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ななしのワーズワード  作者: 奈久遠
Ep.9 竜と竜
117/143

Double Dragon 04

 『リムダイセルの村』近郊の湖岸。

 

 リムダイセルは、ダイセル湖湖畔という意味を持つ小さな村である。

 ダイセル湖はロス湖、リエン湖と並ぶ法国ヴァンス最大級の湖だ。ダイセル湖から流れ出す大河が首都・アルトハイデルベルヒまでつながっていることを考えれば、法国でもっとも重要な水源だといってよいもよい。

 馬車での待機組のうち、ニアヴは湖岸の砂浜の上で波に素足を洗われながら、遠くに見える祭りの明かりを眺めていた。

 

「むう~、わらわも水神祭に行きたかったのじゃ。最終的には生け贄の儀式を阻止するのじゃから、別によいであろうに」

 

 獣人の子を生け贄に捧げる祭りなど許されるものではないが、それはそれとして世にも珍しい神鼈グロウルには好奇心を抑えきれないニアヴである。

 しかしそれはワーズワードに強く止められていた。リストとニアヴが参加者の中に混ざれば必ず警戒され、ともすれば祭りが始まる前に全員を敵に回しかねない。


「どうせ法国まで来ておるのじゃ。ここまでくれば、いっそリーリンの力を借りて人族に化けても良かったかもしれぬ」


 リーリン治礁ちしょうを治める濬獣ルーヴァ・リーリンは肉体の一部を変化させる特殊な魔法を得意としている。

 リーリンはイルカ族の出身であり、その鯆族に伝わる秘伝魔法があれば、たとえばニアヴが持つふさふさのしっぽや大きな狐耳といった獣人の特徴を消して、人族と寸分変わらぬ姿に変わることが可能なのだ。

 会心の案かと思いきや、どんよりと瞳を曇らせるニアヴ。


「じゃが、あやつを皆の前に出すわけにはいかぬしのう」


 鯆族といっても魚の胴体をもっているわけでない。基本的には人間と同じ姿をしているのだが、リーリンについて言えば、自身の腰から下を常に流線型の魚の尾に変化させて日常生活の大半を海の中で過ごしている。

 奇岩連なる岩礁により流れの読めない潮流を生む絶海のリーリン治礁には舟で近づくことも困難で、海中を自由に泳ぎまわっているリーリンであるため、この海域を治める濬獣については地元の漁師ですら確固とした情報を持っていない。

 もし大きな幸運で海面から大きく跳ね上がるリーリンの姿を見ることができた者は、自分が見たもののことをこう表現するだろう。

 

 美しい人魚を見た、と。

 

 そんなリーリンも陸に上がらねばならぬ状況になれば魔法を解いて元の足に戻るのだが、いくら言っても衣服を着ようとしないのだ。

 頬をぷくりと膨らませてソッポを向くだけならまだしも、他の仲間も脱がそうとしてくるのでタチが悪い。それが気の知れた同胞の前だけの稚気であるなら可愛いものだが、誰の前であろうと変わらないのでどうしようもない。

 人工の衣服を必要としない自然と調和したライフスタイルと言えば聞こえは良いが、知らぬものから見れば完全に痴女だ。


 海神の申し子にして、生粋の裸族。それが濬獣リーリンなのである。


 少なくともあやつをワーズワードには紹介できぬ。

 それを思うと、自重せざるを得ないニアヴであった。

 

 ザン……

 

 そこに砂を踏む音が聞こえてきた。

 灰色。赤い色。白い色。桜色。

 逡巡。決意と覚悟。それに――


「妾になんぞ用か、駄犬娘」

 

 声を掛けてから振り返る。

 心のコエを聴くことのできるニアヴは振り向くまでもなくそれがわかるのだ。

 そこには、目付きの悪い一人の娘がいた。

 ワーズワードを追って地球からやってきた世界の敵の一人『エネミーズ16』、パレイドパグである。

 つり上がった目尻。黒目が小さい三白眼。腕も腰も足も胸も全てが細い。ぼさぼさな髪は跳ね上がり、外見的可愛らしさは皆無の少女である。


「……テメーに話がある。今ならワーズワードもいねェしな」

「あやつ抜きで二人きりの話があるということかや」

「ああ、そうだよ」

 

