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ななしのワーズワード  作者: 奈久遠
Ep.9 竜と竜
133/143

Double Dragon 20

「そういうことなのか? 初めからこれが狙いなのだとしたら、こんなの誰にも防げない」


 一つの結論に到達した俺はキーグラスを外し、やや熱を孕んだ目頭を軽く揉んだ。

 キーグラスを外した状態で見るエアロディスプレイは雪の結晶のホログラフとなって俺の目に映る。これはアンシーンホロと呼ばれるホログラフ式のスクリーンセイバーだ。

 不可視アンシーンと安心を掛けた天才的なネーミングセンスは、さすが我らが誇る日本企業である。誰か止める人間はいなかったのか。

 舞い散る雪の結晶はOSデフォルトのものだが、これ以外にも桜の花びらやシャボン玉、人気のアニメキャラなど様々なホロを設定できる。ほんの二、三十年前には映画の中にしか存在しなかった3D投影技術が、こんな小さな携帯端末エアロビューの中に詰め込まれているのだから、人類の科学進歩は恐ろしい。

 いや、本当に恐ろしいのはこのサイバーテロリストだろうか。


 『アイドル・アタック』――後にそう名付けられる、それはアイイリスが仕掛けた戦争戦術だった。

 天才歌姫シフォン・アイローネのファンは世界中で数百万人いるといわれる。これがシフォンの名を知っている人数ではなく、ファン数であるというところが重要だ。

 シフォンに手を出したサイバーテロリストは、多くのファンの憎悪を買った。

 

 皆が一番大切にしているものを攻撃すること。これが第一の矢。


 愛する者シフォンのために――そんな気持ちに突き動かされる割合がファン全体の一%だったとしても、それだけで数万人の集団となる。

 数万の中にはハックに対するカウンターハック、痕跡調査、アクセス追跡のハードスキル保持者、パーソナル分析、プロファイリング、単純な情報拡散や協力者募集を行うソフトスキル保持者など、様々な高等・専門技術を持つ者が含まれていた。

 情報を交換し、データをリンクして一致団結した彼らはそれぞれの得意を活かしてた行動を開始した。

 犯罪者に鉄槌を。そんな彼らの正義の行動はネット上で大きな共感を生んだ。


「正義と言えば聞こえはいいが『悪を憎む』行動は、書いて字の通り憎悪の感情の発露だ。犯人の狙いはシフォン個人ではなく、シフォンを思う『ファン心理』。これは憎悪管制ヘイト・コントロールの手法だ」


 それが俺の到達した結論だった。

 相手の心理を標的にした攻撃は、命令系統の強固な集団に対しては効果が薄く、脆弱な集団に対しては効果が高い。

 そもそもが命令系統を持たないネット上の群集心理が標的にされたとしたらどうだろう。

 それも、相手が悪人ならどんな私刑リンチも許されるというネット上の秩序なき群集心理が狙い撃ちされたのだとしたら――

 

 個ではなく群を、それも主体なき群集心理を標的にしたそれは『対群憎悪管制クラウディング・ヘイト・コントロール』と呼ばれる全く新しい戦争戦術だった。

 

「世の中にはすごいヤツがいるものだ」


 すごい迷惑なヤツが。

 それは判然わかったが、神でも仏でもない身で世の中の全てを手のひらの上で遊ばせられると思ったら大間違いだぞ。ことネットに関しては俺も多少の自信がある。お前の目的ごとぶっ潰して、迷惑行為はよくないという、当たり前の常識を教えてやろう。

 これを全力でやるのは久しぶりだ――俺が本気を出すならば、常人が三ヶ月の調査の果てに得られる結論を一日の内に得ることができる。


 『セブン・デイズ・ウォー』四日目。


 並列思考、クロックアップ。俺は脳内で三桁目の固有認識リンカーを立ち上げた。



 ◇◇◇



 翌朝、世界中に速報が伝えられた。

 

 神に見放されし反逆者・ワーズワードは闇の獣の裔なり!

 血に飢えた獣は言葉巧みに無垢にして無知なる獣人を扇動し聖都を襲う!

 まさに愚か! 四神殿の威光陰らず! 地上の守護者たる近衛神官ロストンの活躍により三度撃退さる!

 さりとて、獣の野望潰えず! 三度全身から血を流しながらも、なお神の喉元を食い破らんと欲す!

 これなる邪智暴虐じゃちぼうぎゃくの企みは必ず除かねばならぬ!

 これは危機である!

 清浄なる神の加護受けし神官は急ぎ聖都に集え!


