Lycanthropes Liberation 18
ゴトゴトと車輪が石を踏む音が大きく聞こえる。
無言の車内。皆の顔に見えるのは怒りや悲しみではない、ただ苦々しいばかりの疲労感だった。
「フェルナ。俺の力が及ばず、すまなかった」
「いえ。群兜のせいではありません。妹を守れなかった責は、敵を前にしながら、剣を振るうことを躊躇した私にこそあります」
「私、なにもできなかった……シャルちゃんが連れて行かれそうになっても、なんにも、うう~」
「それを言ったら、ボクだって!」
皆が視線を落として暗然とする車内で、一人キッと視線を上げる者がいた。
「やめよ。それを言えば、妾とて、あやつの魔法の前に手も足もでなんだ。そうでなく、これからできることを考えよ。シャルは必ず無事でおる。そう信じるのじゃ」
「ニアヴさま」
休憩も挟まず既に数時間。
致死の傷口こそ塞げたものの、まだ一人で立ち上がれるほど体力の戻っていないパルメラを置いて、俺たちはパルメラ治丘を出発した。
それはパルメラ本人が望んだことだが、だとしても、傷を負った大切な仲間をそのままにして行く決断は、ニアヴにとって軽いものではなかっただろう。
それでもなお、こうして皆を鼓舞する。
これがニアヴの強さ。そして、優しさだろう。
「ワーズワード。まずはお主じゃ。あやつの使う魔法は、妾から見ても常軌を逸しているように思われた。信じられぬことじゃが、あるいはお主を超えておるやもしれぬ。先を急ぐはよいが、対策なしでは今日の繰り返しじゃぞ」
「そうだぜ。あの野郎、源素をそんなに纏ってねェどころか、なんの源素操作もせずに魔法をぶっ放しやがった。んなの、アリなのかよ」
窓の外を見ていたパレイドパグが、ニアヴの言葉に続けて、そう吐き捨てる。
「妾にお主たちのいう源素はもとより見えぬが、あれだけの魔法、もはや見える見えぬの話では――」
「あれか。その方法については、既に当たりはついている」
「……は?」
難しい顔でその脅威の度合いを述べていたニアヴを遮る。
ポカンとした表情を見せるニアヴと駄犬。
「なんじゃと?!」
「マジかよ。……いや、おかしい話じゃねぇ。テメェが本当にリズロットの言ったとおりのアイツなら……それより、なんでこのアタシが、一番に気付けなかったんだって話だよな……」
「何をぶつくさ言っているんだ。魔法は源素を一定の図形に繋げることで発動する。利用する源素の色や数、魔法の発動する図形の種類に違いはあってもその原則は曲がらない。それでもなお源素操作なしに魔法を発動できるとすれば、方法はひとつしかないだろう」
「なんじゃ、それは!」
「ここにある、これだ」
そう言って俺は、自分の手首に巻かれた数珠の一つを指で弾いてみせた。
「ああっ!」
「なるほどッ、それかや」
「どれどれ?」
俺のヒントに、二人は同時に同じ答えに到ったようだった。
そうでないセスリナがきょとんとした表情で質問を口にする。
「それって、【パルミスズ・マインドフォン/風神伝声珠】」
「ぜひ『マイフォン』の愛称で呼んでいただきたい。リゼルは魔法を発動するとき、源素操作こそみせなかったが、何かを口にしていなかったか?」
「言ってた!」
リゼルちゃん必殺『ライト・セイバー』。
魔法封じの『シンク・マジック』。
そして――
「定められたスイッチで発動する――そう、原理は魔法道具と同じものだ。ヤツのふざけた言動こそが、その起動命令だったってわけだ。ネタが割れてしまえばどうということもない。あれは、源素が見える俺たちを驚かすためだけに仕込まれた無源素操作魔法。魔法ではなく手品だ」
「盲点じゃった。すっかり忘れておったわ。あやつもお主と同じ世界から来た者。となれば、マジックアイテムの作成も当然可能じゃということに」
「でもあの野郎、手にガラス玉なんて握ってる様子はなかったぞ」
「それについてはポケットに入れていたのかもしれないが。俺はもう一つ別の可能性を考えている」
「別の可能性?」
「どんな可能性でしょうか。私はそれを知らねばなりません」
皆が俺の分析を真剣に聞き入る。いつしか、疲労に沈んでいた表情に色が戻ってきていた。
リゼルに完敗を喫したのは、ヤツの目的や能力を何も知らなかったからだ。
最初からシャルの誘拐が目的だと知っていれば、別の守り方もあっただろうし、源素操作を見せない魔法発動もそうと知っていれば、必要以上に動揺することも警戒することもなかった。
「今日現れたリゼルとは、リズロットの操る仮想体だということだ」
