Packdog's Paradox 05
「来ましたか」
彼の前に、二つの白い渦が巻いていた。
渦はやがて人の形をとってゆく。
「おや? お一人足りませんか」
白い渦が弾ける。
フラッシュのあと、静寂の空間には二人の男性の姿が追加されていた。
二人の男性はまず己の身体と周囲を確認する。
そして、ウチの一人が、己の身にまとわりつくまばゆいばかりの光の粒の存在に軽く目を見張った。
「これが『妖精の粉』……地球とは異なる世界が本当に存在していることの証拠ですか。信じられない、とてもアメージングだ」
男性の言葉は英語である。もちろん、白人の特徴を持つ男性なので英語圏の人間であるのだろうが、そうではなく確実に通じる共通語を選択しただけかもしれない。
年齢的には30代か。言葉では驚きを表現したが、その口調には穏やかというより、ただ淡々と事実のみを述べる冷静さがあった。
やや細身で筋肉のついていない柔らく白い肌をしている。
金髪碧眼。ややくすんだ色の髪はウェーブのかかった縮れ毛であり、碧眼には驚きのため、ではなく情報収集のために忙しく動いている。
服装としては毛糸のセーターと綿のスラックスに身を包んでいる。日曜日の午後の公園を歩いていそうな、ある意味で特徴のない男性であった。
「間違いなく肉体が物理的に転移している。そこに衣服が含まれていながら、装着中であった『アイシールド』が除外されている。腕時計、銃、ナイフ、エアロフォンそれらもまた消失している。この不合理に理由はあるのか」
もう一人は、身の周りの状況よりも、むしろ己自身に関する情報収集に重きを置いているようであった。
低い、巌の様な声である。
そしてそれを発するのは人間三人分の圧力を感じる分厚い肉体だ。
浅黒い肌には無数の傷跡が残る。それらは銃創、裂傷、縫合痕と多種多様だ。ネット上でのみ強大な権能を誇るサイバーテロリストではなく、現実世界でも十分にテロリストとして認識してもらえそうである。
歳は、同時に現れた白人男性とどちらが上かはわからないが、先に待ち構えていた中年男性よりは確実に下であろう。
年経た石木を感じさせる声の圧力に比べても、相当に若い。
そして、その声の重さや肉体の傷跡を超える人生経験の深みが、その顔面には刻まれていた。
例えば、生まれてこの方一度も笑顔を見せない生活をしていれば、こんな厳めしい表情のままで筋肉が固定化されてしまうのかもしれない。
比喩ではなく人の形をした岩石、そんなイメージの男性であった。
「第一声がそれですか?」
「それ以外は既に『アルカンエイク・レポート』にて確認済の事象だ。原理は理解せずとも、合理と解せる。だが、レポートに記述のない事象については、その因果を知り置くべし」
「それは素晴らしい危機管理の思考ですが、アルカンエイクの荒唐無稽な提案に乗った時点で無意味に過ぎるね。はじめまして、貴方が『エネミーズ4』ですね。ディールダームと呼んでも?」
「如何様にも。その飄々とした軽薄さ。貴様はリズロットか」
「ええ。そして――」
二人の視線が自分たちの正面に立つ、中年男性に注がれる。
威圧感ではディールダームに及びもしない。冷淡さではリズロットに軍配が上がるかもしれない。
だが、そんな二人の前に立つ、この中年男性の発する得体の知れなさはどうだ。
美しい直立の姿勢、堂々とした佇まい。彫りの深いアングロサクソン民族の特徴を端的に表した高い鼻と形の良い顎。瞳には知性が輝き、切り揃えられたあごひげには、気品すら漂う。
高級紳士服を見事に着こなすその佇まいにはご婦人方を魅了する渋い魅力があった。
いや、魅了されるのはご婦人方だけではあるまい。
なぜならば、文化圏に生活する人々の中で、彼の顔を知らぬ者などいないからだ。
男も女も老いも若きも、彼に出会えた喜びに必ずや嬌声を上げるであろう。
「これは大物だ」
「然り。だが故に納得もする。貴様がアルカンエイク。いやその名すら、貴様を表すには小さい」
そんな人物が、この人智を超えた地底の洞窟内に存在する。
故に、得体が知れない。
二人の感嘆の呟きにも、男は表情一つ変えなかった。
