Worst Wide Web 05
そこは、どこにもない部屋だった。
四角く切り取られただけの、出口も入り口もない薄暗い空間。
部屋の壁紙は、プルシャンブルーを基調とした全体的に暗く沈んだ色調の青で統一されている。
時間と共に緩やかにその明度と色彩を変化させる壁紙は、深海を表していた。
それが証拠に、かすれたホワイトラインのみで描かれたクレヨン描画のサカナの群れが、その壁紙の中をゆったりとした速度で泳いでいる。
イカにトカゲギス、オニアンコウ、フクロウナギを狙うのはアカグツだ。更にはそのアカグツを部屋をぐるりと回遊するメジロサメが狙っている。天井近くにプカプカと漂う発光性のクラゲは海流に押し出されるまま、壁紙から飛び出してしまっている。
部屋の広さと天井の高さ、それに奥にある一段上がったステージを見ると、まるで小学校の体育館のようだ。もしくは、水族館をイメージしたナイトクラブだろうか。それにしてはだだっ広いが。
そもそもが薄暗く、近づいてみなければ誰がどこに何人いるのか部屋を見渡しただけではわからない。
だが確かにそこには複数の気配が感じられた。
彼らは互い談笑するでもなく寄り集まるでもなく、てんでバラバラな場所で、思い思いにディスプレイを操作している。
皆プライベートモードで画面を開いているため、他人のディスプレイを盗み見ることは叶わないが、他の者が何の情報を検索・閲覧しているのか、確かめる必要もなくわかってる。
デイリー・ニュース、現場取材動画、情報スレッド、衛星画像、日本警視庁無線履歴、エシュロンⅡデータバンク……なにか新しい情報がないものかと、合法・非合法問わず、次々に情報を収集する。
検索キーワードはただ一つ――『ワーズワード』。
――と、突然壁紙の中のサカナたちが、狂ったように泳ぎ始めた。
見れば、壁紙の床近くが、灼熱色に変色し始めていた。
ご丁寧にわき上がる無数の気泡までも、クレヨン描画という念の入りようだ。
壁紙の中の深海は、今やグツグツと煮えたぎる鍋へと変わり、サカナたちは熱から逃げるように天井付近に集まり、それ以上逃げ切れなくなると、腹を上に向けて茹だってゆく。
壁紙はじわじわと赤みを増し、遂に全てのサカナが骨も残さず消滅した。
唯一壁紙から飛び出していたクラゲたちだけが難を逃れたようだ。
「くだらぬ」
声を漏らしたのは、成人男性の仮想体を持つ『ディールダーム』である。
その呟きに反応したわけではなかろうが、壁紙が一度強く発光し、次にはある一つの意匠を壁一面に大きく映し出した。
ピンク一色の目にイタい背景色と、ブサイクな面構えの一匹の犬。その口には導火線のついたバクダンがくわえられている。
導火線には火がついており、その部分だけがパチパチと火花を散らしている。
ポップでファンキーで……そして下品なスプレーアートの類だ。
室内の壁紙変更を行うには管理者権限が必要である。その壁紙が書き換わったということは、今ここにはいない『ルームマスター』に付与されていた管理者権限を何者かがハッキングして、己の権限を上書きしたということだろう。
「キャハハハハハハ! ザマァみやがれ!」
甲高い、下品な笑い声。
暗色が取り除かれたことで、室内の光景がハッキリと見て取れるようになった。
そこにあるのは五つの影。五つの男女あるいはそのどちらにも当てはまらない者の姿だ。
ハスキーボイスで高らかに笑い声を上げたのは、一匹のヌイグルミ犬である。
ヌイグルミではあるのだが、その顔はやはりブサイクである。まさに、今壁紙全体に描かれている犬の顔だ。
その犬種は、
「ウミだのサカナだの、『バイゼルバンクス』の野郎の辛気くせェ趣味はいい加減飽き飽きしてたんだ」
「貴様の駄犬趣味よりは100倍マシだと思うがな、『パレイドパグ』」
「……っゼーな。ロートルのクセに、アタシに意見すんじゃねェよ!」
下品でブサイクなヌイグルミ犬。
『エネミーズ16』――パレイドパグ(P.P.)、性別不明。
そのトレードマークである『バクダンをくわえたパグ犬』のポップイラストは、パソコン利用者であれば誰でも一度は見たことがあるはずだ。
パレイドパグは一般人に最も身近なサイバーテロ――『コンピューターウィルス』の作成者である。
コンピューターウィルスとは実は至極簡単に作ることができるプログラムである。
