Wandering Wonder 05
「あーーーーっ!!」
甲高い声に、顔を上げてみれば、先ほどの赤魔導師が、俺の方を指差していた。
年若い女である。まあ若いと言ってもシャルほどではない、推定ハタチといったところか。
魔導師な衣装から本来であれば知的なイメージを喚起させるべきところだが、大声を上げて人を指差すその幼い振る舞いから、あまり頭の良さそうなイメージはしない。
「それ!」
「ん、この杖か?」
「か、返してくださいーー!!」
杖を返して欲しいらしい。
が、その表情はやけに鬼気迫るものがある。
落としたものを拾ってやっただけだというのに、なにをそんなに焦っているのか。
「もちろん返す。だが、まあ待て」
「すぐに返してくだ、や、返しなさい! それは大事なものなのー!」
リーチ差で杖に手が届かない女が半分涙目になりながら、縋り付いてくる。
「ハイドウハイドウ」
だが、少し気になる点があるので、そんな女魔導師を片手でいなしつつ、杖の観察を続行する。
気になった点というのは、宝玉内部の源素に関する問題だ。
ニアヴがあの林道で見せた【フォックスファイア/狐火】は角度がきれいに60度を保たれた正三角錐だった。
同じく、【ウォーターフォウル・レイン/降鵜雨】の六角形は120度。先ほどこの身で味わった風の衝撃魔法も非常に整った図形だったのだ。
それに比べ、この杖の宝玉内の三角錐は、一辺の長さも角度もバラバラで、まるでひっくり返ったショートケーキである。
その崩れたショートケーキが球状の宝玉内でゴツンゴツンと、乱雑な回転を繰り返しているのだ。
端的に言えば、こういう雑な仕事は、見ていてとても気持ちが悪いのだ。
単純にこの杖の質が悪いだけなのか、元からこういうものなのか知らないが、源素を見ることのできる俺にとっては、気になって仕方ないことだった。
……直せるものだろうか?
そこまで思考すれば、ただやってみれば判然ることを、躊躇する俺ではない。
全てはトライアンドエラー。実践あるのみ。
そもそも、直らなかったところで問題はない。
試しに、杖の宝玉内の赤源素に、停止の念を送ってみる。
ググ……と源素の動作が鈍り、その動きを停止した。ふむ、なんとかなるっぽいな。
ならば後は調整して再始動が出来るはずだ。
「ちょ、え、なにをして――」
図形調整のため、杖を色々な角度に持ち直す俺の行動に、女魔導師が不安の声をあげる。
「すぐに終わるから、少し待て」
三角錐の一辺を、宝玉の直径の三分の二に保ち、その角度はきっちり60度になるよう調整する。当然四面の面積は同一となり、回転角度も中心線が垂直に通るように調律する。
――といっても、それは俺の脳内イメージを宝玉内の源素に投影するだけの作業なので、女魔導師には俺がなにをしているのかわからないことだろうが。……ん、完了っと。
キュィィイン――
そこにはまるで今までとは違う、整然と宝玉内で回転する赤源素の姿があった。
「ふむ、こんなものか。ほら、もういいぞ」
「あ……ありがと――や、当たり前です!」
やっと返ってきた杖を手に、安堵しながらもこちらを威嚇してくるのを忘れない。色々と忙しい娘である。
まるで宝物を持つかのように、再び布にくるみ直す女魔導師。
よほど大事にしているようだ。
「まだなにかあるのか?」
「……あなたにこれを盗もうという意図はなかったようですね、その点は謝罪いたします」
キリッと姿勢を正し、深々と頭を下げる。
「………」
「どうして黙るのですか」
「……今更そんなキャラを通そうとしても無理だと思うが」
「なっ、そんなんじゃないんだから、や、ないのでありますっ」
……日頃から使い慣れていない言葉を使うとこうなるという見本市だな。
質の悪い杖、幼い言葉遣い。この世界の新米魔法使いという所だろうか。
「そもそも俺はお前の知り合いでもなんでもない。口調など気にしても仕方ないだろう」
「そういうわけにはいきません。私もラスケイオンの一員としての威厳を見せねばならない立場なのですから」
ラスケイオン? もしかして、ルーケイオンとなにか関係のあるのだろうか。
「そう言われれば確かに青甲冑と同じような紋章を付けているな」
「ラスケイオンをご存知なかったのですか!? ははぁ、それで私にあんな失礼なことを」
うむ。立場を知っていても俺の行動は変わらなかったと思うがな。
「あなたは街の住民ではないんですね。わかりました……では改めてご説明します。ルーケイオンは都市防衛の騎士隊、ラスケイオンはその魔法師隊です。どちらも最低でも準騎士の爵位を与えられるだけの実力と名誉をもつ役職なんです」
聞いてもいないことを、得意満面に語られてしまった。
もちろん、無償の情報提供には感謝であるが。
