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ななしのワーズワード  作者: 奈久遠
Ep.9 竜と竜
122/143

Double Dragon 09

 盛り上がりの中、駄犬が横から冷めた声で問いかけてくる。


「んで、本当の目的は?」

「やだなー、パレイドパグさん。そんなの、今言ったので全部じゃないですかー」

「……ケッ」


 俺とワルターの間で交わされた密室の会話はまだルルシスにさえ明かしていない極秘事項である。

 別に今彼らに伝えた理由がブラフだというわけではなく、彼らには彼らのための、いわば『表の目的』があり、俺とワルターにはそれとはまた別の『裏の目的』があるというだけ。

 心を読む魔法のある世界での情報管理は厳密さが求められるということで納得してもらうしかない。

 

「フェルナ」

「はっ」


 俺の呼びかけに答えたフェルナが円形に座る皆の中心にじゃらりと音のなる布袋を置いた。

 布袋の口紐が解け、中から透明なガラス玉がテント内の粗末な絨毯の上にこぼれ落ちる。


「ガラスの玉……でございますね」

「これは?」

「こッ、これはッ!」

「に゛ゃ」


 新顔のメンバーは頭の上に疑問符を浮かべ、古参のレオニード、リストはその全身に電流を走らせる。


「丸いのじゃ」

「転がるのじゃ」


 散らばるガラス玉に反応し、自分の目の前に転がってきた一つをパシリと打ち返す遊びを始めた狐兄妹は見なかったことにする。


「数の上ではこちらが上回っているとはいえ、魔法を使う神官は一騎当千だ。個人の戦力差が大きすぎる。というわけで、一対一〇〇〇の戦力差を一対一〇くらいに縮める道具を準備しておいた」

「道具とな? どうせなら武器の方が欲しかったのう」

「で、なんなんだ、コイツは?」


 ダスカーが拾い上げたガラス玉をピンと指で弾いて、落ちてきた玉を空中でキャッチする。

 隣に座るレオニードがクワッと口を開いて、固まった。

 素材的にはただのガラス玉なので、あまり乱暴に扱わないほうがいいのだが。

 そんな心配をよそに、再び空中に弾きあげられるガラス玉。一回目より更に高い。

 

「ちょ、それ、マジック・アーティファクトだよ! 一個一万ジットはくだらないくらいの!」

「あ……?」

「なん、じゃと……?」


 慌ててリストが叫ぶ。が、ガラス玉は既に空中に弾き上げられている。

 そう、これは世にも貴重なマジック・アーティファクトである。それも一粒一万ジット――日本円で一〇〇万程度――の、というのはまあリストがそう思っているだけだが。正確にはマジック・アーティファクトではなく、魔法道具マジック・アイテム。源素は無料なので、ガラス玉の原価に俺の人件費を加えても一玉〇・五ジット、日本円で五〇円くらいだろう。やや高級なビー玉だ。

 限界二万個魔法道具製造の激務をやり遂げた経験が俺を(ストレスに)強くした。今では魔法付加のスキルも向上し、ガラス玉と源素さえあれば分速二〇個程度は作成可能になっている。

 原価的に別に一個くらい割れても気にしない俺と違い、ダスカーとエテ公がギョッと目を見開く。

 神官グラス上級神官ジグラット近衛神官ロストンさえ持ち得えない魔法付与の能力。それは源素の見える俺たち地球からの転移者にしか使えない能力だ。

 俺やパレイドパグにしてみれば、壊れたらまた作ればいいという感覚だが、この世界の人間からすれば人の生命よりも重く高級な代物である。


「しまッ!」


 刹那の思考停止。ダスカーの視線がガラス玉から外れていた間もガラス玉は上昇しており、そして落下に転じていた。

 ハッと思い出したかのように金獅子が視線を戻すが時既に遅く、慌てて掴もうとした手が空を切る。

 エテ公もまた手を伸ばそうとするが、年齢的に反応しきれず、つんのめるのみ。

 固まったままのレオニードの視線だけが、上から下へと流れる。

 あわや落下の寸前、

 

 パス――

 

 正面から伸びてきた大きな手が冷静にガラス玉を受け止めた。

 どっともつれるように転がる獅子と猿。

 

