1-6 決意の一歩
第一章 第六話 決断
夕暮れの日差しが照らす屋上に、一人の少女が立っている。
少女の手には花束が握られていた。彼女は屋上の一番奥にある手すりの元まで歩き、そこでしゃがみ、花束を置いた。
2週間前、ここから飛び降りて命を落とした生徒がいる。
この花束がその生徒のために置かれたものなのか、それは置いた本人にしかわからない。
花束を置いた少女は、しばらくの間両手を合わせて祈り続けた。
日が沈むまで屋上に居続けた彼女は、手すりをなぞるように触った。そしてその手で自身の左頬に残った傷痕をそっと撫でる。二度と消えることのないその痕を確かめるように。
そうして彼女は静かに屋上から出ていった。
*****
花子さんの一件から今日で3日目。あれから特に変わったこともなく、俺は今日も神社の雑用をしている。今は、草むしりだ。
村瀬さんがどうなったのか、その後のことはわからない。彼女は一度だけお礼を言いにここに訪れた。
その時聞いた話だけど、村瀬さんは仲村さんの家に真実を話に自ら赴いたそうだ。けど、仲村さんの家はすでに誰も住んでいない状態だったためそれは叶わなかった。
そして、神代さんの口から村瀬さんの頬にできた傷は、害はないものの呪いによってできた傷なので一生消えないと語られた。
村瀬さんは顔色ひとつ変えずにその話を聞き、神社を去っていった。
彼女の中で何かが変わり始めている。それだけは俺にもすぐにわかった。
以前までの彼女なら、自分の顔にできた傷を受け入れるなんてことできるはずがない。
きっとあの傷は、花子さんがつけた罪の証なのだ。村瀬さんもそれがわかっていて、だから受け入れたんだと思う。
拝殿周りの草をむしり続け、軍手と身体中が土で真っ黒になった。
木々の間から差し込む光が赤くなっていることに気づき、スマホで時間を確認する。
17時36分。とっくに定時を過ぎている。まだ終わっていないが、続きは明日にしよう。
そう思って立ち上がった時、俺は思い出した。このバイトは短期バイト。1週間と求人には書かれていたが、日数は6日間だと説明された。
つまり、今日で終わりだ。
「終わりか」
色々あったけど、結構楽しかったな。
自分がむしった雑草をカゴに入れ、神代家まで戻ることにした。
せっかくなら全部終わらせたかったけど、きっと神代さんが夕飯を待っている。
そういえば、住み込みも終わりだから家事の仕事も今日で終わりなのか。
そんなことを考えながら竹藪の道を通り、すっかり見慣れた神代家に到着。
初日に焼き芋をやった場所に籠を置き縁側に目をやると神代さんの姿があった。
彼女はぼんやりと空を眺めていたが、やがて俺に気づくとおいでと手招きをした。
「蓮、真っ黒じゃないか」
「草むしってましたからね。ご飯支度の前にシャワー浴びてもいいですか?」
「構わんよ。さて、今日でお前との契約期間も終わりだな」
神代さんはそう言って、右手に持っていた封筒を俺に差し出した。
「これは?」
「給料だ。今日までの時給分と、夜勤の分が入っている」
中を見ると、大量の一万円札が入っていた。そういえばこのバイトの時給は変に高かったことを思い出す。加えて夜勤の分が入ったおかげで、こんなに多くなってしまったんだろう。
「一応数えてくれ。33万円入っているはずだ」
「そんなに⁉︎」
神代さんに言われて中の札を数えると、本当に33万円入っていた。
「こんなにもらって、本当にいいんですか? 俺雑用してただけですよ」
夜勤があったとはいえ、正直もらいすぎだ。
「そういう契約だからな。求人通りだろ?」
そう言われてしまっては何もいえない。俺はどこか居心地の悪さを感じた。
「蓮、正式にここで働かないか?」
「え? 本気で言ってるんですか?」
「ああ、条件は全て今と同じ。もちろん住み込みでだ。変わるのは雇用形態だけ。悪くない条件だろ?」
願ってもない提案だった。俺にとって悪いところが一つもない。あるとすれば、除霊の仕事の付き添いが危険であることくらいだ。
