Double Dragon 02
ドン、ドン、ドン――
こんな小さな村でも、村人総出となれば、かなりの源素光量になるものだ。
水神祭――これはサイラスの街であった火の市のような、出店や屋台が並ぶお祭りではない。
四神殿も関わる厳粛な神事なのである。
湖の中に作られた祭壇にはたくさんの捧げ物が並べられ、村人たちは湖岸に敷かれた茣蓙の上でその始まりを待つ。
水神祭の最後には豪華な食事が振る舞われるという話も聞いたので、それを楽しみにして集まった村外の人もいるようである。
「あんちゃん、来たんだね。待ってたよ、ほら、ここに場所をとっておいてやったよ」
サチアロの肉を買った雑貨屋の婆さんが俺たちを見つけて、声をかけてきた。
「感謝する。しかしいいのか、こんないい場所を」
「あー、かまわんかまわん。あたしらは毎年見てるんだ。こんなちっちゃい村にわざわざ来てくれたお客さんだ、大事にしないと。ひっひっひっ」
婆さんは上機嫌である。祭りの持つ誰でもカムヒアな空気感もあるのだろうが、それ以上に今日婆さんの店で食材を大量購入したことが大きいようだ。
折角の好意だし、ありがたく受けておこう。
ドン、ドン、ドン――
規則的な太鼓の音が続く。
祭壇に続く道に青い帯を巻いた神官が現れたことで、村人が歓声を上げた。
「青い帯ってことは水神神殿の神官かな」
「太ってないぞ? なんでだ」
「群兜……もしや、神官は皆肥え太っているものとお考えなのでは」
「違うのか?」
「うん。五人に一人くらいは普通の体型の人もいるよ」
いや、それなら俺の神官=メタボの認識は別に間違っていないことになるが。
祭りに参加するのは俺、フェルナ、セスリナの三名である。
ニアヴとリストはいろいろ面倒なので、キャンプで待機してもらっている。駄犬はいつもどおりの興味なしだ。
フェルナが周囲の声を聞き拾う。
「名はアスレイ・ウット・リュース……水神祭のために聖都から派遣された近衛神官なのだと、皆さんが話されています」
「近衛神官! すごい人だよ!?」
「なんだ、それは」
聞き慣れない官職名に、疑問を返す。
「世界各地の四神殿を統括しているのは聖都・シジマにある『聖庁』です。四神殿に所属する神官には様々な官職がありますが、その中でも神官の持つ魔法能力により、大きく三つの階級にわけられます。それが神官、上級神官、そして近衛神官です」
「ほう」
近衛神官。そんなのがいたのか。
アスレイの源素光量はおよそ5300ミリカンデラ。たしかにセスリナより上だが、絶対的に明るいわけでもない。それで上級神官以上のすごい魔法を使えるのであれば、源素光量の差がそのまま魔法能力の差ではないということだ。
そもそも、あのサリンジでも上級神官になれるくらいだしな。近衛神官っていうのも、所詮。
「ワーズワード様。近衛神官といえども所詮、とお考えですね」
「……」
なぜバレた。
「それは甘く考えすぎかもしれません。魔法を使える神官の中でも近衛神官になれるのはほんの一握りの天才だけだと聞きます。噂では、近衛神官の能力はたった一人で竜すら殺すことができるとか。それ故、聖都から出ることもほとんどないという話で、私も見たのは今日が初めてです。あの方はいわば、四神殿の――いえ、全ての魔法使いの頂点の一人。確かに源素を視認できるワーズワード様を超えることはないのかもしれませんが、軽視できる相手ではありません。どうか油断だけはされませんよう」
表情も固く、そんな忠告をしてくるフェルナ。
竜すら殺せるか。そうかそうか。
……竜ってなんだっけ?