「危のうございますよ。金獅子殿」

「……すまねぇ」

「ナイスキャッチ、タリオン」


 馬族の男は冷静である。


「またあたったのじゃ。二個当てなのじゃ」

「すごいのじゃ、兄者。どうやるのじゃ」

「えへんなのじゃ。妹者もやってみるのじゃ。兄が教えるのじゃ」


 少し視線を動かすと、そのとなりでおはじき遊びに興じる狐の兄妹が目に入るのだから、カオスである。

 なんなんだろうな、こいつらは。獣人、自由すぎるだろ。


「たわけ、遊んでおるでないわ!」

「「ぴー!」」


 案の定、再びニアヴに怒られる。

 そのニアヴがなんとも言いがたい必死な形相で俺を振り返った。

 

「勘違いするでないぞ。元来孤族は優秀な一族じゃ。じゃが、クダンは隠れ里。外の世との関わりが薄いがゆえ、こやつらは他のものと少しばかり反応が違うだけなのじゃ。くれぐれもこのわらしらだけで孤族を判断するのではないぞ」

「そうか」


 俺は別に勘違いや誤解はしてない。狐は狐。ただそれだけの認識である。それ以上でも以下でもないので安心してほしい。

 

「まあなんだ。小ニアヴ兄妹、お前たちにも(最低限の)期待はしているんだ。あんまり大ニアヴに心配をかけるんじゃないぞ」

「大ニアヴ!?」

「小ニアヴ兄妹とはわたしたちのことじゃろうか」

「照れるのじゃ、妹者。ニアヴ様のようじゃと言われておるのじゃ」

「人族の人に期待されておるのじゃ。頑張るのじゃ、兄者」

 

 なにかショックなことがあったらしく、絶望の表情で固まる大ニアヴ。

 一方の小ニアヴ兄妹はてれてれと耳を掻きながら、とてもうれしそうな表情を見せる。

 面倒そうな狐族の事情には踏み込まず、話を進める。

 

「これの性能と使い方は実地で教える。とりあえず皆、自分の率いる部隊の人数分を確保しておいてくれ。次だ。これより、聖都攻略の行動方針について説明する」

「聖都攻略の行動方針?」


 一同の目が俺に集まる。


「そうだ。この戦いにおける戦略あるいは作戦といってもいい。四神殿は人数を集めたからといって、正面からぶつかって潰せる相手ではない。必勝の策が必要だろう」

「今のままじゃ、勝てねェって言ってるのか?」

「これだけの数のマジック・アーティファクトがあれば、そうとも言い切れないのではないでしょうか?」

「いいや、道具は所詮道具だ。戦力差の穴埋めにしかならない」

「じゃあ、どうするのじゃ」

「どうすれば勝てるのじゃ」


 どうすれば勝てるか。俺もパレイドパグも戦争にはとんと縁のない国の生まれである。

 しかし、唯一、ただ一度切りではあるが俺には戦争参加の経験がある。

 軍事知識だけを頼みとする場合、その実行に不安を残すが、自己の経験が基にあればその不安は取り除かれる。


「『アイドル・アタック』と『アイソバリック・ディフェンス』。基本的にはこの二柱の行動方針で聖都を攻略する」

「ほ。なんと言うた?」

「『あいどるあたっく』、『あいそばりっくでふぇんす』、という言葉だけは聞き取れましたが……」

「どこの言葉だ? 大陸中回っている俺だが、聞いたことのない言葉だぜ」

「言語という意味では英国という国の言葉だな」

「ルーキー、それって――」


 疑問符だらけのテント内で、ただ一人だけ、びっくりした表情を見せるパレイドパグ。

 そして、即座に俺の意図を理解したのだろう。久しぶりに心からの爆笑を見せた。


「キャハハハハ!! やっぱりテメーは最高だぜ。ここ最近のテメーはリズロットクソガキのいう英雄ってヤツにマジでなろうとしてンのかと思ってたけどよ。やっぱ、テメーはそうじゃねぇよな。ワーズワードはこうでなきゃいけねぇ」

「アイツは俺に本気を見せろといっただけで、英雄になれとは言っていなかったと思うが。なんにせよ、今の俺たちは英雄どころか大正義四神殿に喧嘩を売った世界の敵の側だ。世界の敵には世界の敵の戦い方がある。そういうことだ」