 強く睨みつける瞳。ニアヴもまた挑発的な視線を返す。基本的に相性の悪い二人だ。パレイドパグからニアヴに話しかけるという状況はほとんど見かけないものだった。

 交錯する二つの視線。パレイドパグが口を開く。しゃべるごとに小さな口の中に犬歯が覗く。そして、頷きを返すニアヴ。

 

 ――それより少し後、二人の間にいくつもの魔法が吹き荒れた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 リムダイセルの村『水神祭会場』。

 

 神鼈が現れ、獣人の幼子が生け贄に捧げられようとしている。

 水神祭の仕組みはおおよそ理解できたので、ここからは俺も本格的に参加させてもらおう。

 茣蓙ござの上から立ち上がる。

 大きくパンパンと手を叩きながら、祭りの一時停止を呼びかけた。

 

「はいー。この祭り、ちょっと待ってー」

 

 現れた神鼈に祈りを捧げていた皆が、何事かと頭をあげる。

 ある程度の注目が集まったところで、俺は合図を送った。


「フェルナ」

「はい。――季節よ巡れ『トリニティ・スライド』」


 俺に続き立ち上がったフェルナが一つのコマンド・ワードを口にする。

 フェルナが持っているのは柄に三つのガラス玉が埋め込まれた特製の短剣だ。

 短剣が発光し、次の瞬間祭り会場はかぐわしい花の香りに包まれた。

 

「なッ、なんだ、こりゃあああ!?」

「いきなり花が咲いただ!」

 

 目立つ黄色はリーナの花。鈴なりのトウシャは良い香りを放つ。大輪に咲き誇るのは真っ赤なスィーピアで、白く可憐なレネシスがそれら花々の隙間を埋める。

 百花繚乱の魔法効果を持つ魔法の短剣。

 火の市で購入した元祖アーティファクトの方はレオニードに渡してあるので、これは俺が作ったコピー品、魔法道具マジックアイテムの短剣だ。

 見ると、湖の中にも蓮に似た大きな葉が広がり、その中央に桃色の花を咲かせていた。

 マジか。この魔法、水生植物にも対応していたのか。ってことは、この魔法があればレンコン食い放題なのでは。

 花を咲かせるだけのメルヘン雰囲気魔法だと思ってたわ。この魔法効果はもっと早く知りたかった。

 

「こりゃあ全部春の花でねぇか――ま、まさかあんちゃんっ」

「はい、婆さん正解。毎度お騒がせしております。獣人奴隷制度撤廃を求める『アムルトスフィリア』です。今日は水神祭における獣人保護のお願いにやってきました。みなさまのご理解とご支援をいただけますよう、お願いいたします」

「あんちゃん、このわたしを騙してたのかいっ」


 俺の礼儀正しい挨拶に対し、雑貨屋の婆さんが地団駄を踏んで俺に食いかかってきた。


「人聞きが悪いな。水神祭を見たかったのは本当だぞ。ただ、獣人の子を生け贄にすると聞いてしまった以上は見過ごせないわけで。もしも婆さんが俺の立場だったら、どうだ?」

「あたしがあんちゃんの立場だったら? そりゃあ、助けようとするだろうけどさ」

「な? そうだろ」

「なにいってんだい! 神輿流しは水神祭の目玉だよ、それを邪魔なんてとんでもねえ!」

「それだ。小さいとはいえ神聖な祭りだ。できればそうはならない穏便解決を望んでいる。生け贄の儀式の前に、あの四神殿の神官と話しをさせてもらえないだろうか。神官の決めることなら、婆さんも皆も問題ないだろ」

「神官様と? そりゃあ、神官様がそういうなら」

「決まりだな。では、ちょっと神官と話してくる。皆は話し合いの結果を待っていてくれ」



 婆さん一人のつぶやきを規定の決定事項――村民の総意――にすり替える。この場で一度決まったことだと宣言してしまえば、新たに声を上げて決定を覆せるものはそうはいない。

