Double Dragon 25
生傷の絶えない戦場であっても平穏に終わる一日は存在する。
たとえば今日がそうだ。
訓練を終え、談笑を交わしながら『しゃわーつりー』の前に列を作る獣人たち。
レオニード麾下の拠点防衛部隊が周辺警護をしてくれているため、無着衣でも危機を覚えることはない。
上を向いて大口を開けているのは犬族の獣人だ。そうして雨のように降ってくるシャワーをごくごくと喉を鳴らして飲んでいる。
理由を聞けば『しゃわーつりー』から降ってくるお湯には香草にも似た樹木の香りがついていて美味しいのだという。なるほど、お茶的な発想であるらしい。
今日はスプーン盗難の連帯責任で全員の晩飯抜きが確定しているので、水なり茶なりで多少でも腹を膨らませようという彼なりの知恵である。
もっとも、獣人種族の中でもより従順な犬族の彼であるからこの程度であるが、より野生に生きる若者たちは、空いた腹を満たすために別なる計画を企てていた。
「どうしやす、大将」
「そりゃあ決まってら。飯が出ねぇなら、自分の力で手に入れるだけだ」
ギラリと光る野獣の瞳。
晩飯抜きはあくまでタダ飯が提供されないという罰則だと理解し、自分で得る食糧はその限りでないという発想だ。確かにワーズワードは食べること自体を禁止したわけではないが、発想としてはグレーゾーンだろう。
「てことは……」
「ああ」
「げへへ、さすが大将だ」
「そうでなきゃよう」
「テメェら、準備ができたら……いいな」
「おいッス! 金獅子の大将!」
「バカ、声がでけェ! こういうのは静かに音を立てずやるモンだろうが!」
「はいッス! 静かにやるっス!」
というか、そのならず者たちの大将は部隊長のダスカーだった。いつもより階級があがっている。
マッパな姿で堂々と密談を行うならず者の一団。さまざまな尾の垂れる尻に、タリオンが冷ややかな視線を送った。
「……知りませぬよ」
「おっと、馬族の隊長さん。密告はなしですぜ」
「そんなことはいたしませぬ」
「がうう、バレねえようにやるさ。軍議までには戻るぜ。へへっ」
一団の中にはダスカー隊所属だけでなく、タリオン隊、リスト隊所属の獣人も混ざっている。隊の垣根を超えた横の連携がそこにあった。今日の訓練は無駄ではなかったのだ。
部隊長級の実力を持つとはいえ、ダスカーは冒険者。冒険者の根底には、いつもやんちゃないたずら小僧が目を輝かせているのだ。
「あんたたちねー。ほんと男ってバカ」
「きゃああ、覗きよー!」
「いやあーん!」
野太い悲鳴が上がる。
仕切り板の上から顔をのぞかせているのはリストだった。
男女の『しゃわーつりー』を仕切る木板の高さは三メートル近いが、リストのジャンプ力ならその上に手を届かせることくらいわけはない。
おまたを隠して逃げ惑う男たちの姿にリストがキャッキャと笑い声を上げた。
そんな主家の姫に、タリオンが苦言を呈す。
「豹王家の子女ともあろう方が、なんとはしたない」
「そうだぞ。覗きは即追放だってアニキがいってただろう」
「それはあんたたちがこっちを覗いたらでしょ。ボクは大丈夫だもん」
「がうう、そりゃあ、差別ってもんだぜ」
「それより! 言っとくけど、全部丸聞こえなんだからね!」
「ああ? 姫さんもやめろってのか。だとしても無駄だぜ」
「そんなこと言ってないでしょ。ねえ、それどこ集合?」
「姫様!」
「タリオン、うるさい」
信頼厚い忠臣の言葉を無視して、リストが話を続ける。
奔放な豹王家の姫はダスカーに乗っかろうという腹づもりらしい。
確かにマルシオン平原は恵み多き大地である。味や量にこだわらなければ、手に入る食材は多い。猟を得意とする者であれば野ウサギや野ネズミを捕えることに難はなく、冒険者であれば、食べられる野草やキノコの知識があるだろう。
少し遠出になるが、防衛拠点を南に下ればそこには大河ユーコーン川が流れている。川べりでは貝や小エビ、カエルや水棲昆虫を道具なしで捕まえられるし、自慢の尾っぽをふさと水面に垂らせば、それを餌と勘違いした魚が食いついてくること請け合いだ。
群兜探しの武者修行で大陸を旅していたリストにとって、これだけの自然があれば、食糧獲得は難しいことではない。
「姫さん、わかってるじゃねーか。そういうことなら話は別だ。しっぽが乾いたら、南の茂みに集合だ」
「りょうかーい」
