1-5 消えない罪
気がつくと俺の意識は夜の屋上に戻ってきていた。
掴んでいたはずの花子さんの手がなくなっている。
「かはっ......げほっ、げほっ!」
村瀬さんが地面に手をつき、苦しそうに咳き込んでいる。掴まれていた首には手の形をした痣が残っていた。
俺が花子さんの記憶を見ている間に状況が変わってしまった。
なら、花子さんはどうなった?
すぐに振り向いて確認すると、神代さんが錫杖を花子さんの体に突き立てていた。
花子さんは苦しそうにもがいているが、神代さんに押さえつけられてその場から離れられない。
彼女を除霊してはダメだ!
「神代さん! 待ってください!」
俺の声に反応した神代さんがこちらを向く。
「花子さんは悪い霊じゃない! 村瀬さんを襲ったのにも理由があったんです!」
「そうだとしても、私は人に危害を加える霊を祓わなくてはいけない。今私がこの手を離したとして、花子さんが里奈を殺してしまったら君は責任を取れるか?」
「......それは」
何もいえない。神代さんが言ってることは正しいからだ。
花子さんにどんな理由があったとしても、人の命を奪うことは許されない。
俺は花子さんの怒りを知ってしまった。もう村瀬さんだけの味方ではいられない。
花子さんを守りたい気持ち、村瀬さんを守りたい気持ち、俺の中で二つの選択肢が揺れ動く。
「お願いします。少しでいいんです。俺に時間をください」
俺には頭を下げることしかできなかった。
「いいだろう。少しだけ待ってやる」
「神代さん...ありがとうございます!」
まさかの回答だった。苦し紛れのお願いが通ったのならば、時間は無駄にできない。
俺は村瀬さんに近づき、しゃがんで目線を合わせた。
「村瀬さん、俺は君がしてしまった取り返しがつかないことを知っている。今更謝っても仲村さんの命は戻らない。それでも、少しでも君の中に罪の意識があるのなら、謝るんだ」
「......は?」
村瀬さんはひゅーひゅーと喉を鳴らしながら、俺を睨みつけた。
「私は...悪くない。あいつが勝手に死んだんだ。私は...何もしてない」
「だったらなんでそんなに動揺してるんだ? 君が花子さんにあんなに怯えていたのは、自分が狙われてるって自覚してたからだ。そして、その理由が君がしてきたいじめが原因ということも、わかってるんじゃないのか?」
「違う。私は、私は......」
「君の中ではただの遊びだったのかもしれない。自分のしてきたことが原因で人が命を落とすだなんて思ってなかったかもしれない。でも、君の行為が言葉が......仲村さんの命を奪ってしまったんだ」
「あ、ああ」
村瀬さんが頭を抱える。辛いだろう、苦しいだろう。でも、彼女は自分が犯してしまった罪を受け入れなくてはいけない。それが人の命を奪ったことへの責任だからだ。
「君がしてきたことは決して許されるようなことじゃない。どんなに後悔しても、謝っても、死んだ人間は生き返らない。君はこの先ずっとその罪を背負って生きなきゃいけないんだ」
それが彼女にできる唯一の贖罪。
「...ごめん、なさい。ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
嗚咽混じりに、村瀬さんは何度も謝った。
もし、もっとはやく気づけていたならーーそう思わずにはいられなかった。
「村瀬さん」
どこからか聞こえる少女の声。村瀬さんが顔を上げると、目の前に光の粒子が集まり始めた。
その粒子はやがて人の形を成し、現れたのは仲村さんの姿だった。
村瀬さんにもその姿は見えているのだろう。彼女は仲村さんを見るなり再び頭を下げた。
「ごめんなさい。私が、あんなことをしたから......」
仲村さんはじっと村瀬さんを見下ろした。
「今更謝られたって、もう遅いよ。あなたを許すことはできない。この先もずっと、あなたのことは恨み続ける」
「......そうよね」
「あなたが心の底から反省してるのなら、もう二度といじめなんてしないで」
村瀬さんは深々と頭を下げることで答えた。
その様子をじっと見た後、仲村さんが花子さんの元へ歩き始めた。
神代さんが突き立てていた錫杖を離し、自由になった花子さんが立ち上がる。
「花子さん、私のために怒ってくれてありがとう。生きてる時は気づけなかったけど、あなたはずっと私の味方だったんだね」
「あなたを守りたかった。でも結局私は守れなかった。あなたを死なせてしまった。せめてあいつだけでも殺したかったのに、それもできていない」
「もう、いいの。村瀬さんのことはもう許してあげて。私のせいで花子さんが除霊されちゃったら、嫌だよ」
天に向かって光の粒子が舞い上がり、仲村さんの姿が徐々に薄くなっていく。
「バイバイ、花子さん」
そして、仲村さんは消えた。
神代さんが両手を合わせ、天に向かって祈りを捧げる。俺も心の中で祈る。神様、もしもいるのなら、どうか彼女の来世が幸せでありますように。
「もう帰るわ」
神代さんはそう言うと、手にしていた錫杖を肩に担いだ。除霊をする気はもうないようだった。
「いじめがなくならない限り、私はこの学校に残り続ける」
花子さんが闇の中に消えていった。その言葉通り、彼女はこの先も青蘭中学に怪異として残り続けるのだろう。
*****
学校の外に出たのは1時間ぶりなのに、随分と長い間学校にいた気がする。屋上も外だが、あそこは校舎なのでノーカンだ。
