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ななしのワーズワード  作者: 奈久遠
Ep.9 竜と竜
118/143

Double Dragon 05

 獣人奴隷制はあくまで制度上の話であって、四神殿の教えが根底で獣人の存在を否定している以上、獣人に対する差別意識は薄れることはあってもなくなることはない。

 この問題を解決するためには四神殿が変わらなければいけない。

 だが、四神殿は巨大な組織だ。

 神権の代行者という宗教的側面から大紗国ドルク・アルスと対等以上の権力を持ち、加えて全ての神官が魔法使いの最強の軍隊でもある。

 それだけの巨大組織が中枢から末端まで腐りきっているわけだから、それこそ自分たちの教義として存在を認めていない獣人側から変革を求められて、素直に応じるわけがなかった。

 言葉で変わらないのなら、行動で変えるしかない。

 そのために必要な実力行使を俺は否定しない。力づくでしか変えられないものは否応なく存在する。

 これは、そのための宣戦布告だ。

 

 まるで理解できない言葉に眉をひそめるアスレイ。

 

「四神殿に戦いを仕掛けると? アルムトスフィリアはここまでうまく立ち回っていると感心していたのですが。最後の最後でそれは大きな判断ミスだと思いますよ」

「判断にミスはない。人と獣人の関係は変わろうとしている。事実変わってきている。皆が変わっていく中、四神殿だけが動けない」


 長い生命で古い使命に生きる濬獣ルーヴァですら変われたのだ。

 どうして変わらないものがあるだろうか。


「それも道理だ。四神殿は自らの足で歩けないほどに太りすぎた。その背中を蹴って、この俺が進ませてやろうというのだ。こんな面倒なこと、他のやつならしてくれないぞ? どうだ、こう聞けば少しは俺に感謝の念が湧いてきたんじゃないか」


 アスレイの耳が初めてピクリと反応した。


「面白い表現です。ワーズワードといいましたね。四神殿を敵に回すということは、神を――世界そのものを敵に回すことと同義です。あなたは『世界の敵』になろうとでもいうのですか? ――なにを笑って」


 それを笑うなというのは無理だろう。


「すまない。しかし、その認識もまた逆転している。『ワーズワード』とは、その始まりから既に『世界の敵』の識別名だ。これからなるのではない。既にそうなのだ」


 ますます理解できないという表情。いいぞ、しなくて。説明もしないし。


 湖岸のフェルナに合図を送る。

 よくあんな安定しない足場をダッシュで駆けてこられるものだ。俺なら、既に水没している。

 それを敵対行動と認識した神官が【プレイル/祈祷】を始めるが、まあ慌てないでくれ。宣戦布告を行ったからといって、今すぐこの場で一戦を交えるとか、そういう話ではないのだ。

 大体こんなところで攻撃魔法を使って、神鼈グロウルが怪我でもしたらどうするつもりだ。絶滅危惧レッドリストの貴重な個体だぞ。

 俺は祭壇についた時点から、構築を始めていた五色七個の源素に魔法発動の念を送る。

 【アンク・サンブルス・ライト/孵らぬ卵・機能制限版】――黒源素はもったいないので、発動半径の狭い機能制限版だ。

 それでもこの祭壇の大きさくらいなら、全ての範囲を虹の輪の中に含むことができる。

 

「何だ、この虹の輪は!?」


 二色を欠いた虹の中、【コール/詠唱】したはずの魔法が発動しないことに混乱を見せる神官。この魔法にはそういう効果もある。

 フェルナが走りこんできたところで、俺は別れの挨拶を行った。

 

「アスレイ・ウット・リュース近衛神官ロストン。今日のところはここまでだ。続きはまた後日。聖都に戻ったらそっちにいるはずのサリンジに伝えておいてくれ。ワーズワードが会いたがっていたと。――次は聖都シジマで会おう」


 その時は俺も本気だ。

 本気を――見せなくてはいけない相手もいることだしな。

 虹の道が緑色に発光したのち、祭壇上からは四つの人影が消え去っていた。かちゃりと鳴った音は、神輿から伸びる鎖が拘束対象者を失った音である。


 俺のこの宣戦布告を、ヤツならどう評価するだろう。

 ヤツ――『エネミーズ4』ディールダームなら。

 

 俺がこれからやろうとしていることは、ある意味でディールダーム的な手法である。ヤツよりやや劇場型ではあるが。

 独裁国家キラーのディールダームは最凶なテロリストだ。

 要人暗殺は許されざる暴力の行使である。

 しかし、だ。

 継続的な対話? 国家協調の圧力? 非難決議? 遺憾の意?

