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ななしのワーズワード  作者: 奈久遠
Ep.9 竜と竜
114/143

Double Dragon 01

 ガーディアン

 竜は神に連なる眷属であると言われる。

 神に連なる眷属には六足馬、紫海魚ガイナ、雷鳥などがおり、樹木ではあるが大神樹も地神・ジマ直系の眷属である。

 竜はそれら眷属の中でも筆頭にあげられる生物である。

 不老長命にして、強大な魔法を使う竜はアーティファクトを護る番人でもあり、名前も伝えられぬ古の王国、その遺跡をねぐらとする。

 安易に遺跡に足を踏み入れるものは竜の餌食となるだろう。

 だが、反面、竜に認められれば、様々な宝物を授けてくれる。

 歴史の断絶により発動方法が失われたマジック・アーティファクトは多くあるが、竜の住まう遺跡より持ちだされたアーティファクトはその限りではない。竜がその発動の知識を人間に教えるのだ。

 

 そうして世に出されたアーティファクトの中で特に有名なものに、かつての『西の火国ロス・カラカス』領内の古王国遺跡より発掘された『双蛇の酒壺エルリット・ピナ』がある。

 この壺に一度水を注げば、水は瞬時に酒に変わり、蛇を模した注ぎ口から溢れだす。

 双蛇の酒壺を手に入れた勇者シズリナは、その後商人に転身して巨万の富を築いた。

 後にこの『酒の溢れる壺』が七大アーティファクトの一つに数えられるようになったのも頷ける話であろう。

 シズリナはこう残す。

 

 『竜の塒を荒らすものには等しく厄災が訪れる。俗な欲望は身を滅ぼすであろう。人よ、勇者たれ』

 

 困難ではあるが、生物である以上竜を殺すことは可能であろう。だが、竜殺しは勇者ではない。

 竜に認められた者だけが『勇者』の称号を得るのだ。もちろんそれだけでなく、竜に認められ生きたアーティファクトを持ち帰ることに成功した者、が勇者である。

 

 竜に認められる人間など、そうはいない。一度勇者の称号を得た冒険者が、別の遺跡で別なる竜に食い殺されたという話もある。

 結局のところ、不老長命にして、強大な魔法を使うガーディアンは人知を超えた存在なのだ。

 

 もしも竜が自由の翼を持つことがあれば、人の作った国など瞬時に崩壊してしまうに違いない。

 故に、人は言う。先人の残した言葉の通り、

 

 竜の塒には手を出すな、と。

 

 

 ◇◇◇



 南の法国イ・ヴァンス『リムロスの村』

 


 リムロスはロス湖湖畔という意味である。

 青く濁った湖面の向こう側には低く連なるエミール山脈がそびえる。湖の恵みは豊かであるが、いかんせん僻地であるため人の往来は少ない。

 フェルニの村のように、大きな街と街をつなぐ中点の役割もないため、行商人も滅多に立ち寄らないのだ。

 そんなリムロスの村でしばらく前から新しい顔を見るようになった。


「こんにちは、ハキムさん」

「はい、こんにちは。今日はサチアロかい?」

「ええ。見ていただけますか」


 朝でもないが、まだ太陽が南天まで登りきらない時間である。

 車輪付きの台車を引いて、村にやってきたのはまだ成人を迎えていないであろう年頃の少女だった。

 控えめな言葉遣いで少し困ったような笑顔が特徴的な少女である。同年代の少女に比べれば少し背が高い。長い髪を頭の後ろで太い三つ編みにまとめている。

 台車は村で借りたものだ。それに森で捕獲したのであろうサチアロがまるまる一頭載せられている。

 サチアロはブタとイノシシを掛け合わせたような獣で、その肉は王侯貴族から一般市民まで広く食されている。


「ほう、これは大物だ」


 荷台を覗き込んだハキム婆は皺だらけ耳を嬉しそうに動かした。

 三つ編みの少女よりも大きい獲物であるが、既に捌かれたあとで首と内蔵が落とされているため、少女の力でもこうして運んでこれたのだろう。

 行商人が滅多にやってこない小村では、パンを除けば湖の魚と木の実・果物が村人の主食である。

 村には農業を行う土地もなく、畜産を行う知識もない。豊かな森と湖の恵みに感謝して生きていくのが村の暮らしだ。

 気候の温暖な法国ではそれで十分生活に困ることはなかった。

 しかし、今日という日にサチアロの肉はありがたい。

 

