Worst Wide Web 06
異常に縁の大きいシルクハット。手には、カップとソーサー。ついでに、短いステッキを腕に引っかけている。
おとぎの国から飛び出してきたような、三頭身にデフォルメされた男性型仮想体。
気違い帽子屋がファーストエネミー『アルカンエイク』のアバターであった。
石舞台の上で、優雅に紅茶をすする姿は全くもって茶番劇である。
【えー、かわいいじゃん!XXXD】
そんなフキダシと共に、リズロットがパレイドパグを抱き上げる。
「てめェ! ふざけんニャ、はニャしやがれッ!」
【あははっ、いい子、いい子~】
いつの間にやら髪や瞳の色までカスタムし、完全な"アリス・イン・アンダーグラウンド"へと変貌を遂げているリズロット。
その腕に抱えられ必死に暴れる"ブサイク猫"だが、どれだけもがいてもリズロットの腕の中から逃れることはできない。更にはボイスチャット・コントロールにまで干渉されているようだ。
他人のアバターの制御を奪う行為。これもまた『アバターハック』の一つである。が、それは通常では起こりえないものだ。
外装書き換え程度のハッキングならばまだしも、アバターのコントロールにまで干渉するには、幾層に重ねられた高度な『尊厳保全機構』のセキュリティ防壁を突破しなければならない。
アバターというインターフェイスの向こう側には生きた人間がいるのだから、それも当然のことである。
アバターの作成及び制御に特化したリズロットだからこそ可能な高々度ハッキング技術。それに完全抵抗できるものは、少なくともこの室内には存在しない。仮に23人全員が顔を見せたところで、僅か2名が名のりをあげるだけだ。
「はーニャーせーー!!」
暴れすぎて、その縫い目からワタが飛び出してしまいそうな勢いである。
「リズロットさん、その辺で。今日は皆さんにお願いとご提案があってやってきたのです」
【ちぇー、仕方ないかぁ】
アルカンエイクの言葉にすんなり応じたリズロットが、ブサイク猫を解放する。
その腕の中から弾丸のように飛び出したパレイドパグは、空中でくるくると二回転して円卓たる大切株の上に着地した後、そこからリズロットを睨み付けると毛を逆立たせてフーーーッと威嚇した。
「お願い? ン~、いきなりな話だねぇ~。ボクたちに君のお願いを聞いてあげる義理はないんだよ?」
円卓の中央。金髪の美男子が髪をかき上げながら、恋人の耳に愛を囁くような甘ったるい口調で、牽制を加える。
『サードエネミー』――コメットクールー(C.C.)、性別不明。
別名、月の支配者。
地球上の全ての人々が待ち望んだ夢の『月面エネルギープラント計画』。月面に敷かれた全長100kmにも及ぶゲルソーラーパネルで生成した電力を地球に向け非接触伝送するという、人類史に残る一大プロジェクト。これが完成すれば、地球上で年間に消費される電力の約5%が月よりもたらされるはずだった。
だが、そのプロジェクトは一人のサイバーテロリストの手により穢された。エネルギープラントの完成と同時に、そのメインシステムは乗っ取られ、地球上で完成を喜ぶ人たちのまさに目の前で、月面の作業従事者2,000人以上の命が宇宙の塵と消えたのである。
ゲルソーラーパネルは宇宙の厳しい温度変化や、微小なコズミック・ダストによるインパクトの98.2%を吸収する人類の叡智の結晶である。だが、さすがに第二宇宙速度の破壊をもたらす隕石に対しては、その性能を発揮できない。
そのため、月面エネルギープラントには隕石破壊用のレールガンが備え付けられた。戦略核にも匹敵する800テラジュールの出力を誇るこのレールガンは、理論上1万km先の隕石でも撃ち落とすことが出来る。
それが最大の仇となった。
斯くして、月面エネルギープラントは何者も寄せ付けぬ孤独の城となり、常時3ペタワットもの巨大な電力を腹抱えしたまま、今も無為にその生産と消費を繰り返している。
当然その電力は地球になんらの恩恵も与えていない。
「ン~、そう言うのって、美しくないんだよねぇ」この事件に関する、コメットクールーの発言はそれだけである。
そして、『月面エネルギープラント財団』は各国政府及び『STARS』協力のもと、そのシステムコントロールの奪回に心血を注いでいるが、未だそれを為し得てはいなかった。
円卓の左。ディールダームが一切の表情を変えないまま、コメットクールーに同意を示す。
