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ななしのワーズワード  作者: 奈久遠
Ep.6 転移者たちの弁証法
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Packdog's Paradox 04

「――――くん、キミに頼んでいた例の件、開発状況はどうかね」

「はい! 全ての機能でシステム世界基準である高度機械化機構(AMO)のS++エス・プラプラ認定を満たすものが完成しています。ユーザビリティについても最新の人間工学仕様エルゴノミクス・デザインのインターフェイスを新たに考案しました。現在世界で最も信頼性が高く、今後の標準規格化が期待されているロンドベル認定格付で3Aトリプル・エーを取得できるはずです」

「何を言ってるんだ? 子供向け掲示板にそんな認定は必要ないだろう。それにそんな認定を受けるだけの費用は見込んでいない」

「いえ、別に受ける必要はありません。各認定制度ともその評価基準は全てネット上に公開されていますから、あくまでその基準を満たすものが作成できているという話です。もちろん、費用を払って正式に認定を受けた方が箔がつくとは思いますが。検索エンジンについても私の方で独自に開発した新型の導入を検討しています。もし承認頂けるのであれば、アイシールドにも対応し、世界最速のゴウグルエンジンを超える――」

「そんな意味不明なものは必要ない! 作る機能は子供がエアロビューの上で、文字が書けることと読めること、それだけでいいんだ! それ以外は全て却下だ!」

「ですが、それらの機能を入れても予算の枠内で製造可能ですし、プロジェクト推進に関しても全て私が責任を持ちます。どうかお客様への提案だけでも――」

「キミの責任能力なんて、会社を辞めることくらいだろう! 余計な機能を入れて、私の仕事を増やさんでくれ、いいね!」

「……了解しました」


 俺は要求通り平凡で低機能、あらゆる世界基準を満たさないシステムを完璧に作り上げ、そして退職を申請した。



 ◇◇◇



 村の中にある一軒の家。家と言っても木の幹の中なので、虫か鳥の雛にでもなったような気分になる。

 そして、実際にそこにはピンク色のイモムシが転がされていた。


『ガルルル!』


 手足を縛られたパレイドパグである。ついでに口には猿轡を装備している。


「ありがとうフェルナ。あとは俺に任せて、皆は外で待っていてくれ」

「二人きりで大丈夫ですか?」

「ああ、その方が都合が良い」

「わかりました。何かありましたら下に待機していますので、お声かけください」

「そうしよう。ところで――」


 ところで俺の醜態を見て、助けを出すところか、即座に背面ダッシュをかけたフェルナである。

 

「さっきのは、お前の命をかけて俺を助け出す場面だろう」

「命の危険は感じませんでしたので」

「命の危険はなくても、尊厳の毀損とかだな」

「私の持つ尊敬の念は些かも毀損しておりません」

「…………」

「…………」


 会話はキャッチボールに例えられるが、互いの意の受け取りを避けるというのであれば、これは会話のドッジボールと言うべきだろう。


「逃げたろ」


 ならばボール回しをすることもない。躱せぬ直球を投げつける。

 だが、その一手はすでにフェルナに読まれていた。


「私は言ったはずです。アラナクア様は凶悪さで知られていると。意味は違いましたが」

「ああ、確かに凶悪だったな。だぶる湯たんぽ?」

「――つっ」


 お、顔を背けた。

 フェルナが後ろを向いたまま肩を震わせている。

 だぶる湯たんぽがツボったらしい。

 会話の二手先を読んでいた俺のカウンターが決まったようだ。

 勘の鋭い、そして頭の回転も悪くない青年であるが、シャルの兄だけあって清らかすぎる面を持つ。清濁併せ持つネットに適応した俺のパターン無辺の切り返しの前では、それが仇となることもある。

 ことが会話のドッジボールならば、俺は無双だ。

 もう一押ししてみるか。


「とりぷる湯」

「失礼しますっ――つっっ」


 あ、逃げた。

 別に笑いたければ笑えばいいだろうに。

 彼は彼なりに自分のキャラ崩壊を避けたいという気持ちがあるのだろうか?

