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ななしのワーズワード  作者: 奈久遠
Ep.9 竜と竜
139/143

Double Dragon 26

 ワーズワードはこの作戦行動をはじめるにあたり、聖都を遠望できる小高い丘陵およびその周辺地域を拠点化した。

 聖都はマルシオン平原の中にある。言葉の上では平原というが、平坦な草原がどこまでも広がっている地形というわけではない。

 草食の四足獣が巨大な群れを作れるだけの平原が広がる中、山とは呼べぬ程度の丘陵があり、谷とは呼べぬ程度の窪地がある。その上に森とは呼べぬ程度の森林が点在し、その隙間を大蛇を思わせる大河が流れる。日照りの中でもけして枯れぬユーコーン川は法国ヴァンスの大動脈だ。

 つまるところ、およそ人の手が入っていない天然の地形の中で、全体でいえば起伏の少ない平原部の占める割合が多いというだけなのだ。

 特にワーズワードが防衛拠点に選定した丘陵地の裏手には、いざとなれば四〇〇〇人が逃げ込めるだけの森林が広がっていた。いやむしろ、森林の端を切り開いて拠点化したといったほうが良いのかもしれない。

 丘陵の前方、聖都側斜面を下った先はマルシオン平原の中でもっとも凸凹の少ない大平原であり、畢竟、聖都は最も恵まれた地形のど真ん中に造成された都市だということになる。聖都から見れば、アルムトスフィリアは隠すもののない平原のすぐ向こうに陣を築いているのだが、正面から攻め上がろうと思えば、全戦力の激突は必死であり、敵が魔法をキャンセルする魔法道具を持つ状況で、数で下回る四神殿としては正面切っての消耗戦は選択しづらい。最強の風神騎兵を真っ先に潰されたのは痛恨の極みである。

 

 では後方、森林部からの奇襲はどうか。

 樹村での暮らしがそうであるように、この世界の耳の長い人々は森で生きるレンジャー技能に長けている。

 腹部に貫禄を溜め込んだ神官はそうではなかろうが、四神殿のもう一つの戦力、魔法と武器の両方を使いこなす神官兵は魔法の補助を得ずとも木々の間を飛ぶように駆けることができる。

 だが、こと林間での戦闘となれば獣人種族の持つ能力はそれ以上である。エンテ公率いる狒族は特に木登りが得意な種族であるし、鼠族の獣人は豆粒のような小さな茂みにも身を隠せる。兎族の耳はあらゆる音を聞き分け、暗視に長けた狼族は闇夜の狩人だ。

 安易な奇襲は、逆襲の憂き目にあうだろう。そういった理由で後方からの奇襲作戦も選択できない。

 

 丘陵頂上の作戦本部テントは目のいいものなら聖都の中からでも見ることができる。並の魔法は届かないにしても、強大な力を持つマジック・アーティファクトや近衛神官ロストンクラスの魔法であれば一方的に狙撃できそうな無防備さであるが、それ故に罠であるとも思わせる。いや、必ず罠が仕掛けられていることだろう。

 目に見える挑発的な白いテントを無視できない。いつでも潰せそうなのに手が出せない。

 アルムトスフィリア防衛拠点は適当な陣取りに見えて、いざ真面目に攻略を考えれば想像を越えて堅牢であった。


 それでも四神殿が本気を出すならば、攻め手は無限だ。拠点全域を炎に包む戦略級集団魔法、反撃不能な遠距離魔法、上空からの破壊魔法投下、拠点内部への直接転移による回避不可な奇襲攻撃などなど。

 が、そのような重大な判断を下してもし失敗すれば、それを提案した者は馬突粉砕して全てを失った風神大神殿神殿長以上の大失態となるだろう。

 なにせ相手は所詮獣人。逃亡奴隷に女子供も混ざる、寄せ集めの集団だ。

 たとえ成功しても大した成果にはならず、失敗したときのリスクのみが高い。

 そのようなことで己の地位を危うくするわけにはいかない。誰かにやらせて成功すれば己の手柄とし、失敗すれば責任を追求する。それがもっとも賢い立ち回りだ。

 大陸全土から能力のある神官と神官兵を集めるというアスレイの策も、その策自体を強く支持したわけではなく、やりたければやれば良いという程度の賛同だ。なんとなればこの策が失敗して、アスレイが立場を弱めることすら期待している。

 明確な敵を前にしても一つにまとまれず、互いの足を引き合う内部闘争に明け暮れる。これが聖庁の現実。

 

