Worst Wide Web 04
林間を抜ける小径を走る馬車。場所は狐の治める静かな山林である。
「――ふむ、変わりはないようじゃの。今はお主ら以外の人族も居らぬようじゃ」
「本当に林の中のことが全てわかるんだな」
「当たり前じゃ、ここ『ニアヴ治林』は妾の治地なのじゃぞ」
ニアヴが魔法を解くと同時に黄x5、緑x5、白x10の源素の接続が解除される。
【オウル・オール・ノウン/梟知全知】。
十二面体。正五角形を12個組み合わせて作った多面体がその魔法の構成図形である。
3色計20個の源素の組合せは、現時点で見知っている中では最大の個数だ。そして相変わらず狐の魔法は、その形状が美しい。
魔法の発動と同時に源素で構成された正十二面体から不可視のさざ波が全方位に流れ、暫しの時間経過の後、その波の打ち返しのようなものが返ってきた。
不可視のものがなぜ見えるのかと言われると、やはりいつも通りの答えを返すしかない。
俺に見えるのは源素のみである。林の中を漂う源素が、波打つような上下運動を見せたわけだ。
そのウェイブの広がりがまずあり、その後同じ波がニアヴの許へ返ってきたわけである。
その不可視の波が何を運んできたのかは、横で見ていただけの俺には感知できなかったが、その後のニアヴのセリフが先ほどのものなのだから、森の全てを見通せる濬獣の力というのは、ニアヴ固有の能力というよりは、濬獣のみが知っている独占的な魔法の力ということなのだろう。
俺も後で試してみよう。
俺たちが話すのは馬車の屋根の上である。
中にいると、セスリナが拉致された被害者のような虚ろな表情で俺を見てくるので、避難してきたのだ。
自分の治める土地に入ったせいか、ニアヴの機嫌も大変よろしい。
今は俺の隣で馬車の側面に足を放り出し、半ば反り返るような格好で、林間の涼風を気持ちよさそうに受けている。
「しかし、この大きな馬車がよくこんな小径を走れるものだ」
「六足馬は風神・卷躊寧の眷属じゃからな。竜を筆頭とした神に連なる生物の中では、比較的穏やかな性格をしておるゆえ、このように飼うこともできる。流れる風がわだかまることがないように、六足馬に進めぬ道はないというの」
「ああ、これはそう言うことなのか」
「なにがじゃ?」
視線を前に向ければ、たまに魚眼レンズを覗き込んだときのように風景が歪んで見えるので、何事かと思っていたのだが。
「つまり、シーズがそういう魔法を使っているということだ」
「……は?」
ポカンと口を開いて、俺の言葉を聞くニアヴ。
「森に入った時に、一つ大きく嘶いたのが魔法発動の【コール/詠唱】だったのだろう。進む先にある木々や障害物を押しのけて……いや、違うな、おそらくは空間を一時的に歪め広げて、馬車の通る道を作っている。大した整備もされていない林道を走っているにしては、腰を痛めるような強烈な振動もないので不思議に思っていたのだが、おそらくは地面の凹凸それ自体もなくすような、空間歪曲による『地ならし』を行いながら走っているのだろう」
瞬間移動に属する魔法の存在は確認できているので、空間制御自体は魔法という範疇で可能な技術なのだろう。
異世界の馬はすごいな。
「いや、待つのじゃ。六足馬が魔法を使っておるじゃと?」
「ああ」
「簡単に言うでないわ、馬じゃぞ!?」
「お前だって狐だろうに」
「妾は濬獣じゃ!」
どっちでもいいわ。
「馬が魔法を使ってはいけないのか?」
「魔法とは神の……いや、それはよいとしても、古より伝えられし魔法知識の伝承とそれを扱うための習熟が必要なもの。言葉を持たぬ動物が魔法を使うなど、聞いたこともない話じゃ」
「動物の中にも魔法を使えるものはいると今知ったのだ。それでいいだろう」
「むう、それはそうかもしれぬが……して、お主は何を笑っておる。妾の無知がそれほどおかしいかや」
俺の視線に気付いた狐が、憤懣やるかたないと言った表情で突っかかってくる。
「そうではない。俺は六足馬を見たのは今日が初めてだった。更に言えば、この国のことも魔法のことも、数日前には何も知ってはいなかった。故に知ることが楽しい。長い年月を生き、多くのことを知っているというお前でも知らぬことがまだ沢山あるというのなら、俺がこれから得る情報量はさらにそれを上回るだろう。その事実は十分に俺の興味を引くものだと思っただけだ」
そう言う俺に対し、今度は魔法を使う六足馬以上に不可解だという視線を送ってくるニアヴ。
「お主の興味はそんなものにあるのかや。やはり、お主の考えは読めぬの」
「そうか」
「そうじゃ。そもそも、シャルにあのルルシスという娘。妾の目から見ても、二人共に健康で美しい娘じゃと思うぞ。そのような者たちを紗群に迎えれば、男の子ならば、全ての興味はそちらに向かうであろうに。なぜに、お主はこのように妾の隣に座しておる」
「俺が隣にいてはいけないのか?」
「にゃあっ!? そ、そのようなことは言うておらん……この阿呆者め!」
「失礼な。まぁ二人の気持ちは嬉しいがな。俺から見れば、シャルはまだ子供だ。非現実な状況と友好的な会話の中で発生した心拍上昇を恋愛感情と混同した可能性もある。吊り橋効果を知る俺が大人の対応でなくてどうする」
実際には吊り橋ではなく石橋だったわけだが、何にせよ橋は橋だ。
ふんふんと頷く狐が、ずいと顔を近づけてくる。
「ではあのルルシスという娘はどうじゃ」
ぐいと押しのける。
