Double Dragon 08
タッタッタッと回廊に響く軽やかな足音。
文字通り、暗中に躍動するリゼルである。
「さってっと。地下のプロテクトは終わったわけだけど、あとはあれをどうしましょうか」
ワーズワードはリゼルを魔法人形であると分析したが、仮にそうなのだとして、リズロットの本拠地ともいうべきここ封禍宮でまで、リゼルの姿で行動する理由があるのだろうか。
なおも回廊を進むリゼル。彼女は一つの小部屋の前で立ち止まった。
手に持つ明かりで照らす。ここもかつては牢屋として使われていた部屋なのだろうか。黒い染みが残る室内だ。
リゼルの瞳が室内に転がる『それ』に注がれる。
「きゃー。あの子たちが間違ってこの部屋に入ったらびっくりさせちゃうわね。私もブルービアードにはなりたくないし。もういっそ完全に封鎖するしかないかしら。えい、有言☆即実行、『ライト・セイバー』ぁ!」
ヴン――
リゼルがライト・セイバーと呼ぶそれは【アルテシア/乾坤剣】の魔法である。
【乾坤剣】は、質量を持たない光の刃。それは発動と同時に空まで一直線に伸び、触れるもの全てを切断する。この魔法を宿したアーティファクトは『雲を裂く剣』と呼ばれ、世界の七大アーティファクトの一つに数えられている。
そんな魔法を地下で発動させれば、セルフ埋葬される結果になりそうだが、そこはさすがというべきだろうか。最弱調整された【乾坤剣】は十数秒をかけて、やっと石壁を切断できる程度の破壊力に抑えられていた。
ゆっくりと腕を振って部屋の壁を切り崩す様はウォーターカッターによる石材切断作業のようだ。
小さな衝撃。壁に支えられていた天井の一部が崩れ落ちる。落ちてきた土砂により小部屋の入り口が完全に閉ざされた。
一つ誤れば封禍宮全体が崩れてしまいそうな大雑把な処置だが、リゼルは満足そうに頷いた。
「あとはワーズワードが本当に私のお願いを聞いてくれるつもりがあるのかどうかね。もし彼にその気があれば、嚢中の錐は袋を突き破らずにはいられない。その行動は必ず誰の目にも映るものになる。私はそれを待ちましょう。上映前のCMタイムは長く退屈なものだけど、本編が始まる瞬間の緊張感は嫌いじゃないわ。私はそれを特等席で見るために、この世界に来たんですもの!」
孤絶主義者らしく、リゼルは一人で盛り上がっていた。
「それじゃ、シャルちゃんとフィリーナ王女を迎えにいきましょうか」
跳ね踊る足取りでレニの部屋まで戻ってきたリゼルは、部屋の中から漏れ聞こえてくる声の中から一つの単語を聞き取り、足音を忍ばせた。
「アルカンエイク? そう聞こえたわね。何のお話をしているのかしら」
部屋の前で石壁にもたれかかり、中から漏れ聞こえてくる声をそっと聞く。
どうやら、アルカンエイクの異世界転移時の状況を話しているようだった。
これだけの近距離にいればレニが気づきそうなものだが、濬獣の持つ心の聲を聴く能力もリゼルの心だけは聞こえない。
それはリゼルの心がここにないからである。
そして、地底の洞窟の奥底に突き落とされたアルカンエイクが三〇日を生き延びたのだというレニの言葉を聞いた。
「まあ。地底の暗黒は『妖精の粉』の明かりで照らせたのでしょうけど――そういえば、強制に与えられた情報群の中に食べられるキノコの知識があったけど、あれは実体験だったのね。全てを見透かしているように見えて、アルカンエイクも裏では苦労していたのねー」
アルカンエイクが恐ろしいというレニの認識はリゼルから見ても正しいものに思われた。
地球上で『世界の初めての敵』と呼ばれるアルカンエイクをこの世界の門番が直感でこの世界にも負の影響を与える存在であると判断したとしてなんの不合理があろう。
だが結果としてアルカンエイクは生き残り、レニは直感という無意識の判断よりも己が納得したアルカンエイクの理論の側に傾いた。
結果、
「心で否定しても、掟には逆らえない。そんな二律背反に耐えられず、自分の意志で地下に閉じこもったのね。掟を敷く側の裁定者が掟に縛られるなんて、自縄自縛もいいところね。とても弱く、とても俗な……ただの人間だわ」
リゼルはレニの在りようをそう分析するのだった。
三人の会話は続く。
「頭を上げてほしい。私は王のことを何も知らなかった。だから、知らねばならないと思う。そなたから貴重な話が聞けてよかった。私もまた、王の紗群だから」
