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ななしのワーズワード  作者: 奈久遠
Ep.9 竜と竜
129/143

Double Dragon 16

「……行ったか?」


 二人が消えた戦場で潰れカエルことクバーツ・ゲイ・フレイリンが頭を上げた。

 その表情にさっきまでの苦悶はない。それどころか、ニヒルな笑みすら浮かべて、痛みの消えた身体を勢い良く跳ね上げた。

 

「賊の分際であのような高位な治癒アーティファクトを持っているとは生意気な。だが、おかげで俺の傷も癒やしてくれたわ」


 そう、強力すぎる【ドッグドック/犬医】の魔法効果が六足馬の下敷きになっていたクバーツも癒やしてしまったのだ。

 そして、そのまま二人がいなくなるまでやり過ごした。


「戦場での馬泥棒などいかにも賊らしい企てよ。よい、六足馬の一騎くらいくれてやる。たかが馬に目を奪われたがため、貴様らはもっとも逃してはならぬ強敵を目の前で見逃したのだ。実に愚かなり、獣の協力者ども。だが、それを不運とは言うまい。貴様らが不運なのではない、この俺が誰よりも幸運なだけなのだ。ふははははっ」


 ひとしきり大笑いしたクバーツが口ばやに転移魔法を【プレイル/祈祷】した。間抜けどもはいなくなったが、ここはまだ戦場の最前線だ。取り急ぎ身の安全を確保したかった。


「これは逃亡ではない! 釣りだした敵を近衛神官ロストンに引き継ぐ戦略的配置交換である! でいっ――我が身を運べコール【パルミスズ・エアセイル/風神天翔】!」


 そうして部隊壊滅の憂き目の中、彼自身は無傷で戦場を離脱することに成功した。

 風神大神殿神官長クバーツ・ゲイ・フレイリンという男。あるいは本当に幸運の申し子であるのかもしれなかった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「何の抵抗もなし。ふむ、噂の闇の獣はこちらにはおらなんだか。つまらぬ。またオームの勝ちではないか」


 序列二位。地上を見下ろすイニュー・トッド・フレヴァンス近衛神官は膨れた腹をぶるんと擦りあげた。

 上空にいる自分たちに対して、魔法的な反撃がない。つまり、ワーズワーズなる闇の獣の裔や濬獣ルーヴァニアヴがいないということだ。

 となれば、序列筆頭オーム・ザラと下っ端アスレイが向かった戦場後方が当たりだったということだろう。

 

「ウィヒヒ。よいではないか、次席殿。筆頭殿は最近いささか運動不足気味だからのォ。此度くらい譲ってやろうぞ」


 序列三位。思うまま地上に火柱を生み出しながら、カイエン・ニールギール近衛神官が妙に甲高い声で答えた。

 オームのことを運動不足と嘯くカイエンとて、自身の体重は一〇〇キロを超えている。パンパンに張った腹もイニューのようにぶよぶよと揺れないだけで、その膨らみの大きさは臨月の妊婦のごとしだ。

 一〇〇メートルを歩くことすら困難に見える二人の近衛神官であるが、そもそも一〇メートルすら歩く必要がないので、減量の機会がない。運動不足は否めない。

 空中浮遊の【パルミスズ・エアライド/風神天駆】は高位神官の必須魔法である。説明は不要であろう。


「次席殿は腕がなまっておられるのではないかのォ。見よ、地上の小虫どもを。まだうじゃうじゃと動いて、一向に数が減っておらぬ」

「ならば、お前がやればよい。俺は近衛神官序列二位イニュー・トッド・フレヴァンス、神の御手ぞ。闇の獣はおらずとも、せめて濬獣がおれば」

「小虫相手ではやる気が出ぬか。難儀な性格だのォ。その点、ワレは食い好みせぬ。我が主神、軍女神いくさめがみはありとあらゆる戦いを好まれる。殲滅戦も大好物じゃ」


 炎の魔法を得意とするカイエン・ニールギールは火神大神殿の出である。

 全てを焼き尽くす『火葬のニールギール』の異名は、四神殿の中でも恐れをもって語られる二つ名だ。

 

「貴様と俺の一体どちらが救えぬ性格であろうか。ほれ、今しがた火柱の壁を抜けた一匹二匹がおったではないか。あれを放っておいてよいのか」

「まさしく一匹二匹じゃ。何ができよう」

「風神騎兵には笑えぬ金がかかっておる。撒き餌で終わらせるわけにはいかぬ。色狂いの雌アロを聖庁から追い落とすにはこの程度の失策で十分。風神騎兵は回収せねばならぬ」

「ウィヒヒ。風神大神殿が貴様の古巣とあらば、そこいらが落とし所であろうのォ」


 カイエンが火神大神殿の出であるように、イニューは風神大神殿の出である。

 それぞれの大神殿が持つ力は、そのまま彼らの力関係に影響する。無抵抗で世界魚の塔を破壊された水神大神殿が一歩後退した状況で、風神大神殿まで落ちるわけにはいかない。

 そう考えれば、今回の近衛神官の出陣は戦場におけるアルムトスフィリア――獣人軍――の壊滅が目的ではなく、四神殿内の権力闘争がその根っこにあるのかもしれなかった。

 