「然り」
【リズは聞いてあげてもいいよ。外道の提案って興味あるし!XD】
「アタシはゼッテェきかねぇ!」
「%98b%8e%9f%91%e6」(話。次第。)
最後の意味不明な音の羅列は、ジャンジャックの発したものだ。
各人が話すボイスチャットやテキストチャットは、ローカルのアイシールド内で共通言語に翻訳され、チャットルームの管理システムを通して、相手のアイシールド内で相手の使う言語に再翻訳される。
共通言語を経由することで相手の国籍を気にすることなく会話できる反面、相手が何語を話しているのか、つまり人種や国籍を探ることはできないようになっている。自分から情報公開をしているのであれば話は別だが、アルカンエイクの国籍が『おとぎの国』になってる時点で、なにをか況やである。
そう言ったシステム面の話はさておき、ジャンジャックのセリフは翻訳アプリの不具合のため、というわけではない。
ジャンジャックは何の意味もなく自らの発言をエンコードするという、ちょっと名状しがたい癖を持った人間だと言うだけである。
そんなジャンジャックのボイスチャットだが、デコードツールの必要もなく皆には通じている。
この『部屋』にいる者たちは、二言語話者が同時通訳を行えるように、文字コードを脳内で同時デコードできる程度の解析力は当然持っているからだ。
「もちろんもちろん、ジャンジャックさんの仰るとおーり。私のご提案に乗ってくださるかは、話を聞いた後の判断でケッコウ」
それはアルカンエイク自身も理解している。ここは『ベータ・ネット』。彼らの中に序列付けや優劣と言ったものはなく、その関係性はよく言えば対等、そうでなければ渇いたものである。
総じて己一人で全てを完結させている人格である彼らには、『仲間意識』などというものは存在しない。
犯罪評論家は彼らのような人種を孤絶主義者と呼んだ。
似た言葉に個人主義者があるが、その違いは明確だ。
彼らは個の権利と自由を重視するのではなく、他の権利と自由を軽視する。
そして、そうである己の在り方を外部に向けて主張せず、誰の理解も求めない。
彼らは自分以外を必要とせず、誰ともつながらず、故に世界とつながらない。
すなわち――『世界の敵』である。
例えば一国の中で100人を殺す凶悪な犯罪者が出たとしても、それはその国の法の範囲で対処すべき事で世界の敵にはなりえない。
同様に、冷酷なる独裁者が民族間戦争を引き起こし、10万の死者と80万の難民を生みだしたとしても、その独裁者は世界の敵とは呼ばれないだろう。
『世界の敵』とは国に属さず、民族に属さず、宗教に属さず、つまりは世界中のどこの陣営に属さず、ただ一人で――孤絶したまま――広範な被害をもたらす『悪疫』の呼び名なのである。
そして、その悪疫に識別名を振り、一人の犯罪者として認識しうる存在にまで落とすことが米『STARS』の役割であり、『エネミーズ』システムの意義でもある。
ファーストエネミー『アルカンエイク(A.A.)』を皮切りに、以降『バイゼルバンクス(B.B.)』『コメットクールー(C.C.)』と、順にアルファベットを重ねるコードネームをつけることが慣習化したようだが、それは米国人らしいジョークセンスであろう。
なんにしても、たった一人の人間によりもたらされる厄災が世界規模の被害を生むという現実、それは発展しすぎた科学技術の代償であるのかもしれなかった。
◇◇◇
平和な世界に暮らす人々は、そのような悪疫どもが、まさか仮想世界の奥底でこのようなお茶会を催しているとは夢にも思うまい。
だが現実として、ここ『ベータ・ネット』に彼らは集まり、益体もないお遊びや会話を繰り返している。
これもまたワーズワードが語ったとおり、人には『己を観測する誰か』が必要だということであろう。
――例えそれがただ一人で世界を相手にする、究極の孤絶主義者たる『エネミーズ23』であっても。
あのワーズワードですらベータ・ネットには、十分な魅力を感じていたくらいなので、そこそこ居心地はよいのだ。
「時間の無駄だ。結論を先にすべし」
ディールダームが先を促す。
「ではではそのように致しましょう。実は私、とあ~る『プロジェクト』を実行中でして」
「ン~、君のプロジェクトというからには、世界はまた絶望と嘆きの海に沈むことになるのかな?」
