Worst Wide Web 10
「ぢぇい!」
「じゃ!」
あまり聞き慣れない古風なかけ声と共に、二人の銀騎士が引いた槍を再び突き出す。
「なかなか良いぞ。もう少しじゃったな」
右の槍は上体を反らして、左の槍は膝を曲げ、ありえない身のこなしでするりとそれらを躱したニアヴがまたも大きく跳ね上がり、空中で一回転したのち、大地に着地する。
「ふんぬッ」
着地に合わせて、16人中最も巨漢の騎士がその大槍で、足元を薙ぐ。
「甘い甘い」
あろうことかニアヴは、迫り来る槍のその柄に足をのせ、その勢いさえも利用して、真横へと跳んだ。
あの狐、どんだけ身が軽いんだ。
突き出される槍があれば、半歩だけ足を引き、僅かに上体を反らす。それで、槍の穂先はピタリとニアヴの鼻先で止まってしまう。
引かれる槍と同じ速さで前に踏みだし、慌てた騎士が再度突き出す槍は真横に避けて、今度は騎士本人の鼻先まで、ズイと近づく。
「ほれ、どうした。一向にかすりもせぬぞ?」
「う、うわああああっ!」
正規騎士が完全に遊ばれていらっしゃる。
魔法の能力だけでなく、身体能力も高いんだな、あの狐。
そして、まるで背中にも目がついているかのように、ひらりひらりとその槍を躱す様は、曲芸どころか演舞の域にまで達している。
「たかが一匹の獣人相手に何を手こずっておるのでぶひ!」
「も、申し訳ございませんっ」
自分が鳥籠の中に捕らわれている状態でよくまあそんなことが言えるものである。恥ずかしくないのだろうか。
そして、籠の中のサリンジがかれこれ何度目か、魔法を唱えようとしている。
あ、まだ駄目ですよー。もう少し待って下さい。
「――燃えろ【コール・カグナズ・ファイア/火神火球】! ……ぐぐぐ、なぜだッ、なぜ、魔法が出せんぶひ!?」
いい感じに涙目になってらっしゃるな。
そして、涙目なのは傍に控える二人の神官も同じである。
「わ、わかりません。こんなこと、今まで一度も……」
「もう一度、別の魔法でぶ! 軍女神・熙鑈碎よ、我が熱き祈りに応え、その燃える視線で彼の者を見つめ――」
何度やっても同じだが、まあ頑張ってくれ。
っと、赤源素6個の二重三角形は初めて見る源素図形だな。
それはありがとうございますしておくか。
「ワーズワードよ!」
「なんだ」
横手からの呼びかけはニアヴである。
銀騎士たちと大きく間合いを空け、すたりと苔むした一本の倒木の上に立つ。
肩で息をする騎士たち。激しい運動で、その足が止まってしまっている。
近接戦闘においても騎士四人程度では、全く相手にならないということか。
ニアヴもまた、銀騎士たちにダメージを与えられていないが、それは本人も言ったように遊んでいただけなのだろう。
なぜなら、今だニアヴは一発の魔法も使っていないのだから。
遊びを終わらせようと言うのならば、そろそろ頃合いか。
ニアヴがその腕を前方に延ばす。
そして、
「――発火せよ【コール・フォックスファイア/狐火】」
その掌の上に、黄金の炎が吹き上がった。
「バカな、今度は獣人風情が【プレイル/祈祷】なしに魔法を【コール/詠唱】するだトンッ!? この地は一体どうなっているのでぶひ!」
先程から多少気にはなっていたのだが、サリンジがニアヴに向ける言葉はどこか差別的である。
「獣人というのも間違いではないゆえ、否定はせぬがの。妾は濬獣じゃ。そこの所を間違えるでない」
「は? ……はああああぁ!? ル、ルーヴぁ!?」
「狐族のルーヴァ……ま、まさか、ニ、ニ、ニ、ニアぶ!? なぜこんな所におるのでぶひ!」
「それは妾にも説明しづらいの。しかし……法国では獣人を下に見るという話は聞き及んでおったが、これはレニの苦労も頷けるわ」
やれやれと言った態度で、ため息を落とすニアヴ。
レニというのは、法国在住のお友達かなにかなのだろうか。