「あなたは……いえ、そうですか」
「次はシャルの話をきかせてくれないだろうか」
「私ですか? あのっ、私は小さい樹村の生まれですので、面白い話などは」
「言葉が足りず、すまない。そうではなく、先ほどシャルが言った『ワーズワード』なる者の話を聞きたいんだ」
「ワーズワードさんをご存知なのですか?」
「アルムトスフィリア、獣人解放運動が始まる少し前だろうか。我が国に仕える神官がその名を伝えてきた」
「あっ、火神神殿上級神官の――」
「やはり、知っているんだな」
ゼリドの怒りを買ったとは言え、フィリーナは法国の元王女にして、アルカンエイクを群兜と仰ぐ法国要人の一人である。
ワーズワードが獣人解放という法国内乱の実質的首謀者として法国に敵対する行動をとっている以上、フィリーナに必要以上の情報を与えるのは躊躇われる場面であろう。
通常であれば。
だが、シャルは政治的意図などという発想自体を持ち合わせておらず、ただキラキラと瞳を輝かせた。
「わっ、出会ったことのないフィリーナさまにまでお名前を知ってもらえているなんて、やっぱりワーズワードさんはすごい人ですっ」
「すごい――やはり、そういう人物なのか」
「はいっ、ワーズワードさんはすごい人ですっ」
先ほどシャルがレニに話した中にワーズワードの名は何度も出てきたが、それは自分たちとニアヴとの関係を説明する上での薄い内容に過ぎなかった。ワーズワードの人格や性格、ワーズワードに向けられたシャルの感情については、そこには含まれていない。
また長い話になりそうだと思われた矢先、部屋のドアがトンとノックされた。
「ふっふー。そういう話なら、私も聞きたいわ」
「そなたがなぜ」
「リゼル……さん」
「この世界でのワーズワードの軌跡。それってとっても興味あるわ。その代わりに私も教えてあげる。……あなたたちの知らない『世界』のワーズワードの話を」
そして、リゼルはパチリと小悪魔なウインクを飛ばすのだった。
◇◇◇
ユーリカ・ソイル『領政館』内、執務室。
『それは――難しい』
『そうか。では判断保留ではどうだ。前提上、そう長くはかからない想定だ』
『具体的には』
『そうだな、暴走しなければ一〇日といったところか』
『それだけでよいのか。わかった。一〇日は我の力で持たせてみせる』
『面倒をかけてすまない』
『よい。そなたのために負う面倒であれば、我は喜んでこの身を粉にしよう』
ルルシスは頭の中の声が途切れると同時に椅子に深く沈み込み、重い息を吐いた。
法王アルカンエイクの引き起こした『ラバックの惨劇』は全世界の知るところとなっている。
これまではアルムトスフィリアを陰から支援していたルルシスであるが、ラバックの惨劇を機に『北の聖国』『西の光国』『東の皇国』はアルムトスフィリア支持を目的とした『対ヴァンス三国同盟』を公式に宣言した。
四大紗国に続く国力を持つ小紗国の中でも獣人国家の『竜国』を筆頭に『海楼国』『天国』もこれを積極的に支持し、次いで同盟へ名を連ねた、『火国』『炎国』は互い手をつなぐことのできない事情のため同盟に参加することはしなかったが、立場上は両国とも同盟支持である。
各国の迅速な連携は全てはルルシスによる根回しありきの結果だ。
残る『公国』は中立の立場を崩さなかったが、公国はどことも政治的つながりを持たない鎖国体制を敷く国家であるため、ルルシスももとより数に数えていない。公国は竜国以上に遠い国である。
いずれにしても『南の法国』 包囲網が、ここに完成したのだ。
対ヴァンス三国同盟は聖国の『姫公爵』ルルシス・トリエ・ルアンを盟主とし、その全権は『光太子』ミハイル・セドル・アロニアが行使する。そして、『魔皇』ゼファーが二人の権限を承認する。
この同盟に関して、皇帝は動かず、光王は黙し、魔皇ですら一歩を引いてみせた。もし彼らのうちの誰かが同盟の先頭に立てば、仄暗い大国の思惑を匂わただろう。
大国の思惑、それは事実存在するのだが、姫公爵、光太子は未だ二十代、魔皇ですらやっと三十路に足を踏み入れたばかりの若い世代である。この若々しい陣容は明るく新しい時代の到来を感じさせるのに十分な効果があった。
若い彼らが先頭に立ち、獣人奴隷解放運動を支持したことで、獣人が奴隷にされる、あるいは差別される時代が本当に終わったのだという言葉以上の印象を与えることに成功したのだ。
