで、これから段々と茜さす時間帯であろうが、この辺りは既に明かりをつけてやらねば、足元がおぼつかない。
村の中央広場は火除け地でもある。村ではこの場所でのみ火気の使用が認められており、それ以外の場所で火を使えば、厳罰に処せられるのだそうな。
広場の中心、木枠のキャンプファイヤーの上に組まれた大きな調理板の上では、葉に包まれた蒸し物や赤錆びた鉄製の鍋が並べられ、ほこほことあるいはぐつぐつと温かい音を立てている。
その中でもメインの料理素材は、サリンジご所望のサチアロである。本当に捕まえたらしい。
食材加工される前の姿を初めて見たわけだが、つるつるした肌とつぶらな瞳は死してなお『ぷるぷる ボクわるいサチアロ じゃないよ』と訴えかけているようだ。まあそこは美味しく生まれた身の不幸である。
村の入り口に止められた豪奢な六足馬車、生き神様とも言われる濬獣の姿、そして『南の法国』への移送のために連れ戻されたはずのシャルが、明るい表情で自分たちを迎えたこと……村に戻った男衆、誰よりもシャルの父であるティル・トロナ・フェルニの驚きはいかほどだったろうか。
ティル・トロナ・フェルニ。
あの二人の親なのだ。美形であるのは確定的に明らか。想定内です。
その後の胃の痛くなる自己紹介は記憶から消したので省略するとして、幾万とも思える感謝の声。かーらーのー?
村人総出での宴会が始まった。
俺たちを取り囲む村人が総数で85人。新しい血が入らなければ、三世代後には滅んでいそうなヤバイ人数の村である。
宴会には法国の騎士団も呼んだ。取引がまとまったのだから、過去の遺恨は公式の場にて抹消しておくべきである。
第三者である俺がティルとサリンジの間を取り持つことで、少なくとも周りの人間は、もう何も心配がないのだと、そう信じることができるのだ。
俺が顔を向ける度にいちいちビクつくサリンジの姿に、ティルも娘を任せることに安心感をもってくれたようだ。
腕力、魔法力、知力、筆力でも画力でもなんでもいい。相手より強い何かを持つこと。力こそパワー――それはどのような世界でも変わることのない絶対の律である。
今度の場合は交渉力か。自分たちではどうすることもできなかったサリンジを言葉一つで丸め込んだ俺の口のうまさを買ってもらえたのだろう。
メインのサチアロが焼き上がる前に、まずは今日の状況が平和的解決を見たことに感謝を込めて、村一番の酒での乾杯となったのだ。
そこで駄犬の一声である。
貴賓席でゲーと舌を出しているワンコを振り返り、俺はやや上空を指差した。
「パレイドパグ、これは読めるか?」
「なんだよこれって」
「教えてやろう、『空気』と読むのだ」
「へー」
よし、通じてない。
同じ地球人であっても、国が違えば通じる道理もないか。そこは反省。
「それはお主が酒の味のわからぬ小娘じゃろうが。このような上等な酒は妾でもそうは飲めぬぞ!」
「ありがとうございます、ニアヴ様。薬花の根を砂糖に漬け込んだこの薬糖酒は村の主要交易品でもありますので、私も幾許かの自信をもっております」
ニアヴの称賛に応えたのは件のハイスペックお父さんである。さらさらと流れる青の長髪は腰まで達し、白銀の輝きを湛える瞳の気品高さは、フェルナを無劣化のまま成長させて、さらに中性的にしたイメージだ。こんな『おそろしの森』の酋長にしておくのは勿体ない。
シャルの父なので、全面的に味方ではあるのだが、ついサリンジに酒を注いでやりたくなる俺の気持ち判然るだろう。
「しるかよ。こんなまずいモン美食の国に住んでるてめェだって飲めないだろ。なあオイ」
そう言って、俺に同意を求めてくるパレイドパグ。やめてください。
「美食の国じゃと? お主の国はそのような素晴らしい国なのかや」
