Lycanthropes Liberation 10
100話目。
角隠し、という文化・発想はこの世界にはないはずだが、俺が今目の前に見るニアヴの頭を隠す白い頭巾はまさしく角隠し、いや耳隠しであろう。
群誓式。互いの耳を触り合って紗群の誓いを捧げるあれのことだ。
ちなみに、群誓式について結婚式と脳内で翻訳したが、この世界の紗群制度は男女問わないところがあるので、この翻訳を採用した場合、俺はシャル、フェルナとも結婚していることになってしまう。それはちょっとどうだろうか。
「ニアヴさま、とってもおきれいですっ」
「群兜。ニアヴ様。おめでとうございます」
「二人ともおめでとう~」
「ニアヴ様、すっごくかわいい! ボクもいつか……はにゃーん」
真っ赤に染まったまま、どう答えればいいのか判然らないといった狼狽を見せるニアヴ。
救いを求めるようにこっちを見るな。
「今すぐ中止しろ! いや、アタシが全部ブッ潰す!! こんななアゼッテー許さな――ムグッ!」
「ふふっ、今は静かにしていようね、かわいい姫君」
今ばかりは駄犬のキンキン声も一服の清涼剤である。
もっとも、その駄犬は虹の輪の中でにこやかに微笑むパルメラにがっちり拘束されているわけだが。
あの狂犬が本気で暴れると大切な天然温泉まで破壊されかねないので、【アンク・サンブルス・ライト/孵らぬ卵・機能制限版】を解除するわけにもいかない。
「ちなみに俺も細かい作法はしらないんだが」
「古今東西。このパルメラ、古の様式を伝える『北の聖国』に始まり、獣人国竜国から辺境火国まで、あらゆる地域における群誓式作法を習得している。わたしにまかせておけば問題はない」
「ああ、うん。それじゃ、よろしく」
うーん、こじらせてんなぁ。
群誓式を誰より楽しんでいるのは間違いなくパルメラだ。
この耳隠しもパルメラ自身の趣味として収集していたものの一つらしい。ニアヴも馬車に積まれた『ニアヴ宝物ボックス』にガラクタを溜め込んでいることを考えれば、基本犬科の獣人には収集癖のようなものがあるのだろう。
耳隠しの下からニアヴが呟くように言う。
「……お主は本当によいのかや」
「本当にってなんだ。お前の方こそ、さっきのアレを全てなしにできるのか」
「い、言うでない! 思い出せば顔から火の出る思いなのじゃぞ」
「そうだ。俺の世界にはこんなときの心構えに最適な格言がある。それを教えてやろう」
「なんじゃ?」
「避けられ得ぬ運命を前にして、人がとり得る選択は二つに一つ。すなわち運命に立ち向かうか――」
そこで俺は一度言葉を切り、ニアヴに向かい直った。
そのまま耳隠しをそっと押し上げる。
目の前に現れたふさふさの耳に緊張の電流が走るのが判然る。
ニアヴのわずかに潤む瞳が凝と俺の顔を見上げていた。
「――それとも、受け入れるかだ」
◇◇◇
「ふざけンな! いきなり何言ってやがる、この化け犬野郎ッ」
真っ先に反応したのはパレイドパグだった。
化け犬とか、そんな大きなブーメランをよくも投げられるものだ。
パルメラは白い耳をピコピコと動かし、あるかなしかの笑みを駄犬を見る。
「ああ、なんて純粋な『聲』。やはり君はかわいい姫君だ」
「――ッ!」
そんなパルメラの視線を受け、また俺の背に隠れる駄犬。
そうなることが判然っているなら、最初から絡まなきゃいいだろうに。頭がいいのか悪いのか判然らないやつだ。
「純粋な声ねえ。ただの口汚い罵りだと思うんだけどな。どこをどう聴いたらかわいく聞こえるのやら」
「声ではない、『聲』じゃ。おかげで妾も冷静さを取り戻せたわ。……全く、お主の甲斐性のなさにはこの妾ですら同情を禁じ得ぬ」
コエじゃなくてコエ?