誰よりも獣人たち自身が、初めて自分たちの未来に明るい希望を見た。
あらゆる街や村に暮らす獣人が歓喜の鳴き声を上げ、自らも法国へ乗り込むべく、住んでいる街を出ようとした。
この単純さもまた獣人の獣人たる所以であろう。
法国に向かい走りだそうとする獣人たちを落ち着かせるのは難しかったが、最終的にはこの一言で納得させた。
「皆が行かずとも、竜国がすでに動いている」と。
とはいえ、このような同盟の存在など、アルカンエイクは歯牙にもかけないだろう。同盟の圧力は法王にはなんらの効果も及ぼさない。
だが、この声明は法国貴族に効いた。比較的動揺が少ないのは、既にアルムトスフィリアの要望を受け入れた幾つかの貴族領と王都アルトハイデルベルヒくらいだ。
内の混乱は収まらず、外からはいつ同盟が圧力をかけてくるかもわからない状況に不安を持たない貴族はいない。
最強の王という勇名が生み出した最大富裕の時代は、同じ王の起こした惨劇により崩された。
一方的な非難もその元凶が法王である以上、貴族は皆一様に押し黙り、嵐が過ぎるのを待つしかなかった。
国境に領地を持つ貴族の悩みは更に深刻で、アルムトスフィリア支持を口実に他国の兵が自領に攻め込んでくるかもしれないという想像は、不安を通り越して恐怖ですらあった。
状況でいえば、一対九の割合で同盟が押している。
法国側からこの状況を打破できる秘策はもはやないように思われた。
が――ここで同盟の動きが止まった。
ルルシスが虚空に言葉を放つ。
「なぜ今なのか。四神殿を敵に回して、何が得られる。我にはそなたの見ているものが見えぬ」
それは寡黙なルルシスにして、非常に稀な独り言であった。
ルルシスの困惑は、そのまま同盟の困惑でもある。
勢いのまま王都へ迫るかと思われたアルムトスフィリアがその一歩手前で足を止めたのだ。
そして、突然の宣戦布告を行った。
その場所の名は聖都シジマ。宣戦布告の相手は、四神殿。
聖都は四神殿の中枢組織、聖庁が置かれる都市であり、王都アルトハイデルベルヒと聖都シジマは『双星の都』と呼ばれるほどに近い場所にある。
双星の都といっても、四神殿はあくまで独立した組織である。シジマは法国にあって法国でない。
例えば、各都市には国法のおよばぬ神官の治外法権区域『神苑』が存在する。水火風土の各神殿は神苑内に建てられ、神官は法の制限を受けることなく、この世の快楽を愉しむことができるという腐敗構造が完成されている。
シジマは都市自体が一つの巨大な神苑である。法国に対して圧力をかける対ヴァンス三国同盟も、四神殿相手には当然不干渉である。
故に、この宣戦布告の扱いが難しいのだ。
同盟の盟主であるルルシスとしては四神殿への宣戦布告まで支持することは難しく、だからといってこれでアルムトスフィリア支持を打ち切るわけにもいかない。
四神殿への宣戦布告は今アルムトスフィリアが持っている破竹の勢いを殺すだけの愚策ではないか。少なくともルルシスにはそのように思われる。
結局ルルシスはワーズワードに、一〇日という期限を切った判断保留の対応までしか約束できなかった。
「我はそなたの深慮を疑わぬ。しかし、ワーズワード。四神殿はたとえそなたであっても一筋縄ではいかぬ相手であるのだぞ」
深い憂いがルルシスの長い耳を2ミリ下降させた。
ルルシス・トリエ・ルアン公爵をここまで悩ませることができるのはワーズワードくらいであろう。
「同盟は動けぬ。が、そなたの紗群である我は別だ。そなたのためにできる限りのことをしよう」
ルルシスは側近を使い、一人の男を呼び出した。
「公爵様、お呼びで」
杖を突き、左足を引きずるようにひょこひょことした足取りで現れた老人の名をバジル・ド・エルモアという。
バジルはかつて帝宮最高魔術師として、当時の聖国朱軍大将のミゴット・ワナン・バルハスと幾度も火花を散らした高位魔法使いだ。
老いて後は王家に直接召し抱えられ、今ではルアン公爵家の専属としてゆるり仕えている。
「声を、王都へ」
「はいはい。帝宮でございますかな」
声を、ということは伝声官としての役の呼び出しであろうか。
伝声官は【パルミスズ・マインド・ネイ/風神伝声】の魔法を使えれば誰でもなれるという職ではない。伝声先の相手のことをよく知っていて、声を伝える者でなければならない。ルアン公爵家の伝声官ともなれば王都の大貴族やアルテネギス皇帝へも直接声を届けられる必要がある。王族や貴族の会話となれば、様々な機密や秘事を耳にすることになるだろう。