「ハッ、ふざけろ」

「ええい、何を二人だけで理解しておる! 妾たちにもわかるように説明せぬか!」


 じれた大ニアヴが声を上げた。


「もちろんそのつもりだ。しかし、その前にこの行動方針の呼び名、作戦名を決めておこうか」

「それなら、アタシが付けてやるよ。コイツに付ける作戦名はひとつしかねェ」


 駄犬がニヤリと牙を見せて笑う。実に駄犬らしい凶悪な笑みだ。


 ――かつて地球上で、たった一人の個人がとある仮想戦争を引き起こしたことがあった。

 俺を含めた世界の全てを巻き込む仮想戦争は七日の長きに渡り、そして終結した。

 それこそが世界史に残る大犯罪サイバーテロ――

 

「『セブン・デイズ・ウォー』――それがコイツの作戦名だぜ!」


 当然その個人は米『STARS』により、すぐさま『エネミーズ』にカウントされた。


 たった一人で世界が相手の大戦争を起こした、真の意味での世界の敵――『エネミーズ9』アイイリス(I.I.)。

 

 餅が餅屋なら、戦争は戦争屋。つまり、これはかの大犯罪の模倣リスペクトというわけだ。

 模倣する側がいうのもなんだが、あの野郎アイイリスは相当性格悪いぞ。 

 


 ◇◇◇

 

 

 聖都『シジマ』。

 

 シジマは豊かなマルシオン平原中央部に位置する造成都市である。

 まっすぐに伸びる道の先で、なだらかに広がる平地の一角がくっきりと四角形に切り取られていた。それは東西南北を頂点にした四角形であるので、菱型という方が正確であろうか。

 自然の中に突如として現れる幾何学図形は、その周囲を幅二〇メートルはある堀に囲まれている。

 この堀は法国最大級のロス湖から流れ出すユーコーン川につながっており、その水面は聖都の美しい『銀壁』を反射していた。

 銀壁は言葉の通りの銀の壁である。高さは六メートルほど。魔法でのみ生成可能な貴金属である銀を、都市を囲う壁に使用するなど聖都以外では見ることのできない光景だろう。この銀壁で、人々はシジマの門をくぐる前に神の偉大さと四神殿の強大さを知るのだ。


 そして、菱型の各頂点には高い尖塔が伸びている。

 四つの頂点に四つの塔。世界魚・靜爛裳漉マルセイオを筆頭とした四柱の神を信じるこの世界において、『四』は聖なる数である。

 一日は四を四に割った一六の時間帯に区切られているし、貴族は一日四度の食事をとる。団子の数も一串四つが本家で元祖だ。

 この世界の数の数え方では四を『ウル』と発音し、国名として北の聖国を『ラ・ウルターヴ』と呼ぶことから『ウル』という発音が四と聖の両方の意味を持つことがわかるだろう。

 そんな聖なる四つの塔は、四神それぞれの大神殿から伸びているものである。西のそれは軍女神・熙鑈碎カグナを奉じる火神大神殿のものであるし、南のそれは六足天馬・卷躊寧パルミスを奉じる風神大神殿のものだ。

 朝一にアルトハイデルベルヒを出て、乗合馬車に揺られること一時節(約一〇〇分)で聖都に到着する。二つの大神殿を巡り、昼食をとってから残りの二つの大神殿を巡る。聖都を訪れた巡礼の信徒や観光客は都市をぐるり一周することで、四つの大神殿の全てを回ることができるのである。

 それほど大きな都市ではないため、一日で街の全てを回りきれることも人気の一つだ。

 そうして、日暮れ前に再び乗合馬車でアルトハイデルベルヒに戻るというのが、不動の人気を誇る聖都巡りの観光ルートになっていた。聖都内にも宿泊施設はあるのだが、いかんせんどの宿も高級であるため、平民では手が出ない。

 

 都市内は常に清潔で、暑い日でも涼風が流れ、流れる水は清らかだ。

 東は皇国ルーワスから西は火国カラカスまであらゆる食材の集まる美食都市であり、世界中の美女を集めた歓楽都市でもある。

 大陸最大の歓楽街があるという評判は、神を奉る都にしてはいささか俗な印象であるが、それもまたシジマの魅力の一つだ。

 葬送式ムーク群誓式アリスを取り仕切る単なる宗教組織という枠に収まらず、魔法使いの管理を行っている。誕生式では言葉を授け、水神祭では生け贄を捧げる。世界中にニュースを届ける情報機関としての役目を負いながら、同時にその情報自体を制御する諜報機関としての側面も持つ。神への信仰を口にする裏で、巨額の金を集め、大国の王を超える権力すら持っている。そんな、聖と俗の両面を内包して世界に最大の影響力を持つ巨大組織、それが『四神殿』なのだ。