 それはさておき、フェルナが退出したため、室内には俺とパレイドパグの二人だけが残された。

 

『さて、と』


 床に転がるパレイドパグがその瞳に緊張を宿す。まあ絵ヅラだけ見れば、誘拐犯とその被害者みたいな感じにはなってしまっているわけで。

 そんなパレイドパグに手を伸ばす。


『……ッ!』


 何を勘違いしたのか、ギュッと目を閉じるパレイドパグ。

 俺はそんな駄犬の反応を無視して、その猿轡と手足を縛る縄を解いてやる。

 自由を取り戻したパレイドパグが不機嫌そうにじっと俺を見つめてくる。しかし目つきが悪いやつだな。


『……いいのか、縄解いちまってよ』

『当たり前だ。さっきは場を収めるためにああしたが、別に俺はお前になんの含みもないぞ。初めの話の通り、情報交換がしたいだけだ』

『へ……まあいい。仕方ねぇ、てめェの話に乗ってやるよ』

『それは良かった』

『その前に!』

『なんだ』

『あの化け物どもの言葉を教えろ。アタシの前でアタシの判然らねぇ話をされんのは許せねェ。さっきもアタシのこと笑ってたんじゃねーだろうな』

『さすがにそれは被害妄想だ』


 とはいえ、俺も通訳なんてしたくないので、いい交換条件だ。

 しかし、立場的にも状況的にも完全に俺の方が上のはずなんだが、パレイドパグは全く危機感を感じていないようにみえる。

 いくら駄犬であっても、ここにいる俺が仮想世界上の人格のままの俺であるなどとは考えていないと思うのだが……俺が自分に危害を加えないというなにか確信でも持っているのだろうか?


『言葉を教えること自体はかまわない。BPMは使えるんだろうな?』


 ブレイン・パーソナライゼーション・メソッド――それは脳機能を自分向けにカスタマイズするという比較的最近発表された記憶術だ。


『あたりまえだろ。BPMについてなら、てめェよりアタシの方がずっと詳しいぜ。大体ワーズワード、てめェBPMの発明者が誰だか知ってか?』

『なんだいきなり。それは米国の――』

『キャハハハ! 違うね。BPMの原論はそれよりずっと前に発表されてんだ。しかもそれを生み出したのはてめェと同じジャパニーズ。無意味な情報群の中で気付ける奴だけが気付ける一つの煌めき――クソアメリカンが勝手にパクって売り出した誤訳本じゃ表現しきれてねェ、深奥のロジックまでアタシは修得してるぜ。能動型擬似人格はただ記憶の倉庫に使えるだけじゃねェ、固有認識リンカーを作って分割励起させりゃ、記憶系だけじゃなく今現在の思考系すら分割できる。BPM理論には載ってねぇ『並列思考』って概念だ。てめェは知らないだろうが、アイツは天才だぜ!』


 自分にとっての眩しいものを語るように、熱弁を振るうパレイドパグ。

 俺は何とも言えないので、とりあえず黙っておくことにする。


『かたや無名の天才でてめェは悪名高いエネミーズだ。なんだそのツラ、へっ、同じジャパニーズに妬いてンのか? ……まあ、アタシは別に悪名だって――』

『いや別に。では早速その並列思考でこちらの言語の修得をしてもらおうか。とりあえず10並列ディカ・コアでいいだろう』

『あ? 10並列なんて、生身でできるわけねーだろうが!』

『……そうなのか?』

『ったりめェだ。これだからなんもしらねぇ奴は困るぜ』

『うーん、では、5並列クインティ・コアでどうだ?』

『5か……まあこのパレイドパグ様なら、それくらいやれねぇこともねぇ』

『それは良かった』


 俺の時とは違い、言語教育標準として体系化された手順に沿い、ヒアリングとグラマーを教えてゆく。主語と述語の関係。動詞変化、形容詞、助詞。それらは多少多元的な組み立てであるが、なんとかついて来れているようなので、4クアッド・コアまでは問題ないようだ。5はちょっと怪しいといったレベルか。仕方ない、ここは4並列で合わせておくか……

