Wandering Wonder 01
深緑の中を、まるで風の通り道でも進んでいるかのような速度で駈け降りる。
なだらかに下る林道は、適度な明るさと翳りを持っており、緑の滑り台に乗っているかのような不思議な爽快感があったが、山を下りきった地点でそれもついに切れた。
◇◇◇
ザァ……と、葉の擦れ合う音とともに、一気に視界が開ける。
遙か地平線まで見渡せる開拓された平野は、見事な緑の田園風景であった。
もちろん、地平線といっても所詮は10km程度先にある丘陵まで、という理解になるが、それでもその10km x 視界いっぱいの緑のパノラマが全てが農地であるとすれば、それは広大といっても過言ではない。
道幅も一気に広がりを見せ、そこに残る轍のあとが、移動手段または農耕用としての牛馬の存在を知らしめる。
つまり、この世界は魔法という超理やニアヴという獣の化生の存在があるものの、基本的な人々の生活は農耕を基とした、地に足のついたものなのであろう。
「見てください!」
飛虎にしがみついていたシャルがまっすぐ前を指さす。
並びはニアヴ、シャル、俺の順。
俺が後ろから抱きしめる形であるため、シャルの腕は、俺の身体の下からニュッと出てきたような感覚である。
その指さす方向、地平の丘陵に人工物の姿があった。
近づくほどにその高さが露わになってくる。形としては、尖塔。日本風に言えば物見櫓であろうか。そのような建造物が道の左右に一本ずつ建っている。
「あれは?」
「ユーリカ・ソイルの塞疫薹です!」
もちろん、その説明だけでは意味を得ないが、これまで蓄積された脳内データバンクを検索し、即座にその意味を類推する。
まず薹単体で『門』を意味することは、既にわかっている。
次に、『塞疫』(カラ)であるが、同義発声である『寒』が『翼・羽』、『役』が『赤の色名・熱』の意味らしいので、そこから更に類推し『塞疫』の意味は『飛行するもの』『赤熱した』であると仮定できる。
『飛行するもの・赤熱した・門』
最後にそれをより自分にわかりやすい日本語にデコードすれば――
「『朱雀門』か、立派なものだな」
全ては一連の会話の流れの中で同時、もしくは並列解析を行っているので、思考から発声までのタイムラグは微々たるものだ。
「夜になると、塔の先に明かりが灯るんです。すごいきれいなんですよ」
「ユーリカ・ソイルの名物の一つであるな。それも楽しみじゃが、ユーリカ・ソイルと言えば、やはり『アンク・サンブルス』が一番じゃろうな」
「あっ、私も大好きですっ」
『アンク・サンブルス』なるものを知らない俺はその会話には混ざれないが、まぁ楽しみにしておこう。
新しい情報を得ることはなんであれ、重要である。
『朱雀門』を目前に、左右から更に太い道が合流した。
道行く人群れが目につき始める。
馬車や荷車に混じって歩く、軽革鎧姿の旅行者だか冒険者だかが激しく目立って見えるのは、俺がまだこの現実を受け入れ切れていないからだろうか。
彼らの顔を見ていると、男女ともにやはり、耳が長い。肌の色はシャルほどの白さを持つ者はおらず、みな健康に日に焼けている。髪の色は様々である。
同じく、シャルほどの美しさをもつ美男・美女は特に見受けられないようだ。
この世界の人種全てがシャルやニアヴ準拠の美男・美女オンリーで構成されている可能性もあったので、これも世界を知るにあたり十分有益な情報であろう。
もし全員が美男・美女であったら、必然的に俺は世界最悪の醜男ということになるので、よかったかもしれない。
いや、客観の評価では、十分標準レベルだとは思っているが。……受け入れがたい現実から目を背けた、自己正当化ではないぞ?
シャルが、なにやら言いたそうな視線を向けてくる。まさか心が読まれたわけではないだろうが、その視線に一瞬どきりとする。
「……どうした?」
「私たち、目立っちゃってますね」
「……あー」
既に速度を落としている【リープ・タイガー/飛虎】が、一歩歩みを進めるたびに、ひっという声と共に目の前の空間が空いていく。
なるほど、やけに顔の善し悪しがわかると思ったら、みな一様にこちらを振り向くものだから、観察ができていたのか。
「くふふっ、目立って当然じゃ! なにせ【飛虎】は我がっ」
「一族秘伝の魔法なんだろう。それはいいとして、そろそろ降りて歩くとしよう」
みなまで言わせず、巨大な虎の背から飛び降りる。
なにやらわめいているニアヴを完全にスルーし、シャルに手を貸して降ろしてやる。
「くっ、まあいいじゃろう。どのみち街に入るには足税の支払いがあるじゃろうからな。飛虎に乗ったままというわけにはいくまい」
「足税?」
俺の疑問に、シャルが答える。
「えとですね、街の入門には通過税がかかるんです。人は足が二本なので、一人100旛ですね。馬や牛は足が四本ですから、200ジットになります」
「人の方が安いのか」
「馬や牛は、沢山の荷物を運べますから」
なるほど、そういう計算になるのか。
「六足馬なら足が六本なので、さらに高くて300ジットになります」
ふむ、西洋系にアジア系、おまけに北欧神話まで入ってきたか。
四面四角論理思考の俺には、ここは耐え難き混沌の大地なのかもしれない。
「ちなみに100ジットというのは、どれくらいの価値なんだ?」
「どれくらい、ですか?」
「そうだな、平均的な宿一泊の値段や、一食分の食事の値段だといくらになるのか、という話だ」
「あ、それなら。ユーリカ・ソイルですと、一泊食事付きで80ジットくらいが相場です」
その宿をビジネスホテルレベルと考えて約8000円と計算すると、1ジット=100円。足税というのは日本円換算で約一万円程度という理解をしておく。
「足税というのは、思ったよりも高いものだな」
「なにをいうておる。街に入るということは、安全が保証されると言う意味じゃろう。安全が100ジットで買えると考えてみよ。群れることにより外敵より身を守る、人族が作りだした見事な安全保障の仕組みじゃと、妾は感心するぞ」
狐の言には一理がある。
「前言を撤回しよう。安全はタダではない、その通りだな。教えてくれてありがとうニアヴ」
「お主が素直に応じると逆に恐いものを感じるのう……じゃがまあ、悪い気はせぬ。くふふふふっ」
なにがどう作用したのか、にやにやしながら、俺の肩をぽむぽむ叩くニアヴ。
当然スルーするが。
「さあ、行こう」
「これ、またんかっ! む、そのまえに……飛虎、よう働いてくれたな」
「あ、ありがとうございます、飛虎ちゃん。またねっ」
「くるるる」
頭を撫でようと、背伸びをするシャルの頬を一なめすると、飛虎は空へ向かって大きくジャンプした。
飛虎の身体を構成する10個の『源素』がその接続を失う様が見て取れる。
そしてその姿はすっと、宙に溶けるように消えた。
二章開始です。登場人物が 少し 増える。