何を言っているのか、さっぱりである。
「群兜、今戻りました」
「おっと、フェルナか。おつかれさん」
パルメラのハイテンショントークに付き合っている間にフェルナが戻ってきたようだ。御者くんが一緒じゃないところを見ると、彼は馬車に残ったのか。
フェルナが姿勢を正す。その視線の先には、白い犬耳をつけた人物がいる。
「パルメラ様ですね」
荷物を下ろしたフェルナがきっちり六〇度腰を折る深い礼を行った。
「初めてお目にかかります。濬獣・パルメラ様。私はフェルナ・フェル二と申します。この度はパルメラ様の治地へ足を踏みいれることをお許し頂き、ありがとうございます」
「貴顕紳士。礼儀正しい子だね。わたしは好きだよ」
「はっ……ありが、とうございます」
フェルナであってもやはりこの『ジェンヌ』トークには戸惑うか。久しぶりに狼狽するフェルナが見られて得した気分だ。
しかし、パルメラとフェルナが並び立つと二人の背景にバラの花が咲き乱れるな。受動型認識系不要で脳内描画余裕です。
「……なんでしょうか、群兜」
「いやなにも」
よからぬ気配を感じ取ったか。ファルナもなかなかに感の鋭いやつだ。
一方、一時の混乱から立ち直ったニアヴがパルメラに語りかける。
「聞くが良い、パルメラ。確かに妾は治地をあけておるがそれとこれとは別の話じゃ。妾は濬獣。己の責務を軽んじてはおらぬ。誰ぞの紗群になどなれようか」
「ニアヴさま、それは違います。そうじゃないはずですっ」
突然の声がニアヴの言葉を遮った。
シャルがこのように声を上げることはそうはない。驚きと、そして僅かな動揺を隠すように言葉をつなぐニアヴ。
「そ、そうじゃ。そもそもワーズワードの紗群にはこのシャルという娘がおるわけで――」
「そうじゃ……そうじゃなくてっ」
シャルがなにを否定しているのか、俺には判然らない。
そんなシャルをふわりと包み込む抱擁があった。母が我が子を落ち着かせるような、そんな抱擁……パルメラである。
「言いたいことがあるんだね。大丈夫、慌てないで。ゆっくりでいい。君を速度で話したまえ」
促され、落ち着きを取り戻したシャルがニアヴを見つめた。
「ニアヴさま。さっきパルメラさまがおっしゃった出会いのお話、私は覚えています。あの時、ワーズワードさんは言いました。これは『運命』だって。ニアヴさまに『ついて来い』って」
当時の状況を言えば、俺は右も左も判然らないこの異世界でどうやって生きてゆけばよいか、完全に自分のことしか考えていない状況だった。そのため全てを――それこそニアヴだけでなくシャルすらも――行きずりの利用対象としか見ていなかったわけだが。
「私はワーズワードさんにお願いして紗群にしていただきました。そんな私がワーズワードさんの紗群の中で一番の序列みたいに思われていて……でも本当の一番にワーズワードさんの方から紗群にと誘われたのはニアヴさまです。それがとても心苦しかったんです」
「……シャル」
「私は濬獣さまのことを知りません。濬獣だから紗群になれないのかと考えました。失礼になると思いって、ニアヴさまに直接お聞きすることもできませんでした。でも、ニアヴさまと一緒に暮らして、一緒に旅をして、仲良くして頂いて……ニアヴさまのことをたくさん知りました。だから今はわかります。一緒だって。濬獣さまも私たちと同じなんだって。ニアヴさまも私と同じようにワーズワードさんのことを大好きなんだって! だから……だから自分が濬獣だからなんて、そんな悲しいこと言わないでくださいっ!」
ぽろぽろと涙を流しながら、胸の内を訴えかけるシャル。
パルメラの白い耳がピコピコと動く。
「耳打清聲。思いやりに満ちた彼女の清らかな『聲』。濬獣である君に聞こえなかったはずはないね」
「妾は……」
パルメラの指摘にニアヴは言い返す言葉もなくしっぽを地面に落す。
「幽境不侵。『深き山林は人の地ではない、故に侵すべからず』。私たちには治地を護る掟がある。人族を拒絶するこの掟が濬獣の孤独を生み出している。しかし、君はそのあとにもう一文を付け加えたね。獣眼神護。『人もまた神の嘉したもう子、故に見守りたもう』と。それは己の治地に人が入ることを許すということ。わたしには衝撃だった。そんなことが許されるのかと」
いつか聞いた言葉。あれはニアヴのオリジナルだったのか。