確か、古い遺跡を巣にして住み着いている生き物とか、そういうのだったか。
そんなもん、遺跡の中に油を流し込んで火をつければ誰にでも殺せそうだが。
「心配はありがたいが、なんで俺があの近衛神官と敵対する前提で話しているんだ」
「えっ。ですが」
「最初から物騒なことばかり考えていないで、今は水神祭を楽しもうじゃないか。おもしろいのはこれからなんだろ?」
「はあ」
納得しかねるという様子のフェルナを横において、俺はアスレイに目線を戻した。
湖に張り出した桟橋をそのまま利用し、その先に木組みの祭壇が造られている。今日のために準備した臨時の祭壇だという話だが、通常時でもそのまま残しておけば、いい釣りスポットになるのではないだろうか。
祭壇へ向かいゆっくりと進んでゆくアスレイ。祭壇の上には一対のかがり火。そして、湖の上にもかがり火を積んだ小舟が点々と浮かんでいる。
そこだけを見るとこれから花火大会でも始まりそうな印象を受ける。
夕暮れの朱とかがり火の赤のコラボレーションの中、登場時のざわめきも収まり、神事特有の神秘的な空気が流れはじめた。
アスレイの後には数人の神官が続き、更にその後ろに小さな神輿を担いだ村人が続く。
ドンドンドンドンドン――
進むにつれ、太鼓の拍子が加速する。
――ドドンッ!
一行の祭壇到着にあわせ、太鼓の音がやんだ。
凪の湖面である。通りの良いアスレイの声は、風音にかき消されることなく、岸まで届いてきた。
「大地に変じし主神マルセイオよ。嗚ゝ、御身の父なるかな、母なるかな。父の威光は四方を照らし、母の慈愛は四海を潤す。我、神の子の四神殿なり。世の護り人として父母に成り代わり、その尊き力を代行せしむるものなり。御身の定めし不変不撓の理。承けて承けん。成りて成らん。統べて統べん。我ここに大地の安らかなるを願う。神居護りし眷属神よ、これに応じ顕れ給え。収め給え」
古い文法を多用する判然りにくい祝詞だ。こういう難解な単語や文法を用いることで組織を神格化する手法は、宗教家の必修科目なのだろうか。
だが、その効果は抜群だ。皆は疑うこともなく四神殿と水神・マルセイオへの感謝を一心に祈りはじめた。
そして変化はもう一つ。
祭壇の上に一つの源素図形が組み上がったのだ。
青源素×五――
白源素×四――
なるほど。あの祝詞がそのまま【プレイル/祈祷】にもなっているわけだな。
現れたのは巨大なブルーの四角錐である。
四角錐の五つの頂点は青源素、各辺の中点位置に白源素が配置されている。
シンプルではあるが、もし俺が独自で源素図形の組み合わせを検証したとしても、この配置パターンは試さなかっただろうと思う組み合わせである。
使われている源素はさほど多くないが、とにかく図形が大きい。
アスレイを含む、祭壇の全てが源素図形の中に納まるサイズだ。
俺ですらこんな巨大な源素図形は作ったことがない。これがフェルナの言う近衛神官の能力の一端なのだろう。
しかし、アスレイは組み上がった源素図形から魔法を発動することをしなかった。
何かを待つように、正面を見据えている。
――と、湖面がにわかにざわめいた。
ざぱりと波が立ち、気泡が弾ける。そこにふわりと五色の光が立ちのぼった。
それは源素の放つ光。俺にだけ見える輝きである。その範囲が広い。源素を纏った巨大ななにかがそこにきているのだ。
祭壇の前に黒い影が広がり――そして勢い良く湖面が持ち上がった。
持ち上がった水がそのまま大きな波となり、祭壇に打ち付ける。
そこで、アスレイが魔法を【コール/詠唱】した。
「――退けよ【マルセイオズ・リパルシブ・アーマー/水神斥力鎧】」
それが魔法の効果なのだろう、正面の波が祭壇の前で見えない壁にぶつかったかのように砕けて消えた。だが、祭壇を避けた左右の波は、勢いそのままに湖岸まで押し寄せてきている。
ちょっと待て。その魔法じゃ、こっちの被害が防げないんじゃないのか。
「きゃわわ、波がくるようぅ」