そして駆除もまた容易であるため、コンピューターウィルスとそれを駆除するセキュリティソフトは日々更新のイタチごっこを繰り返している。
そんな均衡の中にあって、パレイドパグの産み出すコンピューターウィルスの感染力は他を圧倒し、今では全てのパソコンに『パグバスター』というパグウィルス専用の駆除ツールを入れなければ、ネットにもつなげられない有様だ。「パグがワンと鳴きゃ、爆弾がボン」とは、パグウィルスのうたい文句。爆弾が落ちると、ローカルディクス内に蓄えられた情報を無差別・無分別に放流する。その動作が基本的である分、回避の難しい悪質なウィルスである。
一過性のサイバーテロに比べて、年次経過とともに被害が蓄積して行くパレイドパグのテロは、ある意味で最も質の悪いものだとも言える。
まごうことなき世界の敵である。
【やめなよ、二人とも】
「テメェは黙って一人遊びしてろ、クソガキ!」
【ご、ごめんよ……】
ボイスチャットの二人に対し、フキダシのテキストチャットで会話に混ざってきたのは『リズロット』である。
残り二つの影は、三人の会話には加わろうとせず、無視あるいは無関心を決め込んでいる。
リズロットのアバターはセーラー服を着たブラックロングの女子高生の姿だ。吸い込まれそうなほど澄んだ瞳がやや大きい。
ネット上で見かけたら、思わず「ハウマッチ?」と声をかけたくなってしまうほど精密に作り上げられた美少女アバターである。もっとも、その中身が彼か彼女かは定かでないが。
そしてそれは、今期から始まった青春アニメのヒロインの姿でもある。ジャパニメーションのキャラであると言う点から、ではリズロットがワーズワードと同じ日本人なのかと問われれば、それはわからない。今やジャパニメーションはネットTVを通して、世界のどこからでも視聴可能であるため、それだけで国籍を特定することはできないからだ。
そもそも、このアニメのアバター自体、日本公式でもまだ発売されていない。おそらく、リズロット自身の手による非合法自作アバターなのだろう。
アイシールドにより再現される仮想世界は、現実と変わらぬリアルさを持つ。
故に、高度な技術で作成されたアバターであれば、それがアニメのキャラであっても、その見た目や動作は普通の人間と変わりないものだ。
間違いなく美少女であるリズロットのアバターの細やかな動き――微妙に下がる眉の動き、上目遣いな視線、憂いを帯びた口元――は、それが元々2Dのイメージイラストでしかなかったとは思えないほど生々しいものだ。現実の女性と比べると、やや目が大きいが。
アバター収集癖のある者(富裕国の若い男性に多い)であれば、それがいったいどこまで作り込まれているものなのか、その服という服を全て脱がして、身体の隅々、あるいは皮膚、骨格、口腔内の奥の奥まで調べてみたい気持ちになるだろう。
そこまでしなくても、下斜め60度からのスナップショットくらいは、嬉々として撮影して、投稿掲示板にアップロードしそうである。
『エネミーズ12』――リズロット(L.L.)、性別不明。
リズロットは世界の敵でありながら、世界中に熱狂的信者を持つカリスマでもある。
アバターとは本来、思考による感応入力を実現するためのユーザーインターフェイスにすぎない。しかし、どこまでもリアルな仮想空間で、その仮想の身体をよからぬ行為に用いる誘惑。それに魅了されない者はいない。
そのため、市販されるアバターはいくつもの規制とガチガチの高々度セキュリティに守られており、それは利用者自身でも解除できないものになっている。
端的に例を挙げるなら、女性体アバターは服を脱ぐどころか、下着が見えることさえも許されない。水着やレオタードは許されるので、その辺りに法による規制の限界と、クリエイターの腕の見せ所があるのだが。
どちらにしても、規制範囲内ではできることに限界があり、故に、高い技術力で作成されたリズロットの脱衣可能な違法アバター(アニメキャラ限定)には熱狂的な信者がついているとも言える。脱衣以上のあれやこれやも可能なあたり、その技術力の高さは群を抜いていると言って良いだろう。
そのような質の高いアバターを購入費も使用料も、さらには広告料すらとらずに全て無償で公開する。
リズロットに言わせれば、それは彼または彼女の『無償の愛』であるらしい。
