Double Dragon 29
『アイソバリック・ディフェンス』第六層防御――五八〇〇兆のダミーノード。
俺の持つIT技術で一ノードの探査にかかる時間は0.0004秒程度。それを最大限に処理をマルチ化した場合の探査性能は――
「ざっと秒間一億ノードってところか」
五八〇〇兆ノードで、335.65日――約一年。
それが俺のスキルの限界であり、現代技術の限界でもある。
「性能向上や台数追加でもう少し短縮は可能だろうが……いや、駄目だな。それでは犯人の思う壺だ。第六層防御に人間の技術レベルは関係ない。現代技術の限界を見据えた上で、更に一年かけて追ってこいと言っている」
ダミーノードの先で犯人の笑う姿を幻視する。
――所詮相手は一人。
第五層防御を突破するまで、そんな風にまだどこかで相手を侮っていた自分を自戒する。
こいつは本物だ。本当にたった一人で世界を相手にする能力を備え、目的通りにことを進めている。
しかし、完璧な人間など存在しない。どこかに穴があるはずだ。
情報を解析しろ。思考をトレースしろ。想定を覆せ。
考えろ。考えろ。考えろ。自分の限界を今、超えろ。
思考を分割し、思考を多重化し、思考する自分と討論する。
並列思考――これはBPM(ブレイン・パーソナライゼーション・メソッド)の一つの到達点と言ってもいい。
そして生まれる発想。
「違う、やるべきはノード探査の効率化じゃない。第六層防御を超えるために必要なのは、まだ世界に存在しない技術の創造だ。超えるべきは自分の限界じゃない、世界の限界だ。たとえばそう、五八〇〇兆を点として捉える一次元の物理モデルではなく、球と捉える論理モデルに再構成できないだろうか」
無限とも思えるダミーノードを球体化する。
論理モデル上のノードは球面上の点と点をつなぐ線として表現されるが、それ自体は球の構成要素でしかない。
そこで球に揺らぎを与える。球体を地面に落とし、バウンドさせるイメージ。
ぽん……と存在しない地面に落ちた球体の表面に揺らぎが波紋となって広がる。衝撃と反射で球の中に発生する『偏り』。
二度三度バウンドを繰り返し、偏りを顕在化させる。
ダミーノードは大きな偏りの中に埋没し、生きたノードだけが球体表面に浮かび上がる。
設計とプログラミングに十二時間。テストを兼ねた実走に三時間。
いつの間にか日が変わっていた。
が、そこには十分な手応えがあった。
いける。
ここから一気に完成させる。
論理モデルを可視化。真偽判定のカラーリングを追加する。
ダミーノードは青に、生きたノードは赤に。未判定ノードは真偽度合いにより黄色だったり、橙だったり。
まるで生命を持ったように色づく仮想の球体。自作A.I.エンジンが自己学習しながら虚実を振り分ける。
そして浮かび上がる一本のライン。
辿り着く先は当然犯人のPCだ。
「見つけた」
最新技術で一年かかるはずの探査をたった数時間に短縮した。これは単純な効率化だけで得られるものではない。
今日までを過去にする技術革新が――新しい未来技術が――今、生まれたのだ。
自分がまるで特別な存在であるかのような万能感が感情を酩酊させる。
しかし、世界はやさしくない。最高の瞬間は長続きしなかった。
ジジ――と、空中に浮かぶエアロディスプレイの描画が一瞬乱れた。
一気に冷静さを取り戻す。
「だよな。そりゃ、くるよな。カウンターハック――第七層防御でも始まるのか?」
そんな俺の予想は外された。
結論を言えば、五八〇〇兆のダミーノードで追跡を撹乱する『無限遠点』の第六層防御こそが犯人の用意した最後の防衛ラインだったのだ。
ジジ――ジジ――キュン……接続された。
ゾクリと背筋に走る戦慄。
俺のエアロビューのセキュリティ防壁をこうもあっさり。
俺自身ですら自分の敷いたセキュリティを外部から突破することはできない。その自信があったんだぞ?