 人道的に許されないといいながら、実力行使を選択できない世界はあまりにお利口さんであまり完成されすぎている。

 事実、ディールダームのテロによる独裁者の死を悼む声と快哉を叫ぶ声のどちらの方がより大きかったか。それはネット上のアンケートサイトで既に答えが出ているものだ。

 

 今、くだんのディールダームがこの世界に来ているという。

 もし許されるなら聞いてみたい。

 誰も知らぬであろう、ディールダームという人間の行動目的について。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 時間を少し遡り、その日のことを語ろう。


 ラバックの街、その廃墟。

 シャルを奪われ、パルメラ治丘を出た俺たちがこの惨劇の地に着いたのは三日後の事だった。

 大小のクレーターと焼け焦げた大地。街の建物は跡形もなく瓦解もしくは消失している。町を囲む果樹林の大部分は炭化し、一部は未だに灰色の煙をあげていた。

 ここまで最高速で走り通してくれたシーズは街に着くと同時に膝を折った。御者くんが馬具を外すと同時に、ドウと身体を地面に横たえた。六日かかる距離をその半分の時間で走り切るために全ての体力を使いきったのだ。

 

「ありがとう、シーズ。御者くん、後を頼む」


 ねぎらいもそこそこに馬車から飛び出す。

 最高速での移動。それでも三日という時間が経過しているのだ。

 災害救助における七二時間の壁が近づいていた。今日の日暮れまでが勝負だ。

 俺は皆に手早く指示を行う。

 

「フェルナ、リスト。周辺を回って生存者に声を掛けて回れ。法国人も獣人も区別するな」

「はいっ」

「わかったよ!」

「セスリナは水と火の準備を。特に水は大量に必要だ」

「うんっ、【ウォーターフォウル・ボトル/降鵜水筒】はもう準備しているからだいじょうぶ!」


 そして、こいつにも――

 

「なんだよこれ。絨毯爆撃の焼け野原じゃねーか。魔法ってのこんなことまでできちまうのか……」


 そうだ。これが魔法の力だ。そして、たった一人の力でもある。

 平和な世界で暮らす俺たちにとって、このような惨劇はネットやテレビの向こう側でのみ見られる光景だった。

 自分の目で見、鼻で嗅ぎ、肌で感じる現実の光景は、圧倒的な絶望を持ってパレイドパグの小さな心臓を握りつぶそうとしていた。

 

「パレイドパグ。お前の力も貸してもらえるか。【ドッグドック/犬医】の魔法は俺とお前だけが使えるものだ」

「……ハッ。まあ魔法の使い方の練習がてらの暇つぶしにゃ、丁度いいんじゃねーの」


 口ではそういう駄犬だが、もとよりそう答えてくれるであろうことを俺は確信していた。

 

「頼んだ。ここはまかせる。でもってニアヴ、一番の頼りはお前の耳だ。行けるか」


 俺が言うより早く、ニアヴの耳は俺には聞こえないコエを拾っているように見えた。

 心のコエを聴く濬獣ルーヴァの耳。それが生存者発見のセンサーとなる。

 

「無論……が、弱き聲じゃ、急ぐがよい」

「準備はできている。あとは時間の勝負だ」


 セスリナには救助拠点を築いてもらい、フェルナとリストが要救助者を集める。

 重傷者はパレイドパグに頑張ってもらう。

 俺とニアヴは自分では動けない重傷者のために駆動救助を行う。

 一秒でも早く。一人でも多く。

 