「治丘でもそのようなことを言うておったな。もっとわかるように説明せぬか。『リゼル』があの娘の名じゃというのはよいとして、『りずろっと』だの『あばたー』だの、妾の知らぬお主の国の言葉を使いすぎじゃ」
「アバターとは人形を意味する言葉だ。お前の使う【リープ・タイガー/飛虎】の魔法で出てくるのが虎ではなく人になったのだと思えばいい。そしてそれを裏で操作している奴こそがリズロットだ」
「あれが人ではないじゃと……?」
「そんなことがありえるのでしょうか。私にはあの女性は生きている人間にしか見えませんでしたが」
到底信じられないという表情のフェルナ。
「通常であれば、俺だってこんな突飛な発想には至らない。だが相手がリズロットだと知った以上、これは想像ではなく確信だ。奴こそは世界最悪かつ最高の『人形師』。この世界にある魔法と俺の世界の先進技術との親和性は高い。リズロットであれば人間にしか見えない完璧な人形の作成が可能だろう」
「ワーズワードの言うとおりだぜ。アイツなら、あれくらいはできンだろうさ。にしてもよ……あのクソガキ、アタシの前でずっと仮面を被ってやがったんだ!」
「いや、それに関しては全然仮面を被ってないお前の方が問題なんだが」
必要以上に自分を晒さない。それがネットとの正しい付き合い方だ。全てを晒すなら、なんのための仮面だというのか。
「話を続ける。パルメラは、リゼルから何の『聲』が聴こえないと言っていただろう。人形に心も魂もない。ないものは聴こえない」
「うむぅ。そう言われれば、否定できぬ」
「そして、心も魂も入っていない代わりに、別のものが入っているのだと思われる」
「ハッ、そういうことかよ。てーこたァ、あのリゼルってのの身体自体が」
「そう、おそらく魔法の発動体を兼ねているのだろう。魔法道具、ではないな。魔法人形か。俺の見立てではリゼルが発動できる魔法は少ない。おそらく六つ程度だろう。それも再詠唱時間の制限付きで」
「六つ?」
「まずは人形を動かす遠隔操作の魔法。そして【アルテシア/乾坤剣】、魔法封印の【マルセイオズ・シール・シールド/水神封魔盾】、空中浮遊の【パルミスズ・エアセイル/風神天翔】、空間移動の【パルミスズ・エアライド/風神天駆】。そして最後の『奥の手』で六つだ」
構成源素図形は知らないが、一帯での魔法行使を封じる【水神封魔盾】の魔法。
リゼルの使った『シンク・マジック』の魔法が、おそらくそれだ。
「その根拠は」
「リストの二段蹴りを受けたリゼルは、迷うことなく『奥の手』を発動させた。そんなもの使わなくても、パルメラの動きに対応できる速度で発動できる【乾坤剣】があれば、十分対処できたはずだ」
「なるほどの。あのとき、あやつは【乾坤剣】を使わないのではなく、使えなかった。同じ魔法の連続使用はできぬと言うわけじゃ」
「んで、他にいくらでも魔法が使えンなら、『奥の手』以外の魔法を使ったはずってか」
「そういうことだ。非戦闘用魔法なら使えた可能性はあるので、完全に六つとは断言できないが、無制限ということは考えられない」
あの時あの場で、俺がこの結論まで達していれば、ああも易々とシャルを奪われは――いや、この思考はやめよう。
二度と遅れは取らない。シャルを取り戻す。それだけだ。
「ふむ……やはりお主は只者ではない。先ほど、口では希望を言った妾じゃが、心のどこかでは今のままでは手も足も出ぬと弱気になっておった。じゃが、今の話を聞き、そうでないと分かった。たったの六つ、相手の手の内さえわかれば、いくらでもやりようがある。こういうときのお主はほんに頼りになる男子じゃ!」
「すっごいよ、ワーズワードサン! 次は絶対負けないね!」
「はい。私もあの姿が作り物であると理解しました。そうであれば、この剣を躊躇しません」
ネタとしてはそれだけだ。
だが、話はここで終わらない。
「ところが、そんな簡単な話ではない。そうであれば、俺はここまで丁寧に説明はしていない」
「えっ、どういうこと?」
明るさを取り戻してきたところ悪いが、簡単ではないからこそ、とりあえず判然った範囲だけを説明したのだ。
「問題は奴の見せた『奥の手』だ。俺たちの目の前から消え去り、次の瞬間には空中に浮かんでいた」
「瞬間移動の魔法じゃないの?」
「シャルを抱えていなければな」
「えっ、じゃあ、あれって何の魔法なのさ?」
本来であればそれを俺の目の前では見せたくはなかったのだろう。見れば俺は必ずその魔法の本質について理解する。