本来の濬獣自治区はただ人を拒絶するだけの場所だった。それをニアヴが変えたのだ。
「結論を言えば許された。いや、もとより濬獣の掟に禁止事項などなかったのかもしれない。なにも知らず。疑わず。わたしこそが盲目だったのだ。私たちは孤独でなくてもよいのだと、そう言われた気がしたよ。新しい世代が君に影響されるのも当然のことだ」
その掟は、特異点にティンカーベルを含む全ての人間を近づけさせないための『人間排除のシステム』であるというのが俺の考察である。源素が見えないために、全ての人間を遠ざけるのだと。
だが濬獣がティンカーベルを識別できない以上、それはどこまで行っても予防措置でしかない。予防とはすなわち、複数ある防壁の一枚ということで、破られることが前提ですらある。
僅かな可能性の壁を超えて現れる転移者は必ず存在するわけで、故に濬獣最大の役割はその善悪を見定めることにあると考えるのが妥当であり、その点で俺に同行するニアヴは治地にいない代わりに誰よりも正しく濬獣の役割を果たしているとも言える。
「それにね。気付いていないのかい、ニアヴ。君の言った言葉は全て周囲の状況を話している。君自身の心を話していない。わたしが聞きたいのは君の答えだ」
穏やかな指摘。信じられないことだが、あのニアヴがパルメラの前ではまるで子供扱いだった。
シャルの、パルメラの――皆の注目がニアヴに集まる。パレイドパグでさえ、不貞腐れながらも横目にニアヴで見る。
ただ一人フェルナだけがおいてけぼりだ。
「状況がわからないのですが」
「なら黙ってろ」
「……はい」
悪いな。さすがに今は仕方ない。
パルメラの視線を避けたニアヴがそのまま俺にキラーパスを投げてくる。
「わ、妾よりもお主はどうなのじゃ、ワーズワード。妾などよりお主の気持ちの方が重要であろう」
「俺を逃げ道にされても困るんだが」
「や、やはり困るのかや」
「自分で振ってきて、なぜショックを受けているんだ」
「談論風発。折角だ、君の考えも聞かせてもらおう」
パルメラが俺を見る。
俺がニアヴをどう思っているか、か。
聞きたいなら答えるが。
「俺か。そうだな、ニアヴのことは好きだぞ。誰かのものになるくらいなら俺のものにしたい、くらいのことは思っている」
おーっという声はセスリナとリストだ。
駄犬くんは後ろから無言でつねらないように。痛いので。
「彼女は獣人だ。そして『ニアヴ』の名を継ぐ濬獣でもある」
「それってなにか関係あるのか?」
「ないと言い切れる子は少ないだろうね」
「とはいえ、俺も大人だ。自分の気持ちを一方的に押し付けるつもりもない。群兜だ紗群だと盛り上がるのはいいが、まず尊重すべきはニアヴの意志だろう。結局、お前たち濬獣の持つ役目の重さは俺に量れるものではないと理解している」
この世界に来て暫く経ったとはいえ、地球出身の俺は結局この世界の部外者でしかありえない。そもそも俺のような転移者の発生を防ぐのが濬獣の役割である以上、俺が口出ししてよい話ではないと考えている。
ここまで、当のニアヴからはなんの反応もなかった。どうしたのかと見てみると、そこにはさっき以上に真っ赤に染まった狐の顔があった。酸素の足りない金魚のようにパクパクと口を動かし、何かに耐えているようにも見えた。
お前のお仲間が言えというから言ったんだぞ。
「君の側に気持ちの問題はなにもないということだね。ワーズワード」
「もとより問題の有無じゃないだろうがな。ただ一つだけ。話がどう転んでもニアヴと交わした約束だけは守りたいと思っている」
「約束?」
「『もう二度と目を離さない』という約束だ。そんなものはニアヴも忘れている俺の一方的な約束かもしれないがな」
「……忘れてなどおらぬ!」
その叫びが、堪えていたニアヴの感情の堤防を決壊させたようだった。
「妾もお主のことを、ワーズワードを誰よりも愛おしく思っておる! ……じゃが、妾にはその資格がないのじゃ!」
ニアヴが抑えていた感情。それは単なる告白の想いだけではないようだった。
「治地の通行を許すこと。パルメラはそれを妾の愛じゃというたがそうではない。ただ妾が永い孤独に、寂しさに耐えられなかっただけにすぎぬ。もっともらしい言い訳があれば掟を少しばかり逸脱しても許されようと。妾はただのずる賢い狐じゃった」