「ではやる気の出ない次席殿に代わり、吾の極大魔法【カグナズ・オーバーファイア・クリメーション/火神煉獄火葬陣】できゃつらを骨も遺さず滅却してしんぜようかのォ」


 【火神煉獄火葬陣】はカイエンが新しく発見した火神系魔法であり、四神殿においても久しぶりに認定された大規模破壊魔法である。

 害のない非戦闘魔法や、既存魔法の下位互換、横並びの新魔法は日々の研究により発見されることもあるが、完全な新魔法、それも大規模破壊魔法の発見は稀有である。


「――天の獄地に顕れ、人の業炎と還らん。天雷轟いて、大地は灰燼と化す。神火葬送、後に遺るものなし――」


 カイエンの長い【祈祷】が続く。

 強大な効果を発動する【祈祷】の音韻数はそうそう削減できるものではない。新魔法とあってはなおさらだ。四神殿はこれから何代もの時間を重ねて、この新魔法の音韻数を減らす研究を続けることになるだろう。

 長過ぎる【祈祷】は目の前に敵が迫る戦場では扱いづらいという弱点もあるが、ここは誰の手も届かない上空。絶対の安全地帯である。

 もちろん、同じ上空でも高度が低ければ矢や投石が届くであろうし、逆に高すぎれば魔法効果が地上に届く前に弱まってしまう。

 氷の槍をばら撒くイニューの魔法であれば、高高度からの発動で問題ないが、ターゲッティングが無差別な分被害の程は運任せになる。

 カイエンはそのような運任せを好まない。

 ゆえに、カイエンはためらうことなく己の代名詞とも言える極大魔法を選択したのだ。

 このとき初めて近衛神官に隙が生まれた。これまでに一切の反撃がなかったための大きな油断だった。

 【祈祷】しながら、カイエンがもっとも効率よくもっとも多くの小虫を火葬できる高度まで下降してゆく。

 確かにまだ矢や投石の届く距離ではない。だが、そこはもはや、絶対の安全地帯ではなくなっていたのだ。

 

 パカラッ、パカラッ、パカラッ


 聞こえたのは馬が駆ける蹄の音だ。


「この距離ならば届く! おおおおおッ!」


 そして次に裂帛の咆哮。カイエンはそれを思わず近い距離に聞いた。


「なにィィ!?」


 思わず、【祈祷】が途切れる。

 【祈祷】は、集中力が重要な要素だ。ワーズワーズに言わせれば【祈祷】とは視覚に頼らずに源素を図形化するための手法であり、このときの集中力が構築後の図形の良し悪しに影響する。見えていれば、最初から完全な源素図形を構築できるが、源素を見ることのできないこの世界の魔法使いは、【祈祷】によりそれを可能とするのだ。

 すなわち、高位の魔法使い、神官であるほど【祈祷】への集中力が高く、それゆえに美しい図形を構築できるということだ。

 カイエンは神官の中でも最上位の近衛神官である。その集中力の高さが裏目となり、足元の変化に気づくのが遅れたのだ。

 

「ヒヒーン!」


 集中の解けたカイエンが見たのは、空中を駆ける六足馬の姿であった。

 

「馬鹿なァ! 翼もない六足馬が空を駆けるだとォ!?」


『六足馬に進めぬ道なし』――その言葉をカイエンは知らなかったのであろう。

 どのような悪路も、狭い小径も六足馬は進むことができる。あるときは水面を駆け、大きく裂けた渓谷も軽々と超えてゆく。

 これは比喩でもなければ、伝承でもない。

 厳然たる事実として、六足馬は短時間であれば空路すらも走破可能なのだ。

 人に飼われる六足馬の多くは馬車馬や荷台を引く役馬になるため、忘れられがちだが、重い荷から解き放たれた六足馬であれば――


 カイエンもまた、今日はじめて六足馬が神に連なる眷属と呼ばれる理由を知ったといえよう。


 これが、御者くんがフェルナに示した状況打開の『道』だったのだ。

 御者くんがフェルナの身体を支え、両手が空いたフェルナが馬上で愛剣を構える。


「はあッッ」

「ウィヒィィィ!!!」


 すれ違いざま、カイエンの丸い腹にフェルナの愛剣を叩き込まれた。

 空中という不安定な足場では大きな威力は望めないが、己の肉体を傷つけられたカイエンの混乱は大きかった。

 