「いつものパンと薬糖酒。それに丈夫な布があれば交換をお願いできますか」

「それだけでいいのかい?」


 村では金銭はあまり意味を持たず、物々交換が主流である。

 同じ国内に王の住まう立派な王城や神の威光を地上に再現したかのような絢爛豪華な聖都が存在するとは思われないほどに、村の暮らしは貧しい。


「たくさん頂いても腐ってしまいますから。それに帰りは上り坂です」

「そうかい。こっちはありがたいから、いいんだけどね」


 村唯一の雑貨屋を営むハキム婆はそういい、笑顔で応じた。

 少女は村の住人ではない。こうして、五日に一度ほどの割合で、森で捉えた獲物を村に運んでくるのだ。

 彼女が望むものは、いつもわずかばかりの食品や雑貨だけだった。サチアロ一頭分の肉との交換で考えれば、少女の損が大きすぎる。

 しかし、少女はそれで良いという。良いと言われればそれ以上の言葉は重ねない。ハキムとて、貧しい暮らしをしている一人なのだ。

 少女がどのような理由でこんな辺鄙な村の傍に住み着くことになったのか。そんな疑念はある。

 

「なら糸と針くらいはつけてあげよう。繕い物をするには必要だろう」

「あっ、そうですね。気づきませんでした」

「あんたはそういうところが抜けているね。まるで針仕事をしたことのない、いいとこのお嬢さんのようだ」

「いえ、私はそんなのでは」


 そういってまた困ったような笑みを見せる。

 だから、ハキムもそれ以上少女の事情を聞くことをしなかった。その程度の人生経験を積んでいる。

 そう、生きていれば、色んな事情があるさね。


 荷の入れ替えを待つ間、いつもと違う村の様子に、キョロキョロと周囲に視線を動かす。

 今日の村には活発さがある。

 

「今日はいつもより多く舟が浮かんでいますね。それに皆さん、忙しそう」

「そうだね。今日は年に一度の水神祭だよ。昼になれば、聖都からえらい神官様もこられる。あんたらもあとでまた村においで。こいつのおかげで、祭りのごちそうが一品増えるんだ。村の皆も歓迎するだろうさ」

「水神祭。それは、大切なお祭りですね。お誘い、ありがとうございます、ハキムさん。来られるがどうか、聞いてみます」

「ああ、待っているよ。ロゼット」


 荷物を交換し、行きよりも軽くなった荷台を引いて村を後にする少女。

 ハキムはそれを店の中から見送る。足が悪いのだ。杖がなければ歩くこともできない。

 

 ――この足ももう動きやしない。来年には私の番かねぇ。

 

 そんなつぶやきを心の中に落とす老婆。村では祭りの準備が忙しく進められる。

 見送る少女の背中には太い三つ編みが揺れていた。

 

 少女の名をロゼット・アラムと言った。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 同日。

 

 異世界の食材が不味いと一概に言うことはできない。

 遺伝子レベルの品種改良と世代を重ねた高度農耕技術で作られる現代の野菜は、果物顔負けの甘さを持つ。

 冷凍技術の進歩で食肉はいつでも柔らかく、魚はいつまでも新鮮だ。

 ではにがい野菜、硬い肉、腐った魚が不味いのか。

 否。断じて否である。

 人間は生物界の雑食王だ。食えぬものなどありはしない。

 食材がだめなのだからできる料理も不味くて仕方ないなどというセリフは敗北主義者の言い訳である。

 工夫次第で、人はなんでもおいしくいただける。

 今、その証左を見せよう。


「メインは『ゲリヒト・フォン・ハンブルグ』。二つに割ったパンに皿の上の肉と野菜と挟んで食べる料理だ」


 雑な血抜きで臭いの残る獣肉も、ミンチにして刻んだ香草・香辛料を練りこむことで臭いが気にならないレベルまでは改善できる。

 焦がしたバターと肉汁をあわせたソースは予想以上の仕上がりで、ザワークラウト風に漬けた野菜の酸味もよいアクセントだ。

 個人的には固いパンが肉汁を吸うことで柔らかく食べやすくなるのがありがたい。


「お、今日はハンバーガーか。アタシの主食だぜ。なんで最初からハンバーガーで出さねーんだ」

「『ハンブルグの一皿ゲリヒト・フォン・ハンブルグ』はハンバーガーではないからです」

 