「我ら兵をまかされた隊長のうち、二人も抜けては、なにかあればどうされまする」
「なにかってなにさ? なんにもないよ」
「そうだぜ。今日はもう日も沈む。久しぶりに平和な一日だったんだ。ちっとくらい自由にやったって許されるだろうぜ」
「そーだそーだ! それにボーレフも残ってるし、大丈夫だって。タリオンは考え過ぎなんだよ」
「確かにわたくしには考え過ぎなところがございますが」
同調して盛り上がる二人。こうなってはもうタリオンでは止められない。
ぶるる。一抹の不安を胸にタリオンは天を仰いだ。
◇◇◇
「飯が出せぬだと。全くふざけておる、我らをなんだと思ってのだ!」
「おうよ、どうしてもという参戦要請に応え、わざわざ国境を越えてまで応援にきてやったのだぞ。その我らに晩飯も出ぬとは、不愉快この上ないわ」
「なんなら、このまま帰ってやってもよいのだ。そうすれば困るのはどちらであろうな」
晩飯がない、食事が出ないということに怒りをあらわにする男たち。隠せぬ不満が口をつく。
彼らはこの戦場に来たくて来たのではない。それこそ招かれてきたのである。給金は後払いであるにせよ、食い物すらまともに出てこないなどおよそ信じられぬ、最低の戦場だと言う他ない。
男たちの怒りを一身に浴び、今も頭を下げ続ける女給がおそるおそる口を開いた。
「私はただの留守役です。本日は休業でございまして、食事をお出しすることはできません」
夕闇が支配しつつある時間帯だが、聖都ではマジックアーティファクトの街灯が足元を照らしてくれる。
それがため、女給には男の足を守る高級な具足が明瞭と見て取れた。
ここは聖都内南方――六足天馬・卷躊寧を奉じる風神大神殿へとつながる『イーニア大通り』だ。
聖都・シジマは東西南北を頂点とした正方形の都市である。その中央には黄金の宮殿『聖庁』が存在し、そこから四方へと大通りがまっすぐつながってる。
都市の中心、聖庁周辺には噴水や樹木の生える公園地帯が存在し、その外側を神官の居住区や高級宿が占める。そこを超えて外縁に歩みゆけば大通りの左右に商業地区が広がり、更に先に進めば、四神の大神殿と聖都のシンボルである白亜の尖塔がそびえ立つ。
四方に伸びる四本の大通りには四神に従う従神の名が付けられており、それぞれの主神にちなんだ特色を持つ商店が連なっていた。
北方・水神大神殿へつながるは、凪を司る翼魚・膨瑛の名を冠した『ウルバン大通り』。
一流の武器防具店、宝飾品店に最先端ファッションを扱う商店が集まっており、貴族御用達の一角だ。
東方・地神大神殿へつながるは、夏を司る太陽花・緋品の名を冠した『カリン大通り』。
ここには希少な動植物を扱う店が集まり、神に連なる眷属である六足馬が普通に売られている光景はここでしか見られないだろう。過去にはさらに貴重な雷鳥や大神樹の苗が店先に並んだこともある。
西方・火神大神殿へつながるは、美を司る白美神・鄙熄晨の名を冠した『リュカリオ大通り』。
表通りは貞淑で落ち着いた雰囲気。一本筋を外せば、そこに広がるは夜の闇でも明かり途絶えぬ大陸最大の歓楽街である。男ならば一度は訪れたい、いや訪れねばならぬ火神信仰の源泉地だ。
そしてここ、南方・風神大神殿へつながる大通りには、西風を司る二足猫・閂芭の名が付けられていた。
二足猫とは足が二本の奇形な猫のことではなく、人と同じように二本の足で立って歩く猫という意味だ。旅好きな神で、不意の西風が吹けばそれはイーニアが通り過ぎたためだと言われる。
そんなイーニア大通りの特色は料理店と土産物屋である。世界中の料理と酒、それに各地の特産品を集めた店の数々だ。
地方色が強い分、他に比べてやや雑多で雰囲気を持つ区画であるが、今の風神大神殿神官長はそれを規制することなく多くの雑多な店を呼び込んだことで、逆に聖都巡りの旅でも一番人気の区画となっていた。おかげで寄進の額も風神大神殿が一番多い。
開戦より四日目、そのイーニア大通りに久しぶりの訪問客が現れたのだ。
白の神官衣を身につける者。豪華な刺繍の入った幅広の帯を巻く者。高価な防具を身につける者。一流の冒険者でもめったに持たぬ、魔法の武具を持つ者。
彼らは聖庁の要請に応え聖都を訪れた世界各地の神官、神官兵である。
