Wandering Wonder 07
「確かにこの数理的かつ魔法的な美しさに比べれば、『朱雀門』は造形の美で完結してしまっている感があるな」
「うむ、言ってしまえば朱雀門は『アート・アーティファクト』にすぎぬ。『マジック・アーティファクト』に比べれば、さすがに見劣ることもあろう」
「マジック・アーティファクト?」
「くふっ、知らぬようじゃのう!」
俺の無知に気をよくした狐が、得意満面の笑みで応える。
泣いたカラスがもう笑うというやつか。あいにくこちらは狐だが。
「そもそも『アーティファクト』と呼ばれる遺産は大きく二種類にわけられる。一つは『アート・アーティファクト』とよばれる、例えば朱雀門のように材質不明なもの、『ワス・オーズリー』のように精緻精巧で再現不能なものじゃな。
それらは古王国の威光を偲ぶアーティファクトであって、美術的価値は高いが、お主のいうとおり、言ってみればそれだけであるとも言える。
じゃが、アーティファクトにはもう一つ、全く別の価値、魔法の効果が付与されたアイテムがある。『雲を裂く剣』、『大地を揺るがす鎚』、『炎を纏う杖』、『傷を癒す宝玉』、『酒の溢れる壷』、『知識を与える書』――」
指を折ってそれらの名をあげるニアヴ。
「なるほど理解した。つまりそれが――」
「『マジック・アーティファクト』ということじゃ。それらはまさに至宝であり、その価値は計り知れぬ。アーティファクトの発掘を目的とした冒険者という職が成り立っておるのも、未だ発見されておらぬアーティファクトが確実に存在するからじゃ。
『アート・アーティファクト』であれば10年、『マジック・アーティファクト』であれば、一生働かずに暮らせるだけの価値で取引されるというのう。妾もいつか所有したいものじゃ」
つまり、『冒険者』とはそういった一攫千金を狙ったアーティファクト探索者のことなのか。
「故にアーティファクトの所有者は、その存在を明かさぬものじゃ。まあ当然であるな、それほど価値のあるものならば、悪しき者にとっては殺してでも奪い取るリスクに値するものじゃろう」
物騒な話だ。
「国内に古王国遺跡の多く残る『ラ・ウルターヴ』であれば、アート・アーティファクトの建造物が各都市一つずつくらいは残っておってな、それぞれが観光名所になっておると聞く。
その中にあって、『アンク・サンブルス』は一般公開されておる唯一のマジック・アーティファクト、まさに天下の逸品ということじゃ。見よ、この美しい虹を! 数多の魔法を修める妾とて、これがいかなる効果を持つ魔法の道具であるのか、予測もつかぬ。これほど面白いものはそうはあるまい!」
「理解した故に聞くが、『マジック・アーティファクト』は貴重なものなのだろう。なぜそんなものが野外に設置してある。この街はそんなに治安がよいのか?」
「それこそ愚問じゃな。『アンク・サンブルス』は魔法効果の塊じゃ。妾にわかるだけでも『破壊不能』『存在固定』『反魔法』の最低三つの効果を持っておる。『反魔法』の効果でいかなる魔法も『アンク・サンブルス』には届かんし、『存在固定』の効果で盗み出すこともゆめ叶わぬであろうな」
なるほど。聞くだにファンタジーだな。
逆に言えば、宝物庫に入れたくとも、入れられないということか。
それでは、放置しておくしかない。
「それ以外にどのような効果があるものか、それは未だにわかっておらぬようじゃが、少なくともこの美しい虹は人の目を楽しませよう。国が滅んでも『アンク・サンブルス』は不滅じゃ」
「異論はないな。お前があれほどテンションを上げたのもわかる話だ」
俺とニアヴは、人の輪に交ざり、虹の円環とその中心に位置する透明な宝玉を鑑賞していた。
「ちなみに、宝玉の中では巨大な7色の『源素』が様々図形を描いている」
「むっ、そう言えばお主は魔法を光の粒として見えるんじゃったのう。……まさかその目で『アンク・サンブルス』がどのような魔法の力を持っているのか、知ることができるのかや?」
「いや、俺に見えるのは源素の動きだけだからな。さすがにどのような効果を発するものかまで、知ることはできない」
「ふぅ、驚かせよって。そんなことができれば、それこそ大いなる衝撃を受けるわ」
逆に言えば、通常魔法として、同じ源素の動き、つまり魔法効果を発生させることはできそうだがな。
とはいえ、俺にまとわりついている源素の中に紫と黒はないので、全く同じものは再現できないか。
「まぁ魔法の効果はしらんが、宝玉の中に源素を封じ込める、という基本的な作りは先ほど見た魔法使いの杖と同じだしな。その上位版と言ったところだろう」
「魔法使いの杖、じゃと?」
怪訝そうに繰り返すニアヴ。
なにか引っかかることを言っただろうか。
「ああ。さすがにこの『アンク・サンブルス』というマジック・アーティファクトを見た後では、粗末なものだったと言わざるをえないが」
そう言う意味では……さっきから気になってしょうがないワンテンポ遅れた黒源素の動きである。
この黒源素も先ほどの杖と同じように調律できるかもしれない。
やってみるか。
「待て、お主、何を言っておるのじゃ。もしそれが魔法効果を宿した杖だというなら――」