 結果同じ料理かもしれないが、呼び方一つで一気に安っぽくなってしまうので、そこだけは断固拒否しなくてはいけない。

 味もそうだが、印象は大事である。

 

「ドイツ料理が食べたいといったのはお前だろう。文句をいうなら食べなくていいぞ」

「文句じゃねーよ。味もまあまあだなし」

「そうか」

 

 一言多い駄犬であるが、コイツのまあまあは褒め言葉の部類なのでよしとする。

 駄犬の見よう見まねでパンにハンバーグと野菜を挟むニアヴ。大きな口を開けてがぶりとかぶりついたあとは、無言のままはぐはぐと咀嚼を続けていた。

 

「スープは『アイントプフ』。このあたりで食べられている数種類の豆を試して見たが、これが一番うまかった」

「おっ、豆とトマトのスープじゃねーか。トマトなんてどこで手に入れたのだよ」

「ザワークラウトと同じでトマト『風』だけどな。手に入る内、味が近かったナス科の野菜をベースにそれっぽく味付けをしてみた。豆との相性もバッチリだ」

「いいと思うぜ。アイントプフに決まった味なんざないモンだしな」

「そういうことだ」

 

 アイントプフ。ドイツ語で農夫のスープの名を持つ料理なのだが、ぶっちゃけ野菜がメインのスープはなんであれアイントプフと呼ぶのである。こういう命名の大陸系大雑把さは嫌いじゃない。

 野菜を煮込んだスープなんてどこにでもあるものなので、酸味をきかせたトマト風味の味付け以外にドイツ料理と言い張れる根拠は一切ない。言ったもん勝ちである。

 アイントプフを一口掬ったフェルナが神妙に耳をとがらせ、ついで器ごと口元に運んだ。

 その横では御者くんがコクコクと喉を鳴らしてスープを飲んでいた。


「デザートはもちろんバームクーヘンだ。ドイツといえばこれしかない」

「やったッ、マジで作ってくれたのかよ」

「旅から旅の馬車移動の最中につくるようなものではないのだが、今日はめでたい日らしいからな。特別だ」

「めでたい、ね……あの話を聞いて、テメェはほんとう、どういうつもりで」

「大丈夫。俺に考えがある」

「だろうよ。いいぜ、好きにすりゃあ」


 今日は湖畔の村で、新鮮なサチアロの肉と出汁のとれる魚の干物をなどの食材を手に入れることができた。豪華な食事はその副産物である。

 ちなみに、俺たちが今いる場所は村から少し離れた場所で、湖に面したキャンプ地だ。隣にでかい湖があるので、シャルの村と違って村内火気厳禁ではないだろが、巨大な六足馬車は目立ちすぎるほどに目立つし、忙しく動き回っている村人さんたちの目の前でまったりお食事というのもあれなので。

 ハンドル付きのバウムクーヘン焼き器は【ジマズ・アルケミック・ベリー/地神創成果実】をベースにしたオリジナル魔法【ジマズ・ステンレスクックウェア/地神不銹鋼調理器】で作れるし、火力調節はいつも通りの【フォックスファイア/狐火】で自由自在だ。

 それだけ揃えても作る手間は結構ある。くるくる作業はフェルナに手伝ってもらった。

 そして仕上げは溶かした飴のコーティングだ。

 外は飴のカリッとした食感、中は年輪の焼き目の入ったふんわりスポンジ。生地にはハチミツも練りこんであるので、甘さには事欠かない。

 まさにドイツを代表する焼き菓子であろう。

 日本人の俺には甘すぎる仕上がりだが、ヨーロッパ、特にドイツではくどいほど甘いケーキが定番である。今日のコースはドイツ料理がコンセプトなので、個人の味覚よりも本場の味を優先した。

 柑橘系の果実水ピリア珈琲(ドリュー)も用意してあるので、ティーセットがお勧めだ。

 

 口いっぱいにバウムクーヘンを頬張ったセスリナとリストがなお争うように、大皿に手を伸ばす。

 

