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ななしのワーズワード  作者: 奈久遠
Ep.8 狐の嫁入り
106/143

Lycanthropes Liberation 16

【ねえ、『ロジカルモンスター』。これどうかな?】

「リズロット。今度の新作は『でも☆くり』か」

【そう、エレミヤ外典ゲテンシノヅカ・クラインちゃんだよ!XD】

「瞳がやや大きい以外はさすがの完成度だと思うが、なぜ主人公を先に作らないんだ。キャラ人気でもトウマ・カノンの方が上だったと思うが」

【そりゃ、決まってるよ。ボク人気で断然シノヅカ・クラインだからさ】

「ああ。それは理解できる明確な基準だ」


 他者評価を気にするエネミーズなど、存在するはずもない。


【それにボク自身ベータ・ネットじゃ、脇役みたいなものだしね】

「なんだ、それは。最低でも二〇〇〇の大量殺戮者である『ルート・ナンバー』どもがここの主役だとでもいうのか。ああいうのは主役ではなく悪役というのだ」

【あはは、そうだね。でもそれを言えば、キミこそ『ルート・ナンバー』を超える世界最高の賞金首じゃないか。世界最高で世界最悪。『STARS』の評価じゃ、キミはもうファースト・エネミー『アルカンエイク』さえ超えているんだよ!XD】


 こいつは時々俺を過大評価してからかって見せる節がある。これもまたベータ・ネット特有の新人イジリだな。

 飛び跳ねるエモーティコンは陽気そのもの。折角心に闇を持つ少女の姿を忠実に再現しても、中身がリズロットでは台なしだ。

 

 リズロットはここではまともな話し相手だが、それは『比較的まとも』というだけだ。他の奴らが、どいつもこいつも会話不能すぎる。


【ねーねー。世界最悪の犯罪者ってどんな気持ち? どんな気持ち?XXXP】


 俺の目の前にテキストチャットを弾ませるリズロットはさすがに鬱陶しい。いいだろう、この俺と『遊び』たいというなら、遊んでやる。

 どうせやるならスマートに、そしてシニカルに。それが俺流だ。

 

 その場で『でも☆くり』作成会社のデータサーバをハッキングし、次話のネタバレを画像付きで懇切丁寧に聞かせてやったらリズロットはその後一週間ベータ・ネットに顔を見せなくなった。

 



 ◇◇◇



 俺がアルカンエイクを倒してこの国を救う。

 叙事詩に描かれる英雄のように。

 

 自身のプライベート割れと死のリスクを犯してまで、この世界に渡ってきた理由がそれか。

 バカだ。バカバカしい。くだらなすぎて、笑いも出ない。

 俺のような社会生活から脱落しただけの犯罪者を指して英雄とか。アニメの見過ぎで現実と空想がごっちゃになってしまっているのではなかろうか。間違いない。日本のアニメは有害。規制すべき。

 話を聞いていた皆も【アルテシア/乾坤剣】の脅威すら忘れてしまうレベルでぽかんと目を丸くする。


「それって……すごくいい話じゃない? ワーズワードサンが先頭に立ってくれたら、きっとみんなもすごく勇気づけられると思う」

「はい。とても素晴らしいお話のように聞こえました。事実群兜マータにはそれだけの力があります」

「英雄って勇者と同じ意味かな。本当に法王さまを倒すなんてことになったら、皇帝陛下から勇者の称号を貰えるかも」


 そんなのいらない。

 とりあえず周囲から聞こえる呟きを無視して、俺はリゼルに話しかけた。

 

「それをお前の妄想と一蹴するのは簡単だ。だが、俺は『エネミーズ12』リズロットをそこまで軽視していない。とりあえず、俺を英雄などと呼ぶお前の根拠について聞かせてもらいたいのだが」

「別にいいけど、聞いてどうするの?」

「もしかしたら納得できるかもしれないという淡い期待だ。今まで多少まともだと思って話していた奴が、実は頭のおかしい狂人だったとしたら、お前もイヤだろ。気分的に」

「まあ! 『ベータ・ネット』にまともな人なんていたかしら?」

「いるわけない。だから、ちゃんと『多少』と言っただろう」


 相手のまとも判定については、俺もそうである分基準は低めだ。

 まるで悪意のない笑顔でリゼルが頷く。コイツはこういうやつだ。


「いいわ、ワーズワードとのお喋りは嫌いじゃないもの。そうね、じゃあ、こういう話はどうかしら。ネット上に構築された仮想世界を人類の生み出した新しい世界の住人たる『仮想体アバター』のことをどう思う?」