 風神神殿の神官が、拡声魔法でも出せないほどの大声を張り上げ、遠い聖都の状況を伝える。

 その内容に、風神神殿前に集まった民衆は風向きが変わったと感じた。

 これまでアルムトスフィリアを悪し様に罵るだけで四神殿の圧倒的優位を伝えていた神官が、今日初めて危機という言葉を使ったのだ。そして、まるで外部への助力を乞うような言葉がその後に続いた。

 四神殿の自尊心として、民衆への助力までは口にしなかったが、大陸各地に散らばる神官に集結を呼びかけたのだ。

 皆、口には出さないが聖都側が劣勢に回ったのではないかと想像を膨らませた。

 すなわち、明日はもっと面白いニュースが聞けそうだと。

 

「どうも」

「これはリュース様! 近衛神官であるあなた様がどうしてこの街に?」

「ただの小間使いですよ。転移魔法の使い手は聖庁でも希少ですので。戦況は聞かれましたでしょう。聖都へ向かう神官を集めてください。私が送り届けます」

「は、ははあっ!」

 

 近衛神官の言葉は実質の絶対命令である。

 神殿長は使えるはずの転移の魔法も忘れて、『神苑(しんえん)』へ向かい己の足で駆け出した。

 

 同日、アルトハイデルベルヒの王城に一通の書状が届いた。

 居並ぶ貴族、政務官の前で書状を携えた伝声官が声を上げた。伝声官は一般的に王宮宛の【パルミスズ・マインド・ネイ/風神伝声】 を受ける職であるが、より高位の情報伝達手段として、書状や物品そのものを物質転送するという方法がある。

 そうした場合、それを受けとるのもまた伝声官の仕事なのだ。

 

「早朝、聖都のアスレイ・ウット・リュース近衛神官より書状の転送あり! 閣下に宛てた緊急の用向きであるとのことです!」

「許す。この場で読み上げよ」

「はっ!」


 宣託会議。それは法国で三日に一度開かれる法国の最高行政機関だ。

 その議長は法国宰相オーギュスト・エイレン・ゼリドであり、法国を治める法王アルカンエイクの姿はない。

 それはいつものことであるが、ここ最近はさらにもう一名の重要人物の姿を見ない日が続いていた。

 宣託会議における発言権こそ持たないが、誰よりも国を憂い、常に真摯な瞳で宣託会議を見届けていた人物。

 フィリーナ・アルマイト・アグリアス。

 彼女のいない宣託会議は、色をなくしたようであった。

 フィリーナは今、王への不敬と反抗の罪で王城地下に幽閉されている。ゼリドのもとに届けられる書状の中には、毎日のようにフィリーナの減刑と赦免を乞う嘆願書が含まれていたが、未だその願いは叶えられていなかった。

 

「――以上であります!」


 伝声官が読み上げた書状の内容にどよめきが拡がる。

 

「四神殿が我が国に出兵を要請するだと?」

「それも五〇〇〇人規模の騎士隊というのか。バカな、大都市を一つ滅ぼせる規模だぞ。たかが獣人の集団を掃討するのに、なぜそのような数が必要になる」

「そもそも風神神殿は常に四神殿優勢を伝えておるではないか。我が国独自の調べでも、四塔の一本が破壊された以外は概ね四神殿優位の戦況だと聞いておる」

「それも反乱奴隷を使うワーズワードの卑劣な先制攻撃によるものだというではないか。わからぬ。魔法を管理する四神殿が魔法を使えぬ騎士を頼るとはどういう状況か」

「ワーズワードのう。どこから来た何者じゃ。法王様はその名をご存知あったようじゃが……」

「いうな。王のお心は誰にもわからぬ」

「そもそも、このような事態に一体何処へお隠れになっているのか」


 戦況優位であるはずの四神殿からの出兵依頼は法国としては寝耳に水である。

 そんなざわめきの中、一人の若い貴族が挙手を行い、発言が許された。

 

「良い話ではないでしょうか。獣人奴隷の標的が我が法国から四神殿に移っている今の状況は、我が国にとって好機であると思われます。春を呼ぶ革命アルムト・ス・フィーリアの拡大を抑えるために我が国が力に訴えれば、それは外部勢力介入の口実にされる可能性があります。『ラバックの惨劇』の記憶も新しい今、アルカンエイク王が動かれるような事態になることもまた悪手。しかし、聖都を戦場とし、そこで神に反逆する獣人たちを滅するとなれば、その行いには大義があります。ここで四神殿の要請を受け、革命勢力を撃滅できれば、四神殿には恩を売り、国内不安を一掃でき、なおかつ我が国を非難する国際情勢を一気にひっくり返すことができます。私はこの出兵に賛成いたします」

「「おおおっ」」


 それはまさに『対ヴァンス三国同盟』盟主ルルシス・トリエ・ルアンが危惧した通りの状況であった。四神殿への宣戦布告は、成功が約束された獣人奴隷解放の道を途絶えさせる結果になりかねない、と。