そんな全ての情報を知りうるがために、伝声官は誰よりも信用できる人間でなければならない。
信用と能力の両面において、バジルを超える人材はそうはいなかった。
バジルがルアン公爵家にいるということそれ自体が、ルルシスが聖国にとっての最重要人物であることの証である。
老いて後、かつての鋭い眼光もその険を失い、口調もどこか柔らかいバジル。ミゴットとも今では良き茶飲み友達だ。
ルルシスがふるふると首を振る。
帝宮へ声を届けるという場合、帝宮伝声官が公式な窓口になるのだが、伝声先はそこではないらしい。
ということは、帝宮で働く誰だか個人ということか。
帝宮の全てを知るバジルにとって、今の帝宮高官は皆かつての同僚や部下のようなものなので、誰の名を告げられても声を届けることができる。
「伝声先は――」
そうして伝えられた名に、バジルはにこりと微笑んでみせた。
「ほうほう。姫様からあやつに直接の御用とは。よほどのことでございましょうか」
ルルシスはこくりと頷いた。
◇◇◇
「群兜、皆様お揃いとのことです」
「よし、では行こうか」
フェルナに呼ばれ、振り返る。
小高い丘の上だ。薄く波打つ地形は大地の上にいくつかの丘と沼を作っている。
今俺がいるのは聖都シジマを臨む平野の一角である。
シジマは都市を囲う銀色の壁と高く伸びた四本の尖塔を持つ四神殿の中心都市だと聞いている。遠く見える聖都はあれが四神殿の本拠地かと思うほどに小さく見える。都市としての大きさはユーリカ・ソイルの半分程度だろうか。
だがその小さな都は、事実上、世界最強の軍事力を備えているのだ。
フェルナに先導されて歩く緩やかな丘の斜面にはたくさんのテントが並んでいた。
斜面を行き交う者の姿はさまざまだ。大きな耳に丸い耳、長いしっぽにふさふさしっぽ。髪の色などは人間の中では目立って仕方のない俺の黒髪がただの無個性に思えるような色素の爆発である。
こうして見ると獣人という種の多様性には驚きが多い。
そもそも論としてなぜこの世界には動物の特徴を持つ獣人という種が存在するのか?
現代における生物進化は『生物遺伝子の経世変化』であると理解されている。
チャールズ・ロバート・ダーウィンのいう自然選択と適者生存の理論とグレゴール・ヨハン・メンデルの発見した遺伝子の理論を土台とした総合進化学がそれである。
なんというか、一九世紀のヨーロッパは偉人のバーゲンセールだな。
それはさておき、自然の進化で彼ら獣人なる種が発生するとは考えにくい。
狐や兎、犬といった四足歩行の動物が仮に二足歩行のスタイルに進化したのだと仮定しても、それはまさしく二足歩行する獣にしかならないはずで『獣の特徴を持つ人間』にはなりえない。
つまり、発想が逆なのだ。
獣人とは獣を基として獣が人間のような進化をした種なのではなく、人間を基として人が獣の特徴を獲得した種なのであろう。
それが俺の考察の結果であり、俺が『獣人は人間である』と言い切る根拠でもある。
だが同時に、人間が自然に進化した姿が獣人というわけでもない。適者生存の進化が、これほど明確に多種多様な獣の特徴を発現させるわけがないからだ。
進化でなければ混血という線はどうか。いや、それもない。塩基配列(DNA)が全く異なる人と獣で血が混ざり合うことはありえない。人と狐が交尾して狐族が生まれましたー、とはならないのである。
仮に異世界ファンタジーでそれがアリだとしても、アニマルファッカーが一族の始祖だと聞けば、その子孫は間違いなく自らの首を縄にくくるだろうから、一族絶滅して獣人の歴史はそこでめでたくジ・エンドとなる。
そうはならず、各種族が少数ながらも続いている現状がある。それに俺は見たことがないが、獣人の中には有翼種という鳥の特徴を持つ種族もいると聞く。仮にその線がアリだとすれば、胎生と卵生という種族どころではない受胎の壁をどう解決したのかという話になるし、そもそも最初の一人が特殊性癖すぎるし、という話になる。
などなどの理由から、遠い先祖の異種姦の線は消してもよいだろう。
進化でも混血でもない、他種形質獲得という遺伝子変化。
そんな超常の現象に関わる因子があるとすれば、それはもう一つしかない。