「そして、私はラスケイオン所属のセスリナ・アル・マーズリーと申しゅのです!」
かみおった。使い慣れない言葉遣いで通そうとするから無理が出るのだ。
「ご丁寧にどうも。私は無所属のワーズワードと申しゅのです」
とりあえず、まねてみる。
「ま、真似しないでくださいっ」
おこられた。
しかし魔法使いの部隊か……確か人間の魔法使いは国に管理されているという話だったな。
その魔法使いの利用方法が戦闘部隊であるということは、魔法は、概ね争いの道具、つまり『兵器』として利用されているということだろう。
やれやれ……先ほど確認した火や水を産み出すという物理法則無視の魔法だけでも、どれだけの平和利用ができると思っているのか。
思いつくだけでも、治水、農業、製造、エネルギー生産、環境保護……この魔法という技術には無限の可能性が秘められている。それを――
「セスリナ・アル・マーズリーだったか」
「はい?」
俺の失望を含んだ声に、少しとまどいながら応えるセスリナ。
「お前は悪くない。俺が言えるのはそれだけだ」
だが俺の失望は、この世界の価値観の中で生きる彼女にはなんの責任も話だ。
「そんな、いえいえ、確かに私も前方不注意でしたから。……えへへ、悪くないと言ってもらえるのはありがたいですが」
「ん? ああ、それはその通りだ。今後は気を付けろよ」
「えっ」
なにをそんな驚いているんだ、この女は。
あの状況で俺に一分でも責任があったと思っているのか。
納得いかないという瞳で俺をねめつけるセスリナだが、幼い容姿の彼女がやると拗ねた子供の上目遣いにしか見えないというのが、悲哀を誘う。
代わりに微笑みを返してみる。
「なっ!? ぷんっ、もういいですっ! 私も急いでいるんですから!」
「そうか」
「でも、一つだけ教えてください……あなた、この杖に何かしようとしていませんでしたか?」
「さっきのアレか」
魔法使いと言っても源素が見えなければ、俺がなにをしたのか判然らないか。
「杖を調律させてもらっただけだ。なに、悪くはなっていないだろう」
「はい? ……意味が判然らないんですけど」
調律では意味が通じないのか? 確かに、魔法の杖をメンテナンスする行為は別の呼び方があるのかもしれないが。
「はぁ、なるほど、この杖がどういうものか、わかってないんですね」
「………?」
これまでにない冷静な響き。何が言いたいのだろうか。
「いえ、それなら良いんです。では、私はそろそろ――」
「そうだな。俺もそろそろ時間も惜しい。ではな」
「はい」
ペコリと一礼をして、歩き出すセスリナ。
彼女の、最後の態度の変化が気になるところだが、俺は俺でやることが山盛りである。
もし次に会う機会があれば、聞いてみればよいだろう。
「待たせたな、ニアヴ」
――と。
「……おぃ」
喧噪の露店群を見渡すが、そこには狐の姿も、狐の纏う源素の明るさすら見つけることができなかった。
「初っぱなから迷子とか……」
◇◇◇
いないものは仕方ない。
迷子の狐は置いて、俺は俺で情報の収集をさせてもらおう。
たしか、『アンク・サンブルス』という観光名所に行きたいという話だったので、そっちの方に歩いていけば、いずれ見つけられるだろう。
よく考えれば、別にこれから行う情報収集に魔法的な要素は必要無いので、狐がいなくても問題ないしな。
むしろ、一人である方が効率が良い。
…………
…………
…………
「……植物、精子……『果実酒』の店。こっちは、土器の店だな。ふむ、溜める、食器……で『壷』と」
看板と商品、それに街の喧噪から適合する情報を拾い集めることで、文字を解析してゆく。
文字記号のユニーク数は少なく、その組合せも単純である。漢字よりもハングル語の構成に近い。
当然読みだけでは理解できない文字は存在する。主に固有名詞がそれだ。
例えば日本語訳で『森約束の店』と書いてる看板、それをそのままの意味に受け取れば単純に混乱を生むが、こちらの発音の表記にすれば『ヴァンスローの店』となる。つまりは店主の名前を冠した店なのだろう。
祭でもあるのかと思われるほどの露店が軒を連ね、活発な呼び込みと商品のやり取りの会話が交わされる。解析のためのサンプリングには事欠かなかった。
ものの数十分で一般生活で利用されるレベルの基礎的な文字の作りと読みについては吸収できたので、残りの時間は風土・文化レベルについて観察しながら街を歩くことにしよう。
『ユーリカ・ソイル』
一言で言えば緑と石造りの街である。
石造りの街並みと言えばヨーロッパを連想するかもしれないが、実は東南アジア系イメージの方が近い。
軒を並べるのは重厚な石造りの店舗や屋敷、屋敷はとにかく年数による風化を感じさせ、その上に緑の木々が覆い被さっているのだ。
比較的新しく作られたと思われる建物は、木造である。