「グハハ」

「フフフ」

「ヒヒヒヒヒヒヒ――」


 昨日も今日も変わらず、黄金の宮殿からは誰ともわからぬ哄笑が漏れ聞こえる。

 悲しいほどに、四神殿の中枢は腐りきっていた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「ちょっとダスカー、こんなの聞いてない!」

「シッ、声がでけェ、姫さん。嫌なら抜けてもらっていいんだぜ。こっから先、進むか戻るかは自己責任ってやつだ」

「金獅子の大将マータの言う通り、これは勇気が試される男の試練でやす!」

「だから、声がでけェってんだろ!」

「はいッス! 静かにするっス!」

「あんたらねー」


 リストのジト目も飢えた男たちにはさほど効果がないようだった。

 食料確保のためにダスカーたちが歩みを進めた先は、林の中でも草原でもユーコーン川でもなかった。一行の眼の前には掘り返された土の地面。防衛拠点内に作られた畑があった。ここで収穫される作物は多くあるが、今はなにもない。ワーズワードの魔法道具のおかげで未収穫の作物を残しておく必要がないのだ。

 ゆえに、この畑では彼らの腹は満たされない。しかし、それは大した問題ではなかった。なぜならば彼らの目的はここではないのだから。彼らの目的はこの畑に隣接したもう一つの施設であった。

 頑丈な防柵。巡回する兵士。その向こう側には幅広の木造の倉庫がある。急ごしらえながら天井付きの立派なものだ。

 作戦本部と並ぶ防衛拠点の最重要施設――食糧庫である。

 その大きさたるや、急ごしらえとは思わえない巨大さである。四〇〇〇人が一ヶ月戦えるだけの食糧を保管しているのだから、当然といえば当然か。

 

「今日、この倉庫には馬車一台分のサチアロ肉が運び込まれた」

「こんな戦場最前線に新鮮な肉が? マジなんですかい?」

「ああ、昨日の軍議でアニキから直接聞いた話だからな。それだけあるなら、俺たちがちょいと頂いてもなくなりゃしねぇ。でもって肉がなくなりゃ、あの青髪野郎の責任だ」


 青髪野郎――それは獣人種族が使うある種のスラングだ。主に髪が青い人に向けた言葉でいい意味では使われない。同じく緑髪野郎や赤髪野郎といった呼び方もある。

 この場合、ウォルレインのことを指して言っており、助けてくれたことには感謝するが、後から来た新入りが古参の自分たちを差し置いていきなりワーズワードの右腕ポジに収まったことに、ダスカーの感情は芳しくない。

 

「嫉妬でやすか?」

「嫉妬じゃねーよ!」


 嫉妬である。


 食糧運搬に関して言えば、【パルミスズ・エアセイル/風神天翔】の魔法で山一つくらいは軽々超えられるが、問題は転移対象の重量だ。

 通常の魔法使いであれば四、五人を転移させるのが限界であり、パンパンに荷物を積んだ馬車の重量を単独で転移させられるのは、四神殿に属する上級神官ジグラットの中でも上位10%に含まれる実力者のみだろう。

 それをワーズワードは当たり前に指示し、ウォルレインも当たり前にやってのけ、ダスカーが当たり前に話す。

 どこを切り取っても当たり前なので誰もツッコまないが、戦闘地域への生鮮食糧搬入という、現代戦でも難しい兵站管理がここでは実現されていた。


「行きたくねぇなら、ここで待ってな。土産くらい持ってきてやるぜ」

「ここまで来て引けないっての。タリオンがいなくて良かったわ。ただし! 誰かがヘマして見つかったも、助けず逃げるからね!」

「がおお、もちろんだぜ。誰がとっ捕まっても裏切りなしの後腐れなしだ。てめェらも双曲刀の爺様にゲンコツを喰らいたくなきゃ、うまいことやれよ」

「「おうッッ」」


 なんだかんだいってリストもまだ若い。

 監視の目をすり抜ける緊迫感。お宝を目指す高揚感。みんなで悪さをする一体感。

 それは正しいことではないかもしれないが、楽しいことではあった。

 

「はらぺこ団、行くでやんす!」

「その呼び名もホントどうなの……」

 

 しかし、それ以上に彼らを正しく表現する名称も他になさそうだった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 アルムトスフィリア防衛拠点『作戦本部テント』。


 絨毯敷きの立派な作戦本部テントは昨日爆散したため、地面に木の柱をぶっ刺して布を貼っただけの粗末なテントに変わっている。足元の敷布もワンランクダウンした、座るとチクチクするやつだ。