「お前の専門だな。アバター――VUI(Virtual User Interface)は感応入力をサポートしたアイシールド専用の第三世代インターフェイスだ」

「そこに私の認識を付け加えましょう。アバターは、単なる入力インターフェイスではないの。言わばネットという新しい世界の住人そのもの。私はそれを『人類進化』のツールと位置づけているわ」

「『人類進化』とはまた大きくでたな」

「事実大きいのよ。ネット・スペースというだけであれば、アイシールド以前にも存在した。でも肉体と紐付いたキーボードやマウスという入力機器インターフェイスでは、現実の延長線としてのネットでしかありえなかった。アバターの感応入力が、そんな単なるネットを『仮想世界』にまで押し上げた」

「お前の言う『人類進化』とは感応入力それ自体を指しているということか。であれば、感応入力理論の完成こそが、最大の偉業だということになるな。感応入力理論――正式には『悧心感応りしんかんのうの電送理論』だったか。現代版ファンタジーとも言える先進理論の完成者は数年を経ずして最高栄誉のノーベル・サイバーテクノロジー賞を受賞した」

「まさに英雄的功績だといえるわね」

「21世紀の巨人、サー・エクシルト・ロンドベル教授……そうとわかった上で改めて捉え直せば、確かに単語選択が似ていなくもないな。だからこそ、その同列に俺を並べるお前の根拠がわからない」

「本当に?」

「どういうことだ」


 パレイドパグはとりあえず俺たちの大人しく話を聞いている。パレイドパグも同じエネミーズとして、リズロットに無関心ではありえない。

 他の皆はリゼルに注意を向けはしているが個別に動くことはしていない。とりあえず俺の判断を待っているのだろう。さっきの話を聞いて判断がつかなくなったのだ。

 

 リゼルが敵なのか味方なのか。

 

「感応入力は手や指という肉体操作の限界を超えた操作性を可能としたわ。これは腕の数が数十にも増えた状況に例えられるわね。でもそれによって生まれる次なる問題が、理論発表の時点ですでに予見されていた。何本腕が増えようと、人間の頭はひとつだけ。人間は結局二本の腕しか操れない。つまり、アバターを操る人間の、『思考の側』には依然限界があった。一つの壁を超えたらもう一つの壁が現れたってこと」

「思考の、限界」


 ――まさか。

 リゼルの瞳が俺の反応を楽しむかのような色を見せる。

 

「その問題の解決には更なる一〇〇年が必要とされる。そう思われていた。だというのに、そんな大きな問題が世界中に無数乱立するネット掲示板のある小さな書き込みによって、あっさりと解決されてしまったわ」

「おい、それって!」


 パレイドパグが思わず声を上げる。

 リゼルが頷く。

 

「そう、『並列思考』よ。それは|BPM(ブレイン・パーソナライゼーション・メソッド)と呼ばれている『脳機能を自分向けにカスタマイズ』する手法の一つ。でも今発表されているBPMには『並列思考』の理論は記されていない。それは当時、あの掲示板にだけ記された方法論だから。しかも、その内容を理解できるだけの頭脳も必要だった。ゆえに、『並列思考』を知る人間の数は少ない。それでも地球上に最低二十三人、いいえ『二十二人』は確実に存在していた」

「リズロット。テメェもあの天才のスレッドを知ってたってのか」


 呆然とした驚きを声に出すパレイドパグ。


「私だけじゃないわ。おそらく『ベータ・ネット』にいる全員が知っていて、そして『並列思考』を体得している」

「……マジかよ」


 言って、やや複雑な表情を見せる。それは並列思考の技術を彼女パレイドパグだけの宝物にしておきたかったという独占欲と自分が唯一信奉する『名も無き天才』を知る者が他にも多くいたのだということへの喜びとが綯い交ぜになった感情のためだろう。

