Warp World 03
キンコン
家のチャイムが鳴らされる。
これは、来客を知らせるものではない、作戦開始のカウントダウンの合図だ。
STARS及び警官たちの強制突入まで、あと30秒。
ではこちらもそろそろ『計画』を開始しよう。
そしてそのためにはまず『ミーム』について、少し解説を加えねばなるまい。
◇◇◇
ワーズワード始まりの事件、COINサーバーのハッキング。
目的は『ミーム認証』という未知なる技術に対する純粋な興味だったのだが、それをハックし、本質を理解するにあたり、俺は大いなる驚愕に包まれた。
『ミーム』は、個人認証を目的とした単なるヒト識別技術ではなかった。
ミーム情報は、個人を識別する情報でありながら、常に変化する。
変化しながら、それでいて常にユニークな個人を指し示す。
最初俺は、それを毎秒変化するパスワードのようなものだと認識していた。
だが違うのだ。
例を出そう。
生まれたばかりの赤ん坊のミームを記録したとする。
赤ん坊が成長するにつれ、ミームも増大、複雑化する。だが、それで居て同じその赤ん坊個人を示すことができるのだ。
赤ん坊が青年になる。するとミームは変化する。
青年が食事をする。するとミームは変化する。
青年が恋をする。――するとミームは変化する。
不本意ながら、あえて、形而上の言葉を借りて説明するなら、遺伝子がヒトの『肉体』を形作る情報であるならば、ミームはヒトの『魂』そのものの情報なのである。
『魂』で納得できなければそれを『脳』と呼び替えてもよいが、ミームの本質はシナプス配線構造という物理的なものではない。形而下ではそれを説明できない、故に『魂』だ。
そして。
そして、世界銀行協力のもと、天才サー・エクシルト・ロンドベルはヒトから『魂』の電子的コピーを抽出することに成功した。それが『ミーム認証』技術というわけだ。
世界銀行の秘匿する『ミーム認証』が、魂を認証する技術だと理解したときの俺の興奮は、黒歴史として永久に抹消せざるを得ない。
そして、『ミーム認証』がブラックボックステクノロジーとして秘匿されている理由は、技術的な話ではなく、神学的な理由に由来するのであろう。
とかく、神の領域を犯す科学技術は、非人道の烙印を押されるものだからな。
ミームについてはこの俺でさえ、その利用法・識別方法を解析できただけで、原理的には全く納得できていない。
だがそれが対象個人を誤差なく識別できることに間違いはなく、俺というイレギュラーさえいなければ『COIN』システムのセキュリティは、最低20年は破られなかったはずである。
……まぁ、自画自賛は置いておくとして、その技術をハックし、ミームの本質を知ることとなった俺は、その更に上を行く計画を立てた。
魂とミーム情報は完全なる相似形を保つ。ならば、魂とミームの存在位置を置換することができれば、魂の在処が肉体である必要はなくなるのではないか?
それが俺の発想の原点である。
これは単なる妄想ではない、今の俺――ネット上のアバターとして思考・行動している状態――が、形だけであれば、まさに『肉体なくして俺自身が存在する』状態そのものだからだ。
この計画により、俺の真なる魂はネット上のアバターに宿り、俺の身体はそのコピー『ミーム』のみを宿すことになるだろう。魂なき肉の塊というやつだ。
成功すれば今後必要なくなる肉体だが、それはそれ。長年使ってきた愛着ある俺の肉体だ。
身よりのない俺には、抜け殻となった肉体を維持してくれる親類縁者が居ない。
大手の病院施設に費用を支払えば、ある程度は可能かも知れないが、脳死状態の俺の扱いに対する信用度が低い。
その点、『STARS』は信用できる。
俺のパソコンには物的証拠として、法廷で立証できるだけのものは残していないため、必ず俺自身の自供が必要となる。
彼らは、俺の生命の維持に全力を傾けてくれるだろう。
追求のために。
裁判のために。
正義のために。
それも全て無料でだ。
ドンッドンッ――ガシャン!!
ジャスト、30秒。
STARS及び、警官たちの強制突入が開始された。
同時に自衛隊の手によってこの家に対する外部電源供給停止、電波ジャミング(ネットワーク封鎖)が行われる。さすがにそれは対策済みだが。
サイバーテロという個人レベルの犯罪に対しては、結局人間という物理リソースを利用した直接的な武力行使こそが唯一にして、最大の効果を持つのは間違いない。
金属弾頭の制圧兵器により、リビングの強化ガラスが割られ、ハウスキープシステムが警報を発する。
玄関も同じような状況だろう。
全ては、計画通り。
何も知らせてはいないが、『ベータ・ネット』の連中の反応も楽しみだ。
それではそろそろお別れしよう。
さらば、俺の肉体。
俺はそれ以上の感慨もなく、淡々と実行キーを押した。
そして――世界が変わった。
『ミーム』についてはあくまでこの物語の中での取り扱いを説明しています。
一般的にwikiられている概念とは異なるものですのでご了承お願いします。