遵法精神を欠片も持ち合わせず、己の思うがままにコンテンツビジネスを破壊し、驚くような手軽さで人々の昏い要求を満たしてくれる世界の敵。
ネットなどというものは、そもそも健全さだけで成り立つものではないが、リズロットの存在はネットの闇を一般の人々のすぐ右隣にまで浮かび上がらせ、多くの若者を堕落させた。
リズロットの『無償の愛』ならぬ『無償の悪意』が、ネットを基軸に据えた世界の健全さを蝕んでいた。
【でも、君も気になるだろ――】
おずおず、と言った様子でリズロットがテキストチャットを続ける。
【――ワーズワードがどうなったのか】
「ハッ、アイツがそう簡単にくたばるタマかよ」
「その点だけは同意する。だが、自らの情報を『STARS』に流すという社会的自殺行為。にも関わらず、最後の最後でその意を翻し『逃げた』という謎。このような無理無駄無意味な行動は我等の知るワーズワードらしからぬ」
ワーズワードが自らの『計画』を実行したあの日よりすでに一週間が経過していた。
そして、未だワーズワードは逮捕されていない。
当然のことだが、あの日以降、ワーズワードがネット上で活動した形跡は一切ない。
そのため、世界最悪のサイバーテロリスト『ワーズワード』は既に死んだのだという者もあれば、いや、今はいずこかに身を隠しており、STARSへの報復として次なる大きなサイバーテロの準備をしているのだと分析する者もあった。
一週間前の出来事は『ワーズワード消失事件』と呼ばれ、いまだ毎日のトップニュースを飾っている。
そして、ネット上に無数ある匿名スレッド内では、そのテロリストの潜伏拠点にまで押し入っておきながら、まんまと犯人を取り逃がした米国『STARS』と日本警察は大いなる笑い者として、お祭り騒ぎのもう一人の主役となっていた。
「自殺しようとして、土壇場でビビったんじゃねェの?」
「あのロジカルモンスターが本当にそんな選択をすると思うか?」
【ありえないよねぇ】
「知るかよ。てか、アイツジャパニーズだったんだな。ッセーの! キャハハハハ!」
今のところ、日本人『ワーズワード』の過去の職場関係「勤務態度は真面目でした。退社後の行動について、弊社は一切関与しておりません」、ご近所の評判「そんな悪い人には見えなかったんですけどねぇ」や、卒業デジフォトが晒されるばかりで、事件以降のワーズワードの足取りを伝える記事は一切出てきていない状況だ。
ここではTVやネットの掲示板に流れるそんな表面的な情報だけでなく、もっと深いレイヤーの情報まで収集しているにもかかわらず、やはり結果は同じく『ワーズワードがどこに消えたか判然らない』状況だった。
「やっぱ死んでんじゃね?」
「その可能性は高い」
【そうなのかなー】
「そういや、テメェはやけにワーズワードに懐いてたっけな、リズロット」
「懐いていたのはお前も一緒だろう、パレイドパグ」
「ア、アタシはアイツを利用してただけだ!」
「フン、己の金儲けに利用するだけしておいて、いなくなったらその態度か。ワーズワードも哀れなものだ」
「このアタシに何も言わず勝手に死んだ奴のことなんて知るかよ! キャハハハハッ!」
【うわー、パレイドパグってば、ホント、ハクジョー】
「誰にでも噛み付く狂犬が。こんな雑魚すら捕縛できんとは、STARSの無能振りにはあきれ果てる」
「ハッ! STARSちゃんにブルって、活動を辞めちまったテメェにだけは言われたくねェ」
「くだらぬ。標的の全てが地球儀上から消えた今となっては、俺が動く理由はない」
「の割には、テメェの最後の標的ってヤツにトドメを刺したのはワーズワードの野郎じゃねェか。テメェの人生をかけた戦いとやらは、あとから出てきたジャパニーズの『お遊び』以下だったってわけだ。古参の『エネミーズ4』が新人の前に形なしだな、キャハハハハ!」
「……」
『エネミーズ4』――ディールダーム(D.D.)、男性。
中東、南米、アフリカ、あるいは極東に未だ根強く残っていた独裁国家の元首たちの中で、ディールダームのテロにより失脚あるいは命を奪われた人数は、驚愕の15を数える。
サイバーテロは、ネットに接続された相手だけを標的にしない。
例えば、米軍無人戦闘機『RQ-55 グローバルトマホーク』。その制御をハッキングしてしまえば、どうなるものか。