 広さは以前と変わりないが、布が薄くなった分夜の冷気が染み込んできて肌寒い。

 作戦本部テントと呼んではいるが、たかだか四〇〇〇人程度の寄せ集め軍の中に情報処理専門の部隊を作る余裕はなく、ここに常時詰めている人間はいない。

 利用シーンは朝と夜の軍議が主であり、そのときには主要人物が全員集まるわけだが、それ以外ではただの休憩スペースだ。一応日差しは避けられるので、自由に休憩してもらってかまわないのだが、見晴らしの良い丘の上というロケーションのため遠距離魔法で狙撃される可能性が多少あり、あまり人気はない。

 俺がいるときはともかく、それ以外でテント内にいるのは、心が休まらないのだとかなんとか。

 今、軍議の時間を待つ俺の前に、小ニアヴ兄妹がちょこんと座していた。

 

「……」


 ブンブン(ブンブン)


「……」


 ブンブン(ブンブン)

 

 二台並んだメトロノームのように規則正しくぽわぽわぽふぽふと振られるしっぽ。日本でも廃れて久しい正座である。

 年の離れた獣人兄妹と共通の話題もなく、見て見ぬふりでスルーしているのだが、しっぽの動きが止まらない。

 こちらは無言。あちらも無言。しっぽの刻む拍子ビートだけが激しく自己主張を続けている。

 犬の習性におけるしっぽブンブンは遊んでほしいの意思表示である。

 狐も同じかはしらん。

 

「……軍議の開始まではまだ時間がある。暇なら外で遊んできていいぞ」

 

 無言の圧力に負けた俺が、声をかける。……かけてしまった。


「遊びたいわけじゃないのじゃ」

「ワーズワード様とお話したいのじゃ」

「様はやめろ」

「じゃあ、群兜」

「それもやめろ」

「でも、ワーズワード様は群兜なのじゃ」

「ニアヴ様の群兜なのじゃ」

「それとこれとは別の話だ。俺はお前らの指導者でもなければ、上位者でもない。よく言って協力者だろう。普通にワーズワードと呼べばいい」

「偉い人を呼び捨てにはできぬのじゃ」

「年上の大人の人なのじゃ」

「じゃあワーズワードさんで。……なんだその顔は。何が不満だ」

「もっと仲良しな感じで呼びたいのじゃ」

「仲良しで特別な感じがほしいのじゃ」

「なんでだ。いらんだろ」

「いるのじゃ。ダスカーはアニキと呼んでおったのじゃ」

「私もそれがいいのじゃ。私の兄者になってほしいのじゃ」

「いや、お前の兄はそこにいるそれだろ」

「この兄者は弱虫でよく泣く兄者なのじゃ。交換するのじゃ」

「ひどいのじゃ。それなら兄者も妹者と交換するのじゃ。それでぱぐぱぐの姉者と三人で暮らすのじゃ」

「それなら私はニアヴ様と暮らすのじゃ」

「残念じゃな。ニアヴ様はワーズワードの兄者のアルマなのじゃ。ニアヴ様もワーズワードの兄者のいるこっちで暮らすのじゃ」

「全部独り占めなんてずるいのじゃ」


 静寂の終焉は狂騒の始まりだった。一度口火を切ったあとは、導火線を燃やすがごとく、キツネっ子の喋りが止まらない。

 というか、今なんと言った? ぱぐぱぐの姉者? それはあの駄犬のことか?

 あの超攻撃型コミュ障娘と打ち解けた関係を築けているのだとすれば、戦場に出て敵を倒すよりも大きな戦果である。

 こいつらスゲーな。

 

「知っておるか。ぱぐぱぐの姉者はすごい人なのじゃ!」

「尊敬なのじゃ!」

「そうか。すごいすごくないは別として、尊敬はしないほうがいいと思うが」

「ニアヴ様もそれに付き合っておるのじゃ」

「ニアヴが?」

「兄者、それはいうてはならんと言われておるのじゃ」

「あわわ、そうじゃった。違うのじゃ、ニアヴ様はぱぐぱぐの姉者の魔法の特訓には付き合っておらぬのじゃ!」

「なんだ違うのか」

「そうなのじゃ。わかってもらえればいいのじゃ」


 いやいや。なんでそれで誤魔化せたと思うのか。

 しかし、ここでそれをツッコんでも言ったのじゃ、言ってないのじゃ、の不毛な繰り返しになる気がするので追求はしない。

 会話には先読みと自制が大事である。

 しかしあの駄犬がなあ。成長したものだ。


 ――それは多分成長なのだろう。

 進歩だとか成長だとかは、上下や前後という比較対象の他者があって初めて認識できるものだ。

 俺のような一己で完結した孤絶主義者には進歩も成長もない。一人の世界に上下も前後もなく、成長も堕落もない。比較できる他者がいないのだから、そこにあるのは『変化』だ。