俺の目にだけキラキラと輝いて見える、この――
「『ID』か……それであれば、アスレイが神の生み出した生物の中に獣人の名がないと言った説明もつく。だとする、そこにはそうする目的があるはずなんだよな。目的があるからこそ『ID』なわけだしな。だとすればやはりそれは……そういうことなのだろうか」
「何かおっしゃいましたか、群兜」
「いや、なんでも」
詮なき思考だな。俺が彼らの発生について考察し、言い当てたところで、誰の何が変わるわけではない。
今の彼らは、遠い過去の目的とは無縁に生まれ広がった『NID』の生命だ。
目の前に俺を待つ二人の人物がいた。
「やっと来たの」
「待たせた。お前も出るのか、パレイドパグ」
「あー。一応な」
なぜだか最近二人でいる姿をよく見る。
小高い丘の麓にひときわ大きなテントが張られていた。キャンプ用の簡易なものではなく、モンゴル遊牧民の住まうゲルのような天井の高い立派なものだ。中に三〇人は余裕で入れるだろう。
ここがしばらくの間、作戦司令室となる。
右にフェルナ、左にニアヴ、おまけにパレイドパグを従えてテントへと向かう。
テントを守る獣人くんがおそらく軍隊式なのであろう敬礼で俺たちを迎え、布の扉を押し上げた。
「待ってたよ、ワーズワードサン」
室内最奥に座るリストが俺を歓迎する。
それと同時に室内にあった十二の瞳が、一斉に俺たちを見た。
右列に三人、左列に三人、そして上座のうちの一席にリストが座っている。テーブルはなく絨毯の上にあぐらをかいて座るアジアンスタイルだ。
その中で俺が見知っている顔はリストを含め二人だけ。
「みんな、同胞解放の英雄ワーズワードサンとニアヴ治林を治める濬獣ニアヴサマだよ」
左右の六人が片膝立ちの姿勢で深く頭を下げた。
続けてフェルナとパレイドパグを紹介した後、リストもまた深く頭を下げた。
「ワーズワードだ。よろしく頼む」
「ニアヴじゃ。妾たちにそのような作法は不要ぞ。お主らも名のある者であろう」
「「はっ!!」」
大きな声がビリリとテントを震わせた。うーん、再認識するニアヴという名の重さよ。
皆の後ろを通り、上座に移動する。リストが俺とニアヴに場所を譲って、次席に移動した。ここではそういう扱いで通すという打合せ通りだ。
目の前に揃うは、獣人解放を目的としたアルムトスフィリアの協力者ではない。
「ワーズワードサン、ここにいるのが本国から駆けつけてくれた隊長サンだよ。聖都攻略、負けられないからね!」
そう、彼らは獣人の本場、竜国からやってきた助っ人である。
ここからは獣人解放運動ではなく、聖都攻略戦が始まるのだ。
通常の戦闘であれば勝敗は数で決まるが、相手が一騎当千の魔法使い――神官ばかりとなれば、部隊長クラスには質が要求される。
そのためリストを通して、協力してくれる優秀な人材を集めてもらったのだ。
ルルシスですら二の足を踏んだ四神殿への宣戦布告であるが、竜国は攻める相手が四神殿だと伝えようと怯むことなく、最強の援軍を送ってくれた。
法国内で膨れ上がったアルムトスフィリア参加者三〇〇〇と新たに加わった竜国の兵士一〇〇〇。合計四〇〇〇が今動かせる全戦力である。三〇〇〇の中にはやせ細った逃亡奴隷や女子供も含まれるので実質の戦力はもう少し下がるが、攻める先は大きくもない一都市のみ。
数の上では圧倒している。戦局を左右するのは、ここに集まってくれた部隊長クラスの皆の能力である。
……神官と一般人の戦力差はひとまず忘れての話であるが。
「まずは遠路遥々の集結、ありがとう。リストは俺を英雄と呼んだが、それは少々過大評価だろうか。俺はただきっかけを作っただけだ。実際に声を上げ手足を動かしてこの国で解放運動をここまで拡大させてきたのはお前たち獣人自身だ。その間、俺は裏側で少しばかり頭を動かしていただけに過ぎない」
「何をおっしゃるか! ワーズワード様がおらねば、我らの同胞は今でも枷の捕らわれたままであった」
「そうだよ。アルムトスフィリアだけじゃなくて、対ヴァンス三国同盟だって実質ワーズワードサンが動かしているようなものじゃないか」
声を上げたのはアルムトスフィリア第一隊を率いている獅族レオニード・ボーレフ、そしてリストである。
「それはお前たちがことの裏側を知っているからだ。俺を知る者からそう思われる分には否定はしない。だが、それを知らぬ相手への説明としては大雑把すぎる。そもそも、どんな実績があろうと裏方で頑張っているだけの人間を英雄とは呼ばないだろう」