雷挺の如く怒濤の如く、ディールダームは執拗なまでに独裁国家そのものを標的にし続けた。彼の中にあるどんな信念がその狂気を支えていたのか、それが彼の口から話されたことはない。
彼に狙われた独裁国家は確実に弱体化し、その体裁を保つことが出来ずに政府状態に陥り、次々に崩壊していった。
もし彼が自由の国に迷惑さえかけていなければ、或いは『STARS』が彼をナンバリングすることはなかったかも知れない。
しかし、『RQ-55』により元首の命を奪われた独裁国が一独立国として、米国に謝罪と賠償を要求するのは当然であり、米国はその責を免れることはできず、晴れて4人目の『世界の敵』が誕生した。
彼が最後のターゲットとして残しておいた極東の独裁国家は、ワーズワードがその国家元首の無修正追跡動画をItubeで公開したことにより、その異常な性癖が国内外問わず万人の知るところとなり、神性を誇ったカリスマは一気に崩壊。ついでに国家も崩壊した。
同性の愛人がいるだけならまだしも、白昼堂々、野外でアレととか………ないわぁ。
お天道様もマリア様も見ていないが、衛星軌道上のカメラ様が見ていたのである。
ワーズワードのお遊びはまさしくテロであった。
パレイドパグの放った言葉は、それを意味している。
ブサイクなヌイグルミ犬の、汚い言葉遣いと安い挑発。パレイドパグの存在は全てが下品である。
押し黙ったように見えるディールダームだが、アバターの状態だけではその理由を推し量ることはできない。無意識の感情が表に現れる生身の身体と違い、アバターの全ては思考で制御されるものだからだ。
故に、どれだけの怒りを持っていようと理性的な態度をとることができるし、逆にどれだけ冷静であっても、気狂いの如く振る舞うこともできる。
ディールダームについて言えば、素直に見れば言い負かせられて押し黙ったように見えるが、ただ単に相手をするのが面倒になって会話を打ち切っただけだとも取れるし、ヘタをすると急な電話でもかかってきて、アイシールドを外し、電話の相手と会話をしている可能性すらある。中身がいなければ、当然反応など返るはずがない。
ここで交わされる親しげな会話も冷静さも下品さも全ては表面上のもの。その裏にどのような『実体』が隠されているのかなど、分かるはずもないのだ。
どちらにして、その全てはどこにもない場所で交わされた会話であり、一切のログは記録されない。
どこにもない『ここ』は、どこからでも繋がるネット上のフリースペース。
どこにでもあるプライベート・チャットルームにして、背徳のコミュニティサイト。
『ここ』が――『ベータ・ネット』。
その存在を知るものは、地球上にたったの23名。そして、それはネットワークなくして成り立たない世界の――『世界の敵』の明確な人数だった。
◇◇◇
ドン! ドラララララ………ジャーーン!
突然のドラムロールとシンバルが部屋の中に鳴り響いた。
部屋の奥にある一段上がったステージ。部屋の照明が少し落とされる。ステージにかかっていた薄いカーテンを裏面からスポットライトが照らし、そこに一つの影を映し出した。
【外道キター!XD】
舞台下でリズロットのテキストチャットがエモーティコンとなって、飛び跳ねる。
「どうしましょう。どうしましょう」
まるで影絵遊びのように、カーテンの裏でその影がステージ上を歩き回る。
燕尾服を着こんだ背の低い人型アバターの影だ。短いステッキをくるくる回し、頭には異常に縁の大きいシルクハット。
「困りました。困りました」
ステージ上を右から左に、左から右に。困った困ったと呟きながら、往復する。
と、そこで唐突に現れた鳩時計が、クルッポークルッポークルッポーと、脳天気な鳴き声で三時の到来を告げた。
世界のどこからでもつながるこの仮想空間においては、GMT(グリニッジ標準時)でも示さない限り、時間の概念などないに等しいのだが。
「おおっと、そろそろお茶会の時間。さあさ皆さん、忙しいお手はしばし休めて、午後の紅茶はいか~がです?」
なんとも古典的に。どこまでも喜劇的に。
影が舞台から大きく礼をする。
紳士の振る舞いをする道化。道化が演じる紳士。そのような何か。
その指がパチンッと鳴らされる。
とたん、壁紙は奥行きのある明るい森へと変わってゆく。テーブルは倒木に、椅子は切株に。5人がそれぞれ開いていたディスプレイは真ん中で二つに折れたかと思うと、蝶の羽根となって、パタパタと飛び去ってしまう。