 仮に、アルムトスフィリアが勝利したとしても、四神殿の信者は大陸中に存在しており、世界中の憎悪を買うだけである。法国は戦争の決着がついた後に、同じ理論でアルムトスフィリアを攻撃することができる。

 法国にとって、アルムトスフィリアと四神殿の戦争はどちらが勝っても自国に損のないものだ。もとより四神殿の敗北を疑いはしていなかったが、ここで参戦することで更に四神殿に恩を売ることができれば、法国にとっては『双蛇の酒壺に水を注ぐ』結果となる。

 これは労なくして、大きな利益を得るという意味で使われる例えだ。

 

「そうだ、その通りだ!」

「まさに好機! ここは乗るべきでしょう!」

「ふん。若いのになかなかわかっておるではないか」

「であれば、どの騎士隊を出すのか。四神殿の要請となれば、最高の戦力で応えねばなるまい」


 発言した若い貴族を宣託会議の議員たちが口々に称賛する。

 ざわめきが収まったところで、皆の視線が最終決定権を持つゼリド宰相に向けられた。

 老齢のゼリドが椅子からゆっくりと立ち上がる。

 

「我が国と四神殿のつながりは深い。双星は共にありてこそ、輝きを共有する。神蒼、神紅、神翠、神銀の各大将は精鋭二〇〇〇を選出せよ。我が国は八〇〇〇騎をもって四神殿の要請に応える。なお、出立は三日後とする」

「「はッ!」」


 宣託会議の一員でもある騎士隊の四大将は奮い立ち、まだ閉会しないうちから副官に指示を飛ばした。

 四隊揃い踏みの出陣となれば、他に先を越される訳にはいかない。

 

「もう一つ。此度の出兵は我が国の一大事。アルカンエイク王不在の今、軍を指揮する総大将は王権を代行しうる者を立てる。その者の名は――」


 三度議事堂にどよめきが溢れる。

 ゼリドの言葉に皆が顔を輝かせた。ここ暫く暗色に沈みがちであった宣託会議に久しぶりの色が灯った。

 会心の案を出した若い貴族に、顔見知りの貴族が声をかけた。


「大手柄ではないか、ローアン男爵。卿は獣人どもにやや同情的だと思っていたが、つまらぬ誤解であったな。卿は立派な法国貴族よ」

「ありがとうございます。ですが、これもゼリド閣下のご英断あってこそです」

 

 若い貴族――ワルター・ルッツ・ローアンの手首には水晶玉をあしらったアクセサリが巻かれていた。



 ◇◇◇



 聖都近隣『アルムトスフィリア防衛拠点』。

 

 眼前に三〇〇〇を超える人間が並ぶ姿は壮観だ。こうして壇上から見る表情の中に一抹の不安が含まれているのは、昨日の本部テントが吹っ飛んだ事件のせいだろう。四神殿への『アイドル・アタック』を一時的に中断して、こうして皆を集めたのは、その不安を払拭するためである。

 人の感情は熱しやすく冷めやすい。ネットのような閉鎖空間であれば、その熱は何年にも渡って維持されるが物理の世界でこの戦争戦術を実現しようする場合、それは継続的な努力が必要となる。

 相手が一番誇りに思っている尖塔を叩き折ったり、聖都周辺の美麗な石畳を荒らしたり、夜間鳴兵めいへいを使って聖都の安眠を妨げたり、獣人種族の崇拝する水神イサナウオの像を作ってみたり。

 アスレイが疑問を呈した尖塔破壊も、あと三本を残していることで、もう三回ヘイトを稼げると考えてのことである。一度の四本全てを破壊すれば、憎悪感情は一時的に最高値を記録するだろうが、時間経過とともに冷めてしまう。

 熱しすぎず冷え切らせず。重要なのは憎悪ヘイトの継続だ。


 うん、やっぱあの女(I.I.)性格悪いわ。

 

 アイツ絶対友達いな――いや、この話題はここでやめておこう。俺にもブーメランがぶっ刺さる。


 ワルターもうまくやっているようだし、俺ももう少し頑張るとしよう。

 うまくいけば、三日後か。

 

 拠点中央に位置するなだらかな丘の斜面の一部を加工してステージ化させた広場。

 毎日の号令や訓示はエテ公にまかせているので、俺が皆の前に立つのは久しぶりである。

 以前にここに立ったときには、シャワーは毎日浴びましょう、トイレは決まった場所で、人とすれ違うときには会釈、など集団行動の基本の話をしたんだっけか。ここは幼稚園なのかな?

