Double Dragon 21
パスワード総当りのサイトハックはアクセス元IPを変えて当たりを引くまで延々とアタックを繰り返す古典的な犯罪だ。犯罪に使われるIPアドレスは数万に上るが一つ一つ潰していけばいつか犯人にたどり着く。時間こそかかるが誰にでも犯人追跡が可能だ。
シフォンファンの作成した追跡アプリがSNSや情報掲示板を通じて広く拡散されたことで、それは更に容易になった。
憎悪に燃えるファン心理で。あるいはネット上の正義感で。またあるいはただのお祭り気分で。追跡アプリのダウンロード数は瞬く間に一千万を超えた。
結果、彼らは強力な捜査能力を持つサイバーポリスでも数ヶ月かかる作業をたったの数時間で成し遂げてしまった。人海戦術恐るべし。
彼らは皆、犯人追跡は自分の自由意志による行動選択だというだろう。だが、その自由意志の向き先を憎悪に偏重させるのがヘイト・コントロールという戦術なのだ。
言われた所でそれが自分の自由意志であることには違いないので、彼らは自分では気づけない。
それに気づけるのは第三者視点で状況を俯瞰できる者か、クールタイムを経て心が憎悪から解き放たれた後である。
数千万に膨らんだ追跡者の一人が犯人の背中を捉えたとき、第二の矢が放たれた。
『等圧防御』――後にそう名付けられる、犯人からの反撃が始まったのである。
もっとも弱い反撃としては、追跡アプリ利用者へのカウンターDoS攻撃を。それを超えてくる者にはゼロデイ攻撃を。更に進む者には指向性のカウンターハックへとその強度を変えてゆく。
インターネットの世界で数千万という数はたいして大きい数ではないが、それが全て実在の個人につながる生きたネットワーク、生きたアドレスとなれば話は別だ。
第一層防御が生きたネットワークをパンクさせ、第二層防御が広域通信網に大ダメージを与えた。未知の欠陥を突くゼロデイ攻撃は、ある程度までのセキュリティを無視する貫通攻撃のようなものである。
第三層防御はどちらかといえば、追跡者の心理を攻める反撃だろうか。ディスプレイ越しに多数で囲んで犯人を一方的に殴りつけるだけの追跡にならいくらでも協力できるネットユーザーも、自分が標的にされるとなれば二の足を踏む。
第三層防御を超えられるのは、仕事でやっているサイバーポリスを除けば、自ら戦う意志を持った兵士だけである。
もちろん、意志だけあれば超えられるというものでもない。世界中で多くの兵士が生まれたがその多くは戦いに敗れ、彼らの死体(PC)が次なる段階の反撃防御の踏み台にされるという無様を晒した。
繰り返されるニュース報道が社会不安を煽り、ネット上に怨嗟の言葉があふれた。社会システム混乱による経済的打撃は学生の俺には痛くないにしても、電車の運行にまで影響を与えるとなれば話は別だ。
まるで無関係な俺まで巻き込んで暴れるなんて、そりゃあもう戦争だろう。
事件発生から四日目。事実このサイバーテロはネット上の大規模戦争――『世界大戦』の名で呼ばれ始めていた。
「いつ起きてもおかしくないといわれていた次の世界大戦が仮想のサイバー空間でたった一人の犯罪者VS世界という構図で始まるとか、お釈迦様でも予想できなかったんじゃないか。『第三次の名を冠するほどでもないから、精々言って第二・五次』とは言い得て妙だよな。奥行きを持つインターネット上の仮想空間は『二・五次元』と呼ばれたりもするし、メイン戦場的にもしっくり来る呼び方だ」
その第二・五次世界大戦に絶賛参戦中の俺である。
「第五層防御突破っと。用意周到なヤツだが、さすがにもう品切れだろ。そろそろ通報の準備を――」
そう思った矢先、空中に浮かぶエアロビューの中で犯人を追跡するサーチポインタが急速に分裂を始め、その数が一瞬で一〇桁を越えていった。
第六層防御――五八〇〇兆のダミーノードから犯人につながるたった一つのノードを見つけ出せという、地獄のようなトラップが発動したのだった。
◇◇◇
「この世の終わりだ」