「ノーベル・サイバーテクノロジー賞3年連続受賞。英国最高の頭脳――」
「近代ITの最大功労者にして、不出世の天才科学技術者――」
挙げればきりがないほどの偉業が彼にはある。
期せずして、二人の言葉が重なった。
「「――サー・エクシルト・ロンドベル」」
呼びかけに男が応える。
「はい。ですが、ここでは『アルカンエイク』と呼んで頂きましょう」
『サー』の称号を持つ、21世紀の巨人がそこにいた。
◇◇◇
静謐の洞窟内、初めて顔をあわせた三人の男たちには友好的な雰囲気も敵対的な雰囲気も存在せず、一定の事実確認を行う乾いたやり取りのみがあった。
「アルカンエイクですか。ではそう認識させて頂きましょう。初顔合わせのオフ会で有名人と出会うサプライズはあるものですが、それが世界一高名なロンドベル教授では、ボクには少しばかり荷が重い」
「エエそのようにお願いします。しかし、オフ会とはリズロットさんらしい表現ですねぇ。オヤ、そういえばリズロットさんのお声を聞くのも初めてになりますか」
対外的なスポークスでは決して聞くことの出来ない――ロンドベル教授では有り得ない――戯れの口調。
ここでは互いにコードネームで呼び合うというルールのもと、彼はアルカンエイクという人格で二人に接するつもりなのだろう。
二人もそれを、暗黙のうちに了解している。
「テキストの方が楽なんですよ。そもそも、アバター以前のチャット、掲示板、SNS、あらゆるコミュニティでのやり取りは文字ベースが基本でした。声は単純に不要。そんなものでしょう?」
一方リズロットは、ベータ・ネットでのハイテンションなキャラとは正反対である。
アニメキャラのアバターを使い、アスキーアートを多用する子供っぽい印象のリズロットの中身がなんとも落ち着いた男性であることには、ギャップを感じてしかるべきだが、生身であればリズロットの様子こそが一般的なものだろう。
ネット上の人格はおおよそ自分で作り上げるものだ。なんとなれば、淑女の如く振る舞う中年男性の存在や、意気投合した相手が小学生だったという事例も珍しくはない。
パレイドパグやディールダームのようにネットのイメージと本人の姿が完全に一致する方が稀である。
特にリズロットはVUI――仮想体関連技術では、ベータ・ネット内でも他に比肩する者がないほどの高スキル保持者なのだから、ネット上の人格と現実の人格の使い分けに関しては、誰よりも長けている。
「まさしくまさしく」
アルカンエイクの口から、またもリアルでは有り得ない戯れの繰り返し口調がこぼれる。
そんな会話により、この洞窟内の空間が現実でありながら限りなくベータ・ネットに近い場所へと変わってゆく錯覚に陥る。
現実……というには、いささか幻想的ではあるが。
「空間移動、いえ、次元転移になるのでしょうか。『ファーストエネミー』の名に恥じない素晴らしい技術です。これを『技術』というのであればですが。さて、色々とお聞きしたいことはありますが――」
リズロットがそこで一つ言葉を句切る。
そして、己の周囲に再び目を向けた。より正確には己の後方に、である。
洞窟内に動く者の姿は三人だけだ。だが、『動かない者の姿』はその限りではない。
天井の高い洞窟内、三人は地上より降りてくる光の輪の中にいる。その輪の『外側』――
「…………」
ディールダームもまた先程から無言の視線をそちらに向けていた。
「『アレ』はなんです?」
「アレですか。アレこそが『ティンカーベル』です」
淀みなくアルカンエイクが答える。
彼らの見る先、そこにまばゆい源素の明るさがあった。
青い髪と長い耳を持つ――皆10代だとおもわれる年若い少女たち、その像のように見えた。
立っているもの、座っているもの、今から走り出そうとする躍動的な姿のものもある。
「みなさんにお配りした『ティンカーベル・プログラム』の主体をなす有機部品、と言えばおわかり頂けますでしょうか」
その説明を言い直したところで、二人にとってわかりやすいものになったかどうかは不明であるが。
故にリズロットは全く別の質問を口にした。