 俺自身が法を破る犯罪者サイドの人間なのでそのあたりをうるさくいうつもりもなく、『悪いことをしたら晩飯抜き』という拘束力皆無の罰則くらいしか設定しなかったのだが、今のところ、初日に数人の罰則者を出したくらいでその後主だった問題は発生していなかった。これだけの人数が集まれば、中には手癖の悪いヤツや無法なヤツも含まれると思うのだが、信じられないほどの秩序である。

 きっと、仲間の解放、獣人種族全体の地位向上という大きな目的が彼らの中に規律を生んだのだろう。大きな目的のためならば、個の欲望を抑えられる強靭な意思。それを持っている獣人種族は蔑むどころか尊敬すべき種族であるのかもしれない。……とまあ、それが昨日までの話。

 ともあれ壇上に立った俺は、後ろずさりで逃げようとするローブ男の首根っこを捕まえたまま、拡声魔法を発動した。

 

「皆、おはよう」

「「おはようございますッッ!!」」


 三〇〇〇を超える声が衝撃波となって俺の身体をビリビリと震わせる。

 拠点防衛は二八時間三交代勤務なので、全員が一つ所に集うことはない。


「今日は皆に一人の人物を紹介しようと思う。昨日の作戦本部爆発事件の犯人だ」

「「ブーブー!!」」

 

 言った途端、威嚇に近いブーイングが巻き起こる。

 断頭台に送られる犯罪者には、こんな感じの眼差しが向けられるのだろうか。


「あの野郎、許せねぇ……ッ」

「ホント、ホント!」


 最前線に立つリスト、ダスカーですらこの有様だ。

 タリオンは静かに瞳を閉じているが、その内心には多少のくすぶりがあるようにみえる。

 

「あのー。こういうのは困るのですけどー」


 ローブ男がなんというか気の抜けた抗議を口にした。

 それを黙殺して、俺は言葉を続けた。


「それを踏まえた上で、今後の彼の処遇について皆に話しておく」



 ◇◇◇

 

 

 それは昨夜のこと。


「テメェが――テメェがそう・・なのかッッ」


 そんなパレイドパグの言葉の真意は、皆には判然わからなかっただろう。だが、俺には――俺にだけは明確に理解できた。

 赤い熱線――パレイドパグがランダムに発動した【カグナズ・ヒートレイ/火神熱視線】が男に向け放たれる。この魔法には貫通力があるので、このままではタリオンとチウチウさんも一緒に昇天確実だ。

 

「えっと、なんのことかわかりませんがそれはちょっと危ないので相殺しますねー」


 男がなんとも緩い声を発する。

 フードの下にキラリと光るものがあった。丸い二つの円。丸い……メガネか?

 男の手がパチンと叩き合わされた。

 赤い魔法の発動光。【火神熱視線】だ。それが男の側から放たれた。【コール/詠唱】もなしに――とは驚くまい。理論上、魔法の発動に詠唱が必要ないことは既に俺が確認している。俺にできることなら、他の誰かにもできるだろう。

 互いの魔法がぶつかり合い、衝撃の余波が火花となってテント内に弾ける。

 ちょ、危ないわ。


「てめェ、やりやがったなッ、ブッ殺す!」

「待て、パレイドパグ」


 だが、頭に血が上った駄犬に俺の声は届いていない。

 こうなった駄犬はもう言葉では止められない。となれば、切り札の一つを切って実力行使で仲裁するしかないか。

 タリオンはともかくチウチウさんを失うわけにはいかない。食の安全的な意味で。

 最速発動。遠隔詠唱リモート・コール、【グロウルズ・アダマン・シェル/神鼈甲】。

 それは源素図形の構築時間すら必要としない、瞬時の魔法発動だった。

 

 ギギギギン――ッッ

 

 二人の間に三層の湾曲した亀甲型魔法障壁が出現する。

 

 これは神鼈グロウル――眷属神と呼ばれる巨大な生物が使った魔法だ。命名は適当。

 積層構造の障壁があらゆる攻撃を受け止め、取り込み、跳ね返す。色々試したが、俺の手持ちにこれを破れる魔法はなかった。【フォックスファイア/狐火】の上位進化魔法【ラクーンバースト/狸爆破】の破壊力でも貫通できないとなれば、その防御性能は頂点に近い。

 その分源素図形が複雑であり、本来であれば図形構築にそれなりの時間がかかる魔法だが、それを見越して事前に作っておけば、あとは任意のタイミングで発動できる。

 俺自身を原点とした空間座標のY軸マイナス座標上、すなわち地中に隠していた源素図形を遠隔詠唱したのだ。

 もちろん【アンク・サンブルス・アンリミテッド/孵らぬ卵・限定解除版】であれば、魔法の発動それ自体を阻害できるが、あの魔法には『存在固定』の効果があるため、事前に源素図形を作ったとしたら、その場所から動かすことができない。逆に言えば【孵らぬ卵・限定解除版】以外の魔法であれば、事前にストックを作っておくことができるのだ。

 夜間に発生する精神活動の断絶――ノンレムの深い眠りに入ると源素図形のつながりが解除されてしまうので、ストックしておける時間は朝起きてから夜寝るまで。毎朝使うか使わないか判然らない魔法を組み上げて、地中に隠すという地味な作業がこうして役立つことがある。

 魔法の甲羅が赤い光線を受け止めた。あとは跳ね返す方向を制御して、被害のない方に流してやれば――


「あ、反射系の防御魔法ですか。じゃあ、こうしてっと」


 なに?