そして、呆気にとられているサリンジと騎士を前に置いて、俺に向かいにんまりと微笑みかけてきた。
あの天真爛漫な邪悪な笑みは、なんかを企んでいる顔だな。
「さて、ワーズワードよ。お主の言う源素という魔法の理論。そして、マジックアイテムや新しい魔法を産み出してしまう能力は、妾をして驚愕させるものじゃ」
黄金の炎を手にしたまま、そんなことを口にする狐。
「じゃが、お主はまだ魔法の真髄には達しておらぬ。ゆえに今こそ見せてやろう――これが我が族の秘術――【狐火】の真の姿じゃ!」
劫ッ、と大きく燃え上がった黄金の炎が、曲線を描いて、地に落ちた。
炎は揺らめきながら、その形状を変えてゆく。
尖った耳、つきだした鼻、二つの目と鋭い牙、そして四本の足と太い尾――一匹の炎の狐がそこにいた。
炎の狐は、呼気のかわりに火焔を吐いて、面前の騎士たちに狙いをつける。
「くふっ、続きはこの子と遊んでたもれ?」
「「は………はああああ!?」」
それはニアヴの魔法に対する純粋な驚きなのか、絶望を宿した絶叫なのか。
「ぬぬぬ……ふんぬッ」
例の巨漢の騎士がその大槍で【狐火】を薙ぐが、槍の穂先は実体をもたない【狐火】の身体をすり抜ける。
素早いステップでその手元に走り込んだ【狐火】が、その槍をもつ手元に噛み付いた。
「ぐがァ!」
ジュウウウと音を立てて、その籠手から白煙が上がり、たまらず槍を落とした巨漢の騎士が、そのまま膝をついて倒れ込む。
それを確認した炎の狐はその騎士から興味をなくしたかのように距離を取り、次なる得物を求めて、円を描くように残る三人に迫った。
物理攻撃の一切効かない魔法生物を前にして、そして、それに唯一対応できるはずの魔法使いたる神官たちの援護もなく、三人の瞳には恐怖の色が浮かぶ。
「【狐火】は自分の意志でその効果を制御出来る魔法だが、あの狐は既にお前の制御を離れて、自律行動しているように見えるな。炎を狐の姿に変えるまでは俺にも出来るだろうが……あれはどうやっているんだ?」
「くふふっ、さすがのお主でもできぬかや。これは大層気分の良いものじゃのう!」
上機嫌のニアヴ。
同じ魔法でもその使い手が違えば――魔法の熟練度が違えば、まるで別のものになる。
俺も、全てを知った気でいれば足元を掬われるということだな。
これが――ニアヴ本来の力。
いや、魔法という技術の深淵と言うべきか。
それを見せれくれたニアヴには感謝しないとな。
「さあ、【狐火】よ、妾のことを『薄汚い獣人』と呼んだかの者どもに灸を据えてやるのじゃ! ――くっくっくっ」
「……」
やる気になった本当の理由はそれかー。
それはとても、悪そうな笑みであったそうな。
◇◇◇
対処不能な【狐火】から逃げまどう騎士たち。広場中央で、発動しない魔法の【詠唱】を繰り返す神官とサリンジ。
まだ駄目ですよー。
奥の方では、そんな彼らを鼓舞するように、よりいっそ大きく二本の旗が振られている。
旗を振るだけの簡単なお仕事です、と言いたいところだが、先程からずっと振り続けているその運動量は、かなりのものだろう。よく頑張る旗持ちくんである。
ルーヴァの名を聞いては、騎士たちもニアヴには近づかず、俺の前には氷の魔剣をもったフェルナが立ちはだかる。
「ぐおおお! もう良いでぶ! そやつらは捨て置き、あの娘どもだけでも、血祭りにあげるのでぶひ!」
ガシリと鉄の檻を掴み、後方、シャルを指差すサリンジ。
「……いいのか? アルカンエイクに怒られるぞ?」
「黙るぶひ! こうなってはもはや、我が名、我が誇りの問題でぶ! どうやっても貴様に一矢報いてやるぶひ!」
「女子供を襲わねば保てぬ誇りなど、家名が泣くぞ。サリンジ・ダートーン」
「黙れ、黙れ! 黙れぶひィィィ!」
遂に壊れたか。
しかし、だとしてもそれは上官命令である。職務に忠実な銀騎士たちは、盲目的にその命令を実行に移すしかない。