「…………ッ」

「…………ッッ」


 口をもぐもぐさせながらガッガッと腕を戦わせる二人の瞳は真剣である。

 いつもどおり焚き火を囲んだ野外の食事。しかし、いつもより静かな食卓だった。

 文句の多いパレイドパグが久しぶりの自国料理に満足しているからだろうか。


 シャルが連れ去られて以降、皆から笑顔が減っていた。

 笑顔が減ったのは俺達だけではない。

 アルカンエイクが引き起こした『ラバックの惨劇』が、法国のすべての国民から笑顔を奪ったのだ。

 そこはこの国の人間でない俺にはどうでもいい話なのだが、俺たちにとってはシャルの不在が大きい。

 シャルに近づいているのだという実感が必要だった。

 獣人解放運動――アルムトスフィリアは順調だ。どこの街でも抵抗らしい抵抗はなく、どの街の領主もアルムトスフィリアが近づくだけで、獣人保護の署名に自ら赴いてくれる。

 間違いなく前進している。だが、それは俺にしか見えない前進だ。あとどれだけ進めば、何をすればシャルを救い出すことができるのか。

 皆の目に見える、シャルの目にも見える大きな前進が必要だった。

 

『ワーズワード殿。あなたに話があります』


 脳内に再生される一つの声。

 シーバの願いに応え訪れた惨劇の地で、俺は一人の男と会った。

 その出会いが俺に一つの決断を促した。

 

「……い」

「ん?」


 ごくんと、最後の一口を飲み込んだニアヴが空になった皿をコトンと地面に置いた。


「うまいッ、うますぎるのじゃあああ!!」


 口の周りを肉汁でベタベタにさせたままで叫ぶ狐。

 これまでの静寂は単に口の中が食べ物でいっぱいだったので、喋れなかっただけであるらしい。


「なんじゃ、この複雑な味は!? 甘みと辛味と酸味の異なる味が混じりあっておるのに、その全てが調和しておる。なにより肉がうまい。一口でこの世のすべてを味わっておる感覚じゃ」

「そういえば、ハンバークはまだ献立に載せたことがなかったか」

「スープも別格です。野菜のスープは、どこの宿でも出てくるものです。ですが、このスープはその全てと違います。濃厚なのに澄んでいるとでもいうのでしょうか。『とまと風味』……これは正直スプーンが止まりません」

「食材はどれも普通に買えるものばかりだぞ。それに干物を煮だした出汁と合わせるパターンは珍しいだろうが、逆に言えば、料理方法次第で、誰でも同じ味を再現可能ではある」


 村で出してもらった料理もそうだったが、シャルでさえスープを作るときは切った野菜や肉を鍋にぶち込むだけだった。

 火が通れば出来上がり。出来上がった味が料理の味。

 それはそれでうまいのだが、目的の味に仕上げるという発想がない。

 

「ううう、おいしひぃぃぃぃ~、これから毎日私のためにお菓子つくってぇぇぇぇ」

「ダメぇぇぇッ、ワーズワードサンはボクの群兜マータになって、豹王家の厨房に立つのぉぉぉぉ」

「お前のところは群兜に料理をさせるのか」


 大皿に残った一切れを争いふぎぎぎぎっと相手を押しのけ合う大貴族令嬢と獣人王族の姫。

 醜い。なんと醜い姿であろうか。

 

「だって、こんなに美味しいケーキ、ボク食べたことない!」

「それはお前の国が肉食系の国だからじゃないのか」


 小紗国の一つ。獣人の国、竜国ガーディア。雪豹族のリスト・ナラヘールはそこのなんとか王家の生まれである。

 一方のセスリナ・アル・マーズリーは大国である『北の聖国ラ・ウルターヴ』の上級貴族出身である。

 小国の姫と大国の貴族。どっちが上なのか考察するつもりはない。


「違うよ、私だって食べたことないんだもんっ。なんでこんなに美味しいの作れるの。もっと作って」

「はいはい。俺の分を分けてやるから、それでいいだろう」

「わーい」

「やったー」


 第三者(俺)の介入により、醜い争いは終わりを告げた。争いを生み出し、同時争いを収める。おそるべし、バウムクーヘン。

 