「%83n%81%5b%83%81%83%8b%83%93%82%cc%88%ab%96%82」(ハーメルン。悪魔。)
【いよっ、外道!XD】
「そうお褒めにならないでください。まずは私のプロジェクトを形成する理論構造について軽~くご一読いただければ」
アルカンエイクがそのシルクハットの中から、五つの巻物を取り出す。
マジック・スクロールのように外装加工された感応読込ファイル――TRF(Telepath Reading File)――は、アルカンエイクらしいおとぎ趣味だろう。TRFは思考の速度で読込が可能なファイル形式だ。目や耳といった生体器官を介した元来の方法に比べ、圧倒的な読込速度を誇る。ただし、TRFはアバターというVUI(Virtual User Interface)が実装された『アイシールド』にしか対応していないため、エアロビューではファイルが開けない点について注意が必要だ。パソコン普及率でいえば、アイシールドよりエアロビューの方が圧倒的に上なのだから。
それを受け取った各人が、改めてプライベート・ディスプレイを呼び出し、TRFを開く。
感応入力に対応した感応読込の技術。時間の流れは常に一定であるが、時間単位にできることは限りなく速度を増している。いまだ人類の進化加速度は指数曲線的だ。
TRFを読み進めると共に、皆の間から嘲笑とも困惑ともとれる呟きが漏れる。
「『――人のタマシイは物理次元を超える』。フン、科学のみが支配する空間でオカルトを語るか」
「『物理次元を超えたタマシイは、一定の条件下でその器を呼び寄せる』ねぇ。それって、神隠し? それとも妖精の人攫いってやつかい?」
「%97%9d%89%f0%95s%94%5c」(理解。不能。)
「ありえっかよそんなの! ニャハハハ――オイ、リズロット、ボイチャまだおかしいぞ」
【あはっ、忘れてた、ゴメンネ!XP】
「ン~、それにしてもこの読みにくさはどうにかならないかなぁ。『ティンカーベル』『門番』『妖精の粉』『オズ』ねぇ。相変わらず節操もない単語を使うじゃないか」
「%83l%83o%81%5b%83%89%83%93%83h」(ネバー。ランド。)
【まずはそこだよね、ジャンジャック。ワァオ! すごいや『ネバーランド』は本当にあったんだ!】
「ハッ、それじゃあ、テメェはネバーランドを荒らす『キャプテン・フック』かよ!」
「まさしくまさしく」
オカルトでなければ、トンデモに属するその論理構造に対する彼らの指摘は、指摘と言うよりも揶揄に近い。
だがそれと同時に、アバターという表層に表さない深層思考の世界では、火花が散るほどの激しい技術分析を行っている。
なぜならば、これがアルカンエイクの手により構築された理論であるからだ。
彼がただの狂人であれば、読み捨てて終わりでよいだろう。
だが、ここ数年活動を停止しているとはいえ、アルカンエイクはワーズワードが世に出るまでは『史上最悪のサイバーテロリスト』として長く君臨してきた、世界でも最高峰の論理思考と科学技術を持つ化け物なのである。
その化け物の理論が、理解できない。
それは同じ『エネミーズ23』であるが故に、激しい嫉妬と焦燥の感情を産み出させるものであった。
紳士の振る舞いをする道化が、にこやかに衝撃の言葉を続ける。
「理論は理論。そんなものはさして重要ではありません。――ですが皆さんはご存知のはず。私のこの理論を、ただの一人で完成させ、そして『ネバーランド』へと旅だった『ピ~ターパン』がいることを!」
アルカンエイクが発した思考誘導の一言は、全員の動きを止めるに十分なものであった。
大きく振り上げた両手。舞台裏からは山鳩たちが飛び立つ。アルカンエイクの行動はすべからく劇場型だ。
しかし、彼らの衝撃はそこにはない。アルカンエイクの示した『プロジェクト』を実現する論理構造は、彼らの持つ科学技術知識の枠内では真偽を判断できない、有り体に言ってしまえば、難しすぎて理解できないものだった。
それを踏まえた上で、アルカンエイクはこう言ったのだ。『ピーターパン』――ワーズワードはこれを理解し、完成させ、そして実行してみせたのだと。
――『ワーズワードは生きている』のだと。
