Double Dragon 13
『被害拡大、大規模サイバーテロ懸念』
最新のニュース記事及びそこからリンクされた関連記事を一通り読み終わった俺は、キーグラスを外して軽く目頭を揉んだ。
エアロビューは空中投影型ディスプレイを搭載したモバイルパソコンだ。これをパブリックスペースで扱う場合のセキュリティとして存在するのがディスプレイ投射光の復号情報を持つメガネ型デバイス『キーグラス』であり、これを装着することで俺はメガネ男子へと変身する。
一部女性には人気といわれるメガネ男子であるが、今時屋外で暗号化せずにエアロビューを使う人間自体存在しないので、街を歩けば見渡す限りメガネメガネのバーゲンセール、希少性などあったものではない。
非モテ男子がカフェでキーグラスを取り出し、スタイリッシュにエアロビューを操作する姿を見て女性がときめくというテレビCMはいい加減終わってほしい。勘違い被害が発生したらどう責任を取るつもりなのか。
そんなCMをいつも流している電子看板の大画面も今は停止している。電車もダイヤが乱れまくりで待てど暮らせど一向にやって来ない。おそらくだが、ソフトウェア制御から手動運転への切替で手間取っているのだろう。絶対の安全を謳う電子制御のシステムはエネミーズの台頭以降、その多くが見直しを要求されている。
それはもちろん必要なことなのだが、一〇人に満たない犯罪者が出現しただけで揺らいでしまう安全基準とは、もともと一体何を根拠に定められたものなのだろうか。
電車を待つプラットフォームの混雑の中、皆がイライラしながら、他人には不可視のディスプレイを覗き込んでいる。
俺もさっきまでその一人だったのだが、イライラの原因は電車が来ないことではない。操作するエアロビューの通信速度が恐ろしく遅いのだ。その速度たるや古のADSL並でガラパゴスゾウガメでももう少し早くデータを運んでくれるのではないかと思われるほどである。
「状況としては重度の通信ネットワーク負荷とそれによる各種社会システムの停止、異常。でもって、攻撃は現在も継続中。その発端が――」
一昨日の事件だ。
歌姫シフォン・アイローネの公式サイト乗っ取りを発端とし、その後世界中を巻き込みつつある大規模サイバーテロ。そんな状況が発生していた。
「同じサイバーテロでも『マダカスカル』くらいなら笑えるが、これはさすがに迷惑過ぎる」
マダカスカルは一年ほど前に指名手配された七人目のエネミーズ『ギャレットガンプ(G.G.)』が引き起こしたサイバーテロだ。
月を支配するとかたった一人で独裁国家と敵対するとかいう別次元の犯罪者に比ぶべくもないくだらない犯罪で、ネットの中にはむしろもっとやれ、『マダカスカル2』はやく、などと次なる犯罪を待ちわびる声さえある始末だ。そういう犯罪擁護はよろしくないと思うのだが、自分に関係ないところで行われる犯罪に対して人の持ちえる正義感なんてその程度なのだろう。嘆かわしくも、それが現実である。
まあ、ギャレットガンプのおかげで大した害のないサイバーテロであっても度を過ぎればSTARSに目をつけられるのだということが世に知れたので、今後の犯罪抑止という意味で、エネミーズ入りした意味はあったのではないだろうか。
それはともかく、問題は今のこの状況を作り出している誰かである。このサイバーテロは現在進行系で、かつ俺自身も巻き込まれている。
その誰かは今、世界中のネットユーザーから限りない憎悪を向けられているであろう。
「さて、どうしたものか」
どうする、か。
正義感というと胡散臭く、義憤というと言い過ぎな気がする。
最も適切な感情としては使命感、だろうか。俺が『脳を自分向けにカスタマイズする』手法を思いついてから既に四年の月日が経過している。四年間という物理時間の間に様々な知識と技術を蓄積した俺にはこの犯罪者に対応あるいは反撃できる能力がある。能力がある者はその使命を果たすべきだと俺の能動型擬似人格が囁いている。