「でも、気をつけろよ、ワーズワード。これって……ここは一体どうなってんだ」


 そんな駄犬の言葉。その視線は何もない虚空を見つめている。


「ああ……全く、多数の源素を必要とするこんな時に限ってな」


 見つめる先は虚空。そう、何もないのだ。――源素がない。

 街中であれ平野であれ、一定数の自由源素がふよふよと漂うカラフルな景色がこの異世界の特徴だ。

 その自由源素が、ここにはまるで存在しない。

 色の消えた空。色の消えた廃墟。それこそが当たり前であるはずなのにとても寒々しい情景に思えた。

 

「どちらにしても、ここでは源素数は有限だということだ。序盤は識別救急トリアージで対応してくれ。集まる人が増えれば、そいつの持つ従源素を利用できるだろう」


 そういう意味では問題は俺の方だな。

 死んでさえいなければ、確実に治癒可能なチート魔法を習得したというのに、源素不足で助けられないなんてことになれば目も当てられない。

 もしかして、これもアルカンエイクの置き土産いやがらせか?

 さすがにそれは考えすぎだな。

 考えている時間があれば、とっとと動けという話だしな。


「行くぞ」


 ニアヴに声をかけ、走りだす。


「たわけ、お主の足では助かる生命も助からぬわ」

「は――?」


 そんな俺の腕を掴み、ニアヴがグンと大地を蹴った。

 急激な上向きのGが俺の身体を数メートル上空まで引き上げる。

 

「ちょ、まっ」

「待っておられぬといったのはお主じゃ!」

「判然った、せめて、おんぶで頼むっ。この移動方法は生存者を助ける前に俺が死ぬ!」


 

 ◇◇◇



「はぁ、はぁ、はぁ」

「うわああああん。父ちゃああん」

 

 背中に大やけどを負った父親に、幼子が縋り付く。

 おそらくは我が身を挺して、子を守ったのだろう。

 だが、この状態で三日持ったのが奇跡。そんな酷い状態だった。

 最後の力を振り絞って、息子の手を握る。

 

「私がいなくなっても、お前は強く生きていくんだぞ」

「いやだ。いやだよ、父ちゃん」


 そのようなお涙頂戴人情劇が目の前で繰り広げられていた。


「成人男性。呼吸正常。意識あり。判定、レベル二。緊急性なしっと」


 最弱発動、【犬医】。

 桃色の柔らかい光が【犬医】の発動光だ。

 

「ああ……もう痛みもない」

「そんな、父ちゃん!」

「これで、お別れのようだ」

「ん。ああ、そうだな。お別れだ。先を急ぐので挨拶は省略させてもらうが」

「いや、あんたに言ったんじゃ……あれ、本当に痛くない。身体が動くぞ」

「父ちゃん!」


 むくりと起き上がった父親が何がなんだか判然らないという呆けた顔を見せる。


「けがは治した。あとは自分の足で焼けた街まで戻れるだろう。そこに水と食料を用意している」

「えっ、あんたは一体――」

「急げ、次はこっちじゃ!」

「今行く」

 

 受け答えの暇もなく、ニアヴの呼ぶ方へ走る。

 日はまだ落ちていない。ならば、走るしかないだろう。

 


「――――」

「獣人男性。呼吸停止。心停止。判定――レベル、ゼロ

 

 救える生命ばかりではなかった。七二時間の壁はあくまで生存可能性の壁であり、それ以前であれば必ず助かるという保証のあるものではない。

 その上、俺の側にも限界が近づいていた。

 俺が身に纏うおよそ一〇〇カンデラの源素光量で構築できる【犬医】は三〇に満たない。

 源素数だけの計算ならもっといけるのだが、魔法には必要な色というものがある。

 【犬医】についていえば、その源素図形には白源素と赤源素が必要であり、それ以外の色の源素がいくらあっても不足を補えるものではないのだ。

 ニアヴが身に纏う源素も計算に入れればもう少しはいけるが、それとても数人増やせるというだけだ。

くそ、どこかに少しでいいので自由源素が漂っていてくれないものだろうか。

 

