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ななしのワーズワード  作者: 奈久遠
Ep.5 ベータ・ネット
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Worst Wide Web 01

 『ワーズワード魔法道具店』の朝は、喧騒と共に始まる。

 それは魔法道具の抽選販売に並ぶ人々の生み出す喧騒だ。さすがに無制限の抽選参加は許容できないので、朝一からの着順で最大100人までの早い者勝ちだ。その人数に、前日の抽選ハズレ割符を持った人数80人程度を加えての20/180で、約11%の当選確率。当たらなくもない、むしろ確率的には悪くないこのパーセンテージは人々の射幸心を見事に撃ちぬいていた。

 もっとも、朝一100名限定の列に並べるか否かの時点で既に激しい競争が発生しているため、実際にはその確率は更に落ちるのだが。

 今では列に並ぶ人々相手の朝食・飲料販売、代理並び屋などコバンザメ露天商も出てきている。

 異世界の人間も商魂たくましいものだった。


 ガラガラガラガラ――


 そんな彼らを威圧するかのように、重厚な作りの一台の馬車が店先に停車した。

 馬車二台が余裕ですれ違える大通りとはいえ、200を超す人々が集まっているところに突然割り込んできたため、慌てて身を躱す者や、驚いて転んでしまったものなど、少なからずの混乱がそこに生じた。