どれだけこちらが圧倒している状況に見えても、数的劣勢は覆せてはいないわけだしな。
4人の騎士が大外からシャルとセスリナ、それに馬車がある村の聖国側入り口へと回り込む。
「ひゃいぃぃ、騎士がこっちにくるぅ!」
シャルの腕に捕まったままで、セスリナが情けない悲鳴をあげる。
ラスケイオンとは一体……
「いけない! ですが、私がここを離れては――ッ」
それを聞いたフェルナが駆け出そうとするが、二人の銀騎士が張り付いて、それを邪魔する。
いや、フェルナだけなら行こうと思えば行けるのだが、そうしたときに、ガードの外れた俺を突き殺そうというスタンスである。
なかなかの良い足止め方法ではなかろうか。
「ぶひひひひひ! もはや間には合わないぶひ!」
「これで勝ち誇れるダートーン卿は、ある意味で称賛に値するな」
しかしこれは、例のアイテムの良い検証にもなる。
最悪俺が手出しすれば、どうとでも助けてやれる状況でもあるので、焦る必要はない。
どうとでも出来るのに、なぜサリンジと騎士たちの暴れっぷりを放置しているのか?
その理由はただ一つだ。
俺が、今の状況を利用して情報収集と技術評価を行っているからである。
スムーズに交渉が進んでいれば、そんなことを行う余地はなかっただろうが、臨機応変に、当意即妙に、状況が変われば、俺もまた行動方針を転換する。
情報収集においては、落ちているものを拾い集めるだけでなく、より良い情報を引き出すことが重要だ。
明確な敵意を向けてくれる相手は貴重である。
実戦におけるマジックアイテムの評価、フェルナの剣士としての評価。そして、俺の源素操作の力がどこまで通用するものなのか。
加えて、法国騎士の練度、戦法、士官の質。それらを見れば、その上に君臨するアルカンエイクの実像すらも見えてくるだろう。
それらの本質は、相手が本気でなければ、敵対しなければ、正しく評価できないものなのである。
ニアヴの本気の片鱗をうかがうこともできて、今の俺の満足度はかなり高い。
サリンジという男に昨夜の晩餐会場でなく、この密林の樹村で出会えたことは、俺にとってこの上ない僥倖であろう。
いや、晩餐会場で出会えていたならば、それはそれで楽しい会談ができたとは思うが。
「シャル」
「はいっ」
ただ一言の呼びかけで、シャルには全てが伝わる。
向かってくる騎士たちを恐れることなく、その首飾りを強く握る。
「はいどっ、あんどっ、しーく!」
先ほど馬車の中で教えたコマンドワード。
当然、それは英語の発音なので、騎士たちにはそれが何を意味する言葉であるのかわかるまい。
首飾りに込められた魔法は、青源素x14で作られた七角柱がその発動図形である。
シャルと、そしてセスリナと馬車をも含んだ一帯の背景がユラリと揺れた。
波紋のような揺らめきの中に、シャルたちの姿が溶けてゆく。
水中に投げ入れられた小石が、やがて見えなくなって行くように、景色の中でシャルたちの姿のみが見えなくなって行く。
そう、シャルの首飾りに付与された魔法は、ミゴットの使った【マルセイオズ・アフォーティック・ゾーン/水神黒水陣】である。
どれだけの透明度をもつ水であっても、深さを増して行けば、やがては光の届かない暗黒の領域へと到達する。その領域――無光層――に入ってしまえば、水面からは何一つ見えなくなる。「見える」とは、光の反射があるということである。光が届かなければ、見えなくて当たり前。
つまりは、そのような魔法だ。
「なあっ!? いなくなった……なんの気配もしない……」
「ありえないだろーよー、ついさっきまでここにいたのにーよー?」
「転移魔法ではないだろうか。これまでの状況から推測すれば、ありえる」
シャルたちの居た場所で呆然とその足を止め、辺りをキョロキョロを見回す銀騎士たち。
フェルナも安堵の吐息を漏らす。
転移魔法か、残念ながら外れだ。