これまで心に溜めて、言えなかったこと。それが溢れだす。
頬を伝いこぼれる涙が胸元に落ちて衣服をしとど濡らしていた。
「お主に逢うたあの日。濬獣のことを何も知らず、まるで同じ人族を相手にするようについて来いと妾を誘うお主に、心を動かされた。濬獣である妾を特別扱いせぬ者。それこそ妾の求めていたものだったからじゃ。共に食事をする時間。語り合える誰か。一人でいる時間が寂しい。……それは、妾の弱さじゃ」
ニアヴが弱いなどとは全く思わないが、そう言われると思い出される点は多々ある。
街ではぐれた時の泣きそうな表情。人に関わらぬといいながら人が好きだという気持ちを隠しもしない態度。
ことあるごとに言う自分は濬獣なのだという文句も、流される自分を戒める自制の現れだったのかもしれない。
「誘いに乗り一緒に行動してみれば、今度はどうじゃ。源素を見れると言って古の秘宝を復活させるわ、魔法道具は作るわ。濬獣である妾より強い力を持っておるなど、むちゃくちゃじゃ。更にはたった一人の少女のためにそれまで積み上げたもの全てを置いて街を出るなど、他のどのような男子にできようものか。
……じゃが、そこで気付かされた。妾たち濬獣の力は治地を護るためだけに使われる。それは現状を変えぬ『保守』の力なのじゃと。それに引き換えお主は自分の力を現状を変える方向に使ってゆく。それもより多くの理解を得る新しい方向に。それは妾とは真逆の『改革』する力であろう。サイラスの街での一件こそ、まさにそうじゃ。力持つものがその力を正しく使う。それは妾と正反対の性質じゃ。ただできるからやると言い切り、そして実行する……そんなお主に妾は惹かれた。じゃが、ただ寂しさを耐えられず治地を出ただけの妾には、お主のあり方はただ眩しすぎた」
崩れ落ちるように地面に手をつくニアヴ。
「自分の中にこのような気持ちがあるなどしらなんだ。故に一度吐き出してしもうたこの気持ちを留める術もまたしらぬ。すまぬワーズワード。すまぬシャル。すまぬパルメラ。……妾は濬獣失格じゃ」
「いいえっ、そんなことないですっ! やっとニアヴさまと本当のお気持ちが聞けて、私はワーズワードさんもニアヴさまも大好きで……うあああん、ニアヴさまあああ」
駆け寄り、ニアヴに抱きつくシャル。
皆も瞳を潤ませ、二人を見守る。
そんな二人の前にパルメラが立つ。
「旗幟鮮明。君の気持ちは聞かせもらった。君の中にある『愛』と『罪』を。聞いた以上、審判を下さなければいけないね。わたしは『白耳』。十二の濬獣の中で最も永く生きるもの」
最も永く、だと。『白耳』は親愛と尊敬の念を込めた呼び名だと言っていたが、そういう意味だったのか。それは尊敬せざるを得ないな。
いや待て。そもそもニアヴですら二〇〇年以上生きているとかいう話だ。それを超えるパルメラは、一体どれだけの年月を生きているというのか。一人の人間も訪れないパルメラ治丘で、『白耳』パルメラが過ごした、その孤独の年月は――
「ニアヴ、君は己の弱さから守るべき濬獣の掟を歪めた。それは罪だ。事実であれば、ここで死ぬべきはワーズワードではなく、君の方かもしれない」
「そんなのはおかしいですっ! ニアヴさまは何一つ悪くありませんっ」
「そうだ。そんなこと絶対ないよ!」
「わた、わたしもそう思います。はわわ、怖いよぅ」
「やめよ、『白耳』に逆ろうてはならぬ」
冷厳と審判を下すパルメラ。それに対し、瞳を逸らさずパルメラを睨み返すシャル。小さな身体で両手を広げ、ニアヴの叫びを無視して守ろうとする。
腕力や魔法の有無ではない。誰かのために我が身を顧みず行動できる『勇気』。それがシャルにはある。
そして、そんなシャルの左右を戦闘態勢のリストとビクつきながらもセスリナが立つ。
両者が生み出す緊張感にフェルナですら、動くことができない。
だが、その睨み合いの一瞬だった。先に降りたのはパルメラだ。
白い耳をピコピコと動かし、さらにはしっぽをバッサバッサと左右に振る。
それが何を意味するのか。かつてパグリンガルの開発に際し、多くの犬の感情と行動を研究した俺には判然る。これはワンコが喜びや機嫌の良さを表す場合の情動行為である。うん、多分だれでも知っているな。
パルメラが少し砕けた物言いで言葉を続ける。
