Worst Wide Web 08
思いの外あっさりとニアヴ治林を超えて、馬車は進む。
少し開けてきた景色の中で、右手にそこそこの高さをもつ高山の雄大さに心打たれる。その山際、シャルが指差す先には、高い空を舞う巨大な鳥の姿がある。
牛でもさらえそうなそのかぎ爪の大きさに圧倒されるが、肉食の猛禽ではないらしい。
あの巨体を植物由来の栄養源だけで維持できるというのだから、つまりは自然資源の豊かな地域なのだろう。
このいずことも知れない異世界に季節の概念があるのかどうか知らないが、単純に陽射しの強さと体感の気温から考えれば、季節は初夏といったところか。
鳥の名、花の名、剣の部位、あるいは馬車の部品などの固有名詞が専らの話題だ。それらをQA形式で覚えてゆきながら、同時に脳内記憶野では、自分に分かりやすい日本語へと置き換える。
『捲亦』と呼ばれる樹木が俺の中ではヒノキと認識置換され、『薇擢妹』は大鷲と言ったところか。
『知識の樹』と呼ばれる記憶術は有名だが、より効率的に脳を活用したければ、BPM(ブレイン・パーソナライゼーション・メソッド)の適用がより有効であろう。
情報を発想の繋がりで記憶野に格納する知識の樹と違い、BPMは情報それ自体ではなく、情報をもつ自分自身を能動型擬似人格として独立させ、記憶野に格納する。そして、対象の知識や記憶が必要となった際には、その擬似人格単位での検索を行い、情報の受け渡しを行う。
多重人格者が己の脳内で互いに会話をしている状況をイメージして貰えれば、よりわかりやすいかも知れない。
Aという人格は、毎日の食事の内容を全て覚えており、いついつに何を食べたか? という問いを発すれば、淀みなく答えてくれる。Bという人格は英語が堪能であり、通訳の必要なく、その意味を伝えてくれる。
実際に脳内で会話をするわけではなく、普通に記憶する、思い出すと言う脳機能を効率化しているだけなのだが、この「脳機能を自分向けにカスタマイズする手法」を採用すれば、110年という人の一生を通してほんの0.3%しか使われないと言われる人間の脳の余剰能力を余すことなく活用できるのである。
BPMはその発表と同時に、全世界で一気に注目の的となった新しい記憶術だ。
その方法論は、俺が昔ネット上のスレッドでだらだらと書き綴っていた内容と酷似していたため、世の中には同じ発想を持つ人間がいるものだと、関心したものである。
道は高山のすそ野を裏へ裏へと回り込むように続いている。目の前にあった山が、先ほどまでは右手にあり、今は後方へとその位置を移している。
ユーリカ・ソイルから田園の畦道を進み、ニアヴ治林、そしてこの高山――モートォ山――を越えた場所に『フェルニ村』は存在するということだ。
「それにしても、また林の中に入ってしまったな。ニアヴ治林は見通しの良い疎林だったが、このあたりはもうほとんど密林か」
密林、つまりはジャングルである。
静けさすら感じたニアヴ治林とは違い、植物や花の濃い香りと、雑多な鳥や動物の声が俺たちを取り囲む。
それは文明から遠ざかるイメージ。あの石造りの街を文明と呼ぶのであれば、だが。
「シャルちゃんの村って、『樹村』なんでしょ? それなら、当然じゃないかな」
「樹村?」
一応ジュソンの発音で記憶しておくか。キムラでは人名だしな。
「はい、どこにでもある普通の村ですよ。あ、ほら、もう村が見えてきますっ」
密林の中、多少踏み鳴らされた獣道の脇にそこだけ四角く切り抜いたような、開拓された小さな畑が見えてきた。
畑はともかく、やっと空間が開けたことでそれに気付く。
道がつながる先には、整然と並ぶ太く背の高い木々と、開けた空間があるようだった。
ここが村の入り口なのだろう。
アマゾン部族のような半裸の村人が出てきたら、どうしよう。
ネット通販でも頼んでみるか?
