Wayfarer's Witchcraft-shop 09
ふぃ~と額の汗をぬぐいながら、オージャンがゆっくりと腰を下ろす。
うむ、なかなかに楽しい一時だったな。
「魔法道具の販売だけやのうて、新しい販売形態、契約形態まで持ち出してくるやなんて、ニィさんは想像以上や。このワイがこない汗かくんは初めてのことやで」
「俺が商売のことに詳しければ、もっと楽しい提案もできたんだがな。これから色々教えてくれると助かる」
「……ホンマこわいお人やで」
素人と言うのは本当なのだがな。
「――そや」
そこでふと思いついたといわんばかりの演技で、オージャンが口を開く。
それは当人としては、クリティカルなタイミングで放った絶妙の演技なのだろうが、情報秘匿社会たるネットに慣れ親しんだ俺には通用しない。
「ニィさん、ワイの『ベルガモ商会』を知らんかったいうことは、『クェス鉄腕工房』サンがどないな工房かもしらへンのと違いますか?」
「当然知らないな」
「こうゆうてはなんですけど、『クェス鉄腕工房』サンは全員が獣人の職人で、しかも貧民相手の鍋直しやらなんやらで小銭を稼いどるだけの、ちっちゃい工房ですわ。ニィさんの魔法道具、あら、ホンマエエもんや。しかもニアヴ様のお墨付きまでついとる。ウルクウットのニィさんのやる気は認めますけどな、『クェス鉄腕工房』サンだけで全部用意するちゅうンは無理なんちゃいまっか?」
「おお、まさしく」
……そういう話か。あまり警戒する必要はなかったな。
「あ……」
街有数の大商人の言葉に、一気に消沈するウルクウット。
言い返せないほど、正鵠を射た意見なのだろう。
だが、オージャンの言葉は『クェス鉄腕工房』をこき下ろすことが論点ではない。
オージャンの言葉はすべからく商談であると捉えるべきである。
定価の二倍をふっかけて、のちに半額に値引きする。客は満足し、商人は損をしない。
そんな言葉だけで、損得を産み出す行為。それが商談であり、つまるところ、全てが金に関わる話なのだ。
感情で捉えては本質を見失うぞ、狼くん。
それはそれとして、
「では、器の原料素材は『ベルガモ商会』から『クェス鉄腕工房』に卸してもらおう」
オージャンの言葉に対する俺の回答。
そのつながりが読めず、きょとんと疑問符を頭に浮かべる狼青年。
逆に、オージャンとイサンの瞳は、獲物を前にした肉食獣のそれに変わる。
「おお、おお……! 金銀宝飾ならば『シズリナ商会』こそがふさわしく」
「いいだろう。貴族向けオーダーメイドを想定するならば、当然必要だしな」
「ガラス鉱石と金属原料は在庫十分や。今日中に必要数納入しますわ」
「まずは、試作分でかまわない。装飾材料についてはウルクウットの希望を優先してもらおう」
「エエやろ、あとでお聞きしときましょ」
「『クェス鉄腕工房』に支払い能力が不足しているようであれば、費用は『ワーズワード魔法道具店』に回してもらってかまわない」
「ニィさん、デッカイ商売を前にしてセコいこと言いっこなしやで。初回分は費用こっち持ちの『投資』っちゅうことにさせてもらいますわ」
「ありがたい。それともう一つ、正式商品開発期間中にも店舗での商品販売は継続する。今日のものと同じ空の薬瓶を100、革水筒を30ほど納品してもらいたい」
「おお、おお……! それならばワタクシでご用意させてもらいまする」
「早急に手配を願おう」
互いに握手を交わし、まずは直近の商談について、成立である。
ここに至ってもまだ、ウルクウットは話についてこれていない。
つまり、商人は始め、こういったのだ。
『流通だけでなく、製造にも噛ませろ』と。
仕入れは本来であれば『クェス鉄腕工房』が利益を得るべき範疇。
そこに、資本の脆弱性をネタにして、大資本による囲い込みをかけようというのだ。