 フードの男が不意に魔法の軌道を変えた。

 無害な方向に流すはずの熱線魔法が想定外の方向に跳ね返る。

 無詠唱で発動した眷属神の魔法効果を瞬時に理解した上、対応しただと?

 俺の驚きはともかく、フード男がいらんことをしたせいで熱線は下方向に折れ曲がり、絨毯を焼いて地面を沸騰させた。

 ニアヴが叫ぶ。

 

「まずいっ、全員、退避じゃ!」

 

 ゴッ――!!

 

 エテ公が切り裂いたテントの裂け目から全員が急ぎ飛び出す。と同時に、作戦本部テントが吹き飛んだ。

 

「や、やりやがったなッ!?」

「やりやがったのはお前だ、馬鹿犬」

「ふぎゃー!」

 

 とりあえず駄犬はアイアンクローで締めておく。


「うふふっ、やっぱりワーズワードといると退屈しないわねっ」

「俺が元凶のようにいうな、不本意な」

「まあっ、それってシノヅカ・クラインちゃんの決めセリフね!」

「それをいうなら『不本意ですが』だろ」


 くだらないリゼルのボケについていけてしまうことがある意味一番不本意だ。

 で、あとはあっちか。


「おまえ、なんてことするでち!」

「すいませんー。僕なりにこうなるのを回避しようとしたんですけど、彼も同じ考えだったようで結果として悪い方にいってしまったようで」

「なに意味のわからないことを言ってるでち。それより、おっしょーさんの前で失礼ち! その野暮ったいフードをとっとと外すでち!」

「あっ、やめてください」

 

 さっき見せた怯えはどこへやら。肝っ玉かあチウチウさんが男のフードを強引に剥ぎ取った。

 フードの下から現れる青い髪と長い耳。そして、丸メガネ。それ以外は特徴の薄い若い男だった。


「見ろ、パレイドパグ」

「いたた……クソが、何を見ろってンだ。アタシはてめェのために……はあ、青髪、それに耳が長いだァ!?」

「そうだ。これでわかったろう、こいつはディールダームではない。お前の勘違いだ」

 

 駄犬の勘違いの理由はフードの男が身に纏う源素光量にあった。それが俺だけに理解できるパレイドパグ豹変の意味。

 たとえば俺を含む地球からの転位者が身に纏う源素光量はおよそ一〇〇カンデラ。この世界の一般人の源素光量は一カンデラ以下でミリの世界。濬獣ルーヴァを別にすれば、魔法を使える神官や魔法使いでも五カンデラを超えることはない。少なくとも俺は見たことがない。

 しかし、目の前の男は俺達と同じ一〇〇カンデラ相当の輝きを放っていたのだ。

 

 アルカンエイクが呼び寄せた『エネミーズ』はDJLPの四人。ジャンジャックの姿は判明済みで、リズロット(の中身)はここにいる。さすがにアルカンエイク本人ではないだろうと想定すれば、フードの中身はただ一人に限られる。

 

 ――ディールダーム。

 

 遂に実力未知数の『エネミーズ4』が俺の生命を刈り取るために現れたのだと、そうパレイドパグが勘違いしてなにかおかしかろう。

 パルメラ治丘での不覚を繰り返すくらいであれば、とりあえず先手必勝で殺しておく方が問題が少ない。そこまではいい。俺もそう思う。

 だが、先制排除に動く前にもう一つだけ確認して欲しかった。

 実際俺の身体も動きかけたが、同時に俺の視界内にはリゼルがいた。

 ディールダームの生身を知るはずのリゼルであれば、男の声が聞こえた段階で何かしらの反応を見せたはずだ。この襲撃が事前に打合せていたものだとしても、それなりの動きがあるはずである。

 だが、リゼルは特別な反応を見せなかった。故に俺はその可能性を否定した。

 なにより、ディールダームが俺の前に姿を現すならば、こうではないだろう。ネット上の人物像をもとにした断定は危険であるが、それでもディールダームはそういう人物ではない。俺の思うディールダームは、独裁国家キラーとまで呼ばれたテロリストはこういう小細工をする人間ではないはずだ。