スピーカーから声が響いた。
『あらん、もう見つかっちゃったワケ?』
聞こえてきたのは気だるげな女性のイントネーションを持つ加工音声だった。
現在進行系で世界的犯罪を実行中の犯罪者が、俺のところにダイレクトに乗り込んできたのだ。
うまく反応が返せない。
『驚いてる? でもそれはおあいこよねえ。わたしもとっても驚いたんだから。おめでとう。キミは今、世界の殻を一枚破ったわ』
後にアイイリス(I.I.)と呼ばれるようになる世界的サイバーテロリストと俺との、これが初接触だった。
◇◇◇
『セブン・デイズ・ウォー』五日目。
闇の獣、反逆の徒ワーズワードに鉄槌下る!
勇敢なる神官と神官兵がわずかな数にて敵地に踏み入る。対するは幾千の無法者集団。
だが、心配するなかれ。二倍、四倍、いやさ一〇〇倍する数を集めようとも信仰なくして勝利なし。
先陣切りたる無双の勇者、その名は『孤軍』。孤軍・ガンド。
絶対正義の名の下に、邪を貫き悪を滅す。孤軍の聖槍が神の威光を示す。
邪悪な魂に扇動された蒙昧なる獣人は涙の代わりに血を流した。炎の中に糧を失った背信者集団は今日にも潰えるであろう。
大勢は決した。今こそ世界の敵を討つのだ。勇士よ、神の信仰者よ。君も声を上げ、聖都に集いたまえ!
昨日まで言葉の端に隠しきれない劣勢をのぞかせていた神官の語り口調が今日は非常に明るい。
王都アルトハイデルベルヒにある風神神殿前の広場は、今朝も大盛りあがりであった。
法国の民にとって四神殿とアルムトスフィリアは共に遠い存在だ。
彼らの一般的な認識として、神官は上の存在であり獣人は下である。尊大で無法な神官たちには辟易しているが、かといって奴隷である獣人が自由だの人権だのを叫ぶ姿もそれはそれで疎ましい。
偉ぶる神官が負ければざまあみろだし、奴隷の獣人が負ければ身の程を知れだ。
どちらが勝っても負けても楽しめる臨場感のある報道は、自分たちの王の起こした惨劇により暗く沈んでいた法国民にとって久しぶりに笑顔になれる話題なのだろう。
そんな法国王都の実況放送を脳内に聞きながら、俺は目の前の軍議に意識を戻した。
「兵こそ失わなんだが、陣内に敵の侵入を許したとなれば、それは大将たる儂の責よ。将ならばその責任は取らねばらんじゃろう」
「そうか」
「いいやそれは違う。全軍指揮のエンテ公に責はない。それは守将たる、このレオニード・ボーレフにこそ存在する。己の失態は己が一番知っている。全ては私の対応が遅れたせいだ。食糧だけでなく、もう少しで大事な姫様と甥の命まで失うところだった。罰はこの身に与えていただきたい」
「そうだな」
「敵は四神殿の精鋭だった。叔父上に罪などありはしねぇ。偶然とはいえ奴らの侵入に一番に気づいたのはこの俺だ。俺がもっとうまくやれてれば、こうはならなかった。なにより、俺は食糧庫に忍び込んだ。それだけでいくつもの罪がある」
「あるねぇ」
「それならボクも同じだよ。ごめん、ワーズワードサン。みんなの大事な食糧、焼かれちゃった」
「焼かれたなぁ」
「そうじゃ、今日のご飯はどうなるのじゃ?」
「二日連続晩飯抜きは無理なのじゃ!」
「無理かのか」
「二人の行動を知りながら、若気の至りと放置した私にも責任の一端がありまする。昨日のスプーン盗難に対する罰しかり、誰か一人が責任ではありませぬでしょう。この私めも同様に処罰を受けたく存じまする」
「責任なぁ」
鎮痛な面持ちと自省の声。暗く沈んだテント内はまさしく鯨幕を垂らしたお葬式の様相である。
俺お得意のウィットに富んだジョークを差し挟める雰囲気でもなく、俺はただ真摯に相槌を打つだけである。早く終わらないかな、これ。