彼らが得られると予定していた流通の『ボロ儲け』。俺の提案した比率分配方式により『大儲け』程度まで削られた分を、製造工程にも噛むことで少しでも取り戻そうというのだ。なかなか持って、したたかである。
「あの、つまり、どういうことでしょうか。すいません、俺ついていけてなくて」
「ウルクウット、お前のやるべきことは何も変わらない。全身全霊をかけて、マジックアイテムの器をデザインするんだ。そのための素材調達について、『ベルガモ商会』『シズリナ商会』が全面的にバックアップしてくれるという申し出だ」
「は…………ええええええええ!! 俺なんか話も出来ないくらいの大きな店の旦那さんに、そんなことまで」
「気にするこっちゃない。まわりのことは全部ワイらにまかせて、ニィさんは一刻もはよお、自分の仕事を完了させたってや」
「まさしく同じく」
「先ほど聞いた『クェス鉄腕工房』の状況が正確なら、『投資』が素材だけというのでは、片手落ちだな。作品作りには直接の金銭も必要になるだろう。額は任せるが、資金提供も必要ではないか」
「おお、おお……! そのご希望受託しまする」
「ニィさんにはかないまへンな。まあ『クェス鉄腕工房』さんとは今後長いつき合いになるんや。ウチも大盤振る舞いさせてもらいましょ」
「本当に俺なんかのために――」
二人の大商人の暖かい言葉に、身を震わせ感動を表すウルクウット。
「ありがとうございますッ………くぉぉぉぉぉぉん!!」
うむ、ここで来るのは読めた。耳ガード成功。
『噛ませてやるから、俺が動きやすい様に融通しろ』
『了解しまする』
言ってしまえば、それだけのこと。
そして、
『でもって、さすがにかわいそうだから、いくらか包んでやれ』
『ちょっとだけやで?』
という話である。
ともあれ、始まりの段階で『クェス鉄腕工房』は、その首根っこを『ベルガモ商会』と『シズリナ商会』に掴まれた。
今後『クェス鉄腕工房』の利益の大半は二つの商会に吸い上げられることになる、か。
ウルクウットにとって、マイナスばかりをあるように見えるが、拙速は巧遅に勝るのだ。スピード感を持ってビジネスを推進するためには、この程度の泥水は飲み干す度量がなくてはなるまい。
正確に描写しよう。必要なのはウルクウットが泥水を飲まされることを許容する度量だ。
だが、この囲い込みにより『クェス鉄腕工房』に金と仕事がまわり、大きく発展することも間違いないのだ。
あとは実力をつけて、己の状況が正しく認識できた時に、再度交渉を行えばいい。それは既に彼らの問題なので、俺は一切関知しないが、アホの子状態だった日本と当時の先進国アメリカの間で交わされた不平等条約『日米修好通商条約』ですら、41年後には改正されたのだ。アホの子がいつまでもアホの子ではないことを歴史が証明している。ウルクウット、自分の未来は自分の力で掴み取れ。
◇◇◇
「あれ? お話は終わっちゃったんですか」
「ああ、波乱もなく」
三人を見送った所に、パタパタと駆けてくる足音。
商談自体はそれほどの時間を掛けずに終わったので、日が沈むまでには今しばらくの時間がある。昨日と違って余裕のある時間から夕食をとれそうだ。金も入ったので、豪勢に行くか。
シャルの肉づきの少ない細い身体を見ていると、とりあえず肉を食わせたくなるしな。
「残念です。ベルガモさんなんて有名な方のお話なら、私も聞きたかったのに」
「有名なのか?」
「ええっ、ユーリカ・ソイル一の大商人さんじゃないですか!」
へー。割とどうでも良い。
「シャルは商人になりたいのか?」
「う~ん、なりたいです。あ、でも冒険者にもなりたいですし、パン屋にもなりたいです。私、やってみたいことは沢山あるんです。だから、今日はワーズワードさんのお店のお手伝いもさせてもらって、すっごく嬉しかったんですよっ」