信仰心や戦意はともかく、聖庁自らの要請である。図に乗った奴隷上がりの獣人どもを蹴散らすだけで、恩賞は思いのまま。それに聖庁に恩を売っておけばあとあと美味しい思いができる。ついでに久しぶりの聖都でうまい飯を食って自分好みの美女を抱けるとなれば、こんなに美味しい『出張』はない。
そんなわくわく気分でやってきたというのに、うまい飯を食べられる店が見つからない。やっと見つけた店も今日は休業だというではないか。
これはさすがに肩透かしであった。
「酒くらいは残っておろう」
「それも先日来られた聖庁のお使いの方があるだけお召し上げになられまして」
聖庁も彼らを呼び寄せただけで、食事や寝床の用意まではしてくれていなかった。
もっとも彼ら自身、自分で選んだ高級店で飲み食いし、そのまま歓楽街にしけこむつもりだったので、用意されたところで使うつもりはなかったのだが。
店が開いてない、食べ物がない。
「話にならぬ!」
不満の声が大通りのそこここに溢れていた。
早く彼らに帰ってほしい女給は通りに見知った顔を見つけ、救いを求めるように声を上げた。
「あっ、フレイリン神官長さま」
右腕に当て木を巻いた、一人の神官がそこにいた。
「フレイリン神官長だと?」
「フレイリンというと、風神大神殿の――」
クバーツ・ゲイ・フレイリン。三〇台半ばという若さで風神大神殿神官長の地位についた男である。
常であれば自ら人目を集めるように多くの供を連れて大通り中心を進むクバーツが、今日は一人の供もつれず、人目を避けるように道の端を歩いていた。
女給の声に反応し、大通りにたむろする皆の視線がクバーツに集まる。男たちの視線が外れたことをこれ幸いと、女給はそっと館の扉を引き閉じた。
皆の目を無視することができず、クバーツが足を止める。
「お、おお。これは背信者討伐にお集まりいただいた勇敢なる皆々様。我が風神大神殿は皆様を歓迎いたしますぞ」
そういい、やや引きつった笑顔を見せた。
「ほう、これがあの」
「ああ、あの風神騎兵の」
「……これは聖都の神官長殿。その勇敢なる我々だが、今晩の飯が決まらぬ。どうか神官長おすすめの店を教えてはくださらんか」
「それはよい。我もぜひ教えてもらいたい」
「ふっふ。聖都の面白い話を肴に、旨い酒を酌み交わそうではないか」
敬意もなく、逆にからかうようにクバーツに声を掛ける神官と神官兵たち。
クバーツは歓迎の笑顔の下でぐっと奥歯を噛んで屈辱に耐えた。耐えねばならない理由が、彼にはあった。
最強の戦力である風神騎兵がアルムトスフィリアの奇策の前に破れたという世間には流れない事実を、同じ四神殿に属する彼らは知っているからである。そもそも、壊滅した風神騎兵に変わる戦力として大陸各地から招聘されたのが彼らなのだ。
瞳の奥に見え隠れする侮蔑の意図。隠しもしない見下す態度。せせら笑いの幻聴がクバーツの頬を歪める。
ああ、俺の幸運は底をついてしまった。なにが絶対幸運者だ。なにが栄光の聖庁入りだ。
これまでの成功を、幸運を、俺は昨日の戦場で使い果たしてしまった。俺は、ただの凡人であったのだ。
風神騎兵は壊滅、六足馬は一頭を除き回収できたものの、足を折ったり、怯えて厩舎をでなくなったりと、もはや使い物にならない。
仮に再出撃ができたとしても、昨日と同じ策を使われて同じ結果を生むだけだ。
大地を震わす爆音攻撃。人間相手であれば二度は効かない策だが、六足馬相手には二度三度有効であろう。
戦場では後日再起を期すべく勇ましい後方進軍を見せた彼だが、一人無傷で舞い戻った彼を見る聖都の目は冷ややかであった。骨折していない腕にわざとらしい当て木をしても、それに見合った同情すら得られないほどに。
俺は失敗したのだ。命あったが最後の幸運。あとはただ落ちてゆくだけなのか……
「どうなのだ、フレイリン神官長。我らは腹が減っておるのだ」
「あ、ああ。すまぬ。飯とな。それであれば丁度そこに私の行きつけの店が――ああ、今日は休みのようだな。であれば、あちらにうまい火国料理を出す別の店が――あちらも休みか。……これは」
見れば、聖都一の賑わいを誇る風神大神殿お膝元のイーニア大通りで、竈から煙の上がっている店が一つもない。どの店も扉は重く閉ざされ、人の気配すら感じられない。
四神殿は魔法使いを管理し、自らも魔法を使う最強の組織である。
アルムトスフィリアが四神殿に宣戦布告を行おうと、聖都近くの丘陵に拠点を築いたと聞こうと、聖都の住民はそれだけで聖都を出ようとは思わなかった。四神殿に戦力に適うものなどいるはずがない。自分は銀壁の中でいつもどおりの生活を送るだけ――そう考えていたのである。