 だが、怒号や怒りが馬車に向けられることはない。

 なぜならば、その馬車を引くのが『六足馬』だからである。通常の馬の倍近い巨大な体躯と左右三対六本の足。

 六足馬の引く馬車となれば、その中に乗るものは間違いなく貴族だ。それも六足馬を持つことのできる大貴族だろう。


 御者台から飛び降りた御者が、馬車の扉を開く。

 馬車から降りてきた人物を見て、その場の一同が納得の表情をみせる。


 ミゴット・ワナン・バルハス。


 ユーリカ・ソイル最強の魔法使いにして、魔法の力を持って街を守護するラスケイオン群兜マータである。

 連日店先に集まっている者からすれば、ああ今朝も来たんだなという認識か。

 朝のひとときをこの店で過ごした後、職務へ向かうというのが、ここ最近のミゴットの行動パターンであることを知っているからだ。

 そのミゴットだが、今朝は少し様子が違った。そもそも馬車で来ること自体が初めてである。

 何事かとその様子を見守る皆の前で、馬車から降りたミゴットは馬車の入口に向かって、恭しく手を伸ばした。

 その手を取るように、細い腕が馬車の中から伸びてくる。

 ミゴットの手を借りて、大通りに降り立った人物の姿に、皆の間にどよめきが走った。


「うおおっ、あの方は!?」

「なぜこのようなところに――」


 ワーズワード魔法道具店の店先に降り立った人物。それは現皇帝の次女にして、ユーリカ・ソイル群兜『ルアン公』ルルシス・トリエ・ルアンだった。


 街の住人にとっても、ルアン公は雲上の人物である。

 ユーリカ・ソイルほどの大きな街の群兜ともなれば、その一日は多忙を極め、民の前に姿を現すことは稀だ。

 そんな人物が警護の兵もなく――いや、ミゴットがいれば、その必要はないのだろうが――南街に訪れたことに対し、疑問を覚えないものはない。


 疑問と同時に体が動く。

 近いものは膝を折り、その尊顔を直視するという不敬を避けるために、真下の石畳の溝を見つめる。

 遠くは逆に、『戦場の姫公爵』と呼ばれるその麗しの姿を一目見ようと、長く首を伸ばす。

 そんな民たちの平伏に一瞥をくれることもなく、興味の視線に眉をひそめることもなく、ルアン公は威風を纏ってまっすぐ前のみを見据えている。

 その堂々とした態度は、女性でなければ王者の風格と言ったところだろう。


「ここがルルシス様お望みのワーズワード殿の店でございます」

「バルハス」


 なんの抑揚もないただの呼びかけだが、ルルシスを幼少の頃より知るミゴットなればこそ、その裏に恥じらいの感情が込められていることがわかる。


「ほっほ、これは申し訳ございません」

「よい。随行せよ」

「はい」


 ミゴットの口調は、いつもと変わらぬ緩やかなで丁寧なものだが、そこにはいつも以上に、慈愛を感じさせる響きがあった。



 ◇◇◇



 異世界で迎える7度目の朝。

 新しい一日の始まり。

 この世界に来ての毎日は、常に新しい情報に満ちたものであったが、昨日フェルナによりもたらされた情報はこれまでのどんな情報よりも貴重かつ重大なものだった。


 『アルカンエイク』。

 その名だけであれば、たまたま偶然――極小確率の世界ではあるが――俺の知る名と一致したのだと考えることもできる。

 しかし、その男が『ティンカーベル』という地球産の妖精の名を口にしたとなれば、さすがにそれは偶然の一致ではありえない。

 その男は間違いなく、俺の知るアルカンエイク(A.A.)だ。


 つまり、この世界には俺以外にも地球からの訪問者が居たわけである。それも数年も前に。

 であるならば、それは俺がこの世界に飛ばされた根本原因の解析にもつながる情報である。『計画』失敗の原因調査は、俺が必ず行わなければならないものだしな。


 とはいえ、俺の他にも地球から来た人間がいる、それがアルカンエイクである、と言うだけであれば、俺の動揺はそこまで大きいものにはならなかっただろう。


 俺の動揺には理由がある。

 動揺と言うよりは、降って湧いた問題か。

 アルカンエイクに会うまでの間に、俺は1つの決断を下さなければならない。

 出すべき答えは do or don't。至極単純にそのどちらかなのだが……さて、どうしたものか。


 と、そこでトントン、と店の扉が叩かれた。


「はーい、今開けますっ」


 長らくその身を縛っていた心の枷から解き放たれたシャルが、子鹿のような瑞々しい俊敏さで、扉へと向かう。


 そんなに急がなくてもいいぞ。どうせ、ミゴットだろ。

 俺は、塩化ナトリウムの結晶を革袋に小分けする作業を続けながら、そう心の中でシャルに呼びかけた。


 大量生産と大量流通のシステムが成熟していないこの世界では、塩化ナトリウムの結晶は貴重である。ユーリカ・ソイルは大きい方に属する城塞型都市であり、その流通量は十分かつ俺が今日までに稼いだ日本円にして2,000万円弱の生活費があれば、それをただ散布するためだけの理由で購入することになんらの障害もないのだが、さすがに200を越す人々の目の前でそれを行うことは、日本という異文化圏の風習に対する不理解の枠を越えて、白い目で見られる結果になる。塩だけに。

 そのため俺は、これを散布する代わりに配布することにした。

 ミゴットの退去にあわせて、外で並ぶ客たちに無償配布するのである。

 この代替行為は、概ね好意的に受け取られており、みな喜んで小袋を受け取ってくれる。

 今日はしばらく街を空ける出発の朝なので、小袋を多めに用意することにした。大盤振る舞いの厄払いである。

 最後の方は塩が足りなくなったので、別の香辛料を詰めている状況だ。……それはそれで初期の目的とずれてきている気がするが、まあいいだろう。


「いらっしゃいませ、バルハス男爵さ……ふえぇぇ!」


 ん?

 扉の前でシャルがなにやら、固まってしまっている。


「どうした、シャル」

「あ、ああ、あのっ、お、お客様がっ」

「ほっほ。お邪魔致します、ワーズワード殿」

「……なんだ、いつものお客様じゃないか。ミゴット殿、申し訳ないが"ニアヴ様"は昨夜いささか深酒が過ぎたようで、まだ起きていない。お待ち頂くか、今日は諦めてもらったほうがいいかも知れないぞ」

