Wandering Wonder 12
「師匠! 行ってきます!」
「ああ、行ってこい」
「はいッ!」
威勢良く飛び出して行くアレク。空にかかった『アンク・サンブルス』の虹にも気付かないくらいなのだから、次の街に着くまでに冷静さを取り戻すことはなさそうである。
コッズが彼に話した冒険譚の中には、未だ未探索の遺跡、謎を残したままの洞窟の情報があるらしい。まずはそれらコッズの足跡を辿るという。
そしていつか、俺の話した『イギリス』へも行ってみたいらしい。
グレートブリテン島にあることは教えてあげたので、是非、頑張って頂きたい。
「…………(ジト目」
「もうそろそろ、その目はやめろ」
「お主はやはり、危険な男じゃ」
「否定はしない。同時に俺は自分の行為を弁解するつもりはない。アレクにとって、冒険者として生きる道こそが最良だと考えたのもまた事実だからな」
居住スペースが欲しかったことも事実だが、聞かれていないことを口にする必要はない。
「むむっ……その点に関しては妾も同意見じゃが……じゃが、お主は危険な男じゃということに変わりはない!」
「否定はしないというに」
「はぁ……全く、今日一日で50年分の驚きと動揺を味わったわ」
……一体何年生きているんだ、この狐は?
「それより、待ち合わせの時間だ。店を閉めて、シャルを迎えに行くぞ」
「飯の時間かや。それは楽しみじゃのう。人の街のもっとも良いところは、飯がうまいことじゃからな」
「腹ぺこキャラはお呼びじゃない」
「阿呆! 食のうまさは豊かさの証じゃ。人の世の安寧をかみ締める幸せこそが、妾の楽しみじゃと言うておるのじゃ」
「ご高説は承っておくが、その涎の垂れた口元こそ隠さねば、説得力はないに等しいんだがな」
「くふふ、サチアロの串はあるかのう」
狐はすでに俺の話を聞いていない。
トンと、つま先立ちとなると、
「喜びは我とあり 我は今そちとある そちが並べる馳走こそが 我に喜びを与えてくれる
サチアロ アピアにメルバーユ 鳥ならティンクが好物じゃ」
高い歌声。くるりとくるりと身を回転させながら、食材の名を論う狐の舞い。
「愉しみは我とあり 我は今そちとある そちが据える膳こそが 我に愉しみを与えてくれる
マシアロ スーリはセレムに絡め 魚は焼いたラキじゃろう」
舞いを捧げる対象は、これもまた神なる存在なのだろうか。
食に対して感謝を示すことは、この異世界においても変わることはないらしい。
一神教徒が祈りを捧げるように、多神教徒が手を合わせるように、この世界では舞いにより、その意を示すのだろうか。
ニアヴの身に纏う布服は、日本人的には巫女の姿を連想させるものであり、そのニアヴの舞いは、まさに具現化された日本の原風景である。
シャラン――
舞い終わり、ニアヴがトン、と振り返る。
神楽鈴の幻聴すらも聞こえる、そんな神聖な静寂を――
不覚にも俺は、それを美しいと思ってしまった。
「……バカをやってないでさっさと行くぞ」
「バカとはなんじゃ! 妾の舞いは、それはありがたいものなのじゃぞ!? それを目にした旅人は、それはそれはありがたがり、一切の食材を供えてゆく程にのう」
「祟られないように、の間違いだろう」
「くっ、もうよいわ! お主に雅を求めたのが妾の間違いじゃ!」
「理解は早くて助かる」
心からの感動を伝えたりすれば、この褒めて褒めて狐がどれだけのぼせ上がるかわからない。
今ばかりはこの感情――俺の不覚と相殺させてもらおう。
◇◇◇
アレクから預かった店を閉め、俺たちは待ち合わせの場所へと向かう。
『ロッシの梢亭』へは、来た道を更に戻ることになる。
そこそこの時間が経過したはずだが、未だに街行く人々は空を見上げては声をあげており、見上げる虹の向こうに、赤みを帯びてきた日が透ける。
「美しいものだ。これは観光資源として、更なる集客効果が期待できるんじゃないか」
「人に害をなす効果がなければよいがの」
「なに、虹に『内側の人間をすべて殺す』などという効果があるなら、今頃この街は滅んでいる。そうでないなら、問題ないということだろう」
「恐ろしいことを言うではないわ! 『アンク・サンブルス』の魔法効果は今もってわかっておらんのじゃからな!?」
「ならばこそなるようにしかならないのだから、今ここでどうこういってもしかたないだろう」
「むむうっ」
心配性な狐との不毛な会話も、全てが更なる言語解析の助けとなる。
ここまで、無駄な会話は何一つない。
そうこうするうちに、そこはすでに待ち合わせの場所である。
『ロッシの梢亭』の前で、見慣れた少女がブンブンと大きく手を振っていた。
「こっちですー、ワーズワードさーん! ニアヴさまーっ!」
店先で待っていてくれたようだ。
俺達を見つけ、なにやらあわてた様子で駆け寄ってくる。
何かあったのだろうか?