「この少女たちは生きているのでは?」
そう、よく見てみれば、それが像ではなく生きている少女たちであることがわかった。
ただ、像のように動かないだけなのだ。
その数は7。ウチの二人は他に比べて、源素数が極端に少ない。
皆、淡い冷光を放つ首飾りをかけており、その首飾りから発生する青い格子が少女たちを取り囲んでいた。
「次元を超えて器を導く機能を持つティンカーベルですが、その発生因子までは100%の解明ができておりません。更に個体数の少ないティンカーベルは貴重なサンプル。お恥ずかしながら研究の失敗も嵩んでおりまして――」
アルカンエイクが動かぬ少女たちの方へと歩みを進めながら、ゆっくりと言葉を続ける。
まるで少女たちがただの一資源、モノであるかのような物言いである。
しかし、その瞳に嗜虐性などは浮かんでいない。アルカンエイクは決してレイシストではない。
ただ単純に、彼にとって『妖精』は『人間』ではないという認識なだけなのだ。
地球とは異なる世界の発見。独自の文明を持つ生命の存在。
そのファーストコンタクトで、ワーズワードは彼らを青い髪と長い耳を持つ『人間』であると認識し、アルカンエイクは青い髪と長い耳を持つ『人間ではない生物』であると認識した――それだけだ。
それは本当に些細な認識の誤差。あるいはその始まりにおける出会いの幸と不幸。
心情的には姿形が似通っており、言語を操る知性もつ相手は人間であると感じるかもしれない。
だが科学文明の宿命、DNAレベルでその認識を論じるならば、地球上のいわゆる人類と異なる生命であることも間違い無いだろう。
地球上においても、ある程度の知能もあり、姿形も酷似しているサルという生命を人間とは呼ばない。
では、
――人間とは何をもって人間と言うのか?
そんな命題に対し、どこで線引きをするのかという認識の違い。
そこに正解は、ない。
歩きながら、アルカンエイクが言葉を続ける。
「――地球とこの楽園をつなげる有機部品はたとえ一体でもロストは惜しい。ティンカーベルを捕獲して放置しておくと、その機能を失ってしまうという損失事例もありました。おそらくは環境の変化に弱いのでしょう。これまでは獲り溜めができないという難点があったのですが、その問題は近日クリアされました」
アルカンエイクが少女の一人に近づき、その首にかけられた首飾りを手のひらの上に載せる。
宝玉内部には青源素と緑源素、それに幾つかの赤源素が用いられた多元十二角柱が透けて見える。十二の角をもつ面が前面にある複雑かつ美しい造形の源素図形だ。
その源素図形が、宝玉の中でカチリと30度ほど回転し、停止した。
「捕獲したティンカーベルを時流連続性……時間の流れから切り離し、可用性の高い状態で肉体と精神を凍結する……時間を止めているといえば、おわかり頂けますでしょうか」
像のようにピクリとも動かない少女たち。
そのほとんどは、恐怖の表情を作る。
だが中には、どのような場面から今の状況に至ったものか、笑顔を浮かべている者の姿もあり……そして、その表情のままで停止している。それがより一層のおぞましさを生み出していた。
「時間を止める。そんなことが?」
「それを可能とする技術、『魔法』があるのです。魔法とは妖精の粉によって引き起こされる自然事象の非論理的改変と創生の術。ティンカーベルの祝福を受けたお二人にも可能でしょう。ちなみに、そこにある消費された二つの個体が、お二人の身体をこの世界に呼び寄せたティンカーベルです」
リズロット、そしてディールダームそれぞれの傍には妖精の粉――その身に纏う源素の少ない少女の姿があった。少ないとは言っても、その明るさはこの世界の一般人の数倍、ワーズワード式源素光量測定法に従えば3000から5000ミリカンデラの明るさは残している。
リズロットは少女を一瞥し、小さく肩をすくませた。
「妖精、それに魔法使い――『フェアリー』と『オズ』ですか。ワォ、とてもファンタスティックだ。それにこの悪趣味さ、今こそ確信しました。貴方は間違いなくアルカンエイクだ」
「まさしくまさしく」