 フードが剥がれたことで、その考えが肯定された。

 地球人類の中にこのような青い髪と長い耳を持った人間は存在しない。故に目の前の人物がディールダームであるはずはない。

 となれば、残る可能性は一つだけだ。

 

「ディールダームじゃねェなら、コイツは一体誰なんだよ!?」


 地球からの転移者ではない人間が俺達に匹敵する源素光量を持っている。

 その条件に一致する人物。これ以上の説明は不要だろう。

 

「答えは一つ。こいつは『ティンカーベル』だ」


 それも未使用の。

 


 ◇◇◇



「違うよ。先輩はティンカーベルなんて名前じゃなくて、ウォルレイン・ストラウフト先輩っていうの」


 そう口を挟んできたのはセスリナである。


「いや、ティンカーベルというのは名前ではなくだな。……先輩?」

「そうなの、先輩は帝学の先輩なの」

「あのー、マーズリーさん。その辺は秘密の話でして」

「そうなの? ごめんね、先輩」

「いえいえ。わかっていただければいいんです」


 いいのか?

 なんというかゆるい先輩と後輩だな。

 セスリナの説明は一切説明になっていないが、ウォルレイン・ストラウフトという名前には聞き覚えがあった。

 そう確か、聖国ウルターヴの――

 

「そ、そうだぜ! 聖国の帝宮最高魔法師ウォルレイン・ストラウフトっていやぁ、一〇〇年に一人の天才って話だ。そいつが近衛神官を追っ払って、俺たちを助けてくれたんだよ!」

「そうそう! それにセスリナサンの先輩だっていうしさ。絶対いい人だよ!」


 ダスカーとリストが被せるように必死の弁解をする。

 それは先ほどのパレイドパグの苛烈な反応に対してのものか。その誤解はもう解けたわけだが、基本的に俺と駄犬にしか理解できないやり取りだったしな。

 そういう話はこうなる前に言ってほしかった。

 吹き飛んたテントの一部が火の粉を散らして風に乗る。見晴らしの良い丘の上での出来事でもあり、ちょっとした花火を打ち上げたかのような煌めきが夕闇の空に輝いていた。

 それを見た拠点防衛の兵士が凄まじい勢いで斜面を駆け上がってくる。


「敵襲ーー、敵襲ーーッッ」


 まあそうなるわな。

 彼らからすれば重要人物が集まる本部テントに奇襲があったと思って仕方ない状況だ。これまであまり出番のなかった防衛部隊であるが、このくらいの対応速度であれば及第点だ。

 偶発的事態ではあるが、拠点防衛機能が有効に働いていることが確認できたな。レオニードは仕事のできる男である。

 さて、あとはコイツだな。


「なんとなくの事情は理解した。皆を代表して感謝する。ところで、今の話だと近衛神官を追い払っただけのように聞こえたが、それはお前より近衛神官の能力の方が上だということか」


 見た感じ年下っぽいし、本人も正体を隠したいらしいので言葉遣いはこんなもんでいいか。

 先ほどの駄犬との刹那の攻防と俺の遠隔詠唱への即対応を見れば、目の前の青年がトップクラスの使い手に間違いない。異界の住人をこの地に導くティンカーベルという特異な体質を持っていても、魔法を使いこなせるか否かは本人の資質によるところが大きい。

 同じティンカーベルでもシャルは魔法を使えないわけで。

 なんにしても『帝宮最高魔法師』をして近衛神官を倒しきれないのだとすれば、今度は近衛神官に対する評価を見直さなければいけなくなる。

 青年が頭を掻きながら質問に答える。


「えっと、はあ。どうでしょう、あちらの油断もあったと思いますので。こちらも本気ではありませんでしたし」

「近衛神官相手に本気を出さなかったと?」

「よくわかりませんでしたので」

「相手の能力がか」

「あ、いえ。わからなかったというのはワーズワードさんの考えがです。開戦当初から近くで戦場の動きを見ていたのですが、ワーズワードさんは囮と挑発を組み合わせた遅滞戦術をとっていますよね?」

「……」


 デコイ遅滞ディレイ

 ……そうだ、それが『アイドル・アタック』と『アイソバリック・ディフェンス』の本質だ。

 

「それはわかったのですけど、このあとがわからなかったもので。えっと、これは秘密のことなのですが、僕はある人にワーズワードさんを陰から助けるよう断れないお願いをされていまして。助けるつもりが逆に邪魔をすることになっては本末転倒かなあと」