「ったりめぇだ。『ニホンショク』っていやぁ、ここ数年ずっと世界一の評価だしな。まあエールにかんしちゃ、アタシの国にゃかなわねェが」
「ふん、話半分じゃな。誰しも己の母国は褒め称えるものじゃからの」
「なんだと……おい、ルーキー、お前からも言ってやれって!」
「俺に話を振るな」
「でもワーズワードさんは一度だって、食事のことで不満を口にされたことはないですよ」
「そうじゃな。シャルの作る食事に文句を聞いたことはないの」
「マジかよ、てめェ本当にうまいと思って食ってんのか、こんなのをよ」
「だから、俺を巻き込むなと」
味の好き嫌い、それは人の持つ価値観の一つである。
とくに、誰かと一緒に食べる食事で味の好みが合わないという価値観の差は、最も直接的にその人物への好悪につながる要素である。同じ食事を食べて、片方が美味しい、もう片方がまずいという人間同士はうまくいかないものだ。
それをわかっている俺が要らぬ火種をまく理由がない。
だが、俺の言葉を待つシャルの視線の圧力には回答を用意せざるをえない俺である。
「……シャル。こんな駄犬の言うことを気にする必要はない。君の作る食事は大変に『安全』で俺は満足している」
「よ、よかったです~」
「それ見よ。こやつもうまいというておるではないか!」
「あ? うまいって言ったのか、ルーキー」
「ああ、とても安全だと言った」
「あの、もしかしてそれは美味しいとは違う意味なんですか……?」
「いや、違わないぞシャル。違わないくらい近い意味だ」
「つまり違うんだろ」
「…………」
「…………」
俺たちの頭上に沈黙のベールが降りてくる。だから、食事の話はしたくなかったのだ。
炎が一つ爆ぜた。
パレイドパグの暴言で一時止まっていた笛の音も今はもう再開されており、俺たちの口論は宴会には影響しない極小化された一シーンとなっている。
貴賓席のやり取りが皆の楽しさを奪っているわけではない。
濬獣・ニアヴの気さくさはシャルを通じて皆に伝わっており、更には美しい六足白馬のシーズやきょうあくなアラナクアを見た後では、少し騒がしい程度の小娘が増えたところでそれを気にする者はいない。
ちなみに、アラナクアは己の治地に帰ったようだ。ジータが心配だとかなんとか言っていたが誰のことかは知らない。
そこで、ニアヴが俺を責めるように苦々しく口を開く。
「お主もこの小娘のいうように日々の食事をまずいと思っておったということかや」
「いやいや。シャルの選ぶ果実はとても新鮮であり、肉であればウェルダンまで火を通す。それはただの安全ではない、とても安全だということだ」
「ワーズワードさん……」
うるうるとした瞳で俺を見上げるシャル。
むう、納得して頂けていない様子。
「それみろ。アタシらはもっとうめぇ料理を知ってんだ」
「それほど言うのであれば、お主がその美味なる料理とやらを作ってみせぬか!」
売り言葉に買い言葉。なんでこの二人はなにかにつけて張り合うんだ。
「いいぜ、本当にうまいものってモンを食わせてやんよ。作ってみせてやれ、ルーキー!」
部活の後輩に命令するように俺の肩をポンと叩いてくるパレイドパグ。
意味がわからない。
「ワーズワードさん、お料理もできるんですか?」
「できなくはないが……ってなんで俺が作るんだ」
「アタシは料理できねぇんだから、てめぇが作るしかねェだろ」
さも当然のように言い放つ。
初対面の人間、それも年上の相手にここまで敬意を払えない態度はどうなのだ。本当に最近の若者は。
「よかろう、ではお主がそのうまいものとやらを作って見せるのじゃ。もしその言葉に偽りあらば、お主にもなんぞ罰則を受けてもらうからの!」
「完全にとばっちりなんだが」