「ひっひ。左様でしょうなあ。人はそれを英雄とは呼ばぬ。おっと失礼、儂はルードビア猿王家より使わされたスローリ・エンテと申す。『双曲刀のスローリ』とは儂のことよ」
声の主は額に深いしわを刻んだ猿族の獣人である。といっても、深いしわといっても歳は四〇くらいか。額のしわは歳故ではなく、猿族故のものであろう。
油の乗り切ったレオニードに勝るとも劣らぬ完成された肉体で盛り上がった両肩の筋肉だけならレオニードを凌駕している。
「エンテ公!」
「おいおいレオニード。いくら相手が猿でもエテ公呼ばわりは酷いぞ」
「エンテ公だよ」
「ひっひっ。若いの。我が竜国は一人の王が居らぬ代わりに、種族を代表する諸王家が治めておる。これでも儂はマンドルトン大森林で狒族三〇〇を束ねる公爵家の当主よ。剣の腕なら竜国随一と自負しておる」
「なんと、エテ公は貴族なのか」
「エンテ公だよ。発音難しいかな? 竜国は力のある人が尊敬される国だから、一族で最強の人が皆を率いるっていうのは普通かな。ウチのナラヘール豹王家だって武術の技じゃどこにも負けないしさ!」
パワー・イズ・パワー。さすが獣人の国だけあって野蛮、もとい、ワイルドな価値観である。
しかし、獣人社会にも貴族制があるんだな。まあリストが豹王家だという時点で王と家臣の関係はあるわけで、おかしい話ではないか。
エテ公に続いて、左列に座る猛獣が気炎を吐いた。
「がうッ! 俺からも言わせてもらおう。叔父上が心酔する男がどれほどのものかと期待してみれば、いきなり自らを卑下する如き発言。英雄以前に男として認められぬ。そのような弱腰では勝てる戦も勝てぬのではないか」
「わきまえろ、ダスカー。申し訳ありませぬ。こやつは『金獅子ダスカー』。我が甥ながら冒険者として培った腕は一流で勇敢さでは誰にも負けませぬ。礼儀知らずなところはありますが、必ずやワーズワード様のお役に立つ男です」
たしなめつつも、どこか誇らしげなレオニード。ご家族自慢かな?
まあ力を貸してくれる分にはありがたいので、怒ったりはしないが。
金獅子ダスカー。その呼び名の通り、輝かんばかりの金髪をもった獅族の男だった。
彼の放つ自信と誇りに満ちた黄金のオーラは、まさに百獣の王の一族にふさわしい。
今はリストのお目付け役として落ち着きと重みを持つレオニードも昔はこのような若者だったのだろうか。
「ではダスカー。弱腰でないお前は、四神殿の近衛神官を前にして宣戦布告を叩きつけられるのだな」
「それは」
「いや、言葉で責めようというのではない。だがな、男なら言葉でなく、背中で語るものだろう」
ダスカーの目の色が変わる。
「がううッ、その通りだ。つまり、戦いの中で見るあんたの背中で判断しろっていうだな。そりゃあそのとおりだ。同じ言葉をあんたに返すぜ。あんたも俺の背中をよくみていることだ。この金獅子の背中をなッ」
「ああ、そうさせてもらおう」
あ、こいつ、扱いやすいやつだ。
獅族ってみんなチョロいヤツらの一族なのかな?
「ちなみに一つ問うが、その名前の頭につく二つ名のようなものは、みんなが持っているものなのか?」
「そんなわけないだろう。二つ名は男として名を成した証。一生の誉れだ」
「女にとっても誉れだよ。わたしも早くかっこいい二つ名ほしいなあ」
「つまり、獣人にとっての誉れなんだな。了解した」
「おお、そうです。ワーズワード様にもぜひ二つ名を」
「うん、いらない」
「がおお……」
レオニードの提案は丁重に辞退する。
その横から、また別の一人が手を上げた。
「わたくしも発言させて頂いてよろしいか?」
「お前は」
「わたくしは馬族のタリオン・ジョーでございます」
ねっとりとした口調。言葉使いは丁重で理性的な人物のようだ。
この中では一番の巨体の持ち主で恐ろしくぶ厚い胸板を持っている。服の上からでもわかるその盛り上がりは、人類では絶対に到達できないだろう。剣や槍よりも、鉄球や棍棒の方が似合いそうな体格である。
でもって顔がやや面長なのは、やはり馬族だからなのか。
「ワード様は」
「ワーズワードな。ワーズワードで一語だ」