 ――そのとき、俺の目の前に源素が弾けた。

 

 その眩しさに、思わず目を細める。そして、この世界に関わる一つの謎について俺は新しい知識を手に入れることとなった。


「これは……いや、そうか。そうだったのか。源素とはこのように――」

「どうしたのじゃ。この者は……そうか、間に合わなんだか」

「ああ。だが、彼のおかげで助かる者もいるだろう」

「うん、どういう意味じゃ?」

「彼の死に哀悼を。そして、感謝を。という意味だ」


 まるで俺にそうしろと言わんばかりに、その輝きは赤く白いものだった。

 ニアヴが首を傾げる。

 俺は手を合わせ、また走りだした。


 ………………

 …………

 ……


 北から南へ。東から西へ。頭を回して注意深く周辺の聲を拾うニアヴ。

 

「どうだ?」

「うむ。もう大丈夫のようじゃ」

「そうか」


 全く面倒な約束をしてしまったものである。

 だが、なんとかギリギリ、守ることができただろうか。

 

 シーバ、お前との――男と男の約束を。

 

 そんな俺の背中を、ニアヴがビシリと叩いた。

 

「ようやった!」

「痛いのですけど」


 そうして、ニアヴが寄りかかるように頭を寄せてくる。

 ふさふさの獣耳がこそばゆい。


「いつも人を小馬鹿にしたようなお主はじゃが、今日の行いは誰の目にも立派なものじゃった。お主は誇り高い男子おのこじゃ」

「……それはどうも」

 

 俺の日頃の評価がなにげにヒドいわけだが。

 そういえば、獣人族にとって『誇り高い』というのは最大の褒め言葉という話だったか。

 いや、こいつは濬獣なので同じ意味で使っているとは限らない。濬獣は獣人とは違うといつも言っているしな。

 

「とにかく街に戻るか。今頃は向こうも人手不足になっているだろう」

「うむ……もう少しだけこのまま二人きりでいたいが、そのような場合ではないからの」


 物分かりよく、それでいて少し名残惜しそうにニアヴが頭を離す。

 ……俺も同じ気持ちだったことは伏せておこう。



 ◇◇◇



 廃墟の街まで戻った俺の前に、想定もしていない状況が広がっていた。

 ボロボロの怪我人を介抱する多くの獣人たち。一部アルムトスフィリア第二隊の中で見た顔が混じっている。

 軍馬や馬車が廃墟の一角にずらりと並び、揃いの旗を立てた一団が荷馬車から食べ物の詰まった木箱や樽を運び出していた。

 街についた時にはなかった白いテントが張られ、重傷者はその中で治療を受けているようである。

 

「あ、おかえりなさい、ワーズワードサン!」

「リスト。どうしたんだ、この状況は」

「うんっ、この街のこと助けに来たのは、ボクたちだけじゃなかったんだよ!」

「その先は私からお話させていただいてよろしいでしょうか。ワーズワード殿」


 リストの後ろから若い、と言っても俺よりは年上であろう一人の男性が現れた。

 立派な身なりの人物である。

 

「あなたは?」

「私はワルター・ルッツ・ローアンと申します」


 ワルター・ルッツ・ローアン。

 俺はその名を知っていた。

 アルムトスフィリアの獣人解放運動の中、真っ先に獣人に市民権を認めた、先見性のある貴族の名が確かそれだ。

 爵位で言えば確か男爵位の貴族だったか。


 ちなみに名と姓の間に入る『ルッツ』の部分の名を尊属姓そんぞくせいという。簡単にいうと紗群アルマの姓の継承だ。生まれた子は当然群兜マータの姓を継ぐわけだが、アルマの側が爵位や階級が高かったりすると、この尊属姓を持つことになる。父母双方の出自の確かさが求められる貴族は慣例的に尊属姓を持つため、たとえばルルシスやセスリナ、ミゴットなどの貴族階級者は皆三つ名である。