「……」


 神官が遥か見下す獣人が相手であれば、多少の戦力差、戦場での不利があったとしても、神官のプライドとしてその憎悪は攻勢に向く。結果、戦線は維持され状況は遅滞する。

 だがもし一対一の対決で四神殿の最大戦力である近衛神官を破ったとなれば、それは憎悪を超えて恐怖となる。

 兵は逃亡し、戦況を維持できなくなった四神殿からの聖都の放棄や停戦の申し入れ、全面降伏といった状況もありえるだろう。

 それではだめなのだ。


「えっと、多分ですけど近衛神官を倒してしまうような、そういう大きな動きはだめなんですよね?」


 ……何だこいつは。

 野暮ったい外見と腰の低い受け答えからなんとも凡庸な印象を受ける青年だが、その中身は非凡を通り越して異常。アスレイの才が鞘の内に必殺の刃を隠す抜き打ちの一刀だとすれば、ウォルレインのそれは見た目ただの鉄の塊でありながら目の前の全てを破壊する鉄槌の一撃だ。

 初対面でこれだけの衝撃を受ける相手は、いつぶりだろうか。アルカンエイク、バイゼルバンクス、コメットクールー。脳内にいくつか思い浮かぶ名前はどれも世界規模のネームバリューを持つ人間ばかりである。

 帝宮最高魔法師だとかティンカーベル(未使用)だとか。そんな表層はこの青年を語る上では些細な装飾でしかないのではないだろうか。ウォルレイン・ストラウフトという人物の本質は、もっと深い部分にある――俺にそう思わせるだけの何かが、目の前の青年にはあった。


「そうだ。結果から言えば、お前の行動は考えうる最善のものだ」

「あ、それならよかったです。僕も怒られなくて済みます」


 本当にほっと胸をなでおろすようにいう青年。

 簡単に言うな。やろうと思ってもそうそうできることではないんだぞ。


 しかし、これはどんな偶然か。あるいは必然か。

 法国のワルター・ルッツ・ローアン、四神殿のアスレイ・ウット・リュース、そして聖国のウォルレイン・ストラウフト。

 この世界に生まれた若い才能が俺の前に続々と現れる。

 所属する陣営こそ異なるが、皆大きな可能性を秘めた人物だ。そんな彼らが聖都シジマに集う意味は大きい。

 人の持つ『可能性』の力――それは世界を変える大きな力であるのだから。

 

 とはいえ、驚かされてばかりでは格好がつかないな。

 一つくらいはお返しをしておこう。

 

「ね、ね。先輩ってすごいでしょー」

「なんでお前が自慢するんだ。まあ確かに言うとおりなんだが。ところで、いい眼鏡だな」

「あ、はい、ありがとうございます。周りからはどちらかというと不評なのですが」

「良いと思うぞ。水晶で作ったレンズなんて、なかなかいい趣味じゃないか」

「あー、そういう。……はあ」

「先輩?」


 言葉に詰まり、困ったように頭をかく青年。

 まんまるいレンズで中央に厚みを持つメガネ。メガネレンズといえば強化プラスチックが主流だが、昔はガラス製が主流であったわけで、更に古代の皇帝ネロはエメラルドのレンズで剣闘士の戦いを観戦したという。

 水晶レンズの中でくるくると回る源素の図形。

 俺がかければ源素が視界を邪魔するだけの代物であるが、源素を見ることのできないこの世界の住人であれば、視力矯正の他にも何かしらの効果を得られるのかもしれない。

 

「これはできれば、秘密にしてもらえませんか? 隠したいわけではないのですけど、これを取り上げられてしまうと、何も見えなくなってしまいますので」

「いいぞ。その代わり――」


 与えよ、さすれば与えられん。

 そう、これは対等な交換条件のもとでの交渉である。



 ◇◇◇



「今後の彼の処遇について皆に話しておく。今後、彼には俺の右腕として働いてもらう。直接兵を指揮することはないが、拠点内で見かけてもレオニードに通報しないように」


 突然の発表にどよめきが沸き起こる。

 本部爆破の犯人に罰を与えないどころかアルムトスフィリアの中枢に置こうというのだから、こういった反応も仕方ないだろう。


「アニキ! そりゃあソイツはスゲー奴だけど、アニキの右腕ってんなら、剣の腕をもつ俺の方が役に立ってみせるぜ!」

「……コホン。わたくしにおまかせいただければ、最強の盾になれまするが」

「そうだよ! ワーズワードサンの右腕って、そんなのいちばん大事な紗群アルマってことじゃないか! ずっと一緒に頑張ってきたボクを差し置いてズルいよ! ボクまだ紗群にもしてもらってないのに!」


 三者三様の不服の言葉は、ウォルレインの扱いに対するものである。

 いや、アルマにしたつもりなんてないし。ただ、ウォルレインがいくら高性能でも中立グリーンユニットでは扱いづらい。どうせなら味方ブルーユニットになってもらおうという判断をしただけだ。放っておいてもそれなりの働きはしてくれるだろうが、裏で動かれるより俺が直接指示をしたほうが有効活用できる。