本来であればこのような考えは自重すべきだ。日本にはインターネットに強い警察組織があるし、これだけの大規模アタックであれば各国のサイバーポリスも動くだろう。俺はただ解決を待つことが正しい。
「しかし、それは時間がかかる。やられたからやり返すというわけではないが、犯人に関する情報を警察機関に通報するくらいのことは善意の一市民の行動として問題ないよな?」
その犯人に関する情報はこれから捜査するわけだが。
犯罪者相手とはいえ、パーソナル情報のハックのためにはやや法を逸脱する行為も必要になるかもしれない。それでも――
電車はまだこない。人混みを避けたプラットホーム壁際に移動した俺は、再びエアロビューを起動した。
『セブン・デイズ・ウォー』三日目。
そして戦争が始まった。
◇◇◇
聖都攻略の前線基地は低くなだらかな丘陵に構築されている。
聖都とは直線距離で三キロほど離れた場所に築かれた拠点であり、間に視界を塞ぐ建造物などはないので、聖都の誇る銀壁も三つの尖塔もよく見える。
当然聖都からもこちらの存在は丸見えであるが、仮に拠点を隠して築いたとしても向こうは魔法的手段でいくらでもこちらを探ることができるわけなのであまり意味がない。逆に、常にお互いの動きを監視し合う緊張感の持続はこちらにとって大きなメリットになる。
「今日もいい天気だ。三軍の出撃体制が整ったことは向こうの監視の目にも引っかかっているだろう。世界魚の塔を破壊した大砲の存在は向こうも知っているので籠城という選択はない。昨日の戦果があるため、六足馬の戦車隊を主軸に打って出てくると思われる」
「そうなればワーズワード殿と御者殿の講じた秘策が確実に刺さるというわけじゃのう」
「でも籠城を選ばれちゃったらどうするのかしら。想定は想定。絶対じゃないでしょう?」
「それならそれで構わない。アイソバリック・ディフェンスからアイドル・アタックに切り替えて、二本目の塔を破壊するだけだ。それでもまだ出てこなければ三本目。どちらにしてもアイドル・アタックの前に籠城は意味をなさないわけで」
「まあ!」
「第二の矢も想定済みということじゃのう。それに今日はニアヴ様もお出になられる。兵の士気もこれ以上ないほどに高まっておる」
「だけではないのじゃ、今日は我らナスサリアも出るのじゃ!」
「お役に立つのじゃ!」
「あらかわいい」
「かわいさは求めてないんだが。お前らもやる気はいいが、勝手に動くなよ。俺がゴーを出すまでマテだぞ」
「はいなのじゃ!」
「うんなのじゃ!」
そう言って草の上にちょこんと正座する小ニアヴ兄妹。完璧にシンクロしたしっぽがぶわっさぶわっさと左右に振られる。小ニアヴといっても十代半ば、シャルやパレイドパグよりも年上のはずなのだがなあ……
「待て。その前に妾に説明すべきことがあろう」
こちらは一転、不機嫌そうなニアヴの声だ。
「取り立ててないと思うが」
「そーそー」
ビキリ……ニアヴが額に血管を浮き上がらせた。
「ならば妾から問おう。なぜ、其奴がここにおる!」
「いやんっ」
ビシリと突きつけられた指を避けるように身をくねらせるリゼルの姿がそこにあった。
あー、うん。
「それは俺も聞きたかったところだ」
「それはこっちのセリフよっ。こんな面白そうなこと始めておいて、このリゼルちゃんに教えないなんて。ぷんぷんっ」
「なんで逆ギレなんだ。なぜ敵のお前にこちらの情報を流さなくてはならない」
「そんな言い方、ひーどーいー。私とワーズワードの仲じゃないっ☆」
ビシリとポーズを決めて小悪魔なウインクを飛ばすリゼル。
ニアヴの殺意が湧く気持ちはとてもよく判然る。
昨日の戦勝を機に、四神殿がやっと戦況の報道規制を解除したのだ。