 アムルトスフィリアの登場に警戒を見せた皆であるが、この後は俺と神官の話し合いになるのだと聞かされれば、それが終わるまではとりあえず暴徒化することはないだろう。

 正直魔法を使う神官よりも暴徒化した群衆の方が面倒なので、対策するのはこっちが先である。

 

「フェルナ、あとを頼む。行くぞ、セスリナ」

「う、うん」

 

 何かあった時の退路の抑えをフェルナに託し、セスリナを従えて、桟橋を渡ってゆく。

 渡って――


「あ」

「ちょ、なにやってるのっ」


 ぐらぐらする足場によろけて、水の中に落ちそうになるのをセスリナに助けてもらった。

 

「すまない。……手、握ってもらっていい?」

「いいけど、みんなに見られちゃうよ」


 水に落ちるより全然いいです。


「じゃあ、はい」

「ありがとうございます。こけそうになったら支えてね?」

「もー、しょうがないなあ」


 セスリナの差し出す手を握り、やや斜め、すり足の体勢で進んでいく。何この悪い足場。杭がまともに刺さっていないのか、踏み板が腐っているのか。あいつら、どうやってこんなところをよろけもせずに歩いていたんだ。

 その後二度ほど危ない場面を切り抜けて、やっと祭壇手前までたどり着いた。

 近衛神官ロストンが張った【マルセイオズ・リパルシブ・アーマー/水神斥力鎧】の魔法結界の境目である。

 コンコンとノックのゼスチャー。

 

「ここ、開けてもらえるだろうか」


 祭壇上の近衛神官が俺を見る。

 冷静な耳。その耳には驚きも怒りもない。ここから俺がどう動くか、見定めようという考えか。

 見た目は二〇代半ば。遠目で見るより若い。確かに他の神官たちとは違うオーラを纏っている。


「話は聞こえていました。今世間を騒がせている獣人解放運動『アルムトスフィリア』ですか。人の身で獣人側に加担されているのですね。そうですね、話がしたいのなら、ご自身の力でここまでお越しください」


 サリンジのような尊大さはなく、思ったよりも丁寧な口調だ。答えはノーということらしいが、それでも期待以上の答えだった。それでこそセスリナを連れてきた意味もある。

 

「それが話し合いの条件なら願ったり叶ったりだ。セスリナ、やれるな」

「はーい。うう~んっと、なんだっけ」


 おいおい。


「あ、そうだ。寄る辺なき世界で自由の息吹を切望する人々よ。その歩みの先に威光あれ。――輝けコール【カグナズ・ハロー/火神封光輝】」


 よくできました。

 高く掲げたセスリナの左手から極光が広がり、近衛神官の魔法結界をパキンと壊してみせた。

 

「あの若さで【インスタント・コール/瞬時詠唱】を操るだと!?」

「リュース様の魔法を破るなど、あの娘、並の魔法使いではない!」

「ふっふーん」


 祭壇上の神官がどよめく。

 得意顔のセスリナ。そう、セスリナは【瞬時詠唱】を習得したのだ。

 と言うのはウソで、俺が新しく創った魔法道具の効果である。込められた魔法効果は【火神封光輝】。瞬間的に周辺五〇メートル半径の魔法効果を解除する火神系の上級魔法だ。セスリナが自分にもなにか欲しいとうるさいので、遊びで作ったものだが、製作者が俺である以上品質に妥協はない。

 幻虹内で恒常的に魔法発動を抑制する【アンク・サンブルス・アンリミテッド/孵らぬ卵・限定解除版】と魔法効果は似ているが、その使い所は違っている。戦いの女神らしく、敵味方入り乱れた戦場での利用に特化した魔法と言えるだろう。

 魔法発動のコマンド・ワードはセスリナの希望を聞いて短い【プレイル/祈祷】風に設定したため、外から見ればまるでセスリナ自身が【瞬時詠唱】で魔法を唱えたようにも見えるというわけだ。