 並列思考とは、一度に聞くことのできる耳の数を増やす技術ではない。まさしく思考数を増やす技術である。

 単語を聞き取り記憶する、文法を理解し、母国語へ翻訳デコード、母国語からの再翻訳エンコードを試行する。その過程で出てきた疑問を解消しながら、並列する別の思考系では、次なる単語の聞き取りが始まっている。

 発声記憶と文法整理を同時に行い、その裏で対訳表を作成してゆく。それら個別に必要な思考系を並列化することにより、脳利用効率を最大化できる。

 『1を聞いて10を知る』。それを一部の限られた天才だけの才能ではなく、誰にでもできる場所まで引き下ろしたのがBPMにおける並列思考の方法論である。

 残念ながらパレイドパグは『1を聞いて4を知る』止まりのようだが。

 

 しかし、無名の天才、ね……

 誰にも読まれず、あるいは理解されず、書き散らされて終わった理論の断片を見つける人間がいたとは――世界は広い、いやその相手が今目の前に居るとなれば、世界は狭いというべきか。

 どちらにしても、その頃の俺は生きているようで生きていなかった。

 誰がやってもいい誰にでもできることを、己を殺して繰り返すだけの名も無き日々。

 人の尊厳は――その魂は――自分にしかできないことに、自分の全力を賭した時に初めて世界に浮かび上がり光り輝くものだ。

 俺の場合は、その全力の向くベクトルが最悪だったわけだが、そこに後悔はない。

 それを自覚している俺が、こうなる前の自分について今更何を語るつもりはないが……ただ一言だけ、ありがとうと、心のなかで目の前の女の子に向け言葉を贈った。



 ………………

 …………

 ……



 30分。

 駄犬が目をぐるぐるマークにして、頭から煙を噴いていた。

 そろそろ限界か。

 

「まずはここまだ。ついてこれたのは、さすが『エネミーズ16』と言っておこうか」

「あ、当たり前だ……ハァハァ……クソ、てめェも並列思考、できたのかよ……ぐあ、もうなんも覚えたくねぇーー」


 パレイドパグが夏場の室外犬のようなだらしなさでゴロリと床の上に転がる。

 はしたないというよりは、品のない駄犬である。

 その駄犬が寝ころんだ状態で俺の顔を注視していた。ニヤニヤしているのが気持ち悪い。

 

「なんだ?」

「ジャパニーズが童顔ってのは本当なんだな。ネットで出回ってるてめェの写真は10代のはずなのに、今と全然かわらねぇ。世界最悪のサイバーテロリスト様がかわいい顔してんじゃねーか」

「…………」


 顔のことで俺をからかいにくるとは、さすが世界最悪の『ウィルス作成者ヴィレン・シュライバー』様、弱点セキュリティホールをつく技能に長けている。

 代わりに俺は駄犬の顔を見返す。


「お前もかわいいぞ、パレイドパグ」

「なっ、はあ!? そ、そんなのっ」

「本物のパグ犬に比べればな」

「…………しね!」

「それはさっき断った」


 それは既に聖国――この異世界の言葉でのやり取りである。

 これだけ会話できるなら問題ない。

 

「もう大丈夫だな。では、次はこちらの質問に答えてもらおう」

 

 聞かねばならぬことは多いが最優先はこれだ。


「パレイドパグ、お前はどのようにこの世界にやってきた。アルカンエイクは何を考えている?」


 ベータ・ネットにいるようなおふざけのやり取りもここまで。ここからは核心の議論だ。

 床に片膝を立てて床に座り直したパレイドパグもまたスッと表情をリセットする。

 その瞳に冷静さを見せ、そして、


「へ、それじゃ質問が二つだな。だがまあ教えてやる。アルカンエイクはワーズワード――てめェの存在が邪魔なんだとさ」


 薄い笑みをその唇に乗せた。

 二人の間で、緊張する空気が静寂の空間を生む。

 だが、その静寂は一瞬でかき消える。


「そうか」

「そうかって……感想はそれだけかよ」

「その可能性は排除されていなかった。理解できる話だ」


 拍子抜けしたパレイドパグの反応。だが、その瞳から理性は消えていない。


「で、てめェはどうするつもりだ、ルーキー。今度はアルカンエイク相手に『煙霧の休日攻防戦』でも繰り返すってか」

「なんだそれは。『魚雷ゲーム』のことを言っているのか?」

「そんなダセェ呼び名してんのはてめェだけだろ……」


 どっちも変わらないと思うがな。


 『煙霧の休日攻防戦ヘイズ・ホリディ・ホスティリティ』――俺とヘイズホロウ(H.H.)との間に発生した少々度を過ぎた『トリック・オア・トリート』の応酬の一件である。