解放運動の成功で本性を現した獣人集団が聖都を攻撃中というニュースが風神神殿から発せられたことは、『対ヴァンス三国同盟』ルートで確認済みだ。
ニュースの内容は聖都の誇る風神騎兵が一〇倍の敵を打ち倒したというもの。
その更に前日にあった世界魚の塔破壊が伏せられている以外はまあ概ね正確な報道なのではなかろうか。
即ち、アルムトスフィリアと四神殿が聖都・シジマで戦争状態にあるという話が全世界の人々の知るところとなったのだ。
声を張り上げて神官が叫ぶ。
『獣人の改革を叫ぶアルムトスフィリアはある男の欲望のために生まれたのだ。獣人を裏で操り法国を混乱させ、そして今四神殿に反逆の狼煙を上げた大罪人。その名はワーズワード!』。
聴衆は問う。ワーズワードとは何者かと。
『その者、神の加護なき黒髪を持つ生まれながらの反逆の徒、闇の獣の裔なり!』
確かに俺の髪は青くも緑くもないのだが。闇の獣ねぇ。
闇の獣についてはパルメラ治丘で温泉パラダイスを楽しんでいたときに、こんな会話があった。
『世界に一二存在するという濬獣自治区、それは誰がどのように選定した場所なんだ?』
『濬獣自治区の成り立ちかい? 故事来歴。伝承はある。未だ一匹の稚魚でしかなかった世界魚・マルセイオがあるとき混沌の大地に生まれた闇の獣に襲われたのだそうだ。稚魚といってもマルセイオは強大なる神。激闘の末、闇の獣は撃退された。しかし、マルセイオも無傷というわけにはいかず、その身体にはいくつもの傷痕が残されたんだ。成長したマルセイオが大地に変じた後、闇の獣の爪に深くえぐられた傷痕はアラナクア治崖となり、鋭く並んだ牙に噛まれ傷痕はパルメラ治丘になったという。その時の傷は未だ癒えず、ここパルメラ治丘ではマルセイオの身体に残る毒が今も噴き出し、灼熱の血液を流し続けているのだとね』
『旧い伝承じゃな。パルメラは混乱を避けるためマルセイオと言うたが、妾たちの伝える神の名は人族のそれとは異なる。闇の獣と戦こうた神の名。それをイサナウオという。獣人族が信仰する神の名じゃ』
すなわち闇の獣とは神に対する悪魔、サタン的な意味を持つ言葉だ。
なんにしても、俺の名はついに全世界に知れわたったわけだ。コイツを呼び寄せてしまうほどに。
「ふざけるな。お前は記憶喪失かなにかか。自分がしたことを覚えていれば、そもそも俺の前に顔を出せないはずだぞ」
「あら。アナタが私だったら、そんな自重するのかしら?」
「……」
するわけないので、その問い返しに俺は無言を返した。
「この女性はワーズワード様が呼ばれた方ではないのですか」
「呼ぶわけない」
「では一体どなたで」
余人の入り込みにくい俺たちの会話に割り込んできたのはレオニードである。
レオニードは拠点防衛の居残り組だが今は見送りに出てきている。
リスト、ダスカー、タリオンは各自の持ち場で出陣の号令待ち。今日の作戦の要であるフェルナと御者くんは、中央のダスカー麾下に配している。
俺の代わりにその問いに答えたのはニアヴだった。
「この者はリゼル。シャルを誘拐した張本人じゃ」
リゼルに対する敵意が随所で漏れ出し、感情のささくれが苛立ちとなって吐き出される。
つまりは言葉がトゲトゲしい。
「なんと。ワーズワード様が普通にされているので、てっきり知り合いの方なのかと。この者がシャル・ロー・フェルニ様を拐かしたリゼルなのですか。わかりました、殺しましょう」
これ以上ない明快な解を口にしたレオニードが腰の剣をスラリと引き抜く。
「ライオンちゃん、真顔こわーい」
「やめておけ」
「エンテ公を始め、ここにいるのは皆獣人族の中でも剛の者です。それにワーズワード様、ニアヴ様もおられます。どのような者であれ、我らが全員でかかれば」
「だってー。やってみる、ワーズワード?」