 アルカンエイクが王様になったときも一つの街を消したときも、ヤツ自身は自分が偉くなったとも、外道に落ちたとも感じていないだろう。それが本来の孤絶主義者のあり方だ。

 しかし、今の話に俺が駄犬の成長を感じたということは、今のパレイドパグが他者と接続された世界の中で成長しているということだ。

 パレイドパグには、インプランツ・エイジズの呪いがあるために、地球では接続できる誰かがいなかったのだろうが、その呪いも異世界ここまでは及ばない。それさえなければ、超生意気で髪がボサボサであることを除けば、目つきと口と態度と性格が悪いだけのただの少女なのだ。まだ成人もしていない年齢で『世界の敵』に列される事自体が発達しすぎたネット社会それ自体が生み出した歪みだといえなくもなく、そういう意味では、ネットのない異世界での生活がパレイドパグにとってプラスに働いているのかもしれない。

 人生どう転ぶか判然らないものである。

 と、そこまで思考したところでテントの外に人の気配を感じた。

 気配というか、普通に知覚しただけだが。

 

「それよりワーズワードの兄者、今日はニアヴ様に褒められたのじゃ」

「話を聞いてほしいのじゃ。ワーズワードの兄者にも褒めてほしいのじゃ」

「すまないがそれは今度の機会にしよう。来客だ」

「来客?」


 不要かもしれないが、暗幕を張っておこう。暗幕と行っても魔法的なやつだ。盗聴・透視はご法度で。

 でもって、ニアヴには対応不要を連絡を行う。ほおっておくとあいつは心のコエとやらに反応して突撃してくるかもしれないからな。ホント濬獣ルーヴァって不思議生物だわ。おっと、ウォーレン先輩は逆に呼んでおくか。

 そして最後に【マルセイオズ・アフォーティック・ゾーン/水神黒水陣】の魔法を発動。大きめの源素を使用し、丘の上全体を人の認識外の領域へ沈める。

 

 準備が整ったところで、テントの薄い布に二つの人影が映った。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 グッと腰を沈め、膝に蓄えた力を一気に解放して、跳ね上がる。

 ネコ科特有のしなやかな体捌きが可能とする音のない跳躍。ダスカーの手が食糧庫の通風孔にかかった。

 通風孔といっても壁の高い位置に空けられた、ただの小窓である。その向こうにダクトがつながっているわけではなく、入り込めれば、その先は直で食糧庫内だ。

 巡回兵の目をくぐり、食糧庫裏手までたどり着いたはらぺこ団。

 音を消し、風を読み、獲物へと近づく。まさに野性の狩りそのものである。

 肉食獣を祖に持つ獣人にとっては、否が応でも興奮を覚える作戦行動シチュエーションであった。

 通風孔というだけあって、人が通れる大きさには見えないが、ダスカーはそこに無理やり体をねじ込んだ。

 全身を蛇のようにくねらせて、潜り込んでいく。

 

「よし、行ったぁ!」

「お静かにやす、姫様」


 あれだけの狭さならダスカーよりリストの方が適任に見えるが、ダスカーは自分が行くと譲らなかった。

 少しでも音を立てれば巡回兵が駆けつける、ここがもっとも危険な場面だ。それを考えて配慮したのか……いや、単純にこの最難関な危険ミッションを自分で成功させたかったのだろう。

 危険を愛するのは冒険者の資質である。

 再び巡回の兵をやり過ごしたのち、裏門が内側から薄く開かれた。

 一〇名超のはらぺこ団がその隙間に滑り込む。

 

「助かったぜ、隊長さん」

「中に入っちまえば、こっちのモンでやすね」

「ふーん、やるじゃん。ま、ボクの方がうまくできたけどね」

「……しっ、静かに。落ち着いて俺の話を聞いてくれ」


 声を抑えながらもミッション成功の高揚感を隠しきれない皆に、ダスカーは恐ろしく冷静な顔を見せた。

 確かにここまでなら言い訳もできただろうが、食糧庫への無断侵入はグレーを越えて完全ブラックの領域だ。もし見つかれば、追加の晩飯抜きどころか三食抜きだ。

 ダスカーが冷静になる気持ちも確かに判然るが、リストはダスカーの表情にそれ以上のものを感じた。

 