「――と、レニであれば言うだろう。言ったはずだよ、このパルメラはいつでも『愛』の味方だと。濬獣は人を愛することができる。そして君を愛してくれる誰かがいる。こんなにもたくさんのね。ニアヴ、聡明な君なら理解るはずだ。濬獣が人を愛することは許されないのか。そもそも人を愛することに立場や資格なんてものが必要であるのか。君が濬獣であること。それをワーズワードがなんと言ったか、まさか聞いていなかったわけじゃないだろう」
「パル、メラ」
「一つだけ君の思い違いを正そう。君は自分が現状を変えない保守の存在だと言ったが、わたしから見れば君こそが濬獣をよりよい新しい方向に導いてくれる革新的な存在だ。いつかすべての仲間が君のように『愛』を知り濬獣の孤独から解放される日がくることをわたしは望んでいる」
パルメラはニアヴ以上の深い孤独を知っているはずだ。だというのに、それを微塵も感じさせず仲間を思いやる微笑みを浮かべる。あるかなしかの笑み――そこには人間の短い一生では決して到達できない深い優しさが含まれているように思われた。
そこでパルメラが俺に向かい、ウインクを飛ばしてきた。
「そういうことでいいかな、ワーズワード?」
ちょっと男前すぎるだろ。
パルメラは確かに慈愛の濬獣だった。
◇◇◇
「運命を受け入れる――お主が口にした言葉じゃな。お主について行くのが妾の『運命』じゃと」
「あー……それについては、一つ謝っておいた方がいいかもしれない」
「謝る? なにをじゃ」
「あれは魔法を使えるお前を利用するために言った言葉だ。つまり、お前を騙して連れて行こうとした」
あの時はこの異世界で生きていくために、情報不足を補うために全てを利用する精神で行動していた。それを言い訳にはしないが、言わないままにはできない。
最大級の落雷を覚悟する俺に、ニアヴはぽかんとした表情を見せ、次にはくっくっと笑い声を上げた。
「……怒らないのか?」
「阿呆め、『聲』を聞くことのできる妾たち濬獣に偽りの言葉など端から通じておらぬ。当然知っておった。その上で、妾をそのような上辺の小細工を弄してでも連れだそうとするお主のことを、寧ろかわいいと思うたくらいじゃ」
「は……?」
今度は俺がぽかんとする番だった。
「ちょっと待て。さっき聞きそびれていたがお前の言う『コエ』というのはなんなんだ」
「濬獣は声ならぬ聲を聞く事ができる。救いを求める心の聲。それはどれだけ離れていても妾たちの耳に届くものじゃ」
マジか。
「……そういう魔法ではなく?」
「そういう魔法ではなく、じゃな。故にお主の心も聞こえておった。生きたいという必死な聲。助けてほしいという切望の聲。濬獣に嘘は通じぬ。故に妾が今ここにおるのは、妾の弱さでもあり、お主の弱さでもある」
魔法もなしに心の声――聲、というのか?――を聞くことができるなんて、いくら濬獣でもそんなファンタジーはダメだろう。
困惑を浮かべる俺に、ニアヴは一層上機嫌になる。
「全てを見透かしておるようで、どこか抜けておる。そんなお主もかわいいものじゃ」
「……かわいいとかいうのはやめろ。俺はいい大人だぞ」
「くふふっ、そういう言い草がかわいいと言っておるのじゃ」
いたずらな笑みを見せるニアヴが俺の手を自分の耳に誘い、そして、反対の手で俺の小さいお耳を捕まえた。
「ムググーーーッッッ!!」
「待ちまたまえ。群誓式には正しい『愛』の誓いの作法がある。現在は四神殿方式が一般的だが、ここでは私が調べあげた古王国式で――」
「そんなもの必要なかろう。妾は今したいのじゃ。抑えられるものかやっ」
騒がしいバックミュージックの中、つ……とつま先立ちになるニアヴ。
目の前には輝くような笑顔。風の中に黄金の髪が流れた。
俺の心の準備も整わないまま、二つの影が一つに重なり――次の瞬間、祝福の声と拍手の音がバックミュージックに加わった。
…………。
ちょ、ちょっと長過ぎませんか、ニアヴさん。
受け入れるとは言ったが、やはり衆人環視の前でこういうのは恥ずかしいので、やるにしても五秒以上は自重して頂くのがベストではなかろうか。
始めて数年。まさかこんなに長く書き続けるお話になるとは。
もうちょっとだけ続きますので、これからもななしのワーズワードをよろしくお願いいたしますです。




