Double Dragon 18
ちちう。生きることは食べることでち。
汚水に塗れたパンでも腐った果実でも、食べられるなら生きられる。
生ゴミの中にまだ味のある鶏ガラを見つけたときの喜びに勝るものはない。
それが、ここではどうでち――
防衛拠点の一角、目の前には、柔らかく掘り返された地面が広がっている。
赤い土をむき出しにして、四角い一角。
歌うような声が聞こえた。
「るらら♪ ――季節よ巡れ、巡って育て『トリニティ・スライド・イン・フォール』♪」
声に合わせて小さなナイフが振るわれる。
するとどうだろう、目の前の赤い土の地面の上に大きな変化が生まれたではないか。
何かの種子が芽吹き、茎を伸ばし、葉を広げ、白い花が咲く。
アルムトスフィリア――『春を呼ぶ革命』の演説で広く使われる百花繚乱の花を咲かせる偉大な魔法道具だ。
コマンドワードが少し異なるのはワーズワードがそのように設定したからだろう。
と、次の瞬間、はらりと花が散った。
折角美しく開花したというのに、なんという儚さだ。
だがこれは儚いだけの魔法ではない。花が散った後には、実が残るのだから。
同胞たちがわっと歓声を上げて、『畑』の中へ走り込む。
『植物を生長させるだけであれば四神殿の使う魔法の中にも存在する。故に、春を超えて秋を呼ぶ調律は難しいものではなかった。難しかったのは生やす植物、つまり野菜の種類の方だ。トウシャやスィーピアはきれいだが食べられない。蓮が咲く水辺がいつもあるとは限らない。トライアンドエラーを繰り返し、完成させたのがこの魔法道具だ」
意味はわからないけれど、おっしょーさんはそんなことを言っていたでち。
もちろん、わからなくても関係ない。私はみんなに負けないように畑の中に走り込む。赤々と育ったアニーニをもぎ取り、カゴの中に放り込む。大きく開いたゴジルの葉は根本からぶっちりと。黄色く熟れた南瓜は私の一番の好物でち。
お芋があって、人参があって。それもたくさん! たっくさん!
戦場で戦う同胞全員の胃袋を満たしてなおあまりある食材がこんなに簡単に収穫できる。魔法ってなんて素晴らしいのでち。
野菜の収穫が終われば、そこからが私の本当の出番。神官と戦う力はないけれど、かわりにこの私、ミーネ・チウチウが料理の腕でみんなを支えるのでちちう!
◇◇◇
「……」
目深に被ったフードの下で、きょろきょろと周囲を窺う怪しい格好の人物がいた。
人の接近に気づき、近くの茂みに姿を隠す。
「ごはん、ごはん、ごっはんだよー!」
「リスト様、はしたのうございますよ」
「いいじゃん。ごはんは今日一日の楽しみだよ。ここのごはん、おいしいんだもん!」
「そうではございますが、皆の目のある中、豹王家が軽んじられることがあってはなりません」
「もー、タリオンってば、堅いなあ」
フードの人物は息を潜めて二人が通り過ぎるのを待つ。
談笑する二人が自分に気づいた様子はない。
ほっと胸をなでおろし、茂みから出る。
「とおっ!」
「ひゃわわんっ」
そこで、突然背中に飛びかかられた。
思わずみっともない声を上げる、フードの人物。
後ろを振り返った拍子に頭にかぶったフードが脱げ、青い髪がこぼれ落ちた。
「にゃははー。セスリナサン、見っけ!」
「リストちゃん、や~め~て~!」
コソコソと行動するフードの人物の中身はセスリナ・アル・マーズリーだった。
背中からぐいぐいと引っ張られるフードをおさえる。
聖都そばに築かれたアルムトスフィリア防衛拠点の中で、セスリナはこそこそと暮らしていた。
「ボーレフが守ってるんだからそんなに隠れなくてもここは安全だよ、セスリナサン」
「だめぇぇぇ。あのね、魔法って怖いんだよ、リストちゃん。神官さんが直接入ってこなくても、魔法で中のこと色々調べられるの。私がいるの、知られるわけにはいかないんだよぅ」
セスリナは『北の聖国』の伯爵家令嬢にして、火神神殿に属する魔法使いである。
もしセスリナが――聖国貴族が――聖都攻めのアルムトスフィリア陣中にいることが知られれば、聖国が四神殿に敵対しているととられても仕方ない。