四神殿の名はそれだけ大きいのだ。
だが開戦初日、アルムトスフィリアの先制攻撃は楽観した住民の認識を覆す一撃でもあった。
目の前で崩れゆく世界魚の塔を見て、このままここに残れば、自分も被害に巻き込まれる可能性があるのだと、自らの置かれた立場に思い至ったのだ。
そうとなれば、彼らの行動は早かった。
夜ごと人々は聖都を抜け出し、今では四神殿の関係者以外で聖都に残っているのは、主人に留守役を命じられた女給のように、やむなく聖都に残らざるを得ない者だけだ。
そのことに今日やっとクバーツは気付いた。四神殿から見捨てられ、少し離れた場所に視点を移したことで初めて聖都が置かれてる現状を把握したのだ。
なんだこれは。これはまるで、ネズミの消えた船のようではないか――
突然黙りこみ呆然と周囲に視線を彷徨わせる神官長の姿に、苛立ちが募る。
「それでしたら、私が別の良い場所をお教えしましょうか」
そこに一つの声がかけられた。集まった皆に向けられた声。
赤から紫色に変わりつつ空の下、イーニア大通りのレンガの上に長い影が伸びた。
神官では少数派である、細い身体から伸びる影だ。
「あれは」
「あのお方は――」
僅かなざわめきが起こった。
ある者は膝を折り、ある者は気圧されたように一歩後ずさる。
空気が変わった。さっと吹いた風が澱んだ空気を吹き飛ばすように、不満を含んだ雰囲気が消失した。
それは近衛神官の登場だった。
魔法の能力に劣っていても政治力や実務経験、あるいは金銭やコネでなり上がれる上級神官と異なり、真に魔法の能力が高くなければ認められることのない近衛神官は絶対の存在である。
四神殿の政治的中枢『聖庁』と魔法使いの頂点『近衛神官』が両軸となり、四神殿はその権威を維持していると言って良い。
その更に上、四神殿総斎主――『聖下』――の存在は四神殿内部でも隠されており、聖庁に上がった者にしか明かされない秘事のため、一般の神官の中では、近衛神官こそが最上位の存在だと認識されているのだ。
「食事でお困りでしたら、私がいい場所をお教えしましょう」
細身の近衛神官は皆の気構えを崩すように柔らかい口調で切り出した。
声の主はアスレイ・ウット・リュースだった。
「リュース近衛神官、ありがたい申し出だ。戦場において空腹は敵。空腹のために実力を出し切れぬなど兵の恥。叛逆の獣人どもを目の前にして、新しい敵を増やすなど愚策ですからな」
「ごもっともです」
クバーツには軽口を飛ばした歴戦の神官兵であるが、クバーツより若いアスレイに対しては慇懃に対応した。
「しかし、見た所大きな店はどこも火が消えている。ここにいるだけでも三〇人。これだけの人数を賄える店はありますか」
「問題ないでしょう。なんでしたら四〇〇〇人以上を賄えるだけの食糧があるはずですから」
「それは、まさか――」
「今日は転移魔法の使える神官が出払っていましたので、聖都からの出撃はありませんでした。向こうでは、今日はもう戦闘はないものと油断していることでしょう」
「それはいかにも知恵の足りん獣人どもの考えそうなことだ。ですが、そういうことであればこの程度の人数では逆に心許ないのでは?」
「いいえ、この人数だからいいのです。私とフレイリンさんの二人で送り込める人数はこのあたりが限界でしょう」
「!?」(自称絶対幸運者)
「おお、リュース近衛神官自らお力をお貸しいただけると」
「それは頼もしい」
「がはは、膨れるのは腹ばかりではなくなりそうだわい」
突如降って湧いたようなアスレイの策に、一人を除いた全員が賛同の声を上げた。
少数とはいえ神官と神官兵の混成三〇は攻防のバランスが良く、三〇〇の兵に勝るだろう。
アスレイという男、ワーズワードとなにかしら密室のやり取りがあったようだが、その結果、こうして多くの神官を聖都に招聘し、さらにはアルムトスフィリア防衛拠点の食糧庫を狙った『雷鳥窮閃』の奇襲攻撃をしかけようとしている。獣人撃滅の意思は失われていないとしか思われない。
一体何を考えて行動しているのか。その目的は。
瞳見えぬアスレインの魔の策が、油断しきったアルムトスフィリアに迫っていた。
雷鳥:ピンチになると体を雷に変えて逃げる鳥。野生の雷鳥を捕まえるのはとても難しい。岐阜にいる白いのとは別種。