「やらないというに。レオニードマテ。オスワリ。ステイ。ウェイト」
「おっしゃっている意味はわかりませんが、敵が陣中にいることは拠点の防衛を預かる身として見過ごせません」
「放っておけ」
「ですが」
「それがシャルの安全のためでもある」
「……っ」
それを言えばレオニードも反論できない。苛立ちのニアヴが、それでも実際の排除行動を取らないのはそれがわかっているからだ。
「シャルは無事なんだろうな」
俺の質問にリゼルは素直に応えた。
「心配はいらないわ。新しいお友達もできて、塞ぎ込むどころか逆に元気にしてるわよ」
「新しいお友達だと?」
「ふふー、ワーズワードでも気になる? そうね、私に言えるのは一つだけ。あの子、見かけよりずっと強い子よ」
ふざけた仕草ではぐらかすリゼル。最低限の情報を仄めかし、核心は語らない。だが――
「今更だな。それはお前以外は全員知っている話だ」
俺の答えにニアヴが頷きを返す。
リゼルがやや意表をつかれたような顔を見せた。
人形であるリゼルの全ては冷静なる思考の制御下にある、が今の反応だけはリズロットの素の感情から発せられたもののように思われた。
リズロットとは何者か。
もし才能というものを可視化するのであれば、それはフツウという名の常識平面上に屹立する山になるだろう。
人と違う才能。人より優れた才能。それらは常識平面から突き出る尖峰となり、フツウの人々は山の高さを見上げてその高さに憧れる。
それが才能の正のイメージ。
一方、同じ才能でも常識平面上から深く沈む深淵がある。
それは山と同じだけの深さを持つ穴だ。正ではなく負の方向に伸びてしまった才能。
昏い穴は断崖を晒して他者を拒み、フツウの人も好んで危険には近づかない。
縁に立ってなお底を見通せない深い穴。そこにあるのは山に対する憧れとは真逆の感情だ。
黒い。怖い。不気味だ。見たくない。
だったらそんな穴は埋め立ててしまえばいい。そうしてフツウの人は穴に石を投げ込み蓋をして踏み固めるのだ。
昏い穴の底に差し込んでいた光は途切れ、常識平面から断絶される。
はい一丁、孤絶主義者のできあがりだ。
世界から孤絶するほどに深く尖った才能はその人物の性質そのものを表す。俺はそれを『属性』と呼んでいる。
コメットクールーであれば『支配』の属性、ジャンジャックであれば『従属』の属性を持っているというのが俺の持論だ。
支配欲が強いだけの人間ならいくらでもいるが、実際に夜天に浮かぶ月を支配してしまうだけの能力と才能を持つ化物はコメットクールー以外には存在しない。
そんな俺式属性鑑定によるリズロットの持つ属性は――
「私は『観察者』。観客で観衆。見てるだけの人だから、気にしないでねっ☆」
自分で言うのだから世話ないな。
謎の決めポーズを決めるリゼルに、皆およそ言葉にできない困惑を浮かべる。
ベータ・ネットの流儀に慣れていない者にリゼルの扱いは難しい。
その時、前方にざわめきが起こった。
「伝令! 聖都に動きあり。六足馬の戦車隊――風神騎兵が出てくるようです」
「もう動いたのか。もともと籠城の選択はないと考えていたが、これは俺の想像以上に稼げている感じだな」
「稼ぐ? 稼ぐとはどういう意味じゃ」
俺のつぶやきにニアヴが反応する。
「その話はあとだ。相手が動いたのなら、こちらも出遅れるわけにはいかない。エテ公」
「ひっひ。心得ておるわい。鳴兵!」
わおーん。わおおーん。
出陣を知らせる勇ましい鳴き声が皆の心を引き締める。
左右に広がった三つの軍が動き出す。
さあ、神すら食い殺す(未遂)邪悪な闇の獣の力を見せてやろう。
◇◇◇
「進め、進め。我が名はクバーツ・ゲイ・フレイリン。我は幸運の申し子。我が風神騎兵に敵はなし!」
「「ヤー!」」
風神騎兵を動かすのは風神大神殿神殿長クバーツ・ゲイ・フレイリンである。