村の入り口と言っても、柵などがあるわけではない。
背の高い木々は、明らかに密林を構成する他の木々と異なり、その先に人の手が入っていると思われる広場が見える。そして、木々には、ハシゴがかけられているのが見えた。
幹の中ほどがラグビーボールのように膨らんでいる多少奇妙な形状の木だった。
よく見れば、その膨らんだ幹には出入り口や窓とおぼしき穴がいくつもあいており、くだんのハシゴはそこへとつながっていた。
「まさか……」
御者くんが馬車を止め、慣れた動作で馬車の側面に回り込み、扉を開く。
馬車を降りるときに目が合ってしまったので、とりあえず会釈を返す。
「樹村というのは、まさしく『樹上の村』という意味なのか……」
「ええ。小さな村は大体どこも似たようなものだと思いますが……」
俺の驚愕を理解できないフェルナが、遠慮がちに説明を加えてくれる。
「そうだねー。でも『高楼樹』って平地じゃ育たないから、ユーリカ・ソイルの近くじゃ確かに見ないかも」
「どちらにしても、珍しいものではないがの」
この世界の人間は森の中に村を作り、そこに生える居住に即した高楼樹という木をくり抜いて、家にするらしい。
別にそれを否定するわけではないが、唖然とするな。
「みんな~、ただいま帰りましたっ!」
馬車から飛び降りたシャルが、大きな声で木々に向かって呼びかける。
こんなジャングルのただ中に普通馬車など来ないのだろう。何者がやってきたのかと警戒を持って息を潜めていたらしい樹の上の村人たちが、窓から顔を覗かせる気配が感じられた。
だが、それ以上誰が出迎えに出てくることもない。
シャルの顔に困惑の色が浮かぶ。
「よそ者のニアヴやセスリナがいるから警戒しているのか?」
「私のせい!?」
俺のせいじゃないなら、それしかないだろう。
「阿呆め、妾のような見目美しい娘が歓迎こそされ、警戒などされるはずなかろ」
呆れ声のニアヴがひょいと屋根から降りてくる。
「自分で言うか。それはツッコミ待ちという認識でいいんだろうな?」
「どういう意味じゃ!」
牙を剥く狐の相手をしながら状況の変化を見るが、変わりなし、と。
十分に警戒心を解くだけの茶番は演じたと思うのだが……となると、この状況は俺たちに原因するものではないということか。
シャルの肩に手を置き、首を振りながら、フェルナが口を開く。
「恐らくは『奴ら』のせいでしょう」
「そういうことなんだろうな」
「はい。こちらは村でも『北の聖国』側の入り口になります。奴らはおそらく、『南の法国』側の入り口に――」
と、そこに多数の足音と、それに重なり合う金属音が聞こえてきた。
広く空いた村の中央広場対面から、総勢20名からなる統一されたカラーの一団が姿を現す。
それぞれが純白の法衣、またはホワイトシルバーの全身鎧を身につけており、遠目に見えればコックか医者の群れにも見えるかもしれない。
頂点に一人。二列目に二人、その後ろに四人の列が四つ並ぶ。そして、列を少し離れて旗持ちが一人。
一糸乱れぬそのタクティクス・マーチは、なかなかの威圧感だ。
旗持ちが掲げるは二つの旗。国旗とおぼしき方には魚、六足の獣、女性の横顔、木の葉の四つの意匠が描かれている。
そしてもう一つの旗には、明らかにアルファベットの『A』をモチーフにしたと思われる意匠で描かれた紋章。
先頭に立つ男は、指に大きな赤い指輪を嵌めた男である。
その男をフェルナが睨み付ける。
「法国の使者――火神神殿上級神官『サリンジ・ダートーン』という男です」
「そして、シャルの護送を任された男か」
歳は40代であろうか。肥満型のピギッシュボディで、紺色の髪には所々白髪が交じる。油の浮いたその顔には、ねっとりとした嘲笑が浮かんでいる。
その身に纏う源素光量は2,200ミリカンデラ。短い手足をちょこちょこと動かしながら行進する様に鈍重さは感じないが、まるまるとしたその腹を踏みつけてやれば、良い声で鳴きそうではある。
豚の獣人……ではないんだよな?
俺の存在はともかく、今にも剣を抜きそうなフェルナの放つ攻撃的気配は、さすがに感じ取ったのだろう。
声が届き、かつ安全が確保される距離でその行進が止まる。距離にして、およそ15mほど。
ガシャガシャガシャガシャ――ザンッッ
16の銀騎士が扇状に広がり、更にその威圧感を増幅させた。
「はわっ、いきなりなんなのーっ!?」
その威圧に即座に屈したセスリナが、パニックに陥り、わたわたと馬車の側面に縋り付く。
そのせいで馬車を動かせなくなった御者くんが困惑の視線を俺に送ってくるが、そこまで面倒は見られないな。
すぐ傍にいたシャルが俺の服の裾をぎゅっと掴む。僅かに震えてはいるが、それは武者震いに類するものだ。
なんの抵抗力も持たないシャルだが、こんな状況でも気持ちで引かない強さは、自らの意志で自分の未来を決定したものだけがもてる強さであろう。
「シャルはセスリナのところに。イザとなったら、分かるな?」
「………はい!」
その首飾りをぎゅっと握りしめ、シャルがセスリナの傍に駆けて行く。
「なにやら、いきなり面倒なことになりそうじゃな。妾の助けは必要かや?」
「いや、とりあえずは話をしたいしな。お前の出番はないだろう」
「じゃろうな」
そう言い、俺に背を向けすたすたと足を進る。距離を置いた場所で、傍観者に徹する心づもりらしい。
とはいっても、なにやら面白い見せ物を期待する視線を俺に注いでいるわけだが。
気楽な狐さんである。
サリンジと対峙する位置には俺とフェルナの二人だけが残った。
「早かったではないか、小僧。だが良い判断ぶひ。王はこの村に手出しせぬと約束はしたぶひが、お前たちの方から約束を違えるこトンがあれば、我等とて紳士ではおられぬぶひからな。ぶっひっひっ」
豚が喋った!