そんな気持ちで、再び脳内に響く声に意識を戻す。声は多重でありながら、音が重なることもなく聞き分けられる。
なぜならこれは魔法的な通信手段。物理的音声ではなく、心に響く声であるからだ。聖国王都『エト・セト』、そして光国王都『イアンテール』から伝えられる報告を聞く。
各都市に潜伏する諜報員くんを通して語られる戦争報道に大きな差はない。一般的には早馬レベルの情報伝達手段しか持たない文明世界において、距離を無視した情報の共有ができているわけだ。
これを行う風神神殿は、非常に水準の高いマスコミュニケーションの仕組みを構築していると言えるだろう。魔法的なマスコミ・ネットワーク、略してマホコミである。
その中でも、ここから一番近いアルトハイデルベルヒから送られる報道内容は、聖都の戦況に加え法国騎士隊の出兵も大きな話題になっているため、情報としてはもっとも濃い。
アルカンエイク王のもと、王都からの出兵は珍しいものではないようだが、四大騎士隊の全戦力を投入するなど『東の皇国』の国境侵略以来のことだという。
つまり、八〇〇〇騎という数は大紗国同士で戦争できるだけの大兵力なのである。それを投入する先がたかが四〇〇〇余りの獣人集団だと聞けば、誰の目にも結果は見える。王都の民衆に不安はなく、むしろ、目と鼻の先で始まった混乱がこれで収まるのだという安心感が大きいようだ。
四大騎士隊の出撃により闇の獣たるワーズワードは討伐される。
頭をなくした獣人集団は崩壊し、これまで通り奴隷の地位に戻る。
獣人解放の口実を失った三国同盟もまた後退を余儀なくされ、共闘を経て四神殿と結びつきを強めた法国が強力な軍事力を行使して包囲網を切り崩す。
そもそも、獣人どもの反乱がなければ『ラバックの惨劇』もなかったのだ。
法国は列強最強の名を取り戻し、再び王座に君臨するのだ。
世情に強い法国の弁士が、声高に持論を叫ぶ。
風神神殿にほど近いクレト広場は、情報交換の場でもある。
神官の語る世界のニュースを聞いて、自らも意見を主張する。
賛同する声もあれば、反対意見もある。それ自体を楽しむように弁論をぶつけ合う。
騎士を出してなお、アルムトスフィリアが勝利すればどうなる?
そんなことは天と地がひっくり返ってもありえない。
ほう、ほほう。天と地がひっくり返る、すなわち獣人が支配し、我らが奴隷に落ちる世界になるのだな。
揚げ足だ。それこそ天と地がひっくり返ってもありえない!
議論を交わす男たち。彼らの持つ熱はネット掲示板に慣れ親しむ俺には非常によく理解できる。
法国の王都民はなかなかに文化的な生活を送っているようだ。
「ワーズワード!」
「んあ?」
ピシン、パシン。
苛立ったニアヴのしっぽの動き。その目に瞋恚が灯る。
しまった、目の前のお通夜がどうでもよすぎて完全に右から左だった。
「はい、なんでしょうか」
「はい、なんでしょうか、ではない。昨夜の襲撃、多くの者が怪我を負い食糧庫も失われた」
「そうだな。だが死者もなく、損害は軽微といえる」
「たわけ、そのようなことを聞きたいのではないわッ。お主にも説明責任があるといっておるのじゃ!」
そんな怒らでも。
ニアヴは昨日のアスレイの電撃訪問をルーヴァ的『聴覚』で知っている。
知っていて口に出さないのは、それを皆に知らせない群兜を立ててくれているからだ。
だが、俺の秘密行動により、人と食糧庫に被害が出た。そのことに対する責任の説明を俺に求めている。
うーん、ダスカーの一人でも死んでいるなら弔意を示しもするが、こうして生きてるしな。
いうほど俺に責任ある?