 セスリナ的にはそれがお気に入りであるらしい。

 いや、こんなおもちゃで喜ぶ前に自分の魔法の熟練度を上げろ。


 防御魔法が破られた驚きは同じだと思うのだが、近衛神官くんの表情には変化がない。むしろ、興味深いものを見た、という印象だけがある。

 アスレイ・ウット・リュース。確かに油断できない相手かもしれない。

 祭壇上には、アスレイを筆頭にした神事を司る神官と神輿を運んでいた村長以下数人の村人が残っている。

 

「はい、到着っと。約束通り、話をさせてもらっていいだろうか」

「なるほど。うん、よろしいでしょう」


 俺の警戒に反して、アスレイはいとも軽くそれを許可した。

 何か裏があるのか、本当に単純にイイヤツなのか。判断が難しい相手だな。


「議題は水神祭における生け贄の必要性についてだ。結論を先にすれば、獣人保護以前の話として、神鼈グロウルは生け贄を求めていない。求めていない以上、無用な人命の損失は控えるべきだと考える」

「それはまた根本的なお話ですね。ですが、神鼈はこうして生け贄の祭壇に姿を現しております。この事実はあなたの結論を否定いたしますが?」


 アスレイの反証に頷きを見せる神官たち。

 

「その認識が既に逆転している。これはただの習性だ」

「習性?」

「言葉ではなく、実際にやってみせよう」

「えっ、何をするつもりなの?」


 セスリナの疑問には答えず、俺は生け贄の神輿から硬そうな木製の玉飾りを引きちぎった。

 湖の中から長い首を伸ばす神鼈。何かを待つように、じっと祭壇上を見つめる巨大な瞳。この視線が生け贄を求めて祭壇前に姿を現したのだというアスレイの理論を立証している。

 だから、そうではないということを誰の目にも明らかにしなければいけない。

 俺は大きく腕を振りかぶって、引きちぎった玉飾りを神鼈に投げつけた。

 ガコッといい音がして、ぬらぬらした頭に玉飾りが当たった。

 

「ちょっとおおおおお!」

「ふぁああああ!!?」

「なッ、なんということをッ!」

 

 セスリナと神官が奏でる絶叫のデュエット。


「グロウルルルルウゥゥゥ!」


 更に理由なき暴力を受けた神鼈が怒りの声を上げた。

 グロウルという名はこの鳴き声から名付けられたのであろう。そう思わせる声だった。

 

「「皃靆霪熙熙熙熙熙熙皃熙罕――!!」」


 湖面を震わす眷属神の唸り声に、絶叫が悲鳴に変わった。湖岸の悲鳴も加わったアンサンブルだ。


「やかましいわ」


 しかし、そんな悲鳴を完全に無視して、俺は第二投目を投げるべく振りかぶった。

 今度は神鼈が自分の頭を守るように源素を集める。源素は亀甲を模した図形に組み合わさった。


「ロオオォォ!」


 唸り声がそのまま魔法が【コール/詠唱】となり、魔法が発動。

 

 ――コン。

 

 見えない甲羅に阻まれ、俺の投げたウッドボールはポチャンと湖面に落ちて、ぷかりと浮いた。

 やるじゃないか、眷属神。だが、野球はツーストライクからが勝負だ。

 続けて第三球目を投げる前に、神鼈は湖の中に首を引っ込めた。ち、逃げたか。

 

「終わりじゃ。村はもう終わりじゃ」


 祭壇上で村長が嘆いていた。

 事態を静観していたアスレイがなおも冷静さを失わず、言葉を発する。

 

「まさかとは思いますが、このようなやりかたで神鼈を追い払って、生け贄は不要、などとつなげるのではないでしょうね」

「そんなことはしない。言っているだろう、これは習性なのだと。――すまないがもう一度太鼓を叩いてもらえるか。神輿を運ぶ時にやっていたあれだ」

「太鼓? ……まさか」


 湖岸で俺の意を汲んだフェルナが動いてくれたのだろう。やがて、その音が聞こえてきた。

 ドン、ドン、ドンという規則的な音。ズンと腹の中にまで響く太鼓の音だ。

 音は水面を波立たせる。即ち、この音はこの湖――水中にもズシリと響いているということだ。


 すると、水面下に再び黒い影が広がっていった。

 そして、

 