「た、大変です!」
「どうした?」
ピンとたった耳の緊張感から、本当に大変なことが起こったのだと、予測できる。
一体何が――
「大変なんです! 空に『アンク・サンブルス』の虹がですねっ!」
……ああ。
そういえばシャルはまだ知らないんだったな。
やれやれ、少し落ち着かせたら誤解を解くことにしよう。
◇◇◇
「――というわけじゃ、心配せんでよい。いや、警戒はすべきじゃがな。全てこの男の仕業じゃ」
どれとどれを合わせての全てなのか、詳しく聞きたいところだな。
それ以前に全ての責任が俺にあるような言い方はやめてもらいたいものだ。
「えーーっ! それじゃあ、この虹は、ワーズワードさんが犯人だったんですかっ」
「シャル、別に禁止されている違法行為を行ったわけではない。被害者がいないのだから、犯人という呼び方はこの場合該当しない」
もっとも、被害者はなくとも、青甲冑――ルーケイオンは確実にその『犯人』探しをしているだろうが。
『ロッシの梢亭』。一階はオープンテラスの飲食店となっており、おそらく奥には個別の寝室を備えた標準的な宿泊施設なのだろう。
『ロッシ』が人名だとすると、調理場からたまに顔を覗かせる、あのヒゲモジャ氏がロッシ氏なのだろうか。『ロッシの梢』までで意味をとれば、樹木の名前なのかもしれないな。
まだ日も完全に沈みきっていない時間帯なのだが、ここそこに酒を酌み交わす冒険者の姿があった。
耳をそばだてれば、そのどれもこれもが『アンク・サンブルス』についての話題のように聞こえる。
こちらも、シャルと別れてからの話題を肴に、早めのディナーである。
提供された酒類に、狐は早々に酔いしれていた。味は完全にビールだ。冷えていないのであまり飲む気はしなかったが。
「ふえええぇぇ、アーティファクトって作れるものなんですかぁ」
「ああ。正確にはアーティファクトではないので、『マジックアイテム』というべきだがな」
期待通りの反応、ありがとう。
「それで、その武器屋のアレクさんのお家を預かることしたって……あれ、ワーズワードさん、武器屋さんになるんですか?」
「折角物を売れる店舗があるのだから、生活費を稼ぐ程度には利用できそうだ。基本的には寝泊まりできる場所がタダで借りれたということだな」
「街にきてすぐお友達ができて、お家まで貸してくれるなんて、すごいです!」
「全くもって……ありえんのじゃあ!」
「だが事実だ。……っと、いい加減に飲むのを止めたらどうだ」
もっとも、お友達云々のくだりはアレクの主観に沿えば、だが。
「と言うわけでシャル、君もどうだ? 宿泊も安くはないのだろう」
「そうですねー。あ、でも今日はもう宿に荷物もいれてしまいましたので、大丈夫です」
「そうか」
「いえ、お誘いありがとうございますっ、明日はお世話になっちゃうかも知れません、えへへ……」
照れたように耳をくねらせるシャル。
この世界で初めて出会ったのがこの天真爛漫な少女だったというのは、地獄に仏、最大級の幸運の一つだろう。
陽が暮れてきていた。
当然ながら、この街に街灯などというものはない。日暮れ=今日一日の終了である。
「さて、【フォックスファイア/狐火】の魔法があれば夜道も問題ないが、そろそろ店に戻った方がよさそうだな」
「そうですね……でも、もう少しだけ待ってください。『あれ』がそろそろ始まりますからっ!」
「あれ?」
「はいっ!」
何が始まるというのだろうか。
「くふふ、見て驚くがよいぞ!」
「あ、ほら! はじまりました、見てください――」
俺は、突き出されたその指を見る。
「きれいな指だな」
「はうっ……あの、私の指じゃなくて、あっちをですね」
「わかっている、冗談だ」
「あうあう」
「…………」
「だから、その目は止めろと言った」
さて、何が始まるというのだろうか。