 何をさっきからウォルレインを睨みつけているのかと思ったら、そんなこと考えてたのか。お前らにはお前らの適正があるんだから、俺の右腕なんて胡散臭いものに立候補せんでもいいだろうに。

 ウォルレインの正体は当然秘密であるが、写真もテレビもインターネットもない世界である。セスリナというイレギュラーがいなければ、こんな平凡かつどこにでもいそうな青年が聖国の最高帝宮魔法師であると気付ける者などいるはずがない。自分から言わない限り、誰も気付かないだろう。下手に隠して探られるより、適当に公表したほうが良い情報もあるのだ。

 でもって、彼の正体を知っているのは作戦本部に出入りする指揮官級メンバを外せばチウチウさんだけ。チウチウさんは信頼できる人物なので問題ない。

 どよめきの収まりを待たず、俺はもう一件の議題に入ることにした。

 

「もう一つ、皆に話がある。チウチウさん、よろしく」

「はいでち」


 小さい体をチョコチョコと動かして壇上に上がってくるチウチウさん。


「「うおーーッッ!」」


 チウチウさんの登場にウォルレインの存在を忘れたかのようにヒートアップする獣人くんたち。

 みんなチウチウさんが大好きなのだ。チウチウさんは毎日美味しい食事を作ってくれるみんなのおっかさんである。

 かわりにウォルレインが逃げるように下がっていくが、もう既に彼の存在は誰の目にも映っていない。【マルセイオズ・アフォーティック・ゾーン/水神黒水陣】の魔法効果は働いていないはずなんだがな……

 

「おまえたち! おまえたちに話があるでち!」

「なんだ、今日の晩飯の話か?」

「チウチウさんの作るものなら、なんでも食うぞー!」

「チウチウさーんッ、俺の紗群になってくれーッ」


 おまえら好き勝手か。

 統制のない集団であるが、もともと職業軍人でないどころが奴隷上がりのヤツらが大半なのでこの程度で小言は言わない。問題はそっちではない。昨夜、なんでチウチウさんが作戦本部に来ていたのかというのはこの後の話が本題である。

 俺がアイコンタクトを送ると、チウチウさんが頷いて話を進めた。

 

「これを見るでち」

 

 そうして、チウチウさんはキラリと銀色に光る物体を頭上に掲げた。

 それは食堂で使っているスプーンだ。

 それがどうしたというのか? 察した層が視線をそらした。

 

「おまえたち、銀色で綺麗だからって何個も何個もスプーンを盗むんじゃないでち!」


 視線をそらす者。尻尾をだらりと下げる者。耳を伏せる者。表現は様々だが、まあこのわかりやすさが獣人の特徴でもある。

 その数、ぱっと見渡しただけでも二割を越えている。……予想以上に多いな。


「あー、前にも同じことを言ったと思うが、これは銀色をしているが銀ではない。錆びにくい特性を持つただの鉄の合金だ。高いものではないので、持って帰っても金にはならん。食事が終わったらちゃんと食堂に返すように」


 別にスプーンの不足くらい俺がまた作ればいいんだが、こんなこと如きで俺に申し訳なさそうに謝ってくるチウチウさんがかわいそうなので、一応全員に注意をしておくことにしたのだ。


「あんなきれいな銀色でしかも錆びないスプーンなんて、むしろ銀より高く売れるだろ……」

「そうだよな……」

「ちちう! 今言ったの誰でち、怒らないから手を挙げるでち!」

 

 どこかから聞こえてきたつぶやきにチウチウさんが反応する。絶対怒るつもりだ。

 そういえば、この世界ではステンレスは流通していないどころか、まだ発明されてもいないのか。そこの点は多少の認識の差があったかもしれない。

 まあそれはそれとして、ルール違反に対しては罰則がないと集団行動の規律は守られない。

 個人特定できない規模の違反であれば、それはもう連帯責任である。


「とりあえずだ。これは集団行動における意識の問題だ。綺麗だから欲しい。隣がやっているから俺も。誰が悪いというのではなく、そういう意識自体を全員で正してほしい。ということで、はい、チウチウさん」


 これから全員に下される罰則を予見してか、すでに一部の獣人くんは絶望の表情をみせていた。

 チウチウさんが冷厳に言い放つ。


「おまえたち、今日は全員晩御飯抜きでち!」

「「うわああああああ~~ッッ!!!」」


 それはもう、絶叫というより断末魔だった。

 朝の訓示はこんなものだな。

 『セブン・デイズ・ウォー』四日目、今日も一日張り切って行こう。

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