故にリゼルは奥の手と言ったのだ。
「あれはおそらく『時間停止』の魔法だ」
「時計を止める魔法?」
「時計ではない。時間だ」
とは返すが、リストが理解している感じはない。もう少し説明を加えねば難しいか。
「時間という概念は『変化』という言葉に置き換えるとわかりやすい」
「そりゃ、広義過ぎねェか。『事象の遷移単位』って言う方がまだ理解できンだろ」
「その表現は誤解を招く恐れがある。それに時間を定量の単位で捉えようとするならば、その最小単位はゼロになる。ゼロの連続体が幅を持つ矛盾をどう説明するつもりなんだ。この世界の人間はユークリッド公準の前提知識は持ってないんだぞ」
「いや、こいつらがそんなトコを気にしてツッコむわけねぇだろ……」
「判然らないではないか。もし俺の耳が長ければ、きっと質問したはずだ」
「ああそうかよ。テメェの耳が短くてよかったぜ」
何にしても駄犬の言う説明方法は、もう少し論理思考の基礎を持っている相手でないと難しい。
「すまない、待たせた。で、その変化を停止する魔法というのは――」
「待つのじゃ」
突然に説明を遮ってくる狐。
「お主らの中ではなんぞ共通した理解がなされたようじゃが、その理解は妾たちに一切伝わっておらぬからな」
そんなばかな。
隣を見ると、深く耳を動かして同意を示すフェルナ。
耳を動かすどころか、まばたき一つせず表情を固定化させているセスリナは、悟りの境地にあると言って良さそうだ。
「なぜだ」
「なぜも何もなかろうが!」
「それでは別の言葉を使うが……時間停止の魔法は、瞬間睡眠の魔法だと思うといい。寝ている間は見ることも動くことも思考することもできず、気づけば朝になっているだろう。そんな睡眠の状態を瞬間的に生み出し、俺たちが寝ている間、ただ一人リゼルだけが自由に行動できると、まあそういうような魔法だ」
「ふむ、それならばわかる。最初からそう説明せぬか、阿呆者め」
「大丈夫、ボク、夜は強いよ!」
「いや、感覚的にそうというだけで、本質的には全く別の魔法だからな?」
「でもそんな魔法があるなんて、聞いたことないよ」
「なら創ったのだろう。リズロット――ではないな。おそらくアルカンエイクのオリジナルマジックだ」
「恐ろしい魔法です。法王アルカンエイクはそれほどの――」
「神の領域、じゃな」
全くだ。
「故に、俺たちは早急に時間停止魔法への対抗策を考える必要がある」
「…………どうやって?」
どうやってだろうな。
だが、それがなければアルカンエイクはおろか、再びリゼルの前に立つことすらできない。
それが次なる対面を果たすための、絶望すぎる前提だった。
◇◇◇
日が傾き、一番星が輝き始めた。
御者くんには最速での移動をお願いしたが、いくら心が急いでも、人間も馬も休息もなく進み続けることはできない。
まだ道を失うほどの暗さではないが、ここいらが限界だろう。
「今日はもう、これ以上は進めないか」
「そうですね。御者様にどこか良い場所で止めてもらえるように話してきます」
「あ、ボクもいくよ、フェルナ兄サン」
馬車の車内と御者台は直接には繋がっていない。六足馬は通常の馬の二倍近い体格を持つ巨大な生物であるため、御者台は車体の屋根前方に位置する。話をしようと思えば、一度ドアを出て、足場を伝い御者台まで登って行かなければいけない。
伝えると言っても二人で行く必要はないと思うが、外の空気を吸いたい気分といったところか。
「ねーねー。そういえばさ、シャルちゃんのことですっかり話が忘れられちゃったけど、シーバくんの方はどうなってるの」
「ラバックの街の件か。ちょっと前に出撃準備が完了したという報告があったぞ」
「そうなんだ」
そうして、にへらとゆるい笑顔を見せるセスリナ。
そんな何気ない笑顔につい癒される。
深刻になりすぎるのもよくない、か。
「うーん」
言って、少し考えこむ表情を見せるセスリナ。
「なにか気になることがあるのか」
「うんとね。あのリゼルって子、私たちがパルメラ治丘にいること、なんで知ってたのかなって」
「なんでって、それは――」
そういえば、そうだな。
魔法の存在がなんでもありすぎて、なんらかの魔法的なアレで知ったというくらいにしか考えていなかったが、実際には魔法にだってできることとできないことがある。
まして源素の見える俺に対する間諜活動はかなり困難なはずだ。