すぐにでもイエスと答えるべき。けどーー
「すみません。明日まで返事待ってもらえませんか?」
俺はすぐに答えられなかった。胸の中にモヤのようなものがかかっていて、答えが出なかったという方が正しいかもしれない。
頭では理解している。ここで働いた方がいいに決まっていると。でも本当にここでいいのか? 俺なんかでいいのか? という気持ちが溢れ出てくる。
「いい返事を待ってるよ。飯ができたら呼んでくれ」
神代さんはそう言って、家の中へ入っていった。
一度深呼吸をして、ポケットに封筒を突っ込んだ。とりあえず体を洗って食事の準備だ。返事については後で考えよう。
*****
最後になるかもしれない家事を終わらせ、数日ぶりに愛車(自転車)に跨って我が家に帰宅した。
「ただいま」
もちろん返事はない。
たった6日間のことだけど、随分と長い間家を空けていた気分になる。
「なんか、静かだな」
当たり前だ。この家には俺しかいないのだから。むしろここ数日が騒がしかったのだ。
ポケットから封筒を取り出し、改めて中身を確認する。
「夢じゃない、か」
明日、俺は答えを出さなければいけない。たぶんこの選択は、今後の人生を大きく左右するものだと思う。
「とりあえず支払いしに行くか」
スマホのメモ帳アプリを開き、今月の支払い金額を改めて確認する。
封筒の中の札束を財布に全て移し、コンビニへ向かった。
アパートから3分ほど歩けばすぐにコンビニがある。
コンビニのATMは運良く空いていた。
財布から消費者金融のキャッシュカードを2枚取り出し、それぞれのカードの支払い金額を入金する。
いつもとは違い、最低返済金額よりも5000円ほど多く入金した。
次は銀行のキャッシュカードだ。
こっちには20万円入金する。もちろん目的は貯金ではない。この後クレカの支払い、滞納している家賃、公共料金の支払いをするための入金だ。
金はないくせにATMは高頻度で利用するため、手慣れた動作で入金を済ませ、コンビニを後にした。
スマホのアプリで全ての振り込み、支払いを済ませ、ほっと胸を撫で下ろした。
今月はなんとかなった。あのバイトのおかげで支払いが無事に済んだ。
しかも、支払いが全部終わったのにまだ手元には10万円ちょっとお金が残っている。
ーー頑張ったんだし、いいよな?
自分を納得させる甘い言葉。一度この考えになってしまったらもう止まらない。
気づけば駅前のパチンコ屋に着いていた。
周りの建物の中でも一際明るいその建物に吸い寄せられるように入場する。
自動ドアが開いた瞬間、大音量の店内BGMと遊戯中のパチンコ台の音が耳に入る。
普通の人ならこんなうるさい場所には数秒も立っていられない。だが、俺にとっては実家のような安心感を感じる場所だった。
店の中を歩き回り、打ちたい台を決定する。今は金に余裕もあるため、ハイリスクハイリターンの荒い台を打つことに決めた。
椅子に座ってすぐに財布から1万円札を取り出し、当たり前のようにサンドに金を入れる。
貸玉ボタンを押すと上皿にパチンコ玉が流れた。ハンドルを捻ると、パチンコ玉が発射されて遊戯が始まった。
へそに球が入り、液晶画面の映像が動き始める。これも見慣れた映像だ。
1000円、2000円とお金が台に溶けていく。やはり簡単には当たらない。
でもまだまだここからだ。そう思うとハンドルを握る手に力が入る。
『いじめがなくならない限り、私はこの学校に残り続ける』
その時、液晶の画面に映った少女のキャラクターが花子さんの姿に重なり、彼女の言葉を思い出した。
そして、画面に反射して映る自分の顔が見えた。
死んだような目。パチンコを打っている時、俺はいつもこんな顔をしていたのか。
上皿にまだ球が残っていたのに、咄嗟に返却ボタンを押してカードを抜いた。
急ぐように精算機に向かい、カードに残った残高を回収すると早足で店を出た。
あれ以上自分のあんな顔を見ていられなかった。