魔法道具を売るお店で働けたなんて私の一番の自慢になります、と明るく笑うシャルの笑顔は、狼を羊とした商談の後では眩しすぎるな。
まぁ商談の結果なので、だからといって罪悪感を覚えるわけではないのだが。
「なりたいものになればいい、それが可能性というものだ。シャルにとって俺は昨日知り合ったばかりの人間かもしれないが、俺はシャルに最大限の感謝の気持ちを持っている。出来る限りの支援をさせてもらうが」
なにせ金があるからな。『金があれば何でも出来る』と宣言した大昔のプロレスラーは、真物事がわかっている。
「ありがとうございます。でも私の未来はもう決まってますから」
困ったようにえへへと微笑むシャル。
少し気になる言いようである。なりたいものが沢山あるのに、未来がもう決まっているとはどういう意味だろうか。
「それはどう言う――」
「何を話しておる? 夕餉についての相談かや」
「……なんだ、またハラペコの舞いでも踊るつもりか」
「そんなものではないわ!」
「あのあのっ、それでしたら私がすぐに用意しますからっ」
ひょこりと顔を覗かせたニアヴに、シャルとの会話はあっけなく打ち切られる。
まぁ、また別の機会に聞けばいいか。
――今は、優先される別件があるしな。
「今日は二人ともよく働いてくれた。開店祝いも兼ねて、夕食は豪勢に行こう。シャル、ニアヴを連れて、なんでも好きなものを買ってきてくれ」
「おおっ」
「やったぁ、ありがとうございますっ! それじゃ、ワーズワードさんも一緒に」
「すまないが俺は少し野暮用がある。準備は二人で頼む」
「そうなんですか? わかりました。とびきりおいしいのを用意しますねっ」
「シャルよ、早速行くのじゃ! まずはサチアロを一頭丸ごとじゃ!」
「ええっ!?」
「いや、構わない。金の心配もないので、一切の自重はなしだ」
「くふふっ、よくぞ申したワーズワード、やはり男子はそうでなくてはいかん!」
バシバシと腰を叩いてくるニアヴ。痛いのでおやめ頂きたい。
先ほどの売上げから、銀貨一掴みほどを財布(袋)に入れてシャルに預ける。
一掴み分なら3,000ジット程度か。ズシリと感じる金の重みだ。
「わわっ、重い~。こんな大金、落としたりしたら大変ですっ」
おっかなびっくり財布を受け取るシャル。さすがにニアヴには渡せないので、重いのは我慢してもらうしかない。
「いいんですか、こんなに」
「いいとも。金は使ってこその金。ため込むだけなら、持ってなくても同じだ」
厳密には、貯蓄は精神安定剤とニアリーイコールなので、多少はあった方が良い。
だが、病人でない俺に薬は必要ない。
「わかりました! 私も張り切って、お料理しちゃいますからっ」
「それは楽しみだ。よろしく頼む」
「はいっ!」
ニアヴに手を引かれ、蹴躓きそうになりながらも、その表情は非常に楽しそうなものだ。
二人を見送り、店を閉める。
さて。
「お待たせしてしまっただろうか?」
『ワーズワード魔法道具店』。そこからさほど離れていない路地に生える一本の落葉樹。
その根本にユラリと影が揺れた。
まるで滝の裏側にいる人間を見るかのような揺らめき、それはやがて実像を結び、一人の男が姿を現した。
◇◇◇
「なぜわかりました?」
「見えていたからな」
「どのような方法でそれが可能なのでしょうかな。【マルセイオズ・アフォーティック・ゾーン/水神黒水陣】は完全なる気配遮断の魔法。ニアヴ様ですら見破ることのできないこの魔法を、あなたの如き者が」
如きときたか。
もはや、敵意を隠す必要はないと判断したようだな。まぁあんな斧攻撃をした後では、まわりの人間はともかく、俺に対してそれを隠す理由はないか。
ミゴット・ワナン・バルハス。
柔和な好々爺の仮面を脱ぎ捨てた最強の魔法使いがそこにいた。