 応援していたインディーズ・バンドがメジャーデビューしたときに、古参のファンが見せる表情がまさにこれだ。


「人類は感応入力で数十の腕を、並列思考で複数の頭を手に入れた。そして、この二つの超理論とアイシールドが組み合わさった時に生まれた、素晴らしい親和性シナジー。人類はネットという仮想世界の中で、肉体と思考の制約を外して、真なる全能力を発揮することができるようになった。私がアバターを『人類進化』のツールだといった意味は、この説明でわかってもらえるでしょう?」

「ギリギリなんとなくな」


 間違いなく、あのグダグダスレッドのことを言ってるんだろうな。

 そういう評価は嬉しくは思うが、あの理論が感応入力の理論に並べられるような大それたものだという認識はない。当時学生だった俺がとある理由から思いついた脳活用の手法をネット上のスレッドに思うまま書き散らしただけのものだ。しかも全然評価されなかったし。

 目にしたというなら、その時に肯定的なレスの一つでもくれれば、当時の俺も多少救われたのだろうが、自分の書いた文章が誰からも見向きされないというのは、未成熟な俺には結構くるものがあり、その後随分と落ち込んだ記憶がある。いわゆるひとつのブラック・ヒストリーだ。


「ちょっと待てよ。テメェの話はコイツとアタシ、それにテメェ以外のエネミーズも全員『並列思考』を使えるってことだろう。それがなんでコイツだけ特別だってことになんだ。アタシだって、コイツの技術力はスゲーって思うとこはある。けど、『並列思考』ってだけならアタシだって使いこなしてるぜ」

「あら、まだわからないの? パレイドパグ」

「ああ? なにがだよ」


 ああ、やっぱ聞いちゃうか。

 うーん。どうしよう。俺から会話の流れを断ち切るのもおかしいしな。

 そんなやや困り顔の俺に意味深な微笑みを見せたリゼルが、パレイドパグに告げた。


「『並列思考』、つまりBPMの生みの親は、ここにいるワーズワードだということよ」

「…………。は?」


 絶句とはどういう状態を言うのかをわかりやすく体現してくれたパレイドパグが、リゼルから俺に視線をぐぐーと流してきた。

 ポカンと開いた口の中に尖った犬歯が覗いている。

 まあいいか。別に隠しておこうと考えてたわけじゃないし。


「BPMの教本を書いたのは別の誰かだけどな。お前も目にしたあのスレッドに関しては、実はそうなんだ」

「じょ、冗談は性格だけにしとけよ、ル-キー。だって、それじゃ…………キャハハハハハハッ!!!」


 あ、なんか無理に笑ってるな。こういう時の駄犬は脳内友人となんらか語らっているんだっけか。

 邪魔をするのもなんなので、放置しておこう。

 俺はリゼルに問い返す。

 

「しかし、よくもまあ『日本人が書いた』程度の手がかりから俺まで辿り着いたものだな」

「確信が得られたのはあなたのプライベート情報が世界中に公表されてからだけれどね。それでも、ベータ・ネットで初めて会った時からそれに近い予感を覚えたわ。あなたのアバター操作の精度を見て」


 判然る話だ。

 『神は細部に宿る』の言葉の通り、高い技術を持つ者は他者では気づけない些細な仕草の中に大きな違いを感じ取る。

 俺の専門技術でいえば、ソースコード中に残るコメントの書き方一つで相手の技術力をある程度推し量ることができる。リズロットにとっては、それがアバターなのだろう。俺の扱うアバターのちょっとした操作から情報を得たのだ。まったく、油断ならないのはどちらだというのか。


「記憶技術としてのBPMは広がりつつあるけれど、並列思考の理論まで知る人は少ない。だって、あの掲示板はどこにキャッシュされることもなく完全に消えてしまったのだから」

「俺が消したからな」


 一度ネットに上がった情報は完全に消すことができないとその道の専門家でさえも口にするが、消そうと思えば消せるのだ。

 具体的には消し続けることができる。仮に外部メディアに保存されていようと、ネットに上がった瞬間に消す『仕組み』があれば、それは存在しないと同義である。

 もちろんそのためにはネットワーク中のあらゆるノードに深く感染して削除を実行する仕組みが必要である。そう言う仕組みは一般的には『コンピューターウイルス』と呼ばれる類のものになる。