「お主、これだけの腕を持ちながら、なぜ隠しておったのじゃ」

「なんの糾弾だ。何も隠してないだろ。シャルの村では茶碗蒸しも作ったし。それにいつも食べている料理も俺がシャルにメニューや調理技術の指導をしている結果だろう」

「その指導を受けておるシャルと比べてもうますぎるから言っておる。居らぬシャルには申し訳ないがの」


 確かに指導といっても俺の場合は、本人の自主性を重んじる教育方針である。味付けに関してもうるさ型の指導ではないので、俺個人の味覚で作られた料理と同じ味というわけにはいかない。


「なんにしても味付けが口にあったのならよかった。今回の料理に関しては俺は一切手を抜いていないからな。リズロットの望み通り、これが俺の本気だ」

「いや、アイツが言ってたのは、こういうのじゃねーと思うぞ」

 

 横からなにか聞こえたが、気にしない。


「お前たちもうまかったなら、リクエストを出した駄犬に礼をいっておけ。これはこいつの国の料理だからな」

「ありがとうございます。パレイドパグ様」

「パグちゃん、ありがとう」

「パグパグ、ありがとっ」

「だれがパグパグだ。まあ、ドイツ料理がほめられるのは悪い気はしねェけどな」


 こと食べ物に関してなら人は素直になれるもので、駄犬も上機嫌だ。


「料理くらいで気が晴れるなら、今後はずっと俺が担当してもいいぞ」

「やめよ」


 まさか拒否られるとは思っていなかった俺は、思わず問い返した。うまかったんじゃあないのか。


「なぜだ」

「こ、これ以上お主の作る料理を食べ続ければ、お主の作るもの以外食えなくなってしまいそうじゃ」


 そんなことを口にして、フイと目をそらすニアヴ。

 なんだそれは。


「大げさな。それに、そうなったらなったで問題はないだろ。お前は俺の紗群アルマになったんだから、これからもずっと一緒なんだろ?」

「にゃわっ!?」


 奇襲を受けたニアヴが頬を染めて、俺を凝視した。

 心のコエを聞く濬獣ルーヴァとて、万能ではない。俺のように思考と感情を切り離して行動できる人間にとっては、そういう能力があると事前に知ってさえいれば、いくらでも対策できる。


「それは、その、そうなのじゃが……くふふふっ」

「に゛ゃー、らぶらぶでうらやましいなー」

「…………」

「ん~、あっまーいっ」


 幸せに身をよじる狐。うらやましそうに指を咥えるリスト、駄犬はジト目で俺を見る。狂犬と目は合わせない。噛まれたくはない。

 でもって最後のセスリナのセリフはバウムクーヘンに対するものだ。これが俺の言動に対する揶揄であったなら大したものなのだが、そうならないところがセスリナである。


 こういうおふざけもたまには必要なのだ。

 たまにはというか、今だからこそ、だな。


「皆がシャルのことを気にかけるのは判然る。だが、魚を釣るための餌を自分で食べる漁師がいないのと同様に、ヤツもまたシャルには手を出すことはない」


 俺たちエネミーズの間でだけ通じる暗黙の了解というものがある。

 

「だから、心配するな。安全という意味では、俺と一緒にいるお前たちよりよほど安全だと言っていい」

「……ふん。パルメラを傷つけ、シャルを攫ったあの者を妾は許さぬ。じゃが、お主がそういうのじゃ。シャルの身の安全は信じよう」

「ああ、すまんがそういうことなんだ」


 いつまでも暗くなっていても仕方ないのだ。

 やるべきことをやる。前に進む。今はまず、目の前のことである。

 

「さて、飯が終われば、出かける準備だな。今日はめでたい祭りの日だ」

「全然おめでたくないけどね!」


 眉を吊り上げるリストががぶりとバウムクーヘンに食らいつく。怒るか食べるかどっちかにしたらどうだろうか。

 

「そういうな。水神祭だったか。いやー、面白そうな祭りじゃないか」


 そういう俺に、コイツナニイッテンダという、皆一斉の不審の視線。

 たまたま立ち寄ったこの村で祭りの話を聞いたのは昨日。そして、今日がその当日。

 手の込んだ料理も、全ては祭りが始まるまでの時間つぶしでもある。

 楽しい楽しい水神様のお祭りは、日が傾いてからが本番である。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「ん……」