『昔に滅びた王国遺跡にそのまま今の国の民が住み着いている』というシャルの事前情報の通り、過去に作られた石の街、そこに人々が住み着き、今の街の形になったのだろう。
区画整備された街並みに、上下水道(井戸ではなく、石造りの用水路『上水道』がちゃんと引かれている)の再利用ができるため、住み着くのは当然のことだったのだろう。
至る所に歴史の風格を感じさせ、かつ新旧が融和した街並みは、思ったよりも嫌いではなかった。
そこに異国情緒あふれる人々が行き交う。この場合は異世界情緒と言った方が正確か。
生活感バリバリの小汚い服装のものもいれば、いわゆる冒険者な革鎧姿の者もいる。
驚いたことに、明らかに人外――この場合は、獣の特徴を持つ人型人種を指して言う――の姿も珍しくないのだ。
ニアヴという存在が特別なものではないとすると、つまり、異なる種族が一緒に暮らしている状況だというわけか。
しばらく大通りを進むと、街を分断する川があった。
そこにかけられた大きな橋もまた石造り。構造的にはアーチ型石橋であるが、とにかく巨大である。
対岸まで100mはありそうな大きな川に幅15m程度の年季の入った石橋がかかっている。
朱雀門といい、石造りの街といい、その滅びた王国というのは、鉱物加工、石材建築技術において、かなり高い技術水準を誇っていたに違いない。
この世界にもある『太陽』。その動く向きが地球と同じと仮定するならば、川は街を南北に切断しており、俺は街の南側から北上している、ということになる。
朱雀門は本当に朱雀門だったわけだ。
見たところ、街の南側が商業地区、北側が行政地区といったところか。住民も南側は一般層、北側に富裕層が住んでいるのだろうと推測できる。川に面している屋敷の敷地規模が全く異なっているのがそれだ。
さて、問題はこの橋を渡ってしまって良いのかという点だ。
「すまない」
「ん、なんだいお兄サン?」
「『アンク・サンブルス』に行きたいのだが、この橋は渡ってもいいものなのだろうか」
「そうさね、橋を越えてまっすぐ進めば、街の中心トルテ広場。『アンク・サンブルス』はそこにあるさね」
「なるほど、広場にあるものなのか。情報提供感謝する」
「あはっ、面白い言い方をするお兄サンだね、もしかしてお忍びの貴族サマだったりするのかい?」
「その可能性はないな」
「あっはっは。それは残念さね」
人柄は気候が創り出すものである。店売りの陽気な声や、住人の人当たりのよさは、この地が温暖な気候に恵まれた土地である証拠だろう。
「ついでにもう一つ。狐の耳をつけた、変わった服装の娘が通らなかっただろうか?」
「獣人の娘サン? あーいたねぇ。狐族サンだったかどうかは見てないけど、なんだか落ち着きのない様子で橋桁をポンポン跳ねてった子がいたかなぁ。もしかしてお知り合い?」
「可能性は皆無ではない」
というか、絶対そうだろう。
「あっはっは。お役に立ててなによりさ」
ぶんぶんと手を振って見送る獣人の物売りに一礼で応え、橋を進む。
見下ろす先、悠然と流れる川の透明度は、地球では貴重なものだろう。
川の濁りと引き換えに、人類は高度な科学技術を進歩させてきたのだから。
その最たるものがアイシールドと、そこに投影されるネットワーク上の仮想空間である。
全ての娯楽がワンクリックで起動され、全ての情報がワンウィンドウに表示できる世界。
発声もコマンド入力も必要とせず、思考のみでその全てが実行可能なシステム。
そこでは、自由気ままなネットライフを送ることも、神の如く権能を用いて、現実世界に影響を及ぼすことも可能だった。
神学者が言った、肉体の軛から解き放たれた真なる世界、それが神学の対極にあるIT技術によってもたらされたというのだから、これは大いなる皮肉であろう。
そこでは人類が未だ到達していない想像上の未来都市も、時代と共に滅び去った太古の都市も、時間の概念を無視したあらゆる映像がリアルに投影できた。
俺はOSデフォルト設定のポリゴンの荒いマイハウスを利用していたが、窓の外に映る景色は、自然映像を選択していた。
特にお気に入りだったのは、清流流れる、日本の原風景である。
人類が失った水の透明さを、俺は仮想世界で取り戻すことになったわけだ。
そして、その仮想世界こそ本来なら俺が行くべきだった場所。
だがそうはならず、今俺はこの右も左もわからない異世界にいる。
事実である以上、状況を否定してもしかたないが、地球に帰れるのかも含めて、今後どう行動するべきか、その指針も考えなければいけない項目の一つだった。
「まだまだ課題は多いな」
とはいえ、まずは――
「この街最大の観光名所だったか? 『アンク・サンブルス』とやら、俺も楽しませてもらうか」
この何気ない異世界の街の散策は、十分に俺の興味を満たしてくれるものだった。