 ――ザパーン。

 

 再び祭壇の前に、神鼈が首を伸ばしたのである。

 俺が怒らせたはずの眷属神がまた現れた。このことには誰もが言葉を失ってしまう。

 

「ちょ、これって、どういうことなの?」


 神鼈は滅多なことでは人前に姿を見せない。生け贄を捧げる水神祭にのみ現れるものなのだと言われている。

 事実、先ほど生け贄の祭壇に神鼈は現れた。だが、そうして現れた神鼈は神官になんら啓示を与えるわけでもなく、自分から祭壇に襲いかかるわけでもなかった。

 故に俺はそうであると判断したのだ。


 今こうして、祭りの進行とは関係なく俺が叩かせた太鼓の音に反応して再度姿を現した神鼈。

 さっきの俺のウッドボール事件を怒っているわけでもない。

 ただ、首を伸ばして大人しくしているだけだ。

 これが何を意味するのか。


「では説明しよう。これは餌付けの習性だ」

「餌……付け?」

「そうだ。お前たちは水神祭の時にのみ現れる神鼈を、神の眷属として生け贄を差し出して祀っていたのだろうが、その時点で既に意味が逆転していたのだ。このデカイ生物はただ水中に棲んでいて、湖岸から太鼓の音が聞こえれば、餌がもらえると思い顔をだす。こいつの習性は実はそれだけなのだ。お前たちはこの生物を神鼈グロウルと名付け、眷属神と呼んだ。神鼈を自分より上位の生物であると認識してしまった故に、自分たちの行為がただの餌付けであると気づけなかった」

「まさか、まさか――」


 呆然と、愕然と、手で顔を覆う村長。

 さすがに漁で成り立つ湖畔の村ではあるので、これだけ説明を加えてもまだ判然わからないということはないらしかった。


「まさか――餌であれば、なんでも……生け贄は必要なかったのですか……」

「想像で聞くのだが、水神祭の後には必ず豊漁になる。なんてことはなかったか?」

「そ、そうですっ。それこそ、まさに神の恵みの実証なのだと」

「これだけ巨大な生物が年に一回の生け贄だけで生きていけると思っているのか? こいつは常に湖の魚を食って生きていると考えるのが普通だ。水神祭で人一人を食べた後の数日は食事を摂る必要がないので寝て過ごしているとか、そんな感じなんじゃないか」

「じゃあ、水神祭のあとの豊漁はただ他のお魚を食べてなかっただけってこと?」

「少なくともこんな巨大な生き物が捕食活動をせずに静かにしているのだ。他の魚は活動が活発になり、漁の網にもかかりやすくなるんじゃないか」

「ばかな。それでは村が、我々がやってきたことは一体……」


 顔面を蒼白にした村長が呟く。

 俺はにこやかに答えた。


「なあに、そこまで深く考えるものでもない。生け贄なんて頭の悪い風習を残す村があってもいいじゃないか。アルムトスフィリアの関係者として、獣人を生け贄にすることを見過ごせなかっただけで、餌付け祭り自体はあなた方の伝統としてこれからも続けて行けは良い。獣人以外を生け贄にすることにはなんら反対しないぞ」

「あああああああ」

「鬼なの?」


 俺の追い打ちが止めとなり、膝からがくりと崩れ落ちた。

 壊れるまで追い込んでやっと勝利がネットの基本なのです。さて、村長いじめはこの辺りにしておいてっと。


 ここからが本番だ。

 俺はアスレイに向き直る。

 同じ神の眷属と呼ばれる動物でも六足馬は馬車馬や軍馬として飼育されているし、紫海魚ガイナは普通に食用として食べられているときく。

 その中で神鼈だけが神聖化され、眷属神という呼び名で特別に祀られている。それがこの水神祭だ。

 だがそうではないことを俺が今証明した。神鼈も六足馬も同じ、ただのデカイ動物である。魔法が使えるというちょっと変わったチャームポイントを持っているだけ。それくらいは狐でも使えるのだからスッポンが使えてもいいじゃない。