それは十分に皮肉の効いた揶揄ではあろう。
しかし、自ら道化を演じるアルカンエイクにとっては、皮肉や揶揄こそが最大の讃辞だ。
アルカンエイク。地位も名誉もある、更に金もカリスマも持っているというのに、この上なく残念な、そして残酷な男であった。
それにしても、時間を止めるという高度な魔法。
この恐るべき魔法効果の中に捕らわれている限り少女たちに死は訪れず、また生きているとも言いがたい。
少なくともリズロットは、このおぞましい状況に皮肉を挟むだけの心情を持っているようであったが、それはあくまで皮肉であって、批判ではない。
今度は逆にアルカンエイクが軽口を返す。
「リズロットさんならカートゥーンの世界から飛び出したような美しい造形のティンカーベルにもう少し興味を持たれると思いましたが?」
「カートゥーンだなんてやめてください、ボクが好きなのはアニメとマンガです、それらは全く別の文化だ! ……失礼。勿論興味はありますよ。けれど、貴方のすることに干渉するつもりはありません。そして貴方もボクの目的には干渉しない。ただ、利害の一致と暇つぶしだけでつながる関係、それが『エネミーズ』同士のつき合いでしょう」
「おっと、これは逆に諭されてしまいましたか。エエ、その通り。最終的に共通の目的さえ果たして頂ければ、なんの問題もありません」
「ワーズワードの排除。勿論、その点に相違はありませんよ。ただ、ボクにはボクなりのやり方がありますが」
善悪ではなく、利害と興味の物差しで目の前の物事を見る。
これが孤絶主義者の在り方だ。
リズロットもまた間違いなく世界の敵だった。
そして、それはアルカンエイクにとっても満足の行く回答であった。
「疑念は晴れました。では移動しましょうか。ここはまだ楽園の門、入り口でしかありません」
「パレイドパグとジャンジャックがまだのようですが?」
「サテ、いつ来られるのか、あるいは来られないのかわかりませんので」
「それは?」
「転移に失敗した可能性があるということです。今ご説明したとおり、この技術についてはまだ全ての条件が解明できているわけではありませんので。いやはや、2万程度のサンプルでは全く足りない……50%の成功率は十分に喜ばしい結果です」
そこには本当に実験の成功を喜ぶ響きがあった。
リズロットは、その説明にまたも軽く肩をすくめる。
転移の危険を知らされていたわけではないリズロットだが、そんな提案に乗った判断もあわせて全てが自己責任。他者の権利を軽視する代わりに、あらゆる責任を他者に求めず己で負うというのもまた孤絶主義者の特徴だ。
――と、そこまで像の如く凍結された少女たちを越える不動の姿勢で沈黙を貫いていたディールダームが動いた。
「一毫の虚仮、一毫の偽飾、幻理を排し現理のみを解すべし。エクシルト・ロンドベルいや、アルカンエイク、貴様の技術の一端を今解した。次元を超えて肉体を一意に呼び寄せる――これは『ミーム認証』に類する技術か」
「ああ、それは気づかなかった。なるほど、そう『つながる』わけですか」
「……」
唐突な宣言。
リズロットは風のない湖面のような冷静さを崩さず、ディールダームに賞賛を送る。
彼の言う『つながる』とは、ワーズワードとアルカンエイクのつながりである。
つまり、『ミーム』技術の完成者とその窃盗者と。
それにより、ワーズワードは独自にこの異世界を知り、アルカンエイクはワーズワードの侵入の可能性に気づいた。
その発想にディールダームは行き着いたのである。
沈黙で応えたアルカンエイクだが、沈黙それ自体が答えである。
と、英国紳士としてどこに出しても恥ずかしくないアルカンエイクの表情が、ふいに崩れた。
それは荒野に咲くバラの、葉の下に棘を隠す華やな笑顔である。
「素晴らシィ、驚きました。初見でそこまで辿り着かれるとは」
「くだらぬ。貴様の名声、それが既に回答の一であると知るべし」
「イエ、そうでしょう。そうでなくてはなりません。ですが、ディールダームさんからその言葉が出たことに驚いているのです。例えば、それがワーズワードさんから出たのであれば、私はなんの驚きも感じなかったでしょう」