「俺のせいですまん。どうせ死ぬなら……俺は戦場で死にたい」
「お前だけ逝かせるかよ。その時は俺も一緒だ」
「バカなこといってんじゃねーぞ、てめぇら」
「金獅子隊長、ですがッ」
神官との戦いでもここまで崩れたことのないダスカー隊が壊滅的打撃を受けていた。
「責任があるとしたらてめぇらを率いてる俺だ。責任なら俺が取る。だからてめぇらは死ぬためじゃなく、生きるために戦え。今日の絶望を超えて、明日の希望のためによ」
「「た、隊長~~ッ」」
そうして、ダスカー隊は一層の強い団結力を手に入れたのであった。
「あほくさ。あっちの隊はバカばっかだよね」
「そもそもダスカー隊が一番スプーン泥棒多かったんでしょ? チウチウさんが怒ったのあいつらのせいじゃない」
「そうそう!」
「はい、みんなそこまで。仲間のこと悪く言っちゃ駄目だよ。ボクらの隊だって無責任じゃないし、誰が悪いんじゃなくて、みんなで反省してみんなで良くならなきゃ」
「ひ、姫様、すみませんッ」
「もー、姫様じゃないでしょ、今はナラヘール隊長」
「はい、ナラヘール隊長!」
リストの隊は他の隊より女性獣人が多い。女性といっても鹿族の獣人は一日戦場を駆け回れるだけの脚力を持っているし、象族の獣人はそこいらの男どもより一回り大きい体格を有している。
獣人としての戦闘力を語る上で、男女の差は小さいといえる。
竜国豹王家の娘であるリストが隊長とあって、もともと団結力が強いのがナラヘール隊だ。
「ボクはみんなよりちょっとだけワーズワードサンのこと知ってるから、わかるんだ。ワーズワードサンはスプーン一個くらいで怒る器の小さい人じゃないよ。自分じゃなくて、チウチウさんのために怒ったんだ。それって獣人のために怒ってくれたってことじゃないか。ボクは嬉しいよ。導いたり助けてくれるのと同じくらい、怒ってもらえるのが嬉しい。ボクはもっとワーズワードサンのために頑張りたい。ワーズワードサンのために生きたいって思うんだ」
隊長として。王族として。あるいはただ一人の女性としての、それはリストの宣言だった。
まだ少女の域をでないリストの真っ直ぐな気持ちが部下の兵士たちの心を打つ。
彼ら彼女らはそんなリストの力になりたいと思った。
一にして群。群にして一。ナラヘール隊は紗群になったのだ。
「そうは言うが、飯抜きはやっぱ堪えるよなぁ」
「やる気でねぇなぁ」
「俺たちゃ、命をかけて戦ってんだ。スプーンの一本や二本くれぇ、いいじゃねぇか」
「バレねぇようにやれって話よ」
ジョー隊はワーズワードの考える『アイソバリック・ディフェンス』の要。求められるのは防御の能力だ。故にダスカー、リストの隊に比べ、年経た者、荒くれ者、長く奴隷だった者が多く配されている。
一見不利を見ればすぐさま逃げ出しそうな者たちのように思われるが、それは逃げる先があればの話。
彼らには逃げる先がない。ここで逃げて人として扱われぬ奴隷生活に戻るわけにはいかない。逃げた先には未来がないと、身をもって知っている。
故に口こそ悪いが彼らは堅いのだ。若獅子のように戦場を駆ける力はないが、決して引かぬ巌の隊である。
「馬族の隊長さん、それでどうするんで? 動きゃあ腹が減る。飯がねぇなら、今日は戦場に出たくねぇんだが」
腕を組んで黙考するタリオンはその呼びかけの一〇秒後にやっと口を開いた。
「……ご安心ください。今日の出兵はありませぬ」
「へ。そりゃあ、本当で?」
「はい。ワーズワード様がそのように。どのように情報を入手されたかはわかりませぬが、本日四神殿は動かぬとのこと。『あいそばりっく・でぃふぇんす』は敵の圧――攻撃力に対応した防御力で迎え撃つ遅滞防御の戦術でございまする。敵が出てこないのであればこちらも動くことはありませぬ」
戦闘がないという情報に、沸き立つジョー隊。
タリオンは考える。ワーズワードの言った『今日は』という言葉の意味を。
今日は。今日だけは。そういう意味だ。つまり、戦争はまだ終わらないのだと。