 ヘイズホロウがあるとき休暇で南の島に遊びに来ているなどと、珍しく己のプライベートを自慢げに話していたので「よし、では俺たちもそれにあやかって南の島で魚雷ゲームでもやるか」と呼びかけたところ、リズロット(L.L.)を筆頭に何名かの賛同を得られたのがことの始まりだ。

 急遽ベータ・ネット内に用意した電子の地球儀。その球面上、数多に存在する『南の島』。そのどこかにいるであろうヘイズホロウめがけて、魚雷ダーツを投擲する遊びである。

 魚雷に撃たれた島は沈黙する。

 具体的には電力供給施設あるいは送電ケーブルの制御系をハックして、全島停電を引き起こすわけだ。

 初めは笑っていたヘイズホロウであるが、停電した島が10を超え世界中が緊急ニュースの嵐となったところで笑みがなくなり、20を超えた所で真剣にブチ切れた。

 リズロットの魚雷ダーツを奪い取ったヘイズホロウが反撃として俺が住んでいそうな地球儀上の主要都市に魚雷を投擲。それにより害を被ったエネミーズがまた別のエネミーズを巻き込み、



「マジやめろ、折角の休日を潰されてたまるか。ニューヨークなら、これで死んどけ」

「外れだな。それにしてもニューヨークで全都市停電は無理だろう。どうせ狙うなら己の能力において制御ハックしうる都市を狙うべきだ。さて、次はセイシェル諸島を沈めてみよう」

「本当迷惑。もうどっちも死んでよ、ヘイズホロウ、ワーズワード。……はい、サイパン撃沈」

「キャハハハ! よぉ、そろそろアタシもまぜろよ。タスマニアは頂きだぜ!」

【そこ、パラオ】

「駄犬(笑)」

「う、うっせェ、手元が狂っただけだろッ」

「感応入力で手元が狂うとは、器用な駄犬だな」

「ワーズワードてめェ、どっちの味方だ!」

「……くだらぬ。お前たちは全員『世界の敵』だ」

「マジ敵だわ。なによりルーキー――元凶のお前だけは潰れとけ。おいお前ら、今だけ俺に手貸せよ」

「やだ、新人虐めとか、ヘイズホロウのくせに素敵な提案するじゃない」

「即時了承」

「のってやんよ、リズロットおめェもきやがれ、キャハハハ!」

【えー、ここで裏切るの? しかたないなあ。ごめんねっ、ワーズワードXD】

「いや、構わない。存分に楽しもう」

「物事は公平でなければね。ならば二者の実力差を計算した上で、私はヘイズホロウくんに付こう。ディールダームくん、キミはどうする?」

「くだらぬ。だが、確かにお前たちの遊びは実に迷惑である。バイゼルバンクス(B.B.)がヘイズホロウに付くならば、当然そちらに加わり、一刻も早く終わらせるべし」

「ほう、バイゼルバンクスとディールダームが向こうに付くか。よかったなヘイズホロウ、これで少なくとも対等な勝負にはなりそうだ」

「……マジなめんなよルーキー」

 

 総勢10名、5対5ならぬ自分以外は全員敵という状況で始まったエネミーズ同士のつぶし合いは、途中で数名の脱落や裏切りを経て、なかなかに興味深い結果となった。



「あんときと違って、相手はあのアルカンエイクだ。しかも今回は、世界中に個人情報パーソナルの割れたてめェを排除するってェ明確な大義名分がある」

「その辺りの話もあとで詳しく聞くが、確かに俺が地球上で生活してゆくのはもう無理だろうな。街中を歩くだけで、公衆カメラの影像から国民情報データベースを自動検索、位置情報が通報されるまで1分もかからない。データベース内の情報だけならば書き換えも可能だが、人の脳内、記憶の中に残る俺のデータを消し去ることは不可能だ」


