Wandering Wonder 13
時間は少し遡る。
『朱雀門』門下、ルーケイオン詰め所。
「遅いッ!」
「ご、ごめんなさぁぁい!」
そこには青い甲冑に身を包んだ偉丈夫オルドと、赤いローブに身を包んだ魔法師セスリナの姿があった。
本来騎士隊たるルーケイオンと魔法師隊たるラスケイオンは、同じ守備隊であっても、その指揮系統は独立しており、二人の間に上下関係はない。
だが、セスリナにはオルドから叱責を受けるある特別な事情が存在した。
「だって、お兄ちゃん……」
「馬鹿者! 一度制服に袖を通したなら、そうと呼ぶなと言ったはずだ! そもそも、格式あるマーズリー家の娘が、ちゃん付けで兄を呼ぶなどッ」
「オ、オルドお兄様! ご、ごめんなさいぃ!」
「オルド『隊長』だ!」
そう、オルド・ラル・マーズリーそしてセスリナ・アル・マーズリーは、歴とした兄妹なのであった。
温厚で知られるオルドを怒らせることが出来る唯一の存在、それがセスリナである。
「見ろ、この空を!」
もちろんそこには、大きな虹が街を覆っている。
「うん、きれいだよね、や、きれいでございますね」
「そうではないだろう! これは『アンク・サンブルス』の幻虹、一体なぜこのようなことが起こりうる!?」
「そ、そんなこと私にもわからないよぉ……」
「もちろん答えを聞いているのではない。ラスケイオンの皆は原因究明のためトルテ広場に急行しており、ルーケイオンもまた総出でこれを行った者を探している。ルアン公からは急ぎの報告も求められており、今この街は大きな混乱の中にある! それなのにお前という奴は!」
「だ、だって、私も今日初めての『お役目』だったから、昨日からずっと緊張してて――」
「言い訳になるか!」
「あう~~、ごめんなさいぃ」
頭を庇うように、小さくなるセスリナ。
もちろんオルドも妹憎しで叱りつけているわけではない。むしろ、責任ある一人前の大人になって欲しいからこその、愛の鞭である。
だが、未曾有の事態が立て続けに発生した今日ばかりは、さすがに感情がささくれ棘の鞭となってしまうのは、許される範囲の装備変更だろう。
「全く、ルアン公にはニアヴ様がお忍びで来られていることの報告も合わせて行わなければならんというのに……待て『世界の秤』たる濬獣の一人が街を訪れた日に『アーティファクト』が……こんな偶然は、考えられない。まさか、一連の事件は全てつながって――」
思考に埋没するオルド。その隙をついて、セスリナがこそっと逃げ出そうとする。
「わ、私『お役目』の準備があるから、行くね、お兄ちゃん」
「待て」
ブン!
その足元に、長槍が突きつけられる。
「ひゃい!」
「話はまだ終わっていない。……その包みはなんだ?」
「えっ? これ? ううん、なんでもないよ?」
妹とは彼女が生まれて以来の長いつき合いである。妹は嘘をつくとき、その視線が斜め上に流れるという癖があることを彼は知っている。その癖を知らなくても、十分に不審な挙動であるが。
とかく嘘の下手な妹なのだ。
「…………」
グイ。
「あっ、だめ!」
引っ張られた布が、地に落ち、その姿を見せる。
「こ、これは――!」
赤い杖身の先にこぶし大の宝玉が埋め込まれた杖、それは、
「マーズリー家家宝『スタッフ・オブ・マーズリー』! こ、こんなものまで持ち出して……」
なわなわと震えるオルド。それほどまでに、ありえないことであった。
『アーティファクト』は、遺跡より発掘されるものばかりではない。古の王国は滅びたが、そこに暮らす全ての生命が滅びたわけではないからだ。
系譜が辿れぬほどの時間の流れがあったとしても、その血は確実に今の時代までつながっている。
そして、血と共に残るものもまたある。
この世界で王族・貴族と呼ばれる階級の家々は、己の血の正当性の証として『アーティファクト』を秘蔵している場合が多い。
更に言えば、発掘された『アーティファクト』は、利用方法・魔法効果もわからぬまま、帝宮の宝物庫に収められることもままあるが、そんな使い方のわからないアーティファクトに比べ、由緒ある『アーティファクト』であれば、その発動方法、魔法効果の情報も残されているため、ものの価値としては通常のアーティファクトを数倍する場合さえある。
もし、この杖の価値を知るものが、無防備無警戒のこの妹に目をつけてたとしたら――
「えへへ、大丈夫だよ、途中で変な人にぶつかってこの杖を見られたけど、『アーティファクト』だってことは、気付かれなかったから!」
目の前が真っ暗になるオルドであった。
「……もういい。早く持ち場へいけ……」
「いいの、や、いいのですか?」
今からセスリナが向かうのは『朱雀門』の最上階。ある意味で、他のどんな場所よりも安全だからだ。
「階下に部下を控えさせておく。役目が終わったら、必ず、か・な・ら・ずっ! 部下の警護をうけて屋敷に戻るのだ……良いな!」
「う、うん! わかった!」
本当であれば、今すぐ屋敷に帰したいところだが、『スタッフ・オブ・マーズリー』の持ち出しを許可したのは、マーズリー家当主たる父だろう。
ならばそれは、今日のお役目を万が一にも失敗させたくないと言う親心に相違ない。