「失礼。ワーズワード様にお聞きしたいのは一つだけ。この状況でなぜ四神殿を敵に回されなさるのか? 確かに我々は四神殿から認められてはおりませぬ。が、同じく迫害もされておりませぬ。獣人同胞を奴隷の身分に落とし、馬車馬の如く働かせる法国に深い恨みはあれど、此度の宣戦布告は腑に落ちませぬ」
「腑に落ちないのに、なぜここに来た?」
「ご恩のためでございます。同胞解放のご恩もありますが、それ以上にナラヘール豹王家のリスト様を法国の奴隷狩りからお助けいただきました恩がございます。馬族は決して受けた恩を忘れませぬ」
「タリオンはねー。ウチの王宮で働いているんだっ。昔からの仲良しなんだよ」
レオニードが説明を補足する。
「タリオンはナラヘール豹王家に仕える者の中でも一等の忠義者。此度リスト様の武者修行の旅も、私とタリオンのどちらが随伴するか最後まで定まらなかったほどの猛者です。単純な馬力だけであればタリオンに旗が上がります」
「馬だしな」
「ワーズワード様のために、この力惜しむことはございませぬ。ですが、わたくしは皆より物事を難しく考えてしまう性格なのでございます。この疑念が晴れれば、わたくしは今よりさらに倍の力を発揮できることでしょう」
四神殿を敵に回す理由なら、ここに来るまでに聞き及んでいるはずだ。だが、伝え聞いた理由ではタリオンは納得できなかったのだろう。
「ひっひ。怖気づいたか。タリオンよ」
「エンテ公。いざ戦となれば、わたくしども馬族は不退転の戦士。恐れはありませぬ。わたくしはただわたくしが納得したいのでございます。この戦の意義を」
「がうッ! 神の教えが獣人を認めない。それを打ち破るにはその教えの根本である四神殿を破壊するしかない。俺はわかりやすい理由だと思うがな。確かに迫害まではされちゃあいない。金さえ出せば、獣人でも魔法の治療をしてくれる。でもよ、結局あいつらは心の中じゃ、俺たち獣人族を認めてねぇ。それをぶち壊してやろうってんだ。理由なんざそれで十分だろう」
「冒険者として国外で名を馳せる金獅子らしい意見じゃな。儂は四神殿の神官が儂らのことをどう考えようが気にはせん。じゃが、アルムトスフィリアという獣人解放運動をここまで動かしてくれたワーズワード殿に竜国の諸王家は皆感謝しておる。猿王様などはアルムトスフィリアの状況が伝えられるたび、きゃっきゃっと手を叩いて喜ばれたものじゃ。儂の理由はそれだけでよい」
猿王というのはしらないが、その情景は目に浮かぶな。
「私はワーズワード様を全面的に信じております」
「ボクもだよっ」
レオニードとリストが続く。
皆それぞれの理由を持って、ここにいるのだ。
しかし、彼らのどんな理由もタリオンの疑念を晴らすに足りない。
彼は、それを俺の口から直接聞きたいのだ。
「タリオン、疑問を持ったままでは力を十分に発揮できないお前の性格はわかった。それは、この後の俺の話を聞いて判断してほしい」
「わかりました」
「あとは君たち二人だな」
俺は問いかける視線で残る二人を見る。
この中ではリストに次ぐ若い男女だ。
小麦を思わせる髪の色と稲穂を思わせる尾の色。つまり、どちらもキツネ色である。
「兄者、我らにも問われておるぞ」
「妹者、お前が答えるのじゃ」
「無理じゃ無理じゃ。ニアヴ様の前なのじゃぞ、わたしには無理じゃ。兄者が答えてくれ」
「お前こそ無理を言うな。兄のこのしっぽを見よ。ピンと張っておるじゃろう。これは兄がニアヴ様の前ですごく緊張しているからなのじゃ」
「そんな有様でどのようにニアヴ様のお役に立つというのじゃ。里から出てきた意味がないのじゃ。兄者は役立たずなのじゃ」
「そんな言い方はひどいのじゃ。妹者のしっぽもピンと張っておるではないか。同じなのじゃ、緊張しておるのじゃ」
「してないのじゃ」
「してるのじゃ」
「してないのじゃ」
「してるのじゃ」
「……お主ら、全部聞こえておるぞ」
「「ぴー!」」
残りの二人は、狐族の兄妹だった。
思わず口を突いて出たのであろう、ニアヴの呆れた声。
狐族の兄妹は正座のままぴょんと飛び上がった。なんだ、この小動物系獣人は。
「キャハハハ! むさ苦しいのばっかかと思ったら、かわいいのが混じってンじゃねーか。テメーにそっくりだな」
「確かにこの古風な喋りはニアヴ……?」
「古風はよけいじゃ。むう、狐族の者がすまぬ」
「いや、別にいいが」
確かに聖都攻略の作戦会議、初の顔合わせということで曲がりなりにも厳粛さを保っていた場の空気が一気に砕け散ったことは間違いないな。