いい場所をとってもらったことが裏目に出て、ここでは思い切り波をかぶってしまいそうだ。
仕方ない。
「大丈夫だ。座っておけ」
「本当?」
すがりついてきたセスリナをとりあえず落ち着かせる。源素図形の構築に二秒。波の到達までプラス三秒といったところか。十分な時間だ。
青源素×五――
白源素×四――
即興で作ったミニ・ピラミッドで茣蓙全体を覆う。はい、【水神斥力鎧】っと。
計算通り、ぴったりのタイミングで波が押し寄せてきた。
湖岸に面したアリーナ席の全員が波をかぶる。その中で俺たちだけが波を避けられた。
セスリナが目を丸くする。
「これって、もしかして」
「ああ。今、近衛神官が使ったのと同じ魔法だ。『魔法複製』といったところだな」
源素図形の位置を動かす『魔法妨害』。
源素図形を奪う『魔法奪取』。
魔法発動中の源素図形を崩す『魔法解除』。
そして、相手の源素図形をそのまま真似させてもらう『魔法複製』。
これらは源素を視認できる俺たち地球からの転移者にしか使えない源素操作技術である。
「ふえー、やっぱり、すごいー」
「な、近衛神官にも負けていないだろ」
「どうせなら、ほかの皆さんも一緒に防いで差し上げればよかったのでは」
「なんで?」
「なんでと問い返されましても……」
言葉に詰まるフェルナ。
意味不明だ。そんな義理はないだろうに。
そのずぶ濡れの村人たちがそもそも、
「ありがたや、ありがたや」
などと言っているわけで。この水かぶりも水神祭の醍醐味の一つであるのだろう。
それはさておき、
「あれがそうなのか」
「はい」
こくりと頷くフェルナ。
祭壇の前に巨大な生物が首を持ち上げていた。
ぬるりとした体表。突き出た鼻。水面から上に見えているだけで、二メートル以上にもなる長い首を持つ生物だ。となれば、水面下の全長は十メートルを軽く超えていることになる。
「あわわわ……大きすぎるよぅ、こわいようぅ」
その感想には同意する。
人はこの巨大な生物の前では、畏怖と畏敬以外の感情を持ち得ないだろう。
緊急速報、ワーズワード特派員は異世界奥地の古代湖に未知の巨大水棲生物を見た!
頭を下げ、手をこすりあわせ、ずぶ濡れのまま、目の前の生物に祈りを捧げる村人たち。
ファルナが説明を加える。
「あれが水神・マルセイオに連なる眷属神、神鼈です」
神鼈、すなわち巨大スッポンということか。確かに突き出た鼻はスッポンの特徴ではあるのだが。
六足馬も神の眷属と言われる動物だが、それに比べても神鼈の大きさは桁外れだ。そのまま神様だと言われても納得してしまいそうなデカさである。
「それ故に、『眷属』ではなく『眷属神』と呼ばれるのです」
「なるほどな。あれを見られただけでも今日一日を待った甲斐があるというものだ」
と、そこで細い泣き声が聞こえた。
「きゅーん」
声の発生源は神輿の上。神輿に載せられた獣人、羊族の男の子の声だ。
男の子はすっぽんぽん。身体がもこもこの毛で覆われていなければ、完全に条例違反な姿である。
神輿は水の上に浮かべられるように作られている。ということは当然この後はあの神輿を湖の上に浮かべる流れになるのであろう。
――そう、水神祭とは湖に住まう眷属神、神鼈に生きた人間の捧げ物を行う『生け贄の神事』なのである。
ここは法国。獣人奴隷制度の残る国だ。買われてきた獣人奴隷がその役を負うと聞かされても、誰も不思議に思うまい。
とまあ、ニアヴとリストを置いて来たのはこれが理由である。
「本当にあるんだな、生け贄の風習って。いやー、未開未開。これはこれで法国発のまつろわぬ奇祭として文化保護すべきかもしれないぞ。ある意味で、後世に残し続けるべき非文明的祭祀だ」
「群兜!」
おこられた。
大丈夫、わかっている。言ってみただけだ。
そのために俺がここにいる。
「はいはい。じゃ、行ってくる」
行動を開始すべく、俺は茣蓙から立ち上がった。
◇◇◇