 俺のウイルスはどこのアンチウイルスソフトに検出されていないため、幸いにもまだその存在がバレていないわけだが、ある意味でパグウイルスよりずっと悪性の高いウイルスをばらまいている事実については秘密である。

 

 リゼルが頷きを返す。

 

「だと思ったわ。だから『並列思考』の技術は、あの時、あの瞬間に、偶然あの掲示板を見つけて、その内容が理解できた人間にだけ与えられた幸運なの」


 リゼルというアバターの言動は、その裏にいるリズロットとはリンクしないものだろう。アバターは感情ではなく思考で制御するものだから。

 だが、今のリゼルの言葉にはまごうことのないリズロット自身の本心が込められているように思われた。


「お前は俺を褒め殺しにでも来たのか? それは確かに『俺を殺す』というアルカンエイクのオーダーには背いていないのだろうが、さすがにそんな解釈は想定外だと思うぞ」


 俺とて先生と呼ばれるほどの馬鹿ではない。

 褒められた、ヤッター。などと喜ぶ歳でもないしな。

 

「大体、お前は並列思考を人類進化の促進剤のように口にするが、その結果が数十の腕と複数の頭を備えた姿だとか。それはもはや人間ではないだろう。ただの化け物だ」

「その通りだわ。ふるい人類から見れば私たちはみな化け物モンスター。故に同じ世界を共有できない。だから、彼らは私たちをこう名づけた。『孤絶主義者アイソレーショニスト』と」


 俺の軽口にリゼルはそう返してきた。


「孤絶主義者らしい、独自で特殊な解釈だ。犯罪を犯罪とも思わない俺たちの側に問題があるとは思わないのか」

「巨象の一歩が蟻を踏むとして、象は蟻を避けて歩けるかしら? いいえ、それは不可能。私たちは既に新しい一歩を進んでしまっているの。好む好まざるではなく、善悪の判断ではなく、犯罪か否かではなく。象が歩けば蟻は潰れる。ただそれだけの話でしょ?」

「知っているか、リゼル。そういう発想を選民思想というのだ」

「んー、少し違うわね。選民思想があるというなら、それは私たちを孤絶主義者とよぶ『世界』の側。そうでなければ、どうして私たちを『エネミーズ』だなんて、呼ぶことができるのかしら?」

「それは……」


 バウンティハント・システム『エネミーズ』。日本語圏の住人である俺は、カタカナ表記されたソレを一段柔らかい印象で受け取ってしまうわけだが、英語圏に暮らす人間の受け取るそれはより直接的だ。


 『エネミーズ』。害を与える者。敵対者。敵。世界の敵。


 高度に文化的な地球の人権意識からすれば、たとえ相手が最低最悪のサイバーテロリストであれ、同じ人間を『エネミー』と呼ぶこと自体が忌避されてしかるべきである。

 であるにも関わらず、公然と、そして多数の共感をもって俺たちは『エネミーズ』と呼称されている。

 俺たち自身が『エネミーズ』と呼ばれることを嫌っていないとはいえ、一般論としては、公的機関がそこまで過剰な排他表現を取ることの意味は軽くない。

 それを言われてしまうと、俺は明確に反論することができない。


 俺の軽口程度では小揺るぎもしない。

 リゼル――リズロットの持つ絶対の価値観は崩れない。

 

「ワーズワード。私はあなたの一番の理解者よ」

「その理解の結果が俺とアルカンエイクをぶつけることか。バカを言うな、お前はお前の興味を俺で満たそうとしているだけだ」

「当然よ。それが私の目的ですもの」


 その答えで俺が納得してしまうことも、リゼルはちゃんと理解しているだろう。

 まあそれはいい。プライベートを晒した俺という人間の精神性を理解しようと、リズロットでなくとも世界中の犯罪心理学者がそれぞれ分析した持論をあらゆるメディアに発表しているだろうしな。