今年で三八になる壮年の男であり、皆が皆肥え太る神官の中にあって引き締まった頬と割れた腹筋を持つ稀有な存在だった。
クバーツには野心と才能があった。
そして、幸運なことに彼は類稀なる美貌を持って生まれた。三〇を超えてなお紅顔の美少年を思わせる濡れた瞳は、皆に裏で雌アロと呼ばれる聖庁高官の心を惹きつけた。
それはクバーツの計画通りであり、彼は三〇台半ばという若さで風神大神殿神殿長にまで成り上がったのだ。
肉体の鍛錬は雌アロをつなぎとめるための自己投資である。
クバーツの野心は終わらない。本来であればまだ数年はサチアロ小屋に通わなければ叶わぬであろう聖庁入りであるが、降って湧いたこの戦争で功績を上げれば、クバーツは鳴り物入りで聖庁に迎え入れられるだろう。
「滾る、滾るぞ。ハッハー」
六足馬に戦車を引かせる風神騎兵はクバーツが発案した聖都の新しい戦力であり、一〇〇騎が揃ったのも最近のことである。
もとは一台の戦車に一人の御者と二人の神官を乗せていたが、今は一台に一人の御者と一人の神官が乗っている。
多くの神官が一人で二人分の重量を持つとはいえ、六足馬の馬力の前ではその程度は誤差である。ではなぜ騎乗者の数を減らしたのかと言えば、それは要らぬ諍いを避けるためだ。神官はたとえ最下級の神官であっても、千人に一人の選ばれた人間である。皆よく言えば向上心が高く、悪く言えば権勢欲が強いため二人乗りの場合、出撃後に戦功を争う状況が発生する。戦車の動きも二人の意見が違えば、御者はどちらに従えば良いかわからない。
動かしてみてわかったことだが、六足馬と魔法を使う神官を組み合わせた風神騎兵は一騎で既に最強の駒であり、神官の二人乗り自体がオーバースペックであった。それであれば一人乗りにした方が人の問題が発生しない。
となれば、あとは数を揃えるのみ。クバーツは雌アロへの奉仕と引き換えに他の神官長では動かせないほどの莫大な資金を動かすことができた。
風神騎兵が獲物を求めて走る。目の前の草原には槍や盾を構え、自分を迎え撃とうとする屑どもがいる。
「いいぞ、実にいい。同じ屑でも逃げない屑はいい屑だ」
どこの国も持ち得ない最強の戦車隊を作り上げたクバーツであるが、聖都に攻め込んでくる敵などいるはずもなく、その用途は権力誇示に限られていた。
だが、新しいオモチャを得れば、動かしてみたくなるのは人の性である。
幸運にも同時期、法国には多くの戦争奴隷が入ってきた。
クバーツは風神大神殿の名を伏せて戦争奴隷を買いあさり、多くの『実践訓練』を行った。
逃げ切れればそのまま自由にしてやると希望を抱かせてから追手をかけるのである。
戦車を見上げ、怯える瞳。それを踏み潰す快感。逃げ切れぬと見るや最後の抵抗を仕掛けてくる者もいれば、命乞いをしてくる者もある。そのような屑に絶対の安全圏から一方的に魔法を行使する万能感がクバーツの心を満たす。
彼は特に気丈な目をした女が好きだった。そんな女に雌アロの顔を重ねて魔法を放つのがクバーツにとって最高の瞬間なのである。
この実践訓練は風神騎兵の団結力を大いに高めた。
これも彼の幸運の一つとして、趣味を同じくする同士に恵まれたと言うべきであろうか。それとも四神殿という組織自体がそもそもそのような人間の集まりであり、誰を選んでも差はなかったと考えるべきであろうか。
なんにしても、実践訓練の繰り返しの結果として、風神騎兵は実戦で運用し得るだけの戦力に完成したのである。
ああ、なんという幸運。全てが良い方向に転がっている。世界は俺のためにある。
クバーツは己の幸運を疑わない。神に選ばれた男、それが自分ことクバーツ・ゲイ・フレイリンであるのだと。
目の前に布陣するのは獅族の男を将とした集団だった。
「ちっ、ハズレか」
相手が昨日の女でなかったことに、クバーツが不満を吐き捨てる。