もちろんその言葉自体には、意図的な欺瞞が含まれている。アルカンエイクは事前にワーズワードの計画を知っていたわけではなく、故に実際のワーズワードがどのような行動をとったのか知るよしもない。ただ、『ワーズワード失踪事件』とワーズワードの持つ『ミーム』技術の知識をひもづけて考えれば、自分と同じ理論を完成させてしまったのだと仮定することは難しくなかった。
――私の『ミーム』技術を窃盗した上に『伝承有俚論』にまで届きうるとは、自重しない若者というのは全く厄介なものですね。
己の『楽園』に、招待されざる害虫が紛れ込んだ可能性がある。それはアルカンエイクにとって歓迎すべからざる事態であった。
しかもそれがワーズワードであるという危険性を計算すれば、己の持つ秘匿情報の公開リスクを負ってでも、協力者を作る必要があった。
それも、明確にワーズワードに相手しうるだけの協力者を。
ブサイク猫がペタリと円卓に座り込んだ。
「……生きてやがるんだな、ワーズワードは」
「そう考えております」
「まァ、アタシもあの野郎が死んだなんて思ってなかったけどな、キャハハハハ!」
パレイドパグの下品な笑い声が、少し弾んで聞こえるのは気のせいでもないだろう。
しかし、他の四人の反応は全く異なるものだ。
「%83%8F%81%5B%83Y%83%8F%81%5B%83%90%B6%91%B6%96%E2%91%E8」(W.W.。生存。問題。)
「だねぇ~」
「……あ?」
5人の『エネミーズ』はワーズワードの情報を追跡していた。が、それは決して『ベータ・ネット』の仲間として、その身を案じたから、というわけではない。
今やワーズワードの個人情報は、全世界に知れ渡っている。ワーズワードがSTARSの手に落ちれば、この『ベータ・ネット』の――さらには自分たちの情報までもが彼の口から漏洩される可能性がある。そのようなリスクを、放置するわけには行かなかった。
「ワーズワードの生存は危険だ。速やかに排除せねばならない」
「オ、オイ、お前ら、本気か!?」
「然り」
ディールダームの言葉は常に揺るぎない。
「ン~、つまり、一時的に互いの主義主張を捨ててでも、ワーズワード排除のために手を組もうという『提案』でいいのかな? そのために君はボクらに技術を提供すると?」
「もちろん協力して頂く利は、私の方が大きいですから、『お願い』ということになります。その差分を埋めるために、私もこうして秘密の知識を明かしたのです。その関係は対等なものです」
【もしかして、ワーズワードが怖いんだ。XXXD】
「怖いです。たーいへん怖いですね」
「%83%8f%81%5b%83Y%83%8f%81%5b%83h%8e%e8%8b%ad%82%a2」(ワーズワード。手強い。)
「力を合わせた私たちの方が強いでしょう。友情はスバラシィ」
「くだらぬ。俺の人生と同じくくだらぬ。だが、くだらぬ人生も敵がいれば面白し。最後の相手がワーズワードならば不足なし」
「まさに! まさにまさに、心強きお言葉!」
「ま、待て……それなら、アタイも行くぞ。行ってワーズワードの野郎をブッ殺せばいいんだろ。簡単な話じゃねーか。キャハハハハハ!!」
「おや、お考えを改めに? 期待しております、パレイドパグさん」
ワーズワードがアルカンエイクを軽視しないように、アルカンエイクもまた、ワーズワードを軽視しない。
アルカンエイクの賢明な点は、行動の読めないワーズワードが自分のプロジェクトを阻害する要因になるであろうと事前に読んで、最強の、そして最悪の協力者を作ることを決心したことにある。
彼らと手を組むリスクと、自分一人でワーズワードに対するリスク。
その天秤を持ってすら、天秤はワーズワードの側に傾いた。
ワーズワード侮り難し、と。
コメットクールーは微笑みを浮かべ。
リズロットはその瞳を綺羅と輝かせ。
ジャンジャックは名状しがたく。
ディールダームは巌の如く。
パレイドパグは依然変わらず猫のまま。
アルカンエイクを囲む5人の魔人。
彼らの中でその行動方針が決定される。
申し訳ありません、ワーズワードさん。アナタが『地球』で暴れる分には良好な関係のままでいられたのですが、そちらの『世界』に関しては、私も譲れないモノがあるのです。
それなら、仕方ない……仕方ないですよねぇ。
『世界の敵』ワーズワード。――そして、世界の敵の『敵』、ワーズワード。
その茶会より数時間の後、地球上から幾つかの悪疫が取り除かれることになった。