人や建物の間に隠れられる都市部ならばともかく、遮るもののない平原で俺やニアヴの異常感知から逃れることはまず不可能。俺たちの行動が追跡されていた可能性は低い。
となれば間接に、ということになるが、その場合の情報漏洩源は大きく絞られる。
まず、外部と連絡を撮り合っているのは俺とセスリナの二名だけである。
俺が位置情報まで知らせた相手はルルシス、ラーナ、イサンとシズリナ商会配下の商人、それにレオニードとシーバくらいだ。そして、セスリナの報告先はミゴット一人。
さすがにリズロットの手が国外まで伸びているとは考えにくく、ランダム要素のシズリナ商会関係も排除可能だ。
いや、わざわざ排他視点で絞り込む必要もない。ジャンジャックとの激突の瞬間、リゼルもまたサイラスにいたのだ。獣人解放運動と俺がつながっていることは百も承知のはずである。
個人的理由で俺が集団から離脱することまでは想定外であったろうが、残ったレオニードとシーバのアルムトスフィリア第一隊、第二隊については容易に追跡可能のはずである。
位置情報が漏れたとしたら、そのあたりだ。
レオニードは軍属経験からスパイを警戒する能力は持っているはず。となれば――
「…………」
「どうしたの?」
「少し嫌な予感がする」
法国軍の動きのタレコミ。そして、俺の前に再び姿を現したリゼル。その時間的一致。
ちょっと確認しておくか。
緑源素x三、白源素x三――
俺がその六芒星を作り上げたのと同じタイミングで腕に巻いた数珠の一つが光を発し、一つの着心を知らせた。
風神伝声珠の中でゆっくりとした速度でくるりくるりと回転していた緑の三角形が、方向を定めた方位磁石の如く、ぴしりと一つの方向を指して動きを止める。その矢印の向き先は俺の胸元である。風神伝声珠はこのように通心時のみその機能を発揮するのだ。
『ワーズワードさん俺ですシーバです聞こえますか聞こえますか』
脳内に聞こえてくる獣人青年の声。
心で会話する『伝声』は、その会話の中に息継ぎが必要ないというのが特徴だ。
通常の会話には、文書でいうところの読点や句読点に相当する、息継ぎによる会話の途切れや区切りがあるものだが、心で会話する伝声にはそれがないため、話す側が自分で意識して区切ってやらないと、聞く側としては大変聞き苦しいものになる。
シーバはその点風神伝声珠を十分に使いこなしており区切りの必要性をわかっているはずだが、今聞こえてきた声はそこに意識を向ける余裕が一切ないという、急いだものだった。
『大丈夫だ、聞こえている。落ち着いて話せ』
『……ああ、良かった。つながった』
俺の声が届いたことで安心したのか、そこでシーバが落ち着きを取り戻した。
落ち着いた声で、自分たちの状況を話し始めた。少しだけ長い話を。
その話の中でシーバに確認しようとしていた俺の疑問は解消され、そしてそれはまた、アルムトスフィリアの今後を決定づける重大な内容だった。
「誰かとお話してるの?」
そんな、セスリナの問いかけ。
『――お願いできますか?』
『任せろ。何も心配はいらない。……よくやってくれた、お前は誇り高い男だ』
『嬉しいです。俺たち獣人族にとって、誇り高いっていうのは最大の褒め言葉なんです。ワーズワードさんみたいなすごい人に、そう言ってもらえるなんて、村に帰ったときにみんなに自慢できます』
本当に嬉しいという気持ちを隠さない、シーバの声。全く、無邪気なものである。
いくらでも自慢すれば良い。これは間違いなく、俺の正当な評価なのだから。
通心が切れ、シーバの声が聞こえなくなる。
「もしかして、シーバくん?」
「そうだ」
そこで、フェルナとリストが車内に戻ってきた。
同時に、開いた窓から狐がするりと車内に滑りこんでくる。
「話してきたよーっ」
「もう少し進んだところに川辺に降りられる場所があるのでそこまでは進むということです」
「わかった。ありがとう」
「お主――」
「ニアヴ。立ってないでお前も座ってくれ」
ぎゅっと胸元で握られた手。着席を促す俺に、いつものニアヴらしからぬ様子で、ためらいがちに何かを口にしようとするが、それ以上の何かは、手だけで制した。
「皆に話がある」
戻ってきた三人が着席するのを待って、俺はその重大な報告を皆に告げた。
「シーバから報告があった。たった今、『アルムトスフィリア』成功の道筋が開けた」
「えっ!?」
「いきなり、どういうことですかっ」
「……」
その質問への答えを後に回して、俺は先に結論を述べた。
「喜べ。やがて、全ての獣人は解放される」
サブタイトル回収回。