 めいっぱいの力を込めて、台車を押すロゼット。

 道は険しい上り坂だ。エミール山脈につながる山のふもとの獣道である。


「はあ、はあ」


 人より少し背が高いだけで、特別腕力があるわけではない。これまで力仕事などしたことのないロゼットである。

 でも最近は少し力がついてきた気がする。

 これって、いいことなのかしら? 嬉しくもあり、悩みのタネでもある。

 目的地までもう少し。


「とうちゃく……はあ」


 大きく息を吐いて、ゴトンと台車を落とす。

 坂を登り切った場所は、少し見晴らしの良い中腹の高台になっていた。

 眼下の広がるロス湖に浮かぶ小舟が、水面の漂う木の葉の大きさに見える。

 切り立った崖には雨をしのげる洞窟が穴をあけている。

 その洞窟の前に巨大な岩石が転がっていた。岩石の上で数匹の小鳥が遊んでいる。

 

「あの、戻りました」


 何を思ったのか、ロゼットがその岩石に向かい声をかけた。

 と、驚いたことにその岩石が動き出したではないか。

 驚いた小鳥がパタパタと飛び去ってゆく。

 いや、そもそもの認識が違うのだ。岩石は岩石ではなく、まるで岩石のような大男――すなわち人間であるのだから。

 四角い顔、厚い胸板、腕も腿も太い。岩石のような筋肉が男の全身を包んでいた。

 そのような男が小鳥にすらなんの気配も感じさせず、あぐらを組んで地面の上に座っていたのだ。


 男の名はディールダーム。

 

 本名ではない。それは世界が彼を識別するためのコードネームである。

 すなわち、世界の敵『エネミーズ4』として。

 アルカンエイクの誘いに乗り、ワーズワード抹殺のために異世界へと転移してきた内の一人であり、アルトハイデルベルヒの王城で異世界の知識を得た後に、何処かへ姿を消していた人物である。

 ディールダームのその後について、誰も知るものはいなかった。ただ一人、ロゼットを除いて。

 ロゼット・アラムはディールダームをこの世界に引き寄せたティンカーベルの少女である。

 

「村でパンと飲み物を交換してもらいました。すぐに食事の準備をします」


 ディールダームは答えない。

 一月を超える時間を共に過ごしながら、未だ二人の間に会話らしい会話は成立していない。

 ロゼットからの話しかけはあるのだが、それこそまさに岩石との会話である。ディールダームが意味のある返答を返すことは大変に稀であるのだ。

 

「あと、服も脱いていただけますか。村で布をもらってきたんです。穴があいているところ、私があとで繕っておきますから」

 

 ディールダームは答えない。

 答えないまま、無造作に上着を脱ぎ捨てた。

 

「ゆく」

「はい」


 緑色の光が瞬き、ディールダームの姿がロゼットの前から掻き消える。

 たくさん体を動かす肉体的な訓練のあとに、『ざぜん』というらしい精神統一の趺坐を行う。最後に滝で水浴びをするのがディールダームの日課である。

 だから、行き先を聞くこともしないし、一人残されることに不安も覚えない。

 あとに残された衣服を拾い上げる。ロゼットが三人くらい入れそうな大きな服だ。

 汗と泥とお日様の――男性の臭いだ。

 

「身体は綺麗にするのに服は同じものをずっと、着込んで。本当にしょうのない人」


 そんな薄汚れた衣服を抱きしめて、ロゼットは少し困ったほほ笑みを零した。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 火を熾して、水を煮る。

 森で採って山菜とまた残っているサチアロの肉を一緒に煮込む。それで完成でよいのだが、そこに少し薬糖酒を入れるのがロゼットのポイントだ。

 それだけで様々な病気の予防になるし、味にも変化がつく。

 こんなことは誰が思いつくだろう。自分はもしかしたら料理の天才なのではないだろうかと一人思うロゼットである。

 鍋を煮込んでいる間に針に糸を通して、服を縫う準備をする。

 と、そこで気がついた。

 

「あ、布を切るハサミがない」

 

 これでは針と糸があっても意味がない。自分はどこまでの抜けているのだと、ロゼットは大きく息を吐いた。

 脱力のままぽてんと背中から地面に倒れこみ、瞳を閉じる。

 目を閉じれば、いつかの風景が思い出される。例えばそれは焼け落ちる大神樹の都。

 ロゼットは『森珠国ドラキア』の首都・メキドに暮らしていた。父はいない。片親ではあったが、医者である母の元で多くを医療知識を学びながら、不自由のない暮らしをしていたのだ。