 平民同士の場合は、どっちが上というのもないので尊属姓を持ってたり持ってなかったりする。

 基本的にマータとアルマの関係では、男性がマータ、女性がアルマである事が多いため、生まれた子が女の子だと爵位や階級は関係なく、母親は自分の姓を尊属姓として娘に名付けることがある。

 

 シャルの場合は母親の姓『ローリアス』を継いでシャル・ロー・フェルニだ。

 なんか省略されているが、そういうものらしい。

 兄のフェルナが二つ名で、妹のシャルが三つ名を持っている不思議さはこの尊属姓の有無が理由である。

 そんな文化背景を持つ世界で、一つ名の俺は一体どう思われているのかという話だが、うーん、どうなのだろう。名乗れる姓を持たない可哀想な人だと思われているのかしら? いや、一応あるんだぞ、姓と名。捨てたけど。

 

 この尊属姓は対外的には省略されるのが普通で彼の場合、公式にはローアン男爵ワルターと呼ぶのが正しい。

 だが、自己紹介でそれを名乗らなかったということは、この場では公式な、つまり貴族としての扱いを求めていないということを意味している。

 名乗り一つでそこまで察して対応しなければいけないとは、やはり階級社会とは面倒なものである。


「我がローアン家とここラバックの街を治める……治めていたライドー家とは旧い交友関係にありました。我が領に走りこんできた者から報告を受け、火急救助の兵を率いてやってきたのです。今の惨状からは想像できないかもしれませんが、ここは豊かな自然に囲まれた美しい街だったのです。街も人も獣人たちも……このラバックの惨劇は、国中に伝えねばなりません」


 悲痛の表情を見せるローアン男爵。

 『ラバックの惨劇』か。まさしくその通りの状況である。

 

「早急な救助支援、感謝する。物資については俺も別途手配をかけていたが、それだけでは全員に行き渡らなかったところだ。何より人手がまるで足りなかった」

「いえ。先に到着されていたあなた方のおかげで多くの法国の民が救われました。感謝を述べるのは私の方です」


 深く頭を下げるローアン男爵。

 見た目の爽やかさだけではなく、話してみても心地よい。人当たりの良い人物だった。

 法国にも人はいる。


「あッ、ルーキー、やっと帰って来やがったな! テメー、こいつら早くなんとかしてくれよッ」

「ん、どうした」


 落ち着いた大人同士の会話にキンキン声が割り込んできた。

 見ればパレイドパグを囲むように手と手をこすり合わせる者がおり、地面にめり込むほどに頭を下げる者がいた。

 

「アンタがいなけりゃ、俺の娘は助からなかった。ありがとう。ううっ、本当にあり゛がと゛う゛よ゛う゛」

「ほんに大魔法使い様じゃ。生き神様じゃ。ありがたや。ありがたや」

「おねえちゃん、たすけてくれてありがとう。大好きっ」

「や、やめろッてンだろうが! オイ、こいつらどうにかしてくれよ!」


 彼らは自分や自分の家族を駄犬の魔法に救われた人たちだろうか。

 人からの感謝の言葉に慣れていない駄犬はこんなとき、どうすればいいか判然らないのだ。

 頬を真っ赤に染めて、俺に助けを求めてくる。

 

「良かったじゃないか、どうだ、これから医者の道を目指してみるというのは。お前の場合は『動物のお医者さん』になるわけだが」

「ふざけんな、ブッ殺すぞ!」

「ふっふっふ。やるものならやってみろ。死んでさえなければ、全てを癒すチート魔法はお前だけのものではないのだ」

「ハッ、そんなのテメェが使うまでもねェ。アタシが治してやるよ。百遍殺して、百遍治すってな。キャハハハハハッ」

「いやいや。なんだ、その無限地獄は。お前のその発想が恐ろしいわ」

 