「我らが大地に変じし主神マルセイオ。嗚ゝ、御身の父なるかな、母なるかな。神の威光は四方を照らし、神の慈愛は四海を潤す。我は四神殿なり。我、護り人として父母に成り代わり、尊き力を代行せしむるなり。神の定めし不変不撓の理。承けて承けん。成りて成らん。統べて統べん。我、大地の安らかなるを願う。神居護りし眷属神よ、我が願いに応じて顕れ給え。収め給え」
湖に向かい、聖都から来た神官様が祝詞を捧げた。
「どうだい。この村には近衛神官様が来てくれるのさ。小さな村だが、なんといっても聖都に近いからねえ。水神祭は村の誇りなのさ」
「はい」
ハキムさんは約束通り水神祭に参加した私たちのために最前列の席を準備してくれた。
そして、よそ者である私にこうしていろいろと祭りの説明をしてくれている。
隣を見れば、ディールダームさまがいる。ディールダームさまも一緒なのだ。
私の隣であぐらを組んで、祭壇を見るディールダームさま。
それだけで幸せな気持ちになる。
「しかし、あんたの連れは無愛想さね」
「あはは」
そんなことを言われても、それ以外に応じようがない。
祭壇まで運ばれた神輿には、まだ幼毛も抜け切らない獣人の子供がのせられていた。
誰かに助けを求めるように、きゅーんきゅーんと切ない声を上げ続けている。
「それで、あの、あの子は」
「買ってきたんだよ。新王様の時代になってから安く買えるようになったからねぇ。あたしたちは、この湖と一緒に生きているのさ。これからも湖の恵みをいただくため、必要なことなのさ」
「でも、あんなに泣いて――」
神さまに生け贄を捧げる水神祭の知識は私にもあった。しかし、森珠国にはロス湖のような大きな湖はなく、こうして水神祭を目の前に見るのも初めてのことだった。
私は医者の娘。生命の重さと大切さは誰よりも知っているつもりだ。
神さまを信じる気持ちはあるけれど、こうして自分の目の前で生きた子供の生命が捧げられることなどは、見るに耐えなかった。
「不幸だなんて、考えちゃいけないよ。あの子は神さまの元にいくんだ。あたしらはみな、水神さまの背中の上に生きている。早かれ遅かれ、あたしらはみな神さまの元の帰るのさ」
ハキムさんの言うことは理解できる。
医術だって万能じゃない。手を尽くしても、亡くなる患者さんはいる。
死んだ人をお墓に埋める土葬は、神さまに身体をお返しする意味があるのだと母に教わった。
でも――
「あたしもこの足だからね。来年はあたしの番さ」
「ハキムさん」
来年は自分の番だと口にするのは、ハキムさんなりの贖罪の気持ちがあるからだろう。
ここで、この村で生きていく以上、村と水神祭は切り離せない。受け入れるしかなかったのかもしれない。
私は、ディールダームさまを見上げた。
でも。
ディールダームさまがいれば何かが変わるのではないか?
かつて、アルトハイデルベルヒの王城で法王様の無慈悲な命令から王女様を救ってくれた大きな背中を、私は今でも信じている。
だから、きっと私はどこかすがる思いでディールダームさまを水神祭にお誘いしたのだ。
湖の水が持ち上がり、大きな波が起こった。祭壇の前に巨大な生物が姿を現した。
水中から伸びる長い首。鼻が尖っていて恐ろしい。
ハキムさんが額を茣蓙にこすりつけて、手を合わせた。
「おいでなさったよ。神鼈様だ。どうか、これからも村にお恵みを与えてくだされ、お守りくだされ」
湖に住まう水神マルセイオの眷属神、神鼈。
見えている首だけで私の背丈を軽く超えている。
聞くと見るとでは大違いだ。そのあまりの大きさに、私は気を失いそうになる。
神鼈はまさしく神の化身で、人間にはどうすることもできない大きな存在――
ロゼットはしらず、ディールダームの腕に触れていた。岩肌のような硬い肌だ。
ただそれだけ。言葉はない。
それが理由であるのか、或いはないのか。それは誰にもわからない。
だが、事実としてそれは動いた。
「人身供犠のアニミズム。考えるまでもない。くだらぬ。が――」
全身に力を漲らせたディールダームが立ち上がった。