そこは若葉の萌える新緑の森の中にぽっかりと空いた秘密基地だ。梢ではリスが遊び、遠く近く聞こえる鳥たちの声は、仮想と現実の垣根を限りなく薄くする。パレイドパグの設定した2Dベースの壁紙から一転し、アイシールドの性能を極限まで引き出した最上の精緻。
上空にぷかぷか浮かぶ、白線で描かれたクラゲだけが、その光景の中に残るただ一つの非現実であった。
「チッ……」
悔しげな呟きはパレイドパグから。
やっとのことバイゼルバンクスから奪いとった管理者権限を、たったの今目の前でリハックされてしまったことがその理由である。
とはいえ、さすがにここまで厳然たる実力差を見せつけられては、いつもの調子で悪態をつくこともできない。
他のメンバーにしても、ディスプレイを奪われては他にすることもない。
肩を竦ませながら、あるいは何の感情もみせず、皆がステージ前の円卓たる大切株に集まってくる。
座標移動すれば瞬時に移動できるところを、時間をかけてわざわざ歩行移動で集まるところを見れば、ステージ上の何者かの小芝居に乗ってやろうという気持ちが、一応はあるのだろう。
ディールダーム。
パレイドパグ。
リズロット。
そして、
金髪の美男子――『コメットクールー』。
名状しがたい何か――『ジャンジャック』。
の5名である。
【わぁお!】
はしゃいだテキストチャットは、もちろんリズロットのものだ。
セーラー服を来ていたはずの美少女アバターが、今は水色丸襟ワンピースに白いエプロン、黒髪をまとめるのは、真っ赤なリボンに変わっている。
同じくパレイドパグのブサイクな犬のぬいぐるみは、そのブサイクさを残したまま犬から猫へと変わり、表情変えぬ巌の如きディールダームの背に透明な妖精の羽根が生えているのは、なんの冗談だろうか。
弓と矢筒を背負ったコメットクールーはさしずめロビン・フッドであり、名状しがたい何かにもなんらかの外装カスタマイズが施されているのであろうが、そもそもが名状しがたいので、その変化のほどはわからない。
もしここが現実世界であれば、リズロットを除く一同は怒りに近い不満をその顔に浮かべていることだろう。
そう、これは『アバターハック』――れっきとした犯罪行為である。
『エネミーズ』にナンバリングされるだけの人間であれば、己のアバターへの外部ハックを許すこと自体が、屈辱であろう。
だが、屈辱を屈辱のままに放置するメンバもまたここにはいない。
「つまらぬことを」
フンと、肩に力を入れる仕草。とたんにディールダームの妖精の羽根はパキンと割れて、電子の空間に溶けて消える。
「ン~、そうだねぇ~。ちょっとボクも趣味じゃないねぇ~」
甘ったるく、間延びした声。コメットクールーが矢筒から一本の矢を引き抜き、それを頭上に向けて射る。矢はキラキラと光の粉を振りまきながら、ゆっくりと森を昇って行く。光の粉を浴びたコメットクールーの外装が、元のラフなTシャツとジーンスに戻って行く。
同じく光の粉を浴びる範囲内に這いよってきたジャンジャックの赤く黄色く明滅していた身体?が青と白の明滅に変わったところを見ると、それが元の正しい状態なのだろう。
――『トリック・オア・トリート』。
そう呼ばれる『ベータ・ネット』で度々見られるメンバー同士の『お遊び』である。
遊び相手にハッキングを仕掛け、仕掛けられた側は相手を上回る優雅さで抵抗または対抗する。
ワーズワードの言葉を借りるならば『誰よりもスマートに、どこまでもシニカルに』やってのけることが、この遊びの真髄である。
もっとも、そのアタックに対し自己防衛すらできないようならば、遊びのまま全ての個人情報が抜かれ、サイバーテロリストとしての生命線が絶たれる結果となるだろうが。
パレイドパグによる管理者権限ハッキングも、少しばかりスマートさに欠けてはいたが『トリック・オア・トリート』には違いないのだ。
「これはシツレイ、お三方にはお気に召しませんでしたか」
ステージ上の人物。その手にはいつの間にか、カップとソーサーの影がある。
シャラララと音を立てて、カーテンが引かれる。石舞台へと変化したステージの上に、その何者かの姿があった。
舞台上のアバターを睨みつけ、ブサイクな犬……いや、猫が下品な声をあげた。
「オイ! アタシもとっとと元に戻しやがれッ――『アルカンエイク』!」
パレイドパグさん、かわいい!