 俺に噛みついてキャンキャンと吠える駄犬の姿に皆の間に笑いが生まれる。

 それは三日ぶりの笑顔だったに違いない。

 チート魔法で肉体の傷は癒せても、心の傷は癒せない。

 本人に自覚はなくとも、この笑顔はパレイドパグが引き出したものである。

 口には出さないパレイドパグの心優しさを俺が知っている。自ら死を望むジャンジャックですら助けようとする、その心のあり方を。

 いや、本当に向いているんじゃないか、医者。少なくとも世界の敵なんかよりはよっぽど向いている気がする。


 インプランツ・エイジズの呪いが彼女を世界の敵、孤絶主義者アイソレーショニストに変えたのだとしても、これからの未来まで呪われ続ける必要はない……俺は真実、そう思うのだけどな。


 俺に突っかかってくる駄犬の凶悪な笑顔と、それを受け流すバカバカしいやりとり。

 それを目の前に見るローアン男爵は小さく微笑み、何かを確認したようにコクリと頷いた。

 そして、周囲を気にするように、俺にだけ聞こえる声で話しかけてきた。

 

「ワーズワード殿。あなたにお話があります」

「……真面目な話のようだな」

「はい」



 ◇◇◇



 閉じられた馬車の中で俺とローアン男爵が向い合って座る。

 

「魔法的な窃視・盗聴については対策済みなので心配しなくていい。屋根の上の狐が周りに誰も近づかせないようにしてくれているので、ここでの会話が外に漏れる心配はない」

「信用します」

「それで、俺に話とは?」

「はい。これは私からワーズワード殿へのお願いになります」

「初対面でいきなりだな」

「非礼を承知でお願いいたします。ワーズワード殿、どうか我が法国をお救いください」

 

 ピンとたった耳でローアン男爵はそう切り出してきた。

 法国を救う。そのセリフは――

 

「まさかリズロット絡みの……いや、違うな。ローアン卿、あなたはどうやって俺を知った? ワーズワードの名を、今日この場所で聞き知ったわけではないようだ」

「……」

「口ぶりからして、アルムトスフィリアの裏にいるのが俺であることを知っているな。いわば、この国に混乱を振りまいている側の人間だと知りながら、同時にこの国を救えという。まるで論理的ではない発想だ」

「……」

「アルムトスフィリアの中で俺の名を知る者はそう多くない。そして、名を知る者にはきつく緘口令を布いている。従順が性分の獣人はこの言いつけを固く守るだろう」

「……」

「国外勢力とのつながりからであれば、直接俺に接触するリスクをとる必要はない。となれば、あとは北方サイラスの街を治めるサイラス伯か神官筋でサリンジ・ダートーン。だがその筋から俺の名を聞いたのであれば、法国を救えなどとは言わないだろう」

「……」


 詰将棋のように一手ずつ駒を進める俺の独白を、ローアン男爵は無言で受け止める。

 

「あなたの言葉は真実なのだろう、耳をみれば判然る。だが、同時にあなただけの言葉でもないことも判然ったということだ。ローアン卿、あなたの後ろにいるのは誰だろうか」


 この王手チェックを、だがローアン男爵は耳を喜ばせて受け止めた。

 

「素晴らしい推察です。それを私の口からいうことはできません。ですが、貴殿であればそれが誰であるかも既に察しているはずです」

「想定だけであれば。なるほど『毒をもって毒を制す』という話か。法国もバカばかりの国ではないようだ。そういう政治的な駆け引きを楽しむ趣味はないのだが、あなたにも立場がある。ローアン領での奴隸制度廃止という効果的な手土産を先に頂いてしまっている以上、門前払いというわけにもいかないな」


 そういう俺にローアン男爵は大きく息を吐いて、緊張を解いてみせた。


「正直に申します。私も貴殿という人物について半信半疑でした」

「当然のことだろう」

「ですが、ここまでの貴殿との会話。加えるならば、貴殿の少女を見る目と少女の貴殿を見る目。それにより私の疑念の靄は完全に晴らされました。貴殿は信用できる人間であると」

「少女? それはあの駄犬のことか。前半は判然るが、後半は目が腐っているとしか評価できないな。もし俺があなたの言葉を外部に漏らせば、次に廃墟となるのはあなたの街かもしれないのだから、そこはもう少し慎重に結論づけた方がいい」