いや、違う、彼は人間である。彼の法国訛りと思わしき部分を、俺の脳が勝手にぶひぶひという響きに変換してしまったようだ。先入観というものは自分自身でもコントロールできないものである。
「さあ、お前の妹、シャル・ロー・フェルニを早く差し出すのでぶ!」
「……使者殿、先にお話を伺いたい。この状況はいかなることがあったのでしょうか。村の皆の怯えようはただごとではありません。昨夜、私がいない間に、何か村に良くないことをされたのではありませんか」
「ぶひっ、このゴミのような村に法国の、それも火神神殿上級神官であるこのわしがぶひぶひ出向いてやったのでぶひ。それなりの持て成しで迎えるのが当然でぶ! ものを知らぬ村人どもは皆、身に染みて礼儀を覚えたであろう。ぶっひっひっ!」
「――ッ!」
武装した16の騎士と魔法の使い手たる神官相手に、村人たちは、抗議の声をあげることすらできなかったのだろう。こうやって、門扉を固く閉ざし、嵐が過ぎ去るのを待つというのが彼らに出来る唯一の反抗だったに違いない。
怒りにまかせて飛び出そうとするフェルナを制する。
「まあ、待て」
「し、しかし!」
しかしも案山子もないのだ。
例え、村人が何らかの理不尽な暴力や略奪の憂き目にあっていたとしても、俺の中の優先順位は変わらない。
サリンジ・ダートーンという豚、もとい男には、アルカンエイクと俺をつなげる中点としての役割がある。交渉前に無用な諍いを起こされるのは困る。
そして、当然ここからは交渉にあたる俺の舞台である。
一歩を踏み出し、まずは皆の視線を俺に集める。
「横から失礼。俺はワーズワードと言う。少し話をさせてもらいたいのだが、そちらのことはダートーン卿とお呼びすれば良いだろうか」
「黒い髪……? 見慣れぬ男ぶひ。そこの馬車の持ち主のようだが、一体何の用でぶ」
「何の用かと聞かれればもちろん、そちらの役目についての話だ。ダートーン卿はこの村の娘、シャル・ロー・フェルニを迎える役目で来られたのだろう。確か、法国の王は娘と引き換えに村には手出ししないとの約束をしたと聞いている。であれば、ダートーン卿の行った何らかの所行は、王の意向に反する行為ではないか? それとも法国の王は、自分の命令に逆らうものにも寛大なのだろうか」
ざわり……
俺の発した問いに、銀騎士たちの間に動揺が広がる。ある者は顔色を変え、ある者は動揺しているのが自分一人ではないことを確認するため、左右に視線を漂わせる。
騎士たちの反応は、満足行くものだった。
その反応から、アルカンエイクがある程度恐怖によって法国を統治しているのだと言うことが読みとれる。
国外から見れば戦争狂でも、国内では善政を敷いている王という事もあり得たからな。
俺が知るアルカンエイクのイメージとその実像とがあまりにかけ離れていれば、今後の対策が立てにくい所だったが、そこまで大きな乖離はないらしい。
アクカンエイクは、少なくとも善に属する人間ではないはずだからな。
憤怒の形相でビキリと、額に筋を浮かせたのはサリンジである。
「貴様……何が言いたいぶひ、アルカンエイク王に絶対の忠誠を誓うわしを愚弄する気ぶひか。わしの言葉は王の言葉でぶ!」
「それは違うな。アルカンエイクは自分の権限を一部であろうと他人に委譲はしないはずだ。ダートーン卿には『シャル・ロー・フェルニを連れ帰る』という結果しか求められていないのではないか?」
「ぶひッ……!?」
これにはさすがに即座の反論も浮かばなかったようだ。言葉に詰まる法国の使者。
さて、やっと俺に興味を持ってもらえたようだな。
交渉の第一歩は、俺という人間を認識させることから始まる。
例えそれが悪感情であっても、関心さえ持たせることが出来れば、あとで良い方向へ向きを変えさせることは難しくない。
コミュニケーションの始まりにおいては、無関心こそが最大の敵なのだ。
サリンジのかわりに従者であろう後ろの神官から、怒号が飛ぶ。
「王を呼び捨てにするなど! 貴様、法国を敵に回したぞッ」