「待たせて頂きましょう」


 間髪置かない意思決定は、さすがミゴットである。


「と、言いたいところでございますが、本日は別件でございましてな。――どうぞ、ルルシス様」


 そこで、ミゴットがその長身をすっと反らす。

 そこに背に陽光を受けた、ルアン公が姿をみせた。

 その身を包むのは、清楚に属するはずの薄緑色のワンピースなのだが、そのプロポーションの良さ故に、やはり男性の視線を釘付けにする妖艶さを生みだしてしまっている。


「…………」

「…………」


 俺だけを真っ直ぐに、じっと見つめるルアン公。

 俺もまたその視線を受け止める。主に、その感情を読み解くために。

 緊張はしているようだが……怒っているわけではなさそうだな。

 どちらにしても過去の教訓は、活かさねばなるまい。


「ようこそルアン公。少々驚いたが、立ち話と言うわけにもいくまい。とりあえず中に入ってくれ」

「そうさせてもらおう」

「……ほ」


 さっきから、なにやら生暖かい視線を俺に送っている気持ち悪いミゴットが軽く瞠目する。

 シャルはと言うと、街の最大権力者であるルアン公を前に、どのように接すればよいのか分からず、既に涙目だ。

 いや、いつも通りでいいと思うぞ。俺とルアン公の間には礼儀不要の約定があり、またそれがなくとも多少の非礼不作法に感情を荒げるような人となりではないことを俺は知っている。

 そもそもが感情を表すのが不器用な女性なのである。

 今もむしろ、朝の忙しい時間に突然やってきて驚かせたことを、申し訳なく思っているようだしな。瞼の位置が、通常より2mm下がっていることから、それが判然わかる。


「シャル、なにか飲み物の用意を頼む」

「は、はいっ、任せてくださいっ!」


 テンパっているシャルには仕事を与えてあげることで、平常心を取り戻させる。

 人間、目の前にやるべきことがあれば、余計なことを考えずにすむものだ。

 さて、店内にルアン公を迎え入れたはよいが、来客に対応する設備はないので、その辺の椅子に座ってもらうしかない。不敬に当たらなければよいが……とも思ったが、そんな心配はいらなそうだ。

 ルアン公はうっすらとその耳を色づかせ、店内の様子を物珍しげに見渡している。

 ぱっと見は、一瞥をくれているだけに見えるというのが、ルアン公らしさというものだろう。


 わざわざ店までやってきた以上、俺に何用かがあるのだろう。が、俺たちは昼前には街を発つつもりである。昨日、いつでも相談に乗るという約束をした手前だが、その点については断りを入れておかねばならないだろう。


 とりあえずは先にルアン公の用件を終わらせておくか。昨日の今日で、正直いい予感はしないのだが……仕方あるまい。


「さて、急かすようで申し訳ないが、ルアン公自らお越し頂いた用件を先に伺ってもいいだろうか」


 こくりと頷いて、粗末な木製の椅子に腰掛けるルアン公。

 その後ろにミゴットが控える。

 長身のミゴットが立っていると、それだけで『控える』という表現の正確性に疑問を感じてしまうが、まぁ今日の所はルアン公の道先案内役としてやってきたようなので、その存在はなるべく無視するようにしよう。


「まずはそなたに謝罪を」


 昨日の一件についてか。

 いきなり、光国アロニア向けの具体な戦略についての相談だとすると、時間的制約で応じることができなかったので、まずはよかった。


「昨日のことなら、俺こそが許しを乞うべきだと思うのだが」


 ふるふると、首を振るルアン公。

 セクハラをしかけた平民階級の相手に平手打ちをした程度のこと、王族様がそこまで気に病む必要はないと思うのだがな……


「言葉の足りぬ我が、そなたを勘違いさせてしまった」

「……ふむ」


 ルアン公が言っているのは、そなたが欲しいとかなんとかを口にした件のことだろう。

 いや別に勘違いはしていないが。


 内部構造が明らかにされていないブラックボックス・システムへハッキングを試みる場合、インプットに対するアウトプットの観測こそが、システム解析の第一歩である。

 観測を繰り返し、その内部構造を推定し、全体理解に至るこの方法論は広く知られたものである。そして、方法論さえ確立していれば、その対象がシステムであろうと人であろうと変わりはない。