「そうなったとしても、もはや引くことはできません。これは我が街の問題ではなく我が国の問題なのですから」

「そういう重い話を引き受けるつもりはないんだけどな。それにだ。もしあなたの裏にいる人物の目的が法国を救う……すなわち『アルカンエイクの排除』だと言うのなら、俺程度の実力では叶わない可能性の方が大きい」


 つまり、そういうことを言いたいのだろう。ローアン男爵の裏にいる人物は、俺とアルカンエイクのつながりを知った上で、彼を遣わしたのだろうからな。


「いいえ。その前に貴殿が向かうべき場所があります。それは四神殿の要、『聖都・シジマ』です」

「なに」


 そう想定した俺であったが、全てが俺の想定の内に収まるほど、異世界は狭くない。

 ローアン男爵はこの密談の中で、俺の足を聖都に向けさせるだけの説得材料を示してみせた。



 ◇◇◇



 その後生き残った人々とローアン男爵により『ラバックの惨劇』が世界中に伝えられた。

 最強の王、法国富裕の名君と呼ばれたアルカンエイクの名は恐怖の代名詞に裏返り、アルムトスフィリアが向かう先で、その足を止める街はなくなった。

 それはアルカンエイクへの恐怖だけが理由ではない。ラバックにて懸命の人命救助を行った獣人たちの活躍が、これまで獣人奴隷解放に否定的だった人々の意識を賛成の立場に変えたのだ。

 言葉では変えられないものを行動で変えてゆく。

 それは暴力やデモ行動だけを意味しない。人も獣人も――分け隔てることのない救助活動もまた『行動』なのだ。

 

 そのときの様子に、俺とパレイドパグの名前は出てこない。俺たちの存在を隠し、獣人の評判を上げるように整えられたローアン男爵の作文である。

 ネットのないこの世界では、情報の発信源ソースを疑う手段がないので、どんな作文でもそれが真実として通ってしまうのだ。

 ちなみに、こういったニュースは風神神殿が世界中に伝え広める役割を持つ。

 ということは、四神殿に不利な情報や不祥事は世界には一切伝わらないということでもある。

 腐敗維持の組織構造に隙はない。

 

 

 そして、現在――

 

 

 『大脱出エクソダス』の魔法効果で村郊外の馬車まで戻ってきたわけだが。

 

「はい。ただいまっと。うん? どうしたんだ、パレイドパグ。えらい泥だらけだが」

「……別になんでもねーよ」

「それにしては髪も砂を被って――」

「なんでもねェッつってんだろ! ガルルッ」


 うわ。狂犬こわいわー。いいや、放っておこう。

 

「きゅーん」

「ボク、大丈夫。ほらお姉ちゃんがいるから、もう大丈夫だよ」

「きゅーんきゅーん!」


 助けてやった羊族の男の子はリストに任せる。

 なんだかんだで相手は子供なのだから、同じ獣人同士の方が安心できるだろう。

 

「うまくいったようじゃな」

「さすがにな。なんだ、お前も泥だらけだな。泥んこ遊びでもしたのか?」

「なんで、あの駄犬娘には状況を聞いて、妾は泥んこ遊び前提なのじゃ!」


 狐がキッと牙を剥いてくる。

 そんなこと言われても。俺は思った通りを口にしただけだ。

 

「二人で何かあったのか?」

「しつけーな。何もないってんだろ」

「そうじゃな。なにもなかった」

「……そうか」

 

 なんだろうな、この示し合わせた感。

 しかし、駄犬と狐の相性の悪さから言って、そんなことはしないだろうし。

 

「まあいい。神鼈グロウルを見るというここでの目的は達したので、次の目的地に向かうぞ」

「マータ。目的は生け贄の救助であって、神鼈を見ることではありません」


 そんなフェルナのツッコミはスルー。次の目的地を告げようとしたところで、セスリナが俺の腕を掴んできた。

 