 一方で、己の目的の第一歩目の理論が破綻していることを理解しているのだろうか。


「さて。俺とアルカンエイクを戦わせるというその目的だが、俺の方にはアルカンエイクを敵と見る理由はないんだが。その点はどう解決するんだ」


 そう返した一言には、リゼルではなく駄犬が反応した。脳内会話は終わったらしい。


「は? ちょっと待て、ルーキー。コイツのイカれた話はともかく、アルカンエイクはジャンジャックを使ってテメェを殺そうとしてきたンだぞ。なんで恨みがないなんて話になんだ」

「裏でどんな暗躍をしていようが、実際に俺を殺しに来たのはジャンジャック一人だ。それはジャンジャック個人の判断だろう。誘っただけのアルカンエイクに対しては別に恨みなどない。まあ今俺がやっている間接的なイヤがらせでフィフティー・フィフティーというところじゃないか」


 仮に恨みがあってもシャルの問題さえ解決できるなら、それ以外の話はいくらでも譲歩できる。

 俺と関係ないところでなら、いくら暴れてもらっても構わない。それくらいには他人である。


「アルカンエイクが俺の何を敵視しているのか知らんが、俺の頭脳が彼の目的達成に役立つなら、進んで協力したいくらいだ」

「自分を殺そうとしてくる相手と握手したいってのか? テメェって野郎は、心底理解できねェぜ」


 呆れた声で応え、次いでリゼルを睨みつけるパレイドパグ。

 

「おい、クソガキ。色々とぶっちゃけ話ありがとうよ。驚きもしたが、納得もしたぜ。でもよ、どっちにしろ、テメーもあの外道を裏切ってるってことじゃねェか。アタシの裏切りをどうこう言った割にゃ、テメェも同じ穴のムジナだぜ」

「ムジナ? いや、お前は犬だろう」

「そうそう」

「……マジで黙れよ、ルーキー」


 あ、切れた。

 ネットのノリを現実世界にそのまま持ってくるとマジ切れされるというのはままある話である。

 なんだかんだで、俺とリズロットそしてパレイドパグはよく話していた間柄ではあるので、緊張感のない会話になってしまうのは仕方がない。


「それについては問題ないわ。私はアルカンエイクを裏切っていないもの。私の目的はワーズワードの本気を――英雄の生み出す物語をこの目で『観察』すること。アルカンエイクとワーズワードという二人の英雄がぶつかれば、どちらかが必ず倒れる。ワーズワードが倒れれば、私の行動はアルカンエイクのオーダー通り。アルカンエイクが倒れれば、最初の約束事自体が消滅。ほら、全然裏切ってなんていないでしょう?」

「そういう発想が既に裏切りだと思うのだが」


 それもかなり最悪な感じで。

 利用し利用する。それもまたエネミーズらしいといえば、らしいか。

 

 見た目だけは女の子女の子したリゼルがくるりくるりと弧を描く。


「ワーズワード、あなたの疑問にも答えてあげる。あなたがアルカンエイクと戦う理由。それはちゃんとあるわ」


 アルカンエイクと戦う理由。断言するが、本当にないぞ。


 トン、と足を止めるリゼル。

 そして、ここ一番の笑顔を見せた。

 

「それを私が作ってあげる。そのためにここまで来たんですもの!」


 そして、リゼルは俺と全く違う方向を見た。その方向には――

 

 最大級の警告アラーム・レッド

 