「キャハハハ! 面白れェじゃねーか。どうせなら化け物、てめぇも作ってみせろよ。まずかった方が罰ゲームをうけるってのはどうだ?」
「よいじゃろう!」
「料理対決……大変に面白い催し物ですね。では、私が取り仕切りましょう。食材は自由、制限時間は一時間でどうでしょうか」
フェルナと並び立てば兄弟にしか見えないシャルの父のノリがウザい。
だから酒の席は好きではないのだ。
と、そこに、宴会の輪の外から一つの明かりが近づいてきた。
「あー、なんか始まってる」
どこかに行っていたフェルナとセスリナが戻ってきたようだ。
「父上、ご無事でしたか」
「フェルナ、大体の事情はシャルから聞いた。私は息子と娘の少し早い巣立ちに驚きと……そして喜びを感じているよ」
「父上、私もです」
「お父さん、フェルナ兄さん……っ」
三人のやり取りに、村人たちの中には涙を流して感動を表している者もいる。
とはいえ、人前でこういう恥ずかしい会話をよくできるものである。俺はその愛・家族空間に触れないよう、弧を描いた迂回路を選びセスリナの元へと歩み寄る。
「で、お前たちは二人でどこに行っていたんだ?」
「えっとね、これ!」
「これは……弦楽器か」
「そうなの! フェルナくんが楽器を持っているっていうから、探してきたの。フェルナくん、村の外に隠れ家持ってるんだよ」
「……フェルナくん」
「はい。村の中で剣を振り回すわけにもいきませんので」
「私のこの革鎧もフェルナ兄さんのお下がりなんですよ」
「いや、それはいいんだが。フェルナくんでいいのか、お前は」
「は……セスリナ様には呼び捨てをお願いしたのですが、その方が呼びやすいと……」
「だってフェルナくん、まだ十九歳だよ。私は二十歳になったんだから、私の方がお姉さんなの」
ふふんとふんぞり返るセスリナ。フェルナくんの気苦労が忍ばれる。
そして、セスリナが俺の鼻先にその弦楽器を突きつける。それは材質的には数段落ちるが、昨日の楽団員の持っていたものと同じタイプの楽器だった。
キラキラとした瞳で口を開くセスリナ。
「折角一緒に旅するんだから、色んな曲を弾いてほしいの!」
「わ、いいですねっ」
「私もセスリナ様と妹が絶賛するワーズワード様の音楽には大変興味があります」
「あのな……セスリナの脳天気は仕方ないとして、二人とも気を抜きすぎではないか。さっきも法国精鋭騎士団との命を削る激闘があったばかりだろうに」
「なにそれ、ひっどーい! 私、脳天気じゃないよ」
「激……闘……?」
「はいそこ、疑問符つけない」
まぁ馬車での移動を考えるなら確かに暇つぶしの一つもあった方がよいだろうが。
というか、楽器の趣味があるということは、コイツは家族愛に溢れた腕の立つ美形の剣士な上、音楽の才能まで持っているということか。
呪言的意味を持つ様々なネットスラングが脳内に浮かぶが、シャルの兄に向ける言葉でもないので打ち消しておく。
兄より優れた弟は存在しないというが、群兜より優れた紗群は存在するという非情な現実である。
「なんの話してんだ、今は料理対決中だろうが! 大体、なんでてめェの周りには女ばっかり居るんだよ……ッ」
遠くから野犬の遠吠えが聞こえてくる。
「料理対決? ワーズワード様は料理もできるのですか」
「できなくはないが……と、さっき同じ話をしたところだ」
「魔法の力に人望、経済力、話術……それに料理や音楽もおできになるとは、同じ男として羨望の念を禁じ得ません」
「それは俺のセリフのはずなんだがな……」
伊佐坂家の芝生は青いという話か。
「シャル、お主は妾を手伝うのじゃ!」
食材を吟味していたニアヴがシャルを呼ぶ。
「はい、お手伝いしますっ。きっとお口に合うものをつくってみませす、負けませんよ、ワーズワードさんっ」