 だが、メキドは法王の手により一夜にして滅びた。

 

『これでやっと三体目ですか。全く『ティンカーベル』とは見つかりにくいものですねぇ。ですが、これで目的は達しました』


 その日、ロゼット・アラムはそんな法王の声を聞いた。

 森珠国の伝える大秘宝『宝樹の心果実ド・ラ・メア』など見向きもせず、法王はロゼットのみを焼け落ちる首都の中から連れだしたのである。

 後に、宝樹の心果実もまた法国へ渡ったため、世間では世界に名だたる七大アーティファクトの一つを奪うために法国は森珠国を滅ぼしたのだと言われているが、ロゼット自身は国が滅びたのはもしかしたら自分がいたせいなのではないかと思うこともある。

 そして、あの地下の大洞窟。突然、自分の目の前に現れた大きな手。

 その手には、ついさっき法王様から与えられたばかりの首飾りが握られていた。

 

 それからのロゼットはただ、その男の背を追っていた。

 なぜかはわからない。でも、なぜか、そうすべきだと思ったのだ。

 ついて来いと言われたわけではない。ついて来るなとも言われない。

 話しかけてくれない。こちらから話しかけても答えはない。

 でも、一緒にいることを拒否されたこともなかった。

 

「あの、あなたのこと、なんて呼べばいいでしょうか」

「ディールダーム」

「ディールダームさま?」

「……くだらん。好きに呼べ」

 

 やっとできた初めての会話がそれだった。

 

 緑の閃光。ディールダームが再び姿を現す。

 無詠唱の転移魔法。屈強な肉体の持ち主でありながら、高度な魔法を使いこなすディールダームである。

 上半身は裸のまま、どかりと腰を落とす。

 

「おかえりなさい。すみません、服を縫おうとおもったのですけれど、布を切るハサミがなくて」

「……フン」


 ディールダームの掌底が地面に当てられる。

 そこに白の魔法発動光が輝いた。

 途端地面から溢れ出す白銀の液体。続けざまに青い輝き。白銀の液体は空中へと持ち上がり、∪の字に曲がって固定された。

 土壌成分を水銀に変え、更に流水操作の魔法でその形状を操作したのだ。

 更に続く白の魔法発動が水銀を硬質な金属に変化させる。

 一連の魔法発動がなめらかすぎて、何をどうしたのかは、ロゼットでなくてもわからないだろう。

 出来上がったものは握り鋏である。握り鋏とは要ネジをもたない原始的な形状のはさみで、先が刃物になっているピンセットをイメージすれば良い。

 ワーズワードとは別の方法で、ディールダームも任意の形状の金属を作り出すことができるのだ。


「使え」

「ありがとうございます。あ、お鍋はもうできていますので、先に食べていてください」

「……」


 それには答えず、鍋をすくうディールダーム。味の感想はないが、鍋の中の大量の食材がみるみるうちに減ってゆく。

 自分の料理を食べるディールダームに少しの喜びを感じながら、ロゼットは繕い物を続ける。

 

「ふふ」


 ロゼットの口元に小さな微笑みを零れた。

 ディールダームは何も語らない。だけど、パンが必要だと言えば、サチアロを狩ってくれる。ハサミがなければ作ってくれる。

 私が食事を作らなければ、いつまでも修行のようなことを続け、休むことをしない。

 だから、私が食事を作ってあげないといけない。服だって、私が繕ってあげないといつまでもボロボロの服を着続ける。

 この人は、私がいないとだめな人のだ。

 そう思うと、どうしても頬がにやけてしまうロゼットなのである。

 と、そこで一つのことを思い出し、ロゼットは服を縫う手をとめてディールダームへと向き直った。


「あの。今日、下のリムロスの村でお祭りがあるんです。水神祭というお祭りなのですけれど――」

「……」


 真剣なロゼットの話を聞いているのかいないのか。相槌を打つこともなければ、反応を返すこともない。

 まさしく、人の形をした岩石である。


「――今日のお祭り、一緒に行けませんか?」







 日が傾く。

 茜に輝く湖に篝火を燃やした小舟が浮かぶ。

 ドン、と水面を揺らす大音量の太鼓の音が水神祭始まりの合図だった。

お待たせしました。えぴ9、始まります。



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