「すまん、ちょっと試したいことがある。あとにしてくれ」
とりあえず距離が遠すぎるので、一歩足を進める。
虹の円環に身体が触れるが、それが無害であることはわかっているので、気にしない。
更に一歩。
輪から抜け出し、『アンク・サンブルス』の宝玉を見上げる俺に、観光客の視線が集まる。
源素の動きは、決して早いものではない。
7つの源素が円となり、クロスし、立方体と変化し、波を作り、また円に返る。
宝玉に手のひらを向け、指を即興の物差しとして利用、幾何学的に線形非線形を繰り返す源素の動作パターンを脳内にインプットする。
「待て待て! 何をしようとしておる!?」
俺の行為に不安を感じたらしいニアヴが後ろから俺の名を呼ぶ。
もうちょっとなので待って欲しい。
よし、覚えた。
では一度動きを止めてっと。
停止の念を送ると、杖の場合と同じように、宝玉内の源素はその意を受けて、ピタリと停止した。やはり、この辺は同じか。
源素運動を停止したせいで、虹が消滅した。おそらく一時的なものだろう。
まずここまではよし、と。
細かい調整を行う前に、狐の用事を終わらせておくことにする。
「よし、こっちはOKだ。で、なんだ? 話があるなら聞くぞ」
そう言って振り返った俺の目に、あんぐりと口を開けて放心する狐の姿が飛び込んできた。
……少し訂正しよう。
あんぐりと口を開けて放心する、全ての観衆の姿が飛び込んできた。
「な、な、な」
ああ、消えてしまった虹のことか。
「虹なら大丈夫だぞ? 消えたのは一時的なものだ。『調律』がすめば、また出てくるだろう」
『は、はあぁぁ!?』
不安を払拭すべき行った現状説明のはずなのだが、なぜそんなに目を見開く必要があるのだろう。
広がるまぶたの可能性は無限大だとでも言いたいのか。
それとも……うーむ、やはり触ってはいけないものだったのだろうか。まぁ貴重なものだというのは先ほど聞いたが。
「ま、待て。待つのじゃ」
よろよろと、ニアヴが声を出す。
いち早い立ち直りは人生経験の差か、はたまた慣れか。
「なんだ」
「お主なんと言った!? アーティファクトを『調律』すると言ったかや!?」
後ろの観衆が恐ろしい勢いでコクコクとうなずく。
「そう言った」
「ありえんじゃろ!? それができぬからこそ『アーティファクト』なのじゃぞ!」
「なるほどな。確かにできると断言するのは早計だった。では、ものは試した。やってみよう」
「いや、そう言う意味ではなくじゃな!?」
言いあっても仕方ない。
源素自体が俺にしか見えないのだから、皆を納得させるには実際に調律して見せるしかないわけだ。宝玉に向き直り、動きがずれていた黒源素の位置を慎重に動かして行く。
……なんだ。先ほどの杖同様、何の問題もなく俺の意志を受け入れて、動くではないか。
アーティファクトだからと言って、調律できないわけではなさそうだ。
「よし、オーケーだ」
「ほ、本当にかや……」
これだけのことでなぜ静寂が生まれるのかわからない。
「ああ。あとは動かすだけだ」
ゴクリと誰かのつばを飲む声が聞こえる。
再起動を念じる。
俺の目にだけ、宝玉内の7つの源素が円となり、クロスし、立方体と変化し、波を作る動きが見える。
問題ない、これまで通りの動きだ。黒源素が正常な動きに戻ったため、その動きはより美しい。
だが、
「おや?」
「どうなったのじゃ!?」
……源素は既に動いているのだが、虹の円環が発生しないな。
つまり――
「うーむ……失敗したようだ。悪い」
『ちょっとおぉぉぉぉぉ!?』
それは観衆全員からの総ツッコミであった。
◇◇◇
街一番の観光名所の『アンク・サンブルス』は魔法効果により恒久的に発生する虹――これを幻虹という――その美しさが名物だった。
それが無くなってしまえば、ただの透明な宝玉である。
「おかしいな。源素は間違いなく動いているのだが」
首を捻ってはみるが、出ていないものは出ていない。
首を捻る俺と、依然絶句のニアヴ、それにムンク状態の観衆たち。
なかなかに気まずい沈黙が流れていた。
「おい、何を騒いでいる!」
先ほどの声はさすがに高すぎたらしい。
『アンク・サンブルス』は、その持っている魔法効果から、いかなる方法による盗難もできないという話だが、だからといって警備が無いわけではない。
べったりではないが、トルテ広場には巡回する青甲冑――ルーケイオンの姿があるのだ。
となれば俺の取る手は一つである。
「ニアヴ、準備はいいか?」
「ハッ! な、なんの準備じゃ」
当然、逃げるための準備、である。
足元に集めるのは、黄源素x1と白源素x7である。
それらを組み合わせた逆回転の二重円――
ニアヴの腰に手を回し、ぐっとその身体を引き寄せる。
「な……に、にゃ!」
「さあ、逃げるぞ」
朱雀門で見たニアヴの空気操作魔法(魔法名知らず)を発動させる。
フォンン――――ッ
OK。もしやと思ったが、無声での魔法発動はやはり可能だったな。検証完了だ。
迫ってくるルーケイオンと突如足元から噴き起こった強烈な爆風に、観衆からは悲鳴と怒号が沸き起こる。
足元から爆風を産み出す。
バシュウウウッ!!