 そういうことかッ


 【フォックスファイア/狐火】。


 瞬間、ゴウッと粘性を持って渦巻く猛火がリゼルを包み込む。

 発声はもちろんのこと、目に見える源素操作すら行わない、魔法の無音無動作発動。


「なっ、ルーキー、これはテメェの魔法か。どうやって」


 源素を見ることのできるパレイドパグが驚きの声を出す。

 できればその声は、リゼルに出して欲しかった。


「だめだめ。この程度じゃリゼルちゃんは止められないわよ。えーい、魔法封じの『シンク・マジック』っ」


 腕の一振りで炎が消える。またも源素操作を見せない、謎の魔法発動。

 そして、跳ねるような軽やかさでリゼルが動く。俺に背を向けて、後方、シャルとフェルナのいる向きへと。


「フェルナ、シャルを守れ!」

「はいッ――『アブソリュート・ゼロ』!」


 思わず叫んだが、その必要はなかったかもしれない。フェルナはもとから妹を護るためにあらゆる警戒を解いてはいなかった。

 フェルナ愛用のアイアンソードから全てを凍結させる冷気が迸る。


「まあ。魔法効果を付与した剣ね」


 ダンと一歩踏み込んだフェルナが、その剣を突き出す。

 リゼルの肩を狙った突きだ。

 そうだ、一瞬の足止めでいい。一瞬でも動きを止めることができれば、あとは俺が排除する。

 身体のどこか一部にでも触れるだけで、対象を凍結させる【マルセイオズ・フリージング・ソード/水神凍剣】の魔法効果とフェルナの腕ならば、十分に期待が持てる。

 だが――

 

「ふふっ」


 その突きに対して、リゼルはむしろ自ら飛び込むようにその身を投げ出した。

 フェルナにしてみれば予想外の動き。肩を狙っていた剣の切っ先は顎を上げたリゼルの白い首筋に突き刺さる軌道へと誘われる。

 問題ない。そのままぶち込んでやれ。


「くっ」


 しかし、俺の期待もまた外される。

 いくら敵だと認識しても女性の姿を持つリゼルを確実に絶命させる一撃を、フェルナは選択できなかった。

 止まった突きをするりと回避したリゼルがフェルナに肉薄する。

 

「フェルナ・フェルニ。ワーズワードの紗群。心優しい青年。故に、女性の喉を突くような非道はできない」


 リゼルはフェルナの性格を読んだ上で、無防備を晒したのだ。

 フェルナの顎に真下からゼルの掌底が叩き込まれる。

 いくら筋力を鍛えようと、強く脳を揺さぶられた人体は、急速に意識を途絶させる。

 アバター製作者であるリズロットは人体構造・心理分析のプロでもある。相手の思考をトレースし、最小の力で無力化する程度はたやすくやってのけるだろう。

 フェルナの手から魔剣が地に落ちる。

 同時にシャルの悲鳴。


「フェルナ兄さんっ!」

「すみま……マータ……」

 

 そして、そのまま崩れ落ちた。

 フェルナに駆け寄ろうとしたシャルの足が止まる。

 目の前に立つリゼルに行く手を阻まれたのだ。

 

「そして、シャル・ロー・フェルニちゃん。ワーズワードの『ティンカーベル』。ほんと、すっごい美少女ちゃん。あなたがワーズワードの弱点にして、本気を引き出す『ルアー』……ここまで案内ありがとう。ごめんなさいね、実はあなたのことは前から知っていたの。でも、そう言ったらここまで案内してくれなかったでしょ?」

「は、はわわ……」


 青ざめ、後退りするシャル。

 

「シャル!」

「シャルーッ!」


 俺とニアヴも走り出しているが、距離が開きすぎている。俺は位置的に。ニアヴはパルメラを抱きかかえていたために。

 すっと手を伸ばすリゼル。が、その手はシャルに届く前にバチンと弾かれた。

 

「待ちな。まだボクがいるよ!」


 リストだ。リストが二人の間に割り込み、その太く長い尾を鞭に変えてリゼルの接近を阻んだのだ。


「やぁッ!」


 軸足を残したまま相手のガードを尾で払い、開いた胴に勢いを殺さないままの強烈な後ろ回し蹴りを叩き込む、豹王家秘伝・連尾脚。

 ニアヴとの武術訓練で何度か見たことがある技だ。

 バトルタイプ・アバターではないリゼルに、この二連撃は回避できないだろう。

 

「無理ね。受けましょう」


 ガッ!!