 

「というのが俺の話だ。こうして示した通り、神鼈はただ餌付けされているだけで、祭事としての生け贄など求めていない。水神祭に生け贄は無意味なのだ。さて、四神殿はこの事実を知ってなお、水神祭を続けてゆくつもりか。それとも見直しを考えるだろうか」


 そう、本題はそこである。

 事前に聞いた話では神鼈自体は法国内外含め一〇匹ほどが確認されているという。つまり、水神祭はこの村でだけ行われる祭事ではなく、生け贄の儀式もまた、この村だけの風習ではないということだ。

 であるならば、断つべくは枝葉ではなく根。

 水神祭の根っことは、すなわち神事を取り仕切る四神殿の認識だ。

 それを四神殿の中でも格別の地位にある近衛神官に問うているのだ。

 

「話はわかりました」


 アスレイが俺の問いかけを静かに受け止める。

 その目にも耳にもなんら感情の揺れは認められない。

 

「四神殿の代表としてこの私、アスレイ・ウット・リュースがお答えしましょう」


 故に、俺はその答えを容易く予測できた。


「四神殿は地上における神権代行者。四神殿の行いは全てが神のための行いです。これと決められた生け贄の手続きに無意味を唱えるあなたの言葉こそが無意味です。水神祭はこれまでどおり継続されます。来年もその先にも」

「念のため確認する。判断保留で持ち帰るのではなく、それが四神殿としての正式回答なんだな?」

「はい。神鼈が太鼓に反応する習性には驚かされましたが、それだけです」

「もう一つ聞いてよいだろうか。俺はこれまで獣人の神官にあったことがない。それにも理由があるのだろうか」

「もちろんあります。四神殿が管理する聖典にはこうあります。『宝樹ジマはその創造の力で人と獣とを産みだした』と。人と獣の混じりあった獣人の誕生については聖典のどこにも記されておらず、どのように生まれたのかもわかっておりません。もともと神の子ではないため、神権を代行する神官にはなれません」

「だから、生け贄にしても問題ないと?」

「誤解されては困ります。人選は村にまかせているのですから。生け贄に獣人を使うのはどちらかと言えば、という程度の話です」

「そうか。わかった」

「ご理解いただけましたか」

 

 ああ、理解した。

 狂信でも盲信でもなく。ただ一般的に理解される常識の話として。

 

 世界はかく在りき――そう、アスレイは語っているのである。

 もちろんそれは四神殿の認識する世界についてだ。そして、

 

 ――その世界に獣人の居場所はない。


 ということらしい。

 

 うーん、じゃあ、仕方ないか。

 やはりローアン男爵の言うとおり、この道は避けては通れない道だというわけだ。

 それを再認識したできたところで俺は改めてアスレイに話しかけた。

 

「そういえば自己紹介を忘れていた。俺の名はワーズワードという。そういうことであれば、俺もまたアルムトスフィリアを代表する者として四神殿に伝えておくことがある」

「承りましょう」

「たとえ、法国において一時の権利を得られても最終的には四神殿の存在が獣人解放の道を阻害する。獣人の権利を求めるアルムトスフィリアは現在の四神殿の認識を受け入れられない。故に――」


 アスレイの言うとおり、皆はこれ以上もないアルムトスフィリアの成功を喜んでいるだろう。

 そんなの誰も求めてないと言われるかもしれない。

 だから、やはりローアン男爵はきっかけでしなかく、全てはこの俺の下した決断なのだ。

 俺はふと、隣に立つセスリナに視線を動かした。そういえばこいつの、何の気負いもない一言から全てが動き出したんだったな。

 始まりがそうだったのだ。だったら、俺もそんなに気負う必要はないか。


 俺は案外落ち着いた気持ちで、心のエンターキーを押し込んだ。


「――今この時をもって、アルムトスフィリアは四神殿に宣戦を布告する」


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