 

 その聖都中央に、一つの聖域があった。

 高い柵と屈強な神官兵が常に周囲を警戒し、ただの神官では近づくことも許されない。

 遠く見えるは、選ばれし者だけの黄金の宮殿――四神殿の全てを束ねる『聖庁』である。

 神官の認定、魔法使いの管理、国家に対する政治交渉やパワーバランスへの干渉に、莫大な収益の収集と分配。その全ては聖庁が取り仕切っている。ここが神官となった者の最終目的地である。


 今、その黄金の宮殿内で『聖選評議会』なる枢密の会議が開かれていた。

 

「いやあ。大変なことになりましたね」


 大して困ってもいない口調で切り出したのはアスレイ・ウット・リュース近衛神官である。

 

「何を笑っておるか。貴様がその場で処理しておれば、このような事態にはなっていなかったであろうに」


 体重二〇〇キロを超える巨漢の神官が答える。

 神官衣の装飾からして、アスレイと同じ近衛神官の一人であろうか。


「全くぞ。獣人を扇動して法国転覆を企てるまでは面白い見世物であったものを、何を勘違いして我らに牙を向けたのか。それこそ法王アルカンエイクに宣戦布告したならば、手を貸してやっても良かったのにのォ。ウィヒヒ」


 こちらは体重一五〇キロを超えて、なおかつ禿げている。キンと高い声が耳に痛い。


「ぶぶふふふ。冗談であろ? たとい、どのような理由があろうとも獣人に手を貸すなど、げに汚らわしきことよ」


 喉に何かが詰まったような笑い声が下顎の肉をぷるぷると震わせた。そして、床からはギシギシという異音。下顎の振動に首も腰も消え去ったひとつづきの贅肉が共鳴し、床石に負荷をかけているのだ。その体重は三〇〇キロを有に超えている。蠢く肉塊とでも表現しようか、およそ人体の限界を超越した体型の持ち主であった。

 聖選評議会の参加者は彼らだけではない。


「獣人の処理など下級神官連中にまかせておけばよかろう? もっとも手柄を立てたものに聖庁入りを約束するとでも言えば、皆手柄を競って働こう」

「きゃつらは所詮光にたかる羽虫。手で払えば、散る程度の存在よ。それより、何者かに殺害されたファグラ・アモールの案件の方が重要じゃ。近衛神官を弑するは神に対する反逆とも言える行為。四神殿の全権を持って大罪人を捕らえ、罰するべきであろう」

「それは必要であろうがな。にしても近衛神官の身分をいただきながら、なにを油断して殺されたのか。フン、ファグラ・アモールめは聖庁の面汚しよ」

「しかり」

「しかり」

「しかり」

「ギヒ、ギヒ、ギヒ。アスレイ・ウット・リュース近衛神官、貴様は貴様で下らぬコトに巻き込まれたようだが、アモールと違い命拾いできてよかったのう。もし行く先がたごうておれば、死んでいたのは奴めではなく貴様の方だったのではないか?」

「グハハ」

「フフフ」

「ヒヒヒヒヒヒヒ」


 次々に誰ともわからぬ魔性の嘲笑が重なる。最も聖なる宮殿の最深部が、このように醜く歪んでいるというのは、なんたる皮肉であろうか。


 『四神殿は腐っている』。これはワーズワードの言だが、彼は臭いに敏感な日本人らしい感性で、この腐臭を早い段階から嗅ぎつけていたのかもしれない。


 なお室内のおおよそ九割は三桁を超えているであろう立派なファットボディを有していた。まるで肥えることが神に近づくことだと言わんばかりに、男女等しく高位聖職者は皆、丸い体型に近づいてゆくものであるらしい。

 地位としては、聖選評議会に参加するもの全員が近衛神官ではない。ファグラ・アモールを失った今、アスレイとアスレイに答えたはじめの三人だけが残る近衛神官であり、その他の者は聖庁内に働く様々な役職の長である。