 俺と同じ判断を下したリゼルが、腕を上げて蹴りを受ける。

 だがそれで遠心力の乗った全力の蹴りを受け止められるわけもなく、その身体が三メートルほど吹き飛ばされた。

 結果、シャルを護るのに十分な安全距離が開けられ、俺とニアヴも間に合うだけの時間が稼げた計算だ。

 

「よくやったのじゃ、雪豹娘!」

「あ、ありがとうございます、リスト様っ」

「当然だよ。ボクだって、ワーズワードサンのアルマなんだからっ」


 いや、それはまだ認めてないです。


 危なかった。

 ジャンジャックがそうであったように。あるいはこの国の様子からうかがい知れるアルカンエイクの無関心のように。個で全をカバーできる孤絶主義者が『この世界の人間』を己の目的に利用することはない、狙いはただ俺一人に絞られると思い込んでしまっていた。

 それこそ、愚かな先入観。リズロットの行動にそんな制約などなかったのだ。

 

「これで振り出」

「――――」






 リゼルの姿が消えた。


「し」


 思わず言葉が途切れる。


「えっ?」

「消えた……じゃと!?」

「残念~。『これで振り出し』、じゃないのよね」


 声は空から降ってきた。

 いつぞやのジャンジャックと同じように空中に立つリゼル。

 それだけではない。リゼルは腕の中にシャルを抱きかかえていた。唐突な状況変化に、シャルもまた理解が追いついていないようだった。


「ふえっ?」

「うそ、いつの間に!」

「な、なんでぇ!?」

 

 リストとセスリナが悲鳴のような声を上げる。

 今の現象が何であるか理解した俺の背にゾワリと冷たいものが流れる。

 

「バカな」

「もー、こんなところで奥の手を使うつもりなかったのに。でも準備しててよかったわ」

「クソガキ、テメェ!」

「ワーズワード、一体どうなっておる! 目の前におったあやつが、なぜ、シャルを抱えて、あのようなところに浮いておるのじゃ」


 詰め寄ってくるニアヴに、俺は答えることができない。理解したからこそ、口にできない。

 空中のリゼルが小悪魔なウインクを俺に飛ばす。


 これが俺とアルカンエイクとをぶつける手段。

 シャルを人質にする――か。


 リズロットは確かにアルカンエイクの側であり、その上で己の目的のために行動している。

 間違いなく、俺の『敵』だった。


「ワーズワードさああああんっ」


 やっと状況を飲み込んだシャルが、リゼルの腕に捕らわれたまま声を上げた。

 その叫びが逆に俺を冷静にさせる。

 一呼吸。吸って、吐く。


「本気なんだな、『リズロット』」

「最初からそうよ。私の本気であなたの遊びとやっと同等。私やジャンジャック程度じゃワーズワードの本気は引き出せない。そのためのアルカンエイクでしょ」

「くだらない。そのくだらない目的に全力を尽くせるお前の在り方はまさしく『エネミーズ』そのものだ。その一点において――俺はあなたに敬意を払う」


 リゼルが応える。


「ありがとう、ワーズワード。私もあなたに最大の敬意とそして期待を持っている。だからこそ見せて欲しい。あなたの本気の姿――人間の『可能性』の限界を。いえ、限界を超えた、その先を」

「期待に応えられるかはわからないな」


 にしても俺を動かすのにシャルに目をつけるとは。完璧な選択だと言わざるを得ない。


「丁重に扱え。もしシャルに何かあれば」

「私を殺す?」

「いや。お前の期待する本気とやらを出さないまま、その辺で適当に野垂れ死ぬ」

「ちょ、ルーキー!」


 それでリズロットの目的は果たせなくなるので、ざまあみろだ。

 一瞬きょとんとしたリゼルが、声を上げて笑う。

 

「あはははっ。それでこそワーズワード! もちろん、できる限りは。でもあまり遅くならないでね。私はともかく、アルカンエイクがこの子をどう扱うかはわからない」

「それも含めて、お前が責任を持て」

「もー。ワーズワードのそういうところ、ほんと勝手すぎ~」


 リゼルの戯言を一言で切り捨てた後、俺はシャルに語りかけた。


「シャル。すまないが、暫く我慢していてくれるか。すぐに迎えに行く」

「ぐすっ、ワーズワードさん……」


 俺がシャルを見る。シャルが俺を見る。

 交差する視線。

 その瞳から怯えが消えて、信頼の視線に変わってゆく。

 コクリと大きく頷く。


「待ちます。私は、ワーズワードさんのことを信じています!」

「お別れの挨拶はもういいかしら。では、ワーズワード。『アルトハイデルベルヒの王城』で」

「ああ、またな」


 緑色の閃光。

 それが収まった時、空中にあった二人の姿はもう見えなくなっていた。

 