 昨日の会談を通して、俺は既にルアン公を理解できており、その僅かな仕草アウトプットからの感情解析にもかなりの自信を持っている。

 俺の目に映るものは、自分の不器用さを恥じて、それでもどうにか自分の言葉で説明しようと頑張るルアン公の姿。外見と内面が乖離している人間というのは多くいるものだが、その中でもルアン公はトップクラスにちぐはくだというだけなのだ。


 とりあえず、そういうことで俺にルアン公の謝罪は必要ないのだが、その一生懸命さで俺に何を伝えようとしているのかには興味がある。

 何度も膝に土を付けながらも、自分の力で立ち上がろうと挑戦する生まれたての仔馬。俺が今ルアン公に重ねあわせているイメージはそれである。つい見守りたくなってしまう愛らしさだな。


「言い訳はせぬ。故に、そなたには我の不甲斐なさを責める権利がある」

「不甲斐なさとは?」

「そなたの気持ちを受け取った我は、だが、返事も出来ずその場を逃げだしてしまった。全て我の不甲斐なさだ」


 微振動する耳にあわせて、薄く伏せられたまつげが、フルフルと震える。とても微かな変化なので外見上でいうとほとんど変わっていないのだが。


 それはそれとして、ちょっと待って欲しい。


 昨晩の俺の行動履歴とその後ラーナに確認した異世界の奇妙な風習、そこに先ほどのルアン公の言葉をつなげれば、彼女が何を誤解してこの店を訪れたのかについて、当然理解できてしまう。


 が、ちょっと待って欲しい。


 あったのは他愛ない悪ふざけの気持ちと、耳の重要性に関する文化の違いである。ルアン公は自分が俺を勘違いさせたというが、この場合、誤解しているのはルアン公の方ではあるまいか。

 誤解が誤解を生んだ、誤解の連鎖とも言うべき状態。頭から1つずつ順に説明を加えてゆかねばならないが、時間をかければきっと理解して貰えるはずである。


 そんな俺の脳内思考は、当然ルアン公には聞こえていない。


「我はそれを恥じた。そして、バルハスを頼った。今こそ返事をしようと思う」


 俺が口を差し挟むいとまを与えず、ルアン公が最速の回答を口にだそうとする。

 

 早い早い!

 

 いや、無駄な時間をかけないその判断の速さは、素晴らしく好ましいんだが。おいミゴット、その気持ち悪い視線を俺に向けるのを今すぐ止めろ。


 ミゴットに気をとられた刹那の時間、ルアン公の手が俺に向かって伸ばされる。

 無防備だった俺の小さなお耳は、抗いようもなくルアン公に捕らわれてしまう。


「ただ一度の語らいだが、我はそなたに聖国の未来を感じた。故に、我はそなたの気持ちを受け入れよう――」

「ちょ、まっ!」

「お、お待たせしましたっ!」

「くあぁぁ……むぅ、まだ酒精が抜けきっておらぬのう」


 回避不可。パーフェクトなタイミングで、シャルとニアヴが店舗エリアへと顔を覗かせる。


「――我をそなたの『紗群』に」


 身を乗り出したルアン公の柔らかな唇が、身動きが封じられた俺の、飲食及び呼吸や発声などマルチに活躍する便利な器官に重ねられる。

 俗に、口づけとも言う。


 背後でガシャンと聞こえた音色は、ウルクウットに作らせたガラス製のグラスがその寿命を全うした音だろう。享年3日と数時間、最期の瞬間まで『ワーズワード魔法道具店』のために働いてくれてありがとう。


 誰もが羨むであろう美女との口づけ。

 だが、美女の背後にはミゴットが。俺の背後にはシャルとニアヴが。シチュエーション選択が絶望的なまでに終わっている。

 ルルシス・トリエ・ルアン……不器用にもほどがあるぞ……


 その昔、窮地に追い詰められた西楚の項籍は四面楚歌するを聞いて、己の敗北を悟ったという。

 彼に比べれば、俺の状況はまだ一面が空いている分、救いがある。




 ――いや、ないな。

うん、ないわ。


ep.5始まります。

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