「ですね。ボクもてっきり、ディールダームは物理行動を伴う軍事設備ハックの技術系が得意なのだと思っていましたよ」
「そのような明言をした覚えなし。俺の持つ技術系を貴様は知るまい」
「となるとその鍛えあげられた肉体もブラフですか? さすが『エネミーズ4』、一筋縄ではいかないですね」
「サテどうでしょうか。アバターと違って、生身の肉体は嘘をつきません。肉体の傷跡はミームの傷跡……それはディールダームさん自身の記録」
アルカンエイクの笑顔には理由がある。
ディールダームの在り方、そのひらめきの的確さを知り、彼が暴力的な外見と違い、知力でもワーズワードに比肩しうる人材であるという確信が得られた喜びである。
「この未知非論理不可思議の次元転移現象にミームとやらが関わることは解した。だが、ミームそれ自体は未だ謎。ミームとは、なんだ」
『ミーム』――それは人類のみが持つ個人識別が可能な情報遺伝子であると言われる。
だが、そもそも情報遺伝子とはなにか。そこの説明が欠落している。単なる遺伝子であれば、DNAがそれに当たるが、DNAは人類のみならず、全ての生物がもつ命の設計図である。
さらにディールダームの発想を、アルカンエイクの反応を信じるならば、ミームとは次元すらも超えて、個人を一意に識別することができるらしい。
DNAの情報にそんな空想科学は存在しない。
「一説にはそれは人の魂であるとも聞かれますが?」
それは実に鋭い見識であろう。
ワーズワードもまた、その理解の入り口で『ミーム=魂』の図式を打ち立てた。
「とても近い。ですが違います」
だが、それをアルカンエイクはただの一言で切り捨てた。
そして、続きを待つ二人に背を向け、ゆるりと右手を振るう。すると、彼が背に負っていた源素が渦を巻いて動き出した。
源素は遅く早く……うねりをもって回転する。
アルカンエイクを中心に小宇宙が生まれた――そんなイメージ。圧巻の光景に、さすがの二体の厄災たちも軽く目を見張った。
光の渦の中、アルカンエイクが背中で語る。
「ミームは私の唱える『伝承有俚論』の集大成にして深淵のアーク。表層を掠めただけのお前たちがそれを知ろうなど――100年早い」
「……」
「……」
それがアルカンエイクの本質か。或いはこれもまた、彼の得意とする劇場型演出の一つであるのか。
判断はつかないが、その発する圧力は本物である。
二体の厄災は間違いなくその圧力に飲まれ、言葉を発することができなかった。
アルカンエイクが再び腕を振るうと、源素の星々はパッと空中に拡散し、そしてまた完全に制御された動きで彼の背面へと戻ってゆく。
振り向いた彼の顔には、先ほどの一幕が嘘であったかのような道化の如き笑みが浮かんでいた。
「とはいえ、期待しているのですよ? ワーズワードさんはとても恐ろしい。ですが、皆さんと力を合わせることができるならば、我らの前に敵はありません」
「はは、あんな威嚇のあとにそう言われても説得力にかけますよ? あと、ボクには支援は必要ありません。好きにやらせてもらいますので」
「……ワーズワードは俺の敵。お前たちの手出しは無用であると知るべし」
「はい。期待しております」
どこまで行っても交わらない、孤絶したままの三人であった。
と、そこで何を思ったか、巌の如きディールダームが時間の止まった少女の前へと歩み寄り、おもむろにその胸元へ向かって手を伸ばした。
「ティンカーベル――その存在、調べおくべし」
それはディールダームを呼び寄せたというティンカーベルの少女だ。
少女たちの中では一番背が高く他の6人から見ればお姉さんといった雰囲気を持つ、年齢的にもそろそろ少女の枠を抜けただろうと思わしき娘だ。
暴力的な風体の男が、お前を調べちゃうゾ☆などと言いつつ、動けない娘の胸元に手を伸ばすなどと、大変にけしからん絵面であるが、考えてみればディールダームは悪の権化たる『世界の敵』の一人なわけなので、けしからん行為をすることこそが一周回って正常な状態であるとも言える。つまりこれはけしかる行為なのである。