 アスレイは近衛神官とはいえ新参であり、対外的には四神殿を象徴する地位にある彼も聖選評議会の中で大きな発言権を持っているわけではなかった。


 そもそも、近衛神官とはなにか。最強の魔法を行使できる、神官として最上位にある者を指してなぜ『近衛』というのか。


 その答えは明瞭だ。


 ファサ――

 

 室内に風が流れた。

 風が薄い布でできた簾をひらひらと揺らす。

 室内の最奥。薄布で仕切られた一段高い場所に、玉座が備え付けられていた。

 そこは多く議論を交わす聖選評議会の中にあって、特別な座。

 四神殿の中枢を担う人物が揃うといっても、聖選評議会はあくまで議論を行うだけの場であり、議論を聞き、最終決定を下すのはただ一人の人物である。

 玉座に座す人物の腕が動いた。


「聖下!」

「聖下」

「聖下、神託でございましょうか」


 アスレイが膝を折る。

 膝を折ることのできない他の近衛神官はその場で低く頭を垂れる。

 

 玉座に座す人物、四神殿における最上位神官を『四神殿総斎主』と言った。


 四神殿総斎主は名を持たない。この地位にある者に人格はないのだ。ゆえに名も姓も尊属姓も持たず、ただ『聖下ウラヌス』とのみ呼ばれる。個を捨てた者だけが、地上の神権代行者の責を負うことができるのだ。

 そして、四神殿総斎主と接触コンタクトが許されるのは近衛神官の地位を持つ者のみ。つまり、総斎主聖下に唯一近習することを許された神官を『近衛神官』と呼ぶのだ。

 

 簾の向こう側に透けて見えるのは体の輪郭だけだ。

 その指の陰がある一人を指していた。

 皆の視線がその人物に集まる。

 

「フひー、フひー、フひー!」

 

 それは枯れ木のように細い手足を持つ常には見ない人物だった。

 コケた頬には余った皮膚がだらりと下がり、見開かれた瞳だけがギョロリと大きい印象を与える。

 挙動不審な視線は常に左右を警戒するように動きまわり、荒い呼吸で己の背後を幾度となく振り返る。

 なんとも病的な人物である。室内の皆の視線も呆れを通り越して、冷ややかだ。

 

「ホホ。聖下の前で緊張なされておるのかえ」

「この者は? リュース近衛神官、確かそなたが連れてきた人物だな」

「はい。この方はサリンジ・ダートーン火神神殿上級神官ジグラット・カグナルです」


 なんということであろう。この枯れ木のような手足の男がサリンジ・ダートーンだというのか。

 かつて丸々と肥え太り、自信と矜持に満ちあふれていたはずのサリンジがまるで魍魎に魅入られたかの如き、悲惨な変貌を遂げていた。

 ワーズワードの前から消えた後、彼に一体なにがあったのだろう。


「説明せよ。聖下はそのダートーン卿のことを問われておる」


 神に添う四神殿総斎主は、言葉を発しない。近衛神官がその意を解き、人の言葉に翻訳する。

 現代の宗教者の多くは人前に出て訓示を行うが、四神殿総斎主はそうではない。その存在自体が聖庁に上がったものにしか知らされない、完全に隠された存在であるのだ。

 翻訳を行った近衛神官が、同地位であるはずのアスレイに詰問口調で命令する。

 だが、当のアスレイはまるで感情を乱さず――それどころか今の状況を楽しむような笑みさえ浮かべ――その問いに答えた。


「この方が、四神殿に宣戦布告を行ったワーズワードがよろしく伝えて欲しいと名指しした人物だからです」

「フひぃぃぃぃぃ!」


 ワーズワードの名を聞いたサリンジが首を絞められたニワトリのような声を上げた。

 頭をおさえて、ガタガタを震えながら膝をつく。こうなるともはや病的ではなく本物の病気である。

 聖選評議会の視線は一層冷たくなる。


「それだ。何者なのだ、そのワーズワードというのは」

「これまで全く聞いたことのない名だ」

「何者ぞ」

「何者であろうと四神殿にあだなす背信者であることには違いないわ」

「そのあたりを詳しくお聞きするためにお呼びしました。彼のひととなりは、ダートーン卿にお話頂くとして、私が知る限りでは一つだけ。ワーズワードは法王アルカンエイクに匹敵する魔法の使い手だと思います」