 完成された監視社会。犯罪者には生きにくい時代である。


「もし逮捕されれば、世界中どの国の司法でも裁ける存在の『エネミーズ』は、非人道的な手段での取り調べが許可される国に移送され、STARSによる楽しい尋問タイムが始まることだろう。精神的肉体的苦痛の前に俺は即座に屈し、あらゆる自供と協力を厭わなくなる、と」

「ま、アタシならそんなドジは踏まねぇが。テメェはもう手遅れだ」


 いや、お前はかなり危ういと思うが。

 そもそも俺もドジを踏んだわけではなく、自分の計画の一部に逮捕劇を組み込んだだけである。


「それはわかったが、なぜお前がここにいて、アルカンエイクがいない」

「それこそ、アタシが聞きてぇな。ここが地球じゃねぇってだけでも半信半疑だってのに、アルカンエイクより先にてめェに会うなんて想定外だっての」

「ならばその疑問を先に解決しておこう。お前はどうやってこの世界にやってきた?」


 アルカンエイクの持つ情報がどのようなものなのか、地球との行き来が自由にできる技術があるのならば、それは確認しておきたい。

 それにはパレイドパグがお手上げのポーズで応える。


「それはてめェの方が詳しいんじゃねぇのか?


 番人ヘルシャアが護る楽園ネバーランドの門。ティンカーベルはその器を呼び寄せ楽園へといざなう

 

 んだろ? アタシにはさっぱり意味がわからねぇが」

「『番人』『ティンカーベル』『楽園』――それがアルカンエイクの言葉か」


 それは、まさに俺の欲している情報の塊だった。

 奴の幻想趣味な単語要素を排除したとしても、俺の体験した状況との符号により、それは明確な輪郭を描く。

 アルカンエイクはシャルのことをティンカーベルと呼んだ。そして俺がこの世界へ転移したときに初めて出会ったのは木の陰に隠れていたシャルである。

 つまり、あの部屋の中に捨て去られるべきだった俺の肉体は、シャルの存在によりこの異世界に呼び寄せられたということだ。

 故に、俺とシャルの出会いは偶然ではなく必然……それが、昨晩フェルナの話を聞いた時点で推察した内容だ。

 もっとも、シャルが意識的に俺を呼び寄せたわけではなさそうなので、それは個人の意志に因らない自動的なものなのかもしれない。

 魂の器――肉体の転移にティンカーベルが関係するのなら、地球への帰還の鍵もティンカーベル、つまりシャルが握っているということになる。

 そしてまた明確にわかることもある。

 アルカンエイクが『ティンカーベル』と呼ぶ存在は、一人ではない。

 とはいっても、おそらくは数人、多くとも数十人しかいないはずだ。故にアルカンエイクは、一つの国を己のものにしてまで、その存在を求めたのだ。

 だが、もう一つの「番人が護る楽園の門」というのは初耳である。

 いや、待て。そもそもなぜ番人などという言葉が出てくる。番人とは、外と内を分かつために立てるものだ。もしそんな存在がいるというのなら、それは地球とこの異世界の二つの世界を知っている存在でなければならない。

 『番人』、パレイドパグはそれをヘルシャアと呼んだか。

 ドイツ語でのヘルシャアは、意味的には番人よりも支配者の方が近い。


 支配者、英語に訳せば――

 

 それはすでに閃きですらない。蓄積された情報が一続きにつながってゆく感覚。

 衝撃よりも、深い納得をもって俺は頷いた。


「なるほど……それで全てが納得できる。奴は確かにこの未知の世界を解析し終わっているようだ。これが『アルカンエイク』か」


 それは純粋な賞賛であり、そして脅威としての認識である。


「オイ、何一人で納得してるんだ、アタシにもわかるように説明しろって」

「今の段階ではお前にはまだわかるまいが……お前も知っているアルカンエイクの幻想趣味、俺はそれを孤絶主義者にありがちな人間性の欠損だと考えていたが、奴がもとよりこの世界の存在を知っていたというのならば、その発想は逆転する……アルカンエイクは常に『現実』を語っていたということだ」