革命の勢いに乗る獣人解放運動が獣人を認めない四神殿の聖都を包囲した、だけならある意味で誰の耳にも受け入れられ易い大義名分だ。だが、その中に大国に属する人間が含まれているという事実が知られれば、状況は一気に複雑化し、ヘタとすると大陸全土を巻き込む大戦争に発展しかねない。
「帝学を卒業してラスケイオンに入ったのに、ここに私がいるの見つかって火神神殿から破門されちゃったら、絶対お兄ちゃんに怒られる」
セスリナの行動原理は、そこまで深い懸念に基づいたものではなかったが、問題を大きくしないという意味で結果的に正しかった。
セスリナにのしかかって遊んでいたリストがひらりと地面に降りる。
「ボクは一人っ子だからお兄ちゃんの怖さとかよくわからないや。とりあえずごはんの時間だよ。一緒に行こうよ!」
「うん、でももうフードは引っ張らないでね」
「はーい!」
わかっているのかいないのかわからない元気な返事を返すリスト。
二人を見守るタリオンの瞳にキラリと輝くものが流れる。
「聖国伯爵家の姫君と我が豹王家の姫様がこのように仲睦まじく……アルムトスフィリアの向かう先、望む未来の姿がここにある」
「なに泣いてるのさ。先に行っちゃうよ~」
「タリオンさん、行こーよー」
「は……すぐに」
◇◇◇
「うっっっめぇ!」
「はふはふ。野菜とひものスープ、うますぎるだろ」
「ズズ……ただの白いひもがなんでこんなに美味しいんだ」
「今日のれぴしはうどんという料理でち。小麦を捏ねて伸ばして切ったひもなので食べられるのでち」
「小麦ってパンにするやつだろ。それがこんな風になっちまうのか」
「こんなうまい料理が毎日食えたら幸せだよなあ。そうだチウチウさん、この戦いが終わったら俺の紗群になってくれよッ」
「やでち」
「そんなー!」
「はやくそこをどくでち。はーい、まだ受け取ってない人はちゃんと一列に並んで。並ばないと食べられないよ!」
「「おー!」」
並ぶというルールもまた、ワーズワードが定めたものである。
およそ並ぶルールを食事を紐付けることで浸透させることに成功させたのだ。
大鍋の中にはとれたて野菜が煮込まれたスープがあり、茹でたうどんの上に様々な野菜を煮込んだスープを注ぐ。最後に焼いた肉を一切れ加えれば『たっぷり野菜の温うどん』完成だ。
加えて、蒸したじゃがいもが一人二個まで。冷えた水は飲み放題である。
通常、戦場での食事は配給部隊から食材と鍋を受け取り、小隊単位で調理を行う。
この世界での小隊は八人一組。配給される食材は少なく、全員の腹を満たすことはできない。そのため、水増しするのが一般的だ。
水増しとは読んで字のごとく鍋に大量の水を張って食材を煮込むことをいう。そうしてできるものは、具が少なくて味の薄いスープである。唯一温かいことだけが評価できるような代物だ。
水増しスープに堅いパンをひたして食べる。味わうものというより、辛うじて体力をつなぐためだけの食事。まずい料理を指して『粘土を喰むような』とは戦場での食事風景から生まれた言葉だ。
それに比べてここアルムトスフィリア防衛拠点の食事は天国であろう。
正式に宣戦布告が出された後、聖都近辺の丘に獣人たちが拠点を築きはじめても四神殿が先制して動くことはなかった。所詮獣人と侮り、遠目に見える拠点構築の様子を自分たちに関係ない何かのイベントの準備であるかのように眺めていただけだった。
そのおかげでワーズワードは安全に戦争準備を整えることができた。
パンを焼くための小麦は四〇〇〇人がゆうに一ヶ月は食べられる量が積み上げられ、干し肉や干し魚、砂糖・塩の調味料にも不足はない。
加えて新鮮な野菜が毎日畑から収穫できる。これはワーズワードが興味本位で調律した魔法道具のおかげなので、実質無料である。
鍋や食器も必要分が揃えられ、設置型の大きな窯ではほかほかのパンが毎朝焼かれる。
毎日の献立はどれも栄養バランスが考慮された上に、二日として同じものが続かない。
戦場での食事だというのに、ここでは食材を配給するのではなく専門の料理人が全員分の食事を作ってくれるため、味が良い上に自分で料理をしなくてすむ。具だくさんで味が濃い。食べたことのない料理は珍しく、それでいて単純においしい。