けしかる以上、その行為を止める理由は誰にも存在しない。
そして、
パキン……ッ
と、有無をいわさずその首にかけられてた首飾りを握りつぶした。期待はずれにも程がある。
付け加えるならば、ディールダームの拳は、宝玉の中に閉じ込められていた元素図形すらも一緒に握りつぶしていた。
――誰に教わるでもなく、魔法に干渉する術をディールダームは体得していた。
「・・茅っ」
少女の止められていた時間が再び動き出す。
その初手は大きく息を吸い込む行為であり、それと同時にガクリと膝を折って、その場に倒れこんだ。
「……で、どうするので?」
その問いかけに首飾りを壊したその行為自体を咎める響きはない。
「貴様の説明には少し引っかかるものがあった。故にこの娘は俺が貰い受け、俺自身で検証する」
エネミーズ4……世界の敵の中でも古参に数えられるディールダームは、危機に対する感覚もまたズバ抜けている。
その彼の直感が、己をこの地に呼び寄せたというティンカーベルの少女を、アルカンエイクの管理下に残しておくことはリスクになると、判断したのだ。
「……ま、よろしいでしょう」
言葉の意味を追求することなく、アルカンエイクはそれを許可した。
彼にとってティンカーベルはレアな研究材料であるが、協力体制にあるディールダームの機嫌を損ねてまで確保したいものではない。
そうしている間によろよろと立ち上がった娘は、己の身の周りの状況――動かぬ6人の少女たちと自分を取り囲む三人の異様な男性の姿――を認識し、皃、と小さく声を漏らした。漏らしはしたが、あとの続くはずの悲鳴はぐっと飲み込んだ。
「姨襟洩罷大群兜! 孫柴易易烹阿舁仁罫っ!」
そして、ガバリと大地に両膝をつくとアルカンエイクヘ向かい平身低頭し、何事かを口にした。
「 聞いたことのない言葉ですね。地球外で発生した言語か……大変に興味深い。この子はなんと言ったのですか?」
「どうでもよいことですよ。『王様、みんなをお助けください』だそうで」
リズロットとは正反対の、全く興味のない口調でアルカンエイクが答える。
彼女の言うみんなが、ここにいる他の6名であるならば、その願いは残念ながら叶わないだろう。
「貴様は王と呼ばれているのか?」
「エエ、マァ。人の住まない妖精の国ではありますが」
ディールダームの何気ない質問に、同じく何気ない口調でアルカンエイクが答えた。
一つ頷いたディールダームが重ねて問いを発した。
「それは独裁国家か」
「……ハ?」
ピタリとアルカンエイクが動きを止める。
エネミーズ4。ディールダームを識る者であれば、彼と独裁国家の元首が出会った時、そこにはこれまでのやり取りを全てチャラにするほどの大きな化学変化が生まれるであろうことが、容易く予想できた。
失言といえば失言であろう。さすがのアルカンエイクも、想定外に生まれた緊張に思わず顔色を変える。
その額に浮かんだ汗の玉が、ついと一筋頬を流れた。
「まさか、まさかまさか。国は妖精たちの自主性によって運営されております、独裁などと決して」
「……ならば、よし」
磊落の如きディールダームの宣言に胸をなでおろすアルカンエイク。
突然のアルカンエイクの変化、自分たちの王が狼狽している。至高の法国王が他では決して見せない姿だ。ティンカーベルの少女は、この瞬間王よりも高位にあるかのような男に不思議の目を向けた。
「はは、世界最悪のアルカンエイクでもやはりディールダームは怖いですか」
「その称号はピーターパン氏にお譲りしたと思いましたが。私だってあなた方と同じただの人間ですよ? アンチ・独裁の最終兵器、ディールダームさんの標的にされるなど」
「見た目も怖いですしね」
「…………」
孤絶主義者、世界の敵、あるいは『生きた厄災』と呼ばれる存在も、その中身はただの人である。
故に彼らにもそれぞれの人生があり、信念があり、目的がある。
それらが『ワーズワード』という一点において交わったからこその同盟だ。
どちらにしても、この場で動くものは三人の男と一人の娘のみ。
――『レニ治窟』、ここにいるはずの濬獣・レニの姿はどこにも見えなかった。