というか、なんでこんなのが混じっているんだ。
俺は部隊長クラスの戦力として役に立つのを集めてもらったはずなのだが。
「お主ら、あまり恥を晒すでない。先に自己紹介をせぬか」
「ぴぃ! ハイなのじゃ。クダンの里からきたウカ・ナスサリアなのじゃ」
「兄者の妹のシズナ・ナスサリアなのじゃ。双子の兄妹なのじゃ。兄者は火神の、わたしは水神の魔法が得意なのじゃ」
「ニアヴ様のお役に立つのじゃ」
「立つですのじゃ」
ニアヴに声をかけられたのが嬉しかったのか。ピンと立っていた二人のしっぽがブンブンと力強く振られた。
右から左へ左から右へ。振れ幅まで完全に同期している。
「ええい、落ち着かぬか。お主らのやる気は分かったのじゃ」
「しかし、そうか。確かに源素光量的にその資質はあるな。それっぽくないので気づかなかった。ニアヴのために来てくれたのか」
「ばばさまが話してくれたのじゃ。クダンの里はニアヴ様の生まれ故郷なのじゃ」
「ばばさまのばばさまが話してくれたのじゃ。一族から濬獣様が出たのは名誉なことなのじゃ」
「ばかもの! 聞かれぬことまでべらべらと喋るでないわ!」
「「ぴー!」」
ニアヴの怒りに触れた兄妹が抱き合って悲鳴を上げる。
まあ、これは怒りというよりは気恥ずかしさであろうか。大勢の前で自分の過去を他人に喋られるというのは、気分のよいものではない。
「お前はいつも獣人と濬獣は違うと言っているが、今の話で獣人の里で生まれたのなら、やっぱりお前も獣人なんじゃないのか」
「妾は濬獣じゃ。それ以上でも以下でもない」
「お前は本当に……こういうところで無駄に口が堅いな」
説明してくれるつもりはないんだな。
「お主こそ、無駄な話に時間をとっている場合ではあるまい。ここは既に聖都の目の前じゃ。宣戦布告を行ったとなれば、今まさにこの場に上級の神官が直接乗り込んできてもおかしくない。魔法使いの手は長く、足は千里を飛ぶのじゃぞ」
「ハッ、神官が、いくら来ようが敵じゃねェよ。警戒すべきは王都の方だぜ。アルカンエイクの野郎がいやがる王城ってのが近すぎる。それにジャンジャックにリズロット。この宣戦布告はテメーの名前で出したモンだ。ここにワーズワードがいると知って、あいつらが黙ってるはずがねぇ。中でも一番不気味なのは――」
「わかっている。ここまで一切姿を表していない『ディールダーム』の存在だ。ただの技術者相手に完封されたばかりというのに、独裁者キラーの『エネミーズ4』は怖すぎる」
「……て割りには、余裕があんじゃねーか」
「サイバーテロリストに同じ手は二度と通じない! というのはさておき。できる限りの対策は練っている。名を出す以上、俺も無策ではないということだ」
「それを聞かせろって話だ。今回の件に関しちゃ、テメーはちっとばかり秘密主義すぎる。このアタシにもナイショでなにを考えてやがる」
そこは気付いていたんだな。特に何も聞いてこないから、気にしてないのかと思っていた。
俺は駄犬には答えず、皆に向き直った。
全員の視線が俺に集まる。
「エテ公。ダスカー。タリオン。ウカとシズナ」
「エンテ公だよ」
リストのツッコミはスルーする。
「リスト。レオニード。それにニアヴ。フェルナ。パレイドパグ」
俺はひとりひとりの名を呼んだ。名と顔を脳内に格納する。この情報は一生失われない。
「神官の使う魔法は強大で聖都の護りは堅牢だろう。法王アルカンエイクの動きにも警戒が必要で、規格外の外敵も存在する。多くの困難がある。聖都攻めに関しては同盟の力が当てにできない以上、俺たちだけでやるしかない。今から始まるのはそういう戦いだ」
エテ公の、ダスカーの、タリオンの、ウカとシズナの瞳が重い沈黙に沈む。
俺は言葉を続ける。
「しかし、こう考えろ。易く与えられた自由は同じく易く奪われる。対して己で勝ち取った自由は何者にも冒されない。困難が大きいほど、その価値は高くなる。認めてもらうのではない、認めさせるのだ。その時、お前たちは真の自由を手にする」
エテ公の、ダスカーの、タリオンの、ウカとシズナの瞳が大きく見開かれた。
「だからこそ、この戦いには意味がある。これは、そのための宣戦布告だ」
「「おおおお!!」」
タリオンは納得できただろうか。
これは自分にとって、獣人という種族にとって、無意味な戦いではないということに。