「なにィ!?」


 色めき立つ室内。

 聖選評議会の中では立場の低いアスレイと言えど、魔法の能力では四神殿の頂点に立つ近衛神官の一人である。

 その近衛神官が法王に匹敵すると口にする重み、それを理解できぬほどの愚者はさすがにいないらしかった。

 

「聖都を囲うアルムトスフィリアもそれを率いるのがワーズワードであるならば、それを脅威なしとは言えないでしょう。彼という人物を皆様にご理解いただき、そして聖下のご判断を仰ぐ材料として、ダートーン卿には彼について知っていることの一切を喋っていただきましょう」


 その言葉に誰もが息をのんで、サリンジを見つめた。

 サリンジから引き出すことのできる情報、それは重大なものになる。――とその時、床にうずくまるサリンジの頭上に緑の光が輝いた。


「む、これは【パルミスズ・マインド・ネイ/風神伝声】」


 四神殿の中枢組織だけあって、聖庁務めともなれば近衛神官の地位は持たずとも皆一流の魔法使いである。

 彼らレベルになれば、魔法の発動光の色合いだけでその種類を予測可能だ。もちろん、四神殿と全く系統の異なる濬獣ルーヴァの魔法は別にしてだが。

 この世界の人間に源素それ自体を見ることはできない。が、魔法の発動時に現れる光の色は使用される源素の色に対応しているため、それが可能なのだ。

 

「ひぃぃ! フひぃぃぃぃぃ!!!」

 

 これまでで最大の恐怖を見せるサリンジ。

 ちょうど今、彼の頭のなかにとある人物からの囁きツイートが届けられたのだ。

 サリンジにしか聞こえないその声はこう言った。


『ワタシ ワーズワード キチャッタ ホラ キタノトウヲ ミテ ミテ』


 と。

 途端にサリンジの額から冷たい汗がじわりとにじみ出る。初期の頃には滝のごとくドッと流れる虹色の脂汗だったものが、今では脂分控えめだ。


 多くの説明は不要であろう。サリンジにこのツイートを送ったとある人物はワーズワードである。

 この脳内ツイートはある日を境に毎日届くようになった。それも一日一回ではなく、二度三度。その頻度はランダムでその内容は猟奇的だった。

 

『ワタシ ワーズワード アナタノ コエ ガ キキタイワ』

『ワタシ ワーズワード ワタシハ ココヨ ミエルデショ』

『ワタシ ワーズワード イツモ アナタノ セナカ ヲ ミテイルノ』

『ワタシ ワーズワード ドコへ ニゲルノ』

『ワタシ ワーズワード アナタハ ニゲラレナイ』

『ワタシ ワーズワード ホラ マタイッポ アナタ ニ チカヅイタ』


 直接相手の脳内に言葉を伝える【風神伝声】は、着信拒否のできない携帯電話のようなものだ。

 何よりサリンジを追い詰めたのは、サリンジのいかなる反応も無視して囁かれる無機質な声である。

 どれだけ懇願しようと反省を述べようと、あるいは謝罪の金銭や条件を提示しようと、ワーズワードはその一切を無視して、この猟奇的なツイートを送り続けていたのだ。

 

 ワーズワードがサリンジに対しそれだけの深い怨恨、枯れぬ妄執を持っているのかと思いきやそうではない。

 初めはただの思いつきのイヤガラセがスタートだったのだが、次第にその文面を考えるのが面白くなってきて、馬車移動でできることも限られている中での暇つぶしとして最高の娯楽レクリエーションになったのである。

 にしても、途中で飽きそうなものだが、ワーズワードはこういう機械的な行動を苦にしない性質がある。

 その性質たちの悪さはまさしくロジカルモンスターだ。アイイリスのことを悪しざまにどうこう言える人間ではない。


 一方、そんな意図を知らぬサリンジは、これをワーズワード極大の怒りの表現だと受け取っていた。

 ワーズワードがどこまで自分に近づいているのかわからず、無機質な囁きは一方通行で言葉が通じない。交渉ができない。それでいて常に見られているという恐怖。

 どこへ隠れようと自分を遥かに超える魔法の使い手であるワーズワードから逃れるすべはない。次にワーズワードと出会った時が自分の最後――そんな妄想の恐怖が、サリンジのぽっちゃりボディをスレンダーなカレキボディに変えたのだ。