「隊を二つに分けまする。敵がこないのであれば、その分訓練で汗を流すことにしましょう」
「うへぇ。マジですかい、隊長」
「はい。彼らをご覧ください。姫様と金獅子殿の部隊を。彼らの輝く笑顔こそが、我々の目指す未来そのものでございましょう。彼らを護る力、少しでも鍛え上げねばなりませぬ」
「……あいよ。隊長命令じゃ仕方ねぇや」
口は悪いが反対する者は誰一人いない。
タリオンは思う。この隊は良い部隊だと。
「行きましょう、武術指南はわたくしの領分でございまする」
ジョー隊の戦闘訓練にナラヘール隊とダスカー隊が合流する。
昼を待たず始まった剣戟の響きを、遠く見守る者の姿があった。
「がおお……彼らのなんと誇らしい姿か。ワーズワード様を知った瞬間を超える、我が生涯最大の感動がここにある」
防衛拠点の守備を任されるレオニード・ボーレフははらはらと溢れる熱い魂の飛沫を抑えることができなかった。
◇◇◇
ウォルレイン――と開きかけた口を一旦閉じる。
「そういえば、お前のことはどう呼ぼうか。名前は出さないとして、天才メガネくんと謎めいたフードくん、どっちがいい?」
「うーん。どちらもあまり」
「わがままなやつだな。わがままは天才の特権ってか。仕方ないな。天才だもんな」
「はあ」
「もう、先輩をいじめちゃ駄目だよ」
おこられた。
「じゃあ、お前はどう呼べばいいと思う、セスリナ」
「先輩は先輩だよ。私はウォーレン先輩って呼んでたけど」
「ほう、いいじゃないか。ウォーレンといえば、名のしれた魔術師の名だ。天才くんに相応しい。それでいこう」
「えっと、そのー。……ではそれで」
これで俺にはアスレイ後輩とウォーレン先輩ができたわけだ。学生時代に戻ったようで少し楽しいな。そういや、あの性格最悪女とやりあったのも学生時代だったな。
そっちの方は美しくもなんともない思い出で泣ける。
「よし、ウォーレン先輩。では早速最初の仕事だが」
ウォルレイン改めウォーレン先輩に初めての指令を与える。
「そこに変なのがいるだろ」
「きゃるん、それってわたしのこと?」
「あれはリゼルというクリーチャーだ。お前の目にはどう見える」
「はあ。ううーん、そうですね。『竜』でしょうか」
「まあ! リゼルちゃんびっくり!」
「は?」
いやいや。なんで竜なんて単語が出てくるんだ。
中身はともかく見た目は若い女だろう。
いや、そもそも竜ってなんだ?
「すまん、一つ聞きたいんだが、お前の知る竜とはどんな姿をしている生物なんだ?」
「竜ですか? えーと、姿は僕やあなたと変わりません。人の姿です。そうでなければ、言葉をかわして竜の持つ潜密鍵を譲り受けるなんてこともできませんし」
え、そうなの?
「でかいトカゲ的なアレじゃなく?」
「当然じゃない。うふふー、ワーズワードってばおっくれってるーっ☆」
「……まあいい。では続きだ。お前に与える最初の仕事は竜退治だ」
「ワーズワード。それ、どういう意味ー?」
「言葉の通りの意味だが?」
リゼルであればウォーレンの能力を見極めるのにうってつけの相手でもある。
俺の感じた『可能性』。ウォーレンが俺の期待通りの人物であれば、あるいは――
困ったように頭を掻くウォーレン。
「できないか?」
「はあ。わかりました。できるかわかりませんがやってみます」
まるで気負いなく答えるウォーレン。ここだけ切り取るとすごい大物のようにも聞こえるな。見た目はすごい平凡なんだが。
「ふふふっ、リゼルちゃんまたまたびっくり! できるかしら? 『エネミーズ12』改め、このガーディアン・リゼルちゃんを」
ふわりと宙に浮かぶリゼル。同じくウォーレンが【パルミスズ・エアライド/風神天駆】を発動し、飛翔する。
――そして、光が雲を切り裂いた。
[お知らせ]
書籍四巻が発売されることになりました。
「ななしのワーズワード4 転移者たちの弁証法 ―Packdog's Paradox―」
2017/08/28 発売です。