「そうだな……彼女はまぁなんというか全ての表現が不器用なのだ。まずはオトモダチから始めるべき所を、一足飛びで何手順かを飛ばしてしまった感がある。彼女自身がそれを是としても、俺はまだそこまでの心構えはできていない」
制度には適合するとしても、自分自身の持つスピード感はそうそう変わらないものだ。
具体的には平均初婚年齢が37.5をマークしてしまうような、そんな滅び行く種族のスピード感だ。
女に興味がないとは言わないが、よく言えば慎重、悪く言えば臆病の部類ではあるのだろうな。
「なるほどのぅ、確かに時間も必要じゃろう」
深く頷くニアヴ。
ぶわっさぶわっさ、とその太い尾が左右に振られる。
「では妾はどうなのじゃ? この治林で出会った後、お主とずっと行動を共にしておる妾は?」
だから、顔を寄せるなというに。
「お前は――」
「うむうむっ」
「お前は狐だろう。まぁ、教えられることも多いし、十分に感謝しているぞ」
「…………」
力強く振られていたその太い尾が一気に質量を失い、冬枯れしたススキのように、へにょりとしおれて行く。
そして、そのままポテリと倒れ込み、俺に聞こえない呟きで何事かを口にした。
「……期待させるでないわ」
「何か言ったか?」
「なんでもない。お主のような甲斐性なしが相手では、二人が不憫でならぬと思うただけじゃ」
「悪かったな。それより、今の内に話しておきたいことがある。一度車内に戻るぞ」
「ん、よかろう」
ふて寝のような体勢から背中のバネだけでピョインと跳ね上がったニアヴが、そのままの勢いで身体を馬車の側面に落としてゆき、屋根の縁を掴んだ片手を支点に、その身体を小さく開いた窓の中へとアクロバティックに滑り込ませる。
低速だとはいえ、走っている馬車の上でなんと器用な。
到底真似する気は起きないので、俺は御者台を経由して、車内へと戻る。
途中目が合った御者くんとは、互い会釈でやり過ごす。
車内では、先ほどまでぐずっていたセスリナが、今はシャルの膝枕で、すやすやと眠っていた。
「よし、ここでセスリナを捨てて行こう」
「だ、ダメですよっ! ほら、こんなにかわいい寝顔で眠ってるじゃないですか」
だから、捨てるんだが。
この件に関しては、シャルと俺の意見は平行線を辿りそうなので、とりあえず後に回す。
「で、話とはなんじゃ?」
「ああ、アルカンエイクのことについて、少し話しておこうと思ってな」
「――ッ」
息を飲んだのはフェルナである。シャルにしても、その名はこれまで自らを縛ってきた鎖。自然、その表情がこわばるのも仕方がないことだ。
アルカンエイク。法国の新王にして、おそらくは俺の知る相手。その最低限の情報は共有しておかねばならない。
「ふむ。そう言えばお主、昨夜はその名を聞いた後、すぐに引っ込んでしまったの」
「少し一人で考えたいことがあったのでな」
「私もお聞きしたいと考えておりました。昨夜のご様子……ワーズワード様は、『アルカンエイク』王をご存知なのですか?」
王か。俺とアルカンエイクの在り方は大変似ている。にしても、あんな外道が王などと呼ばれる世界があるとは、驚きを通り越して笑ってしまうな。
「知っているかと言われると難しい。アルカンエイクの主立った活動履歴については熟知しているし、実際に言葉を交わしたこともあるが、奴が壮年の男性だという話は昨日聞いて初めて知ったわけだしな。男だろうとは思っていたが確証はなかった」
「はぁ!? 言葉を交わしたことがあるのに、性別がわからんじゃと? そんなことあるわけがなかろう!」
「そういう場所があるのだ。そして、これがまず皆に認識しておいて欲しいことなのだが、俺にできることは、おそらくアルカンエイクにもできる」
「はぁぁぁ!!?」
馬車の外にも響き渡る狐の驚きの声。
そんな中でも起きないセスリナは、なかなかのタマである。
「それは……つまり、アルカンエイク王も魔法の道具を作ることができるということでしょうか」
「そして、魔法の構成を視覚的に捉えることができ、自らも強力な魔法を使うことができるだろう。そう言った意味ではお前の言った、高位の魔法使いではないかという推測はおそらく正しい」
更に言えば、この世界の文明レベルから見れば軽く400年は先の先端科学技術知識を持ち得ているだろう。これもまた俺同様に。
「どういうことじゃ。そのアルカンエイクという男は、ワーズワード、お主と同じ『ニホン』という国から来たと言うことかや? そして、その国の人間はみな、お主と同じだけの力を持っておると?」
「確かに同じ場所からきたのだろう。だがそれは日本ではない――俺とアルカンエイクのいた場所の名。それを『ベータ・ネット』という」
「べぇたねっと?」
俺の言葉を繰り返すシャル。
そう、『ベータ・ネット』だ。
「うう~ん……」
セスリナが、眠りながらにうめき声をあげる。
眠っているセスリナの手を握ってあげているシャルのその手に、無意識の力が込められたのだろう。
二人の感覚で言えば自分たちの未来をかけて対峙すべき相手のことを、無関係のはずの俺が知っていたという事実は、それだけの驚きをもたらすものだ。
「全くわからぬ。お主がおったという、その『べぇたねっと』とはなんじゃ?」
アルカンエイクに直接の関係を持つ二人とは違い、興味先行で問いかけてくるニアヴ。
「全てを説明することはできないが、軽くなら話してやれるだろう――」
その、どこにもない『部屋』のことを。
短めです。話の区切りの関係上シカタナイネ。
前振りだけで4話消費とかどんだけ。