「……なにかあった?」

「この先に人の気配がある。それも複数。俺たちと同じ目的のお仲間さんらしいが――同胞なかまとは違う匂いだ」


 その一言に皆のしっぽにぴりりと緊張が走った。

 食糧庫は大部屋と小部屋の二区画に別れており、ここ裏門側が少量の調味料を保管する目的の小部屋に当たる。保管する種類による分別目的で壁を作っただけで部屋と部屋の間には壁はあるが、扉はない。中央部分は広くつながっているのだ。

 獅族が特別というわけではなく、獣人族は人族に比べて皆鼻が良い。

 耳で聞かなくとも、匂いで相手が知っている相手かそうでないかくらいは判断できる。

 拠点内で、同胞以外の人間といえば、よく知っているワーズワード一行と新しく加わったウォルレインくらいだ。

 新入りウォルレインの匂いまでは知らずとも、この特徴的な匂いが味方のものでないことは一嗅瞭然だった。

 

 音を消し、壁沿いを忍び歩く。壁の向こうからは何やら小声で言い合う声。


「……なにか喋ってるね」

「匂いで判断するまでもねぇ、壁の向こうのお仲間さんは泥棒稼業が得意じゃねぇらしいな」

「へへ、そうみてぇだなあ。こっちに人を立たせてねぇってのもいかにも素人だ。やっこさんたち、警戒がなってねぇ」

「くんくん、結構な人数がいるな。一〇……いや一五はいるか?」

「ふむ、この匂い。なんでやしょう、お香のような」

「俺ァ、この匂いよく知ってるぜ」


 内壁の切れ目――小部屋の入り口――からそっと向こう側を覗く。そこでは畑で収穫された作物が種類ごとの小山になっており、壁際には小麦袋が積み重なっている。

 チーズなどの加工品は幌付きの馬車の荷台そのままで保管されている。それらはぎゅっと押し込まれているわけではなく、広い空間に贅沢に使った配置で倉庫内というより、無人の朝市のような印象がある。

 大部屋内の一箇所で集まり、何事か言葉を交わす複数の人影。

 薄く漂う香り。それはお香のような匂い、ではない。まさに神前に焚かれる香木――葵香タムリンの香りそのものだ。

 そこには見える白を基調とした衣服と純白の鎧姿――


「神官、それに神官兵……っ」

「間違いねぇ、こいつは、四神殿の奇襲作戦だッ」


 『拠点内部への直接転移による回避不可な奇襲攻撃』。

 当初から想定されていた状況の一つであるが、それが今日このときになるとはさすがのはらぺこ団大将も想定していなかった。


「嘘だろ、今日は出兵はないはずだろ」

「だから奇襲なんじゃねーか」

「野郎、俺たちの食糧を狙って……ッ!」

「許せねぇッス」

「どうする、声を上げるか? そうすりゃ、外の守備兵がなだれ込んでくらあ」

「待て」

「待って」


 殺気立つ皆にダスカーとリストが同時に待ったをかけた。

 

「落ち着け。こいつは危機じゃねェ、この偶然はむしろ好機ってやつだ。それをむざむざ捨てちまうこたぁねぇだろうよ」


 そう、これはピンチではない。ダスカーのいうとおり大きな幸運、チャンスなのだ。

 神官が転移魔法を使える以上、防衛拠点内への直接攻撃はもとより回避不可。ならば、それが発生したとき、どれだけ早期に発見できるか、被害を抑えられるかが重要になる。


「そうそう。声を出すにしても、それはボクらじゃなくてあいつらの悲鳴でもいいってこと」


 続けてリストがいう。

 判定ブラックな食糧庫侵入であったが、四神殿の奇襲部隊を、向こうが破壊行動を起こす前に発見できたことの意味は大きい。しかも相手にそれを気づかれていない。


「向こうの万全の装備に対して、こっちは無手。だが、恐れンな。やるこたぁシンプルに一撃離脱。騒ぎが起こればすぐに叔父上が動く。奴らも少数だ、無理はできねぇ。てめぇら、腹を決めろ」


 皆がやっと理解を示す。今から行うは奇襲に対する奇襲である。

 無音の頷きが返ってくる。

 空腹を忘れて、皆戦闘態勢を整える。

 ダスカーに言われたとおり、皆がぐっと腹に力を入れたとき――

 

 グゥゥゥゥーー


「「あ」」

「誰だッ!」

「ばっか……やろォ――ッ!」


 なんというか、非常にはらぺこ団らしい。

 それが開戦の合図となった。

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