「それもまた違うな。アルカンエイクはそれを許すだろう。なぜなら、アルカンエイクと俺は互いに名を呼び合う程度は知り合いだからな」
「なっ、バカな……王の友人だと言うのか!?」
いや、友人とまでは言ってないんだが。
「そ、そう言えば雰囲気がどことなく似ているような」
ざわざわ……
アルカンエイクと知り合いであるという俺の言葉に、騎士たちに加え、神官たちの間にも動揺の輪が広がる。
もっとも、まわりが浮き足立つことで逆に冷静さを取り戻してしまったサリンジには注意が必要だが。
「ふわー、かっこいい……」
「さすが我が群兜です……っ」
槍もて構える銀騎士たちに気圧されることもなく、ただ言葉のみで法国の使者を相手にする俺に、シャルとフェルナが瞳をキラキラ輝かせている様子が背中越しに伝わってくる。
俺は背中の気配には敏感なのだ。
なんというか、こういう反応に血のつながりを感じるな……
樹上の窓からも、俺の――この広場の様子を窺う複数の視線を感じる。
村人たちも御照覧とあれば、俺の舞台も盛り上がることだろう。
そして、これだけ俺の存在が浸透すれば、次の議題に入りやすい。
「さて、そこで提案なのだが、シャルと言う少女をアルカンエイクのもとまで護送する役目に俺たちも同行させて貰えないか?」
「……どういうことぶひ?」
「シャルの、『アルカンエイクの許へ行く』という約束は、村への手出しをしないという条件があってのものだ。ダート-ン卿の行いが、その約束を法国側から破るに等しい行為だということは、御身自身で認識していることと思う。自分がアルカンエイクの許へ行っても、約束が守られないと感じたならば、シャル・ロー・フェルニという少女もまた逃亡や自殺という抵抗手段をとるかも知れない。なんにせよ、ダートーン卿はアルカンエイクに命じられた役目を全うできない可能性はでてくるのではなかろうか」
「……」
サリンジの目を見れば、俺の言葉の意味を理解してはいるようだ。
だが、それ以上の反応を見せないところは、不気味だな。
「そこで、俺たちを同行させて貰えるならば、シャルがおかしな気を起こすこともなく、ダートーン卿は安全に役目を全うできる。俺もまたアルカンエイクに会わねばならない理由があるので、三者にとって、誰も損のない提案だと考える。
先ほども言ったように俺はアルカンエイクの知り合いだ。それを連れて行ったとしても、アルカンエイクの怒りを買うことはまずないだろう。馬車もこちらで用意しているので、そちらに手間をかけさせることもないと思うのだが、どうだろうか?」
「……」
まずは一手。
とはいえ、この一手は「俺がアルカンエイクの知り合いである」という言葉が真でなければ、意味を持たないものだ。
もし、俺が偽物であるならば、そんなものを手引きしたサリンジの失態となる。だが、真偽不明のままで勝手な判断を下してしまっては、それこそが失態となるだろう。
今まさにサリンジがそのような思考を巡らせているならば、俺の計算通りである。
本来であれば、迷いさえなく一蹴されるような提案なのだ。そこに揺らぎを与えられた時点で、俺の交渉の一手目は既に成功している。
そして、ダメ押しと。
「【パルミスズ・マインド・ネイ/風神伝声】の魔法が使えるのならば、アルカンエイクに今すぐ確認をとってもらっても構わないのだが? 『ワーズワードがここにいる』と」
できれば、転移魔法かなにかでアルカンエイク自身がここまで来てくれると、移動の手間がなくて楽でもある。長距離を移動できる転移魔法を俺は知らないが、きっとあるのだろうし、アルカンエイクも王様になったんなら、それくらい使えるのではなかろうか。
しかしさすがに、そこまで横柄な要求をするとサリンジの豚の尾、もとい堪忍袋の緒が切れてしまうかも知れない。
「――ぶひっ」
サリンジが一つ鳴き声を上げた。
いや、笑い声か。紛らわしいな。
そして、その顔には嘲笑が浮かんでいる。
……嫌な予感がするな。