1-4 真実
階段を登ってきたせいで息が苦しい。なんとか呼吸を整え、俺は扉を開けた。
扉の先はやはり屋上だった。そして神代さんが戦っていた。
彼女は錫杖を縦横無尽に振り回し、花子さんの攻撃と軽々と弾いている。
「村瀬さん! 急にどうしたんだよ!」
その戦いを遠目から村瀬さんが見ていた。
村瀬さんは俺に見向きもせず、神代さんに向かって走り出した。
「おい! そっちは危ないって!」
それを止めるべく俺も後を追う。
村瀬さんは何が目的なんだ。助けるとか花子さんが消えるとか、マジでなんなんだよ。
神代さんがこっちを向いた。村瀬さんの接近に気づいたんだ。
「神代さん! 村瀬さんの様子がおかしいんです!」
俺の声に反応したのか、神代さんは花子さんに向かって錫杖を投擲した。
花子さんの体に錫杖が当たり、そのまま勢いよく屋上の手すりまで吹き飛んだ。
神代さんはそれを確認すると、走って近づく村瀬さんに向かって歩き出す。
二人はすぐに対峙し、間も無くして俺も村瀬さんに追いついた。
「君は里奈じゃないな?」
「お願いします。花子さんをこれ以上傷つけないでください」
「優しいんだな」
神代さんはそう言って、村瀬さんの背中をポンと叩いた。
すると、村瀬さんの体から光の粒子が溢れ出した。粒子は宙を舞い、やがて見えなくなってしまった。
「里奈、私の声が聞こえるか?」
「ーーえ、お姉さん? 私はーーなんでここに......」
混乱している。無理もない。自分の意識がない間になぜか屋上にいるわけだし。
「青年、里奈を連れて扉の近くに待機してろ」
「わかりました。村瀬さん、歩けるかい?」
「あ、はい」
神代さんの指示の従い、扉の近くまで歩き始める。
「さあてと、花子さん。悪いけど、そろそろ除霊させてもらうよ」
「どうして、あんな奴を庇う。お前は何も知らないくせに」
「仕事だからだ。人に危害を加える霊は除霊する」
神代さんが懐から一枚のお札を取り出した。
花子さんはすでに満身創痍といった様子で、反撃をしようとするそぶりはない。
ついに終わる。
「お前たちは、本当に困っている人には手を差し伸べないくせに、正義を振りかざして悪人を守る! あの子を殺したあいつを、私が殺さなくちゃいけないんだ!」
「......すまない」
神代さんが花子さんの額にお札を近づける。
「ああああああああ!!!」
花子さんが突然大きな声を出した。ただの声じゃない。思わず耳を塞いでしまうほどの脳まで響く不快な音。
「きゃあ!」
隣にいた村瀬さんが悲鳴をあげた。
彼女の足元から真っ白な手が飛び出していた。
村瀬さんはその手を避けようとしたが、彼女の左頬に爪が掠めた。
思ったより傷が深く、血がポタポタと流れ落ちる。
花子さんの手は宙で軌道を変え、背後から村瀬さんの首を掴み握りしめた。
「あ、く.....が」
まずい! 早くあの手をどうにかしないと!
「やめろ!」
俺は首をしめている手を掴み、力づくで引き剥がそうとした。
その瞬間、とてつもない目眩が俺を襲った。
目の前が真っ暗になって、次に俺の前に現れたのは、夕暮れの光が差し込む女子トイレだった。
*****
ーーここは花子さんが最初に出現したトイレか? いや、作りは似てるけどここの方が個室の数が少ない。
俺はさっきまで屋上にいて、花子さんの手を剥がそうとしてたはず。
これは現実なのか?
その時、後ろから人の話し声が聞こえた。複数人の女子の笑い声。
扉が開く音。俺は振り向こうとしたが体が動かない。
ただまっすぐ目の前を見つめていることしかできない。
「里奈、あそこ」
「ふうん、また隠れちゃって」
一人は初めて聞く声、そしてもう一つは村瀬さんの声だった。そのほかにもいくつか女子の声が聞こえる。
彼女らはトイレの中に入ると俺を通り過ぎて一番奥の個室の前まで進んで行った。
「仲村さーん。隠れてないで出てきてよー。どうせ泣いてるんでしょー?」
トイレのドアをドンドン叩きながら、村瀬さんが中にいる人物に語りかける。
周りにいる四人の女子はその様子を見て嘲笑を浮かべている。村瀬さんもまた、相手を馬鹿にするように笑っていた。
「やめてください。お願いします」
トイレの中から、啜り泣く声と共に少女の声が聞こえた。
ああーーそうか。村瀬さんたちは今トイレの中にいる女の子をいじめているんだ。
村瀬さんたちは心無い言葉をトイレの中の少女に浴びせ続けた。
俺は何度も耐えられなくなり、足を前に動かそうとしたが、やはり動かない。体の感覚が全くないのだ。
今の俺は、意識だけの状態でこれは誰かの記憶を見てるってことなのかもしれない。
だとしたら誰の記憶だ? 直前に俺は花子さんの手に触れた。
まさかこれは花子さんの記憶? あのトイレの中にいるのは花子さんなのか?