「とりあえず、行こうか」
どこへ――という皆の疑問を封じて、俺はテントを出た。
◇◇◇
なだらかな丘の斜面を下る。
俺たち一行に皆の目が集まる。
その多くは奇襲に対する対抗心あるいは怒気が見える。
部隊長、指揮官クラスの皆は自らを反省するばかりだったが、一般兵は、自分たちの防衛拠点を襲われたことに対する怒りの方が大きいのだ。
次は絶対にやらせない、戦場でこの借りを返してやると言わんばかりのやる気に満ちた目だ。
多くの視線が追ってくる中、着いた先は焼け落ちた食糧庫跡だった。
壁や柱はかろうじて残っているが屋根が落ちてしまい、地面には黒焦げた野菜が転がっている。
そこに見知った顔が一つ。
「ちちう。おっしょーさん、ちょうど今、被害状況を調べ終わったところでち」
「それならいいタイミングだった」
チウチウさんである。
彼女がちょこんと立つ姿は、ネズミというよりミーアキャットの獣人を彷彿とさせる。なんだろう、手足が短いからそう感じるのだろうか。
毎日四〇〇〇人分の食事をチウチウさん一人で作れるわけはなく、補給隊として二〇人ばかりの人員を彼女の下につけている。
食糧庫の管理もチウチウさんの役目の一つだ。
言ってみれば補給隊隊長なのだが、隊長とか管理責任者とか栄養士とかいう重い言葉は使っていないので、料理以外にもなんとなくそういう仕事もしてもらってると言う方が正しい。
「どうだろうか」
「はいでち。大きな問題はないでち」
「それはよかった」
「ちょっと待て。そりゃ、どういうことだ?」
「そうだよ、ミーネ。たくさんの食糧が持ってかれて、残りも焼かれちゃったのに」
疑問の声を上げるダスカーとリスト。まさに自分の目の前で食糧が焼かれるのを見ていた二人には、チウチウさんの言葉が信じられない。
「いつまでも暗い顔をされていても困るのでお前たちにも教えておこうと思ってな。チウチウさん、案内を頼む」
「はいでち。おまえたち、ついてくるでち」
エテ公、タリオン、レオニード、小ニアヴ兄妹も困惑顔でチウチウさんの後に続く。いや、二匹のフォックスのフレンズは別に困惑顔ではないな。ワクワク顔だ。
崩れた屋根材をどかした一角がある。その地面から金属の棒的なものが生えていた。
「なにこれ、把手?」
「昨日忍び込んだときは気づかなかったが、把手ってことはこの下に地下室があるのか」
「ふうむ、そういうことであるか」
「まっ、そういうことでち」
地下室の存在に一同が納得の表情を見せる。
なるほど、敵の襲撃を予測して、食糧の分散保管をしていたために被害を軽減できたのだと。
そのとおりではある。あるが――
チウチウさんが掴んだ把手を引き上げる。
ガコン、という金属音と共に地面に四角い穴があく。
そこからひんやりした空気が流れだした。
「狭いのう。ここに隠せる食糧などたかが知れそうじゃが」
「うわ、空気が冷たいよ!」
「それに音が遠うございますね……ふむ、ハシゴの必要な深さとは」
「冷気が逃げるでち。さっさと入るでち」
地下を覗いていたタリオンが急き立てられて、おっかなびっくりハシゴに手を伸ばす。
三メートルほどの高さを降りる。
それは緩やかに下る通路の始点であり、道は作戦本部テントのある丘の方に続いている。
「天井が低うございますが、這うほどではございませぬ」
地下に降りたタリオンが、穴の上に向かい手を振った。
地面の位置が確認できれば、獣人や濬獣、この世界の耳長人類の身体能力があれば、はしごなど使う必要はない。
みな、ぴょんぴょんと穴に飛び込んでいく。
先頭のタリオンが中腰で先を進む。地下に降りたすぐの地点では天井は低いが、道を進むに連れて徐々に高くなる。道幅は男性二人が並んで歩けるほどに広がり、いつのまにか身長二メートルを超えるタリオンが普通に歩けている。
地下道の天井は魔法的に生み出した金属で補強され、淡い【フォックスライト/狐光灯】の明かりが足元を照らす。
先に進むに連れ、冷気が一層濃くなる。
「叔父上、寒くねえか」
「うむ、やや肌寒いな」
「そう? そんなに寒いかな」
寒そうに腕をさするダスカーとレオニードに対し、リストは平気顔だ。
これは種族特性というやつかもしれないな。
日本人的に表現すると沖縄種族は暑さに強く、北海道種族は寒さに強い的な。
そして、視界が開けた。
低い天井が一気に高さを増し、奥行きは先が見えないほどに広がっている。小学校の二五メートルプールをそのまま地下に埋めたらこのくらいの広さになるだろうといった地下の大空間だ。
「おお、おおう……」
「なんじゃ、この空間は!」
「ひっろーいのじゃ」
「すっごーいのじゃ」
「うん、すごい量の食糧の山!」
「ちちう、だから言ったのでち、問題はないと。ここが本当の食糧庫、『地下保存庫』なのでち」
皆の前に歩み出たチウチウさんが誇らしそうに胸を張った。