昨日はまだ戦力の読めない相手だったため、誰も積極的に前に出ることなく戦線の停滞を生んだ。
睨み合う両軍の左翼、前線から飛び出したリストと女に食いついたクバーツがぶつかり合ったのが戦線崩壊の発端である。
リストの強烈な連尾脚が戦車を引く六足馬の横面に叩き込まれ、さすがの六足馬もよろめいて膝を折った。
だが、戦車上のクバーツは動揺することなく、リストに向かい【マルセイオズ・ウェイビー・ハンマー/水神水流槌】の魔法を打ち込んだ。
直撃すれば身体に大穴を穿つ威力の【水神水流槌】であるが、それは二人の間に割って入った獣人の『まじっく・ばりあー』が無効化。しかし、クバーツに引きずられるように突撃してきた風神騎兵を防げず、勇敢なる彼は瀕死の重症を負う。
そこからはリストを護るために殺到する獣人たちと風神騎兵が入り乱れる乱戦になった。
乱戦――個対個の戦いになれば、風神騎兵は無敵である。
六本の足はそのまま六本の槌となって目の前の相手を踏み潰す。六足馬の突撃は回避困難で、たとえその足を止めることができても、鎧を纏う六足馬には槍も剣も通らない。御者も六足馬を巧みに操りながら長槍を繰り出してくる。防ぐ術があるとはいえ、神官の魔法は最大の脅威であり注意をそらすことはできない。
結果、左翼は早々に崩壊した。
ワーズワードという男、確かに宣戦布告をしてきただけあり、魔法無効化という一国の軍隊でも持ち得ないアーティファクトを準備してきたようだが、魔法だけ対策できれば四神殿に勝てると踏んだのであれば、非常に浅い考えだ。
魔法対策だけでは、俺の風神騎兵は止められぬ。
他の誰でもなく、ただ俺だけにそれを可能なのだ。おお、なんという幸運。やはり俺は絶対幸運者よ。
男が相手では愉しみは半減だが、これが今後の栄達の糧になるのだと思えば、我慢できないことはなかった。
「昨日のような様子見はいらぬ。目の前の全てを跳ね飛ばし、踏み潰し、蹂躙せよ」
「「オオオオオ!!」」
魔法を牽制として放ちながらの全軍突撃。最初からそれだけで良かったのだ。
喜悦の瞬間を前に舌なめずりをするクバーツの前に、一人の男が立った。
獣人ではない。であれば、あれが噂のワーズワードかとも思ったがそうではないようだ。男は青い髪と長い耳を持っている。
ワーズワードであれば、黒髪のはずである。
男が何事かを口にする。
戦車の奏でる轟音の中、本来であれば聞こえるはずのない呟きをクバーツの【パルミスズ・サラウンド・サウンド/風神副耳】が拾い聞いた。
「指定地点通過。速度よし。発動三〇秒前、警告お願いします」
くるるー。くるるるるるるるー。
続いて聞こえてきたのは、獣人兵特有の鳴き声による伝令だ。
【パルミスズ・マインド・ネイ/風神伝声】を使えない下等な屑どもの命令伝達方法だが、その音と長さで言葉以上の様々な情報を伝えることができるという。
場所は起伏のない草原。視界の開けた見晴らしのよい地形であり、罠や伏兵は考えにくい。
三〇秒――三〇秒とはなんだ。今更何ができる。矢か。いや、馬鎧はそんなものでは貫けぬ。矢避けの魔法もある。
なにもできないはずだ。仮に何か仕掛けてくるのだとしても、この距離であれば我らの突撃の方が速い。そうして、乱戦に持ち込めば、あとは昨日の再現だ。敵の戦力の底が見えている以上、昨日のように逃しはせん。
逃げる獣を追う――屑狩りは風神騎兵の最も得意とするところよ。
六秒、五秒――
クバーツは鍛え上げた自軍の戦力を信じた。
どのような策を弄しようと押し切れる。踏み潰せると。
そう思った時、敵陣が動いた。
目の前の全員が一斉に地面に伏して、頭を守ったのである。
「なに!?」
一人、青髪の男だけが高く空に手をかざしていた。
「ニ、一――発動『たぬきのはらつづみ』」
音が聞こえた。
ぽこぽん、と。
雌アロ:メスのサチアロのこと。