「ちょっと待ってぇ、それよりさっきのアレどういうことなのっ!」

「さっきの?」

「あの近衛神官様に『宣戦を布告する』ってやつだよぅ!」


 そんなことを半泣きで訴えかけてくる。

 ざわりと皆の顔色が変わる。

 

「宣戦布告? どういうことじゃ」

「そういえば、最後に近衛神官に向かい、何か話をされてましたね。私は場所が遠く、聞き取れませんでしたが」

「ああ、それか。俺たちはこれから『世界の敵』となって、四神殿をぶっ潰すという話だ」

「……は」

「へー。そりゃ、おもしれーな」

「だろ? 今日のところはその意思表明をしただけだけどな。正式には使者を送り全世界に向け宣言する」

「四神殿は、魔法を管理する巨大組織じゃぞ?」

「その通り。激戦となるだろう。というわけで、改めて次の目的地だ。俺たちはこのまま聖都・シジマへ向かう。生死を賭けた戦場へレッツゴーだ」

「だから、それぇぇぇ!?」


 この『世界の敵』にどう対抗するものか。駄犬の言葉ではないが、少しくらいは楽しませてくれよ、四神殿。

 なにせ、こっちは本気の全力で相手をしてやるのだからな。

 

 

 ◇◇◇

 


 ――たとえば。

 これまで名を秘すべく行動していたワーズワードを『伏龍』と表現するならば、異世界転移後すぐに山に篭もったディールダームは『臥龍』と表現してもよいだろう。

 

 となれば、伏龍と臥龍は同日目を覚ましたことになる。

 

 リムロスの村を出たディールダームの前に、魔法の光が瞬いた。

 辺りは暗く、既に夜道であるが真円を描く二つの月の明かりが闇の中でもその黒衣を浮かび上がらせた。

 

「おりょ? 改変級の『可能性』を感知してやってくれば、まさかのディールダームでござったか」

「貴様、ジャンジャック」


 全身を黒衣に包んだ忍者・ジャンジャックが魔法で転移してきたのだ。

 ロゼット・アラムはぴぃと小さな悲鳴を上げて、ディールダームの背中に隠れた。

 ジャンジャックが人好きのする笑みを見せる。

 

「目的は外し申したが、こうして出会ったも奇しき縁。今までどこで何をしておったのでござる。なぜにワーズワードを追わぬ」

「フン。我らに先んじて魔法に接触したワーズワードをただ追うなど、軽骨の愚。『エネミーズ23』を標的とするならば、先ずこちらが彼奴に見合う能力を身につけるべし」


 ディールダームの山篭りは肉体の鍛錬目的ではなく、時間の全てを魔法という超常技術の研究と熟練に費やすことが目的であったということか。


「かっか。なんとも耳が痛い話でござるなあ。よい。好きにするでござる。それがディールダームの行動であらば、主君は何も言わぬでござろう。拙者は次に向かうでござる」

「待て」


 立ち去ろうとするジャンジャックをディールダームが止める。

 

「なんでござる?」

「奇しき縁と言ったは貴様よ。貴様であれば現在の我が能力を量るに不足なし。――俺の相手をしてゆけ。貴様を殺せるならば、我が修練はここに成る」

「……本気でござるか? 『深淵のアーク』に触れし今の拙者に比肩しうるはアルカンエイクくらいでござるよ」

「尚善し」

 

 影がゆらりと正面を向く。どれだけ明るい月明かりとて、その頭巾の下の漆黒の瞳までは照らせないだろう。

 ディールダームが両の拳を握りしめ、構えをとった。

 何を言われたわけでもないが、これまでの経験からロゼットは二人から急ぎ距離をとって、大樹の裏に隠れた。

 ここからでは二人の様子はよく見えない。

 だが、当の二人はそうではない。

 ジャンジャックが印を組む。

 途端、二人を照らす明るさが倍増した。

 

「――忍法『粉現しの術』。愚かなり、ディールダーム。この異世界で何も成し得ぬまま、死に候え」


序章終了。

次話やっとメインヒロイン、シャル・ローリアス・フェルニさん(本名)の出番ですっ


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