そして、ミゴットは自分の使う【水神黒水陣】を『気配遮断の魔法』だと言ったが、俺が検証した結果から言えば少し違う。
青源素を14個も使った強大な魔法はその姿と気配を消すだけの効果に留まらない。
実際、その場にたむろする騎士たちは、実は馬車の車体に槍が触れ、そしてその足でセスリナのローブの裾を踏んでいるのだが、本人はそれに気付けていない。
正確な魔法効果を説明するならばそれは『気配遮断の魔法』ではなく『認識阻害の魔法』なのであろう。
人の目では、水面下の光の届かない暗黒領域を見通せないように、対象物を人の認識の届かない領域へ送り届けるこの強大な魔法は、例え馬車に手が触れようと、セスリナが大声で泣きわめこうと、それを騎士たちに『認識させない』。
俺とても、セスリナの纏う源素が一人の騎士の足元でわたわたと動いているのが見えるので、あー、ローブの裾を踏まれたんだろうなーと当たりをつけただけである。
だがそれは、認識されないだけで実体への脅威が去るわけではない。無意識に突き出された槍に刺されてしまえば、怪我を負ってしまうだろう。故に、お守り程度の効果しかないとシャルたちには説明したのだ。
魔法効果が強力な分、5分くらいしかもたないしな。
いやしかし、この世界に置いてはお守り程度の効果でも、もし地球に一つだけ魔法を持ち込めるとしたら、個人的にはこの魔法で決まりだな。
日本という国で、ごく一般的に、ごく普通の生活を送っている人間が、その日常生活の中でなにかしらのトラブルに巻き込まれるとしたら、それは住宅における『音』の問題に集約される。
アイシールドにより実現される仮想世界で、どれだけの大映画館やコンサートホールを貸切にしようと、実際にそこで聞く音は、イヤホンやヘッドホンの音でしかない。
それでは大音量の感動を味わいたいという人の心を満たすことはできないため、家の中にホームシアターを持つという夢は日本人という民族共通のものとして、未だに残り続けている。
そうして、実際にホームシアタールームを作ったとしても、ご近所迷惑を考慮すれば、その中でヘッドホンをつけるという、なかなかに興味深い結論に落ち着くのが日本人である。
『ウチもそうなんだ。嫌がる妻をなだめすかして、やっとホームシアターセットの購入を認めさせたっていうのに、ウチは壁が薄いから、ヘッドホンをつけなきゃダメだっていつもボクを怒るんだ。どうにかならないかい?』
『そんな旦那さんにはこれがオススメだね。この【水神黒水陣】の魔法があれば、ワァオ! どれだけの大音量を出したって、誰にも迷惑をかけないんだ』
『でも、高いんだろう? また妻にドヤされちまうよ』
『ノープロブレッ! 【水神黒水陣】の魔法は部屋だけじゃなく、人にだってかけられるんだぜ。そんなときには、奥さんに魔法をかけてしまえば、ア~ラ不思議、アッという間に貞淑なワイフに大変身さ』
『浮気もバレない?』
『それは手遅れみたいだけどね。ホラ、奥さんが向こうから』
『いくらでも払う! 今すぐ俺にその魔法をかけてくれ!』
なんてな。
人は、音に対して自由であるべきである。
日本中の家屋に【水神黒水陣】の技術が広まれば、日本人の生活様式は一変するだろう。
自家の生活音を漏らさず、隣家の生活音も認識の外に追いやる。
日本人が日本人のままで、自重せずに暮らせる家屋。それは俺の理想でもある。
あとは女風呂を覗きたい放題だという課題を解決できれば、ライターや携帯電話などで代用できるような魔法よりもよほど有用ではなかろうか。
っと、そう言えば俺は今頃、指名手配犯になっているんだっけか。
まずはその、ごく一般的な、ごく普通の生活自体が送れないのだという事実を見落としていた。
楽しい妄想の時間はここで終了しておこう。
検証は完了だ。最後は俺の出番である。
戦闘シーンの書き方がわからない作者ですまぬ。