背中を柔らかく押し上げるように威力調整した爆風は、想定通り俺とニアヴを空中に持ち上げ、一足飛びに観衆たちの頭上を超えた。
バシュン!
着地地点でさらにもう一つを発動。ニアヴを抱え、重量を増した俺の落下速度を相殺する。
「なっ、【バニシングバード・エア/溌空鳳】を【コール/詠唱】もなしに使うじゃと!?」
「ん? お前はできないのか」
これは【溌空鳳】という魔法なのか。一応覚えておこう。
輪から抜けてしまえば、こちらのものである。
ルーケイオンから逃げまどう人の群れに紛れ、あとはひた走るのみ。
ニアヴの手を引き、来た道を引き返す。
「う~む。うまくいくと思ったのだがな」
「バカもの! 『ユーリカ・ソイル』の歴史以前からある至宝になんたることを……い、いやそれ以前の問題としてじゃな!?」
「おっと、小言は後で聞く。今は逃げるぞ」
「全く、お主は次から次へと……信じられぬことばかり起こしおる!」
言ったその声は、存外俺を責める響きを含んでいなかった。
◇◇◇
ゴゥン――
「おい、何があった! アンク・サンブルスの幻虹が消えているではないか! こんなことは前代未聞だぞ! 誰の仕業だ!?」
石畳に押しつけられ、尋常ならざる迫力で問責されているのは、先ほどワーズワードにからかいの声をかけた街の大工ゴードンである。
たまたま逃げ遅れた彼の運が悪いだけだが、そんなことを考慮してくれるルーケイオンではない。
「さあ、言え!」
「うぐぐ……許してくれよ! おれにも何が起こったか、わからねぇんだ!」
その言葉に嘘はないだろう。
彼は仕事が空けば、こうしてアーティファクトを見に来る。ただそれだけが楽しみの街の大工なのである。
今日も観光客に混じってその美しい七色の虹を眺めていただけなのだ。
勢いあまって虹の輪に触れてしまう観光客をからかうのが、楽しみの一つだということはあるだろうが、それは罪に問うほどの悪行ではなかった。
今日は若い男だった。
見ない顔であったが、アンク・サンブルスは国内だけでなく、世界的にも有名であるため、それも当然のことだ。
その男が知り合いであろう獣人の娘と二三言葉を交わしたかと思うと、さっと宝玉に手を伸ばした。
それが何を意味するのか、彼にはわからない。
だが、もし悪しき企みがそこにあったとしても、どうともできるはずがない。アンク・サンブルスが何ものをも寄せ付けない無敵の防御能力を持っているというのは有名な話だからだ。
だが、そこで恐るべきことが起こった。アンク・サンブルスの虹が消えてしまったのだ。
最前列で見ていたゴードンの驚愕は、計り知れぬものであった。
細かいやり取りは聞き取れなかったが、最終的に、アンク・サンブルスを元に戻そうとして失敗したということが聞こえてきて――彼も皆と一緒に腹から声をあげたのだった。
ゴゥン――
組み伏せられ、呼吸も碌に出来ない状態でゴードンはなんとかそこまでの状況を説明する。
「バカをいうな! アンク・サンブルスは帝宮最高魔法師ウォルレイン・ストラウフト様でさえ、いまだその魔法効果を解明できておらんのだぞ!」
「ウグ……そんなこと、おれに言われても……っ」
ゴゥン――ゴゥン――
そこで、ゴードンの目が見開かれた。
「あ、あ、あ――」
空を指差す。
「なんだ、しっかり話せ!」
広場に残る他の人々も同様に、信じられないものを見ていた。
みな一様に目を見開き、顎を落とし――
男を組み伏せているルーケイオンの衛士のみが気づけない。
ゴゥン――ゴゥン――ゴゥン――
そこには街の外縁を根とし、ゆっくりと円を描いて変遷する大輪の幻虹……古の王国にて『アンク・サンブルス/孵らぬ卵』と名付けられたアーティファクトの、本来の機能が動作し初めていた。
主人公の一人称だけで書き進められる。
そう思っていた時期がなこにもありました。