「どうしたのです、ダートーン卿」

「フひー、ワーズワード様が、ちっ、近くにっ! 外に出て、北の塔を見ろと、おっしゃっておりま、ままままああああ!」

「どういうことです。この魔法はワーズワードの? まさか、このようなタイミングで」

「北の塔とは世界魚の塔のことか!」


 ドッ――――


 誰かがそう叫んだタイミングで、大気を揺らす衝撃が聖都を襲った。

 どこか遠くで大きな爆発が起こったような、そんな衝撃音だ。


「何が起きた!?」


 聖選評議会にあった余裕、楽観はこの時に消え去ったと言って良い。

 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴ…………


 足元を小刻みに揺らす不吉な振動が続く。

 皆一斉に黄金の宮殿にあいた窓にへばりつき、サリンジの言った北の方角を見た。誰も彼も肉がつきすぎて、窓際で押し合う後ろ姿はまるでボンレスハムの詰め合わせだ。

 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴ…………

 

 彼らは見た。そして、理解した。己がこれから戦わなければいけない相手のことを。その戦力の一端を。


 水神大神殿から伸びる世界魚の塔と呼ばれる塔があった。

 それは蒼穹に伸びる銀の剣。

 それは天へと続く白のきざはし

 聖都の誇るもっとも美しいアート・アーティファクトの塔である。

 皆が見たのは、その世界魚の塔が半ばでポッキリと折れ、今まさに落下崩壊しつつある光景であった。

 

「ワーズワード様に違いありませんッ、ついに私を殺しにやってきたのですッッ、フひいいいいい!!」

「聖都の象徴が……」

「バ、バカな。本気か……本気で我らを相手に戦争をしようというのか……」

「ワーズ……ワード……」

「これはこれは。自ら宣戦布告を突きつけてきただけはありますね。口だけではない」


 皆が我を忘れて放心する中、一人今の状況を見通していたかのような冷静さを保つ人物がいた。

 アスレイが簾の向こう側の玉座に座す総斎主聖下に向かい、再び片膝を折る。

 

聖下ウラヌス、ご宣託ください。強大な敵が現れました。難事に対し、四神殿最強の戦力である近衛神官ロストンを動かすご許可を。この私に、行動の自由を」


 変わらぬ微笑みの中、アスレイの瞳が薄く開かれていた。

 

 それは再び吹き荒れる嵐の予兆か。

 世界魚の塔の崩壊が、これから始まる『聖都攻防戦』の幕開けとなった。



 ◇◇◇



 一つの戦いの幕を上げる前に、別なるもう一つの戦いの幕を下ろしておかねばなるまい。

 それは誰も知らぬところで始まり、誰も知らぬところで決着した戦いの結末である。

 

 薄闇の中に血の花が咲いた。

 

「ヌゥ」

「――自在忍刀『三郎四郎』。己が手に馴染んだ愛刀を再現するのはそれほど難しいことではござらんかった。魔法による物理事象の発生。拙者はこれを『可変級』と名づけてござる」

 

 蛙足けいそくの術で大樹の幹にへばりつくジャンジャックが言葉遊びを楽しむように、そのような事を言う。

 その手に握られているのは奇妙な形状の刃だ。

 バシャリという音と共に、大量の血液が黒い大地に流出した。ディールダームの右腕がその半ばから切断されていた。

 巨岩が震えた。それは死の恐怖のためではない。抑えようとも溢れだす歓喜の震えである。

 ディールダームが吠える。

 

「迷いなき殺意。貴様は我が望みし強者よ!」

「戯れ言……次は素っ首、頂戴いたす」


 ジャンジャックが全身の撥条バネを限界まで弛める。弛めて弾ける超速度。

 この速度の前には、たとえワーズワードであっても魔法など使う余裕はない。

 対転移者の戦い方として、これは一つの解であろうか。

 もっとも、このような常人離れした戦い方ができるのはジャンジャックだけであるため、汎用解とも言いがたいが。

 遠く離れた樹の幹の陰から二人の戦いを見るロゼット。

 接触の瞬間、再び血の花が咲いた。


「皃靆霪熙熙皃熙罕――!!」


 直後、少女の高い悲鳴が樹間に響き渡った。

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