「現実……あのイカれたマッドハッターの言葉がか?」

「話は後だ。先に確認すべきことがある」


 俺はパレイドパグを室内に残し、部屋から飛び出した。

 三メートルほどの高さを【バニシングバード・エア/溌空鳳】で落下制御をかけながら飛び降り、同時に二人の濬獣ルーヴァを呼び寄せる。

 

「ニアヴ、アラナクア!」

「なになに~」

「なんじゃ、お主が大声を上げるなどと珍しいの」

「一つ聞きたい。濬獣自治区というのは『南の法国イ・ヴァンス』に幾つある」

「法国の濬獣自治区じゃと?」


 突然の質問に、ニアヴが少しばかりの驚きを見せる。

 だが、特に問い返すこともなく、顎に手をやると、すらすらと己の知識を開示した。


「ふむ、そうじゃな、レニの治める『レニ治窟』にパルメラの治める『パルメラ治丘』がそうじゃろうな。あとはリーリンの治める『リーリン治礁』も法国の方向にあるかや」

「その中で、聖都・アルトハイデルベルヒに一番近いのは」

「ん~、レにさんのトコかなぁ」

「ではそのレニ治窟になにか異変は起こっていないか」

「どうじゃろうな。妾もそうじゃが、己の治地は己で治めるのがまずは筋じゃ。小さな異変や侵犯であれば、レニが己の権限のもとに解決しておるじゃろう。救難要請でもない限りは、特別口出しはせぬものじゃし、それがないとなれば異変もないのじゃろう」

「念のためだ。そのレニとやらに連絡を取ってみてくれないか」

「やけに食い下がるの。レニになにかあると言うのかや」

「おそらくそこに、アルカンエイクがいる」

「なんじゃと!?」


 アルカンエイクの知識を借りるならば、この世界の言語でも翻訳先が見つからない『濬獣ルーヴァ』とは、おそらくその語源を地球に持つ単語だ。


 番人、支配者――つまり『ルーラー』という言葉から。



 ◇◇◇



 時間は少し遡る。


 『南の法国』領内、『レニ治窟』。

 

 レニ治窟は天然のカルスト地形が生んだ鍾乳洞岩窟である。

 そこには高い石筍や石柱、リムストーンプール――一般に言われる千枚皿――といった地上ではお目にかかれない奇景や地底方向に伸びる無数の小穴、地下川とそこからつながる広大な地底湖も存在しているのだが、それらはレニ治窟の一部分でしかない。

 レニ治窟の『中央洞道』と呼ばれる地底の大トンネルは、天井までの高さがおよそ20メートル、馬車でも走れそうな広い横穴だ。地表面からの浸蝕が岩窟天井部にいくつもの大穴をあけ、そこから降り注ぐ柔らかい陽光が、洞窟内部を明るく照らし、緑のコケ類を絨毯のように広げている。

 だがそこには活動する生命が存在しないため、湿り気を帯びた静謐の空間は、一種の聖域のような雰囲気を醸し出していた。


 そんな中央洞道のとある淡い溜まりの空間。

 連続していくつもあいた天井の穴からスポットライトのように降り注ぐ光量は他の岩窟部に比べ圧倒的に多い。

 そこに一つの影が立っていた。


 背筋の伸びた直立の姿勢。手は軽く後ろに組んでいる。表情は特になく、どちらかと言えば厳粛な雰囲気を漂わせている。

 英国でもトップブランドであるギーブス・アンド・ダックスの高級紳士服に身を包んだ中肉中背の中年男性。

 彼の周りには、ワーズワード同様多くの源素が集まっている。

 そして、それらには源素にみられる無秩序さがなかった。まるで男性の背に、光の壁ができているかのように、整然と並んでいるのである。上から順に白、黄、赤、青、緑。それぞれの源素数すらも一定化させているかのような完全な色分けでその配置が制御されていた。

 

 と、そこに衝撃のない波濤が生まれた。

 一つ、そして二つ――


 男が小さく口を開いた。


「来ましたか」

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