「ああ、やるからにはベストを尽くそう」
自分の作るものが俺の口に合ってなかったのではないかという不安に駆られたシャルが名誉を挽回させるべく裂帛の気概で駆けて行く。
しかししまったな、シャルを取られてしまった。俺が先に声をかけておくべきだった。
「お料理対決かあ……あ、じゃあこっちは私が」
「断る!」
「えー、まだ何も言ってないのに」
ブーブーと口を尖らせるセスリナ。
「どうせ、料理を手伝うとか言うのだろう」
「おー、当たってた」
「しかもお前、料理経験ゼロだろ」
「それも当たってる!」
「ついでに言えばお前に手伝われたら、何を作ってもそれを食べるのは地面になってしまうに違いない」
「すごいすごい、多分それも当たりだよ!」
ひとしきりはしゃいだ後に、ズンと落ち込むセスリナ。
落ち込むぐらいなら、乗らないでいいだろうが。
「うう、私だって手伝いたいのに」
「わかった……ホラ、じゃあ手伝わせてやるからちゃんと言うことを聞くんだぞ」
「やったぁ!」
完全にハンデであるが所詮はお遊び、まさしくティルの言うとおり余興でしかないのだから、良いだろう。
利用できる食材はいくつかの根野菜に葉野菜、そしてパンを作るための謎麦粉に成分不明な木の実。川魚の干物や謎鳥の卵もある。メインはサチアロの新鮮な死体といったところか。
塩や砂糖、それに香辛料ならば、今朝、店の順番待ち客に配ってなお余った分が馬車に積んであるため、料理をするのであれば使えるだろう。
あとはアルコールとして薬糖酒。村の宴会は豪勢と言いながら質素であるが、バランスは決して悪くない。
ソーセージの茹で汁に塩をまぶしただけでスープ料理と言い張る究極の島国料理と栄養バランスを基軸に器や彩色、何よりも素材本来の味にこだわり抜いた至高の島国料理があり、そのどちらをも知ってる俺である。脳内記憶領域に蓄えられた数千のレシピの中から、手持ちの食材で作りうる最良の一品を考える。
……いや、味の善し悪しはともかく、シャルとニアヴにはぜひ俺の生まれ育った国の料理を食べてもらいたいな。その上で多少物珍しくもある料理――
よし、あれでいくか。
村の中央、主審を挟んで、二組の視線が交わり合う。
ダダンッダンダンッ(脳内ドラムロール)
「遂に妾の本気を見せるときが来たようじゃの」
「絶対おいしいって言ってもらいますっ」
ダダンッダンダンッ(脳内ドラムロール2)
「私、焼きたてのパンが食べたいな」
「よく見れば、調理器具の類が一切ないな。これは料理勝負として成立するのか?」
貴賓席上のパレイドパグを筆頭に、村人たち、サリンジと火神の神官、鎧を脱いだ騎士たちの全員を含んでヒートアップする場内。俺の疑問の呟きは虚空へ消える。
「キャハハハ! いいぞルーキー、やってやれ!」
「うそ、これ全部、アーティファクト……!?」
「黄金色の炎なんて初めて見たわ……すごく綺麗」
「あーん、シャルちゃん羨ましい! 私も紗群に入れてって頼んみようかな」
「六足馬の馬車に加え、これだけの数のアーティファクトを持っているとは……信じられん財力だ」
皆の目と興味は暗闇を照らすため、周囲に吊るした【フォックスライト/狐光灯】の方へ行っているような気がしなくもない。
【狐光灯】は今し方作ったものだ。旅立ちに際し、ガラス玉と水晶珠はそれなりの数を持ってきている。
この世界では一般的だという『樹村』。火気の使用が制限される木造の村では、温度を発しない【狐光灯】は安全の意味も加わり、より高い価値を持つかもしれない。ことが落ち着いたらイサンに販売ルートを開拓させよう。
思ったよりも誰も見ていない中、主審の手が厳かに上げられた。
「では――フェルニの村、第一回料理対決――始めてください」
二回はない。