直後、また俺の視界が闇に包まれた。
次に立っていたのは、夜の教室。
月明かりだけが照らし出す教室の中は不気味でもあり、どこか神秘的に感じられた。
俺は、一つの机を見つめていた。そしてその引き出しに一枚の手紙を入れた。
この真っ白は手は、花子さんの手。つまり、俺が今見ているのは......花子さんの記憶。
村瀬さんがしていた手紙の話。花子さんは警告をしていたんだ。トイレでいじめられていた子を守るために。
花子さんは合計五つの手紙を机に入れた。トイレにいた子の人数分だ。
そしてまた、場面が切り替わる。
今度は朝の教室。まだ生徒が全員集まっていない中、村瀬さんを中心にいじめをしていた生徒が集まっていた。
彼女たちの手には、二つに折り畳まれた手紙が握られている。
『いじめをやめなければ殺す 花子』
手紙の内容は全員同じ。A4サイズの紙に大きな文字で書かれたその内容は花子さんからの警告だ。
「里奈、これ......」
「ヤバいんじゃないの? この学校って本当に出るって先輩も言ってたし」
村瀬さん以外の生徒は不安そうにしている。
ーーだが村瀬さんだけは、違った。
「そんなわけないでしょ。あいつが入れたに決まってる。今日の放課後問い詰めればいいだけよ」
村瀬さんは他の生徒が持っている手紙を奪い取ると、自分の手紙と束ねてビリビリに破き始めた。
花子さんがその様子を見て拳を握りしめる。彼女の怒りが、俺の中に流れ込んでくる。
また目の前が真っ暗になり、最初に見たのと同じトイレの景色に切り替わる。
「あんたが私たちの机に手紙入れたんでしょ?」
「し、知りません。私、そんなことしてません」
「他に誰がいるのよ!」
「い、いや!」
村瀬さんが女子生徒の髪を引っ張る。こんなの、あんまりだ。
「『やめろ!!!』」
俺の思いと、花子さんの言葉が重なった。
直後、村瀬さんの取り巻きの一人がばたりとその場の倒れ込んだ。
「な、なに!」
「急にどうしたの!」
そして、手洗い場の鏡が音を立ててひび割れた。
「花子さんだ......。花子さんが来たんだ!」
取り巻きの一人がそう叫び、トイレから飛び出るように逃げていった。
それに続き、村瀬さん以外の子が倒れた生徒を抱えて逃げていく。
残されたのは、村瀬さんと仲村さんと呼ばれていた少女のみ。
「......どういう仕掛け?」
「私...分かりません。手紙も、今のも」
「嘘よ」
「本当です」
「じゃあ誰がやったっていうのよ!!!」
大声で問い詰めた村瀬さんに仲村さんは蹲って怯えることしかできない。
花子さんはなぜ止めない? 村瀬さんをさっきの取り巻きの子みたいに倒してしまえばいいじゃないか。
『私にもっと力があったら。もっと、もっと』
花子さんが話す言葉は、この場にいる誰にも聞こえていない。俺にしか聞こえない。
花子さんはできないんだ。止めたくても止められない。さっきの現象を起こすので精一杯なんだ。
「村瀬さん、もうこんなことやめてください。これ以上はもう......耐えられない」
絞り出すような声。彼女の心はもう壊れかけている。
村瀬さんはそんな彼女を見下ろして舌打ちをした。
「だったら、死んだら楽になるんじゃない?」
「......っ」
村瀬さんはそう言ってトイレから出ていった。
残されたのは仲村さんはしばらくの間床に蹲って動かなかった。
だがーー急に立ち上がり、外に向かって歩き出す。
目の前を通り過ぎたところで、花子さんが仲村さんの後ろを追い始めた。
仲村さんは階段までたどり着くと、一段一段ゆっくりと登り始めた。
ーー嫌な予感がした。頼む、それだけはやめてくれ。
その予感は...当たってしまった。仲村さんがたどり着いたのは、屋上だった。
仲村さんは手すり側に向かって歩き出す。
花子さんも俺と同じ考えを持ったのか、仲村さんの手を取ろうと近づいた。
だが、その手はすり抜けてしまい、触れることは叶わない。
仲村さんはついに手すりによじ登り、その向こう側に立ってしまった。あと一歩前に進んだら、彼女はーー
『ダメ! やめて! 私と同じになっちゃう!』
花子さんが叫ぶ。その声は仲村さんに届かない。
何度も何度も手を伸ばしても、触れられない。
そしてーーー仲村さんは、前に進んだ。
『うあああああ!!!』
花子さんの叫び声と共に、再び俺の視界が闇に包まれた。