逃げるように店を後にして、アパートへの帰路へつく。なんとなく、今は歩きたい気分だったのでまっすぐ行く道を左へ曲がり遠回りすることにした。
少し歩いたところに公園があったので、自販機で水を買い公園のベンチに座った。
さっきまで騒音の中にいたせいか、耳鳴りがする。だが、公園の静けさが心地よかった。
「あんなにすぐ店を出たのって、いつぶりだろ」
パチンコ初心者の頃だろうか。いつもは財布の金がなくなるか、運良く勝つかの二択なのに、今日は上皿に玉が残ってるのに早く店を出たいと思ってしまった。
俺はこうして生きてるのに、何をやってるんだ。
村瀬さんと同じだ。今までしてきた過去は取り消せない。その事実を受け入れて、背負って生きていくためには、俺自身が変わるしかない。
変われるのか? こんなにギャンブルに依存して借金まで作ってしまった俺が。
自信はない。それでも、変わろうとする意思がなければ何も始まらないじゃないか。
決めた。
俺は神代神社で正式に働く。そう決めた途端、頭がスッキリした。迷いがなくなった時ってこんなに気持ちがいいんだな。
「よし」
水を一口飲んで立ち上がる。
家に帰ってこれからの準備をしなくてはいけない。神代神社で働くということは、神代家の家事もしなくてはいけない。
つまりアパートの解約云々や引越し云々について手続きをする必要が出てきたわけだ。すぐにはできないが、早いうちに動かないといけないな。
手間だし大変だけど、不思議と面倒には感じなかった。
*****
「俺をここで働かせてください」
開口一番、俺は頭を下げて宣言した。
「私から誘ったんだ。いいに決まってる」
「ありがとうございます。それと一つお願いがあります。給料は減らして欲しいんです」
これは俺なりの覚悟。あんなお金をもらっていたら、俺はきっといつまでも前に進めない。借金を一気に返せなくなってしまうが、コツコツ返していけばいい。
「正気か?」
「俺、ギャンブル依存症で、自分でも制御できないんです。そのせいで借金も作ってて......それなのに、昨日大金を手にして気が緩み、パチンコに行ってしまいました。だから......大金は手にしたくないんです。変わりたいんです。少しずつでも、まともな人間になりたいんです」
「お前にとって、その選択が前に進むために必要だと思うのなら、それでいい。だがな、この仕事は命懸けだ。私が昨日渡した金は、それに見合った功績だということを忘れるな」
「はい」
「雇用契約書とかその他諸々の手続きは3日後に行う。それまでは休みだ。ちなみに、いつからここに住める?」
「これからアパートの管理会社に連絡して退去の手続きをする予定です。決まったら連絡しますね」
「......そうか。参ったな。今日からまたコンビニ飯か」
神代さんが残念そうにそう言った。この人、俺が来る前までは毎日コンビニでご飯済ませてたのかよ。だらしないってわけじゃないんだけど、マジで家事ができない人なんだな。
「あの、よかったら夕飯だけでも作りに来ましょうか? 多分ここに住めるようになるのはまだ時間かかると思いますし」
「いいのか!」
「俺の料理でよければ」
「頼む!」
「じゃあ、夕方また来ますね。食べたいものとかあります? 確か冷蔵庫空っぽだったので買い物してから来ます」
「じゃあ、ハンバーグが食いたい」
「わかりました。それじゃあ、失礼します」
新しい一歩を踏み出した。これから先何が起きるかは全く想像がつかない。
常識が通用しない世界。神代さんの言うとおり、この仕事は命懸けなのだろう。
近いうち、この選択を後悔する時が来るのかもしれない。
その時が来ても俺は後ろを振り返らない。自分が選んだ全ての選択を受け入れて、背負って生きていく。
俺の人生は、ここから再スタートするんだ。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ひとまず大きな区切りとして第一章は完結です。
次回からは別の依頼を軸に除霊活動が始まります。