「里奈、この後に家まで送っていくから両親への言い訳を考えておけ」
自分が背負っている村瀬さんに向かって話しかけた神代さんだったが、村瀬さんの返事はない。
「寝てますね」
「マジか」
「マジです」
限界が来たんだろう。体力的にも、精神的にも。
「なら青年が考えてくれ」
「いいですけど、村瀬さんの家わかるんですか?」
「問題ない。依頼を受けるにあたって彼女の身辺調査は済ませてある」
「いつのまに⁉︎」
俺が買い物に行ってる時か? そんな時間なかったと思うんだけど。
驚く俺を見てニヤニヤと笑う神代さんは、さっきまでのかっこいい雰囲気がなくなっていた。
校庭へ続く短い階段を降り終わった時、俺はあることを思い出した。
「一階のトイレ前にリュック忘れました」
あのでかいリュックだ。神代さんから持たされたリュックは結局使うことはなかったけれども、置いて帰るわけにはいかない。
「取ってきます。マスターキー貸してください」
「ああ」
神代さんは巾着袋から鍵とカードを一枚取り出し、俺に渡した。
「このカードは?」
「セキュリティー解除のカードキーだ。鍵開けたら玄関の左端にある読み取り機にタッチしてから入ってくれ。じゃないと警備員がやってくる」
「わかりました」
なるほど。最初にいなくなってたのはそういうことか。
「私たちは校門の前で待ってるからな」
「はい」
早足で階段を登り、鍵を開ける。
セキュリティーを解除して、靴を履き替え再び学校に上がる。
最初に入った時の異様な空気はもう感じられない。花子さんの圧がないだけでこうも違うものなのかと実感しながらトイレへと向かう。
「あった。そりゃこの時間に盗む奴なんていないか」
リュックを見つけ、背負う。ずしりと懐かしい重みが体全体にかかり、少しよろけてしまった。
「よいしょっ」
改めてリュックを背負い直し、玄関に向かって歩き始める。
「待って」
その時、後ろから俺を呼び止める声が聞こえた。振り向く前に、その声が誰のものなのかすぐにわかった。
そこにいたのは、やはり花子さんだった。
「あなた、私の記憶を見たんでしょ?」
「うん。なんでかわかんないけど、あの時君の記憶体験した」
「そう。気をつけなさい。あなたの力は、使い方を誤ると自分自身を壊すことになる」
「あれって俺が原因なのか...」
「それともう一つ忠告。お人よしもほどほどにすることね」
そう言い残し、花子さんは消えていった。
花子さんの記憶を見たのは、俺の力。まだ不明な点が多いけど、他の霊の記憶も見ることができるのか?
あとで神代さんに聞いてみるか。
*****
「ちょっと怪しまれてたが、納得してもらえたな」
「しょうがないです。あれがベストだったはずです」
村瀬さんの両親には、俺たちが学校の教師で夜間の見回り中に倒れている生徒を発見したから送り届けに来た、というふうに説明をした。
こんな時間に村瀬さんが学校にいたこと、村瀬さんの顔に大きな切り傷ができたことに大変驚いていたが、神代さんがうまい具合に話をまとめてくれた。
神代さんが真面目に話すと雰囲気があるんだよな。
あとは目覚めた村瀬さんが話を合わせてくれることを祈るばかりだ。
「神代さんはもしかして今回のこと最初から全部知っていたんですか?」
「神社で里奈の話を聞いた瞬間に、なんとなく察した。私は青蘭中学の花子さんがどういう怪異か知っていたからな。そしてつい最近、青蘭中学の女子生徒が校舎から飛び降りて亡くなった。ここまでピースが揃えばあとは簡単だ」
あの時神代さんが俺に青蘭中学の話をしたり、最近のニュースの話をしたのは、俺が村瀬さんの正体に気づいているか確かめてたってことか。最初から教えてくれればいいのに。
「不満そうな顔だな。お前に話したら除霊を邪魔されると思って黙っていた。案の定お前はやめてほしいと頼んだし」
「あの時は必死で...。でも、間違ってなかったと思います」
「花子さんの手に触れたあと、少ししてお前の様子が変わった。何があった?」
「記憶を見たんです。俺が花子さんの体に入ってるみたいに、花子さんの視点でいじめの現場を見ました」
「......そうか」
「あの後、リュックを取りに行った時花子さんに会いました。そして、この記憶を見る力に気をつけろと言われました。神代さん、もし知ってたら教えてください。俺が持っている力は何なんですか?」
「お前と同じ力を持った奴を知っている。霊体に触れることによって対象と繋がり、記憶を見てしまう力だ。だがそいつはもうこの世にいない。霊と繋がりすぎた結果、精神が崩壊してそのまま息を引き取った」
「......そんな」
今の所、花子さんの記憶を見たことへの代償は特にない。だがこの先、幽霊の記憶を見続けたら俺も......。
「見なければいいだけだ。霊体に触れない限り、つながる心配もない」
「確かに、そうですね」
俺は今まで幽霊とは無縁な生活を送ってきた。それを続ければいいだけだ。
「話は変わるが...青年、お前の名前をまだ聞いてなかったな」
「え? そうでしたっけ?」
「ああ。忘れていた」
「三上蓮です」
「蓮、腹が減ったな。ラーメンでも食って帰るか。私の奢りだ」
「いいんですか! やった」
夜の仕事が終わった。俺はきっと、生涯この日を忘れることはないだろう。