特に夕食は豪華であり、戦争の苦痛などこの食事の前では一瞬で吹き飛んでしまう。初日に出された『野菜と干し肉のピザ』には皆魅了され、用意された二〇〇〇枚のLLサイズピザは一瞬で売り切れた。
明日の夕食を食べるまでは死ねない。戦争の行方などそっちのけで、そんな考えが皆の士気の源泉になっているほどであった。
「今日はうどんかー。ボクらの旅の中でも一回作ったよね。みんなで小麦粉をこねこねして、楽しかったなあ」
「ねー。小麦粉があんなひもになるなんて、面白いよね」
「だよね。あ、ボク、こっちの列に並ぶね」
「じゃあ、私はこっち。あとで合流して一緒に食べよ?」
「うんっ」
一度に千人単位で人が押しかける配給所では二本の列が作られる。
配給所では位の上下はない。到着順に左右に別れて並んでゆく。誰であっても公平に並ばなくてはいけない。
竜国からきた軍人の中には、助けに来てやっているのだという見下した考えを持つ者もいたが、列への横入りにご飯抜きという恐ろしい罰がくだされて以降、列を乱すものはいなくなった。
並ぶ文化とは、いわゆる民度や教養の高低とはあまり関係がない。春秋の名臣、管夷吾曰く『倉廩満ちて礼節を知る』の格言の通り、物資が満ちているという心の余裕から発生するものなのだ。
明日の分も明後日の分も、食材は山と積み上げられている。ワーズワードは不要なほど穀物蔵(倉廩)を満ちさせることで、それを実現させたのである。
単にルールを強いるだけではなく、ルールを守る側の心の環境づくりをしているからこそ、皆も強制されているという意識を感じることなく、ルールに従うことができるのだ。
「姫様! かんばってる姫様にはおまけでち!」
「だめだよ、ミーネ。ボクだけ特別扱いは」
「ご立派でございます、姫様」
「だから、ちょっとだけね?」
「はいでち!」
「姫様……わたくしの感動をお返しいただけますか」
「タリオン、うるさい。そうだ、タリオンの分はお肉入れなくていいから、ボクにちょうだい」
「了解でち!」
「姫様!」
全て丸聞こえの会話である。兵の皆が声を上げて笑いあう。リストもまた皆に愛される王家の娘だった。
自分の分の晩御飯を受け取ったリストとタリオンがセスリナを探す。
配給所には机と椅子も並べられているが、兵士たちは地べたに座ったり、手頃な岩によじ登ったりと思い思いの場所で食事を楽しんでいる。
獣人はいつもと同じ食べ慣れた地面がよかったり、高いところの方が安心したりするので、さすがのワーズワードも食べる場所までは強制しなかった。
「セスリナサン、どこに行ったのかなー?」
「あそこにおられますね」
見つけたのは背の高いタリオンである。また頭からフードを被ってうどんを啜っていた。
「先に食べ始めておられるようですね」
「もー、一緒に食べようって言ったのに。タリオン、ちょっとこれ持ってて」
「はい」
タリオンに盆を任せたリストが後ろからこっそりセスリナに近づく。
「とおっ!」
そして、先ほどと同じように背中から飛びかかった。
「にゃははー。セスリナサン、また見っけ!」
「ぼふっ」
「リストちゃ~ん。私はここだよー」
「ふえ?」
振り向いたリストが見たのは、タリオンと合流して歩いてくるセスリナの姿だった。
「あれ、じゃあこの人は?」
フードがずり落ちるとともに、その下の青い髪が露わになる。
獣の耳がないということは人族である。この拠点内にいる青い髪の人間といえば、僅か三名に絞られるのだが――
「ごほっ、ごほっ」
飛びかかられた衝撃でむせる謎の人物が振り向いた。男性だ。
その顔にキラリと光るもの。男性はこの世界では珍しいメガネをかけていた。
「あのー、すみません。どいていただけますか」
「ア、ハイ。ごめんなさい」
ぴょんと背中から飛びおりるリスト。
「リスト様!」
「にゃはは。うっかり人違いしちゃったよ」
「もー、リストちゃんってば。私、先に一人で食べたりしないよう」
ぽてぽてと歩み寄るセスリナの足が止まった。
フードの男性と目が合う。
「あ」
「あ」
それは、どちらが先でもない同時の呟き。二人ともに思わず漏れた出たものだった。
そっとフードをかぶり直す男性。大きく目を見張るセスリナ。
「あーーーー!」
セスリナの手から離れた盆が空を舞った。