 横たわるパルメラとフェルナ。無力感に打ちひしがれるリストとセスリナ。

 俺は、リズロットの戦略と強大な魔法の前に手も足もでなかった。

 

「シャル――――――!!」


 ニアヴの叫び声が山彦となってパルメラ治丘にこだまする。

 完全な敗北。そうとしか呼べない、リズロットとの二度目の邂逅だった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 同時刻、『アルトハイデルベルヒの王城』


「さて。では出ましょうか」

 

 地球から持ち込まれたスーツは洗濯中なのか、この世界伝統の王の装束に身を包んだアルカンエイクが玉座から腰を上げた。

 いつもは玉座など利用もしないアルカンエイクだが、今日はライドー子爵領に向かった神碧騎士隊の行軍報告を受けていたのだ。

 玉座の左に立つフィリーナが疑問を口にした。

 

「どういうことだ、王。神碧騎士隊は明日の昼前にはライドー子爵領ラバックの街に到着すると報告があったばかりではないか」


 予定では、神碧騎士隊のラバック到着後、王とゼリド宰相以下数名が転移魔法によって現地合流することになっていた。

 面倒ぐさげに、アルカンエイクが答える。


「だから今日行動するのでしょう。明日軍隊が到着すると聞いて、今日行動を起こさないほどに獣人集団は無能なのですか?」

「それは。だが法国軍の中でも最速を誇る神碧騎士隊が任務にあたるんだ。その上にこれは三日前に決定したばかりのこと。どこから情報が漏れるというんだ」

「相手の無能を信じたいならお好きになさい。あなたの同意など求めておりません。用意はよろしいですか、ゼリドさん」


 同じく右に控えるオーギュスト・エイレン・ゼリドが深々と頭を下げた。


「はっ。すぐに準備いたします。アグリアス執務官、あなたはもう戻りなさい」

「宰相、すまない。アルムトスフィリアがどういう集団か、どうしても気になるんだ。私も同行することはできないだろうか」

「控えよ」

「かまいません」

「……よろしい。すぐに準備を」


 ゼリドの拒否にアルカンエイクの許可が重なる。

 一呼吸の間を置いて、ゼリドが許可を出した。


 先触れの王宮魔法師が出発したのはそれからすぐである。

 そこからさらに一時ほどの時間が経過したのち、玉座の間に風神パルミス系の魔法を極めた高位魔法使い――王宮魔法師がずらり並んでいた。

 【パルミスズ・エアセイル/風神天翔】の魔法は、距離的制約のある転移魔法だが、王都からラバックの街程度であれば、一度の転移で移動可能である。

 アルカンエイクも【風神天翔】を使えるが、問題は転移先であるラバックの街を知らなければ、正確に転移することができないという点だ。大規模衛星都市にすら興味がないのに、子爵領にある小都市など知るわけがない。そのために、面倒を感じながらも妖精を使うことにしたのである。


「開きなさい」


 王宮魔法師の【プレイル/祈祷】と【コール/詠唱】により、風神の通り道が開かれる。

 この魔法があれば、騎馬での移動など必要ないと思うかもしれないが、【風神天翔】は自分を含む数人の移動を可能とする魔法なので、大軍の移動には適さないのだ。

 アルカンエイク自身が道を開くならば、大人数を一気に移動させることも可能だろうが、知っての通り、そこまでやる気に満ちた王ではない。

 文官・武官・書記官・伝声官。城に働く全ての者が玉座の間に集まる。

 

「万人は祝え 万旗は靡け 法王様 ご出立 王の行軍である」

「アルカンエイク王。万歳」

「万歳!」

「万歳!」

「万歳!」


 行軍歌斉唱に続き、万歳が三唱される。割れんばかりの歓声が大広間を満たす。

 左右で振られるは魚、六足の獣、女性の横顔、木の葉の四つの意匠の乗る法国国旗とアルファベットのAを象った王族旗である。

 そんな声に押されるようにアルカンエイク、ゼリド、フィリーナの順で姿を消してゆく。同時、玉座の裏で緑の閃光が輝いた。


 待ち望まれた、王の出陣である。

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