「腹がァ、吾の腹がァ! 痛ァァい! 死ぬゥ!」

「ちっ。馬鹿は貴様よ。【祈祷】に集中するあまり、いくらでも回避できたであろう、敵の接近に気づかぬとは」


 吐き捨てるイニュー。同じ近衛神官であっても仲間意識は高くない。

 自ら高度を落としたカイエンには届いたが、六足馬もそれ以上の上昇は不可能であったようで、イニューの留まる高度には届かず、ゆっくり地上へ下降してゆく。


「アヒィィィィ!」


 器用に空中でのたうち回るカイエンが転移魔法を発動し、戦場から姿を消す。

 フェルナと御者くんは、たった二人で四神殿最大戦力の一角を後退させることに成功したのだ。

 その二人の勇姿は地上のどこからでも見えた。


「フェルナッ、あの野郎、やりやがった! がおおおおううッ!」

「ぃいやったあ! すっごく、かっこいいよ、フェルナ兄サン!」

「なんという青年でしょう。これはわたくしたちも負けていられません」


 地上の獣人たちは沸き立ち、吠え声がやまない。

 近衛神官を吹き飛ばした横薙ぎの一閃と人の目を引きつける美貌故に皆の賞賛はフェルナ一人に集まるが、本当に賞賛されるべきは誰か、それはフェルナ自身が一番理解していた。


「皆にはあとで説明いたしましょう、本当の功労者は――」


 最後まで聞かずに、御者くんはふるふると首を振った。

 今ならフェルナにも御者くんの気持ちがわかった。


「そうですね。私たちは賞賛されるために動いたのではありません。私たちは、自分にできることをやって、それがたまたま成功しただけです――いつもの群兜マータのように」

 

 できることをやる。できると思ったなら自重はしない。やって失敗してもいい。全てはトライ・アンド・エラーだ。

 それはワーズワードの生き方、あるいは在り方そのものである。

 獣人解放運動自体、ワーズワードの「できそうだからやってみるか」という適当な言葉から始まったものだ。

 長く行動を共にする旅の中で、フェルナも御者くんも少なからずワーズワードの影響をうけている。

 ワーズワードほどにできることは多くないが、それでも目の前に自分にできることがあれば、失敗を恐れず一歩踏み出すことを自重しない。そんな前に進む気持ちが今回の成功につながったのだ。

 御者くんがこくりと頷く。


 ――二人の青年の心に宿ったそれは、あるいは『勇気』という別の言葉に言い換えても良いものかもしれなかった。


 面白くないのは残ったイニューである。


「カイエン、近衛神官の名に泥を塗る愚か者め。仕方がない。あとの始末は俺がつけてやるわ。もとから俺一人で十分であった話だ」


 イニューが己の太い腹をぶるんと擦る。

 そんなイニューに影が差した。


「ぬ!?」


 天候は雲一つない快晴。遮るもののない上空にいるイニューに影が差すことなど本来ありえない。

 ぶるんと勢い良く腹を揺らして天を仰いだイニューが見たのは、自分と同じく何もない空中に立つ人の姿だった。

 その人物は、厚手のフードを目深に被っていた。


「この俺が上を取られただと? 何者だ」

「……」


 フードの人物はイニューの誰何には答えず、すっと身体を横に動かした。

 そうして影が取り払われた先には、太陽の眩しさがある。イニューはその眩しさに思わず手で視界を遮った。


「うっ」


 おそらく最初からこれを計算していたのだろう。太陽を利用して、イニューの動きを止めたのだ。

 同時、もう一つの輝きが発生していた。魔法の発動光だ。


 ズン――ッッッ!!


 イニューは、目に見えぬ巨大な空気の塊を上から叩きつけられたように感じた。

 抗えぬ圧力がイニューの身体を下へ下へと押してゆく。


「うおおおおおおおッッ」


 加速度を上げて、真っ逆さまに落ちてゆくイニュー。このまま地面に激突すれば、たとえ近衛神官であっても墜落死は免れない。


「ぬおおッ! 貴様ァァァ、このままでは済まさぬぞ、覚えておれッッ!」

 

 そんな捨て台詞を叫んだイニューが【風神天翔】を【インスタント・コール/瞬時詠唱】した。

 地上に激突する直前、イニューの身体が何処かへと消え去った。

 戦場の空に残ったのはただ一人である。

 周囲から近衛神官の気配が完全になくなったことを確認したところで、初めて呟きを口にした。

 

「正体がバレないように裏からこっそり助けるってこんな感じで良かったでしょうか。わかりませんが、顔が隠れていれば平気ですよね」


 それは、近衛神官を正面から圧倒するほどの実力を持っているとはとても思われない、なんとも気の抜けた声であった。

イニュー・トッド・フレヴァンス(61)

貫禄:250 その他 NO DATA

近衛神官序列二位。オームには劣るがなかなかの貫禄を持ち主。いわゆるぶよぶよ系男子。風神系の魔法であれば、上位から下位までのほとんどの魔法を【瞬時詠唱】できる。


カイエン・ニールギール(57)

貫禄:162 その他 NO DATA

近衛神官序列三位。権力的に二位と三位の差はあんまりない。『火葬のニールギール』の二つ名あり。喋り方がキモい上に、二つ名も気持ち悪いとか。

ちなみに新魔法の名称は、発見者がつけられる。カイエンさん、もしかして重度の病気を患ってらっしゃるのでは?

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