親バカの類ではあるが、その気持ちが全く判然らない兄でもなかった。
今日セスリナが任された『お役目』はユーリカ・ソイルに暮らす全ての魔法師にとって、最大の名誉なのだから。
『朱雀門』の二塔にそれぞれ一人づつ、軍女神・熙鑈碎によりもたらされた火炎によって、街を照らすその大役。
それは、塔自体の反射光も相まって、夜の街に幻想的な炎のイリュージョンを産み出すのである。
それは日が暮れ、道を失った旅人への導きの標として。街を訪れた観光客の楽しみの一つとして。そしてまた、街に暮らすものへ安心を伝える平和の象徴として。
魔法の力を持って街を護る『ラスケイオン』に与えられた重要な、そして名誉ある任務。
それが、ユーリカ・ソイル名物――『天空のかがり火』なのである。
オルドとしても、今日の妹の晴れ舞台を楽しみにしていたのだ。
少なくとも、あの朱雀門での一騒動が、そして続けざまのアンク・サンブルスの一件が起こるまでは。
駆けて行く妹の背を一瞬目で追った後、オルドは彼本来の役目に戻る。
事態を把握するためにはまず――お忍びだと言われたニアヴ様の消息を追わなければなるまいか。
「この街で、一体何を起こっているというのだ……」
◇◇◇
『朱雀門』赤塔、最上階。
「お兄ちゃんも許してくれたし、私も頑張らないと!」
許してくれたというのはいささか己に都合の良い解釈かもしれない。
だが、どちらにしても、彼女には果たすべき役目があるのだ。
赤く染まった空が、徐々に暗色を帯びてくる。
『スタッフ・オブ・マーズリー』。正式な名称は『軍女神の涙杖』。
軍女神・熙鑈碎の燃える涙を封じ込めた杖だと伝えられる。
隣の塔では、既に先輩魔法師が美しい円形の火炎球を産み出していた。
『あ、ほら! はじまりました、見てください――』
地上の『ロッシの梢亭』で、シャルが指差したものがこれだった。
セスリナも一つ深呼吸をして、杖を上空に掲げる。
大丈夫、家宝の杖が自分に力を分け与えてくれる。
同じ魔法師である父が、この杖を使ったときは、直径五メートルはある巨大な炎の玉を産み出した。
今でもその場面は、巨大すぎる炎への恐怖と共に覚えている。
杖に向かい、信仰の祈りを捧げる。祈りは熙鑈碎に届き、故を持ってその力を貸し与える、と伝えられているからだ。
「燃ゆる熙鑈碎 に希う 我が祈りに応え その慈しみを炎に変えるべし――」
魔法師として、そしてまた炎に由来する『スタッフ・オブ・マーズリー』を世に伝える血筋の末娘として、セスリナの信仰心はそこそこ強い。
そんな彼女の祈りに、戦火の女神は最大級の慈しみをもって応えた。
◇◇◇
シャルの指差す方向。そこには『朱雀門』があった。
その頭の先に、おそらく魔法で産み出したのであろう、火の玉が浮かんでいた。
まるで、大きな一本の蝋燭のようにみえる。
「これが、ユーリカ・ソイル名物の『天空のかがり火』ですっ!」
ああ、そう言えば街に入る前に聞いたか。なるほどな。
「魔法を使った灯台のようなものか。きれいなものだな」
「もうすぐもう一つの火も灯ると思います。そしたらもっと――ふぇ!?」
シャルの言葉が中断されたのは、いきなり生じた、巨大な火の玉の眩しさによるものだろう。
塔の上に小さな太陽が生まれていた。
『黒塔』が蝋燭であれば、『赤塔』はジョイスティックだ。
そしてジョイスティックは、かなり離れた場所にいる俺たちに影を作らせるほどの強烈な火の光を放っていた。
もしあれがこのまま街に落ちてきたら、三桁単位の死傷者が出てもおかしくない、そんな危険を感じる代物だ。
だがまあ、街の名物としてやっているのであれば、管理されているものだろうし、さすがにそんなことはないか。
「確かにこれはすごい迫力だ」
「えっ、はぁ。あの、こんなの私も見たことないような……」
「……はあぁぁ? あのような大火球、妾でも産み出すことはできんぞ!? ワーズワード、お主また何かしでかしおったのかや!」
一気に酔いから醒めたニアヴが、まるで見当違いなことを口走る。
「ひどい言いがかりだ。俺はあの見せ物を今初めて知ったのだぞ。なんでもかんでも俺のせいにしてもらっては困る。そういうのは難癖というのだ」
「む、うむむ、確かにそうかや……今のは妾の不明じゃ、すまぬ」
「いいってことだ」
短気な狐も、さすがに自明の理であることについて、素直に謝罪を示すだけの器量はあるようだ。
しかし、魔法のエキスパートであるニアヴを驚かせるほどの炎の魔法とは、この街にもなかなかすごい魔法使いがいるようである。
その内あえる機会もあるだろうか。
皃靆霪熙熙熙熙熙熙皃熙罕―――――――――――
悲痛な響きを伴った、長く尾を引く叫び声。
遠い風にとけて、そんななにかが、聞こえた気がした。気がしただけなので、もちろん気のせいだろう。
俺たちはその巨大な火の玉に照らされながら、またしばらくの間、とりとめもない会話を続けることとなった。
驚きに満ちた異世界の一日が終わりを告げる。
次なる舞台には一体何が待ちかまえるのか。
そして、ワーズワードの冒険は続く。
日が暮れたので、ここでエピ2終わりっと。